昼食に誰かを待つ日は

2019年09月18日(水)

昨日の晩は異常な眠気に襲われて、帰宅後ほとんど何もせぬまま眠ってしまった。
14時間くらいは眠っただろう。
途中で目が覚めても23時、その次には深夜2時、その次にはまだ5時。
まだまだ眠れる、ああ、と時計を見るたびに安堵しては眠りに落ちた。飽きずに眠り、飽きずに夢を見た。

お前は黒いペンを選ぶのか
それとも白いペンを選ぶのか

序盤の夢のなかで、上の問いが出てきたような気がする。
もっと長い夢だった。内容は思い出せないのに、問われたことだけがはっきりと思い出せる。
私は結局、どちらを選んだのだろう。
これは現実に結びつく夢だと、目が覚めた後の曖昧な時間に感じていたような気がする。

最近見る夢は、抽象的なのにはっきりとしたメッセージが込められているように思う。
勝手にそう思い込みたいのかもしれないが、それでも奇妙なザラザラとした感覚は目覚めた後も残っている。
忘れないようにとメモを書いているうちに、まるで自分が創り上げた架空の物語のようになっていて、曖昧なものが言葉によって意味付けされていってしまう。
それはそれで、そうかこういうことだったのかと、書いているうちに気がつくこともある。
けれど、ザラザラとしていたものがツルツルになっていくのは違和感があって、
そもそもの大事なメッセージや抽象的なイメージが塗りつぶされて、本来あったものが綺麗さっぱり失われている。

夢は、自分だけが見るものだから他人にとってどうでも良いことだ。
夢の共有などしたところで意味がない。


私は来年の目標に、
・有意義になりそうなことからなるべく手をひく
・無駄なことに時間を費やす
・なるべく人の役に立たない存在に
という三か条を掲げた。


無駄なことをするためには時間が必要で、人の役に立たない無駄なことをするためには時間が必要で、誰からも見られていないところに時間をかけることには時間が必要で、だからあらゆるものを取捨選択することになる。決して楽をするために掲げた目標ではないのだが、見た限りは下等な人間の考えだ。私は下等な人間だけれども。


意義のあることってなんなのだろう。
人の役に立つとはどういうことなのか。
無駄のない生活などあるのだろうか。

いろんなことを私はまだまだ知らない、だから探したいし、知る努力をしたい。
ひっそりと、静かに、誰の目にもつかないところで。


あまりにも明すぎやしないだろうか。
あまりにも、明るみに出ていることだけに盲信してしまいがちではないだろうか。
どこもかしこも清潔で明るく、全てが綺麗に揃えられ、見えるものすべてに意味が張り付いている。
私はそういう場所が、とても生きにくい。

今はもう部屋に帰ると小さな小さな電球をひとつだけつけて、その灯りで充分。
床の上に乱雑に置かれ、かすかに埃にまみれた本たちを好きな時に好きなように手に取る。
ときどき声に出して読む。生きていくのに必要な行為ではないかもしれない。
何も生み出さないし、誰の役にも立たない。

でも私にはこの時間が必要で、無意識に、
きっと来年はもっとこういう時間を増やさなくては逃げ場がなくなると、危機感を感じている。

慣れたくないのです。
こんなに、何もかもが偽りで覆い尽くされているような、
何かでなくては認められないような、
厚さも重みもない、薄っぺらな何もかもに。


ところで、コインランドリーで本を読むのはやっぱりとても良い。


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左岸 [MAIL]