私季彩々
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札幌は記録的な大雪となったようだ。朝カーテンを開けるとベランダは雪まみれ。広いのだけが自慢なベランダは雪を捨てる場などどこにもないだけに、どうしたものかと途方にくれる。開花に落とすわけにもいかないし。引っ越してきた当初はビニールハウスでも作ろうかと夢見たものの、世界でも屈指の豪雪都市である札幌では叶わぬ夢となり、生ごみの冷凍保管所となることはほぼ決定事項となった。
そういいつつも、こんもりと積もる真っ白な雪は清純さを湛えて自分まで清廉されたかのような気分になる。北の町はロマンティックねぇ、などといってしまう異邦人の旅情は私の中にもあるわけでそれはそれで大切だと思うけど、一歩外に出れば吹っ飛ぶ白婆の手妻に脚から洗礼を受けることになる。 すでに30cmは有に積もった道には健気にも一筋の踏み跡が残っている。それを私を含めた勤労者諸君が踏み固め踏み固め、道は広がりを見せていくわけだ。1mに達するかもという大雪に遭ってもこの営みは人に軍配が上がる。
窓からみる景色は雪にかすむ。そういえば私のみる景色というのは、ほとんどが窓越しのものばかりのような気がする。室内から覗く雨や雪。屋根を叩く雨音。車窓も含めれば、その多くが窓というフレーム越しに眺めたものが多い。物思いにふけるとき、ぼんやりと外の光景に思いを馳せてみる時、私は必ずしもその対象と一緒にはいない。安全地帯でぼんやりとしている、といいつつぼんやりなどという状態は実は知らないようにも思える。 山や海で音っ転がった時、風や草いきれに身を任せた時に感じることはまた別にも思える。一体感と孤独感が交錯しつつそこに壁はない。どちらがいいとはいわないけれど、窓越しの生活に慣れすぎた感はないだろうか。
雪は降り積もる。くたびれたコートについていたフードをかぶってみた。始めて実用的に使ってみたが、耳がやや隠れて音がこもる。時々視野に入るフードが新しいフレームとなって雪景色を客観視させる。寒さは歩いていればほとんど感じない。汚れのない白一色の世界は違和感すらなく、ただ青信号だけを眺めて足を進めるだけだ。 それは私が窓越しに眺めているだけだという事だろう。お腹が減ったとも、道を譲ってくれたとも、雪かきが大変ねとも、一瞬頭を文字が通過しただけで空中浮遊のように通り過ぎただけ。まるで私がこの雪を降らせているかのように淡淡と。氷の張った創生川には、嘴を納めて丸まった鴨が緑の頭を光らせて動きもしない。 そんな中、唯一貫いた感覚は足が濡れている事。去年はいていたぼろ靴は、防水力をほとんど失ってクリーム色が濡れて沈んでいる。足が冷たい。 その瞬間、世界が動いたよう。トラックが交差点で立ち往生している。いらいらしたように大きく迂回する車たち。スコップを片手に手助けする人。コンビニから様子を眺める人。
雪は降り続く。この雪は私が降ったように思えた。ただそこに在る。窓越し彼等を眺めても曇った窓越しで、しかも夜だからよくわからないけれど確かにそこにある。それが今の私でもあるのだが。
清すぎる雪に還りし吾に残る温かさあり 靴下濡れて
「雪原を駆け回りたい」 窓越しに思う 決して開けないけれど
嘴を納めて緑 川石になりて動かぬ 結氷の鴨
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