ささやかな日々 / 浅岡忍

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2020年04月29日(水) 
早起きの息子と一緒に朝から土いじり。朝顔の種を蒔く。息子は息子が去年学校で育てて採った朝顔の種を、私は今年買ってみた「水月」と「宵の月」という青系の朝顔の種をそれぞれに。「ちゃんと咲きますように!」と言いながら一個ずつ埋めてゆく息子の隣で、私は黙々と埋める。「深さは一センチくらいだからね!」と息子に声をかけながら。
あっという間に終わってしまい、ふたりともちょっとエネルギーが余ってしまっていて、何する?なんて言い合いながら部屋へ戻る。とりあえずウノでもやるか、ということでテーブルにカードを広げる。最近息子が勝てるようになって、それが嬉しいらしい。嬉々とした表情でカードを凝視している。その様子が面白くて私も真似をする。

休校が始まってもう二か月になろうとしている。本来なら新学期。新しい友達ができたり、クラス替えで別れてしまった友達が恋しくなったり、あれやこれや忙しい時期のはず。なのに、今はどうだろう。公園の遊具は使用禁止にされ、声をあげて笑ったりしていれば学校に苦情の電話が入って注意され、子どもの居場所はことごとく潰されている。声を上げられない、上げることをまだしらない弱い者たちはどんどん追いやられる。こんなことあってはならないとつくづく思う。でも、これはおかしいだろ、と声を上げると、今度は、隣人が見張り役のようになっていていらぬところで衝突を起こされる。隣人同士見張り合っているこの現状が何より私にはおかしく感じられる。間違っていると感じられる。同じことはしたくない、とつくづく思う。

受刑者さんから手紙が二通続けて届く。刑務所内でもコロナの影響は色濃く出始めており。明日から作業場も閉められてしまうらしい。そうすると手紙も出してもらえなくなるらしく「当分お手紙できませんが、どうかお元気でいてください」と手紙が結ばれている。私は何となしに空を仰ぎながら、手紙を書いて出す自由のない生活、というのを想像してみる。自由って、何だろう。

法は、ひとを守るためにあるのではなく、裁くためにあるのだ、と家人が言っていた。最近本当にそうなのだなと実感することばかりが起こる。

コロナがもし落ち着いてきても、一度こうなった人々の心がもとに戻ることなんてあるんだろうか。見張り合うこと、に慣れてしまったら、もうそうでないところに戻ることはなかなかないような気がしている。

私たちはどんどん、自ら生きづらい方向に進んでいる気がしてならない。


2020年04月28日(火) 
家賃を振り込みに隣町に行くついでに、足を延ばして娘宅へ。息子を後ろに乗せて自転車を走らせる。マスクをしているせいでやけに顔が熱く感じられる。あっという間に鼻の下に汗をかく。息子にそのことを言ったら「きっと今母ちゃんの顔は髭生えてるね!」なんて後部座席からでっかい声で言うもんだから恥ずかしくて赤面し、なおさら顔が熱くなる。
娘宅ではちょうど二人が朝食にドーナツを食べ終えたというところで。砂糖だらけの手で孫が私に抱きついてくる。孫と息子が早速遊び始めるのを眺めながら、私は換気扇の下でとりあえず一服。
我が家にいた頃、年頃だった娘の部屋はごみ溜め部屋みたいになっていた。でも今彼女の部屋はきれいに整っている。心の現れだよなあ、とつくづく思う。年頃だった頃、彼女は荒れに荒れていた。私の再婚でぽっきり心が折れてしまったんだろうと今なら分かる。でも当時は、おろおろと、怒るハリネズミのように棘だらけの彼女の周りをぐるぐる回っているばかりだった。触れることさえ憚られた。それほどに彼女は、荒れていた。
当時は警察にずいぶんお世話になった。自殺を友人に仄めかし行方知れずになって大騒ぎになり、警察が動いたこともあった。生活安全課のKさんからの電話はいつだって、彼女のことで、いったい何度電話を通して話をしたか知れない。万引きで捕まったこともあった。友人を庇ってひとり捕まって、反省文を書かされ、私が息子を抱きかかえて飛んで行った時にはぼろぼろに泣いていたっけ。懐かしいというか切ないというか、そんな思い出の日々。
今母親になった彼女を見つめていると、あれは必要な、彼女にとって必要な過程だったのだなと思わせられる。ああしてはち切れることで、言葉にならない思いを全身で表現し、必死に命を繋げていた。それを思うと、自分の昔と似ているな、と、気づかされる。私も彼女を産んだ時、そんな感じだった。被害に遭って、PTSDになり、やけくそになって何度も自殺を試みていた。そんな折彼女を身ごもった。
よく、被害に遭ってPTSDになって、それでも子供を持つって大丈夫なの?と尋ねられる。大丈夫かどうかなんて、誰にも分からないし、誰も知らないことだと思う。ただ、回復に必要なエネルギーを、子は私に注入してくれた。その笑顔や涙や、要するに全身全霊で、彼女は私を生かしてくれた。そういう意味で、子を持つことは、回復の一助になり得る、と、そう言うこともできるかもしれない、とは思う。

昼食後、手を振って娘と孫と別れる。途中買い物をしてから帰宅。流し場が山盛りになっているのを見、家人は一体何をしていたんだと思って見れば、なんと、携帯でゲームに興じている。呆れ果て、私は黙々と洗い物を為す。本当は怒り心頭なのに、その怒りのエネルギーを全部、洗う行為に注ぎ込んで解消する。

気づけばすっかり夜。あっという間の一日。


2020年04月26日(日) 
Kさんが山ウドを宅急便で山盛り送ってくださった。早速下処理を施す。せっせと薄皮を剥き薄切りにして酢水に晒す。本当は天ぷらにしたいけれど、うまくできるという自信がまったくもってないので、すべて炒め煮にしようと思っている。今夜はまず厚揚げの炒め煮。明日はきんぴら。
下処理を終えた頃には指先が灰汁で茶色に色づいていた。何をしても容易に落ちない。諦めて料理にかかる。そうしているうちにオットと息子が短い外出から戻ってくる。

父の誕生日。家電に電話しても父の携帯に電話しても出ない。もしやと思い母の携帯に電話すると「今食事してるところなの、お父さん?いるわよ」と電話を代わってくれた。
お誕生日おめでとう
コロナ大丈夫か?
大丈夫、大丈夫、そっちは?
何とか大丈夫だよ。
もともと多くを語る人じゃないので、父との電話はすぐ沈黙になってしまう。こちらは大丈夫だから心配しないでともう一度念を押し、電話を切る。
疎遠になっていた数年間を除いて、私は毎年この日、父にメールか電話をする。昔は作務衣や印鑑ケースなどプレゼントも贈ったりしていた。でもいつしか電話かメールだけになった。
父と私は仲がいいわけじゃない。むしろ仲が悪かった。だからこそまったく連絡を取らない数年間があった。それを経ての、今、だ。
父が大好きか?と訊かれたら、私は首を傾げてしまう。正直好きとか嫌いとか分からない。ただ、父が私の父であるということは今はもう受け容れている、ということ。

連休明け仕事が始まる前にと娘にマスクを縫う。ちくちく、ちくちく、針を進めてゆくうちに、そういえば昔々、娘がまだ保育園だった頃はよく縫物をしたものだったと思い出しくすり笑う。私はパッチワークはする癖に、縫物が正直好きではない。縫物より編み物の方が断然好きだ。編み物は何故か、ぽっと灯が燈るような気がして編んでいるとほくほくしてくる。その温い感じが好きなのだ。でも縫物は、私を拒絶していた昔の母を思い出して胸がちくっと痛む。今でもまだ。

山ウドと厚揚げの炒め煮は家人も息子もぱくぱく食べてくれた。ほっと胸を撫で下ろす。初めて料理したから大丈夫だろうかと心配していた。よかった。食後、今朝作った苺のレアチーズケーキをみんなでつつく。ちょっとレモンの味が強かったかなと私は思ったのだが、みんなが大丈夫!と言うのでこれでいいのかもしれない。まぁ良しとしよう。

薔薇の蕾が、あと少しで開きそう。あと少し。


2020年04月24日(金) 
通院日。病院は一週間ごとに通っているのに、何だかすごく久しぶりな気がする。コロナのせいで一日一日の区切りが曖昧になっていて、たとえば三日が一続き、みたいに感じられるせいかもしれない。
カウンセリングの際、コピーして線引きしておいたものをもってカウンセラーに分からないことを次々訊いてゆく。が、カウンセラーが、「最終的にはあなたがどうしたいのか、だと思うの」と言う。
「これが正解の生き方、治療法、などというものはないのよ。あなたがこうなりたい、こうありたい、というところに向かって私たちはサポートしていく、そういうものなのよ」
「だから、最終的にあなたがどうなりたいか、どうありたいか、によって、選ぶ道も変わるでしょう?」
「考えてみて」

なるほど、そういうゴール地点を私は定めていないのかもしれない、と、はっとした。はっとして、何も応えられなかった。当然だ、ゴール地点を定めていないのだから、そのゴールをイメージしてみてと言われても何も応えようが、ない。

帰り道もずっと考えていた。私はどうなりたいんだろう。
そんなイメージ、持つことさえできない自分がいたとは。それも発見だ。そしてほぼ同時に気づく。そういえば本の中にそんな下りがあったな、狭窄だったか、その項目に。未来をあれこれ夢見たり想像したりすることもできなくなってどんどん狭まってゆくのだとかいう文があったな、と。
自分に未来なんてない。未来がないということも考えない。という状態に私は慣れきってしまっていたのかもしれない。一生懸命今イメージしようとしても、欠片さえイメージがわかないのはそういう為かもしれない。
来週まで、必死にあれこれ考えてみよう。


2020年04月22日(水) 
息子が出掛けるのに合わせ私も買い出しに出掛ける。一週間分の食材の買い出し。肉はこっち、魚はこっち、野菜はここ、という具合にスーパーそれぞれを回る。それだけで半日費やすことになるのだけれど、もういつものことで慣れてしまった。むしろちょっと楽しみだったりする。ああ今日はこの店のこれが安いんだな、これは新商品だなあなんて眺めるだけでも気分転換になる。
今日は冬物のクリーニングも。大きなビニール袋に息子や家人のコートを入れて自転車に乗せる。風が心地いい。こんないい天気の日はどこまでも自転車で走りたくなる。

海のそばに住んでいる。といっても砂浜は近くにない。港が近くにあるだけだ。塩害の心配があるほどの近さじゃないから、むしろ海があることはありがたい。海を眺めにすぐ行ける。
鴎は冬の間川に住まいを移している。もうこの時期は海に帰ってる時期なのだけれど、冬の間に餌付けをしたひとがいて、なかなか帰っていかない。今朝も鴎おじさんがパンくずを片手に立っている。鴎たちは好き好きにそのパンくずをひろって食べる。こんなんじゃ海に帰った時困らないのかな、なんて、私は余計なおせっかいをやいている。

途中文具店に寄って息子の学用品の書い足しをする。大きなポット型の糊に油性ペンに定規。新学期は一体いつから始まるんだろう、と不意に思う。いまさら焦っても仕方がないのだけれど、日々時間を持て余している息子を眺めていると、不憫に思えて仕方がない。今回のコロナの影響を一番受けているのは、きっと子供たちだ。私にはそう思える。

娘からLINEが入る。孫を叱ってしまった、と。噛んでくるのに腹を立てて必要以上に叱ってしまったらしい。あるよねえ、そういうこと、と応える。私にもそういうことあった。あなたを叱ってからどかーんと自己嫌悪に陥るんだよね、やりすぎた、って。そう応えると娘からさらに返信が。
ママが前に、自分がしたことはし返されるもんなんだよって言ってたけど、ほんとにそうかも!と、苦笑交じりに。
うん、本当にそうなんだよ。自分が誰かにしたことは必ず巡り巡って戻ってくるものなんだよ。だから、誰かと向き合うときは誠実に、丁寧にしなくちゃだめなんだよね。

何だか身体が怠くてしんどい。ホットフラッシュが繰り返しやってくる。更年期障害の症状のひとつとはいえしんどくてたまらない。さっさと時間が過ぎてくれないものかとこういう時は思ってしまう。
若さが味方だった頃はもうとうの昔に過ぎた。老いを少しずつ味わいながら、一日一日を過ごす。そう言うと、家人ががははと笑う。君に老いとか言われると、何言ってんのとしか思えない。いまだ徹夜とか平気でしてるひとに言われても何の効力もないよ。
そうなのかしらん。私は針仕事とかするたび、ああもう目がだめだわーとか思うのよ。あなたも目は大事にした方がいいわよー。

なんだか老いも楽しい。


2020年04月21日(火) 
朝のうちどんよりと空を覆っていた雲が、少しずつ少しずつ消えてゆく。私はせっせと布団を干し洗濯機を廻し犬の寝床を掃除する。寝床を掃除している間彼(犬)は神妙な顔つきでお座りをし、私の作業が終わるのを今か今かと待っている。終わったよと告げると飛んできて、ほっとした顔で丸くなる。お前は本当に寝床が好きだね、と私は彼に声をかける。
息子を連れてスーパーをはしご。肉を買うスーパー、珈琲を買う店、野菜を買う店、みんなそれぞれ違うから、息子と私と自転車を連ねて次々廻る。幸運なことに最後のスーパーでトイレットペーパーに出会う。よかったねと息子と目配せしながら買い込む。レジにはみな、透明なビニールシートが上からコロナ予防として吊り下げられており、何だかどこか違う星に来たような変な気持ちになる。これが日常になってしまう前に終わりがくればいいのだけれども。

家人に展示の話をすると、急に眉をしかめて、今そういう行動を起こすと激しく非難されるかもしれないからくれぐれも気を付けて、と言われる。せめて展示開始時期を少し遅らせた方がいいんじゃないか、とも。
考えてもみなかった。世間はそんなふうにまでなっているのか、と、改めて呆然となる。正直、そういう非難批判はあまり気にしないけれど、家人が心配してくれるのは分かるので、先方と話し合ってみようと思う。

ひとはいずれ死ぬ。誰もが死ぬ。誰にも等しくいずれ死はやってくる。それがどういう形であれ。
癌で死ぬひともいれば、コロナで死ぬひともいる。交通事故で死ぬひともいれば、自ら命を絶つひともあろう。そのどれが良くて、どれが悪い、なんてことは、あり得ない。どれも等しく「死」だ。
あの日から生き延びてくる過程で、私はたぶん、死に対して準備ができてしまった。ふつうより早くその準備を済ませてしまっているのかもしれない。自分ではまだまだと思っていたけれど、今回こういう状況に陥って、情報に右往左往しあちこちから上がる悲鳴を見つめていて、思う。こうした「非日常」が、自分にはむしろ当たり前だったなあ、と。それまでの日常があの日木端微塵になった。以来非日常でもある「日常」を生きてきた、生き延びてきた。そういう過程で私はたぶん、当たり前など何一つこの世界には存在しないと、痛感しているのだ。昨日まであったものが今日もあるとは限らない。今日できたことが明日もできるとは限らない―――。
二十四時間三百六十五日危機であるというふうに脳が書き換えられてしまった人間は、こんな時、耐性があるのかもしれないなあ、なんて、しみじみ思ってしまう。
全然嬉しくないけれど。
唯一あるのは。自分が加害者側になってしまうかもしれない、というそのことへの危機感。

明日も淡々と、自分に誠実に生きよう。


2020年04月20日(月) 
雨。霧雨のような雨だったり、激しく叩きつけるような雨だったり。時間によって雨の様子はがらり変わる。そんな雨の様を窓のこちら側から何となしに見やりつつ、仕事を続ける。
展示が急に決まった。来週かもしくは再来週から。依頼を受けて最初に浮かんだ詩を中心に据えての展示にしようと決める。こういう時は心に浮かんだものをぎゅっと形にするのが一番いい。

雨といえば、昔青い傘を持っていたことを思い出す。真っ青の、何の模様もないただただ青の傘だった。開くと、まるで海の底にいるような気持ちになれた。雨の中歩くことは好きじゃないのに、その傘が一緒だと、守られているような気持ちになって、歩くのも苦ではなかった。
或る雨の夜、友人から連絡が来てその青い傘をさして飛んでいくと、しょんぼり肩をすぼめた彼女が居た。SOSを出してくれた彼女にまずありがとうを伝え、話に耳を傾ける。私には到底力になれないような、途方もない家族の葛藤の話で、私はただもう、聴くことしかできなくて。雨はその間にも激しくなっていった。
友が傘を持っていないことに気づいたのは彼女を送り出す時で。私は、自分の青い傘を彼女に押し付けた。彼女の頬には雨と同じように涙が滴っており。それを見つめるのも辛くてただ差し出した。
ありがとう。確か彼女はそう言った。そしてとぼとぼと帰っていった。はずだった。私は走って逆方向の自宅へ向かったけれど。まさかその後彼女が交通事故に遭って死んでしまうなんて、その時の私は思いもしなかった。
あの時。つくづく思い知ったのだ。今目の前にいるひとが、明日も目の前にいてくれるとは限らないのだ、と。当たり前は当たり前なんかじゃなくて。尊い一瞬一瞬なのだ、と。
彼女のお葬式は、同じように雨の日に為された。私の手元に青い傘はもうなくて。何処へいったのかももう分からなくて。私は友人と青い傘と両方、あの日、失った。

雨がようやく止んだ夕暮れ。息子と犬の散歩へ。世界中がしっとり濡れている。そこかしこに雨粒が光ってる。雨粒をじっと見つめれば、その小さな粒の中に光の輪をいくつも湛えており。

世界はそれでも、美しい。


2020年04月19日(日) 
抜けるような青空。早速洗濯機を廻す。昨日雨だったから二度、三度。えっこらしょと布団も干す。陽射しが眩しい。

外出が思うように出来ないから息子と料理する機会が増える。今日はチーズケーキを作ろうということで、早速息子にビスケットを粉々にしてもらう。嬉々としてビスケットの入ったジップロックを叩く息子。あまりに勢いよく叩き続けてるから心配になって、袋を破らないように何度も声をかける。わかってるよぉと返事は来るが勢いは止まる様子がなく。つまり全然気に留めていないふうで。ひやひやしながら見守る。
その間に私はクリームチーズをせっせと練る。途中砂糖を加えたり水切りしたヨーグルトを加えたり。僕にもやらせて、と、息子が泡だて器を持つものの、クリームチーズのねっとり感にすっかり捕まってしまって、ちっとも練れてない。再び交代して私が練ることに。息子はその他の材料をボールに加える係に。
予め温めておいたオーブンで湯煎焼。じっくりじっくり。

薔薇の一本が黒点病になってしまった。今迄いろんな薔薇を育ててきたけれど、黒点病は初めてで慌てる。どうしよう。持っていた液薬を噴きかけておく。そのくらいしか対処が思いつかない。近いうちに母に電話して訊いてみよう。母は植物博士のようなひとだからきっといい対処方法を知っているに違いない。
秋に蒔いて今咲いているクリサンセマムももう終わりに近づいている。イフェイオンはまだまだ元気。そしてその隣の鉢で今、ラヴェンダーが咲き始めた。
植物は何も言わないけれど。人間のような言葉は持っていないけれども。彼らの誠実さはいつ向き合ってもたまらなく魅力的だ。思わず頭を垂れたくなる。素直になれてしまう。植物の不思議な魅力。

家人と何となく険悪な雰囲気。彼もイライラしているし、私もイライラしているんだろうと分かっていても、妥協できない自分。そういう自分に自己嫌悪で悪循環。
こういう時は、気持ちを切り替えるために自転車で飛び出していって珈琲屋かなんかで一杯の珈琲をいただくのがいつもだったら一番手っ取り早いのだけれど、このご時世そうもいかない。コロナが心底恨めしい。畜生。

何かの拍子に息子が「僕なんか生まれて来なければよかったんでしょ!」と言った。その言葉が突き刺さって思わず強く言い返してしまう。死に物狂いで産んだのにその言葉はないでしょ!なんて。馬鹿か自分。そんな言い返し方ないだろと今は思うけれど、その時はたまらずそう言ってしまった。一度吐いた言葉は取り消しようがない。凹む。
勢い昼間できない仕事を徹夜でこなす。踏んだり蹴ったりの日曜日。そしてもう月曜の夜明け前。
今日はいい日になりますように。


2020年04月18日(土) 
雨。ひたすらに雨。時折猛烈な勢いで窓を叩いてくる。風は轟々と唸り、雨筋はほとんど横向きだ。あまりにその様が見事なので、しばらく頬杖つきながらそれを眺めてみる。この自然の威力を前にしたら、ひとはただただ無力だ。でもそれで、いいのかもしれない。
息子が不安定になっているという話をぼそっと親友にこぼす。おっぱいをひたすら求めて四六時中くっついてくるんだよ、と言うと、「それならおっぱいプリンなんてどう?」と言う。冗談で言ってるのかと思ったら「いやいや、レシピまであるんだよ!」と。見てびっくり。なるほどこれはおっぱいに間違いない。思わずモニターのこちら側で苦笑してしまう。
せっかく教えてもらったのだからと早速夜、プリン作りを始める。でも、プリンの素はない。仕方なく、あれこれアレンジして、おっぱいっぽい色合いで作ろうと努めてみる。生クリームのストックがたまたまあったので生クリームも加えて。
翌朝息子に「これなーんだ?!」と差し出すと、息子は突然照れ始めてもごもご言っている。何?「肉」え、肉???「にくー!」私の方が笑ってしまった。肉かい、これ。「知ってるよ、おっぱい!」くすくす笑いながらようやく言った。彼の顔はにんまりにまにま。
やっぱり君は、笑ってる顔が一番素敵だよ。

夜作業をしようと思っていたのに、息子を寝かしつけるのと一緒に眠ってしまう。はっと起きた時にはもう11時。愕然としながら起き上がったものの、机の前に座ろうと何しようと頭がぼんやりして働かない。困った。
とりあえずレモン汁でも飲んでみようかなんて思いつき、レモンジュースを作ってみる。でも酸っぱかっただけで、眼は覚めない。

要するに。今夜は作業をするなってことなんだ、と思うに至り、仕方なくごそごそ布団に戻る。布団の中、しばし考える。この間読み直してみた「心的外傷と回復」の監禁の章。あまりに自分が為されたことそのままのことが書いてあってぞっとしたのだった。以前読んだ時そんな自覚はなかった。むしろ、関係ないとさえ思っていた。が。
今、ようやく自覚に至る。ぞっとし、頭と心が混乱する。認めたくない思いがぐるぐる廻る。


2020年04月16日(木) 淡々と過ぎる時間
スパゲッティーを食べると食べ終えてすぐ気を失う。何故だろうといつも自分を責めていたが、先日身体メンテの専門家さんから教えられた。血糖値が急激に下がって気絶するんですよ、と。そんなことがあるのかとびっくりする。全く知らなかった。体質だから自分を責める必要はないです、と。
夫に伝えると、なるほどおとこちらもびっくりしていた。いつも怠けてるのかと思ってたよとばか正直に言うのでちょっとカチンときたが、でもこれからは自分を責めるのはやめよう。そう決めた。

呼び鈴が鳴る。出ると息子のお友達。遊びたいという。こちらは全く構わないのだが、実は先日お友達のお母様から「うちの子が行ってもコロナの最中は断ってください」と言われたばかり。困ったなと思っていたら息子が「会うだけいい?」と言うのでいいよと告げる。しばらくして戻った息子は「怒られると嫌だからまたねって言った」という。コロナの影響はこんなところにも。悲しくなる。息子よ、ごめんな。

何とか息子の気持ちを上げてやりたくて娘にビデオ電話する。じゃあ、今からそっち行くよと言ってくれる。息子の嬉しそうな顔ったら。こちらまで嬉しくなる。
孫が息子の名を呼びながら息子にくっついて回る。娘は携帯を弄っている。私は昼食の準備を。ベランダに息子が蒔いておいた米粒を求めて雀が時おりやってくる。のんびり過ぎる時間。淡々と淡々と。
このまま目を閉じていたら空と海とが溶け合ってその中に私も揺蕩っていられそうにさえ思える。

明日は通院日。


2020年04月15日(水) 眩い空
これじゃだめだと思いきって外に出てみる。ひとりきりで。これもまた思い付きで会いたいと思っていたひとに会いに行くことにした。

電車はがらがら。それでも気になってドアのすぐ近くに立つ。景色が次々流れ飛ぶのを私はぼんやりと眺める。乗り換えなければならない駅をぼんやりしすぎていて通り越してしまった。慌てて戻る。
店に着くと。誰もいない店、マスターがカウンターに佇んでいる。

遊びに来ちゃいました。
おお、いらっしゃい。
とんでもないことになってますねえ。
そうそう、お店もね、がらがらだよ。でも逆に安全かも。
ははは。

岡潔の話やクラシックピアノの話、次の展示の話、あれやこれや。マスターと話しているうちに心の中風が吹き始めるのが分かる。それまで止まっていた風が流れ始めるのが分かる。私は、ほっとする。

何がつらいって、みんながいがみ合う感じが嫌だよね。
ああ、それ、私も思います。
疑心暗鬼っていうかね、お金のこともね、何というか、分かるんだけどそれでもね。
そうですね。ほんと。しんどいですね。この雰囲気が。

また来ますねと言って店を出る。外は眩しいくらい日差しが燦々と降り注いでおり。私は空を仰ぐ。青さえもが飛んでしまうくらい眩い空。

そういえば徹夜明けだったことを今更思い出す。普段から睡眠は短い方だけれども、眠くなることはないが目の焦点が微妙に合わなくなる。目が疲れてるんだなあと思いながら、目にそれほどに頼っている自分を感じる。

帰宅すると対話の会のY先生から封書が届いている。それに合わせ調べ物に専心する夜。眼鏡をかけさらに目を酷使する自分に苦笑しつつ、五体満足ありがたいことだよな、と心の中感謝する。


2020年04月14日(火) 独りに、なりたい
曜日感覚がすっかり薄れてしまって、カレンダーを確認する朝。火曜日。そうだ燃えるゴミの日。慌てて家中のゴミをかき集めて大きな袋に詰め込む。雨は無事あがって綺麗な青空が覗いている。今日はきっと洗濯日和だ。相変わらず風が強くてちょっと心配ではあるけれど、たまった洗濯物をごっそり洗濯しよう。濡れた傘を玄関脇に干してから、洗濯機を廻す。二度。

息子が朝からごねている。ぐずぐずとごねている。休校になって一か月以上が経つ。さすがに精神的に疲れてきてしまっているのだろう。ふと思い出し、先日孫が来た折に買ったシャボン玉機を彼に差し出す。写真撮ろうよと誘う。
彼がシャボン玉役、私がカメラ役。追いかけたり追いかけられたりしながらパシャパシャ撮ってゆく。ようやっと口の端がにまっとしてきた息子の表情に、私も心が緩む。

ほんのちょっと息子が一人遊びしていてくれている間を見つけて、受刑者の方々との文通を改めて見直す。対話だ、対話が足りていない。彼らのこの言葉の背後に隠れている思いをもっと掬い上げたい。掬い上げなければ。
受刑者さんたちのお手紙には必ず端っこに印が押してある。検閲の印だ。その印が私にはいつも、残酷な代物に映ってしまう。
社会から隔離され、罪を償うことは、本当に意味あることなのだろうか。それがたとえば五年、十年、二十年、という年単位の時間だったとして、その間に社会から切り離されてしまって、いざ社会に出て来てから彼らは孤立してしまうんじゃなかろうか。そうなったら果たして、罪を繰り返さないでいられるだろうか。
そうした罪の償い方に、本当に意味はあるのだろうか。私は考え込んでしまう。いつも。今も。

太陽が西に傾いて、じき地平線に沈む。休校になってからというもの、夕飯の時刻が早くなった。西陽がまっすぐ伸びてくるような時刻にはもう、三人で食卓を囲んでいる。今日は焼き魚に味噌汁、サラダ、食後にケーキ一切れ。
ただそれだけなのに、その間に家族がみんなぎしぎししていることに気づく。夫は食事の遅い息子にイライラし、私はそんな夫にイライラし。イライラが食卓の上でぐるぐる廻る。私にはそれがまるで目に見えているかのように感じられ、余計にイライラする。

孤独は。
誰かといる時の方が感じられる代物だと私は思う。独りきりの時はむしろ、孤独とは感じない。あくまで私の場合だけれども。
本当は。淡々と自分と向き合う時間に孤独を感じたい。いい意味での孤独を。そういう孤独が私を成長させることを私はこれまでの経験で知っているから。そんな孤独が枯渇している。

独りに、なりたい。


2020年04月13日(月) 対話からこそ生まれるものがある
雨。重たげな雨雲が空一面を覆い、空それ自体が低く低く感じられる。まるでぐんと天井が低くなりこちらに迫ってきているみたいな。雨は強い風に嬲られ右に左に筋を作っている。

ニュースを付ければコロナ一色。たまにはニュースくらい見なくちゃねとテレビをつけたけれど、息子が一言「コロナ嫌!消して!」と。夫が少し抵抗したけれど、程なくテレビは消され部屋は静かになる。
「ねぇ今度ああちゃんいつ来るの?ねぇねいつ来るの?」息子が訊ねる。私は「またゴールデンウィークにはお泊りに来るよ」と応える。「ゴールデンウィークっていつ?」「五月初めだよ」「そんな遠いのかあ」「遠くないよ、すぐだよ」。言ってから、しばし沈思する。このコロナ一色の中、一日一日は、息子にはきっといつも以上に長く感じられるに違いない。そんな彼だから遠く感じられるのだ。可哀そうに。心の中、彼に小さく詫びる。私が悪いわけではないのだけれど。

ピンクのグラデーションの花弁をつけていたチューリップ二輪がとうとう散ってしまった。この強風と雨にやられたようだ。次に咲いた濃黄色のチューリップ一輪が、必死に風雨と闘っている。
クリサンセマムは元気だ。この子らは、芽を出したばかりの時はか弱いけれども、花をつける頃には頑丈そのものになっている。逞しい。
イフェイオンとアメリカンブルーが蒼い花を雨に向かって咲かせている。こちらも風にびゅるびゅる震えてはいるけれど、倒れる気配はなく。私はそっと胸を撫で下ろす。

具沢山のお蕎麦を作る。これでもかというほど野菜を山盛りにして。はふはふ言いながら三人で食べる夕食。夕食後には先日作ったケーキの残りを食す。

対話の会の冊子が届いたので添付されていたDVDを含めひととおり目を通す。「被害者の権利を高めるために加害少年の権利を低めなければならないかのような論調には大きな疑問を持った」という山田由紀子さんの言葉が心に残る。また、「被害者の思いは決して犯罪の種類などで類型的にきめつけられるようなものではなく、一人一人みな違うのである。そして同じ被害者でも、時の流れによって変わることも、同じ一日の中でも、朝には恨みがつのり二度と加害者の顔も見たくないと思ったのに、夜には加害者と会って本当に反省しているのかどうか確かめたいと思ったりするものである」というくだりも。そういう揺れる心、一元ではない心の有様は、被害者或いは被害者と近しく接した者だからこそ分かることなのだろう。
被害者と加害者は対立していなければおかしいというような世間の風潮が双方の対話を邪魔していると私も感じる。でも、対話でしか得られないものが確かにあると、私も経験からもう、知っている。


2020年04月12日(日) 孫の泣き声で思い出す
呼び鈴が鳴る。こんな時間に誰だろう、と訝りながら起き上がりインターフォンの受話器に手を伸ばす。そこで気づく。ああ、夢だ、と。
インターフォンが鳴ったなら点滅する灯は全く点滅しておらず。沈黙を守っている。丑三つ時、私は廊下にぼんやり佇む。

娘と孫を玄関先で見送る時、孫はまだそれがバイバイだと分かっていないようで。私たちが玄関から出ないということに気づいてようやく、ふぎゃあと泣き出した。泣き出した彼女を娘が抱き上げ、じゃ、またね!と言って去る。孫の泣き声だけがまだ廊下に響いている。
そんな彼女の泣き声で思い出した。私も幼い頃、祖父母の家から帰らなければならないその時が来ると必ず涙したことを。帰りの車の中はひたすら泣いていて、だから泣いていたということ以外何も思い出がない。ただただ泣いていた。祖父母のあの、独特なにおいが遠ざかってゆくのが寂しくて、祖父母のあのやわらかい萎びた感触が遠ざかってゆくのが悲しくて、でもそれを誰にも言えなくて、ただ泣くという行為にしか自分を傾けられなかった。そんな日々があったことを、孫の泣き声で思い出した。

子どもを育てる、のではなく、子どもに育てられるのだな親は、と、いつも思う。子育て、という言葉はだから、ちょっと違う気がしている。子に育てられるのが正解で、子どもを育てるという言葉は私には違っている。

孫たちが帰った後、息子と犬の散歩に出掛ける。夫が大通りを好んで歩くのに対し、私は裏道細道を行くのが好きだ。この道行き止まりになってるんじゃないの?と思えるほどの細道を、それでも行ってみる。今日も息子と、この細い階段上ってみようか、ということできょろきょろしながら上ってみた。車はとてもじゃないが走れそうにない細さの道に繋がり、それでも両脇には家々がぎゅうぎゅうづめに建っており。「母ちゃん、このお家の玄関どこ?」「ね、鶏がいるよ!二羽も!」「なんでなんで?!なんでこんなところにコケコッコーいるの?!」などなど。息子とひっきりなしに会話しながら歩く散歩。コロナが始まってからの習慣のひとつ。

夕飯はシチューを作る。トマトシチュー。私は煮込み料理が大好きだ。ことこと、ことこと、ひたすらにゆっくり煮込む。その作業がたまらなく好きだ。無心になれる。一途に料理にだけ思いを傾けられる、そういう時間が好きなんだ。
途中息子が何度か、手伝いにやってくる。かき混ぜるのを手伝ったり、ルーを入れるのを手伝ったり。
できあがったシチューの真ん中に、クリームチーズをひとかけら置く。ちょっとだけ贅沢。


2020年04月11日(土) 
ここ数日夜明け前後の空はぼんやり霞んでいる。地平線の辺りが桃色に、そして空の天辺は群青色に、その間を結ぶグラデーションはまるで水彩画のよう。たっぷりと水を含ませた平筆でざっと描いた水彩画。

娘と孫とが遊びにやって来る。遊び相手がいなくてしょぼんとしていた息子の表情が、今日は生き生きと輝いている。孫相手に笑ったり泣いたり怒ったりめげたり、実に忙しい。孫の方はマイペースで、年上の息子を相手に堂々渡り合っているのが面白い。
それにしても孫の成長の早いこと。この間遊びに来たときは片言の言葉を二、三個言う程度だったのが、今日は立派に言葉でやり返している。「待って、いややいで!(待って、行かないで)」「これああちゃんの!あげない!」「おいしいね!」などなど。そしてはっと思い出す。娘が幼かった頃、言葉が出るのが本当に遅くて、この子は喋れないんじゃないかと私は真剣に悩んでいたことを。なのに三歳の誕生日を迎えると同時に、いきなり片言ではなく文章を喋り始めた。ぎょっとして「今なんて言ったの?」と私が問うと、「これああちゃん好きじゃないの」とはっきり言ったっけ。私はあの、初めて彼女の言葉の声を聴いた時のことを、忘れることはできない。ちょっとハスキーなソプラノの声だった。

息子と孫とが部屋の中追いかけっこをしているその間に、私と娘は台所でクリームチーズを練る。滑らかになるまでしっかり練る。途中砂糖を二度に分けて加え、さらに混ぜる。なめらかになったら生クリームを加え、もったりするまでまたさらに練る。
オーブンは230度に温めておき、45分強じっくり焼く。バスクチーズケーキ。
娘がアルバイトする店が入るビルで、コロナの感染者が出、そのため直後からビル自体が閉鎖になり、つまり娘は仕事にあぶれることになった。仕事がないと保育園も今は子供を預かってはくれない。
ベランダで息子と孫がシャボン玉遊びを始めた。互いにシャボン玉をぶつけ合って、そのたびきゃぁきゃぁ喜声を上げる。耳を澄ますと近所の動物園からライオンの唸る声がしていることに気づく。風向き次第で、その声は大きくなったり小さくなったり。さざ波のよう。

午後はあっという間に過ぎてゆく。時計の針に追いかけられるように私たちも、しりとり合戦をしたりトランプをしたり、はたまたくすぐりごっこで布団の上転げまわったり。思いつくことは全部やっているのだが、息子も孫もちっとも満足してくれない。次から次に、これも、あれも、と注文が出る。そうしているうちに私も娘もすっかり草臥れ、まるで干からびた雑草のようになってしまった。

「ね、ああこのこの頑固さって誰に似たのかな?」
「そりゃあんたでしょ」
「えー、それは違うと思う。ママだよ、ママ!隔世遺伝だよ!」
「何をおっしゃる。君は自分のことがつくづくわかっていないらしい。あなたほどの頑固娘、見たことないわ!」
「えー、そこまで言うかっ!」

楽しい時間というのはどうしてこんなにきらきらしているんだろう。窓際に吊るしたサンキャッチャーみたいだ。周りを虹色に染める。


2020年04月10日(金) 
通院日。数少ないマスクを着けて病院へ向かう。
着いてみてぎょっとする。人ばかりが多くて、その人々が行き交う道筋の店はどこも閉店。シャッターを閉めている。別の県からやってきた私の眼にそれは異様な様に映る。薬局だけが朝早くから店を開けている。しばらく横断歩道の手前で立ち止まり、街の様子を眺める。
どうしてこんな街に人ばかりが行き交うのだろう。

カウンセリングが始まると同時に、カウンセラーが厚生省からの緊急通達があったのだと教えてくれる。制限がかかった、と。大丈夫な人たちは次のカウンセリングは一か月後になる、あなたの場合必要だから来週も予約を取ってほしいのだけれど、と。
主治医は先々週だったか、こう言っていた。厚生省から病院は閉めないでほしいと言われたから心配することはないわよ、と。それが覆ったということだろうか。私はしばし沈思する。すぐに受け止められず、頭の芯がぼおっとなる。

カウンセリングを終えすぐ診察。主治医が、混乱している私に気づいて、カウンセラーよりも詳しく説明をしてくれる。「あなたは来週も来てね」とそう付け加えて。
でも。
何だか命の選別をされているかのような気持ちになって、安心なんてとても、できなかった。申し訳なさというか、そんな、罪悪感にも似た気持ちにさせられた。何だろう、こう、もやもやざわざわとして、その黒い雲がどんどん沈んで色濃くなって…。私の中に充満してゆくかのようで。

命の選別。一体誰が、何の為に、何の権利があって、そんなことができるのだろう。命に重い軽いがあるなんて、考えたこともなかった。この命は選ばれ優先され、別の命は後回しにされる。そんなことが起ころうとは。

空を見上げると、高く高く晴れ上がっており。どこまでも眩しい。まるで今私の目の前でひろげられたものは幻だよと笑っているかのようで。思わず私は眼を閉じる。

つらい。


2020年04月08日(水) 
数年前の日記帳がぼろり出てきて、ぱらぱらと頁をめくってみる。こんなに私は日々を記していたのかといまさらだけれど吃驚する。当時はまだ、活字をこんなに追っていたのだなということにも。

解離だけじゃなく眼が悪くなって、活字を追うことがしんどくなった。それでも本屋に行くとつい、これも読みたいあれも読みたいと手を伸ばしてしまう。気づけば数冊の文庫本を手に、レジに並んでいたりして。そのたび、ああまたやっちゃった、なんて思うのだ。
息子と一緒にカブトムシの幼虫の土を替える。半月そのままにしておいただけなのに、虫籠の中の土は幼虫の糞だらけ。息子とふたり、せっせと新しい土を入れてゆく。今幼虫は四匹。息子がそおっと、幼虫の腹のところをひろげてチェック。メス二匹にオス二匹という具合らしい。私にはちっとも分からない。「カマキリ先生が言ってたよ!おなかに徴があるかないかで分かるんだ!」と、彼はちょっと自慢気。
コロナのせいでお友達と遊ぶこともできないから、エネルギーが有り余っている息子。今日もふたりで自転車に乗り川縁を走る。ずいぶんスムーズに走ることができるようになってきた。帰りの坂道も、一気に昇れるようになった。いい具合。これならじきに、ふたりで長距離を走れるようになるに違いない。自転車大好きな私にとってそれは、ちょっとした楽しみ。

ふと思いついて、日ごろお世話になっているひとたちに生姜茶とあずき茶をお裾分けすることにする。息子にも手伝ってもらって四人分、分包する。宛名を書いてあとは明日投函するだけ。息子が「母ちゃんの大好きなお茶でしょ?こんなにあげちゃうの?」と訊いてくる。普段お世話になってばかりのひとたちにあげるからこれでいいんだよ、と応える。家に閉じ篭るしかない毎日だから、せめてお茶で気分転換でもしてほしい。せめてもの私の気持ち。

明日は娘と孫娘が遊びにやってくる。本当はそういったことも控えなくちゃいけないのだろうけれど、母子家庭でひたすら毎日ふたり密着して過ごすのはしんどい。かつて母子家庭をやっていた私にはそれが嫌と言うほど分かる。娘と孫娘の息抜きに、このくらいいいだろう、と、心の中で言い訳する。
SNSなどをちらり見やると、ひとびとの心が疑心暗鬼になってきている気配を感じ、げんなりする。

コロナ。どこまでひとの心を侵蝕してゆくのだろう。ぞっとする。


2020年04月07日(火) 
夜。オットが少しの間安倍さんの緊急事態宣言をラジオで聴いているのを、私は息子の相手をしながらほんのちょっと耳を寄せた。でも、その瞬間、ぞわっとした。とても嫌な感じがした。何だろうこの感じ? その時はっとした、ばあちゃんやじいちゃん、父や母もかつてこんなふうにラジオに耳を傾けたことがあったのではないかとそう思えてしまった瞬間、ぞわぞわの嫌な感じが明らかになった気がした。ああ、国民に責任をなすりつけているようなその感じが嫌なんだ、と。
安倍さんの言い回しのそこかしこから、責任ちゃんと果たしてねと言われてるそういう気配を感じぞわっとするんだ。いや、国民に責任なすりつけて、国何やってんの?と思うのは私だけか? いやそもそも、そういう代表を選んだのは私たちだっけか? そのツケが回ってきたと、そういうことか?
私は頭がくらくらしてくるようだったので、その場をすぐ離れた。

息子が赤ちゃん返りをしている。私もオットも、そんなにコロナの話をしないけれども、それでも彼は、彼の生きる世界の中でひたひたと忍び寄ってくる何かを感じている。そのせいで非常に不安定になってきている。「おっぱい、おっぱい!」と繰り返し言うし、触ってくるし、それだけじゃない、オットの微妙なイントネーションに過敏になっている。彼の過敏な反応が私にビンビン伝わってきて、正直私はどぎまぎしている。これはいかんなぁと。

ひとの身体だけじゃなく、ひとの心も侵蝕しているのだな、コロナは、と。私にはそう感じられるから、ほんとに日々ぞわぞわしている。

人間いつかは死ぬ。それが今日か明日か、それさえ自分には決められないものだ、と、日ごろから思っている。もちろんまったく怖くないわけじゃないし、死ぬってどんなかなあなんてちょっと戸惑ったりする。でも。
それ以上に、人間の、心が蝕まれてゆく様を間近に見るのが、私には一番怖い。今そうした気配が、じわじわ、じわりじわりと、近寄ってきている気がする。

フランク・パヴロフの「茶色の朝」が猛烈に思い出される。いや、違う違う、と首を振るのだが、この今の気配が、あの「茶色の朝」から感じる気配にとても似通っていて。だからどうしても私を蝕むのだ、この「気配」が。


2020年04月06日(月) 
息子とべったりの毎日。ちょっと息切れ。そういう時はふたりでちょっとだけ自転車に乗る。
まだ自転車を買って一か月しか経っていない息子の運転は、もちろん上手じゃない。でも奴は必ず私についてくる。少し距離ができても、必ず私めがけて走ってくる。
だから私は、安心して走っていられる。
もちろん、途中、交差点や信号のたび、後ろを振り返り前を見やり、息子に声掛けするのは当然だ。しかしたいてい彼は、私を見つめるその先に、それらをしっかり見てとり、私に「わかってる、母ちゃん!」と応えるのだ。
ああ、こやつ、自転車好きなんだな、とそのたび思う。

私も自転車が大好きだ。運転免許証を持っていない私にとって、自転車は唯一の足だといっていい。だからというわけではないが、私は自転車で、風や景色を切って走るのが大好きだ。
大学時代、夜のバイトをしていた頃、自転車で誰より早く店に入り、まかないを作ったり準備をして、そうしてバイトが終われば、三十分の道程を家まで自転車で走って帰った。バイト中どんなにいやなことがあっても、自転車で風を切って走ると、おのずと忘れられた。飛んで消えた。真夜中の街は余計なものがすべて闇の中に沈んで見えなくなっていて、だから余計に気持ちよかった。時には歌いながら走ったし、時には笑いながら走った。それが私には、自分を切り替えるのに大切な時間だった。

息子もいつか、いやなことばかりの日々を迎えるに違いない。年頃になって、ありとあらゆることが嫌悪され、どうしようもなく自分が鬱屈してしまう時期を迎えるに違いない。でも、気持ちを切り替える術をひとつでも持っていたら、きっと息抜きはできるに違いない。
自転車がその、切り替えの術のひとつになるといいなと思う。

ベランダのプランター、ラベンダーたちが蕾をくっきりと付け始めた。息子と一緒に、指でちょんちょんっと突いたりして昨夕遊んでいた。苺の花ももう十個目。「いつ苺できるの?」「これが大きくなって赤くならないと食べれないよー」。息子とのやりとりももう何回目。イフェイオンはもう盛りを終えた。アメリカンブルーがかわりに花を付け始めた。薔薇たちも新芽の奥に蕾を湛えている。


2020年04月05日(日) 
今日が日曜日だということも失念するほど、日々が淡々と過ぎてゆく。昨日夕方届いた赤煉瓦でベランダを少し整えた。アンティークの安い煉瓦を買ったから、ちょっと隙間ができてしまい、ぐらっとするところはクッションを当てて何とか済ませた。息子が座っても大丈夫なことを確かめて、二人でプランターをその上に乗せる。できたね!なんて言い合う夕暮れ。ずいぶん日が延びた。なかなか沈まない西の日を、ふたりでぼけっと眺める。

息子と自転車で川沿いを走ると、桜の樹はもう散りはじめており。ああここももう終わってしまうのか桜が、と思いながらしばし見やる。息子が、鴎ももう海に帰っちゃうねと言うので、そうだね、また冬戻ってくるまでさよならだね、と応える。
毎年ここでは桜祭りが催される。でも今年はコロナで中止。それでもと集うひとたちがいて、桜の周りだけひとがわらわらと。
何となくもの寂しい、春の日。

息子は娘と違い、一人遊びができない。いつでも「ねぇねぇ!何する?何する?」とくっついてくる。男の子と女の子の違いがあるのかもしれないけれど、それにしたってまとわりつきすぎだろと正直閉口する。でも、これもあと数年すれば終わるんだよなあと、そう思うと、ちょっと切ない。
コロナ鬱やらコロナ離婚やら、ニュースを見ると、コロナを表す数字やニュースで賑わっている。それがしんどいから、少し距離を取るようにしている。最低限の情報で私には十分すぎるから。

友達が「定時連絡!」と言いながら毎朝「おはよう」と声をかけてくる。お互い生存確認をそこで為す。別に他に用事はないからそれを交わすだけなのだけれど。でも、ありがたいな、と思う。そうやって気にかけてくれる友たちがいるということ。ありがたいな、と。

そういえば弟の誕生日だと気づき、弟に連絡を取る。お誕生日おめでとう、今年はいい年になりますように! すぐ、ありがとう、と返事がある。身体を痛めて今しんどいだろう。弟よ、もうお互いいい年になっているけれど、この一年一年、いや、一日一日を、大切に生きような。


2020年04月04日(土) 
朝5時過ぎに息子が起きてくる。いつも以上に早い。そしていつも以上に元気が有り余っている様子。起き抜けからテンションが高い。有り余ってる体力気力を全部私にぶつけてくるものだから、私の方が先にバテそうな気がしてくる。

洗濯機を二回廻したところでふと思い立ち、Gジャンを染色することに。薄い水色だったものを前から染めたかった。取り寄せておいた染粉をお湯で溶かす。かき混ぜ役はもちろん息子。あちこちに液を飛ばしながらがしゃがしゃかき混ぜている姿はちょっと近寄りがたい。
かき混ぜ終えた液にGジャンを漬け、ぐしゃぐしゃ揉む。揉み押し揉み押し。息子が飽きたところで洗濯機に鞍替え。息子が藍色に染まった両手にぎょっとしている。「染粉を使うとこうなるんよ」と説明すると、「今日から僕の手青くなるの?!」と。いやいやそうはならないから大丈夫。
あとは洗濯機に任せて、としている間に息子と種まき。去年摘み取ったクリサンセマムの種を空いているプランターに撒いてゆく。「僕知ってるよ、種撒いた後はやさしく水やりしなくちゃいけないんだよね、種が流れちゃうから」。そうそう、だからやさしくね、と、ふたりで如雨露を傾ける。
すっかり染まって停止液にもかけたGジャン一着とGパン一着、それから息子が放り込んだ白かった靴下を干してから自転車で連れ立ってスーパーまで走る。買うものは決まってる。今日息子と作る約束をしたバスクチーズケーキとキャラメルアップルプディングの材料。途中息子を散髪にも連れてゆき時間稼ぎ。それでも昼を少し回ったくらい。

それにしても風が強い日だ。満開もちょっと過ぎてしまった桜の花弁は、風にいいように嬲られ、右に左に上に下に、まさに自由自在、散ってゆく。そういえば七年前息子を出産後病院から帰宅する時もこんな感じだった。びゅるびゅると強風に薄桃色の桜の花弁が舞い上がって、それは眩いくらいだった。

昨日診察で主治医が言っていたことをふと思い出す。人間は本来食われる生き物だから、危険を察知する能力が高かったのよ、現代に近づくにつれてその能力が鈍磨していったけれどね、あなたはその、危機を察知する能力が古代人並みに高いというか強烈なの、本来それはいいことなんだけれど。一度危険とインプットされたことに対しての警戒心もそれに合わせてこれでもかというほど強固なのよね。それをね、ほんのちょっとでも緩ませられればね、いいんだけれども。
これからカウンセラーと相談して、それを少しでも緩める術を探りましょうね。

危機管理能力、私は低いと思っていたけれど。そうじゃないのか、とちょっと不思議に思ったから主治医に訊ねると、「あなたの場合、被害体験によって、安全な場所をも危険な場所として認知するようになってしまっているから、つまり二十四時間三百六十五日、世界はすべて危険だ、っていう認識になってしまっているから、どれもこれもにアンテナが反応してしまうのよ。そうなるとね、本当に危険なことと、安全であることとが同列になってしまうの。そこがね、あなたから見ると、危機管理能力が自分は低い、っていう評価になるのよ。
分かるような分からないような、主治医の言葉を、とりあえず心にメモする。いつか分かる時が来るかもしれない。その時の為に。とりあえず、メモ。


2020年04月03日(金) 
通院日。電車に乗れば誰もがマスクをしている。私はマスクを持っていない。いまだ買えていないから。呼吸するのも申し訳ないような気持ちになる。息をひそめ端っこに座る。
カウンセリングと診察。いつもと同じのはずなのに、待合室はいつもの倍くらい椅子と椅子の間隔を空けており。ああ、今そういう時期なのだなと改めて痛感させられる。

私は、横になる、という動作が苦手だ。怖い。無防備になるのが怖い。それでも休まなければと思い横になれば時として飛び起きてしまう。そうなるともう、そこに居るということさえできなくなってしまう。被害以来、そういうふうになってしまった。もう二十年以上前の話だのに。それでもまだ、元には戻らない。

家を出て、一人暮らしを始めた頃。自分の布団に猫と一緒に横になるのが至福の時だった。日曜日、朝早くからお風呂掃除やトイレ掃除を始め、それが終わったら買い出しをし、帰ってきたら一週間分の作り置きをあれこれ作り。そして夜猫とちょこっと遊んだら横になる。その一週間に一日の、日曜日が、とても幸せだった。
でもそれも、被害に遭って変貌してしまった。

今新しい家族と暮らしているのに、二十年以上も前のことなのに、一度脳に刻まれたものは簡単には消えてくれないらしく。そのことにもはや諦め以外の何物も浮かばないのだけれど、それでも、時折思うのだ。あんなことさえなければ、と。時折、だけれど。

息子が四六時中まとわりついてくる毎日。正直辟易している。ほんの一時間でいい、自分だけの、ひとりぽっちの時間が欲しい。そう思ってしまう。でないと呼吸さえしづらく感じられるから人間って不思議だ。

早く日常が戻ってきてほしい。ついこの間までそこに在った「日常」。
いつもそうだけれど、失って初めて、ひとはそのありがたさに気づくんだ。


2020年04月02日(木) 
やっぱり、ちょっと気を抜くと書かないままになってしまう。しばらくは日記を書くのだということを意識しておかないと。

ベランダのチューリップ、最初の二つがもう開ききってしまって、てろんとしてきた。その隣で真っ白なチューリップが小さく咲き始め、まるでそこだけ灯がともっているかのよう。別の鉢ではクリサンセマムとイフェイオンが競争しているかのように咲き乱れている。ありがたいなあと思う。こんな閉塞した世の中にお構いなしに、植物は誠実に蕾をつけ、咲き、散る。その一連の営みが、私を励ましてくれる。

息子がまとわりついてくる毎日。仕方がない、コロナのことがあって友達と遊ぶことさえできない日々だもの、そう仕方ない。仕方ないと分かっているのに、あまりにべったりされるとしんどくなって「もうね、ちょっと離れてて」と言ってしまうこと多々。そのたび自己嫌悪に陥る。悪循環。
コロナ鬱だね君はすっかり。とオットが言う。確かにそうなのかもなぁなんて他人事のように思ってみる。コロナ鬱でも何でも、どうでもよいのだ。この状況を打破できれば、それでいい。そのくらい切実に、この状況に息切れしている。

小川洋子さんのエッセイを読み始めて、何か違うと思い、ふと、隣に置いてあった上橋菜穂子さんのエッセイを開いてみた。今の私には、こちらの方がしっくりくることに気づく。上橋さんの、特にエッセイが、私は好みのようだ。この間読んだ「生きること、物語ること」は、改めて気づかされることがたくさんありすぎて、どきどきしながら読んだ。今回の「明日はいずこの空の下」も、もう出だしからわくわくしている。彼女のこの、人の描き方が素敵。一方小川さんは、雰囲気を描き出すのがとても上手な作家さん。彼女の作品は、エッセイよりも小説の方が私には合うみたいだ。

ここ数日天気が悪かったけれど、嘘のように今日は晴れた。朝から洗濯機を二回も廻した。洗濯物を干す時というのはどうしてこんなに心がすっきりするんだろう。干した分だけ心が軽くなるかのような錯覚さえ覚える。
今日の空は雲がところどころに浮かんでいて、でもとても眩しい。耳を澄ますと鳥の囀りがそこかしこに。公園の桜が桃色に浮かび上がっている。

春、だ。


2020年04月01日(水) 
このところ眠りすぎて、そのせいで低く頭痛が続いていた。久しぶりに今夜、夜更かししている。
6月の展示に向けて準備を始めた数日前。例年よりずいぶん遅い準備開始。そのせいでちょっと焦っている。写真集は無事刷り上がってきた。少部数だけれど、それでいいと思っている。この写真集はとても私的な内容だから。展示する作品の選定はまだ途中だけれど、だいたい方向性は見えてきた。あとは、展示期間中に催すイベントの準備だけが、滞っている状態。こればかりはひとりで進められない作業だから仕方がない。

日記を再開しようと思ったのは、書くという作業が私から薄れ始めていることに気づいたからだ。書くことが大好きなはずなのに、大好きだったはずなのに、気づいたらこんなところに来てしまっていた。
今恩師が私のこの言葉を聴いたら、きっと呆れるに違いない。何やってんだおまえは、と苦笑するに違いない。
書くことができなくなったことのひとつは、家族に変化があったことで日々がばたばたと慌ただしく、同時に私の解離が酷くなったせいがある。記憶が本当に途切れ途切れで、特に新しい記憶の途切れ方が著しい。そのお陰で相方とも喧嘩になるほど。息子には笑われるだけで済むけれど、相方は冷たい言葉を放つので、そのたび私もかちんと来てしまい、喧嘩になる、という具合。
まぁそれは置いておいて。日々のそうした営みに流されるばかりで、書き留める、という作業がまったくもって滞っていた。写真に収めるくらいがせいぜい。そのことに改めて気づいて愕然とする。あれほど毎日日記をしたためていた自分が一体どうしたんだろう、と。
書くことから一度離れてしまうと、言葉がぐううんと遠ざかって感じられるようになる。以前は苦も無く書き出せたものが、躊躇われ、後ずさり、そして結局書かないままになってしまう。
一日一日はあっという間に向こう側に過ぎ去ってしまうから、後で書こうなんてこともできない。結局そうやって十年近くを過ごしてしまった。

ぽつぽつ、でもいい。
再び日々を記す作業を始めようと、思う。


浅岡忍 HOMEMAIL

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