ささやかな日々

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2022年05月17日(火) 
見事な曇天。鼠色の雲が空全体を覆っている。それは実に重たげで、いつ泣き出してもおかしくなさそうな、そんな様子。早朝ほんの僅か現れた裂け目も、あっという間に呑み込まれていった。朝の陽光を浴びることなどどこへやら、という具合。洗濯物はどうしよう。天気予報の前でじっと固まってしまう。さんざん悩んだ挙句、溜まっている洗濯物をそのままにしておくのも嫌で、一回だけ洗濯機を廻すことに決める。
昨夜はまったく寝床に行く気持ちになれなくて、台所と作業部屋の椅子とを何度も何度も往復してしまった。立ったり座ったり、そうしているうちにたまらなくなって、エスプレッソを淹れてみるなんていう暴挙に出てみたり。一体今何時でしょうかと我ながら呆れたのだけれど、できあがったエスプレッソはもう美味しくて美味しくて。久しぶりというのもあったのだろうけれども美味しくて、にんまりしてしまう。この時刻に呑むエスプレッソはどうしてこんなにも背徳感に満ち溢れているんだろう。でも美味しい。
エスプレッソを飲んだ後すぐ横になったのだが、一時間過ぎた頃ぱっちり目が覚めた。もう「おはようおはよう!」と声に出して言って回りたいくらいすっきり目が覚めた。これは要するにこの時間を何かに使えという神様からの御達しだな、と勝手に思い、早速やりかけの作業にとりかかる。
こういう時というのはたいてい、作業が倍速で捗ると相場が決まっている。謎のやる気に満ち溢れた自分は、そのやる気に押されるような形でどんどん目の前のことを片付け始める。机の上の付箋がいくつも片付いてゆく。
昔本を出した時。担当してくれた編集者とよく話をした。100人の人間に一度きり読まれる本よりも、たった一人に100回読み返されるような、そんな本を作ろう、と。いや、その当時は、正直に正直に言えば、何処か捩じれた気持ちも混じっていた。どうせ私の本なんて売れやしない、それなら、という気持ちがどこかに混じっていた。どうせ売れないんだからせめて、というような。
でも、実際本を出して時間が経つについれて、ひとりに100度読み返される本、ということの意味がずんと胸に迫ってくるようになった。ああ、Nさんはこういう気持ちで私にあの当時このことを言ってくれていたのかな、と、今更なのだが深く感じ入るようになった。そのNさんはもう、この世にはいない。だから、再びこれについてNさんと語り合うことも叶わない。
だからかもしれないけれども。邪念はとりあえず棚上げしておいて、今の気持ちを言えば、必要なひとのところに必要な分だけ届く、そんな本でありたい、と。誰かから誰かへ、何度でも海を渡ってゆけるような、そんな、関係の間に横たわれる本を。今の私なら心の底から、そう、思う。
Nさん、元気ですか。元気でいますか。そっちはどんな具合ですか。私はまだ死んだことがないからまったくもって分かりません。Nさんにとってそこは、心地よいですか。
この間、とある人から連絡があって、「本、まだ読めていないんです、怖くて」と仰っていた。Nさん、そんな「怖い」を私は、ちゃんと理解できていないのです。何がどう怖いのだろう?と、いつも思ってちょっとだけ途方に暮れてしまう。
Nさんが亡くなった後、ほんと、いろいろあったんですよ。Nさんがいてくれたらなあ!と、その道中で何度思ったことかしれません。それなのに、Nさんはもうここにはいなくて。
Nさん、でき得るなら。もう一度会いたいです。会って話がしたい。


浅岡忍 HOMEMAIL

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