私季彩々
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2002年01月04日(金) 遠ざかる星空

 片付けた部屋はすでに崩壊の兆しを見せています。

 外の雪は表面が凍って堅くなっています。足を乗せると一瞬堅い感触があって、その後サラサラの雪が靴の中に忍び込んできます。降る雪が昼の日差しにちょこっとだけ解けて、夜の氷点下に氷の欠片を身にまといます。身近なところでも層になった時間の積み重なりがあるものです。

 記憶というのも勝手なもので、雪を眺めればいくつかの光景が引き出されたりします。お尻がいつもすぐぬれてしまう上下一体の防寒具。親指以外は全部一緒の手袋。ついでに落とさないように紐がついていて、袖を通して繋がっていたりしました。雪だるまはどんなに頑張っても漫画のようなまぁるいかわいらしいのが出来ず、表面に草や土がついてしまったのは、北海道とはいえ雪の少ない地方に育ったからでしょう。小さい頃の記憶は圧倒的に昼間が多い。
 なんとなく感傷に浸りたい時などは、夕闇の雪景などを思い浮かべます。けれど出不精になった青年時代、どれだけの肉眼の記憶が私の中にあるのかわかりません。テレビや映画の記憶もすでにごっちゃになっている事も否定できません。

 短歌や詩を書いたのは小学校の頃ですが、思えば何かを書いているときや思っているときというのは、当時から視点や志向が全く変わっていないのに驚きます。ませていたともいえますが、小学校高学年までは明るく模範的な優等生だった私は、中学校に入ったあたりから、ただの頭のいい少年に成り下がってしまいました。それは当時から何となくわかっていた事で、みんな成長していって、私が何も変わらなかったということです。ああ、みんなそっちにいってしまうのね、と傍観していた事もはっきり覚えています。ついていけたのも確かですが、全くその気にならなかった事も。

 何か思うときに、私は小学生にも老人にもなれるような気がします。それが小学生的とかそういう意味ではなく、私の中では大差がないのです。けれどそれは夜も更けてきた孤独な一時に認められることで、常は年相応だとか一般的な興味関心だとかに振り回されて、合わせきれなくてもそうは見られないように努力していたりします。世の人がみんな同じに見えて。
 ただそれは大きな間違いである事はもちろん承知しています。で、その辺の脱却点というものも自分なりに少し見えてきてるわけで。

 さっきまで遊んでいた猫がうつらうつらとしております。猫は猫。私は私。
 見送ってばかりいたつもりなのに、球状に広がっていった友人達を見るかのように、私は星空を眺めているのかもしれません。


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