2019年10月19日(土) |
みかん日和になりました |
雨のち晴れ。早朝には激しい雷雨だった。
やがて青空が見え始めた時にはほっと胸を撫で下ろす。
被災地の報道は今日も殆どなかった。
マスコミが伝えてくれなければ何もわからないもどかしさ。
職場は休みではなかったけれど私だけお休みを頂いていた。
電話を私のケイタイに転送にしているので対応は出来る。
自宅待機のようなもので仕事からは離れられない。
今朝は久しぶりにめいちゃんを保育園に送って行く。
途中の良心市で地元産のみかんを買った。
みかん大好きのめいちゃんの嬉しそうな顔。
あやちゃんは参観日でいつも通りに学校へ。
午後からの参観に娘と一緒にめいちゃんも付いて行く。
じいちゃんとふたりのんびりの午後だった。
テレビを見たりお昼寝をしたり相変わらずの怠け者。
夕方娘たちが帰って来てめいちゃんは早速にみかんを。
おいしいと言って3個も食べてそのまま寝てしまったよう。
「ばんごはんよ」と呼びに行ったらぐっすりと眠っていた。
なんとあどけない寝顔だろう。愛しくてたまらなかった。
2019年10月18日(金) |
恵まれているのなら尚更のこと |
雨の一日。午後には不安になるほどの大雨が降る。
東日本も雨だったようだ。被災地の様子が心配だった。
報道が日に日に少なくなっているのではないだろうか。
遠ざかるのではなく寄り添って欲しいと切に願う。
こころはまだまだ痛み続けているけれど
自分に与えられた日常のことを全うしなければいけない。
仕事のこと家族のこと大切なことを守らなければいけない。
恵まれているのなら尚更のこと日々を愛しもうとおもう。
土砂降りの雨が降ってあやちゃんが心配になり
下校時間に車で迎えに行ってあげようと思っていた。
そうしたら雨が小降りになってくれてもう大丈夫かなと。
午後4時半、「どうしてむかえにきてくれなかったの」と
ぷんぷんとご機嫌斜めで帰って来た。
風が強かったので傘を差していても濡れたのだそうだ。
じいちゃんが「それも試練だぞ」と言ったものだから
「しれんってなによ、わけわからん」と怒るあやちゃん。
そんなやりとりも微笑ましい。日々が成長なのだ。
今日も娘の帰宅が遅かったけれど夕飯はそれなりに整う。
食後の食器洗いを半分残して先にお風呂に入った。
私がやらなくちゃとなるべく決めつけないようにしている。
娘が黙って洗ってくれる。それが我が家流の家事のひとコマ。
今日も平穏な一日をありがとうございました。
やっとそう言えるようになった夜にこれを記す。
2019年10月17日(木) |
日々をたいせつにていねいに |
晴れのち曇り。朝と日中の温度差が10℃もある。
明日は雨になりそう。被災地の天候がとても気になる。
どうかどうか降り過ぎませんようにと祈るばかり。
午前中は職場。午後から川仕事を済ませ病院へ走る。
慌ただしい一日だったけれど疲れは感じていない。
川仕事もやっと一段落。海苔の種付けが今日で終わった。
じいちゃんが数日前から微熱があって心配していたけれど
今日はもう大丈夫と一緒に作業が出来て良かった。
病院はいつものようにお薬を処方してもらうだけ。
待ち時間がながく待合室で居眠りをしてしまう。
尋常ではない眠気を一度よく診察しましょうと
お医者様が言ってくれたけれど丁重にお断りする。
病名は要らない。ただの怠け者なのだと思いたい。
あやちゃんが重いランドセルを背負って
ふうふう言いながら帰って来る。
「ただいまあ」の声が嬉しい。「おカエル〜」と迎える。
娘は遅い帰宅でめいちゃんも延長保育をお願いしていた。
一人でも出来るぞと頑張って「酢豚」を作った。
「酢豚久しぶりやね。何年ぶりやろう」と娘が喜ぶ。
「5年ぶりやね」と私が言ってみんなで大笑いになった。
家族の笑顔がとても愛しい。
平穏無事のありがたさをしみじみと感じた夜になった。
ある日突然にどんな災いに見舞われるか分からない。
覚悟はしていてもいったいどう対処すれば良いのだろう。
恵まれていることに感謝しながら不安から逃れられない。
だからこそ日々を大切に暮らしていきたいと思うこの頃。
2019年10月16日(水) |
負けないでいてくださいね |
少し冷え込んだ朝。西の空にぽっかりと浮かぶ白い月。
優しさってなんだろうとふと途惑いそうなこころに
それは「だいじょうぶですよ」と語り掛けてくれた。
じぶんを責め続けていてはいけない。
自分が信じてあげなくて誰が信じてくれましょうか。
出来ることをと思う。どんなに無力でも祈ることは出来る。
少しずつだけれど日常の事にふれられるようになった。
今日はめいちゃんが「みかん狩り」に行っていて
「おばあちゃんおみやげ」と言ってたくさんのみかんを。
誇らし気な満面の笑顔に私も微笑まずにはいられなかった。
もうそれを心苦しいとは思わなくなっていた。
平穏な日常がどうして罪になるのだろうか。
みんなそれぞれに与えられた場所があり精一杯に生きている。
辛い現実に肩を落としていてもきっと光が射す時もある。
まだまだ暗くても陽は昇り「きょう」と言う日が訪れる。
「きょう」が終われば「あした」が必ずやって来るのだ。
生きてさえいれば。希望は誰にも平等に持つことが出来る。
どうかあきらめないでください。負けないでいてくださいね。
2019年10月15日(火) |
どうか希望をどうか前を向いて |
本日も晴天なり。25℃の夏日だったけれど暑さは感じず。
南海上にまた熱帯低気圧が出来たようだ。
いったい日本はどうなってしまうのだろうか。
むかしネット上で「不幸好きの女」とさらされた事があった。
私の日記を読んでのうえの率直な批判だったと受け止める。
ここ数日の私もそうだったのかもしれないと
また改めて自分を見つめる機会を与えられたようにおもう。
みんなほんとうは心を痛めているのだと思う。
ただそれを言葉にしないだけなのかもしれないと気づく。
「嘆き」はなんの救いにもならないことを知っているのだ。
それがひととしての「つよさ」だとしたら
私はなんとよわい人間なのだろうとおもうのだった。
痛みをともに感じ寄り添うことの大切さは変わらない。
ただ被災された方達がともに嘆いて欲しいと願っているだろうか。
もしかしたら「負けないで頑張りましょう」と
「くじけないで前を向きましょう」と言って欲しいのかもしれない。
こころの痛みはいまだ癒えない。
だからこそ出来ることをとずっと考え続けています。
2019年10月14日(月) |
ひととして出来ることを |
爽やかな秋晴れ。日中はほぼ真夏日となる。
被災地にまた雨が。なんと容赦ないことだろう。
やっと水が引いて復旧に取り掛かり始めたというのに
もう雨はたくさんと誰もが憔悴し切っていることだろう。
天よどうか鎮まってください。雨を降らさないで下さい。
中学生くらいの男の子が家族と一緒に復旧作業をしていた。
泥だらけのスニーカーがなんとも痛々しく見えたけれど
その男の子は精一杯に微笑んでいてふっと救いを感じた。
起きてしまったことはどんなに嘆いても消えはしないのだ。
それよりも前を向いて立ち向かっていかなければいけない。
とにかくエールをと思う。それ以外には何も出来ないのだもの。
某SNSでは私と同じように心を痛めている人もいるけれど
まったく関係ない事と平然としている人が多い。
中にはあまりにも心ない書き込みも見られて憤慨さえ覚える。
それがどんなに不謹慎なことかと感じるのは私だけだろうか。
平穏な日常を楽しむのは良いけれど一言で良いのだ。
被災された人達に声をかけてあげられないのだろうか。
ひととして出来ることをと望まずにいられない。
人間性を疑う。「あなたは人間ですか」と問い質したい。
「今日も素敵な一日を」おそらくスマホではその言葉が
毎日簡単に書き込めるようになっているのだろう。
たとえそうだとしても躊躇するべきではありませんか。
私の憤慨と不快感は頂点に達し今朝はとても哀しかった。
傍観者であってはいけないのです。
ひとりでも多くの人に今は寄り添って欲しいと願っています。
2019年10月13日(日) |
日にち薬が必要に思う |
強風もおさまり穏やかな秋晴れとなる。
夜が明けるなり台風の甚大な被害が報道され
言葉に出来ない苦しさと心の痛みに苛まれていた。
各地の河川の氾濫。水没したたくさんの家々。
必死の思いで助けを求める人々の姿。
あまりにもの惨事に辛くてならない一日になった。
「いつものようにしていればいいよ」
東日本大震災の時にそう声をかけてくれた友の言葉も
とても遠く感じた。どうして平然としていられようか。
なにもかもが不謹慎に思えてどうしようもない。
一日も早い復旧を祈りながら日にち薬が必要に思う。
難を逃れられたことがこんなにも辛いことだったとは。
こころが重い。いまある平穏が心苦しくてならない。
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