私季彩々
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2001年09月20日(木) テロ事件と日本

 同時多発テロ事件の展開はどうなるのでしょう。ラディン氏に国外退去を勧告とかいってるニュースがあるけれど、よく聞くとかなりあいまいだ。といっても、ここまできたら振り上げた拳をどこかに降ろさなきゃいかんだろうけれど。
 考えてみれば、すでに出来レースであってアメリカに追随する以外道はない。日本の情けないくらいの追随姿勢は仕方ないとはいえ、どうにかならないのだろうか。せめて、アメリカ支援などという言葉は使わないで欲しいものだ。

 今回は日本人も犠牲になっている。私達の国は、このような事態が例え起こったとしても他国までいって報復する事は出来ない。霞ヶ関のビルが倒れて数千人が死んだとしても、自衛隊もだせない。なんせ軍隊がないのだから。
 それが悪いといってるんじゃない。戦争を放棄するというのはそういうことだ。”戦争は悲惨だから放棄した”などという感情論的解釈は通用しない。むしろ”戦争で解決できると考えるのは時代遅れだ”というスタンスが欲しい。解釈論ならばそのようにすべきだ。

 今回の事件は、明らかにアメリカのダブルスタンダードだ。古くはイギリスのダブルスタンダードが中東問題を産んだように、今回も根本はそこにある。ラディン氏もタリバンも、かつてはアメリカの支援を得ていた人々だ。
 皆そのことはわかっていてもいえない。政治家なら当然だ。でも言い方はある。臨時立法などという姑息な言い回しよりも、日本が主体だったらどうするのかを示すべきだ。それがアメリカと異なるのだったら、別々のアプローチを取ればいい。後方支援はしかたなくとも、拡大解釈を許さない姿勢を持つ事。何より水面下で中東問題の改善に取り組む事だ。真っ先に哀悼の意を示したパレスティナの事を誰も取り上げない。彼らの支持を取り付ければ、テロの大義名分は消え去るというのにだ。無力化したアラファトだって、使い様によっては互いに利用できる。

 日本は先進国にあって、宗教色の極めて薄く過去の問題を持たない国だ。そして戦争を放棄した国だ。そのことは他国から見れば誰も信じないだろうが、それは事実だ。日本で同じ事が起きても、この国は軍事的報復をしないだろう。憲法に書いてあるからではなく、今の日本人はそうはしないということだ。それは誇ってもいいことだ。理解はされなくとも。

 だからこそ可能性がある。
 エルサレムの聖墳墓教会の鍵は、イスラム教徒が持って数百年になる。キリスト教徒の各派が牽制しあって、誰にも持たせたくないからだ。宗教はかつて寛容だった。しかし積み重なった悲劇を神の試練と崇めるには、人々は小さすぎたのだろう。一神教の寛容さは多神教のそれよりも狭いのは確かだ。しかしそれでも寛容さはある。
 それらを備えた人々は、世界にそうはいない。日本はその一つである事は間違いないと、私は思うのだが。 Home&Photo


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