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■誰かのために生きたいと願うが誰かが見つからないまんまである。 ■誰かとともに生きることを願うほうが正しいことは知っているが、もはや内部には正当な理由を見出すことができない。 ■除夜の鐘とジャニスの祈りがなんのてらいもなく同居する和洋折衷ぶりがいかにも日本人的で良いではないか、とにかくこの身体を引きずっていくだけだ、明日へ、明日の方向へ。
■あらゆる欲望は美徳である、とどこかで読んだのだけどどこで読んだのか忘れた。半分くらい正しいと思う。 ■信じやすい時代だからこそ懐疑的にならねばならない。 ■とにかく鈍感であることは罪である。 ■だからこの方向性を維持するしかない、人はそう簡単に変われるものではないのだ。 ■ただ、日付がかわるだけである、年越し、などというものは。 ■それでも、懸命に、精算しようとする、そのたゆまぬ努力こそが、人の、人たる、ゆえんなのであろう。
無駄に闇を這う。 地中深く埋められた種子のようなものとしての24時間。 憂鬱な蝶が羽根をひろげる。 バタフライ・エフェクト、というどことなく優雅な響きの言葉が脳裏を掠める。いったい元凶がなんであったのか、私にはもう、分からない。何も分からないし、分かりたくない。
というときには 壁をよじ登る、 敵と戦う、 自害する、 などの対処方法がまず頭に浮かぶわけだが、空からはしごが落ちてくる、とか、透明人間になる、とか、敵と情を通じてあげく腕を組んで歩み去る、とか、大地震が起こって何もかも崩れ去る、とか、ポケットをまさぐったらプラスチック爆弾が入っていた、とか、首根っこ押さえつけられてああもうダメだ、と思ったところで目がさめた、全部夢だった、とか、 ほかにもいろいろあるはずだ。 が目が覚めたら明後日になっていた、というのが一番良い。 …先月末あたりからひどすぎやしないか?
少し前まで、買い物に行って迷うことなんて一切なかった。なのに予算すら決められない。だが実際問題として、CDプレーヤーを接続するアンプやスピーカーはこれまでのものなのだし、あんまり立派なものを買っても意味がないんじゃないの?と問うと売り場のおじさんは苦笑した。一定のラインを超えたらあとは自己満足の世界である。ケン(註:ケンウッド製DP-SG7)にも何も不満があったわけではない。よく鳴ってくれたと思う。たくさんの新しい音楽を教えてくれたし、元気付けてくれたり慰めてくれたり泣かせてくれたりした。要はちょっとした相性の問題なのだ。だから何度もうち来る?うちの子になる?と聞いてみたけれど取り澄ましたマランツくんはうんと言わないのだった。 間に合わせ、というのでもなく、かといって終着点、というのでもなく、音を鳴らす以外には何の仕事もしません、とでも言いたげな、無愛想だけどどっしりとしたデノンくんに決めたのは結局、店内に営業終了のアナウンスが流れ始めたから、だったのかもしれない。 *** 「かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」 という皇后陛下の詠まれた歌が、今日の読売新聞の朝刊に載っていた。選ばなかったものたちはまったく、どこへ行くのだろう。選んだものたちはいつもどこか頼りなく、選ばなかったものたちはいつも自信に満ちている。選ばれなかったことを誇るかのように、堂々とした面持ちで、私を見つめ返してこないでほしい。苦しいから。 *** 選んだのなら、愛すること。それが、選ばなかったものへの、礼儀。
2年半もほったらかしにしていたそこは癒えるどころか腐爛の華が咲き乱れていた。腐敗した傷口は発酵し、黄金色に輝き、甘美な匂いをとめどなく放出していた。うっとりと、酔い痴れた。愛おしいとさえ感じ、舌を這わせると、甘酸っぱい蜜の味がした。 抉り取るか 油を注ぐか 血膿を啜るか 迷うところだ。
掃除が苦手なのは部屋だけでなくパソコンの中身も同じことで、デスクトップにはテキトウなタイトルをつけられた72個のメモ帳アイコンが並んでいる。それらをいっこいっこ開いて中身を確認し、しかるべき場所に保存しようかと思うのだが *** 夢のなかでもつれ合う神経の糸を切断するソース。強烈にはじけとぶインスタンス。目に見える世界の可視的なもつれにドゥルーズなら着目するのだろう。セリー。樹木。ハワイの国定公園で今もあの木は枝をはり空に向かって手を伸ばしているのだけれどその反面根っこの部分は腐り始めていてピザの腐ったような匂いがあたりに充満しているのだと聞く。だから夢などというのは非定立的なものであってあなたの夢と私の夢がうまく合致しないことには重ね合わせることだってできない。同じ時刻に同じ規格のベッドに横たわる、あなたは先に眠りに落ちるだろう絶対落ちるに決まってる、呼吸を整えてそれでも私の呼吸はいつも2、3歩遅れてからやってくるのだ。脅迫的な白い薬の残像に瞼の裏を焼かれながら見えない目で闇の奥を探る。黒い星が迫ってくる。殺せ殺せという声。大量破壊殺人機械。機械という言葉の誤用。取り違えられた乳幼児。狭すぎる哺乳器の中で見た夢をあなたはもう忘れている。朝になって誰と交わったのかもう覚えていない。 なぜならあなたの精神は昏いからだ。 乏しい想像力に火を運ぶためにケンタウロスの角が燃やされる。筋骨隆々とした男の汗を身体に受けて涙を流す女の怪。プライドと偏見に基づくランクアップは性急に行われないべきですね、と女性アナウンサーの鎖骨。トマスは言った、「それは正しい」。鏡像の反転する場所でお待ちしています。貴方のメッセージは足元のペットボトルの中でとけていますから必ずリサイクルに出して取り出してからやってきてくださいね。それでなければあなたの謎は解けず呪いは完成してしまうでしょう。誘拐事件として処理されるかもしれません。そのほうが分かりやすいですからね。ひとはいつだって簡単なものを愛するのです、分かりやすいものを。 分かりにくいですか? だったら豆腐の橋を刻んでみりんにつけておくと良いです。甘く酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐるころには薔薇の花が満開になっているでしょうから。この週末はマンジュシャゲがきれいに花を咲かせはじめると思いますよ。 責任の前で逡巡する憐れなる魂よ。 薄汚れた性器の前に鎮座せよ。 わたくしの中心から放たれる幻想に酔い。 脳髄の死滅する 震える さまに身をゆだね 殺傷力の強い言葉に 貫き通されるがよい *** いきなりこんなのが出てきてバテる。マンジュシャゲ、からおそらく9月ごろのものかと推測される。書くのも体力がいるがそれを読むのはさらに体力がいる。が結論としては、何も考えずに書くほうが楽だ。だがまぁ、若干は考えようと思う。考えなければならない。 *** 砂漠で果てた牛の頭蓋骨、砂漠で消えたパラシュート、砂漠で途切れた交信、砂漠でちぎれた花びら、砂漠で凍ったイチゴ、砂漠で浮腫んだ静脈硬化、砂漠で流れたオロナイン軟膏、砂漠で磨かれた月の鏡、砂漠で見失った足跡、砂漠で飲んだココナッツミルク、砂漠で返した親の仇、砂漠で見つめたキミの爪あと、砂漠で拾った黄色いリボン、砂漠で許した罵倒の言葉、砂漠で流した校内放送、砂漠で蘇ったマンモス、砂漠で息絶えたローマ法王、砂漠で寝返った寝取られ亭主、砂漠で振り向いたフランケンシュタイン、砂漠でよりどころをうしなった医師の杖、砂漠で見とれた商取引、砂漠で歪んだ記憶の残像、砂漠でやつれたクレンジングクリーム、砂漠で書いたラブレター、砂漠で読んだパンダの目、砂漠で裏返る布地の切れ端、砂漠で組み立てられる幾何学模様のバックステージ、砂漠で更新される最高値、砂漠で揺れる赤子の魂、砂漠で強がる老人の皺、砂漠で瞑想するカナダのチベット僧、砂漠で宣言される白人至上主義、砂漠で記入される婚姻届、砂漠で買い上げられるシカの群れ、砂漠で衝突する新世界と旧世界、砂漠で燃やされる7万冊の図書、砂漠で刈り取られる小賢しい知恵、砂漠で分類される脳細胞、砂漠で包装される夢と傷、砂漠で縫合される古い傷、砂漠で紡がれるペルシャ絨毯、砂漠で解消される倦怠期、砂漠で身ごもられるイエス・キリスト。 *** 意図は不明ながら読み返しているとなかなか、楽しい。
馬群を交わしたとき寒気がした。 一瞬。 息を呑んだ。 あんなふうに駆けることができたなら どんなに どんなに あの馬に乗る人はどんな気分がするのだろうか 奇跡に跨り 空を飛ぶ どんな匂いだろう どんな景色だろう どんな音がどんな色がどんな光が その眼前にひろがっているのか あなたへ祈ろう。 あなたの背に腕を伸ばそう。 どうしてもつかめないものたちへ Merry Christmas
あらゆる水は繋がっているのだから。
シャンペンを片手に哄笑する、一年で一番長い夜。 すべてから解放されて、私は自由だ。
あれが足りないとかこれが足りないとか、やさしくないとか、気が利かないとか。 そうだった、そうだった、確かに私もそうだった。 すべて、失って、すべて、足りなくなってみれば、そんなのは全部、些細な不足だよ、と 「うちの旦那が」を繰り返すパートタイマーの人たちの会話を聞いていて思った。 けど、もう、手遅れ。
でも青だけはダメ。 それぞれの色は、それぞれの思い出と結びついている。 紫は中学生のときから常に。 ピンクはショッピング。 赤は新幹線とその先にある光景。 黄緑は白い箱。 緑はライブハウス。 茶色は大学。 でも青は、 青だけは、 きっといつまで経ってもダメ。
のような私を つかまえてごらんなさいな、と自意識過剰な腰のあたりで 視線がもぞもぞ。 けれど食事のお誘いはすべて辞退させていただきます、だってあのあたりには、とてもではないけど回りきれないだけのステキなお店がたくさんあってお昼を楽しんでいるものだから、2キロも太ってしまったのですもの。 それに 一刻も早く立ち去りたいのです、仕事が終わったら。 それは一分一秒を争うのです、なぜなら。 あんまり良い男連れてないね、だなんて誰かさんに思われたら大変だもの。
今日はカタカタとよく手が動いた。どんな些細なミスもしなかった。気持ち良かった。 案外、注意力の要る仕事なんだから。 気安く話しかけたり、しないでよね。
あと少しだけ、頑張ってみて、そして生き方をすっぱり変えようと思う。どういう方向にかは、わからないけど。「できないことがある」というのは哀しいことだが、「できるはずのないこと」にかまけて人生を投げ捨ててしまうのはもっともっと哀しいだろう。 だがもう誰も、そんな私を知らなくて良い。 あとは風のように。
本当に気持ち悪い。
といえないのでつい いいですよ といってしまい 瞼が痙攣する。 だけど誰かがやらなくちゃいけないのだから しかたない。 こんなふうにしてまるくおさまる。 誰かがどこかでいたむことで。
バラ10枚、と言いかけて、11枚、って買えますか、と聞いてみたら、売り場の福々しい顔をしたおばちゃんがええ、もちろんですよ、と笑った。この1枚が当たるかもしれへんね、と、1枚だけ別の半透明の袋に入れてくれた。なんとなく、私も、そんな気がする。 たまにはこんな夢をみるのも良い。
コーラルピンクに染まった指の先だけ、幸せそうで楽しそう。 明日もしっかり、働けよ。 (essie#325 tea&crumpets)
◆ カボティーヌ禍にも慣れ、そして窓から外をみるたびに翻っているいやみったらしいあの社旗にも慣れた。お昼ごはんも喉を通るようになって、昨日は5年前にはなかったとびきりお洒落なイタリアンレストランへ、今日は5年前にもたしかにそこに和食の定食を出す店はあったけれど名前も中身もまったく変わっているところへ行って自家製湯葉ときのこのあんかけ丼を食べた。 けっこう、平気だ。 なんてこと、ない。 おなかが、すくのだから。 ◆ 少し、凪いだ。 暴風雨は、ありとあらゆるものを、吹き飛ばした。 羊はまた、いなくなった。
だからいつでも戻っておいでとやさしい顔で言う。 それはとってもうれしいけれど 時計の針は、巻き戻せないんだ。
絶望する。 やはり私にはこの現実を受け入れることなんかできない。 だから私はある集団から永遠に名前を消すのだけれど、そうすることでそこでは、あからさまに語られることは決してないにせよ、永遠に溶けない氷のように、場を冷ややかに興ざめさせる存在として、不在という名の苦い沈黙を投じ続けることになるのだ。 しかしそれも仕方がないと思う。 無理だもの。 13年の記憶をまるごと消し去ってくれるならばともかく、そんなことは無理だもの。 誰に会えなくなったってかまわない。何人の友人を失ったってかまわない。 君の、苗字を名乗る、あの女を見るくらいなら。
でもどうも耳の問題ではないらしい。こういうとき決まって都合良く引っ張り出されてくる言葉、ストレス。何もかも、ストレス。スト、レス。レ、ストレス。ストレスレストレスフォーエバー。 生きているかぎり癒えないということだ。 まあ、別に、かまわないけど。
バカばっかじゃん なんてつい、悪態をつきたくなってしまうから、次からはあんまりだらしのないところで働くのは辞めておくことにする。 毎日毎日、同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、同じ駅で降りて、同じ道を歩き、同じ机に座って、同じ顔を眺めて、なんてことを、3年も、5年も、10年も、20年も、30年も、40年も続けていたら、必然的にあんなふうになるのかな。あんなふうにはなりたくないな。 かといって、どんなに仕事が残っていても定時の10分前からそわそわうろうろしはじめて1分1秒をカウントダウンしてるような派遣社員もうっとうしい。先を争うようにして帰っていくのは、何かよほど良いことが、素晴らしいことが、特別なことが待っているからなのだろうか。 責任をなすりつけあうためだけに言質をとりあって。「お名前いただけますか」というときの後ろめたさと自分の名を名乗るときの気まずさ。後は延々、果てなく続く泥仕合。 くだらないよ、まったく。
足りないものは自分で補えば良い。 それだけのことだ。 何も難しいことを望んでいるわけではないのに、それがかなわないのは私のせいではない。 誰のせいでも、ない。 外は、雨。 早く月日すべての悲しみを癒せ―(中島みゆき「誰のせいでもない雨が」)
そんな、なんでもない、一日。 でも、少しだけ違うのは、なぜか今日くらいはきちんとしていたくて、バレンシアガのスーツを着ていったこと。良いものを身にまとうことの大切さを教えてくれたのは彼だった。おかげさまで私の預金通帳はいつもかつかつだけれど、たしかに自分を恥じなくて済む。恥じ入って、消え入りたくて、仕方ないような自分自身であったとしても、少なくとも外見でだけは、虚勢をはっていられる。 まったく、俗っぽい話だね、そんなものを買う余裕があるなら、私は本を買うよ、と、えらそうにふんぞり返っていたころが懐かしい。 ◆ それぞれの、生がある。さまざまな、生が。どんなでも、どんな生でも、貴方が今、幸福であれば良い。
◆ 嫌いなんだ、あの匂いが。自分がそれをつけていたときのことを思い出すから。お酒とタバコの匂いに負けないような香水は、昼日中につけるべきじゃない。 そしてそれは彼とはじめて一緒に眠った夜につけていた香水の匂いでもあるのだ。それは私の誕生日のことで、その頃私は夜働いていて、仕事が終わってから、派手な髪と化粧のまんまタクシーに乗って、まるでコールガールを見るような運転手の視線にさらされながらウェスティンに行った。本質的には同じことだな、と、思って笑ったことを覚えている。抱かれるために、そのためだけに駆けつける女。 それからちょうど6ヶ月、明日が彼の誕生日である。なんだこの因果、と毎年思う。5年前の明日、私はエルメスのネクタイを持って、南海電車に乗る。人気のない昼間の会社の独身寮に、彼の前に付き合っていた人に教えてもらった暗証番号を使って侵入し、彼の部屋のドアノブに紙袋を引っ掛けておく。あの頃私は狂っていたので帰りの電車のなかで人目もはばからず泣く。搾り出すように泣く。 あの時紙袋に一緒に入れておいた『重力と恩寵』を彼は読んだだろうか。一緒に暮らしていたとき、その本はノンフィクションばかりがずらりとならんだ本棚の中で随分肩身が狭そうだったけれど。 今彼と暮らす女性はそこになんらかの痕跡を読み取っているだろうか。多分、彼女なら、と思いたい気持ち半分、思いたくない気持ち半分。それとも、もう、捨ててしまうか売ってしまうか、しただろうか。 君が選んだ女を私は生涯認めないけれど彼が選んだ女性はなんとなく、分からないでもない。随分チャーミングな人だ。活発で、明るくて、いつも一生懸命仕事をしていた。こんなのの次だもの、そういう人が魅力的に見えて当然だ。それに私の大学の後輩でもある。頑張って欲しい。 脱線した。 そう、そして5年前の明日、ネクタイの行方を巡って私の昏い思いは彷徨し、5年前の来週、血に沈む。それらすべてのはじまりとしてのカボティーヌ。 まったく、いやな匂いだ。 4年前の明日は神戸のベイシェラトンにいる。3年前の明日は白い箱の中にいて、彼のイタリア土産をまだ受け取れないまま震えている。それはカシミアのマフラーで、随分と私を暖めてくれた。2年前の明日と1年前の明日はどうぞご自由にサイト内を探ってください、そして今年の明日は、どうぞ明日もここを読みにきてください。 いつもいつも、くだらないひとりごとにつきあってくれて、ほんとうに、ありがとう。
だからさ お願いだからさ 人いきれでむんむんしてる職場にカボティーヌ(んー、ひょっとしたらカルヴァン・クラインのユーフォリアかもしれないな)をつけてくるのはやめてくれ、と 声を大にしていいたいわけだよ。 今日一日胸がむかついて吐きそうだった。 それでなくても、今日は君の、誕生日だというのにさ。
だいたい年末になるとこの界隈は家族連れで溢れ返る。やれふぐだ、やれ数の子だといって、普段の三割増の値段をつけてえらそうにふんぞり返っている魚屋の前をあーでもないこーでもない、おとーさーん、あっちのお店のほうが安かったわよね、だなんてうろうろしやがってまったくうっとうしいったらない。魚のアラを荷台いっぱいに積んだトラックが駆け抜けていくときの匂いも知らないくせに。 ◆ 贈りたくもない贈り物を買うために街へ出たが何を見てもやはり贈る気にはなれなかった。おめでとう、おしあわせに。そんな言葉は心のどこを探しても見つからないのだから仕方がない。それでも近々何かが贈られなければならない。まごころを、君に? 取り繕ったって意味がないのだから綻びたまんまにしておいたってかまわないのかもしれない。うわべだけのつきあい、挨拶だけの関係、そんなものにすがるくらいなら潔く二度と顔も見ないことを選ぼう。君の、君たちの罪、生涯許すまい。私は妥協なんかしない。 ◆ ほとんど激怒に近い精神状態が続く。めそめそ泣いているよりは怒っているほうがマシだろう、多分。
だから、土曜日のオフィス街や、残業が、好きだ。 皆が休んだり、遊んだりしているときに働いているのだ、と思うと、それだけで特別な感じがして、ものすごく重大な秘密を覗きみているような気にさえ、なってくる。 仕事をしていないとき、皆が眠ったり抱き合ったりしている間中、ずっと起きているのは、すべての夢や欲望を見届けているようなつもりになれるから、なのだろう。 取り残された者にしか見えない光景がたしかにあるのだ。
その夜恋人からの電話はかかってこなかったようだ。 あの部屋の様子は今でも鮮明に思い出すことができる。大通り沿いの、茶色い雑居ビルのようなそのマンションは父親の会社が管理していた物件で、当時休学中の大学院生だった私は家にいるのがいやでいやで仕方なくて、父親に無理をいって格安でその部屋を貸してもらった。隣の部屋はどういう仕組みになっているのか分からないが何らかの風俗営業がおこなわれているようなところで、一度何かの請求書が間違って私のポストに届いていて、宛名は「極楽天国」だった。その部屋は5階にあったけれど向かいのマンションはまだそれより高くて、ベランダに出ても灰色の無機質な壁が見えるだけだった。だが天井が高く、10畳ほどの広さはあったのだろうか、ひとりでいるときはいやにがらんとした部屋だった。 そこで私は、待って、待って、待ち続けて、静かに狂い続けていた。 今、毎日、あの頃と同じ場所へ働きに出て、昼休みにはあの頃と同じ場所へ珈琲だけを飲みに行っている。いくつかのカフェはリニューアルしていたり、名前が変わっていたり、いくつかの店がなくなって、いくつかの新しい店ができていたりするけれど、職場の窓から見える角の丸いビルの形は何一つ変わっていない。 今も彼はあのビルのあのフロアにいて、戯れにどこぞの広告代理店を名乗って電話をかけたとしたら、当時私がしていたように、取次ぎ嬢が内線をまわしてくれたり、17時帰社予定です、と言ってくれたりするのだろう。 そんな妄想をもてあそびながら伝票を数えていると、なんだか涙が出てきそうになるから、ときおり意味もなくふふふ、と笑ってみるのだけれど、それがどうも気持ち悪いらしく、前の席の可愛い女性がそのたびにわざと大げさに「どうしました?」とたずねてくれるので、どうにか泣かないで済んでいる。人の存在がありがたいと思うことはまれなので、こういう気持ちは大切にするべきだ。 あの頃と違って、もう待つ必要はないし、狂う必要もどこにもありはしないのだから。 |