私季彩々
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| 2001年09月18日(火) |
昔、天使だった哀しい私達へ |
哀しみをたたえた天使が人となったときこの地に足跡が残る。振り返れば埃にまみれた街並に、ふとあらわれた靴跡。傍観者から生きる者へと変わったとき、足跡には魂の重さが加わる。
ふと年下の人と映画談義になったとき、彼は”ベルリン天使の詩”のことを話し出した。ヴィム・ヴェンダースの有名な映画だがメジャーな映画ではない。私が多少映画好きだった事を知って恐る恐る話題に載せたようだ。 私がこの映画を観たのは高校生の頃。映画館が数件しかなかった街でこんなマイナーな映画を観れたのは地元の映画サークルの特別上映だった。滅多にない機会と思っていってはみたが、正直よくわからなかった。けれど映像の美しさと雰囲気の良さに惹かれてまたいつか見たいと思いつつ日が過ぎた。
天使は傍観者。いかに優しさと慈しみと平等をたたえていても自らの足で生きることができない。それを”哀しい”というのだろうか。”哀しい”と”悲しい”の違いを私は良くわからない。天使が哀しい存在だとすれば、人は全て昔天使だったのかもしれない。だとすれば人は全て優しくて哀しい存在だ。 時に足跡が残らないほど生きている実感を持てないときがある。そんな時はもしかしたら背中に翼があるかもしれない。そうならば一時自分から離れて舞い上がってみるといい。人のそばに寄り添う哀しい存在に気がつくかもしれない。 彼らは子供達には見えたという。
”子供は子供だった頃 腕をブラブラさせ 小川は川になれ 川は河になれ 水たまりは海になれ と思った
子供は子供だった頃 自分が子供だったとは知らず すべてに魂があり 魂はひとつと思った
子供は子供だった頃 なにも考えず 癖もなにもなく あぐらをかいたり とびはねたり 小さな体に大きなつむじ カメラを向けても 知らぬ顔”
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