ささやかな日々 / 浅岡忍

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2020年05月28日(木) 
 昨夜は何もせず布団に倒れ込んだ。そんなに疲れていたのかと我ながら不思議に思う。疲れていた記憶はないのだが、と首を傾げはっとする。その前の晩、あまりに眠れなくて頓服を多めに飲んだのだ。その薬が朝になっても体に微妙に残っていて怠かった。その怠さが抜けないまま夜になったことを思い出す。そのせいもあったのかもしれない。やはり頓服とはいえ多めに飲むのは控えようと心に決める。眠れなくて辛くても、翌朝があんなにしんどいのでは話にならない。眠れないのはいつものこと、と思えば何とかなる、はず。

 息子と一緒に朝のチェック。ベランダに出て薔薇からアメリカンブルー、コンボルブルス等順々に見てゆく。向日葵もオクラも本葉が出て来た。ネモフィラはひょろひょろした体を必死に立たせているという感じ。ラベンダーの蕾がたくさんついているのだけれども風にびゅるびゅる揺らされて一向に定まらない。朝顔は息子の芽が弦を必死に伸ばしている。試しに網にひっかけようとしてみたがまだちょっと足りない。もうちょっとだね、と息子と言い合う。

 戻ってカブトムシの蛹のチェック。よく見ると身体半分が新しい茶色の色に変わっており。これって脱皮したんじゃないのかな?と息子と凝視。お尻の方に既に脱いだのだろう皮が黒くなっている。そうか、カブトムシの蛹は何度も脱皮するのか、と改めて驚く。息子は四匹全部無事なことを確認しご満悦の表情。

 空が白い。雲が殆どなく、空の色が飛んでしまっているほど。ようやくてっぺんの方に青があるけれど、そのほかはほとんど白く弾けている。窓際につるしてあるサンキャッチャーがきらきらと床に壁に虹色を飛ばしている。

 昨日は息子と、パイ生地を使って小さなサンドイッチのようなものを作ってみた。パイ生地を薄く伸ばして、そこに適当にポテトサラダを散らし、上からもう一枚パイ生地を重ねて閉じる。最後はフォークでちょいちょいっと押さえて、オーブンで焼く、という、とても簡単な代物なのだけれど、できあがって食べてみたら結構おいしくて、ふたりとも満足。父ちゃんにも残しておこうね、ということでいくつか家人分を皿に分ける。

 犬が暑そうだからと犬の首に巻く冷たくなるモノを探しに百円ショップへ向かったものの、目的のものは見つからず。また別の百円ショップを探してみようということでとりあえず帰宅。

 息子は、四六時中「ぎゅうして!」と飛んでくる。私が部屋の向こう側にいて彼が部屋の反対側にいたりすると、「ぎゅう、ぎゅうして!ぎゅう!」と言いながら吹っ飛んでくるので受け止めるのが結構大変。勢いづいて来られると、さすがに私も受け止めきれない。ふたりして床に倒れたりする。

 ねぇ母ちゃん、あの四葉のクローバーのおじさんまたいたね。え、ほんと?気づかなかった。いたよ、今日も。そんなに四葉のクローバー探してるのかな? そうなんだろうねえ。でなきゃいないよね。なのに僕に一個くれちゃってよかったのかな? うーん、おじさん、よっぽど君にあげたかったんじゃないのかな?君が嬉しそうだったから。そうなのかな、うーん。

 夜眠るとき、いつもおすもうとくすぐりをする約束になっていて、今夜も為す。家人が酔っぱらって帰ってきてさっさと寝てしまったので、家人の分も私が為すことに。息子が「参った!」というまでくすぐり続けなければならないのはいつもながら大変なことなのだけれど、息子はこれを楽しみにしているから仕方がない。


 そして明日は通院日。天井を見上げながら、明日話したいことを頭の中に箇条書きにしてみる。これを為さないと私は何を話したらいいのかちっとも分からなくなってしまうから。とりあえず頭の中の紙にメモ。特に、周囲の声が棘のように心に突き刺さってくる時は私の心が高ぶって何もかもを吸い取ってしまう時だから要注意。

 何事もなく一日が過ぎてくれれば、いいのに。


2020年05月27日(水) 
 早朝、散歩から帰ってきた息子とベランダに出る。この間蒔いたコンボルブルスの種が早速芽を出しているのを発見し、息子の表情が変わる。「ここも。ここもだよ!」。そして朝顔の弦が出ていることも発見。息子が蒔いたプランターの芽からの弦で、これがまた息子を喜ばす。「母ちゃんのより僕の方が早い!」。いやいや、競争してるわけじゃないんだよね、と心の中苦笑する私。一通り見て回ったら、今度は部屋に戻ってカブトムシの蛹のチェック。「母ちゃん、また動いた!」。一番手前に部屋を作った蛹が動いたという。角があるのかないのかがまだ分からない。うまいこと隠れていて見えないのだ。「どっちかなあ、雄かなあ、雌かなあ!」。息子のドキドキは止まらない。

鱗雲のような雲が東の空に拡がっていて、美しくてシャッターをパシャリ。でもその直後振り返ると、鱗は全くなくなっており。びっくりして二度見する。確かにさっきあったのに。ほんの一瞬の出来事に、私は息を呑む。世界はそんなふうに、気づかれない誰かの一瞬一瞬がこれでもかってほど横たわっているに違いない。だからせめて、そうであることを覚えておこう、と思う。

非常事態宣言は解除された。でも学校が通常に戻るにはまだまだ時間がかかるらしい。学校からの連絡で知る。分散登校。これじゃぁまったくもって仕事を進められない。仕事の方はもはや通常モード。このしわ寄せは何処に来るかと言えば私の睡眠時間だ。削るしかない。家族の誰にも見えないように小さくため息をつく。

息子とサスケと散歩に出掛けた折、四葉のクローバーを探しているおじいさんに出会った。息子が興味津々で駆け寄ると「一個あげるよ」と。大事に持って帰って今花瓶に活けてある。「幸せが来るのかなあ」と息子がわくわくした顔で言う。やってくる幸せって一体どんなものだろう。私も花瓶を見つめる。
そもそも。あのおじいさんは何故四葉のクローバーを探していたのだろう。何故あんなにもあっさり息子に葉を呉れたのだろう。呉れてしまってよかったんだろうか。何だか今更心配になる。おじいさんのところに四葉のクローバーの贈り物が、ちゃんと届きますように。

息子と家人が寝てからせっせと写真をプリントする日々。展示まであと一週間強。あっという間に過ぎるに違いない。作品の最終調整を済ませたら、パネル貼り。ああ、これが無事済むかどうか。頭の中がわちゃわちゃする。やらなければならないことが山積みで。なのに毎日息子に追われる日々。嗚呼、私に自由の時間をください。闇に染まった夜に向かって、つい呟きたくなる。


2020年05月25日(月) 
朝の支度をしていると、夜明けの写真を撮る前にあっという間に日が昇ってしまう。そんな日が続いている。夜明けがそれだけ早くなっている証拠。夏が近いんだなあと実感する日々。
週末は展示会場へ出かけた。店長さんと久しぶりにゆっくりお喋りする。最近わからないということを分からないと正直に口に出すことが躊躇われる、といった話だとか、写真の話をこれでもかというほどたくさんした。おかげで在廊時間はあっという間に過ぎて帰る時間に。
昔暮らした町を、今改めて、こうして訪れてみて。ここは私の場所ではなかったなぁと思う。10階の北向きのあの部屋。今もあるけれど、今一体誰が住んでいるのだろう。私はあの頃、毎日のようにベランダから下を見つめ、ここから落ちることができたらどれほど楽だろう、と思っていたのだった。
あの時飛び越えなかったから、私は今ここにいるのだ、ということは分かっている。でも、何だろう、不思議だ。あの時何故、私はぎりぎりのところでいつもあの柵を飛び越えず生き延びていたのだろう。今思っても不思議でならない。そのくらい、追い詰められ、どん底だった。

カブトムシの幼虫は順調に蛹になっていっている。息子は毎日のようにチェックし、観察日記を記している。そんな彼の様子が愛おしく、つい、彼の日記を読んでしまう。まだひらがなも微妙に間違うお年頃。それでも、彼のどきどきやわくわくが溢れ出んばかりの文章で、つい微笑んでしまう。

この間、犬の散歩に息子と出掛けた折、蛇苺を見つけた。息子に教えてやると、「うわ、これ食べれるの?!」と。早速紅色の実を摘み始める息子だったが、彼が摘むそばから犬がわしゃわしゃと彼の手から実を食べてしまうという具合で。「ねぇねぇすごく好きなんだよきっと、美味しいんだよ。よかったねー!」と犬の頭を撫でながら「でも僕も食べたかった」と残念そうにぺろっと舌を出す息子だった。

そろそろいい加減次の展示の準備をせねばなるまい。しかし次の展示はパネル貼り作業がたくさんあって、どのタイミングでパネル貼りをしようかと迷っているうちに日が経っている。明日明後日くらいには、いい加減取り掛からねば。

窓を開けていると夜風が実に心地いい。静かだ。どこまでも潜水してゆけそうなくらい深い夜だ。


2020年05月22日(金) 
 最近私より息子の方が先に起きる。起きて何をするのかと思いきや、家人と一緒に犬の散歩に出掛けている。どうもその最中にふたりしてゲームをしているらしい。帰ってくる時には「あのポケモンが進化しそうだ」とか「卵かえるよ!」とか私にはちっともわからない会話で盛り上がっている。完全に取り残されている時代の遺物が私か?なんて、ちょっと思ったりする。
 急に気温が下がりどんよりした曇天が続く。おかげで頭痛がとれない。四六時中孫悟空の輪をつけられているかのような感じ。こういう時は鎮痛剤を飲んでも効果がないのでひたすら我慢。
 通院日。徐々に徐々にひとが多くなってきた電車内。私は扉のすぐ脇に立つ。どんどん後ろに飛んで行く景色を、眺めるでもなく眺めてみる。
 カウンセラーと話をしていて、気づく。私は自分をまったくもって評価できない。おまえなんか、おまえなんか、と何処までも自分を貶めようとしている。自分を信頼してもいない。自分なんてこれっぽっちの存在、という気持ちが私の核にでーんと横たわっている。
 頭では何となく分かっている。悪いところもあればいいところだってちゃんとあるんだから、そこを評価してあげればいいじゃない、と、頭の隅が主張する。でも、それを滅多刺しにするのが私の心だったりする。おまえなんか、おまえなんか、と、表情も変えずぶすぶすと突き刺して見下ろしている。そういう私が、いる。
 小さい頃から、おまえなんか、という環境で育ってきた。いつの間にか私の中に「おまえなんか」はすっかり沁みついて、それがデフォルトのようになってしまっているんだ。これをほんのちょっとでもいい、ひっくり返せないものか、と、改めて思う。なかなか難しいのだけれど。
 夕方、息子とカブトムシの籠を観察する。一匹は完全に蛹になったようで、焦げ茶色の腹を時々ぴくっぴくっと動かしたりしている。もう一匹はまだ微妙に蛹になりきっていず、沈んだ肌色と茶色の間のような色合い。でも確実に変化はしている。息子が「カマキリ先生が、蛹から成虫になる時って一度身体が全部溶けるって言ってたね、すごいねすごいね」と興奮気味に言う。私もうんうんと返事をする。溶けて全く別の形に固まるって、想像するだけですごいエネルギー。

 解離してしまってもあまり自分を責めないようにね、と主治医が言っていた。解離することであなたはうまく生き延びて来れたのよここまで。だから解離を嫌う必要なんてないのよ、とも。
 頭では、そうなのかも、と思う。でも、心がまだ、ついてこない。


2020年05月20日(水) 
 息子と犬の散歩へ。息子が今日もスキップの練習をしている。スキップもどきをしながら私の前をたったたったと跳ねている。最初の三回くらいは成功するのだが、それを超えると足が絡まる、という具合にスキップがスキップではなくなる。
 休校が始まってしばらくして始まったそのスキップ練習。突然始まったそれは、今日ようやく完成が見えた。たったたったたったたった…。「母ちゃん、できた?スキップできた?!」「できてたよー!!!花丸!」。大喜びで戻って来る彼の顔は、もう満面の笑み。そうかそんなに嬉しいか、そうだよね、保育園の頃からスキップができなくて、いっつも凹んでたもんね。もう大丈夫だね。彼の頭をくしゃくしゃっとして、私もにっと笑う。

「絶対音感」(最相葉月 著)を読んでいてはっとし、家人に訊ねる。
 「ねえ、たとえば音楽とかが流れてきたら、それどんなふうに聞こえてるの?」
 「んー…ぽーん、ぽーん、ぽーんって、高かったり低かったりする感じ」
 「え…ドとかミとかソとか、そういうんじゃないの?」
 「なにそれ」
 家人に訊いて、ひとによっては音楽が高い低いといった音の変化で感じ取られることを、この時初めて、私は知った。この時まで私は、音楽が流れてきたらみんな頭の中に五線譜が流れると、信じていた。
 違うのか?!
 なんだか大発見をした気持ちだった。
 たとえば先の会話の家人の「ぽーん、ぽーん、ぽーん」は、私の耳には「ミ、ソ、ド」と聞こえた。でも家人にはそうじゃない、ただの音の高い低いなのだ、と。思ってもみなかった。
 うまくいえないが。会話していても、相手が抑揚のある口調だったりすると、言葉としての声と、音階としての声が私の中には二重に響く。たとえば「赤い車がこの前飛び出してきてね、とんでもないのよ!びっくりしちゃった!」なんて抑揚のある口調で友達が言ったとしたら。私の耳にはその声が、言葉として、と、音階として入って来ることになる。言葉の意味を捉えると同時に、「赤い車がこの前飛び出してきてね…」という音が楽譜になるという具合。
 ああ、この、情報量の違いが、私の混乱する元だったのかもしれない、なんて、今更だけれど思った。
 こう書いてくると、まるで自分が「変な人」みたいだ。まったくもっておかしな人だ。困った。
 でも私は、それが当たり前で過ごしてきたから、今の今まで知らなかったんだ、みんなの耳にはそんなふうにシンプルに聞こえるなんて。脳内もきっとシンプルに整っているに違いない。しかも、十二音階には固有の、個別の色があって。だから、色付き音符が脳内を跳ねまわる感じ。
みんな、そうじゃないのか。なんてこった。

この気づきから受けたショック大きすぎて、良くも悪くも、当分立ち直れそうに、ない。


2020年05月19日(火) 
 粉のような雨が舞う朝。粉のようなのにしばらくベランダに出ていると髪の毛の先がじっとり濡れる。
 オクラの葉がぱっと開いてきた。薄い黄緑色の葉っぱ。丸く、ちょっとまだ皺が残っている。でも元気いっぱいな様子。息子が歓声を上げる。植木鉢びっしり芽だらけ。向日葵もまた双葉を開いていて、こちらは緑色のつるんとした葉っぱ。ネモフィラはまるで髭のような細さでまっすぐ立っている。こんな細っこい身体なのに背筋がピンと伸びているような感じ。当たり前のことだけれど、種それぞれに現れる姿もこんなに違う。あんな小さな種の中にどれほどの宇宙が秘められているんだろう。想像しながら惚れ惚れしてしまう。
 息子と朝早くから、昨夕買ってきた鰯を処理する。私が腹を切り頭を切り落として渡すと息子が腸を出す。正直、彼の手つきにはいつもひやひやする。ああもうちょっと丁寧にやって、もうちょっときれいにやさしく!と、つい口に出して言ってしまう。息子はだんだん卑屈になってしまって「どうせ僕がやるとだめなんでしょ」と言い出してしまう。私は深呼吸して改まって彼に伝える。「あのね、お魚さん生きてるでしょ?生きてたでしょ?つまりみんな命を頂くんだよね。だから、ありがとうの気持ちを込めて、やさしく丁寧にやってあげないと申し訳ないと思うんだよね?」。息子は納得したのかしてないのか、ほんのちょっとだけ指先が丁寧になって、時々、ありがとねー、と鰯に声をかけている。やっぱりちゃんと伝えないとだめなんだな、と、私は心の中反省。そうして圧力鍋に調味料やら生姜やら梅干しを加え、しっかり煮てゆく。鰯が安く手に入った時はこれに限る。何せ24尾600円。ありがたや。
 このところまたレンタル屋でDVD「弱虫ペダル」を借りてきて息子が観ている。彼は鳴子君が一番好き!と言って憚らない。時々関西弁を真似してみたりしている。私は、巻島さんの声がナルト疾風伝に出てくるシカマルの声だと気づいて以来つい巻島さんに聞き耳を立ててしまう。まぁそれだけならどうってことないのだが、息子はあの御堂筋くんの一挙手一投足が気になってしかたがないらしく、よく物真似する。今日はあの両手を曲げて機関車みたく廻しながら「きもっきもっきもっ!」と言うのをやってくれた。その大げさなアクションぶりがそっくりで、思わず大笑いしてしまう。
 犬と一緒に夕方散歩。今日はあの公園まで行ってみようかということで、ねぇねが飼っていたハムスターのお墓がある公園まで出向く。息子はそこへ行くと、お墓のある場所、今は草むらになっているのだが、そこで立ち止まっては、「花ちゃんと太郎ちゃん、空からねぇねのことちゃんと見てるかなあ?」と言う。だから私は「大丈夫、ちゃんと見ててくれてるよ」と応える。雨は相変わらず粉のように降り続いている。

 夜、家人とつい言い合いになってしまう。私の予定を無視して仕事の予定を入れていた彼に私が気づいて、これこれこうなってるけど?と訊ねたところ、そんなのしるかよ俺は仕事なんだと。その言い方にかちんとして、言い返してしまう。彼のこの、「俺は仕事なんだ」という言い方が私はとても嫌い。最近特にこの言葉を彼は使う。しかもそのタイミングが、いつだって、私の口を封じるためのタイミングで。それが不愉快。
 結局私が予定を変更することに。
 今更だけれど。男尊女卑半端ない我が家。娘がここにいなくてよかった、と、いつも思う。娘がいたら絶対、怒り狂ってる。

 ため息をつきながら横になるのはまっぴらなので、とりあえずウォークマンのスイッチを入れてボリューム大にしてヘッドフォン片方だけ耳に突っ込む。一服しながら周囲から自分を切り離す。気持ちの切り替え。
 煙草の煙が換気扇に吸い込まれてゆくのを、ぼんやり見やる。何やってんだろ、自分。そう思わないではないけれど、とにかく今は、気持ちの切り替え。嫌な気持ちを引きずりたくない。
 そうだ、自分の為だけに珈琲を淹れよう。もう真夜中だけれど。美味しい珈琲を。それが、いい。


2020年05月17日(日) 
午前四時半。息子と共に起きる。今日が日曜日だということをすっかり失念して今日のゴミ出しは何だったかしらんなんてしばらく逡巡してしまう。腕時計の日付を見て、あれ?と気づくという始末。こんな生活になってからというもの、日にちや曜日の感覚がすっかり狂っている。
息子と二人朝一番、ベランダに出て芽のチェック。オクラを植えた植木鉢はもう、土がもりもりっとするくらい芽がぐいぐい出てきている。こりゃいずれ植え替えしないといけないな、芽引きしないといけないな、と思うのだが、そんなことしたら息子が悲鳴を上げそうな気がするから困る。いいアイディアをひねり出さねば。向日葵やネモフィラも元気いっぱい。アメリカンブルーは今次から次に花を咲かせている。ラベンダーも薔薇も、次に咲かせる蕾の準備。ホワイトクリスマスの新葉が風のせいで傷ついてしまったことが悔やまれる。今朝もそっと指先で撫でる。痛みだけでもとれますように、なんて。

息子が育てているカブトムシの幼虫が蛹になり始めた。幼虫が作ったのだろう蛹になるための土の部屋ができていて、みんなその中でじっとしている。時々ぴくっと動くのが何とも言えずちょっと不気味。でもそれは私にとって不気味なだけで、息子にはそれがわくわくするらしい。早速録画してあるカマキリ先生のカブトムシの部分を見直す息子。もし土に黴が生えたらどうしよう、今から準備しないと!と慌てている。いやそれは、そうなった時のために準備しておけば、慌てる必要は全然ないんじゃないの、と私は思うのだが、納戸の奥から早速軍手を出してきて、「手袋はここにあるからね!あとはペットボトルがあれば何とかなる?」。気が早い息子である。

家人が昨日今日とオンラインで講習を受けているので、今日も息子の相手はすべて私。さてどうしよう、ということで、電車で40分くらいの距離を、今日は暇だから自転車で行ってみようか、ということに。息子は私の後ろに乗り、出発。知らない道を走るのは面白いけれど緊張する。予測がつかないから。特に後ろに息子が乗っていたりすると、事故ってはいけないと思うから緊張の度合いが高い。これがひとりだったら。結構暴走するだろうなあなんて思って苦笑する。ひとを後ろに乗せてる程度が、私には安全運転かもしれない。重いけど。
結局片道一時間と少しで到着。帰りはほぼ一時間で帰ってこれた。ふたりとも汗だく。

夜、髪を洗い終えてぼーっと座っていたら友人から電話が。最近夢を見るの、奴の夢なの、夢の中で「あんたなんか大っ嫌い!」とか叫んじゃうんだよね、もうほんと、夢見悪くて眠れなくて困る。彼女の言葉に相槌を打つ。相槌を打ちながら、時々、それってさ、と言葉を挟む。その時ぐわんっと風が部屋に流れ込んできた。窓際の風鈴がちりちりりんっと鳴る。夜人が寝静まった後の風鈴の音は、何だかやけにくっきり確かに聞こえて、胸がどきっとする。
あんなに昼間暑かったのに。夜風はこんなにも、ひんやり。


2020年05月16日(土) 
雨。一日雨。しとしと降っている。このまま梅雨に入ってしまうのかしらんとちょっとげんなりする。

息子と二人でこの家に閉じ込められる一日を何とかやり過ごさねば、と、考えて、お菓子作りをひたすら為すことにする。まず寒天。ノーマルな寒天と、抹茶寒天とあずきの寒天と。火にかけた鍋の中身をかしゃかしゃ泡だて器でかきまぜるのが彼のツボに入ったらしく、「僕がやる!」と言ってきかない。しかし熱いからすぐ「交代して!氷で冷やすから!」と。その繰り返しで三種類作る。
それからシナモン好きな息子に何がいいかと考え、スパイスシフォンケーキを作ることにする。シナモンとナツメグとクローブ。本当はクルミもいれたいのだけれど息子が嫌いだからそれは省いて。せっせとバターに砂糖を混ぜ込みふわっとするまでひたすらシャカシャカ。息子が「もう手痛いよ!」と呻く。まだだよーんと返事をする私。そのかいあって、何とか形になる。
最後はシナモンクッキー作り。シナモンとジンジャーを混ぜ込んで作る。「これ大好きな匂い!いい匂い!絶対おいしいのできるよ」と息子が鼻をひくひくさせる。

家人がオンライン講習を受けている間をとにかく何とか過ごさねばならぬ、ということでこんなにもお菓子を作ってしまったが。一体誰が消費するんだろう? 作り終えた品々を眺めつつ思う。これだけ食べちゃったら絶対豚さん化するよなぁ…なんて。

オクラも向日葵もネモフィラも。みんな元気に雨を飲んでいる。薔薇は強風が続いたせいでまた新葉がぼろぼろになってしまった。この場所に住む者の運命なんだよごめんね、なんて私は彼らに声をかける。いや、住んだのは私で、君たちはここに連れて来られちゃっただけなんだけども。申し訳ない。

夜、「絶対音感」の続きを読む。まだ全然進まない。読むほどに面白くて何度も同じところを繰り返しよんでしまう。今、戦争にどのように絶対音感が使われてしまったのかが描かれている箇所。私がこの時代に生きていたらこんなふうになっていたのかもしれないと思ったらぞっとした。しかも、戦争に利用されたという意識をもてないまま利用される怖さ。言葉では言い表しようのない恐怖。嫌悪感。
祖父母から昔、戦争の話を数えるほどだけれど聞いた。その時の怖さがありありと蘇る。
過ちは、繰り返してはならない。


2020年05月15日(金) 
 種を蒔いて以来、早起き息子は毎朝一番にベランダに出てゆく。種の様子を確認しないと気が済まないらしい。今日はオクラの芽が増えた、向日葵の種はぐいぐい育って葉っぱ拡げ始めた、ネモフィラの芽は糸みたに細い、などなど。彼から報告を受ける。確かに向日葵の芽は勢いが凄まじい。もうたぶん全部芽が出た。そしてどれもこれも双葉を広げている。ネモフィラの芽は息子の言うように糸のように細く、なのにクリサンセマムよりしっかり根付いている感じを受ける。種の個性なのだな。ひとつひとつ、こんなにも違う。でもどれもこれも、生命の塊。
 朝顔の芽は順調に育っている。しかし、数本、強風に折れてしまったものがいる。こればかりは仕方がない。我が家は丘の上に立っている。ゆえに風の通り道でもあるから、四六時中風が吹いている。この中のどれくらいが無事に大きく育ってくれるだろう。息子に黙ってこっそり息子のプランターに蒔いたラビアンローズもぐいぐいっと頭を持ち上げ始めた。おかげで息子のプランターは新芽で大賑わい。息子がほくほくしながら眺めている。その様子が何ともいえず微笑ましい。
 通院日。何となく昨日の実家での出来事を話してしまう。父の無謀な言いぶり、それには賛同できない私の意志表明、それに対して怒り狂う父。結局私が早めに切り上げ席を立った。「捨て台詞で終わりにするんじゃない!」と父は言ったが、捨て台詞は父の方だと私には思えて仕方がなく。実家を出てしばらく自転車で走ってから、涙がぼろぼろ零れた。
「私、おかしいでしょうか」
「おかしくないわ。あなたはあなたの気持ちをきちんと伝えただけ。それが相手の意に染まなかっただけ」
「そう、ですよね…」
「まああなたのお父様だったらそういう反応に出るでしょうね。仕方がないことよ。あなたはあなたの領域を守らないと」
「私のせいでまた怒らせてしまった」
「そうじゃないの。そうやって自分を責めても何にもならないわよ。あなたはあなたの領域を守っただけ。気持ちをきちんと伝えただけ。それを受け取って怒るかどうかはお父さんの問題なのよ」
「そうなんですか? よくわからない」
「そうなのよ」
私はまだ、自分の領域を守るだとか、気持ちを伝えることの正しさを信じることができない。特に私はそれをしちゃいけないと思い込んでいるところがある。自分をまるっきり他人として見下ろしても、「おまえにはそれは赦されない」と断罪する誰かが私の内奥に居座っている。
「あなたは自分を責めない練習をしないとね」カウンセラーがそう言ってにっこり笑う。私は俯いてしまう。

そういえば、その後だか前だかに、「あなたのボートを乗っ取ってしまう相手なのか、それともそうじゃないのか」その見分けをちゃんとできるようになりたいわね、とカウンセラーが言っていたっけ。今度その話をもう一度しないと。

帰りがけ、スーパーに立ち寄る。が、バターもなければクリームチーズも売り切れ。これじゃ明日息子と何を作ったらいいだろうと悩む。ふと思いついて寒天を手に取る。これで作れるものは…。考えながらスーパーをもう一周。

明日は雨らしい。今日の夕方の植木への水やりは、しなくていい、かな。


2020年05月12日(火) 
 「母ちゃん、もうオクラ、芽、出てる!」
 相変わらず早起きの息子が早速ベランダに出て大声を上げる。家人と私とが代わる代わる彼のところに行き、一体何処に芽があるのかと探す。まだ首を曲げたままの芽の兆しが確かに彼の指さすところにあり、土を持ち上げている。こんな状態のを発見するとは。家人とふたり顔を見合わせ笑う。「他の子も芽出てるかなあ?!」と言いながらスキップでベランダを回る息子。その様子が朝にとても似合う気がする。

 撮影。S氏と駅で待ち合わせ。ちょっと遅れてS氏が現れる。天気はあいにくの霧雨。でもじきに上がる、はず。ふたりで並んで川縁まで歩く。
 予定していた場所は様変わりしており。ふたりして慌てる。こりゃやばいね。撮影できる?互いに顔を見合わせる。川の水が増水していて湿地が水浸しになっている。これではこの場所に降りることはできない。さらに歩いて撮影可能な場所を探す。
 とりあえずここにしようか、ということで湿地と茂みの間の小道を選ぶ。数か月前骨折して以来踊りからちょっと遠ざかっていたというS氏がスタンバイするのを待って、開始。さっきまでの雨は嘘のように消え、ぎらつく太陽が眩く空に光っている。
 撮影後、展示中の喫茶店へ向かう。S氏と、その元パートナーと三人で昼食を囲む。古事記の話になったり腸の黴の話になったり、はたまた絶対音感と色の話になったり。あっちこっちに話が飛ぶが、三人ともそれぞれの話に興味津々で、これはいずれ互いにまた更なる知識を加えて話をしようということになる。
 そうしていたら、何故か家人と息子が遊びにやって来る。息子と家人は軽食をいただく。店主さんも交えあれこれおしゃべりしているうちにあっという間に時が過ぎる。マスクをしているその下はもはや汗だく。そろそろ帰りましょうかということで席を立つ。

 タロットカードの色、古事記の色、絶対音感の色、それぞれ共通項がありそうだよね、とS氏と話していたけれど、もしあるなら非常に興味深い。そもそも色はどこからやってきたのだろう。どうして人間の眼は色を捉えるのだろう。動物によってはモノクロにしか見えないというのに。改めて考えると不思議だ。

 来月の展示のためのDMの宛名書き。書いているうちにどんどん字が泳いできてしまって、何度も中断する。いまどき手書きで為すことがおかしいのかもしれないけれども、私はこの手書きに拘ってしまう。どうしても。字が多少雑になろうと。意固地な執着なのかも、なんて我ながら思うけれども。シールにプリントアウトしてぺたっ。という具合には、どうしてもしたくなくて。

 メイ・サートンの日記。私に「孤独」の意味を改めて教えてくれた本。久しぶりに読み直したくなった。私はサートンの詩はあまり好きでも何でもないけれど、日記は好きだ。ネガティブなこともたくさん書かれているけれど、そんな中でも彼女が生きることに誠実に向き合っている日々が綴られていて、読んでいると目の前に映像が浮かぶ。クリシュナムルティの日記とはまた別の、味わいが、ある。

 夜、倒れ込むように寝床に横になる。家人と息子が呆れている声が何処かで聞こえる。でもそれさえも構えないくらい疲れていた。こんなに身体が疲れて感じられるのはどのくらいぶりだろう。
 夜が、深い。


2020年05月11日(月) 
 カウンセラーと主治医に会ったのは金曜日。それからあるプログラムに被害者として出席し、その後搬入・設営。あっという間に金曜日と土曜日は過ぎた。空を見やる暇さえ私に与えないくらいにあっという間に。
 日曜日、何となく寝床でごろごろしていると超がつくほど早起きした息子がもじもじしながらやってくる。「机の上見た方がいいよ!」。ん?机の上?と起き上がり作業部屋に入り驚く。カーネーションの鉢植えが置いてあった。
「どうしたのこれ?!」
「母の日だからだよ!」
「えー、君が買ったの?」
「うん、僕が選んだ!」
 その後私はひたすら、すごーい、とか、びっくりしたーと繰り返していた。それ以外の言葉がまったくもって思いつかなかったのである。まさか息子から今年母の日のお花をもらうことになるなんて夢にも思っていなかったから。
 しかもカード付。「朝顔のお花描いたんだよ!」というそれは、鉛筆で一生懸命描いてあった。丸い朝顔の花には縦線が幾重にも描かれており。ああ、今まさに満開の朝顔なのだな、と、思った。その背後には網々模様。これは?と尋ねると朝顔の弦が巻き付くための網なのだ、と。なるほど。
 そんなこんなで日曜日の朝は実に賑やかに和やかに過ぎた。息子、ありがと。心の中で何度も繰り返し言った。
 午後一番にホームセンターへ。足りない土とプランターを買おうとコーナーへゆくとちょうどたくさんの種類の種が並んでおり。ふと思いついて息子に声をかける。「この中でどれ育てたい?」「んー、育てるなら食べれるのがいいよねー」と息子。そして思いついたらしい、溌溂とした表情で「オクラ!」。え?オクラ?私は思わず訊き返す。「うん、オクラ、おいしそうじゃん!」。
 ふだん別にオクラが特別好きなわけでも何でもない息子の口からオクラとの答えがあるとは予想もしていず、私はぽかんとする。でも、せっかくだからと種を選ぶ。「これはたくさん早く採れるらしいよ」「じゃあそれにしよう!」。
 帰宅して早速種蒔き。「母ちゃん!オクラの種、青いよ!」。はじめましての種は確かに真っ青で。こんな色をしているのかとここでも吃驚。息子とふたりせっせと種を蒔く。
 気づけば日は傾き始めており。慌てて犬の散歩へ。私たちは普段歩かないコースを選んで歩いた。ここ曲がってみる? こっちの方がよくない? あ、ここ階段あるよ!等々。思いつくまま一時間、ぐるぐる歩く。犬の方が暑さにへばって、途中冷たい煉瓦敷の道端で腹ばいになって動こうとしない。「ねぇねぇお家帰らないとご飯食べれないよ?」「ミルクもあげられないよ?」息子とふたりで一生懸命犬を宥めて立ち上がらせ、帰宅。

 眠る前に本を読む。今手にしているのは最相葉月氏の「絶対音感」。面白い。絶対音感に悩まされたことのある人間にはとても興味深いし面白い。ちなみに私は音に色が加わって見える。Cは土色。Dは橙色。そんな具合に色のついた音符がころころ五線譜の上を踊っている。ピアノから離れてもう二十数年。それでもこの色付き音符は変わらない。音の溢れる人混みを歩く時はだから、ヘッドフォンで耳を塞ぐ必要がある。でないと頭が割れるように痛み始める。音が津波のように襲ってくるから。
 それにしても。今日は暑かった。夏が突然やってきたかのような暑さだった。空には雲一つなく、陽光が溢れ返っていて、見やれば眼が痛くなるほどだった。明日は撮影。少し雲がある方が嬉しいのだけれど、どんな具合になるだろう。


2020年05月07日(木) 
ぼんやりした意識の中、オットと息子が玄関を出てゆく気配を感じる。ああ犬の散歩に出掛けるのだな、二人で出かけるのは珍しいな、と思った。思いながらまたうつらうつらしていた。昨晩横になってからもなかなか寝付けず、薄明るくなってきてから眠ったせいで、身体が目覚めてくれない。自由にならない身体で寝がえりひとつ打つのが面倒で、ただじっとしていた。
きっと昨日の話をするんだろうな、と頭の隅で思い、そのことを考えたくない自分がいることだけ感じる。何も考えたくない。意識の瞼をぎゅっと、閉じた。

朝顔は順調に育っている。息子のプランターから七個目の芽が出てきた。息子の種は恐らく西洋朝顔の種で、私の蒔いた種は水月と宵の月だから、種類が違う。もちろん息子はそんなこと知らないから、「どうして葉っぱの色が違うの?母ちゃんの方のが葉っぱが大きいの?」とぶーたれる。種類が違うんだよきっとと言っても、首を傾げるばかりで納得してくれない。
イングリッシュラベンダーとフレンチラベンダーがそれぞれ咲いている。アメリカンブルーも。そしてとうとう薔薇も咲いた。今年は黄色い薔薇が一番先に咲いた。咲いたものからそそくさと切ってゆく。でないと樹が弱ってしまうから、容赦なく切り花にする。ホワイトクリスマスの蕾もずいぶん大きく膨らんできた。もうじきだろう。

うねる雲の海の向こうから眩い陽光が降り注ぐ。そのコントラストが美しくて思わずレンズを向ける。背後では反田恭平氏のベートーヴェンのソナタが流れている。どうしてこのひとの音はこんなにも粒がそそり立っているのだろうといつも思う。リストもラフマニノフも、これでもかというほど音の粒がくっきり立っていて、聴いていると背中がぶるっとする。いい意味でぞくっとする。よほど十本の指に均等に筋肉がついているのだろうなと思う。でなければこれほど音の粒は揃わない。私の背後から旋律が窓の外へ流れ出す。それがまるで目に見えるかのような錯覚を覚える。美しい五線紙のイメージ。

一日中、頭の半分がぼんやりしていた気がする。「日常」を見ていたくなくて、背中を向けて膝を抱いてしゃがみこんでいるイメージ。私の半身が。おかげで、要らぬところで転んだり躓いたり。まぁ怪我するほどではなかったが。

明日は通院日。ああようやく、とほっとする。早く明日になってほしい。とっとと明日になってほしい。でないと呼吸さえうまくいかない。頓服をぐいと飲み込む。犬がカウンター越し、私をじっと見ている。だから私も、じっと見返す。

早く明日に、なれ。


2020年05月06日(水) 
気持ちを抑えて自分の為にスパイスチャイを淹れる。落ち着け、落ち着け、落ち着け、と、そう心の中唱えながら。
どうしてこうなっちゃうんだろう、どうしてこんなふうになっちゃうんだろう、ともう一人の自分が嘆いてる。一方私は私で、こんなにも耐え難かったんだ、と、改めて驚いている。

明日息子を預かってもらうことで家人と揉めた。というのも、家人の留守中に、息子と話をしていたら、午前中だけならボクいいよ!と彼が言い、その言葉を私が鵜呑みにしたことが家人の気に障ったようで。「どうしてそこで「大丈夫だよ、明日は三人で居よう」って言ってあげられなかったの?」と繰り返し言われた。「あの子は自分がいない方がいいって思ったに違いない。だからそんなことを言いだしたんだよ。それなのに、その時に何故、大丈夫だよって言ってあげられなかったのか」と。
それに対し私は、責められているようにしか感じられず、だんだんイライラしてきて、つい本音を言ってしまったのだ。
「あなたはあの子の気持ちはよくわかっても、私の気持ちはちっともわかってくれないんだね!」
と。

休校になってからというもの、今まで以上に息子が「おっぱい、おっぱい!」とおっぱいに執着するようになった。しかもそれが、上からぱっと触るのでなく、下から持ち上げるように触る。その触り方が私にとっては嫌な感じにつながり、いつもストレスになっていた。
それやめてほしいのと言うと、「父ちゃんだって触るじゃん!」と。それに対して私は、返す言葉が見つからず、黙るしかなかった。
確かに家人はいつも、私のお尻を触る。通りすがりやちょっとした時に。それは言ってみれば彼にとってはスキンシップのようなもので、嫌らしいものとは違う、と、私も分かっていた。それでも。正直、嫌だった。「これはスキンシップ。いやらしいものではない」といつも自分に言い聞かせ、冗談で流そうと努力し続けていた。
息子のおっぱいへの執着は、日毎強くなり、最近では犬の散歩の最中にも「母ちゃんのおっぱい!」と繰り返し言ってみたり触ってきたりする。人前でやめなさい、と言っても、その時は「はーい」と返事しても、結局しばらくするとまた繰り返される。何処まで耐えたら、何処まで我慢したら、このストレスはなくなるんだろう?このすれ違いはなくなるんだろう?といつも思っていた。
私が耐えれば。私が我慢すれば。
いつもそう思って、「やめて!」と絶叫したくなるのを我慢していた。

でも。
ここにきて家人に改まって、「何がそんなに嫌なの」と問われ。沈黙しているわけにいかなくなって。つい、本当につい、本音を言ってしまったのだ。
「私本当に嫌なの。たまらないの。しんどいんだよ、ほんとに。触られるの!」
と。
「子どもはそんなものだろ」
「それとは違うの」
「一歳児だったらいいの?」
絶句した。ここにきてそんな問い、ありか?!と思った。だから反射的に言ってしまった。
「一歳児の手と彼の手じゃあ、あまりに違いすぎるよね?それに触り方が嫌なの!」

この時ほど、自分が性犯罪被害者であることを呪ったことは、ない。

性的嫌悪。こんなものをこんなところで吐露しなければならない、感じなければならない自分。自分の息子に対し、しかもそれはまだ七歳児だというのに、たかが子供だというのに!
でも。
それでも。
私はもう、これ以上、耐え難かったんだ。

家人は「そう、分かった。じゃあ俺もやらないようにするよ。明日あの子にもそう言って聞かせるから。それでいいでしょ」そう言ってすっと立ち去った。
取り残されて、私は、自分が今言った言葉にぐわんぐわんとショックを受けていた。

出来上がったスパイスチャイをマグカップに注ぎ込み、作業部屋に戻る。とにかく今の気持ちを何とか吐き出して、言葉にしてしまわないと。でないと私は壊れてしまう。そう思った。そのくらいぎりぎりだった。
必死にタイプし、今ここ、だ。

私は。何とか自分が我慢すれば、物事うまくいく、これも何とか丸く収まる、と考えていた。だからそのようにずっと振る舞ってきた。なのに。
何なんだ今更。

同時に思った。そういう私の振る舞いが、彼らを増長させていたんじゃないのか? いや、でも、私は家人には冗談ぽく流して「やめて!」と言ってきたが、息子には「やめなさい!」と強く叱ったこともある、それでもやってきたのは向こうじゃないか。いやでも、それでも、あなたの真剣度が伝わらなかったのなら、あなたが悪いのでは?―――。自問自答がひたすら続いている。
私は。一体どうすればよかったのだろう。

ぞわっとするんだ、たまらなかったんだ、彼らの触り方が。たかが七歳児、それでも私は彼に彼の手に性的な嫌悪を覚えた。それを覚える自分に罪悪感を覚えた、そういう自分が嫌いだった。また、家人はパートナーであり、堂々セックスも何もできる間柄なのに、そういう相手のこんな些細な仕草に、性的な嫌悪を抱く私は何なんだ、といつも自分を責めていた。それでも嫌だから「やめてよー」と言ってはいたが、どれだけ相手に本気に伝わったか、伝わらなかったからこうなったんじゃないのか?つまり私が悪いんじゃないのか?!等々。

自分がもう、どうしようもなく情けなかった。こんなことになるくらいならとっとと解離して、何も感じない自分でいたかった。何もかもを俯瞰し、二重三重に解離する方がずっと楽だった。
こんなことになるくらいなら。こんな、言ってはならないようなことを自分が言うくらいならば。

無力だ。私は。何処までも。


2020年05月05日(火) 
他の種と違って、朝顔というのは劇的に変化を見せる種なのだろうか? 何十年ぶりに朝顔を今目の前で育てていて思う。こんな、朝首を傾げていた出たばかりの芽が、夕方には葉をぴんと広げる程になるなんて、思ってもみなかった。クリサンセマムなんて、か細い茎に葉に、ひょろひょろっと出してくるけれど、こんな、一日のうちに姿が変わるなんてあり得ない。不思議な気持ちで今、朝顔の育ちっぷりを見つめている。
朝のうち鱗のような雲が南の空を覆っていた。やがて散り散りになってしまったけれど、しばらく雲の様子を楽しむことができた。私は空を覆う雲の表情が豊かなほど嬉しくなる。どきどきする。この雲をコントラストを上げた状態でフィルムに撮ったらどんなに表情豊かな様子になるだろう、なんて想像して。

最近一日一度は家人と口論になっている気がする。今日もそうだった。彼にとってはこれまでとあまり変わりない言いっぷりなのだろうと思う。でも、「そんなバカげたことするつもり?」と言われた時、かちんと来て、思い切り言い返してしまった。彼は私にまさか言い返されると思っていなかったのだろう、驚いた顔でさらに畳みかけてきた。私も彼を遮って言い募った。という具合。
何というか。彼のこの、言葉通り人を小馬鹿にした言い方、私は嫌いだ。どうしてそんなにひとを下に見下すような言い方できるのかちっとも分からない。だから「私、あなたが同じことしても言わないよね?そんなバカげたことするの?なんて言わないよね?」とつい言い返してしまったのだ。
これまで積もり積もったものが、ぱーんと弾けてる。そんな気が、最近している。

家人と息子が菖蒲湯に浸かっている間、私はひとり、換気扇の下で煙草を吸った。まだ口論の残滓が私の中居座っていたので、気持ちを切り替えようとミルクキャンディーを口の中に放り込んでみた。甘い甘いミルクの味が瞬く間に口の中に拡がった。キャンディーをころころ舌で口の中転がしながら、こんなくだらないことで口論するなんて。それこそ馬鹿げてる。と、ひとりぶつぶつ言ってみた。
キャンディーをかりこりと噛み砕く頃には、気持ちもだいぶ落ち着いて、喧嘩をしたことがちょっと遠く感じられるくらいになっていた。いや、今さっきしたばかりの喧嘩なのに、もう「他人事」になっていた。ま、それが私の特性なんだろうけれども。

昼間吹いていた風は何処へ行ったのだろう。今窓の外ぴたり、風がやんでいる。闇は深く、沈んでいる。私も校正を済ませたら今夜は横になろう。

じっとりと、夜。


2020年05月04日(月) 
先日息子と蒔いた朝顔の種から早速芽が出て来た。「出てるよ!」朝一番に息子に声を掛けるとベランダにすっ飛んできた息子。でも、私が植えた方が先に芽が出たことに気づきしょぼーん。いやいやこれからだよと声を掛けるが納得しない。僕は種に嫌われたんだ、なんて愚痴っている。まったくもう。凹み過ぎ。
朝ちょこっと顔を出していただけの芽は、あっという間にぐいっと頭をもたげ葉を拡げるまでに育ってしまった。なんて勢いなんだろう。息子が「母ちゃん母ちゃん、すごいよ!もうにょきにょきだよ!」と歓声を上げるほど。さっきまで凹んでいたのは何処へやら。今はただ、この命の塊に呆然としている息子。私も頬杖ついて、彼らに見惚れる。

非常事態宣言は正式に延長となった。数時間後、公文の先生から電話があり、五月中はお休みとなりました、宿題を取りに来てください、とのこと。きっと明日か明後日には学校からも何かしら連絡が来るんだろう。私はカレンダーを見やる。果たして6月1日から学校は始まるんだろうか。ずるずると9月までお休み、なんてことにならないだろうか。そうなった時子供たちはどうなってしまうんだろう、等々、あれこれ考えこんでしまう。
大人の都合、大人の事情でずるずる、ずるずると休みが延長され、ようやく慣れた学校生活が遠いものになり、同時に遊び場はどんどん奪われ縮小されるばかりで、こんな状況下で彼らに一体何をしろというんだろう。すっかり赤ちゃん返りしている息子と毎日接していると、元に戻るなんてことが遠いことに感じられる。

「ただ「知る」だけでは何にもならない、真に知ることが、体得することが、重大なのだ」。
使い古された言葉かもしれないけど、私はこの言葉好きだ。何度でも自分の内で反芻したい言葉のひとつだ。私は知ることさえ怠ることが多々あるからなおさら。知り、自分の血肉にまで落し込む。血肉にまでなってはじめて、知ったそのことを自らの身体で用いることができるようになる。言葉としてそれが、にじみ出てくるように、なる。借り物の言葉でいくら語っても、それでは言葉が形骸化し上滑りするばかり。自分の言葉として喋り語る、書き記すには、この、「真に知る」ことが何より必要になってくる。

私はそう、信じている。


2020年05月02日(土) 
娘宅へ。自転車でえっちらおっちら道行き約20分。息子はこういう時はまだ私の後ろに乗っている。この車通りの多い道筋、彼に走らせるには心配が多すぎて。
息子が玄関を開けると孫娘がすっ飛んでくる。そのくせ、遊び始めると何でも「だめだよ!」「いや!」と言う。いやいや期真っただ中の孫娘。それに付き合う息子はしょっちゅう半べそをかいている。
夕飯は早めに準備。というのも、娘がどうしてもたこ焼きパーティーをしたいということで。その準備。子供たち用にソーセージを山盛り切り刻む。それと二人とも好物のコーンも用意。私たちにはたこを。
大人が焼き、子どもらがせっせと食べる。私以外みんな何故か猫舌で、あっちあっち!と悲鳴を上げながら、はふはふしつつ食す。喋る時間がないくらい次々焼けてゆくので、静かな食卓。食べるその音だけが響く。

夕飯後、私がちょっと横になっていると、息子と孫娘の餌食にされる。どかんどかんどっしんどっしん、私の上に遠慮なくとびかかって乗ってくる彼ら。私は「うげっ!」とか声が漏れてしまう。息子と孫娘とほぼ同じくらいの衝撃。つまり二人とも十分重たい。もはや声が出なくなったところで娘が「いい加減にしなよ!」と。しょぼーんとしながら二人ともいったん私から離れる。

「やだよ!」「だめだよ」の孫娘の声、「かーしーて!」「あーそーぼ!」の息子の声がかわるがわる聴こえてくる。私は軋む身体を起こして換気扇の下一服する。

それにしても、部屋綺麗になったね。
そうでしょ、そうでしょ、誉めて!
あなたの部屋っていったら、もう散らかり放題ごみ溜めみたいだったもんね、あの頃。
いや、それを言わないで。
いやいや、私にとっちゃそれが一緒に暮らした最後だからね、忘れられないよ。
うーあー。

孫と息子がきゃいきゃいまだ騒いでいる横で、娘とそんな言葉をやり取りする。ふたりとも顔はくすくす笑っている。


2020年05月01日(金) 
通院日だった。でもこれを書いている今、もうその通院日だった今日は遥か彼方昔に感じられてしまう。私の時間感覚の歪み。
カウンセリングで、将来、というものや目標・ゴールといったものを想像することができない話をする。私が考え得るのは、遠くても三日、せいぜい三日という時間だと。それ以上がまったくもって私の中に設定できない。自分に未来があるとか将来がある、まだ残り時間がある、という想像ができない、という話。
自分でそのことに気づいた時、「心的外傷と回復」の中に書いてあったことを思い出しはっとしたという話もする。狭窄の章。
カウンセラーが、くすりと笑い、私はちょっと違う意味でこの間あなたにゴールを設定してみてという話をしたのだけれど、あなたはそういう意味に捉えたのね、とまず言われる。でもそれはそれで大事なことだから、とも。

PTSDで治りやすい人と治りづらい人といるのは知っているでしょう?
はい。
単体の体験だったり、性被害の場合見知らぬ人、これまでの人間関係にいなかった人からの被害だと、比較的容易にトラウマを克服できると言われているの。でも、それが反復された経験だったり見知った人、かかわりの深かった人からの被害だと、治るのは困難、とされてる。
はい。
あなたの場合は後者よね?しかも、人生のほとんどをトラウマをかいくぐって生き延びてきたところがある。あなたの解離もそのトラウマを生き延びるために培われたものだから。
はい。
解離の深度もPTSDの深度も、いってみればかなり深い。
はい。
でも、だからいいとか悪いとかじゃないのよ。そうやって生き延びてきたのはあなたの力なの。山ほどのトラウマ体験を経ながらそれでも生き延びるために、あなたが言ってみれば「あなたの術」を生み出して為してきたということがいえるのよ。
…。
その「あなた独自の術」を、私は全部潰してしまう必要なんてないと思うの。
…。
それを生かしながら、それでもあるたくさんの生きづらさの部分だけ、何らかの修正をすればいいんじゃないのかなって思ってるの。
…。
たとえばあなたはトラブルを抱え込みやすいわよね? 人間関係で。とりわけあなたがヘルプしてあげた人たちとの間でトラブルになりやすい。
はい。
あなたがあなたの舟を降りてそのひとたちを乗せてあげちゃったりして、いつの間にかあなたの舟が乗っ取られてあなたはじゃあどうしてるかと言ったら舟の外でバタ足して必死に舟を押してる、みたいな。そういう状態を、何とかしようか、と、そう思わない?
それは、思います。
まず、自分の舟からあなたが降りなくて済むようにしないと、と思うんだけど。
はい。でも。私、先生の言ってることは頭では分かるつもりなんですけど、「私だから大丈夫、何とかなる」とか思っちゃうし、今更、舟降りてよなんて言えないし…。
でもそれは同時に、そのひとがそのひとの人生を生きることを邪魔してることでもあるでしょう? 自分の足でちゃんと自分の人生を生きる、これ基本でしょう?
…はい。それは、それで、分かる。
だから、まず、いやだと思うこと感じることは拒否する、拒否していい、というところから練習しましょうか。
…。どこでどうやって練習するんですか?
たとえば家族の間で。あなたはいつも、あなたがやらなくていいことまでやってあげちゃってない?
ああ、それなら、そうかも。
でもそれは、そのひとの自律を阻むことになってない?
ああ…、そうかも。
息子さんやご主人で練習しましょう。
でも、すごく難しい。
難しいでしょうね。今迄ずっとそうやってきてるから相手もそれが当たり前になっているし、あなたはすぐに自分を責めるから。きっと罪悪感の塊になっちゃうわね。
はい。
だから、練習しましょう。難しいけど。
…。

覚えてることを今、一生懸命タイプしてきたけれども。改めて、こりゃ難題だぞ、と思っている。私にとっては。
私の周りではたくさんのひとが自ら死んでいった。そういう体験をいくつも経た。だから私は、拒絶するのがひどく苦手だ。私があの時拒絶してしまったせいでまたひとつ命が消えてしまった、という体験をいくつも持ってると、拒絶するのが猛烈に怖くなる。
でも今、同時にこう思ったことも事実だ。「私ごときに拒絶されたからってどうってことないともいえるんじゃないのか? 私ごときに。私になんてこれっぽっちの価値もないんだし」と。
両方を、両極を、私は自分の中に抱いている。
そんな私は、その両極を結ぶ、中間が、ない。欠落している。いわゆるグレーゾーン、だ。そこが欠落している。
つまりここを、これから育てましょうね、ってことでもあるんだろうか?
ちょっとよくわからなくなってきた。

だからつまり。
自分の人生の主人公は自分であって、他の誰でもない、ということを改めてちゃんといい意味で認識して、あなたの人生、わたしの人生、それぞれあるよね、それぞれ違ってそれで(が)いいんだよね、私がある時あなたの申し出を拒絶しても、それはあなたの申し出を拒絶しただけであってあなたを拒絶したわけではないんだよ、と。それは逆もしかり。これまで失われてきた命の数々は、それぞれのひとが選んで失っただけであって、わたしのせいじゃあ、ない、と。それはただの驕りだよ、と。
嗚呼、よくわからない。頭がぐちゃぐちゃになってきた。
とりあえず。

今夜はここまでにしよう。また、ちょっと時間を置こう。

窓の外、埋立地に立つ高層ビルを囲んで点る赤灯がちらちらしている。気づけば丑三つ時。朝はもうすぐそこ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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