My life as a cat
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2005年07月30日(土) 夏の夜の風

パース繋がりで日頃日記を楽しみに読んでいるくれあさんと会うことになった。定時で仕事を終えてよく行く居酒屋に寄って一応予約を入れ、とことこと銀座三越前のライオン目指して歩いた。そしてゆかたでライオン前にいるくれあさんを見つけて少し驚いた。想像していた雰囲気と違うこと、聞いていた年齢よりも見た目が若いことと、黒木瞳張りの小粒美人なことに。とりあえず「老舗」といった雰囲気の喫茶店に入り、ブランデーの味のしないブランデー入りミルクティを飲み、ここでお土産を頂いてしまった。黒猫や浴衣やサンダルの夏色イラストのシールや手拭い、魚の形の包丁研ぎなど。ゆかたを来た女の人の巾着からこんな物がでてくるのがなんだかわたしをとても楽しくさせた。

予約しておいた居酒屋に移動して、すくい豆腐にアボカドと湯葉のお刺身、いさきのカルパッチョなど涼しい物をつまみながら日本酒を飲んだ。そうそう、どんな人を想像していたかというと、日記で拝見するくれあさんはとても冷静で物事や感情を簡潔に要約するのがうまいので無口でわたしが10個くらい言葉を並べて喋っていることを「要する**ということでしょ」と一言で返されてしまうような雰囲気を想像していたのだけれど、一言一言に反応してくれる気さくなオネエさんだったので安心した。くれあさんは趣味や興味も多彩で「主婦」の生活をきっちりと楽しんで暮らしているように聞こえた。わたしは年上の女の人の辛い姿とかを見ると本当に辛くて、楽しい姿を見ると希望が沸く。きっと無意識に自分の将来を楽しそうな年上の女の人に重ねたがっているからだと思うけれど。

毎日冷房がガンガン聞いたオフィスから季節の見えないビル郡を見下ろして過ごしていたから今日はゆかたを着たくれあさんに夏の夜の風を送ってもらい、わたしにも楽しい夏がやってくるような予感がした。くれあさん、楽しい時間をどうもありがとう。


2005年07月25日(月) お待たせしました

最近仕事で地方の小さな会社に電話をかけることが多い。大抵は4コールから6コール待って「はい**です」とあちらが電話にでる。わたしの中の常識ではこれは至って普通だが、わたしが働いている「立派な上場企業」ではこれは許されない。電話は2コール目までに「お電話ありがとうございます。**、**事業部の**でございます。」ととること。万が一それよりも待たせてしまったら、お待たせしましたと詫びること、、、などなど。電話の取り方もきっちりと研修を受けている彼らはしっかりとマニュアル通りの応対をする。

が、わたしは「お待たせしました」と自分の口から発する度にこの忙しい社会に疲れてしまう。受話器を持ったまま3秒長めに待ってしまうことが長い人生の中で彼らに何かダメージを与えるのだろうか。そう思ってしまうからわたしの「お待たせしました」には何の感情もこもっていない。

日本社会ではことあるごとにこれを言われる。朝の電車はたった1分遅れで到着したことを何度も詫び、「お客様に大変ご迷惑をおかけしました」と言う。そんなに急いでどこへ行くんだろう。予定がぴったり予定通りに進まなければ瞬発的に「まずい!」と思わせられてしまうこの社会。物事が予定通りに進んでいる時の爽快さと引き換えにそれが狂った時、人々は必要以上に動揺してしまう。だから先日の地震で電車がストップしてしまった時、駅員に詰め寄る人々の剣幕は凄まじかった。福知山線の電車脱線事故はこんな世の中に待ったをかけたように思えたが、それでも日本人の急ぎ足は止まらない。


2005年07月23日(土) 地震

まったりとした土曜日の出勤。ぱらぱらと人が帰り始めた頃、突然すごい揺れが起きた。地震だ。新しいビルは揺れを吸収するようにできているというけれど、本当にすごく揺れる。ただでさえ土曜の出勤はわたしにはかなりキツイというのに、さらにこんなことがあると心まで萎える。早く家に帰ってのんびりしようと定時に切り上げたものの、電車もバスも全てストップしていた。タクシー?ホテル?とりあえずカフェに入り、本を読む気力もなく1時間ぼんやり道行く人を眺めた。地震を体験したことのないマーティンが沢山メールを送ってくるので(ヨーロッパのマーティン母もニュースを聞きつけて心配しているという)返信していたら電池も切れてきて、世界に遮断された気分になった。駅までとぼとぼ歩いていると女の子に道を聞かれたので現地までつれていってあげた。駅は人であふれかえっていて駅員に詰め寄る人々に混じってわたしも自分の電車を確かめなければならなかった。この時点で20時。なんとか少しづつ復旧している電車に乗り家路に向かうことにした。が!これが地獄の始まりだった。大袈裟?いえいえ、本当に大変だったのだ。線路に落ちてしまいそうなほど人で溢れたホームで電車を待ち、ドアが開くのと同時にみんなが早く帰りたい一心で車内に向かってぐいぐい進む。悲鳴があがり罵声が飛ぶ。子供が泣く。そしてこんな時何よりもわたしを疲れさせるのが駅員を怒鳴りつけるオジサン。なさけない姿だ。やっと乗れた電車で息も絶え絶え、行き先を変更されたりして何度も電車を乗りかえた。電車は35km制限でのろのろ走り、家の近くまで着いた時はもう0時を廻っていた。もうぐったりだったけれど少しだけ面白いことがあった。電車の中で暇つぶしに話しかけてきた男性と話していたら、どうも以前わたしが働いていた会社の社員のようで(もちろんお互い全く知らなかったけれど)、なつかしい話をしてしまった。そんなんで家に着いたのはなんと夜中の1:30。こんな時間に駅から人が出てくるのが異様な感じだった。本当に疲れてしまったけれど何よりも怪我もなく無事に家に帰れたことに感謝。


2005年07月21日(木) ミケは囚猫!?

新地キャンベラではまだマーティンは家がなくてミケはシェルターに預けられたままなのだけれど、この2人、とても可笑しい。あちらに着いてからこの2週間の間にマーティンは3度もタクシーに乗ってミケに面会しに行っているのだ。ミケも喉をゴロゴロと鳴らしてでてくるようだ。まるで囚人ならぬ囚猫のよう。

そして今日はめでたいことに新しい家が決まった。ミケのお庭もわたしの為のワイドなキッチンもちゃんとある。また早速マーティンはタクシーに乗ってミケへ報告しにシェルターに向かった。もうすぐ出所だ、がんばれミケ。


2005年07月20日(水) 29歳初日

今日はわたしの誕生日。29歳の初日にまずやらなければならないこと。それは病院行きだった(泣)。なぜなら昨日野良猫に噛み付かれたから。車を運転していたら中央線の上に腰を抜かしたように猫が座っていたのだ。スピードを出せるような道ではなかったのだけれど、危険なので車を路肩に止めてその猫を抱き上げて脇の草むらまで連れて行ったのだけれど、その際にどこからか大きな物音がして驚いたその猫にがぶりと噛まれてしまったのだ。今朝は普通に会社に向かったのだけれどマーティンから「野生動物に噛まれるのは危険なので絶対に病院に行くように」と何度もメールが入ったので会社の近くのお気に入りのイタリアンレストランで1人早めのランチを取り、午後から病院へ向かった。マニアな研究をしている博士のようないんちき臭い風貌のドクターに「猫ひっかき病」とかいういんちき臭い病名をもらい、塗り薬と飲み薬をもらった。その足でふと目に付いた隣のサロンで自分へのプレゼントに爪の手入れとハンドマッサージをしてもらうことにした。これが気持ちがいい。老廃物が凝り固まっていると言われそれをもみほぐしてもらうと驚いたことに本当に体が楽になった。すっかりリラックスして夜は親戚とわたしの大好きな料亭で夕飯を摂った。叔母は誕生日プレゼントにハンドバッグを用意してくれていた。もう30歳近くになってちょっと恥ずかしい気もしたけれど、きっと親や叔母にとってはわたしはいつまでたっても子供なのに違いない。いつの間にかこんな大酒飲みになってしまったのに。


2005年07月16日(土) 銀座あたりのOLの会

ベジ仲間のさなちんさんがわたしのストレス解消に付き合ってくれることとなり、夕方に銀座で再会。蒸し暑い日が続いているので香草の利いたアジアン料理を食べよう!とあの有名なベトナム・アリスに挑戦してみた。が、食べられるものが見当たらない。じゃぁここは軽くつまみだけにしておこうと生春巻きとバンセオ(ベトナムのお好み焼き)をつまみにさなちんさんはベトナム米焼酎をわたしはコンデンスミルクの入ったアイスコーヒーをオーダーした。さなちんさんがオーダーしたこの焼酎はなぜかヘーゼルナッツのような味してきつくてとても美味しい酒だった。ここでわたしが最近強く感じている「国際化社会」において日本の男性がいかに自信がないか、そして日本の女性がいかに逞しく強いかということを力説させてもらった。例えばよく欧米人女性はアジア人男性は体が小さいから好まないというのをよく聞くけれど、そうではないと思う。あちらで見た欧米人女性のパートナーを連れた日本人男性に共通していることは体が大きいことではなく自分にしっかり自信を持っていて精神的に強いことだった。

このレストランの全体の感想としてはいつも同じだけれど日本のベトナム料理屋は味も雰囲気も上品でベトナムを感じないといったところでまた行きたいお店ではなかった。

そして2軒目はいつもの居酒屋へ。メニューはすっかり初夏になっていて大好物の空豆入りの春巻きはもうなかった。ここではちょっとベジ的地球環境の話などしつつ、デザートを食べに3軒目のキル・フェボンへ。

こんな可愛らしいところに来てしまうと「世捨て人」ではなく「銀座あたりのOL」気分だ。酒飲み帰りには照明が明るすぎる。ここでさなちんさんに誕生日プレゼントのシャンパンをもらってしまった。本当にありがとう。世の中の人はみんな素晴らしい記憶力でわたしの誕生日など覚えていてくれる。それに引き換えわたしときたら、、、。さなちんさんの誕生日を聞き返したら先月だと言われてしまった。さらにボーナスがでたからとここはご馳走になってしまった。ストレスも和らいだしさなちんさん色々ありがとうございました。

ところで帰り道ふと気付いた。わたし1合しか飲んでいない。どうしてしまったことか。ふだんは3合くらいは体が自然に欲するのに。さなちんさんも飲み足りなかったのでは??わたしやっぱりちょっとどうかしてるかも。なんだかわたしの地味なペースにつきあわてしまってごめんなさい。次は普段どおり行きましょう!


2005年07月15日(金) タイ料理とリラキシングな時間

会社帰りに同僚のケイさんという人事課の女性とタイ料理屋でお酒をちびちびと飲みながら春巻きやナンプラーの効いたサラダをつついて、職場の悩みをあれこれと聞いてもらった。ケイさんは役職柄、事業部全体の動きや人間関係などをよく把握していて、営業マンの中に入って働かされる女性の辛さなどもよくわかっているようだった。他の会社も同じだと思うけれど、ここも男性社員は学校を卒業して新卒で入社してそれから大抵はその会社に骨を埋めるかそうでなくても長々とそこで働くかするから、彼らはその社の方針や考え方、風潮にどっぷりと染められている。みんな本当によく似ている。その点女性は色々な会社を経験している人が多いから、おかしい点にも気付き易いし、そう思えば案外あっさり辞めてしまう。女性陣が飄々としているので、もしかしたら自分だけがすごく変わったところからきてしまったのではないかと思っていたけれど、そうでもないと知って安心した。困った人々の困ったお誘いのうまい断り方や上司との距離のとり方など、とても参考になることも教わって少しずつストレスも和らいできた。

メインのタイ風焼きそばが来る頃、話題はケイさんの未来のことに。31才、独身、ボーイフレンドも好きな人もいない。容姿端麗で性格はさっぱりしていて男女共にとても人気者なのにも関わらず。でもでも間違っても「負け犬」などという言葉は似合わない。希望に満ち溢れているとか元気溌剌な表現も似合わなくって、それは自分の道を見つけてゆっくりと楽しんで歩いているという感じ。

シメの小豆とナタデココの入ったデザートを食べながらケイさんが「この事業部の男性だったら誰がタイプ?」と聞くので「わたしは、背後に座ってるあの地味なJさんが好きですよ。話しかけてもなかなか喋ってくれないんですけど、何か貸してって言うとすごい勢いで机の引き出し漁りはじめたりするところがいいんです。」と言ったら「変わった趣味だね。」と言われたので「じゃぁケイさんは?」と聞き返したら「わたしは絶対T(事業部の一番偉い毛むくじゃらのおじさん)だよ。」と言うので吹き出してしまった。「でも人間じゃありませんよ。」と言ったら「あんな強くたくましいゴリラのような人見たことないもん。素敵〜。」とうっとり言うのでもう笑いが止まらなかった。

深刻な話題からはじまって最後はケラケラと笑いながら夜の路地を千鳥足で歩いて家路に着いた。一週間の緊張が一揆にほどけてリラキシングな時間を過ごせた。


2005年07月14日(木) 人間関係

嫌なことがった。毎日の激務でぐったりしているところにとどめを刺された気分。もうダメだ、今日は残業するのはやめようと定時で切り上げた。OAZOへ行き、本を衝動買い。心が健康な時はそんなことは私生活の中で自分の目で見て学べばいいと思っているのにすがるような思いで「社会にでたらどうしても避けられない人間関係をどううまく克服するか」といったことを書いてある本まで購入してしまった。

喉が渇いて東京駅の北口のさびれたカフェへ駆け込み、窓際に腰掛けてアイスコーヒーを飲んで休むことにした。会社のグループの中では紅一点なので表面上みんな優しくしてくれる。けれど誰にでも優しい人しか信用できないので、わたしに優しくても後輩の営業マンに対して「厳しさ」ではなく「冷たさ」で怒鳴り散らしたりするような人間は好きになれない。そしてわたしを「女」と見て近寄ってくる人々はたくさんいるのに、そんな人々も困ったときに親身に相談に乗ってはくれない。わたしは最近ちょっと孤独で男性嫌いだ。週末は女友達と他愛ない話でもして過ごしたいと思い、ベジ友達のさなちんさんにメールを打っていた。すると窓の向こうでスーツを着た一見普通の30代後半くらいの見た目の男の人がわたしにお辞儀をしてにっこりと笑っている。見覚えはないが同じ事業部の人かもと思い、わたしも会釈した。するとその人が店内に入って近寄ってきて「あの、、、待ち合わせた方じゃありませんか?」と聞かれた。「いえ、違います。」というと一度引き下がったものの、また戻ってきて「あの誰かと待ち合わせですか?」と聞くので「電車待ってるんです。」と言ったら淋しそうに帰っていった。出会い系サイトなどで知り合って待ち合わせまでこぎつけたもののすっぽかされたに違いない。可哀そうだなと思いながらもそんなのうんざりだといらついた。孤独な気持ちで東京の孤独を見てしまって余計落ち込んだ。

帰りの電車に乗ってマーティンが人間関係が嫌で会社を辞めたいと言った時に「目の前にいる人とうまくやれない人は次にいっても難しいんじゃないの」と言ったことを反省した。わたしはその時点では人間関係が嫌で会社を辞めたことなど一度もなくてそういったところでは非常に恵まれていたのでそれは単なるわがままだと思っていた。今だって自分は優しくされているのだから周囲を見なければ幸せだけれど、やっぱり人間的に信頼できる人のいうことしか聞けない。

下っ端の営業マンには上司を神様と崇めて疑わない人、NOということを諦めている人、NOといわずともささやかに自分のペースをキープすることで意志を表明する人と色々なタイプの人がいる。わたしは3番目の人々を応援したい。どんなに冷たい言葉を吐かれても嫌ないいつけをされてもそれを自分より弱い立場の人間にし返さずに自分で留める人は強い。組織など長時間一緒にいるだけにみんな思考が似てきてしまいがちだけれど、そういった人々には流されず自分をキープして欲しい。そして自分もそうありたい。そうすることがこの事業部の嫌な風潮への抵抗だ。


2005年07月08日(金) 夜の六本木

数回しか行ったことがないのに、最も苦手という思い込みのある「夜の六本木」のとあるカフェ(イメージ的にはハードロックカフェのようなところ)で暑気払いという名目のグループの飲み会が行われることになった。たまたま定時までに仕事が片付いたのでさっさと切り上げて地下鉄に乗って一足先に六本木に着いた。暑い。暑気払いというならもっと街も人間も涼しいところでやろうよとぶつぶつ言いながら目に付いたウェンディーズへ駆け込み、コーヒーを買って席へ着いて本を広げて読み始めた。5分くらい経って落ち着くと食べ物とタバコの混じったなんとも気持ちの悪い匂いに気付いた。周囲を見回すと電気の色のせいかハンバーガーを片手にコーラを飲んでいる人、タバコを吸っている人、、、みんなの顔色が悪く見えた。病んだ空間のようで恐くなって飲みかけのコーヒーを持って逃げるように外へ出てしまった。ちょっと早いけれど先に店に入ろうと行ってみると数人既に着席してビールを飲んでいた。わたしも速攻でそこの雰囲気にそぐわない日本酒を頼み、ごくりごくりと喉を潤し、2杯目からは白ワインにすることにした。わたしが日頃尻に敷いている幹事のユウタはわたしのいいつけどおりベジタリアン料理をチョイスしてくれた。オニオンリング、カレー風味の石焼きチャーハン、ゴマダレサラダ、、、。みんなはベジタリアンだということに気付かずに食べているようだった。オニオンリングは大好物なので六本木まで移動しなければならないことに文句をつけたが許そう。こんな飲み会ひとつとっても彼らはやっぱり営業マンなのだと思わされる。時間に遅れることなく飲み会が始まり、さっさと飲んで切り上げるときもあっさりさっぱりと速攻なのだ。上司のじゃぁ、そろそろ行きますか、の言葉と同時に全員が席を立ち、ごちそうさまでしたと言いさっさと駅へ向かうか次の店へと散る。店の外での立ち話もない。わたしも帰ろうと思ったら「次行くよ!」と言われ、カラオケに行ってしまった。やっぱりみんな遊びなれてるな、表面上は楽しいけれど、わたしは彼らが「感じのいい人」を演出するのがうまいのを熟知しているから、彼らを信用しきって何かを話すことはない。わいわいと騒いだ後の虚しさのような寂しさのような気持ちで一人先に切り上げて外国人や酔っ払いの間をぬって足早に六本木の駅へ向かった。


2005年07月05日(火) 昨日と同じ今日

単調な毎日を嘆く人は多くて、わたしも毎日8割型の幸せがあるからこそ、たまにあと2割がどうしても欲しくなって、さらに溢れ出してしまうくらい欲しかったりする。

今日郵便局へ行ったら絵手紙教室の生徒の作品が展示してあった。絵も文章もなかなかのもの。へー、面白いと眺めていたら胸にずきんと来る一枚に目がとまった。結婚して20年になる奥さんが旦那さんへ宛てたもの。

「昨日と同じ今日があることがわたしの幸せなのです。」

そんな風に思えるって素晴らしい。わたしはまだ若いからそんな風には思えないけれど、40,50代になってこんな風に思えたらいいな。




2005年07月02日(土) 心の距離

仕事が山積みになってしまってついに休日に持ち越してしまった。体力だけでなく精神的にもかなりやられていた。お昼前に重い体を引きずって静まり返ったオフィスに着くと同じグループの新人ユウタも疲れ顔で出社していた。お互いに溜息交じりの挨拶を交わし黙々と仕事を片付けていった。休日は電話が鳴らない分だけ仕事が捗る。ランチはこんな日は美味しい物でも食べなくちゃと階下のレストランへ降りてみたらゆっくりと遅めのブランチをとっているような人々ばかりが目に付いて侘しい気持ちになった。戻るとユウタはもう引き上げていた。言われるがままに仕事を引き受けた挙句山のように積み上げてしまった自分の管理能力の無さを反省しつつも半分は同じ仕事をしていないからわたしの仕事の大変さがわからない人々に苛立つ気持ちもあった。もやもやとした気持ちで黙々と作業を続けているとマーティンから電話がきた。引越しの準備で大忙しだとかミケのために広い庭と大通りに面していない家を探すのだとか、、、あれこれと話した。高いビルの窓からわたしのストレスと同じくらいビルがぎっしり詰め込まれた東京を見渡しながら話している受話器の向こうにはだだっ広くて大らかな空気があった。本気でそう思ったわけではないけれど「もう帰りたくなっちゃったなっ」と言ってみたら「帰ってくれば?」とあっさり言われた。日本の就職事情も何も知らない彼はいつも無邪気にこう言う。でも嬉しかった。いつでも帰ってきてもいいと逃げ場を与えられていることが大きな心の支えになっている。

物理的な距離など「心の距離」と比べたら本当に意味の薄いもの。毎日顔を合わせて話していても通じ合えない人もいるのに、こんなに離れていても大きな影響力を持つ人もいる。

気を取り直して夕方まで一揆に資料の山を崩した。


2005年07月01日(金) パースの会 in Tokyo

忙しかった1週間の締めくくりはパースの飲み仲間で同時期に帰国して大手のドイツ資本の会社で働き始めたばかりのアイちゃんと帰国したばかりで求職中のユキちゃんと再会。新しい会社で表面的にはうまくいっているようでも本当は少し孤独だったわたしは、定時に切り上げて足早にエレベーターを降りてそこに「自由人」という出で立ちのユキちゃんを見つけたら、子供の頃、具合が悪い日に学校まで迎えに来た母親を見つけたときのように安堵して一揆に力が抜けた。

歩いて銀座に繰り出して居酒屋に入った。会わなかった3ヶ月分の話をしていると仕事を終えたアイちゃんが到着。が、居酒屋は混んでいて2時間で追い出されてしまったのでカフェに移動。わたしと同じように日本社会に戻ったアイちゃんがそこで感じていることというのがピッタリわたしが感じていたことと同じだった。物事をストレートに表現することは周囲を驚かせたり好まれなかったりそういうところはとても窮屈だとわたしも思っていた。欧米だって大人は人に対するネガティブなことをあまりストレートには表現しない。でも日本では物事に対するただの「事実」さえも述べると嫌がられることはある。「裸の王様」を見て「王様は裸だ」と見えたままに表現するような人間にはなかなかやりにくい社会だと思っていた。そして日本人男性に対する見解も(これは最近すごく思ったことがあるので後でゆっくり書きたい)。

ちょっとほろ酔いで3人で歩く道がJames.StでもWilliam St.でもなく銀座の路地で空気が湿気を含んでいるのが不思議な感じがした。アボリジニに襲撃される心配もしなくていい。計画している将来がみんな別の地にあるわたし達なのでいつでもこんな風にして会えるわけではないけれど、今日は心底リラックスしてとても楽しい時間を過ごすことが出来た。


Michelina |MAIL