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2004年02月28日(土)
いよいよ明日は15回目の開幕である。 1988年の年末に高校時代の友人が入っているチームに誘われた。 翌年の1989年から、そのチームに入団する予定だったが 手違いがあり、入団することができなかった。 背番号は「17」ポジションは二塁手(補欠)のはずだった。 入団することができなかったことで友人を恨んだりはしなかったが せっかく小学6年生以来、野球ができると思ったので残念だった。 そのチームは投手と捕手も探していたので、マクドナルドで一緒だった テッチャンとミッチャンを自分から誘っていたが、 結局、3人とも入団できず…。 1年後の1989年末、再び友人から誘われた。 今度は前回のこともあったので必ず入団できるように話を上に通しておいてくれていた。 だけど1年前に比べ明らかに自分の中で入りたいという気持ちが薄くなっていた。 こんな気持ちでお世話になっても迷惑をかけるだろうし、 自分自身、楽しむことができないかもしれない。なので丁重に入団を断った。 この時もテッチャンとミッチャンの3人で入団予定だったが 彼らに相談もせずに自分だけで入団を拒否してしまった。
確か田無にあるファミリーランドのゴルフ打ちっぱなし場だったな。 テッチャンとミッチャンと3人でゴルフボールを打っていた。 あの時に入団できることになっていたが、断っちゃったと話したの。 なんとなく彼らは残念そうな顔してた。 それを見て唐突に「俺らで創っちゃおうか」って言った…。
その後の展開は早かった。その場ですんなりとチーム名も決まったし 打ちっ放しを終え、ファミリーランドの駐車場で、たむろしていた チャーミンとヤマチャンと両角をメンバーに誘い、即決定。 大学時代の友人でもある照井や門脇、後輩のヒロシを電話で誘って 一応、野球チームの最低人数9人が集まり形にはなった。 それからユニフォームのデザインを、もめながらも決め、 初めて9人が顔を揃えたのは以前、自分らが働いていた田無のマクドナルド。 そこで全員に完成したばかりのユニフォームを配ったのが1990年2月25日。 この日がジュピターズの誕生日と言っていいだろう。 そして真新しいユニフォームに着替えて東松山にある 吉見総合運動場に再び集まって全体練習を行ったのが1990年3月18日。
4時間の練習で翌日は、とんでもないくらいの筋肉痛だったのを今でも覚えている。 初年度の開幕は雨のために大幅に遅れた。 本来は4月初旬に華々しくダブルヘッダーを行うはずだったが、 確か予定していた日は、ことごとく雨で流れた。3週くらい流れたな。 だけど、この雨で流れた日を利用して当時、付き合っていた女性や テッチャンが付き合っていた女性にスコアの付け方を教えることができた。 最初から全試合のスコアは付けるつもりだった。 きちんと数字が残るほうが、楽しいし張り合いが出ると思っていた。 当時から自分自身が記録マニアみたいなものだったからかもしれない。 だが肝心のスコアの付け方を自分も知らなかった。 本を買って独学で覚えた。門脇にも覚えてもらった。 自分と門脇でつける予定だったが、雨で試合が多く流れたため、 女性たちにも教える時間ができたことは、本当に助かった。
そしてゴールデンウィークの5月6日、ついにジュピターズ初試合。 やはりダブルヘッダーで華々しく草野球界にデビュー。 当然、チームの代表の特権を利用して自分が1番打者。 第1試合は先攻だったので、本当に最初の打者である。 今でもはっきりと覚えているが打席に立つと同時に足が震えた。 どうしようもないくらい足が震えた。バットが振れるのか不安になった。 だがカウント1−3からバットを思い切り振りぬくと打球は三遊間を抜けた。 記念すべきジュピターズの初ヒット。一塁ベースに立つと足の震えは無くなっていた。 さらに調子に乗って初盗塁も決めた。
あれから14年、明日15回目の開幕を迎える。 本当に長く続けてきたな。元来、熱しやすいが冷めるのも早い自分にとって これほど続くとは、まさに予想外。本当によくやってきたものだ。 最初は3年も続けばいいかなと思っていた。 メンバーのうち3人が結婚したら解散かなとも思っていた。 それが、まさかこんなに続くとは。 いまや完全に生活の一部となってしまっている。 創設した時は26歳だった。それが今じゃ40歳、ほんと、よくやってるよな。 素晴らしい仲間たちと一緒だからこそ、ここまで続けていられるのだろう。
あの時、普通に友人のチームに入団していたら、ジュピターズは生まれなかった。 手違いで入団できなかったことによりジュピターズは生まれた。 偶然の中に本当の奇跡が起こった。 今年も今まで通り、普通に野球のできる幸せを感じながら明日の開幕を迎えたい。
でも朝方、雨の予報…。まぁ光が丘だから大丈夫だとは思うけど。
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