ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年09月19日(土) ちいさな「猫の手」

曇り時々晴れ。爽やかな風が吹き秋らしさを感じる。

彼岸の入り。亡き人達を偲びつつ空を仰ぐ。

明後日は祖母の命日でもあった。



明日は小学校の運動会であやちゃん平常授業の土曜日。

めいちゃんも保育園へ行きお昼前にお迎えに行く。


今週は月曜日からずっと一人で川仕事を頑張っていたじいちゃん。

あと3日もあれば漁場の準備が整いそうだと言うので

めいちゃんを連れて少しでもと手伝いに行っていた。

干潮時だったので川の水はすっかり引いておりほっとする。

めいちゃんも長靴を履いてちいさな「猫の手」になる。

さすがにもう6歳。少し教えただけですぐに要領を得る。

「やればできる」それを身をもって教えてくれたのだった。

すごいなあと感心する。おかげで今日のノルマを達成出来た。


川から帰宅するなりふたいとこの「まあちゃん」と仲良く遊ぶ。

土手の道を自転車で走り回り河川敷にも行っていた。

川沿いの一角には白い彼岸花が満開になっておりそれは綺麗。

そのひと花をめいちゃんが手折ってしまったので

毒のある花なのだと教える。遠い昔、祖母が私に教えてくれたように。

実際には根に毒があるのだと言う。だから昔は墓地に植えられていた。

土葬だった時代に愛しい亡骸をモグラや鼠から守る為だったと聞く。

幼いふたりにそんな話をする。きっと忘れないでいてくれるだろう。


あどけないふたりの笑顔。川風が心地よく吹き抜けていく午後のこと。





2020年09月18日(金) やっと救われた日に

曇り日。思いがけずに気温が高くなり真夏日となる。

おそらく夏の最後の日なのではないだろうかとおもう。

明日はもう彼岸の入り。きっと後戻りは出来ないだろう。


蒸し暑さの中にたくさんの赤とんぼを見た。

昨日は雀。今日はとんぼ。職場の庭はなんとも楽しい。

見ているだけで癒されるありがたい光景なのだ。



某SNSでとても嬉しいことがあった。

いや嬉しさを通り越してやっと救われたのだとおもう。

諦めずに短歌や詩を書き続けていてほんとうによかった。


ずっと無視されていると思っていたし惨めでならなかった。

それでも書き続けることでか細い糸にしがみついていたのだと思う。

それはいつ切れてしまってもおかしくないほどの縁だったのだろう。

私のような無名の者が「身の程を知れ」と言い聞かしてきた日々。

どれほど心細くどれほど不安であったかと誰が知ろうか。


今日ほど救われ今日ほど励みに思ったことはない。

めいさんほんとうにありがとうございました。



2020年09月17日(木) わたしも雀一羽の雀

小粒の雨が降ったりやんだり。傘は要らないほどの雨。

思いがけずに気温が高くなり蒸し暑くなった。


稲刈りの終わった田んぼがまた緑色になる。

それは田植えの終わった頃の光景に似ていて

なんだかはっとするような鮮やかさだった。

刈られても芽が出る。稲はとてもたくましい。


私はと言えば刈られたまま。きっと雀色なのだろう。

芽を出したいけれどそれが出来なくて少しむなしい。

このまま枯れてたまるものかと思ってはいるのだけれど。

雀色には雀色の生き方があるのだった。たとえば「いま」



そうそう雀と言えば今日仕事中に義父が外で叫ぶので

何事かと慌てて外にとび出してみたら

それはそれは沢山の雀が群れをなして庭の水溜りで水浴びをしていた。

「見てみろや、可愛らしいもんだな」なんと穏やかな義父の笑顔。

雀達は羽根をばたばたさせながらそれは気持ちよさそう。

義父とふたりでしばし見入る。なんとも穏やかなひと時だった。

そうして義父の優しさを感じる。こんなにも優しいひとだったのだ。



私も一羽の雀。群れるのは苦手なので仲間はいない。

水浴びもひとり。空を飛ぶ時もひとりが好きだった。

お気に入りの木にとまって「ちゅんちゅん」と歌う。

その歌声に聴き入るひともいない。まるで空気みたい。


雀も老いたら死ぬのだろうか。何処で死ぬのだろうか。

きっと最後の最期まで歌い続ける人生なのだとおもう。





2020年09月16日(水) 雨音がぽつんぽつん

曇りのち雨。ぽつぽつと小雨で優しい雨になる。

秋雨前線だそう。もうそんな季節になったのか。

一雨ごとに秋が深まっていくのだろう。

彼岸の入りも近くなった。もう夏の名残を感じることもない。



仕事でお客様の車を引き取りに行ったら

オーディオから演歌が流れて来て聴き入っていた。

その女性歌手が誰なのかも分からなかったけれど

しんみりと心に響くとても好い曲ばかりだった。

ふと母を想う。母に聴かせてあげたいとおもう。



定時で仕事を終わらせてもらって帰宅。

あやちゃんがピアノの練習をしていた。

家からピアノの音が聴こえるのも良いものだった。

普段からあまり練習をしないのだけれど

いつの間にか上手になっていておどろく。

水曜日はピアノ教室の日。笑顔で送り出した午後のこと。


やがてめいちゃんが帰って来てにぎやかになる。

夕飯には自分でおにぎりを作るのだと言ってそれはたくさん

小さなおにぎりだけれど9個も作って全部平らげる。

そうして体重を測りに行くのがなんとも愉快な光景。

一週間前にはまだ食欲もなく下痢も続いていたのが嘘のよう。


娘が今夜からまな板の熱湯消毒を始めた。

用心に越したことはない。もう二度と食中毒があってはならない。

「おばあちゃんは雑だから」と言う。確かにその通りだった。


今夜もお風呂上がりのはしゃぎ声を聴きながらこれを記し終わる。

雨音がぽつんぽつん。とても平和な夜だこと。





2020年09月15日(火) 寝耳に水のよう

晴れのち曇り。朝は少し肌寒いほどになる。

日に日に秋が深まっているのだろう。

うろこ雲に彼岸花。やがて秋桜の季節がやってくる。


「おばあちゃんはやく」めいちゃんに急かされて保育園へ。

早く行って竹馬の練習をするのだそうだ。

もう70センチに乗れるようになったのだと得意顔で話してくれる。


山里の職場に着くなりけい君の担任の先生から電話。

心配事がまた増える。ここに詳しくは書けないけれど

まだ一年生のこと。どうか温かく見守って欲しいと願うばかり。

けい君はけい君なりに一生懸命がんばっているのだと思う。



先日のめいちゃんの検便の結果が分かり娘が病院へ行っていた。

なんとあの熱と下痢は食中毒の一種だったのだそうだ。

「カンピロバクター」と言う細菌が見つかったということ。

もうすっかり元気になっているので今となっては寝耳に水のよう。

それにしても抗生剤無しでよく乗り越えたものだと思う。


我が家の食事が原因だとしたら今後も厳重に注意しなければいけない。

家族で一番幼いめいちゃんが犠牲になってしまったのだ。



お風呂上がりのはしゃぎ声。こんなにも平穏な夜に。





2020年09月14日(月) ずっとずっと大好きだよ

ひんやりと肌寒い朝。

夜明け前の窓辺できりりっとした風に吹かれる。

秋の深まりを感じながらふと

自分は何処に向かっているのだろうとおもう。

それはきっと行ってみないとわからないところ。

老いたこの身にも未来というものがあるのだろう。




めいちゃん6歳の誕生日。

家族みなでささやかにお祝いをする。

娘たちと同居を始めてから生まれた子なので

私も育児の片腕を任されて随分と奮闘したものだった。

ミルクを飲ませたりおむつを替えたり泣けば抱っこしたり

懐かしく思い出しながらもう6年と歳月の流れを感じる。

来春にはもう一年生。ほんとうに早いものだとおもう。


明るく素直で優しい子に育ってくれた。

時々かん虫を起こすけれどそれも愛嬌だとおもう。

誰に似たのか負けず嫌いの性格もまた頼もしいものだ。


めいちゃん生まれてきてくれてありがとう。

大好きだよ。ずっとずっと大好きだよめいちゃん。





2020年09月13日(日) 夕風に吹かれながら

曇りのち晴れて爽やかな秋空となる。

うろこ雲がまるで魚の群れのように空を泳ぐ。

空を見あげているとなんとちっぽけな自分なのだろう。

それでも生きている。そうおしえてくれるのも空だった。



昨日出掛けていたので今日はステイホーム。

特にすることもなくのんびりと怠惰に過ごす。

海苔の漁場の様子を見に行っていたじいちゃんが

お仲間さん達がもう杭を打つ作業を始めていると言う。

早朝からその気になっていたら出遅れることもなかったけれど

今日はもう諦めることにした。心の準備も出来ていない。

身体の準備もだった。肉体労働に耐えられる自信もなかった。

とうとう来る時が来たか。やるっきゃないのだと少し喝を入れる。



午後4時過ぎ、娘たちが庭でバーベキューを始める。

まったくの予定外でお肉も足らず急いで近くのお店へ買いに走る。

とうとうそのまま庭で夕飯となり思いがけずに楽しかった。

夕風に吹かれながら家族の笑顔。こんなに幸せなことはない。

「またやろうね」と娘が言ってくれてとても嬉しかった。








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