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2007年10月31日(水)   grow grow grow

地中深くでキミの骨は微かに鳴っているか。そこはどれだけ静かだろう?どれだけ暗いだろう?それともそこで種子は騒がしく育っているか。いつか、固い殻を割り、土をかきわけて、芽吹く種子が育っているか。育て。細胞分裂を繰り返し、育て。皆、育て。誰ももう、あの頃のようでなくて良い。


2007年10月30日(火)   live through this

キミを見捨てた世界で。キミが見捨てた世界で。キミが見捨てざるを得なかった世界で。取り残された者は今日も無様に迷い、足掻くしかない。キミはそこで見ているといい。必ず、この世界に、くらいついて、しがみついて、生き延びてみせる。まるで復讐のように。


2007年10月29日(月)   days like this

「…しなければならない」と「…するよう努力しなければならない」の陥穽にはまってちくしょうと机を叩く今日である。いったい何をしているのか、何がしたいのか、どこへ向かっているのかが分からない今日である。失うものと得るもののバランスを著しく欠いている今日である。まあそんなのはいつものことではあるが。


2007年10月28日(日)   still

浅いところでバタバタやるから見苦しい。もっと深いところにおりていって、そこで、水の下で、見えないところで、波を立てずにもがくこと。あくまでも顔は涼しく。そうでなければ、こっそり後ろ指をさされるよ。


2007年10月27日(土)   fallacy

一度目は、九割九分が流れ出す。それでいい。二度目にまた九割九分が流れ出しても、合計で二分残ってる。その繰り返し。とにかく大量に流し込むこと。そのうちにまるで紙を漉くように、薄い層があらわれて、次第に厚く、強くなって、確かなものとなっていく、はずなんだけど全然なってこないのはもしかして最初から全部流れ出してるからか、これ。


2007年10月26日(金)   l'insoutenable légèreté de l'être

みんな一生懸命、働いたり、仕事を探したり、家庭を守ったり、子どもを育てたりしてるのに、いったい自分は何をしているのだろうか、と時折さみしい気持ちになる。そういった責務から自由であるような生き方をしたいと思っていて、実際そうしているけれど、軽すぎるのだ、存在が。


2007年10月25日(木)   when i grow too old to dream

一日を静かに過ごす。何度読んでも明確な意味を成さない画数の多い漢字の行列をじぃっと目で追いながら、洩れだすことを怖れるかのように、息をひそめて。試されているのは忍耐力と注意力、つまらないのがあたりまえ、期待もしないし絶望もしない、夢を見るのはもうおしまい。


2007年10月24日(水)   fever

東京土産の扁桃腺熱がだらだらと長引いて先週はずっと点滴、今週になってようやくその副作用も抜けてきた、と思ったとたんにまた再発。運悪く主治医は午後休診。喉の深いところで、熱をもって疼いているのは、いったい誰宛の言葉だろう?


2007年10月23日(火)   before i sleep

書かなければ無だから。無より有のほうが良いとは思わないが、にぎやかなのは確かだ。なにもないはずのところにただ静かに文字が並ぶ。それだけのことなのに、文字は饒舌で。それはうれしいことでもあり、また恐ろしいことでもある。だがとにかく、書けば動く。何かが。だから何も動かせなかった一日の最後に、書いてから、眠る。


2007年10月22日(月)   homo loquens

それでも時々はこっそり語りたくなる。画面の向こう側の、顔も名前も知らぬ人々に向かって、たとえば先週の水曜日から祖母が入院していることや、今日は猫2匹のワクチン注射に行ったこと、そんなどうでもいいことを、語りたくなるのはいったい、本当に、どうしてなんだろうか。


2007年10月21日(日)   dull

それにしても鈍い刃だ。精度も強度も欠いた刃でいったい、何が切れる、何が断ち切れる。こんな恥ずかしげな刃物では何の役にも立たない、恥ずべき傷が増えるだけだ。語らぬこと、語らぬこと、語らぬこと…。


2007年10月20日(土)   pocket knife

牙を隠して───? いいえ、その牙はもうすでに使い物にならなかったのでしょう? だから貴女は自らそれを抜いたのです、そうしてさも、危険なものを隠し持っているかのようなそぶりで、自らを欺いてきたのです。それを証拠に今、その静けさのなかで貴女が研いでいるものは、体裁の良い、護身のための、ポケットナイフではありませんか。


2007年10月19日(金)   clouds of unmeaning

たかがこれだけのこと、そう、たかが数行、たかが数文字。なのにそれさえ、満足にひねりだせない夜のほうが多い。課した規制が多すぎるのか、それとも枯渇しているからか、それともまた、無価値の雲の下にいるだけのことか。とにかく続けること、静かに、ひそやかに。それだけ。


2007年10月18日(木)   crucify

なのにそれでも書こうとするのは、たかがこれだけのことを、毎日続けられなくていったい何ができるだろうと思うからだ。すぐに何でも投げ出したがる自分への懲罰として、こうして日々身を磔にしている。


2007年10月17日(水)   sorry, pt.X

そして書くことはおそらく自傷行為に似ている。だが自分をえぐらない言葉には何の力もない。もっと言葉が血を流せば良いと思う。血が噴き出すような言葉を書きたいと思う。なのにそれに耐えうるだけの精神力がまだ、身についていない。それが歯がゆいし、情けない。


2007年10月16日(火)   since then

東京でしこたま酔っぱらってみたら、笑っているのに両の眼から涙がぽろぽろ落ちてきて、友達の顔を見たとたん、本当は彼に会いたいんだと号泣してしまうあたり、後悔なんかしていないとは全然言えず、むしろあの日から後悔だけを繰り返している、という気さえして、ちょっとどうしようもない状態である。

自分の言葉が自分をえぐるのであれば沈黙を選択する勇気を持たなければならない。


2007年10月12日(金)   je repars à zéro !

どれだけ、どれだけ、どれだけ後悔したって伝えないなら意味がない。伝えるつもりなんかはじめから一切ないのだから、もう、このことは、終わりにしなければならない。ええ、決して。決して後悔なんか、していない。何度でも、そう言い聞かせて。


2007年10月11日(木)   April 27, 2000

今ならたったひとつの身体になる勇気もたったひとつの宛先になる勇気もある。うまくいかないものだ。未熟者が舌に心地よい思想の言葉を振りかざすとこうなる。non, rien de rien、と口ずさみながら笑ってごまかすしかない。


2007年10月10日(水)   August 10, 2004

貴方が発した何気ないたった一言で、あれだけのことが全部崩れ去ってしまうとは、とてもではないけれど信じられなかったのです。待って、待って、待ちわびて、そうして耐えて、耐えて、耐えぬいて築いてきた関係が、終わることなどありはしないのだと、あのときはまだ、思っていました。だから泣きませんでした。だから振り向きませんでした。それが正しかったかどうかはさておき、後悔しているか、と問われたら、そのときは、貴方が後悔するべきでしょう、と、答えようかと思います。


2007年10月09日(火)   December 30, 2002

そして時は流れる。貴方の指が軋んだ最後の夜。あれからもうすぐ5年。朽ちるには十分な長さだ。何も咲かせず。何も実らず。貴方は埋立地に眠る。何を悔いることがあろう。


2007年10月08日(月)   the end of February, 1994

手元には5枚の合格通知書。シャッフルをしてみたり、目を閉じて1枚引き抜いてみたり。そのうち3枚は当時通っていた大学の文学部。残り2枚は上位校。2枚のうちのどちらかを選択すれば、ねじれてこじれた関係はおしまい。なのにあの図書館が好きだから、なんて、もっともらしい理由をつけて、誰もが驚く選択をやってのけたのは、ねじれていてもこじれていても、貴方の美しい指を見ていたかったからなんだろうと思う。偏差値よりも、そんなくだらないことが動機になるなんて、馬鹿馬鹿しいけど可愛らしいから後悔はしない。


2007年10月07日(日)   September 15, 1992

あの日は目の覚めるような秋晴れの日で、ギターとブーツとエフェクター、舞台衣装と化粧品、そしてなぜかたこ焼き器を担いで朝の7時に校門をくぐった。あの日の写真に見出す笑顔は見事に一点の翳りもなくて、この世には後悔してもしきれないことが存在することなど彼女は知る由もない。もしもタイムマシンがあったとしても、あの日までは同じ日々を繰り返すだろう。永劫回帰に耐える日々。それは奇跡のような日々であった。


2007年10月06日(土)   like this/like that

もしもタイムマシンがあれば、と思うことは日に一度や二度ではない。あんなこともそんなこともなかったことにして、こんなふうに事を運べればどんなに、と思うことも。そうしたら今頃は決してこんなふうではなく、あんなふうに、そう、あんなふうに、幸せに、過ごしているんじゃないだろうか、って、思わない日は一日たりともないけれど。

今更後悔したって、意味がないから。


2007年10月05日(金)   intermission

あのとき。

───と書けることはまだ良い。それはもう客観の範疇にあるのだから、後悔していようがいまいが好きなように上書きすることができる。問題なのは、「あのとき」のあとに瞼の裏側でスライドショーのように流れていく、言語化以前のイメージ群で、それらはちくりちくりと今、この時間のなかにも棘を刺しにやってくる。

はやくあきらめてしまうことだ。きれいに、上手に、あきらめてしまうことだ。


2007年10月04日(木)   July 9, 2003

あのとき。

手のひらに握ってもてあそんでいたはずの身体に所有権などなかったのだ、と知ったとき。こんなに傷をつけたのでは、どうしたって返せない、返しようがない、と泣いたのだった。あれから4年と3ヶ月。今では些細な切り傷でさえ怖い。随分弱くなったものだね、とキミは笑うか。

それでも後悔なんかしない、して、たまるものか。


2007年10月03日(水)   September 29, 2007

あのとき。

缶ビールなんか片手に持って。ふらついてうわついてぼんやりしてたものだから。みっともなく倒されて無様に怪我をした。りんご大の青あざが太ももの裏っかわにはりついているせいでプールにも行けやしない。バカだね。バカとしか言いようがないね。絵に描いたようなバカだね。

だけど後悔なんかしない、したってどうなるものじゃなし。


2007年10月02日(火)   November 6, 1993

あのとき。

多分ふたりともあまりにも酔っ払っていたせいで、何が起こったのだかよく分からないまま既成事実だけが残りましたね。だけど既成事実ってなんでしょう。いやらしい言葉です。若かったくせに、バカだったくせに、なぜそんなものに縛られる必要があったのでしょう。あのとき何を守ろうとしたのかなんて、もう忘れました。失ったものだけがいつまでも鮮明です。

けれど後悔なんかしません、ええ、決して。


2007年10月01日(月)   early summer, 2004

あのとき。

貴方の視線に気づいたとき。即座にこんなことはやめてしまうべきだったのだろう。利口なふりをしたいばっかりに、それが現実生活にどんな影響を及ぼすのか深く考えもせず、闇雲に言葉を陳列するようなことは。言われた言葉と書かれた言葉は次第に齟齬をきたし、どちらが虚偽なのかそのうち自分でも判定できなくなった。それでも結局書かれた言葉を選択したこと、それが最大の過ち。

けれど後悔なんかしない、ええ、決して。


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