ささやかな日々

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2020年04月03日(金) 
通院日。電車に乗れば誰もがマスクをしている。私はマスクを持っていない。いまだ買えていないから。呼吸するのも申し訳ないような気持ちになる。息をひそめ端っこに座る。
カウンセリングと診察。いつもと同じのはずなのに、待合室はいつもの倍くらい椅子と椅子の間隔を空けており。ああ、今そういう時期なのだなと改めて痛感させられる。

私は、横になる、という動作が苦手だ。怖い。無防備になるのが怖い。それでも休まなければと思い横になれば時として飛び起きてしまう。そうなるともう、そこに居るということさえできなくなってしまう。被害以来、そういうふうになってしまった。もう二十年以上前の話だのに。それでもまだ、元には戻らない。

家を出て、一人暮らしを始めた頃。自分の布団に猫と一緒に横になるのが至福の時だった。日曜日、朝早くからお風呂掃除やトイレ掃除を始め、それが終わったら買い出しをし、帰ってきたら一週間分の作り置きをあれこれ作り。そして夜猫とちょこっと遊んだら横になる。その一週間に一日の、日曜日が、とても幸せだった。
でもそれも、被害に遭って変貌してしまった。

今新しい家族と暮らしているのに、二十年以上も前のことなのに、一度脳に刻まれたものは簡単には消えてくれないらしく。そのことにもはや諦め以外の何物も浮かばないのだけれど、それでも、時折思うのだ。あんなことさえなければ、と。時折、だけれど。

息子が四六時中まとわりついてくる毎日。正直辟易している。ほんの一時間でいい、自分だけの、ひとりぽっちの時間が欲しい。そう思ってしまう。でないと呼吸さえしづらく感じられるから人間って不思議だ。

早く日常が戻ってきてほしい。ついこの間までそこに在った「日常」。
いつもそうだけれど、失って初めて、ひとはそのありがたさに気づくんだ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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