私季彩々
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森を歩くと野の花が目に付く。私のわかる花の種類はたかが知れているのだが、師匠が歩くと十数種にもなる。私も早くそうなりたいものだ。
花々は道端に生えている。人が踏み固めた道の脇に。路肩はやわらかく、水か溜まっているからいい環境なのだろうか。木々の生える奥に行くと花々は少なくなる。笹が生い茂るところはほとんどいなくなる。 彼らは見るからに健気だが生きる場所を探して必死に生きている。それは大きな木々のない日の当たる環境だ。それは以外にも人が作り出した環境だったりもする。 人が作った道が花満つる道となる。何かと何かが接する所に生き物が育まれる。
動物の体もそうだ。表面ばかりでなく、腸も血管も管腔だ。栄養を求めて腸には無数の襞があって、人一人でその表面積は畳100畳にもなる。骨の中も骨髄腔。実質である細胞は毛細血管から離れて生きられない。進化する脳はねずみのツルンとした姿から皺をきざみ表面積を増す。神経は表面でしか存在できないからだ。 同じ細胞が塊を作って増えつづけるものを癌と呼ぶ。
生きるということは何かと接点を持てる環境でなければならない。均質な部分は栄養が循環しないで死んでしまう。人が歩いた道に光が差し込んで野の花が育つ。巨木の倒れた後に若木が育つ。単一の人工林は日の光もささず、地面は枯れ落ちた葉が積もるのみで静かな死の雰囲気となってしまう。 入り組んだ皺の表面で何かと何かがせめぎあって、助け合って生きている。単調な塊はその内部が崩壊して日の光差し込む。生態系も、生体も、人間社会や人の心もそのことにはかわりない。
でも忘れがちな事もある。森の奥には人には見えない襞があったりする。熊や鹿達が絶妙な血管をつくっていたりすること。 だから、あんまりでしゃばらないくらいが丁度いい。
そう、道端に野草が香るくらいにね。
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