Web Masterの日記



蔵出し

2008年06月18日(水)

昨日、沖縄で梅雨が明けた。
平年より6日も早く、梅雨期間は26日間と過去3番目に短かった。
東京も例年より早く梅雨入りしたので1日も早く明けてほしいものだ。
明日からまた天候が悪くなるみたいだが、今週末は夢の島だから大丈夫かな?
三郷ほどは心配しなくていいけど、この時期は本当に
天気図とにらめっこの日が続くな。
さて、今日は書こうと思っていたことが溜まってきたので久々の蔵出し。
やっぱり新しいパソコンのキーボードの小ささに慣れていないので
打つのに時間がかかるけど…。


●プリントゴッコ
これも時代の流れだろうか。
年賀状作りに各家庭で活躍した「プリントゴッコ」が販売を終了した。
「プリントゴッコ」は昭和52年に誕生し、
原稿をカーボンを含む筆記具で作成して
器具に装着し、専用フィルムに密着させてフラッシュランプの熱で熱転写。
感応したカーボン部分にチューブ式インクを盛って、
再び器具に装着して1枚ずつ用紙に押し当てることで印刷する仕組み。
印刷屋に頼むより安く簡単にでき、手書き文字もそのまま印刷できるということで
瞬く間にお茶の間に浸透した。
しかし、今はパソコンの普及により、年賀状ソフトを利用して
簡単に年賀状が作成できるようになり、あっという間にお茶の間から姿を消し、
ついに販売終了となってしまった。
だけど「プリントゴッコ」が一時代を築いたことは確かである。

そういえば、うちにも昔「プリントゴッコ」あったな〜。
なんかビビリながら製版した記憶がある。
ランプを装着後、上と下の部分をひっつけてランプを光らせないと
上手に製版できないんだったよな。
でも、光った後の、こげくさいランプのにおい…結構好きだったりしたっけ。



●常用漢字
常用漢字表の見直し作業を行っている文化審議会のワーキンググループは
追加候補として188字を漢字小委員会に提示した。
小委はこのうち、常用漢字にふさわしいか意見が分かれていた
「俺(おれ)」の扱いを議論したが、結論は先送りされた。
「俺」については、委員から「使用頻度が高く、常用漢字にすべきだ」
「子供に使わせたくない言葉。あえて加える必要があるのか」と賛否両論。
他に候補となったのは「藤」「誰」などよく使われる漢字。
単体で使われないものの、熟語での使用頻度が高い
挨拶(あいさつ)の「挨」「拶」、椅子(いす)の「椅」も盛り込まれた。
主に固有名詞で使われる漢字は選ばれなかったが、例外として
県名に登場する「岡」「阪」「熊」など11の表外字は候補に入った。

でもさ………

常用漢字に追加されると
どうなるのかな?(^^;)
常用漢字に指定されようが、されてなかろうが
使う人は普通に使うよね!?



●宮崎勤死刑執行
アキバの通り魔事件が執行を早めたのか?と考えてしまった。
昭和の終わりから平成にかけて世間を震撼させた
幼女連続誘拐殺害の宮崎勤死刑囚の刑が執行された。
宮崎勤死刑囚といえば、埼玉県と東京都で昭和63年から平成元年にかけて
4人の幼女が殺害された「幼女連続誘拐殺人事件」で、
アキバ通り魔より早くワイドショー独占を実現した鬼畜だ。
そして、アキバ系より早くオタを先取りし、
今、振り返ると時代の最先端を走っていたような気がする。
この事件から「オタク」という言葉が世に出たとも思うし。

とは言っても、何も罪のない4人の幼い女の子を殺害したうえ、
遺骨や犯行声明を遺族に送りつけたことは、とても許されることではない。
「今田勇子」と名乗ったり、取調べでは「ねずみ人間が出てきた」などと
訳の分からないことを言って殺意を否定し、反省の色は全く見られなかった。
もちろん判決は一審、二審、最高裁とも死刑で確定。
その最高裁の判決に対し宮崎は「何で死刑なの?」と判決に納得せず…(-o-;)

だけど、死刑確定から2年あまりでの執行。
今までの執行と比べると随分早かったような気がする。
しかし死刑囚の刑務所での食費や住居費も我々の税金から出ているので、
死刑が確定したら、とっとと処刑してほしいのが本音だ。
実際、刑事訴訟法では刑が確定したら6ヶ月以内に執行するよう定められている。
なので今まで平均8年ほどかかっていた執行を早めている鳩山邦夫法相は
言動こそ政治家としては問題が多いものの、
法を守ろうとしている姿は素直に評価してもいいと思う。
実際、鳩山法相になってから平均3年ほどになったし。

被害者の人数や殺害に至るまでの動機、精神鑑定など
様々に考えなくてはならないものがあるけど、
人を1人でも殺したら死刑。
これでいいと思うんだけど過激かな?
過激な暴論ついでに…なんなら死刑執行も
公開してあげたら良いのではないかとも思ってしまう。
悪趣味とか言われそうだが、戒めのためには良いのではないだろうか。
死にまつわることをテレビで放送すると、犯罪に繋がると言われるが
この場合は逆の効果も大きい。
悪いことをすれば自分も死ななければいけないということを知るのは
決して悪いことではないと思う。
それを死刑囚にも人権が…とか言い出して守ってしまうのって
何かちょっとおかしい気がするしね。
小さい頃から命の尊さを教えていれば犯罪は減るはずだ。
逆に教育を間違えると隣の某国の様に、幼稚園児でも人(日本人)を
殺している絵を描くくらいになってしまうだろうし…。

なんにせよ一番良いのは、今後は死刑になるような犯罪が起きないことに尽きる。
ということで?反省の色のない極悪犯に、ご冥福はお祈りしません!



●終身刑
上の記事の内容に少し関連するかも。
裁判員制度まで1年を切った。
この日記でも何度か裁判員制度に触れているが、
来年からは法の素人である我々国民が裁きに参加することになる。
中には死刑か無期懲役かで悩む場面もあるだろう。
自分の基本は前述した通り、人を1人でも殺したら死刑なんだけどね。

まぁ、だけど実際に裁判員に選ばれ、死刑を選択するのは勇気のいることだ。
そんな中、仮釈放のない終身刑を作ろうと与野党を超えた議員連盟が
改正案に向け合意し、法案を提出するという。

終身刑…この刑はひとつの答えになりうるかもしれない。

当初の報道での記憶だが、議連には死刑存続派も廃止派もいる。
そのような立場の違いを乗り越えた同意には、とても意義がありそうだ。
裁判員制度が導入され、量刑を下す立場になったとしたら
躊躇なく死刑の判断を下せる一般国民は少ないだろう。
自分はいまだに裁判員制度に賛成ではないが、
終身刑という選択肢が増えることは歓迎である。

ただ、大きな問題が…。
最近は死刑になりたくて犯罪を犯すバカがいるように、
終身刑になりたいという動機の犯罪も出てくるだろう。
死ぬまで刑務所に居るので食うことや住む場所の心配がないのだから。
ある意味で外よりも安全だし、わずらわしい人間関係に悩む必要もない。
なので刑務所暮らしの方が今の競争社会、格差社会よりは
居心地が良いのかもしれない。
まぁ、刑務所の方が居心地が良いという社会が存在するのもどうかとは思うが…。
それに収容員数や費用の問題も出てきそうだ。
最近、無期懲役囚の数が過去最多になったばかり。
外国人犯罪者の数も増加している。
そこに終身刑の囚人が加われば、刑務所は犯罪者で溢れかえってしまう。
そして、その犯罪者に出される食事は我々の税金である。
刑務所の光熱費だって税金だ。
そのうち犯罪者が増えたから増税なんて本末転倒なことにもなりかねない。
なので刑務所に収容されている囚人は、刑務所内での労働で
食費くらいは稼ぐような法律を作っても構わないと思うのだが。
これ以上、犯罪者を甘やかしてはいけないだろう。

様々な点で、まだまだ終身刑の導入は難しいかもしれないが、
とりあえず議連が合意したということは大きな前進である。



●Peachy's
今、何気に話題のアイドルユニットがいる。
南明奈(アッキーナ)、秋山莉奈(オシリーナ)、小阪由佳(コサカーナ)の
3人によるアイドルユニット「Peachy's」
フジテレビの深夜番組から出てきたアイドルユニットだが、
なんと実際には歌わず…口パクでCDデビューが決定した(・ω・;)

そんなのありなのか!?
ヘタでもいいから歌おうよ( ̄◇ ̄;)
まぁ3人とも人気のグラドルだから、ファンにしてみたら嬉しいのかね!?
でもCDから流れる歌は本人たちの歌じゃないんだぞ(-o-;)

ちなみに本当に歌っている人たちって誰なんだろう?
そっちの方が気になるな。



●マスコミ報道
今回の「岩手・宮城内陸地震」でのマスコミの報道について考えさせられた。
このような大災害の場合「代表取材制度」が取れないものなのだろうか?
各社でヘリを飛ばし、市役所に電話し、取材車をたくさん走らせるなどして
リアルタイムでニュース映像を流している。
もちろん、これにより親族知人らの安否を確認できるという
大きなメリットはあるが、一方で、電話回線がますますつながらなくなる、
市役所の担当者は報道対応だけに追われて
情報収集や災害対策に手が回りにくくなる、
二次災害(ヘリ衝突や余震に巻き込まれるなど)の懸念、
みんなで撮影だけして一切、救助活動などをしないということで
被災者から不信を抱かれる危険性、救助活動の邪魔などが挙げられると思う。

取材は最小限にしたうえで、公表される安否情報や被害情報を
リアルで流すという方が良いのではないかと考えてしまった。
今回も各社の映像とも、ほぼ同じだったし、スポーツ中継のごとく
1社の映像で十分じゃないのかな。

今回に限らず、災害や事故が起きた時に、
このような取材体制が取られることは珍しくない。
現場はまさしく「猫の手も借りたい」状況だろう。
そんな中、マスコミへの電話応対に忙殺される職員のことを考えると
「あんなことさせなければ、もっと現場のための仕事ができるだろうに」と感じる。
ただし「広報」という仕事は情報発信。
現場の状況を全国に伝えることで、全国から支援が寄せられる効果があると思う。
そう考えると、まったくの無駄とは言えず、
むしろ一個人が被災地のための仕事をする以上の効果
(例えば、その広報活動の結果として一万人のボランティアが
現地に救援に訪れれば一万倍の効果が得られる)が得られることもある。

これは「戦場カメラマン」の仕事にも通じるところがある。
戦場写真などでよく議論されることだが、
「写真を撮っている時間があるなら、まず倒れた人を助けろ」
そう感じる人も少なくないだろう。
それに対して報道側の論理は、
「確かに人命が一番尊い。しかし悲惨な現場を報道することで戦争が終われば、
何十万、何百万の命が救われる」

最近起きた秋葉原通り魔事件に於いても被害者が倒れている横で
無表情に携帯カメラを構えていた人が大勢いた。
『週刊新潮』に次のような記事があった。

「友人2人殺害を目撃した電機大生の携帯カメラへの怒り」
倒れている2人の周りにアッという間に人垣ができた。
「僕は、辛いというよりも悔しい。友達2人が死にそうな時、
周りにその姿を携帯やデジカメで撮っている野次馬がたくさんいたんです。
僕は止めたのに――。”不謹慎だから止めてください!”そうはっきり僕は言った。
でもみんな止めようともしない。僕はいまでも、何であの人達は
写真を撮っていたのかわからない。
現場にいることを自慢しているようにしか見えなかった。
多分、あの人達は写真を友達に見せるのかなと思うと、
堪らなく嫌な気分になりました」

確かに自分がこの大学生の立場にいたら、
刺されて苦しむ友人にカメラを向ける群集に殺意すら覚えるかもしれないと思う。
撮っている奴らの携帯を取り上げて壊したくなるだろう。
だが、一方ではこうした映像が報道に二次使用されていた現実がある。
もしも現場に報道機材を携帯したマスコミ関係者がいたら、
どんな行動を取ったか考えてみる。
おそらく救助よりも報道を優先したのではないかと思う。
それこそ前述の戦場カメラマンの論理だ。

冒頭の被災地への取材攻勢、そして秋葉原での撮影行為。
どちらも難しい二択だと感じる。
どちらが正しく、どちらが間違っていると言い切れる問題ではない気がする。
「カルネアデスの板」みたいな難題と感じる。
ひとつだけ言えることは、取材側・報道側の
「こころの問題」が大きいということだ。
たまたま現場に居合わせたことを「ラッキー」と感じ、
「これはスクープが撮れた」という気持ちで報道されれば、
それがたとえプロの報道機関であっても相応しい態度とは思えないし、
逆の態度であれば発信者がたとえ素人でもそれは
「報道」と呼ぶに値する行為のように思える。

まぁ、でも正直なところ秋葉原で携帯カメラを構えていた連中のほとんどは
ただの野次馬で、何の「こころ」も持たない哀れな連中だと思うけどね。
あの冷めた目で被害者や現場を写していた連中を見た時に
通り魔の恐怖よりも恐ろしく感じてしまったのは確かだ。
まるで日本の現実が、そして将来が凝縮されているようで…。


ふぅ〜疲れた(+。+)
明日、いやとっくに日付が変わっているから今日、誕生日だよヾ(^-^;)
またひとつ年齢を重ねてしまった……か(-ω-)ノ
だけど、年だけ重ねているけど何も変わらないなヾ(・ω・o) ォィォィ

 < 過去  INDEX  未来 >


Web Master