ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年09月26日(土) 愚か者の記

明るい曇り日。トンビが旋回しているのがくっきりと見える。

爽やかな風が吹きほっと過ごしやすい一日だった。


「詩記」むかしこの日記をそう名付けて

同人誌に掲載してもらっていたことがあった。

詩のような日記であり季節の「四季」も感じられるように。


それが今はこんなありさま。もうそんな感性はまったくない。

ずいぶんと落ちぶれてしまったものだと嘆きたくもなる。

それでも書きたい。書かずにいられない愚か者であった。

いつかまた読み返す日のために。それ以外の理由があるだろうか。


仕事の合間に短歌と詩の原稿を送信する。

相変わらずの拙いものだけれど活字になるのはやはり嬉しい。

自己満足で終わってもいい。これがわたしなのだと思う。


ついでに高知県芸術祭の詩部門にも応募する。

入選などするはずもない。ただの紙切れになるのは目に見えている。

それでも認められたい欲。ああほんとうに私はなんと愚かなことか。


ふとこのどん底こそがと思う。そうでなければ這い上がれない。

突き落とされてもがきながらも見上げる空があるのだろう。


手を伸ばせば届く空など「空」であるはずがない。

空は高くはるかに遠いからこそ「空」なのだとおもう。


般若心経の「空」「くう」もきっと同じなのだろう。


あああ。いったい何が言いたいのかわけが分からなくなった。



2020年09月25日(金) いってらっしゃい

夜明け前まで雨。まるで踊っているような歌っているような雨だった。

「ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん」口ずさみながら詩を書く。

私はまだ崖っぷちにいるのだろうか。

暗いトンネルの中を歩いているのだろうか。

ふとそんなことを思ったりしながら

いったい何に拘っているのだろうと自問自答する。


はっきりと確かな事であってはいけない気がした。

おぼろげで不確かな事だからこそ書けるのかもしれない。



雨のち晴れて爽やかな秋の空が広がる。

お昼休みに手紙を書いた。言葉足らずになってしまったけれど

きっときっと伝わるだろうと信じてみようと思う。

ポストに落ちる時「ことん」とちいさな音が聴こえた。


はるかな海を渡って旅をする手紙のささやかな息づかいかもしれない。


「いってらっしゃい」そう声をかけた午後のこと。



2020年09月24日(木) じゃんけんぽん あいこでしょ

ぽつぽつと雨の一日。なんだかほっとするような雨の音。

優しい雨でよかった。こころの何処かが乾いていたのかもしれない。



仕事から帰宅するとポストに詩誌が届いていた。

「ぶーさーしっ」の記念するべき第一号だった。

沖縄の言葉で「じゃんけんぽん」と言う意味なのだそう。


某SNSでその詩誌が作られることを知り

編集をするめいさんに是非にとお願いしていたのが

ついに出来上がり真っ先に届けてくれたのだった。

思いがけなかったのは手紙が同封されていたこと。

それがどれほど嬉しかったことだろう。

感激で胸がいっぱいになり思わず涙ぐんでしまった。


めいさんは私と出会ったことを決して忘れてはいなかった。

随分と歳月が流れたけれどそれはまるで昨日の事のように。

そうしてその縁が今でもささやかに繋がっていることが

なんだか奇跡のように思えてならない。


じゃんけんぽん あいこでしょ

ふとそう口にする。それは向き合わなければ叶わないこと。


届いた詩誌の最後にめいさんの詩があった。

こころがふわりとあたたかくなる。


あしたわたしも手紙を書こう。





2020年09月23日(水) おどろきの栞

曇り日。朝の肌寒さはなく日中は蒸し暑さを感じる。

もう夏の名残を感じることもないだろうと思っていたけれど

忘れ物があったのだろうか。そっと置手紙を残して行く。


私はそれを読まない。読めばきっと哀しくなってしまう。

それよりもすくっと前を向いて秋の風に吹かれていたいのだった。




連休明けのせいか仕事がとても忙しかった。

ばたばたと走り回って昼食もまともに食べられない。

お腹が空くとついつい苛立ってしまうのは悪い癖だった。

義父に来客があり話し込んでいるのを横目で見ながら

事務所のパソコンの陰に隠れて急いでお弁当を掻き込む。

たまにはこんな日もあるさと少し愉快でもあった。


定時では終われなかったけれど帰り道に公民館の図書室へ。

図書館ではなく図書室と言うのがなんとなく気に入っている。

なんだか高校時代の図書室を思い出してしまうのだ。

読了した本を返却してまた新しい本を借りることにする。

どれにしようかなと迷うのもまた楽しいものだった。


一冊の本を手にしてそれはそれは驚く。

なんと本の間に一万円札が三枚も入っていたのだった。

係の職員の人にすぐに伝えたのは言うまでもない。

お札を栞代わりに使う人がいるらしい。でもなぜ三万円も。

栞にしてはあまりにも大金でひたすら驚いた出来事だった。


迷ったあげくその本は借りずに他の本を借りた。

「幸田文」の本。今まで一度も読んだことのない作家さんだった。


きっと新鮮な文章に出会えることだろう。そんな気がしてならない。

書くことばかりこだわっていた私のささやかな進歩だった。



2020年09月22日(火) 思い出と言う名の日

晴れのち曇り。朝の肌寒さもつかの間で秋らしく過ごしやすい一日。

秋分の日。母方の祖母の命日でもあった。

もう15年ずいぶんと歳月が流れたけれど

祖母の思い出は今でも鮮やかにこころに残っている。


愛子と言う名のお茶目でそれはそれは優しいおばあちゃんだった。

七輪で小豆をことことと煮ては「おはぎ」を作ってくれた。

私はそのおはぎが大好きで何個平らげたことだろう。

もう二度と食べられないその美味しいおはぎが懐かしくてならない。




娘夫婦が仕事だったので孫たちと過ごしていた。

「ひま、たいくつ」を連呼するめいちゃんに手を焼いていたら

ふたいとこのまあちゃんが遊びに来てくれて大助かり。

ふたりとも外遊びをしたがるので近くの公園へ連れて行く。

まるで子犬のように走り回る姿のなんと微笑ましいこと。

追いかけながらふうふうと少し疲れたけれど楽しいひと時だった。


ふとこれも思い出になるのだろうかと思う。

まだ6歳のめいちゃんにはほんの些細なことだろう。

幼い頃の記憶はよほどのことでない限り忘れてしまうものだった。


そう思うと私はまだまだ未熟なおばあちゃん。

孫たちのこころに残るような事を成し遂げてはいないのだろう。


公園からは海が見えた。私にはそれがささやかな思い出になる。



2020年09月21日(月) 試していただきましょう

夜明け前には満天の星空。そうしてぐんと肌寒い朝となる。

後で知ったのだけれど北海道並みの冷え込みだったよう。

それでも日中は陽射しに恵まれ秋らしい一日となった。



午後から川仕事へ。ふたりで一生懸命頑張って漁場の準備。

最後の竹杭を打ち終わった時には「やったね」と心地よい達成感。

ふたりともムツゴロウのように泥まみれになっていた。

「川仕事」と一言で言っても理解しがたいと思うのだけれど

青さ海苔の養殖業は下準備がとても大変なのだった。

漁場の準備が終われば今度は種付け。そうして漁場に網を張る。

その網も最初は5枚重ねで海苔が育ち始めたら一枚づつにする。

冬になったらそれを行い春先の収穫をひたすら待つのだった。


もう40年近くそれは毎年の事で慣れてはいるけれど

いつまでも若くはない。もはや体力勝負となってしまった。

腰痛持ちのじいちゃん。職場との二足の草鞋を履いたわたし。

もう限界だと今まで何度思ったことだろう。

それでもやってやれないことはなかったと今はそう思える。


ひとは試されるために生まれて来たと言っても他言ではないだろう。

ならば試していただきましょう。出来るのか出来ないのか。


ひと山ひと山越えて行くそんな人生も張り合いがあってよしかな。



2020年09月20日(日) 金メダルをあげたい

夜明け前まで雨が降っていた。ずいぶんと肌寒い。

「やみますように、やみますように」と祈っていたら

夜明けとともにやんでくれてほっと空を仰ぐ。


今日はあやちゃんの運動会。どれほど楽しみにしていたことか。

コロナ禍で午前中のみの開催だったけれど

心配していた観客制限もなく家族皆で応援に行くことが出来る。


100m走や親子競技、「よさこいソーラン踊り」など

最後にリレーがあってそれはそれは一生懸命の走りを見せてくれる。

走るのがあまり得意ではなくて追い抜かれそうになった時

顔を真っ赤にして歯を食いしばるようにして走る姿に感動した。

皆で声を張り上げて応援する。気がつけば目頭が熱くなっていた。

バトンを渡すまで諦めずに走り抜いてほんとうにえらかったと思う。


おっとりとした性格で決して負けず嫌いではないあやちゃん。

努力家で根気強い性格がきっとそうさせたのだと思う。


一生懸命頑張ったあやちゃんにおばあちゃんは金メダルをあげたいです。


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