私季彩々
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2001年10月10日(水) 三度目の願いは星に届かねど 月は拾わん今宵二十三夜

 真夜中に昇る月に願いをかけると叶うという。

 願いを唱えるというのはなんとなく夜が似合う。ひそやかな願い。怪しい願い。切望にも似た願い。そういったものは月明かりの薄く射す鎮守の森にこそ良く似合う。

 願いとは苦悩も含む。弱い自分や他力な自分、勝手な自分を棚に上げつつ、そんな自分を知ってるだけにどこか後ろ暗くも一心に願う。そんな時背中を叩かれたら飛び上がってしまうことだろう。
 水御いのように一心不乱に神に祈るやり方もある。どうにもできない望みを苦行に託して祈る。今時そうはないだろうが、切なさ伝わる月夜の柄にこそ良く似合う。
 一方で涼やかな風渡る河原で膝を抱えて座る二人が、相手の幸せを互いに願う時もあろう。

 言葉にならない秘めたる想いを供えるならやっぱり月の女神様だろう。太陽に願いをかけるというのも健康的過ぎて”何言ってるの”と諭されそうだ。人は弱きもの。ご都合主義の願いだろうかお月様にお願いするくらいなら許してくれる。
 日の出ている間は一生懸命働き月の出ている間は足りない弱い私の荷を預ける。どれほどの願いや苦悩をお月様は抱えているのでしょうか。

 月は満ち欠ける。現れる時もばらばら。たまには一人になりたいとでてこない時もあれば、太陽を追ってさっさと沈んでしまう事もある。太陽は毎日出て働け働けとせかすのに、癒しの女神様はなんと気まぐれな事か。願いくらい聞いてくれたっていいではないか。忘れてしまったって文句はいいませんのに。

 そう。お月様だってそうそう甘やかしてはくれないのだよ。その代わりご機嫌のよい日はあるようだ。
 ”二十三夜待ち”
 真夜中の子の刻に登る半月を待って願いを唱えればお月様はフンフンと聞き届けてくれるみたい。これから欠け行く月にと不審に思うなかれ。”朔こそ満つ”というではないか(本当か?)。

 せっかくのチャンスにはとっておきのお願いを。あんまり俗っぽいのは他の日にしておきましょう。寛容と感謝。無の境地とは行かないまでも、そこから始めれば女神様も喜んでくれるはず。時間は大丈夫。流れ星ほどせっかちではありません。流星にかける願いはせいぜい二度までで、3度目を祈る頃にはほとんど連中は消えていて願いだけが宙に浮いてしまいます。
 もしかしたら二十三夜は漂う言の葉達を月が拾い上げていく夜なのかもしれませんね。

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