昼食に誰かを待つ日は

2019年09月19日(木)



今日は無駄なことがあまりできなかった。
真面目に仕事をしていたと思う。


社長が眼帯を付けていた。目が痛いのだという。
かわいそうだけれど、似合っていた。もう少し見ていたい。


今日は完全に秋の空をしていたし、秋の匂いがした。
このことに気がついたひとがどれだけいるんだろうか、と自転車を乗りながら考える。
折坂さんの歌は、秋に似合っている。たった15分間の道のりだったけれど気持ちが良かった。


昼間はバナナを食べた。
あまりに熟れていたので、皮がヘニョヘニョに柔らかくなっていた。
味は普通に甘かったけれど。
そしてかぼちゃのスープ(粉末状のもの)を、自前のサーモスに入れて飲む。
職場にはいつも誰かしらが持ってきてくれるおやつが用意されていて、
今日は黒糖だった。大好物なので、おやつタイムに頂いた。


無駄なことをしていないなあ、と思いながら仕事をしていたので
終わってからは早く家に帰って無駄なことをしよう、とウキウキしていた。


そしてさっきまで、
読めもしないロシア語を書き連ね、発したことのない単語の音を口から発し、
ああ誰の役にも立っていない!でもたのしい、と満ち満ちた気持ちになった。


これで充電完了である。
それからはベランダでただ鈴虫の音を聞く。
日本人は、虫の音を音ではなく言葉で捉えているそうだ。
欧米人は虫の音にも気がつかないが、日本人は母音を使うために虫の音も言葉のように聞こえるのだという。


古来から日本の詩や歌には自然の音が多く含まれているのは、
そのせいもあるのだろうか。


どちらにせよ、聞こえないよりかは聞こえたほうが楽しいことは確かだ。
季節にも敏感になる。「自然に耳を傾ける」という概念は、もしかすると稀なことなのかもしれない。


今日もさっさと眠れたらいいなあ。
いまは隣人の洗濯機の音が、ただただ響いている。
だけど私は洗濯機の回る音が好きだから別に良い。


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左岸 [MAIL]