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なのにもったいないことをした、せっかくの、自虐的な追想に耽るにはもってこいの夜だったのに、女が8人も寄るとにぎやかでいけない。他愛ない話で、大口あけて笑って、あれがほしいこれがほしい、あそこ行きたいあれ食べたい、どこかにいい男いないかしら、ちょっと聞いてよこないださ。 日常への頽落、とかなんとか。 マルガリータを飲みすぎて、酔っ払ったふりをした。
何か釈然としない。何かが欠けている。多分余計なことを言った。多分大事なことを言わなかった。何年分ものそんな思いが次々に訪れる。浴槽に湯をためて身体を沈める。ラベンダーの入浴剤を入れる。こわばった血の流れが、ゆっくりととけていく。なのに残る。いくつもの顔、言葉、におい、感触、温度、音楽。 それでも今日が雨で良かったと思う。私の涙はもう流れないから。溜息ばかり出る。いったい、何を、どうしたいのか。雨がしとしとと降る。ケトルがしゅんしゅんと音を立てている。濃い珈琲を淹れる。私のまわりに珈琲にミルクや砂糖を入れる男はいない。もちろん私も入れない。きっとみんな長生きしないね。
一晩、その涙の意味を考えてみたけれど、もう私には分からなくなってしまったたぐいの、熱い、硬い、何かだった。「まるで鎖が解けたよう」、と彼女は言った。彼女のなかには信念があり、彼女は「もっと別の、もっと複雑なハードル」を見据えている。 それならば飛べばいい、と私は言い放ったのだった。彼女はまだ、「義務を懈怠して?」という問いかけから自由でいられる。あんな涙を、流せるのだから。
※一般女性A:『X型自分の説明書』などを好んで買い、公園で過ごしたとかいう芸人の話に涙し、週に2つか3つは連続ドラマを見て、飲み会の最後にはアイスクリームかパフェを注文しながら痩せたい痩せたいと繰り返し、何度めのデートでキスをするかとか「身体を許す」かを真剣に議論するような、健全で、健康な、女性、とさせていただく、便宜上。 結局あんたは何も越えられないんだよ、すんなりと越えていく、だって? 冗談じゃない、みんなそれなりに努力してるんだよ、たとえば人と足並みをそろえるために、人と違った自分にならないために、こまめにファッション誌をチェックして、話題の映画や流行の音楽を追いかけ、いつも明るく、楽しく過ごすために、幸せになるために、わたしたちは頑張っているんだ、あんたみたいなスカした女にそんな苦労が分かってたまるか、「もっと別の、もっと複雑なハードル」だって? えらそうな口をきくならやることきっちりやってからにしな、普通のこと、あたりまえのことができない人間にいったい何ができるって言うんだい? Merdo! 唐突に思い当たる、「義務の観念は権利の観念に優先する」(ヴェイユ)。 人としての、女としての、義務とは何か。私は、義務を、果たしているか。
物語の筋とはまったく関係のないところで、子を産まぬことに対してひりひりとした焦燥感と罪悪感を感じる。老後の孤独や寂しさを引き受けることくらいなんでもないが、「妊娠」という事実が自分の精神や肉体に齎すであろう変化を知らないままに時期を逸してしまうことは非常に勿体ないことのように思う。母親が私を産んだ歳を超えた今、私は母親に負けている、という劣等感も芽生え始めた。 好奇心に誑かされて妊娠してみる。だが無理だ、諦めなさい、ともう一人の私が言う。あなたが子を愛せますか? 子を守れますか? あなたが考えるほど、この世の中は単純にできていないのです。あなたはたしかに人があまり簡単にはできないことをさも簡単にやってのける、けれどあなたは人がすんなり越えていくハードルを越えることができない。 ………想像力はすぐに挫折する。たしかに私は人がすんなり越えていくようなハードルを越える必要なんかない、と思っている。私はもっと別の、もっと複雑なハードルを越える、と思っている。そして私は早速流産する。あきらめなければならないことが、この世にはたくさんある。
小説のなかで猫が死ぬ。私は猫を撫でる。小さな頭を、丸くつややかな背中を、撫でて、撫でて、撫でまわす(毛が飛び、私はくしゃみをする。キジトラの猫がウカカカ、と奇妙な声を出す。お大事に、と言われているのかもしれない)。猫になりたい。猫にうずもれ、猫にまみれて、猫と同一化したい。この小さくやわらかな生命に、いったいどうしたら、完璧に寄り添うことができるんだろう? もっと、もっと、もっと近く、おまえたちに、 そこでタイムオーバー。 私は帰らねばならず、そうして明日は会社に行かねばならない。帰るよ、と言ったらウシの猫がにゃあ、と欠伸まじりのまぬけな声で鳴いた。どうやら永遠の片想いである。
とごそごそベッドにもぐり込んだ。あんなふうに滔々と言葉が流れ出すなら、いったいどんな気がするのだろう。まるで造物主のような? それとも詐欺師のような? いつかそれを知ってみたいと思うのだけれど、私の言葉はいつも細切れで軟弱だ。
今日のシンバの別称は「書く必要がない」或いは「書くことがない」。このシンバを手なずけることが非常に難しい。だったら書かなきゃいいじゃん、と思ってしまったが最後、シンバは後ろ脚で立って踊り狂い、部屋中を散らかしてめちゃめちゃにしてしまう。再度立ち向かおうとしたときは、どこから手をつけたらいいのか分からない。 9月11日と9月19日が空白になっていることも気づいてはいるのだけど、扉を開けたとたんに襲いかかられそうで怖い。それでなくても、ここ数日はより分厚い隠喩と換喩の手袋で武装してからおそるおそる鞭をふるっている状況。書く必要がないだろう、とか書くことがないだろう、と吠えかかられたらうへぇ、と退散してしまいそう。 仲良くやっているときは、百獣の王に付き添われて、誇らしく、力に満ちた心持ちでいられるのだけど。なかなか、うまくはいかないもの。
私は主人であるべきである。そうでしょう? なのに時々制御できない。なんて憎らしい機械。 「もし一日でも休めば、あなたは結果として当然、その部屋のドアを開けるのを恐れるようになる。威風堂々と部屋に入り、ライオンに向って椅子を構えて、シンバ! と叫ぶのだ。」 ああ、アニー、夜はこのところもう泥のように疲れていて、とても「シンバ!」と叫ぶ気力なんかない。6年と2箇月もの間、いったいどんな力が「シンバ!」と叫び続けていたのか。夜は静かであるべきだ、あたりまえじゃないか!
ついこの間まで薄型テレビを買え買えと言わんばかりだった家電業界、ようやく価格が落ち着いたと思ったら次はこれか。立派なハードを揃えたところでいったいどこの世界に、20万も30万も出してまで録画したいような番組があるというのだ。バッカじゃないの、ついていけないわ。 もうそうなると見渡す限り、ついていけないものばかりで、いやになった。とにかくいやになった。もうダメ、無理。気持ち悪い。 そそくさと逃げるように立ち去った。狂気の館だった。指定の回線同時申込でPC3万円引き! 今がチャンス! 簡単! 便利! お買い得! で、それで、いったい、あなたがた、何をするの? 不必要です、と叫びたかった。いらないんです、と叫びたかった。私自身が巨大な拒絶の塊になって、できることならそのまんま、狂気の館に突進して、そのまんま爆発してしまいたかった。言語化の努力など、まるで虚しかった。 enough, enough.
掃除機をかけていて下腹部に鈍痛を感じる。案の定月のものがおりてきていた。初日には発熱する。熱っぽい身体を横たえてディラード。開け放った窓から初秋の風がわたる。もう扇風機もいらない。 「書くことについて私が知っているわずかなことの一つに、一回一回、すぐに使い尽くせ、打ち落とせ、弄せ、失え、ということがある」。黒いモレスキンの手帳には拾い上げられなかった言葉の死骸がところ狭しと並んでいる。なんという吝嗇。「もっと他のこと、もっと良いものは、あとで現れる。これらは後ろから、真下から、まるで湧き水のように満ちてくる」。本当だろうか? からっぽの容器にはいっぱいの新しい水を汲むことができる。そこに半分の水が残っていたなら、新しい水は、半分しか汲めない。 古い血が流れ出していく。新しい血を迎えるために。 こんな日に、こんな本を、読み終えることの幸せ。
「さしあたりいま、あなたは飛ぼうとしている。さしあたりいま、あなたの仕事は息を詰めることだ。」 青虫の話には続きがある。私が突き落した最初の青虫はすでに半ば蛹化していた様子で、全身は茶色い模様で覆われていた。彼/彼女はさしあたり、飛ぼうとして息を詰めている最中だったのだ。同じ日の夜、これまた同じく人差し指ほどのころころと肥った、今度は鮮やかな緑色をした青虫がアサガオの葉っぱをおいしそうに齧っていた。どうりで花が咲かないわけだ。これもなにかの縁ではないかと、すさまじい食欲をしばし観察しているうちにほのかな親愛の情が芽生え、蝶になるのか蛾になるのか、とにかくしばらくすれば飛んでいくのだろう、と見守る決意をしかけた直後、もぞもぞと動くもう一匹の青虫、ぽってり見事に肥った青虫が視界に入り、無残に食い荒らされたアサガオのさまが脳裏に浮かんで、父を呼んだ。 突き落としてくれれば良かったものを、父は彼/彼女たちをひょいとつまむとスリッパで踏みつぶしたのだった。ぷくぷくとはりつめんばかりに肥っていた彼/彼女が踏みつぶされる瞬間の生々しさは背筋にぴったりとはりついて離れず、あれから2週間ほど経った今日になっても、強烈な罪悪感を伴ってじくじくと蘇ってくる。以来青虫を見かけることはなく、おかげでアサガオは立派な花をつけ、おそらく来週あたりにはタネも取れるだろう。しかし、飛べるはずのものの羽をもいだという苦々しい記憶を贖うことはできない。 当然のことながら、ディラードはなにも青虫の話をえんえん書いているわけではない。私が勝手に青虫の例に引き寄せて読んでいるだけのことである。
* * * 趣向を変える。 アニー・ディラードの『本を書く』を読んでいる。「のろのろ動く青虫の光景ほどばかげたものはない」。葉っぱの先っぽで「どうしよう、先がない!」とパニックに陥る青虫。哀れな青虫は葉っぱの先で嘆き悲しむように頭を左右に振る、ああどうしよう、先がない、もうおしまいだ! ちいちゃな半狂乱のおばかさん。 「飛べば?」うんざりした私が言う。「そんな惨めな生活におサラバするのよ!」 * * * 先日ベランダで人差し指ほどにも肥え太った青虫を見つけた。私は半狂乱になり、結局彼/彼女を8階から突き落とした。彼/彼女は飛べなかった。まだ、羽がなかったから。
けれど今はそうでない。韜晦とごまかしとはぐらかし、修辞と形式と反作用とを秤にかけて一語一句を調整し、もっとも害のない、毒にも薬にもならないものを、はじき出しているだけ。 今さら剥きだすには薹が立ちすぎている。倫理の神と羞恥の神が、そろそろ潮時だよと耳元で囁きかける。
そんなやり方でいったい何が伝えられただろう? そのうちに伝えたかったことなど忘れてしまった。そもそも伝えたかったことなどあったためしがなかったのかもしれない。私は枯れ続けている。
境界線を明確にしなければ、際限なく憧れに取り憑かれるだけだ。羨んだ生活の裏側にあるはずの、都合の悪い真実に、想像力を巡らせること。本当に悪いこと、ひどいこと、本当に恥ずかしいこと、情けないことを、人は書かない。私だって、書いていない。
その手を離したとき、私は迂闊にも、貴方を越えられると思っていた。いったい何を思いあがっていたのか。今日も貴方は怪物じみた強大さを持つその名前を、まるで脅迫状のように突きつけてくる。私は無限に小さく、貴方は無限に大きい。
いつか誰かが、あなたが、私を正しく使ってくれることを祈るばかりだ。いや、祈ることはよそう、まるで祈るように、或いは祈りにかえて、私は自らを研ぎ澄ませておこう。いつ触れられても、その指先を切り裂くことができるように、まるでよく訓練された暗殺者のように、私はせいいっぱい、恐るべき存在になっておこう。いつか、誰か、あなたのために。 |