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2007年08月02日(木)
70年代、80年代と歌謡曲全盛期に、よくテレビで 歌番組を観ていた自分にとって、作詞家・阿久悠氏の訃報は また昭和の一時代が終わった気がした。
手がけた楽曲は5000曲以上。 数々の大ヒット曲を連発して「昭和の名曲」を世に生んできた 作詞家の阿久悠氏。 1970年代から80年代にかけてヒットした曲のほとんどが 阿久悠作詞と言っても過言ではないほどである。 ちょうど自分は小学校高学年から中学生にかけての時代。 今と違って歌番組は全盛で、歌手は新曲を出したら 3ヶ月はたっぷりとテレビで歌うので自然と覚えてしまえる時代だった。 自分くらいの年齢は、まさに阿久悠作品のリアルタイム世代と言っていいかも。 なので、30年前のヒット曲でも歌詞を見なくても歌えたりする曲も多い。 いや、昔の曲ほど忘れないものかもしれない。 リアルタイムに作品を聴いたことがない若い世代でも、 「聴けば知っている」レベルの曲が必ずあるはず。 それだけ昭和を代表する作詞家であった。
主な代表作をいくつかピックアップ(順不動) ・石川さゆり「津軽海峡冬景色」 ・尾崎紀世彦「また逢う日まで」 ・フィンガー5(小泉今日子)「学園天国」 ・小林旭「熱き心に」 ・西城秀樹「ブーメランストリート」 ・桜田淳子「私の青い鳥」 ・沢田研二「勝手にしやがれ」「カサブランカ・ダンディ」「時の過ぎゆくままに」 ・杉田かおる「鳥の詩」 ・西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」 ・ピンク・レディー「ペッパー警部」「S.O.S」「カルメン'77」 「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」 ・森昌子「せんせい」 ・山本リンダ「どうにもとまらない」「狙い撃ち」 ・和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」 ・都はるみ「北の宿から」 ・八代亜紀「雨の慕情」「舟唄」 ・「ピンポンパン体操」 ・「デビルマンのうた」 ・「宇宙戦艦ヤマト」 ・「ウルトラマンタロウ」 ・西武ライオンズの球団歌「地平を駆ける獅子を見た」 ・福岡ダイエーホークス(当時)「ダイヤモンドの鷹」
う〜ん、ほとんど歌えてしまうかもしれない。 こうして改めて見ると、いずれ劣らぬ名曲ばかり。 そして歌詞のインパクトが強い作品が多い。 特にピンク・レディーの代表曲と言われる作品は、ほぼすべてが 阿久悠氏の作品であり、ピンク・レディーのスター伝説を語る上では、 作曲家の都倉俊一氏とともに、欠かすことのできない存在だった。 さらには歌謡曲だけではなく「デビルマンのうた」「宇宙戦艦ヤマト」 「ウルトラマンタロウ」など、アニメや特撮モノのテーマ曲も手がけていたとは その才能は本当に素晴らしい限りだ。
ちなみに歴代作詞家のシングル総売り上げ枚数記録でダントツトップの6818万枚。 2位が松本隆氏の4946.3万枚だから、いかに多くの詞を書いてきたかが分かる。 昭和45年3月9日付オリコンで、森山加代子「白い蝶のサンバ」が 初めて1位を獲得して以来、昭和59年6月4日付の田原俊彦「騎士道」まで 全22作品でオリコン1位を獲得した。
また、作詞家としての顔以外に、作家としての顔もあった。 多数の著作を残しているが、最も有名なのは映画化もされた「瀬戸内少年野球団」 敗戦直後の淡路島を舞台に、野球も通じて女性教師と子供たちの 心の交流を描いた作品で、直木賞の候補作にもなったことがある。 映画には夏目雅子や郷ひろみが出演していたっけ。 作詞家としても作家としても成功した「稀代の才能」 そんな昭和の「巨星」がまた一人亡くなってしまった。 謹んでご冥福をお祈りします。
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