私季彩々
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2001年09月27日(木) 悠久を巡る時計塔

いつ見たか覚えていないけれどテレビでこんな事を言っていた。

 ”永遠に動く時計を作る”
 さてどんなものを想像するだろうか。エネルギーは核分裂。時計程度のエネルギーならほんの小さな核エネルギーから十分に取り出せるだろう。太陽熱や地熱を組み合わせたっていい。
 外観は強化プラスティック。絶対壊れない一品にしよう。未来志向のデジタル液晶。
 そんなものをスフィンクスの隣にでも立てたら悠久の歴史に佇むモノリスのように我々の文明がなくなっても残るかもしれない。

 でも実際にそれを作っている人々は全く別のことを考えていた。うろ覚えなのだけれど、動力は基本的に人力だ。まぁ水車とかでまわすわけだけどそれらが駄目になったら最終的には人力。
 強化プラスティックなどない。歯車と石造り。まさに中世ヨーロッパの世界だ。
 誤差も無茶苦茶多い。一週間に15分とか。
 こんなものを永遠の時計などといっていいのだろうか。

 そこは発想の違いだ。物はいつか壊れる。壊れた時に直せなければそれでおしまいだ。その時設計図や何かがあるとは限らない。作った我々はすでに忘れられた存在かもしれないのだから。そんな時は今ある姿を見て補修しなければならない。それには構造は単純なほどいい。
 時計は必ず狂う。なんといっても地球は徐々に太陽からはなれているのだから。正確な時計などというのは無理な話なのだ。ならばたまには正しい時を聞いておかなくてはならない。その為の日時計は必ず備えておかなくてはならない。
 雨風は必ず強く吹いて建物を破壊する。普通にある素材で直せなくてはならない。今ある文明が1000年後あるとは限らない。

 結局出来上がりそうなものは石造りの風車のような時計台だったようだ。

 今の技術を持ってすれば1000年くらい動く時計は可能なのかもしれない。けれど悠久の流れの前で維持できるとすればなんなのだろうか。
 それは”関心”だろう。人々が集い暮らす街にこそ長針と短針は意味を持つ。その人々が朽ち行く塔を直し支えていく。私の知る限りそのようなものはいまだない。
 ピラミッドやマヤの巨大建築物。今そのようなものを作り出す事は可能だろう。問題はそれを歴史たらしめる神秘さを我々が植え付けられるかどうかだ。砂山に埋もれ再び顔を出すというのなら可能かもしれない。

 もしその時計塔が永遠だとしたら。幾世代の人々がその塔を見上げつづけるのだとしたら。私はその塔を雲の上からずっと眺めていたい。

 それこそが本当の”塔”の姿なのかもしれない。高みを目指すのではなく悠久を指し示すもの。
 ただの”塔”なら神様が破壊してしまうのですから。 Home&Photo


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