私季彩々
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2001年08月21日(火) 地球家族2001

 私はごくたまに写真集を買う。しかしほとんどがプレゼント用なので手元にはない。そんな私が自分で買ったものがある。”地球家族”という本だ。
 ”世界30カ国の普通の暮らし”
 ”申し訳ありませんが、家の中の物を全部、家の前に出して写真を撮らせて下さい”
 世界各国の統計的に平均的な一家の写真を撮る、というものだ。さらに家にあるものを全て家の前に出して、家族とともに写すというものだ。アフリカのマリでは土壁の家で物は壺や鍋などの炊事具ばかり。
 キューバでは失業中だけど普通に物はある。冷蔵庫は随分古めかしい。
 アメリカはいかにもいい家族という4人がカントリー風の立派な家具と家族の写真に囲まれている。車が2台と犬が一匹。
 モンゴルではパオの中に全てがある。大事なものは先祖代代の仏像。
 ブータンでは仏式の道具だけ。
 日本はいかにも普通の一家。一戸建ての東京住まいだけど他のどの国よりも物が多い。
 ボスニアでは銃弾が突き抜けた医学書を大事にする父。護衛の兵士が写っている。

 この写真集は1994年にでたもので写真集というよりも、書かれているデータやコメント込みで世界の普通が表す本当の今をダイレクトに、そしてたたみ込むように伝えてくれる。どれもその国の普通。幸せの形も”物”という尺度でみれば日本が最も豊かだけど伝わる言葉や雰囲気からは単純な図式では図れない。そんな本をまた引っ張り出したのは、今回その当時の家族を再訪した番組を、NHKで放送していたからだ。

 ブータンでは”成功は求めない”といった父親が”息子のために成功したいがその方法がわからない”という。村に電気がきた。息子は病で倒れた。当時の満足すべき環境が文明の訪問とともに外との”比較”にさらされる。
 キューバでは”最も大切なものは家族”といった夫婦が離婚している。
 日本は不況のなか家族が話す言葉がばらばらになっている。退職後の人生を悩む父。一番大切なのが携帯電話と答える娘。そんななか7年間に新しく増えたものは買い替えも含めて数百点。家は変わらなくても中のものは溢れかえる。それでもまだ欲しい物があるという。

 今回放送された人々のその後は、どこか日が斜めに当たっているように思えた。発展途上であっても満足していた人々が不安におののく。溢れかえるものにどこかひずみが生じている日本。当時の本では、どこにも家族が一番大切という姿勢がどの写真にも垣間見れた。ヨーロッパやアメリカにはその姿が良く映っている。何故その姿が日本では見れないのだろう。一家族だけならわかるけれど、私が普通と見る日本でも、やはり同じような写真を撮ると思う。

 ボスニアの家族は戦争を乗り切って同じ部屋に住んでいた。母は死に娘は離婚した。父親はいう。”今は戦争が終わっていろいろ考えられるようになった。しかし先は闇の中で何をしたらいいのかわからない。戦争の時は生きることだけを考えればよかった。”

 普通という世界の本当の背骨となる部分が今日放送された通り病んできているのだとしたら、それは本当に危険な事だ。日本はそんな中、物質的快楽にどっぷりつかっている。間違いなくこれは幸せな事。けれど物貧しき国々を見て「私たちは豊かだから感謝しなさい」といわれても実感は湧かない。この国でなんとなく閉塞感を感じている人々は、ボスニアで話すお父さんと本質的には変わらない気もする。

 ブータンの村に電気が行く事は本当にいいことなのか。けれどそれは絶対に止められるものではない。だからそれはいいことなのだろう。そのために起こる”比較”という脅威にはどう立ち向かうのか。それは電気を生み出した当時の発明以上に難しい難題だが、我々世代が取り組むべき事例だ。現在論じられている政治も経済も技術も全ては100年前の積み上げに過ぎない。もうそろそろ世紀の発明が必要になっている。

 なんてちょと考えすぎか。もうすこし幸せが積み重なった家族もみたかった。いないわけはない。総じて幸せになっていると思う。続きは本を買うことにしましょ。 Home&Photo


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