ささやかな日々

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2022年04月20日(水) 
粉のように細かな雨が舞う朝。こんなに細かな雨なのに、路面はじっとりと濡れている。散歩から帰ったワンコの背中も。目を凝らさなければ見えないほど細かな雨粒なのに。
三種類あるうちの二種類、ラヴェンダーが咲いている。ビオラは、ここに種を蒔いた覚えはないのだけれどという場所でこんもり茂って、そこでだけ花が次々咲いている。葡萄の芽は、相変わらず小さな小さな掌の様な形の葉を、ぴょんと出して立っている。本当にこの子は育つのだろうか。ビオラやクリサンセマムに取り囲まれて、この子だけこんなにも小さいまま。
ふと見ると、東空、雲の割れ目から、青空が覗いている。

昨日は整骨院へ。骨盤周りの痛みは、先週に比べるとずいぶん軽くなった。が、癒着した箇所は5か所を越えてますねと指摘され、ちょっと驚く。そんなにたくさんの箇所で癒着していたとは。思ってもみなかったというのが正直なところ。頭部の施術をしている先生が、今週はいつ頭痛があったか覚えてる?と訊ねてくる。だから、日曜日と今日、と応える。先生が施術を終え、「触ってみる?」と言うので施術が終わったばかりの頭部に触れてみる。頭が一回り小さくなったかのような、いつもぶよぶよしている部分さえすっきりむくみが取れており、ちょっと感動。私の頭こんなに小さかったっけか、と、苦笑してしまった。

そして今日は、Oさんと久しぶりに会う。彼は性依存症であり、強迫神経症でもある。性依存症が先だったのか、それとも強迫神経症を先に発症したのか、詳しいことは分からない。でも「僕の主治医は、このふたつは密接に関係しあってるって言うんですよ」と言う。
―――と、ここまで書いて、私は席を立ちたくなった。何だかすべてが上滑りしていて、しっくりと自分の内に降りてこない。いくら言葉を羅列しても、まさに羅列しただけで、私の奥にあるものを何一つ説いてくれていない、そんな気がして。いっそすべて削除してしまおうか、そう思う自分もいた。削除は一瞬。簡単にできる。でも。

たった一日書かないだけで、日記の書き方さえ私は忘れてしまったのだろうか。そのくらい、「遠い」気がした。実感が降りてこない。そんな感じだ。いくら百あったことを百並べても、違う気がする。そうじゃない、そうじゃないんだ、と私の内奥が言ってる気がする。
そもそも私は解離性健忘から一日に起こったことをきれいさっぱり翌日には失くしてしまうから、その空白を埋めるためにもと書くことを改めて始めたんだった。でも。
事実をいくら羅列しても。私が思い感じたものの向こう側を思い出せなければ、意味がないんだ。

たとえば、Oさんと会った。それは確かだ。事実だ。でも、Oさんと会ったことで私は何を思ったのか。それが思い出せなければ、いくら正確に、たとえ正確に書き記したとしても、私の空白は空白のままになってしまう。

ああ、そうだ、Nとも話した。17年経って、ふたりいた加害者のうちの一人が、別件逮捕され、余罪追求の末Nの件を吐いた。その加害者がNに謝罪したいと申し出た。しかしNは、何をいまさら、と突っぱねた。それを担当が加害者に告げると、加害者は悪態をついたのだそうだ。旦那が自殺したのは俺のせいじゃない、自殺する奴が悪いんだ、と、鼻を鳴らしたという。
Nは。そのせいで自分を責めていた。同時に怒り狂っていた。当然だろう。彼女にとってみればレイプ犯に自分の心を殺されただけでなく、旦那の命までも奪われたのだ。それを、当の加害者に鼻であしらわれたら。誰だって愕然とするし、怒りも沸点に達するに違いない。
Nと長い時間話した。もし近所に住んでいたらすぐにでも飛んで行きたいくらいだった。でも、横浜と三重とではあまりに遠い。長いこと話して、Nはその間中ぐしゃぐしゃに泣いていた。それもまた、当然のこと。
「姐さん、もし加害者に会ったら私何するか分からない。殺してしまうかもしれないとさえ思う。そのくらい、気持ちが渦巻いてて、今にも吹き出しそうで、たまらない。でも。同時に思うの。17年かけてここまで何とか立て直してきた自分を、もう壊したくない、って。だから私、会いたくない、加害者に。謝罪も受けたくない」。Nのその言葉を私はじっと聴いていた。
彼女がまだ被害から数年しか経っていない頃の、ずたぼろだった頃を知っている。覚えている。いつも声音が震えていて、四六時中自傷していた。それから数年後、「姐さん、今日初めて、手作りのビーズのアクセサリーが売れたの。これからコンスタントにお店に置いてもらえるって!」と電話を真っ先に私にかけてきてくれた、あの時の彼女の声も覚えてる。去年加害者に偶然街中で鉢合わせして、それが引き金で首を括った、そんな彼女もつぶさに見てきた。
だから思う。
彼女が何を選択しようと、私は彼女を支持する、と。
声を上げないことは弱いからじゃない。加害者と対峙しないことも弱いからじゃない。今ここの自分を何より大切にしたいからこそ、その選択をする彼女を、私は誇りに思う。それは、弱さなんかじゃない。彼女の賢さ、だ。17年という年月の重さを、改めて思う。

日記を書く。そこに「たかが」がつくのか、「されど」がつくのか。私にとって書くことはそのまま、自分がこれまで関わって来たひとたちを想起させる。恩師や、私をずっと見守ってくれて来たMちゃんやKちゃんといったひとたちが私のすぐ背後にぼおっと立っているかのような、そんな錯覚。大丈夫、まだ大丈夫、と彼らが私の背中を押してくれているかのような。そんな感覚。
私の解離性健忘が消えて無くなることは、ほぼ、ない。だからこそ、私が為した事実より、思った/感じた何かを、繋いでおきたい。紡いでおきたい。せめてここに。
そして、その感触だけでも、思い出せるように。せめて。せめてそれだけでも。


浅岡忍 HOMEMAIL

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