| 2021年11月16日(火) |
葡萄の種から芽が出て来た、と喜んでいたら、いつの間にか三つも芽が出てきており。息子とふたり、じーっとプランターを覗き込んでしまった。まさかこんなに芽が出るとは思ってもいず。吃驚だ。 薔薇のうどん粉病のことを母に話したら「人間の使う消毒液をさっとかけると治るわよ」と。これまた吃驚。人間の消毒液はつまり、そんなに強力なのか、と、それにも吃驚。早速試してみることにする。 朝顔の種をせっせと摘んでいる。液肥をやるようになってからの種はみんな太っちょだ。こんなにも肥料で違うものなのだな、と、今更なのだが感心している。固形の肥料ならこれまでもやってきたけれど、液肥がこんなに効くものだとは。
溜まりにはまっちゃったのよ、きっと。 友が云う。 私がちょっと疲れたと零したら、そう云われた。溜まり、か。なるほどな、と思った。よほど私は回遊魚のように思われているのかもしれない。と思って、はっとした。いや、回遊魚なのかもしれないな、と。 型にはめられ過ぎなのよきっと今。友が云う。 ふむ、と頷きながら、自分とその周辺を省みる。
そもそも私は何者なのか。 妻で? 母で? 女? よく分からない。 妻で母で、確かにそういう役目は負っている。 でも。 私は私という一個人、人間であることが私にとっては一番大事で。 そのことを、友の言葉から改めて痛感する。 ああ、私はやっぱり回遊魚だ、と。
せっかく家人や息子が、妻やら母やらという立派な役目を私に与えてくれているのに、私はそれにちっとも満足していない。いや、多少はしている。たぶん。でも、私はきっと、友の言葉を借りれば「窮屈」なのだ。否、居心地が悪いのだ。 私の様な人間が良妻賢母なんて冗談でしょう、と堂々思っている。
疲れている。少し。頭がくらくらする。頭痛とは違う。何と言うか、頭がぼやぼやするのだ。もやもや、ともちょっと違う。重くて、支えきれなくて、ぐらぐらするというか、くらくらするというか。まぁ、そんな感じ。 考えたいことがたくさんありすぎて。なのに私の頭はひとつきりだから、飽和状態で。もはや許容量を軽く超えていて。その、超えてしまってることがきりきりと悔やまれ、じたばたしている。自分のこの狭さ。情けなくなるばかり。
イルカのように泳ぎたい、と書いてきたひとがいた。同時に、イルカのように泳ぐことはできないと知った、だから泳ぎをやめた、と。 私は。 海と友達になりたいから泳ぎを覚えようと思った。覚えて、魚のように泳ぐことはできないけれど、それでも海に少し近づけた気がした。 この差異。どこでどう違いがあったんだろう。角度でいえばたった一度だったのかもしれない、最初の差異は。それが、少しずつ少しずつ角度が開いていって、いつのまにか真逆になっていた、というような。
友が、愛してるよ、と云う。 だから私も、愛してるよ、と返した。すかさず友が、「空疎ね」と笑った。私の言葉はそんなにも空疎だったのか、と、愕然とし、でも同時に、思ったのだ。 私は愛とか恋とか、実はちっともわからない、と。 愛していると言えば私は自分に関わるすべてのひとたちを或る意味愛している。でも同時に、恋してるわけじゃないし、自分が愛したからとてそれに何か期待しているわけでもない。 愛は束縛、と誰かが言ってた。束縛する気がさらさらない人間からすると、束縛したいほど愛せるってすごい、と。そう、思う。
やっぱり疲れてる。頭がじんわり疲れてる。休もう。 |
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