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2009年02月22日(日)   

エリアンおまえは此の世に生きられない、と5回続くルフランが冷笑を伴いながらも脅迫的に迫ってくる夜更け、或いは夜明け前に。

真摯な質問として、居場所ってどんなものですか、とあるときキミは問うたが、わたしは「実際に今たったりすわったりして呼吸をしているその場所でしかない」とわざと曖昧な答え方をした。キミはそんなトートロジーをききたかったわけではあるまい。質問の意図は分かっていた。居場所について問うキミが居場所のなさに苛立っていたことは明白で、たとえばここがキミの居場所だと砂糖菓子のような答えを提示することも可能だっただろうが、それでは真摯な回答とはいえまい。キミは結局居場所がない、という判断を下し潔く身を引いた、その判断が過ちだったと思ったことは一度もない。居場所がないと思う人間に居場所などどこにもありはしないのだ。

生きられないという主観的判断さえなければおまえは生きられるだろうエリアン、おまえは此の世に生きられないのではない、おまえは此の世に生きたくないだけだ。事実、エリアン、おまえは「生きられない」はずの此の世を生きて今年85歳になる。


2009年02月16日(月)   

「こうして、魂は死の瞬間に、近づいてくる自らの天使を見ることになるが、それがさらに美しい天使に変容しているか、あるいは『わたしがおまえのダナエさ、おまえの思考、おまえの言葉、おまえの行動が作り出したダナエさ』とささやく、身の毛のよだつ悪魔に変容しているかは、自分の人生の品行しだいである。」(ジョルジョ・アガンベン 『瀆神』 月曜社)


2009年02月15日(日)   

「自分のただひとつの必然をつかみとり、それをけっして手放さず、ただぶら下がってどこへなりと連れていかれることは、すばらしくまっとうで従順な、純粋な生き方ではないかと思う。そうすれば、どのように生きようが結局は行きつく死でさえも、人を分かつことはできないだろう。
 つかみとることだ、そしてその爪で空高くつかみ上げられることだ、両の目が燃えて抜け落ちるまで。おのが麝香の身をずたずたに裂かれ、骨は千々に砕かれ、野や森にばらまかれることだ、軽やかに、無心に、望みの高みから、ワシのごとき高みから。」
(アニー・ディラード 『石に話すことを教える』所収「イタチのように生きる」 めるくまーる)


2009年02月01日(日)   

<軽蔑の時>がきた。ただしそれが、憎悪も敵意さえも伴わぬ軽蔑、とても単純で冷静で自信に満ち、しかも冷笑的でヒステリックな様相も帯びず、偽りの陽気さや苦い悲しみを伴わぬ軽蔑であるように心がけよ。
なにも駄目になってはいない
生きているのだから
すべての河が遡られるだろう
すべての流れが遡られるだろう
(『ロール遺稿集』 リブロポート)


nadja. |mailblog