私季彩々
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2001年09月03日(月) 改革に対するまとまらない思い その1

 世は改革の掛け声高いけれど何も変わってない気がするのは気のせいだろうか。
 最もよくわからないのが、民営化、外部委託、出向などの言葉だ。民営化や委託によってコストが下がるというのはどういうことだろうか。内部でやるとそんなに効率が悪いのか。確かに仕事を集約化すればコストは下がるだろうけれど。それが子会社だったらなんの集約化にもならない。
 結局は残存する人々の既得権(=高水準の給料)を維持するためという事にならないだろうか。
 私が役所にいた頃の保健衛生部門は再編の嵐が吹いていた。無理もない。戦後すぐにできた衛生関連の法律を主なよりどころにして今だに仕事をしているのだから時代についていってなかった。近代設備の衛生管理の時代に排水溝にねずみ防止の網を張ってね、といってても始まらない。どうしてこんなにもっていたのかもわからない。
 そんな中でも職員は真面目に仕事をこなしていた。零細の業者相手に丁寧な仕事をこなした。みんな真面目なのだ。仕事はなんとしてもみつけてくる。自分の仕事の必要性を何とか見出して一生懸命にこなす。決して自分の仕事が時代遅れになっているとは認めない。認めたら存在できなくなるからだ。だから仕事は肥大化して既得権と化す。考え方を変えればこれほど楽な仕事はないからだ。
 大きな企業にしろ特殊法人にしろ公務員にしろ自分の仕事の社会性を認識できる位置にいなければ既得権の上にあぐらをかくことになる。誰が自分の仕事と報酬を分け与えるなんてことをするだろうか。
 フリーランスの仕事。腕一本の職人。農協組織のない農業。いらないといわれれば何の保証もなくなる人たちも多い。
 一方で彼らは多くの保証を持っている。健康保険に雇用保険。会社が倒れても退職金や公的資金で建て直し。保険制度はいつまでたっても破綻しないというのならぶら下がっていたほうが楽に決ってる。今のほとんどのリストラはこの幹にしがみついているばかりにみえる。
 資本主義の世の中だ。年功序列が裏切られたといっても仕方がない。経営者も労働者も自分がどういうパイの中にいるのか見直してみるべきだろう。すでに若者の価値観は金銭的報酬から離れてきているとは想うのですがね。 Home&Photo


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