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真摯な質問として、居場所ってどんなものですか、とあるときキミは問うたが、わたしは「実際に今たったりすわったりして呼吸をしているその場所でしかない」とわざと曖昧な答え方をした。キミはそんなトートロジーをききたかったわけではあるまい。質問の意図は分かっていた。居場所について問うキミが居場所のなさに苛立っていたことは明白で、たとえばここがキミの居場所だと砂糖菓子のような答えを提示することも可能だっただろうが、それでは真摯な回答とはいえまい。キミは結局居場所がない、という判断を下し潔く身を引いた、その判断が過ちだったと思ったことは一度もない。居場所がないと思う人間に居場所などどこにもありはしないのだ。 生きられないという主観的判断さえなければおまえは生きられるだろうエリアン、おまえは此の世に生きられないのではない、おまえは此の世に生きたくないだけだ。事実、エリアン、おまえは「生きられない」はずの此の世を生きて今年85歳になる。
つかみとることだ、そしてその爪で空高くつかみ上げられることだ、両の目が燃えて抜け落ちるまで。おのが麝香の身をずたずたに裂かれ、骨は千々に砕かれ、野や森にばらまかれることだ、軽やかに、無心に、望みの高みから、ワシのごとき高みから。」 (アニー・ディラード 『石に話すことを教える』所収「イタチのように生きる」 めるくまーる)
なにも駄目になってはいない 生きているのだから すべての河が遡られるだろう すべての流れが遡られるだろう (『ロール遺稿集』 リブロポート) |