ささやかな日々

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2021年12月15日(水) 
まだ幼かった頃。家と学校にしか子供の居場所はなかった。その学校で虐められ、家では家で常に緊張を強いられていた私は、自分に適した場所は自分にはないのだと思っていた。自分に適した場所が自分にはない。でもそのどちらかしか子供の居場所はない。私は不適合者なのだ、と、生きることにおいて不適合者なのだと私は自分を断じた。そうすることで、悲鳴を上げたくなる自分を何とか抑え込んでいた。
十代になって。学校が遠方になったこと以外何も変わっていなかった。この世界において不適合者である私は、何処にも居場所が無くて当然なのだ、と、自分をそう見做すことで何とかバランスをとっていた私は、常に過緊張の状態に置かれていた。何処にいても自分が緩む場所がなく、心も体も過覚醒状態、過緊張状態、それがもはや私のデフォルトになった。
私の両親はよくできた人だ。何より社会に適合し、その先頭を突っ走っているような人たちだった。何処に出ても恥のない、むしろ誇らしい経歴の持ち主であり、実績の持ち主であり、それ以外の何者でもなかった。私はその家の長女であり、その家の血を引く子供の筈であり、周りは「あそこのお宅のお嬢さん」と当たり前のように私を見做した。私はいつも、周りからの突き刺さるような視線を感じ、心の何処かで怯えていた。いつかバレるに違いない、私がこの世界において、この社会において不適合者だってことはきっといつかバレてしまうに違いない、と。だから必死に、いつも必死に、取り繕っていた。
十代も半ばになった或る日、「機能不全家族」という言葉と出会った。貪るようにそれに関する書物を読んだ。ようやく自分の居場所が見つかった気がした。精神的虐待、という言葉をそこで知った。
でも。私は、自分が精神的虐待を受けていると自分の内側で思えても、それを認めることはできなかった。恐ろしかった。もし認めてしまったらこの家で生きていけない、では何処にゆけばよいのか、私には分からなかった。この家にいる限り、私は自分が虐待児だなんて、絶対認めてはいけない、受け容れてはいけない、そう自分を制していた。
でも。刻一刻と、限界は近づいていた。
もう無理だ、両親と暮らすことは私にはもう無理だ、と、限界を認め、家を飛び出したのは大学卒業時だ。卒業式を待たずに家を出た。両親の留守中に、黙って家を出た。
はじめて、深呼吸した気がした。はじめて、自分の部屋を自分の「家」と思えた。毎日がどきどききらきらしていた。ああ生きていいんだ、とそう思えた。
私は当たり前のように仕事に打ち込んだ。どんな逆境であろうと、どんと来い、だった。それを私自身が選択したのだ。その選択の責任は私にあり、私は私の人生をようやっと一歩踏み出したのだ、と、そう思い、私は私を追い込んだ。仕事場でどんなに卑しい仕事を強いられても、私は絶対ここから引き下がるものかと踏ん張った。
でもその結果、上司からのレイプに遭い、数か月の性虐待に晒された。
被害から一年経って、私は自分が狂ったのだと思い精神科に飛び込んだ。そこで、医者から言い渡された。あなたは心的外傷後ストレス障害と解離性障害です。当時まだ複雑性PTSDという名称は正式ではなかったが、医者は私に「私が診るかぎり、あなたのそれは重度の複雑性PTSDです」。
私が幼少期体験してきたものは明らかな精神的虐待だったと。ネグレクトと過干渉、酷い言葉の暴力によってあなたの脳は明らかに変異してしまっている、と。機能不全家族という言葉もそこで改めて告げられた。あなたは親を憎んだり怒ったりしていいのよ、とも。それはあなたの正当な権利なのよ、と。
でも。私にはそれができなかった。虐待されたのだ、というところまでは受け容れられても、親に対して憎んだり怒ったりするということが、私にはできなかった。私は、親を求めていた。愛していた。あんな親でも、愛されたいと全身で求めていた。
性被害による傷、親からの虐待による傷、傷を受けたことは確かにそうだと私自身受け容れられた。そこから先が、私には、だめだった。

今、五十を越えてようやく、親との距離の取り方、性被害との距離の取り方が何となく分かって来た。ようやっと、だ。一体何年かかったか知れない。しかもそれらはまだ、解決したわけでは、ない。

何故今更そんな話をしているのかというと。「こども庁」「こども家庭庁」この名称についてのニュースが流れたからだ。「こども庁」と名称が変更されたのには意味があった。それがいきなりここに来て、「伝統的家族観」を重視するため名称逆戻りと。
この伝統的家族観、というものによって、どれほど多くの子どもが追いつめられたことか。家族、家庭を、「すばらしいもの」「あたたかいもの」などと形容するのは個人の勝手だが、「すばらしい」「あたたかい」ものであることが当然、と社会が決めつけるのはあまりにおかしい。私はかつて精神的虐待を受けて脳に異常が現れる程追い込まれた子どもの一人として、言いたい。家族というのは密室の凶器だ、と。その密室の凶器によって夥しい数の子どもたちの命が薙ぎ払われている。その現実を、事実を、なかったことになどしてほしくない。
大の大人になっても、私のように五十にもなっても、幼少期に受け続けた傷を引きずって歩く、かつての「子ども」を、もうこれ以上生んでほしくない。私は、かつて虐待を受けて生き残った者のひとりとして、そう声を上げたい。


浅岡忍 HOMEMAIL

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