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知ったこっちゃないわ と言い放つことがどうしてもできない。
ってことで昨夜書いたもの削除。朝はあくまで勢いよく。
ありとあらゆる社会的なるものすべての象徴 ありとあらゆるまっとうなものすべての象徴 として 貴方は私に いまなお重い それが悔しい
見渡せば「逃げて見失った羊」ばかりだ。 私はいまだその羊の手触りを懐かしみ、残像をかきいだいている。あさましいことだ。自ら棄てた羊ばかりであろうに。 今があまりにからっぽすぎて過去が簡単に満ちてくる。水はしょっぱく、凍るほどに冷たい。だから私は両の瞼からとめどなくそれらを排出し、人形を抱いて、眠る。
慣れない端末をたたき続けるというのは やっぱり疲れる。 そうだよな 私だって疲れるんだ。 と 人並みに眠ってみて思う。 おなかすいたとか眠いとか疲れたとかそういう まったく普通のこと。
彼の背負う看板はあまりに立派であまりに目立ちすぎる。 会いたくない。会いたくない。特にこんな華やいだ街ですれ違うように会ったりしたら、振り向いたとたん、私は塩の柱になるだろう。 何もよりによってこんな残酷な偶然を。
「私」を「他者」に教えることの無意味。 聞かれる或いは読まれるに値する、と考えることの傲慢、思い上がり、救いようのない無邪気さ。 他者の時間を奪うことに対する自覚の欠如。 他者の生活に土足で入り込んでいく遠慮のなさ。 私の問題は私の問題であり他者にとっては「他人の問題」に過ぎない。 泥を塗りつける。 穏やかな休日を穢す。 語るべからず。 神を捏造し、神に告げる。 そのほうがまだ、罪は軽い。
どんなことだって、文字にしてしまえばほんの数行で事足りる。「母が転んで怪我をして救急車で運ばれた」、それだけだ。それ以外のことは全部、水面下に沈んでいる。わざわざ引き上げてやることもない。誰にも見えないのだし、見えたところで他人が無様に溺れているというだけのことだし、関係ない。 どうでも、いいことだ。 そうでしょ。
いったいどのようにして自分を保っていったものか。気持ちの持って行き場がどこにもない。切り刻むにはあまりに硬く燃やすにはまだ湿り気が多すぎる憤り。親のために頭を下げることの屈辱、踏みにじられる誠意、紙屑になったチケット。 何を書いても意味を為さず。存在する必要、なし。
いったん寝入ってしまうとね、私の眠りって深いんだよ、短いからかもしれないけど。だからホントに死んでるみたいなの。夢は見るよ。カラーで。匂いまでついてるときもある。最後に見た夢はどんなだったかな。土曜日の朝方のことだから、忘れちゃったよ。 笙野頼子の『硝子生命論』の頁を開いたのがまずかったかな。頁を繰るのが怖い、っていう感覚を久しぶりに味わったよ。それで結局気がついたらみのもんたがテレビに出てるような時間なんだよね。 ああ、そうだ、『ヨシュア記』を読まなくちゃ。なんでだか、昔から、「ヨシアキ」っていう名前に惹かれていて。そんな知り合いはいたためしがないんだけど。で、なんかあるごとに、ヨシアキ、ヨシアキ、って、頭の中で名前だけが旋回するんだけど、それってもしかして『ヨシュア記』となんか関係あるんじゃないの?と思ったんだよね、ヴェイユを読んでいて。そーそー、仕事してたときもさ、「ヨシアキ」って名前の人からの申し込みだったら倍くらい丁寧に処理したり、してた。 で朝でしょ。ばあちゃんの病院詣に付き合って。なんせもうクスリクスリクスリになっちゃってるから、私薬剤師でもなんでもないけど、カタカナ名前覚えるのは得意技だからとりあえず一緒に行って、もらったクスリをあとから全部説明してあげないといけないからね、ま、今、ほかにすることないし。ばあちゃんは静かな人だから、横で私が本読んでても何も言わないしね。 ふたりで帰りに洋食屋さんでハンバーグを食べた。味分かんないから、って耳鼻科に3つも通ってるくせにさ、誰かと一緒に食べるときは味がするんだって、美味しいんだって。そんなこと言われたら、全部のご飯一緒に食べてあげよう、と思うんだけど、なかなかね、難しいよ。私小食だしさ。 昼からは、派遣会社の登録に行ってきた。12月だけ、働こうかな、と思って。アホくさいよね、学歴とか職務経歴書とか、いちいち書くの。私なんかほら、学歴>>>職歴じゃない、はぁ?あんた何やってんの?って、見たほうも思うかもしれないけど書くほうはその何十倍の強度でそう思うわけよ。嗚呼、職って、恵んでもらうものなんだなぁ、なんて屈辱を噛み締めながら、とりあえず仕事決まっちゃったりしたら自分の病院いけなくなるから、ドクターゴーシュおよびドクターRに会っとこう、と思って、帰りに2軒はしご。 それが超驚いたことに、ゴーシュの待合室がからっぽなの!もうすぐ2年のお付き合いだけど、こんなのはじめて。ゴーシュもヒマなのか、大学院ではどんなことを?とか聞き出すもんだから滔々と語ってみた。それが眠れないこととどんな関係があるのかはさておき、ゴーシュかっこいいんだよな、なんていうか中年男の色気むんむんな感じでそんなのと個室で面と向かって「エクリチュールが」なんてな会話になりはじめるとおかしなフラッシュバックが起こったりしてさ。仕方ないから純粋失読症の話とかしてたんだけど。やっぱり必要だな、って思うよ、自分の知らないことを、確固たる自信をもって、教えてくれる人の存在。 ロヒプノールとレキソタンもらって、ドクターRんとこに行ったら今度はもうガキ三昧。見渡す限り鼻ずるずる咳げほげほいわしてるガキだらけ。あー、Rちゃんも大変だよなーとか思いながらボリス・ヴィアンの『心臓抜き』を読んでたら順番飛ばしまくって呼んでくれた。このあたりさすが、モノ分かってるよねあんた!と心の中で喝采を叫びつつ問診1分、で聴力検査室に放り込まれる。そそ、これがあるから、早く呼ばれただけのこと。 したら自分では全然自覚症状ないんだけど、というよりもむしろ、母親がエレベーターを降りた瞬間に帰ってきた、と分かるくらいの地獄耳だ、と自負していたにもかかわらず、んも低い音が壊滅的に聞こえてないんだって。特に右耳。耳の中が腫れあがってるような実感はたしかに常にあるから覚悟してた、ちゃあしてたけど。明日の65DAYSOFSTATICの轟音ライブ、どうしようねぇ? なーんて思いつつえーモラレス負けたーとか嘆きつつ父親が見てる誰でも簡単にボーリングのスコア50アップ!番組の中途半端な翌週回しにキレたりしつつそろそろ今晩何書くか考えなきゃなーとか思いつつお風呂入らなきゃなーとか思いつつ嗚呼もう歌詞のある音楽とかいらねぇなーとか思いつつ65DAYSOFSTATIC聞いてたら 「ザ・KOBAN」からの電話に度肝を抜かれた、ってわけ。 単なる酔っ払いですからほっといてください、と言いたいけど救急車まで呼ばれちゃってたらどうしようもないから付き添って、頭下げて、下げて、下げまくって、もういい加減、アホらしくて、バカらしくて、隣の部屋から地軸を揺らすようないびきが聞こえてきてからはなおさらに、ロイヤルバカオロカデリシャスな感じに思えてきて、今午前5時21分だけど、カマンベールチーズをかじりながら3本目のビールを飲んでいる次第。 長くてごめん。たまには良いでしょ。
微妙にテンションが違ったり(おまえの場合は微妙どころか別人だと言われそうだが)微妙に語尾が違ったり(ですます調と独白調程度の違いだけど)、こっちには書けるけどあっちにはちょっとね、そっちにはまさかね、という事情があったりで、3つか4つか5つくらいの自分を使い分けているのだが、正直なところそんなふうに分裂を続ける自分が耐え難く、また切り替えが面倒くさく、またなにかこう、なんとなく、「裏切り」をしているような、申し訳ないような気すらしてきて、非常に心苦しい。 それでなくてもここひとつとってみたってまーったく統一感に欠けている。昨日はもう眠れない眠れない眠れないで苛々していて苦し紛れにうわごとをひねり出しただけだし、一昨日は回想アンド自己批判、一昨昨日は日常雑記、その前はなんだか怒り狂ってるし、なにかこう、ぴしっと、筋の通った「私」、私の文体、みたいなものが、ほしいなぁ、と思う。 そしてもう、あっちこっちそっちの使い分けなんかやめてしまいたいのだが、誰に読まれても恥ずかしくない文章を書けている自信などはまだまだないし、何よりもやっぱり人となりを知っている人に読まれる、というのはこっ恥ずかしさが伴うし、あっちこっちそっちの中で一番最後に更新をかけるところではいつも、嗚呼書くことがない、と頭を抱える羽目になる。 いつまでも、「恥ずかしぃ」なんていってられないんだけど。
どこか遠くで鍵が開く 多分、いつか、必ず 本当の「コトリ」は、一度しか鳴らない。 その一度きりの「コトリ」を聞き逃すことのないように 絶対に聞き逃すことのないように もし聞こえたならそのときは 全速力で なんの怯えも懼れもなく走り出せるよう 常にあらゆる覚悟を 怠らないこと。 何度聞き間違えても。 それは、まだ、なのだ。 まだ、開かれていない。
幼い頃から母の店の客に囲まれて育ったので大人の顔色をうかがうのが得意だった。こういってやれば喜ぶのだろう、こういってやれば「良い子」なのだろう、と小さな頭で計算をして、利口だ、利口だ、と言われ続けた。だがそれは「大ママは絶世の美女、ママは美女、せやけど三代目はたいしたことないなぁ」という男たちの酒臭い会話に対する精一杯の反抗であった。 私は美しくないかもしれないが母たちのようにはならないのだ、と小さな身体の奥に大きな反抗心を隠しながら夜、誰もいない家で計算ドリルや漢字ドリルを解いていた。 そうして大阪一の進学校に中学から入って利口であることの証明を手に入れてからは利口であることに反抗した。真っ黒な髪をふたつに分けて三つ編みにし、懸命にノートをとって中間テストや期末テストの成績を競い合うクラスメイトからは自然と脱落し、髪を染め、スカートの丈をつめ、かばんをぺったんこにつぶして、授業中はウォークマンで音楽を聴き、堂々と0点を取り続けた。 けれど道を踏み外すことはしなかった、なぜなら、私がそうしたところで「所詮水商売の娘」といわれるのが関の山だったからだ。私は事実酒を飲んでディスコに通って何度も停学処分を受けたが、母はそのたびにどこか嬉しそうですらあった。教師たちに、「うちの子は勉強なんかできんでええんです」と言い放ち、私の染めた髪を弁護するために自分も髪を染め、「遺伝なんですわ」と「赤毛証明書」を出させた母。今度はその母に反抗するため、私は一心不乱に勉強をはじめた。 「所詮水商売の娘」というレッテルには、国立大の大学院の入学証書を突きつけることで完全に勝ったと思った。どうです。たしかに私は祖母や母のように美しくはありません。けれど私は貴方がたの知らない言葉で話し、貴方がたの知らない世界へ踏み出すのです、と。 だが脆い。 そんな反抗はあまりにも脆くて、無力で、情けない。 夜通し本を読む私を母は1円セールのスーパーのちらしであざ笑う。玄関先でくずおれるほど酔って帰ってあざ笑う。父は不在であることであざ笑う。そして私自身が、いまだこうしているしかない自分自身をあざ笑う。 私は母を、殺すべきなのであろう。貴女のようにだけはならないと、誓って生きてきたのなら、今すぐに包丁を摑み、この曖昧でねっとりとした絆を、断ち切ってしまうべきなのだろう。何が反抗だ。所詮、母の胎内で暴れているだけの胎児じゃないか。
+++ それでなくても「プール禁止」のせいで運動不足なので真夜中のバレエレッスンが自分の中でブームである。この階の皆さんが寝静まったと思われる午前2時ごろに、おもむろにバレエシューズを履いて、廊下にでる。そしていわゆるグラン・バットマン(足を90度以上振り上げる)を移動しながら繰り返す。前、横、後ろ。3往復もすれば息はあがるし汗もだくだく流れる。あとまあ余裕があればエレベーターホール前でパ・ド・ブレなど。身体の均整も取れるし、すごく良いではないかと思っている。 今夜で4日目である。 いつか住人と遭遇する日まで続けられる。 +++ そんなわけで私は懸命に姿勢を正して、身体を整えている。もちろん腹筋も背筋もスクワットもストレッチも再開した。病人生活はもう終わり。明日の聴力検査で何を言われるかにもよるけど。 どんとこい。
言葉に有効期限があることくらい知っている。永遠の言葉、永遠の誓い、何もそんなたいそうなものを望んでいるのではない。関係性の変化に伴って吐き出された言葉もまた意味を変えていくだろう。それは仕方のないことだ。 だが、自分で吐いた言葉なら、その後始末も自分でするのが道理だ。 「ごめん」 というたった一言が足りないがために、私の世界は今日も斯様に暗い。言葉に疎い徒であれば所詮馬鹿だ、で片付くが、卑しくも言葉を操る側にいて言葉で人を酔わせ言葉で人を惑わす徒がその程度のことを理解しないとはまことに許しがたい。 殉ずる覚悟がないのなら戯れに言葉をもてあそぶな。 ネットワーク上のコミュニケーションが現実におけるコミュニケーションよりもはるかに強大な力を持ちつつある中、正確な言葉を綴る人間は減り行く一方で、「m(_ _)m」こんな記号に申し訳のなさを代弁させる徒が鳥肌が立つほどのスピードで増殖し、コミュニケーションの存続自体が危ぶまれるような情況に陥りつつある。 此処に視線はないのだ。言外の意味を伝えうるような動作もなければ仕草もない、体温もなければ匂いもない。だからこそ、たとえあらゆる言語表現が誤読されることを宿命として背負っているにせよ、誠心誠意、己の能力の及ぶ限りで、言葉を尽くすことが要求されるのではないか? 軽すぎるのだ。 軽すぎる。 軽すぎて、久しぶりに涙が出そうだ。
―人の世に生まれて人の世を軽蔑したり煙たがるとは、何という冒涜、何という僭上の沙汰であろう(『こおろぎ嬢』尾崎翠)― という言葉を噛みしめ、噛んでも噛んでも味のしない現実などよりは、斯様に噛めば噛むだけ味の出る言葉の世界を如何ほど私は愛することだろうか、などと軽いため息をつきつつまた喫茶店で珈琲を飲みながらすべての視線を遮断するが如くハードカバーの書物とSHUREのイヤホンで完全武装する。 夜道で何度か立ち止まった。 これ以上歩く必要などないような気がして。 これがもし物語であったなら、 バカヤロウ、という怒声とともに車高の低い車が駆け抜けていく。若い男が二人、若い女が二人、呆然と立ちつくす私を嘲るように華やかな笑いを車内に撒き散らして過ぎ去っていく とか 「今夜、月は見えませんよ、さきほどまで、雨が降っていましたでしょう。まあ、晴れていたにしても、今夜月齢は22.9、ほぼ下弦の半月といったところでこんな時間には到底見えやしませんがね」、と、もう雨は上がっているにもかかわらずこうもり傘をさした初老の男が話しかけてくる とか ねえ、疲れたの?まだよ、まだなのよ、本当に疲れるのはこれからなのよ、と見知らぬ女が腕を取り私を引きずっていく とか ふと正気にかえるとそこには20数年前の光景がそのまんまに広がっていた。市場のアーケードはまだなく、コンビニエンスストアのかわりに今にも倒れそうな文化住宅が軒を連ねていた。午後8時を過ぎようとしているのに角の天ぷら屋からはまだ濁った油の匂いがする。 などという記述が続いてもおかしくはないのだが、現実の只中で立ち尽くしても、重い足を右から踏み出すか左から踏み出すか、さんざ迷った挙句、重いため息とともに「えいっ」、と結局どっちから踏み出したのか分からないまんまに歩き出すしかない。 くだらないね。
祖母が乗らなくなった自転車の廃棄処分をしてから亜鉛を多く含む食品をえりすぐって夕食を作り、届ける。今日が日曜日だと勘違いしている祖母は母が何故今夜いないのか分からない。 そこで私の今日の現実は終わり、暗がりに逃げ込んで、同じように何かから逃げてきたのかそれとも単なる時間つぶしかそれとも向学心に駆られてか或いは娯楽を求めてかして集まった顔のない人々とともに物語に飲み込まれていく。 冷たくなった風に吹かれるままに歩き、まだあいていた喫茶店に入り、またそこで今度は紙に印字された物語に入り込む。 物語は優しい。こちらが拒まない限り、とりあえず私を隠していてくれる。だが物語は残酷だ。「完」とともに私を吐き出すように投げ捨てる。 永遠に囲い込んでくれるような物語がどこかに存在していやしないかとふと思う。それは「死」であろうか。「死んだ私」として現実を生きるならすべては物語になりうるか。 …とにかく「水準を変える」必要があることだけは事実だ。
昨夜は飲みすぎた。「とりあえずビール」が恥ずかしいことはもう分かっているのだけれど「とりあえずビール」からはじめていきなり2杯目にスティンガーを注文したときは自分の耳を疑った。え、今、スティンガーって言った? この口が? そこからはもう坂を転がり落ちるがごとく、であった。昔ひとりで暮らしていた頃、自分でシェーカーを振ってよく作った。昨日の店のはまずまず、といったところ。ちょっとキレが鈍かった。余談だけれどウェスティン大阪、ブルーバーのスティンガーは痺れるくらい美味しい。あと法善寺の「薪屋」もなかなか。 ひとりでさらりとバーに入ってさらりと1、2杯軽く飲んでさらりと帰る、ような芸当を、そろそろできるようになりたいと思うのだがやっぱりなかなか敷居が高い。シャワー浴びてるうちに天井がぐるんぐるん回りだしてそのまんま昏倒してしまうような飲み方をしているうちは、まだまだ無理だろうな。 ところで今思い出したけど主治医にアルコール禁止されていたのだった。 なはははは。
「誰も私にふさわしくない」って。 「誰も私にふさわしくない、そう、あなたですら。」 そう書いたのは、2005年の2月12日。あの日から、涙ひとつ流さず、ただ呆然と、物事を見送っている。
睡眠不足だと嘆きながらでも自然の眠りを5時間なり6時間なり得られる人には単なる怠惰な悩みとうつるのであろう。昼間思い切り太陽の光を浴びて身体を動かせば。パソコンに向かっている時間があるなら横になって目を閉じてみれば。あなたには本当の疲れが欠けているんでしょう。眠れない自分、に酔っているのでは。どれもこれも、真実の一片を含んではいるが完全に真実であるとはいえない。 メンタルヘルスに問題のある人間は「そうよね」「そうでしょ」と言い合える仲間を求めているように見えて実は「あんたになんかわかるわけがない」という根深い拒絶を腹の底で飼っているので下手に「そうよね」「そうでしょ」と言ってしまうと「私のほうが苦しいに決まっているのだから」という他者からみればどうでも良いような競争に勝つために「目に見える証拠」を求めて自傷の或いは薬物の泥沼にはまりこんでいく傾向にある、というのは身をもって学んだ。 はぁ?バカじゃないの?と思う人はメンタルヘルスに問題のない人であるのでよろこばしいことである。「私の問題」「私の抱え込んだ問題」「私の陥った状況」こそが世界で一番つらいものでなければならない、という強迫観念にも似た思いがメンタルヘルスに問題のある人間の中心にはあり、たとえば「そうよね」「そうでしょ」と言う「仲間」の告白に耳を傾けつつも「ふん、その程度か」と、「ふん、そんな猫に引っかかれた程度か」と、己の傷口を眺めながらますます己を追い詰めていく、というのがメンタルヘルスに問題のある人間の抱える「問題」である、と今の私は思う。 あなたの問題は世界で最大のものでもなければ最小のものでもない。あなたは世界でいちばんかわいそうでもなければ世界でいちばん恵まれてもいない。 などとえらそうなことを書く資格は私などにはもちろんないのだが、時折過去を振り返ると5年前の自分にそう言ってやりたくなる。結局、自分のことしか見えていなかった。 そして今の私は12時間も眠ってしまっては困るのでレキソタンを半分に割るかロヒプノールを1ミリにしてレキソタンを5ミリそのまま飲むかそれともまた隠し玉のセパゾンでも出してくるか、などと考えている。そのへんは昔も今もたいして変わらないのだけれど、それでも、「あなたは恵まれてるよ」といわれたとして「んなわけねーだろバカヤロウ」と言下に否定するのではなく「そうだよね」と答える余裕くらいは、あると思う。
信じるふり、なんてやめてしまえば良い。 信じたくない、なら戦えば良い。 まず現実を認めてから。 まさか今更、この国に、核がない、と無邪気に言い切る自信は、私にはない。 ▼ 皆、いい子ちゃんなんだね。きれいなことばかり、言いたがる。「死なないで」。「生きていて」。「助けてあげて」。それなのに今夜もどこかで誰かのブログが炎上する。 誰も皆、自分の言っているきれいなことを、信じていない。
ドクターゴーシュの待合室で2時間半、いつものカフェへ行っても良かったが風があまりに強すぎて、不自然に明るい照明と不気味な沈黙に満ちた空気にさらされながら金井美恵子の『文章教室』を読み続ける。暗黒ガーリッシュから倦怠期夫婦の毒に満ちた嘆きの渦へ、えらい飛躍だが何事もバランスが、そう、バランスだけが大切である。 近頃眠れない夜が続く。レキソタンが増える。昔、朝昼晩と飲んでいましたと告げるとドクターゴーシュは笑いながら首を横に振る。 近場の「無農薬野菜をふんだんに使ったサラダ」が売りのカフェに行ってみる。店主は愛想がよくテーブルを占拠した近所のおばさまたちは子どもの話や携帯の操作の話で盛り上がっている。棚には聖教新聞とそれに付随する機関紙が。 強い北風が時折入り口のガラス戸を揺らす。 これから寒い季節に向かうのに何を気弱になっているのだ、少しでも気を緩めたら、すぐにつけこまれるんだから、風邪とか、人恋しさとか、そういった厄介なものに。 はねつけて、すっと立つ、くらいの、気概と、誇りを。
人も物も人の心も消費の対象でしかなくて、いくらでも代替がきくんだってさ。 無駄に流される言葉、二度と省みられない約束。 疲れるねぇ。
流れに乗って手を振るものと流れに逆らい溺れるものと。 河岸で流れを見送るものと下流へ或いは上流へ向かって歩き出すものと。 袖つかみあい足引きずりあって沈み行くもの さしのべられた藁を摑んで這い上がるもの 我先にとわき目もふらず泳ぐもの その後ろにできる流れを利用するもの 舟をつくるものもいれば ポケットに石を詰め飛び込むものもいる 毒を流すもの 網をしかけるもの 釣り糸を垂れるもの みんな自由だ。 百年後にはみな海の底。
だがしかしどのような「気まぐれ」も、あらかじめ定められているそうだ。人の一生は本のようなもので、何年何月何日何時何分にこのような選択をする、そのように考える、等々、あらかじめそこにすべて書かれているのだそうだ。そういうふうに考えたら、少しは楽になるだろう? とその友人は言った。私はそうは思わなかったのでうーん、と語尾を濁した。 同時に3つか4つくらい選択できれば良いのに、と思う。 同時に3つか4つの生を生きることができれば良いのに、と思う。 ある私は糾弾し、ある私は絶望し、ある私は逃走、ある私は懇願する、といった具合に。なぜ現実態はひとつしか存在しないのだろう。あのようにも、そのようにも、ありえただろうに。 猫2匹は頬を寄せ合って幸せだろうか。ほかの在り方を夢見ていたりはしないのだろうか。
私は上述のような言葉で構成された文学を好むが、思想の言葉も同等に好む。それはたいてい海外から移植された言葉で、ぎこちなく、ねじれていて、こじれているが、明晰な思考の軌跡を辿るとき、その軌跡の尻尾でもいい、摑むことができたとき、空を舞っているような気分さえ味わう。 音楽は直接的だ。解釈の必要がない。身体全部を預けてしまえば良い。耳を通して、空気を伝って、音楽が浸透してくる。私はそこで解き放たれ、イマージュに満たされる。 映画は少し難しい。私は観ないときには一切観ない。2時間、或いは3時間、視覚、および聴覚は拘束を余儀なくされる。他人の物語に身体ごとはまり込む余裕があるとき、あるいははまり込んで自分を忘れたいとき、でなければ観ることができない。だからかなり慎重に作品を選ぶ。少数精鋭である。 絵画/写真。私には正直、手におえない。快いか、快くないか、その程度の判断しかできない。小説−たとえば『存在の耐えられない軽さ』−思想−たとえば『カイエ4』−音楽−たとえばLISA GERMANO−映画−たとえば『バルタザールどこへ行く』−で涙を流したことはあるが、絵画や写真を前にして陶然としたことはあっても泣いたことはない。もちろん、私にその手の感受性が欠如している、ということの証左以外のなにものでもない。いつかそういう作品に出会いたいと思う。出会ったときに素通りしてしまうような自分ではありたくないと思う。 舞台芸術に関しては何も書けない。鑑賞した数が少なすぎるから。だが身体を駆使することの素晴らしさは知っている。その難しさも。 あらゆることにたいして鈍感であってはならない。 己を開き、感じること。 みっともないほど、滑稽なほど、貪欲であること。 時折そんな懸命さをあざ笑おうとする自分が顔を出す。己の生活との乖離に冷笑が浮かび上がる。 それでも。 求めることを辞めてはならない。それはおそらく、精神の死を意味するであろうから。
ひとりの食卓は味気ないであろう。 うちはダイニングセットが2人しか座れないようになっているくらいだから父母子3人そろって食卓を囲んだことはないが、それでもリビング、あるいは別の部屋には誰かがいる、こともある。 老いてひとりの食卓はどれほど味気ないのであろうか。 私が此処を出て祖母が代わりに父母と暮らせば良いだけのことなのだが、是非ともそうさせていただきたいのだが、82歳になっても母、65歳になっても娘、の間の確執は根が深いらしい。 母と娘。 *** タルコフスキーの『鏡』をスクリーンで観た。風が吹いていた。水が流れていた。炎が燃えていた。大地がそこにあった。歴史の嵐が、激情が、母が、女が、音楽が、迫ってくるような映画だった。 世界。 *** 近頃別れた男のことをよく考える、と言うとそれは許した証拠だよ、と言われてちょっと納得した。くだらない男を愛したと思うよりも甲冑のようなスーツに身を包み会社の看板背負って堂々と世間と渡り合っていた男を愛したのだ、と思うほうが自分のためにも良い。 確かに一流の男であった。何もかも、とは言わないが。 *** 幸せであれ。 皆、皆、幸せであれ。
毅然さ、という言葉は不自然だがおそらく私に欠けているのはそれだ。確固たる自分がない。関係性を云々する思想の言葉は「生を律する」ことにおいてはあまり役に立たない。ぐらぐら揺れる自己は実体験として惨めなのだ。 「注意とは魂の自然な祈りである(マールブランシュ)」。 最大限の注意を込めてヴェイユを読むこと。膝を折れぬ私に許された唯一の祈りだ。 |