私季彩々
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2002年01月01日(火) 冬の心象

 年末年始ということですが、私のカレンダー上では全然区切りになっていないので、敢えて特別な事はなし。

 蛍雪というと受験雑誌などの表題になっていたりするけれど、意味としては中国の故事に倣ったものだって初めて知った。雪明りを頼りに窓際で勉強するということらしい。
 雪というのは確かに光を封じているかのように仄かに光っているようにみえる。あの白は、あらゆるわずかな光も反射するからそう見えるのだろう。白い雪はたっぷりと空気を含んでいる。だから、雪1cmは雨1mmに換算されるわけだ。含まれた空気は断熱材となって大地が深く凍てつくのを防ぐ。豪雪地帯は雪解けとともに耕せるのはこのためで、道東などでは凍土が溶けるまでにかなりの時間を要する。
 けれど、白は光を反射するからなかなか溶けないわけだ。で、石炭の粉とか土とかを撒いて早く溶けろと頑張るのが、早春の北海道の風景だ。

 まだ、厳冬の北海道は大地的にはあったかぁい衣をまとっているわけで、冬ごもりに徹するのが冬の正しい過ごし方ともいえなくもない。その衣も鏡のようにたわみ一つない事もあれば、波紋が美しい事もある。その光景を写真に収めたいと思いつつ、貧乏にまかせて何もしないでいる。だから、目蓋に思い描くだけ。

 蛍雪を湛えた雪の原は仄かに光っていて影もない。柵はどこまでもつづいているが、何故か地平線を見るかのように丸く弧を描いている。一本の幹がスクッと天を指しているが、大地に近づくほどおぼろげで、むしろ天のほうがかっきりとしている。星は瞬きを止めて一次元の”点”となる。時空が増えるほどおぼろげになるかのように、宙は漆黒のグラデーションを描いて大地の白に溶ける。この光景を越えるものを人はもてないのではと、慄然とさえするものがある。
 一方で、晴れ上がった雪原はかっきりとしていて、開けっぴろげでもある。影は雪の白に映えてむしろどんな柵よりも存在感があったりする。

 まぼろしか、はたまた思い込みか。それは全て私の中にあって、大切なものでもある。囚われているものといった方がいいのかもしれない。


 宵月を封じ仄照る雪の原 佇む弧木 朧の如く

 雪原の柵は埋もれど影伸びて天馬を囲む牧柵となる Home&Photo


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