私季彩々
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2001年10月08日(月) 逝く人と飲まんと並べし杯に 偲ぶ影落つ更待の頃 

 昨日、アフガンのニュース速報を見ながら”あの月のとなりに土星が輝いてることなんか誰も気がつかないんだろうな”と思っていた。そしたらそれを見ていた頃がまさに土星食のその時だった。一日間違っていた。大馬鹿です、はい。
 月曜日未明というから、日付的には火曜日だろうと思っていたら・・・。なんてこったい。

 土星食とは月に土星が隠される現象だ。なんてことはない。けれど、この現象が前に見られたのは30年前の話。けっこう珍しいのだ。輪をもつ土星が月の明縁に隠れて、半分、3分の一と消えていく。それが再び、段々と現れていく。ただそれだけのことだが、短時間にみればなかなか乙なものだ。そんなものにも喜べるというのは、マニアックながら素敵なことだと思ってしまう。

 こんな例もある。満天の星空の中、月が浮かび動いている。とすれば、月は多くの星々を隠しては現れるだろう。これを”掩蔽”という。では月の縁を接するように通る星もあるだろう。これを”限界線”という。限界線は月の縁を通るため、月の山に隠れた時には消えて、谷に差し掛かると現れる。こうして短時間に明滅を繰り返す(かもしれない)。こうして月の起伏を調べたりする。
 そんな公的機関があったりする(これだけしてるわけではないが)。今では積極的にこんな事をしているわけもなく、アマチュア観測家の密かな楽しみになっている。それも悪くない。

 でも一番大切なのは見上げること、詠むことかなと思う。皆既日食を海外まで見に行ってカメラに収める事に熱中してしまい、肝心な空を一度も見上げなかったという情けない話も多々ある。そんなことよりあの時見上げた星空、波間に揺らぐ月光の帯、満点の星を動く人工衛星、仲間と酔っ払って見た薄明、恋人と見た湖面の三日月の方がずっといい。

 既望、立待月、居待月、寝待月、更待月、朔に望月。日々満ち欠けていく月に様々な名前を付けたご先祖様はさぞかしロマンチストだったのだろう。そんなご先祖様に負けまいとはるかな惑星に目を凝らしても、やはり見えるはおんなじ美。星々の世界は悠久の流れ。違うように見えて実は同じものを見ていることにこそ感動があるのかも。

 新鮮な心と探求する目。共に交錯してこそ目のピントは自在に変化する。近視の私も遠視のあなたも、立ち返ればおんなじ眼を持っている。それでも感動がなくなったら月の名前を思い出してみればいい。なんと深く淡く想像力を刺激することでしょうか。

 今宵は更待月。亡き友と静かに飲むとしたら、月明かりが差し込むまで一言もないかもしれません。

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