indexpastwill
2006年08月31日(木)   蒼ざめたる馬の背に

「子供の頃、わたしは太陽を凝視したことがある。太陽はわたしの目をくらまし、光の輝きでわたしを灼いた。子供の頃、わたしは愛を、母親の愛撫を知っていた。わたしはむじゃきに人びとを愛し、喜びにみちて生活を愛していた。いま、私は誰をも愛していない。愛したいとも思わないし、また愛することもできない。世界は呪うべきものとなり、いちどきに、わたしにとって荒涼たる砂漠と化した。すべては虚偽であり、すべては空の空である。」(『蒼ざめた馬』/ロープシン p.211)

それは私が見た最後の光かもしれなかった。追いすがり、膝をついて乞うた最後の愛かもしれなかった。

貴方はいない
貴方などはじめからどこにもいない

蒼ざめたる馬の背に跨り
死の影を抱く
私自身が再び
死に似た者となるために

希望もなく
怖れもなく

愛もなく

虚無へと
虚空へと

夜を駆り闇を駆って

貴方はいない
貴方などはじめからどこにもいない
貴方などいてもいなくてもかまわない

すべては虚偽であり、すべては空の空である。

「・・・視よ、蒼ざめた馬あり、これに乗る者の名を死といい、黄泉これにしたがう・・・」(『ヨハネ黙示録』6章8節)


2006年08月30日(水)   怪?

突然ビールが美味しくない怪。魚の腐ったような生臭い匂いが鼻の下3センチからいくらぬぐっても消えない怪。

もう辞めてとっくにそこにいない人間に「誰々がどうしてこうした」というメールが一日に4人から届く怪。一番事情を知っているのはそこに不在の人間であるという怪。

そしていまだメールが届かない怪。「カラオケいこーよー(顔文字)」などというくだらないメールはじゃんじゃん送ってくる女が結婚しましたの連絡をよこさない怪。後ろ暗いところでもあるの怪?

あ、なんかちょっと笑えた。真夜中にパソコン画面を眺めて自分で打ち出したしょーもないことでにやにやしてる女の怪。

寂しいの怪?

(しつこい)


2006年08月29日(火)   泥のように

そんな確固たるものなんてなくても、どろりと、泥のように、形なく、あらゆるものを孕んだり許したり飲み込んだりしながら生きていけば良いのだ、と泥のように酔っ払ってみて思った。

そうだ私は女なのだから。


2006年08月28日(月)   疲れた

黒い表紙の本を7時間にわたって読み続ける。腫れ上がった眼球が教えてくれたのは感情の摩滅と知力の衰退、類推と連想能力の弱体化、興味対象の限定化、エトセトラエトセトラ、要するに武装解除、あるいは敗北。

持続しない。

立脚点が簡単に揺らぐ。

到達点が定められない、そもそも何を望んでいるのか、何故こうしているのか、誰のためにそうしようとするのか、いつまで続けるつもりなのか、どこへ向かおうとしているのか、まったく不透明。完全に崩壊する5W。

ねぇ、もう、いっそのこと、誘拐して監禁して拘束してくれないかな。

疲れたよ。

疲れた。






・・・許せカイメン。


2006年08月27日(日)   倦怠、という欲情

だから肉体を欠いた精神論っていうのはもうどうしようもないんだってば、と文庫本を投げつけそうになる誘惑と格闘しながら『魔の山』読了。現実に触れることのない安全な場所で観念をこねくり回すのはいともたやすい。構図的にはすごくよく出来ている。「平地」=俗世を見下ろす空気の薄い山上のサナトリウム。

しかしそのような「高尚なおしゃべり」は何も齎さない。ハンス・カストルプの7年間は無為に過ぎる。

形而上学には倦み果てた。

私は生きたいのだ。

精神と肉体が止揚するところ。理念と現実が交錯するところ。情念が血を流すところ。言葉が意味に満たされるところ。あなたと私が縺れあうところ、で。


2006年08月26日(土)   言語、という絶望

「主体が想像界の罠にかけられると言うとき、ラカンが言わんとしているのは、主体は自分の外部にあるものを想像することはできない、つまりそれ自体で主体が想像界を越えることを許すような手段を想像界は提供できない、ということなのである。」(ジョアン・コプチェク『わたしの欲望を読みなさい』 p.52)

私が想像するあなたは私自身でありあなたが想像する私はあなた自身である。

私は私に対してすら虚構だ。

言語、という絶望、独房、あるいは慰め。


2006年08月25日(金)   髪

3ヶ月前に切られすぎた髪はまだ十分に伸びてはいなくて、ストレートパーマで誤魔化してはみてもどうもおさまりが悪い。切りすぎた張本人は、涼しげで良いですよ、というけれど、また今日もようやく腰まで届きかけた後ろの髪を切りすぎた。

高校1年生のとき、教師に髪を無理矢理切られたことがある。「校則」に違反して、「大阪一の進学校」にあるまじき、真っ茶色の髪をしていた私が悪いのだけれど、あのときの憤りと悲しさ、そして髪が触れなくなった肩の寂しさはトラウマになっていて、その後の性格形成に深く深く影を落としている。

卒業式の翌日に髪を金髪にし、その髪で大学の門をくぐった。その後一度だけ、髪を青く染め、顎のラインまで切り落としたのは、喉を切って血を吐いた直後だった。

カラーリングとストレートパーマで傷みきった髪を、それでも伸ばし続けるのは私がまだ「何か」を諦めていないからなのだろう。5センチほどの毛束が床に落ちるのを見て、「ちょっと!」と悲鳴にも似た大きな声をあげた。

審美的な観点から、切ったほうが良い、というのは、分かっているのだが。

それでも背中が、少し寂しい。


2006年08月24日(木)   向日葵

日に向かう。

明るい方へ、歩みだす。

目を逸らさず、背を伸ばし、毅然とした態度で。

向日葵という花が、好きになった。



you bought some sweet, sweet, sweet
sweet sunflowers
and gave them to the night.

(Sunflower/LOW 『Things We Lost in the Fire』)


2006年08月23日(水)   そしてまた日々がはじまる

気も済んだことだし、今更泣こうがわめこうがどうしようもないし、すっぱりさっぱり気持ちを切り替えて。

  随分あっさりしてるんだね、などと言わないように。ここにたどり着くまでの13年という月日は決して短くはなかった。

今日はジムへ行って45分のボクササイズのクラスに参加し、そのあと30分間クロスカントリーの真似事ができるマシンにのって汗を搾りだした。

  私は生きてしまっている。俺のために生きろ、と言った人をなくしても。ならばこれからは自分のために生きるべきだ。

デジタルカメラを買った。現実を切り取る装置。私の目に映る現実とは異なる現実を、たくさんつかまえにいこうと思う。

  世界は視線の数だけ存在する。多様性をたたえるか、それとも相互理解の不可能性を嘆くか、それは気分次第だ。


2006年08月22日(火)   気前よく

見事に気前よく一日を浪費した。これで気が済んだ。


2006年08月21日(月)   Why Don't You Try Again

とりあえず書いておくべきだ、と勢い込んで、何時間も推敲を重ねた挙句登録はしたけれど、やっぱりそれは救いがたく感傷的で、なおかつ非常にいやらしく、媚びていて、物欲しげなシロモノで、気持ち悪いから消した。

読まれることを意識しなくなったら、こんなところに文章を書く意味も資格もない。

少し眠って、猫と遊んだら、やはり書く必要のないことだった、と思った。

アルコールを含んだ夜の思考は怖ろしい。

部屋のレイアウトを変えた。椅子に座ってパソコンを叩くことにした。少し視界が高くなった。きちんとモノを書くスペースも作った。

新しい歌を覚えることにした。Over the Rhineの「Drunkard's Prayer」と、「Little Did I Know」、Nina Nastasiaの「A Dog's Life」、「Smiley」、「Roadkill」、「All Your Life」。肩の力を抜いて、緩やかになめらかに、中音域を使って歌うものばかり。もう高い声はいらない。

自分の自己治癒力を信じている。


2006年08月20日(日)   整理中

収拾がつかないのでとりあえず朝7時まで格闘したことだけ書き記しておく。


2006年08月19日(土)   その代償

静寂主義を気取る代償として。

冷蔵庫の中身を全部床にぶちまけ、テレビを叩き割って、エアコンのリモコンをベランダから放り投げて、電話線を引っこ抜き、戸棚から皿という皿をなぎ払い、ここであ、そうだ、こんなに散らかった床を猫が歩いたら大変だと思い至って2匹ともケージに入れ、とりあえず5日分の下着とカットソー数枚と化粧品類と預金通帳をバッグに放り込んで後も振り返らずに家を出た。

夢の中で。

今日も一日タオルケットをかぶっていた。時折電気をつけて『魔の山』を読み、パソコンに向かってソリティアを目が痛くなるまでやった。

飽きた。


2006年08月18日(金)   静寂主義を選択する

芝居がかった身振り、大げさなため息、自業自得の狂態。

何もしないほうがずっとマシだ。

馬鹿馬鹿しい。


2006年08月17日(木)   眠り続けた

生活を築いていかなければならないのだが、電気を消した暗い部屋でタオルケットを頭からかぶってヒリヒリと痛む肌をかばいながら滾々と眠り続けた。

まるで傷ついた小動物が暗がりで自分の傷を庇うように、

と書けばなんだか感傷的に響くから辞めておくとして、

とにかく生活を築いていかなければならないのだが、さしあたって出来ることといえば投げ出してあったトーマス・マンを読み進むことくらいだった。本は優しい。拒まない。手を伸ばせば必ずそこにある。

裏を返せば白い紙に印字された文字の間にしか自分の居場所がない。

すべては己の怠惰ゆえ。


2006年08月16日(水)   塩の柱とならぬため

「ヤハウェはソドムとゴモラの上にヤハウェの所すなわち天から硫黄と火を降らせ、これらの町々と全窪地および町々の全住民と地の植物を滅し給うた。ロトの妻は後をかえり見たので塩の柱になった。」(『創世記』第19章24−26)

13年が崩壊する。

私は振り返らない。

だが貴方の幸福を祈ることもしない。

たとえ生まれ変わっても、私は貴方を忘れるだろう。


2006年08月15日(火)   8月15日

小泉首相が靖国神社に参拝をした。

「靖国で待つ」という言葉の重みを思う。国家が殺したも同然の戦没者を国家が悼むことを何故批判されなければならないのか。大日本帝国は過ちを犯し、そして敗戦した。そのことを、この8月15日という日に噛みしめることが何故軍国主義の復活に繋がるのか。

分からない。

◆◆◆

盂蘭盆会。

うちでは今日送り火を焚いた。

8月15日とは、終戦記念日であり、亡くなった人々に手を合わせる日である。

合掌。


2006年08月14日(月)   空がなかった

東京には空がない、というけれど大阪にもない。特にこのあたりには。用途地域でいえば商業地域にあたる騒々しいところに住んでいる。マンションの前は片道5車線の大通り。立ち並ぶビルディング。灼熱のアスファルト。

ふと、プールへ行く途中、空を見上げたら、雲ひとつない透明な青い空が、聳え立つコンクリートの塔に刺し貫かれていた。

そのビルからは身体を売る女たちが男の腕にぶら下がって歩み出てくる。巧妙に仕組まれた都会の欲望がそそり立つ。一つ裏の通りへ回ればそこはもうけばけばしく安っぽい欲望の交換所。

「人間に垂直の方向は許されていない」(ヴェイユ)。

それでも人は天を目指す。

私が仰いだ空は本物だったのだろうか。


2006年08月13日(日)   今日も夏フェス

何万人という人が、蒸し風呂のような暑さの中、肌を密着させてじんわりと滲み出す汗を共有しながらじぃっとそのときを待つ。どんな力が働いているのか知らないが、それは傍から見れば異常な光景であり、怖ろしい光景であり、滑稽な光景であろう。

最初の音が鳴った瞬間、群れは暴徒と化す。ただし統制の取れた、安全で、平和な(ごく一部をのぞいて。誰かの肩に思い切り下あごをぶつけて口の中を切ったりするんだからまったく)。

音楽は国境を越えるとか、ラブ&ピースとか、no summer sonic, no summerとか、音楽を通して皆ひとつになるとか、そんなことまでは思わないけど、悪いことではないと思う。


2006年08月12日(土)   夏フェス

人の群れの中に、自分をこっそり隠してしまう。そして少しだけ安心する。世界は大きく、広い。蜜に群がる蟻さながら、ぞろぞろ、ぞろぞろ。人はなかなか、優しく、可愛い。


2006年08月11日(金)   知らなくていい

カタカタカタ、とキーボードを叩く音にあわせて心が壊れていく。幾百万のカタカタは反響し、共鳴し、そして狂いはじめる。

知る権利はあるだろう。

だが知らせる義務はない。

知らせない勇気も存在する。

語らない自由も。

真実を伝えているつもりで情に溺れている。正論を振りかざしているつもりで視野狭窄に陥っている。他人の言葉に敏感で自分の言葉に鈍感で、繋がりながら罵りあい、否定しながら結託し、他人の残虐性を暴き立てているつもりで自分の残虐性を飼いならしている。

そっと、心に留めることにする。

猫を、何度も、抱きしめた。


2006年08月10日(木)   ZZZ

気づいたらうつらうつらとうたたねをしてしまっていて、ああ、このまんま眠りに落ちたらきっとものすごく気持ちが良いだろうな、と、何年かぶりに思っているのでそうすることにします。

Good Night.


2006年08月09日(水)   めりこむ

そして一日を気前よく投げ捨てて眠りに捧げた。身体中が痛い。

そろそろテンションをあげておかなければならないはずだがナメクジのようにうにょりうにょりと地を這っている。そこへもってきて明日から盆休みの父が

「どっか行こうか」

などと言い出すものだから天と地がさかさまになって見事に地面に叩きつけられ、恐慌状態に陥っている。

生まれてこの方父親とふたりで何処かへ出かけたことなど一度もない。一体どうすればいいのか。どんな顔をしてどんな服を着てどんな話をすればいいのか。そういえば私には父親がいたのだっけな、と時折思いだす程度の人だというのに何故このややこしいときにややこしいことを思いついたりするのか。

とにかくそんないるかいないか分からないような父親にさえ同情されているのは事実なのだろう。

地面にめりこみそうだ。


2006年08月08日(火)   寝てから寝てから

なんらかの必然性があってこのようにこうしているのだろうとは思うが断片をどれだけ繋ぎ合わせてもおぼろげな図柄すら浮かんでこない。有機的だとか生成だとか神秘だとかセリーだとか贈与だとか寝言は寝てから言え。

それでも逃げ込む場所は文字の隙間にしかない。まったくもって視覚や聴覚に恵まれてはおらず美しいものを前にして美しいと素直に感じる心などは今頃大阪湾の底に沈んでいる。

美しいを愛しいに置き換えても同じこと。

いやな感じに心臓が痛んでプールには行かなかった。

よくない方向へ突進していくときのあの投げやりな感じ。内側の腐敗に突き動かされる形で物事が進行していく。皮膚の下3ミリあたりが熱く火照っている。

・・・寝てから考えよう。


2006年08月07日(月)   これだから夏は嫌いだ

■Ctrl+A、Ctrl+Xですべてを消し去るときの心地よさ。書いても書いても砂の城。

■私が、半袖で出かけるほど、暑い。それはイコール、狂気の沙汰なみに暑い、ということである。だが剥き出しの腕を撫でていく風は生温く、裸で歩いているような気分になった。

■嘔吐、むかつき。みすず書房から出ている合田正人さんの「サルトル『むかつき』ニートという冒険」が非常に面白い。合田さんといえばレヴィナスのイメージしかなかったので意外だ。奥付を見ると「明治大学教授」とある。合田さんに弟子入りする、といって鼻息荒く都立大大学院に進学した彼はどうなったんだろう?

■去っていった男たちのことを考えるときのあさましさだけは救いようがない。

■誰かが、どこかで、こんなふうに私を、思い出すことがあるのだろうか。

■たとえば、キミがコルドン・ブルーを飲むときに。Hirisの匂いを嗅ぐときに。シモーヌ・ヴェイユの著作の前を通り過ぎるときに。パエリアを食べるときに。白いワンピースを脱がせるときに。


2006年08月06日(日)   ヤドカリ哀歌

一日中家庭内のいざこざに引きずり回されて私はヤドカリだ、という喩えの妙に我ながらうっとりしてみたりする。何故にこのクソ暑い日曜に、祖母+その連れ合い+母+私(だからもうこの組み合わせは心底いやなんだってば)の4人そろっててっちりなど食いにいかねばならぬのか。食欲ないんだっての。

脱ぎ捨てるにはもはやあまりに重い殻。

今宵もビールを飲んでいます。


2006年08月05日(土)   14回目の夏が、

貴方と出会ってから14回目の夏が、

という書き出しのなんという残酷さ。13までは良い。それはまだ物語の範疇にある。だが裏切りの数字を越えてみると、もうそれは途端にありえない数字と化す。思わず、声のトーンがあがるほどの。じゅうよん!!

そのうちのいくつかの夏が空白のまま閉じて行き、

違う。貴方がいたのは最初の夏だけだ。それから続くのはまぼろしを追いまぼろしを抱いたいくつかの夏と、喪失に怯えたいくつかの夏、喪失を噛みしめたいくつかの夏。

そしてこの夏、貴方は、すがすがしいほどに不在だ。

私は何処にでも行けるし誰にでも会える、どんな夢を見るのも自由。新しい指を探すことさえできる、より繊細で、より美しい旋律を奏でるギタリストの指を。

もう、14年も。

経ったのですね。


2006年08月04日(金)   no reason

貴方が、私を、愛する。私が、貴方を、愛する。ベッドから起き上がる。貴方に、会いに、出かける。何も食べたくないのに無理矢理冷やし中華を流し込む。コカコーラ。ひまわりが萎れる。猫を愛しいと思う。気持ちを伝える。70年以上昔の犯罪者の記録を読む。これ以上の音楽を知る。繋がっていると確信する。エゴをまきちらす。部屋を片付ける。そぎ落とす。あるいは身に纏う。気にかける。言葉を発する。信じる。生きる。

すべて理由がない。

ポーティスヘッドを久しぶりに聞く。


2006年08月03日(木)   こんな日もある

今更ながらの「ワン切り」電話にそれでなくても短く浅い眠りを剥奪されてはじまった一日はやはりろくなものではなかった。

空想のAK−47で機銃掃射。

標的も定まらない。

良い音楽も見つけられない。

こんな日もある、一月のうち十日くらいは。


2006年08月02日(水)   あるいは装飾品としての書物

図書館に行き借りてた本を返し新しい本を借り出してきた、だけの一日。蒸し暑い。利用している図書館には蔵書検索用の端末がずらりと並んでいるのだが、隣にいた大学生風の若い男がやたらと大げさにため息をついたり舌打ちをしたりするので「何、そんなに、困ってんの」と話しかけてあげる、ほど私は優しくはないのであった。彼はなにやらウィリアム・ブレイク関連の著作を探していたようなのでその気になれば相談にのってあげることくらいはできたかもしれないが。

「夜のみだらな鳥」も「エレンディラ」も貸し出し中、「大洪水」は見当たらず、の私だって相当ため息をついたり舌打ちをしたりしたかったんだよーだ。

大仰な身振り、には当人が意識的か無意識的かに関わらず、常に他者に向けた過剰な期待を認めることができる。

私も10年ほど前はそんな利用者だった気がする。メモ書きでびっしり埋まったノートを誇らしげに、まるで見せびらかすかのように机の上に広げ、せわしなく検索をかけ、書き込み、ため息をつき、舌打ちをし、首をかしげ、またこなれた手つきで検索をし、ハンターのような鋭い視線で画面を睨み、目当ての著作を見出しては意気揚々とカウンターに駆け込む、といったような。

ベストセラーものやハウツーもの、話題の書、といった「通俗的な」セレクトとは一線を画しているのだ、専門的な、学術的な、難解で困難な著作を私は読むことができるのだ、とでもいわんばかりの、選別的な身振り。

そういうのにつられて声をかけてきた物知り顔の男性がいなくもなかったが。

非常にくだらなかったと思う。

10年ほど経った今、手に取る著作が装飾品でない、と断乎として言い切ることはまだできない。だがそのいやらしさについて自覚的である以上、検索画面に向かってかすかに眉をひそめてみせる、くらいのことしか、できなくなった。


2006年08月01日(火)   そういうことらしいよ

かったりー。かったりーよね、暑いからかな。あ、そうそう、今日はさ、プールに行くのも面倒でさ、つか朝?昼?夜?みたいな生活だからさ、も、動けなくなってるわけ、あはは、ホントはヤフオクの商品送りに行かなきゃならなかったし図書館に本返しに行かなきゃだったんだけど。そういえば5日も返却遅れちゃってるわ。でもさー、いまどき「間テクスト性」だなんてどーでもいーよねー、誰も読まないさ。こないだちろっとクリステヴァ読み直そうと思ったんだけど、もー無理。ワケわかんない。で、なんせテレビをみたわけよ、たけしの。えっと、本当は怖い家庭の医学?やけに恐怖心を煽るアレ。したらさ、ほら、私ずっと下腹張ってくるしーくるしーっていってたでしょ?ちょうどソレをやってて。「噛みしめ呑気症候群」って冴えない名前だと思わない?でも8人に1人の割合だってさ。そんなの「ビョウキ」とはいわなくてむしろ常態、だよね。頻度と強度の問題なのかな。まぁどんばまりだったわけ、私。どこの病院行ったって「精神的なもの、ですかね」なんてあしらわれて。血液検査の結果はすべて正常値、「お手本のような血液です」ってな太鼓判まで押されちゃってさ。で、結局は心療内科範疇の話だったわけよ、さもありなん。でもって決定的な治療法も多分ないのね、原因はストレス、でたー!何もかもストレス。奥歯を噛みしめないよう!深呼吸を繰り返して!ま、そういうことらしいよ・・・・・

◆◆◆

そういうことらしい。どうも関西弁というのは文字化しにくくて困る。そもそも自分の言葉も純粋な関西弁なのかどうか分からない。「それでさー」「だからさー」って本当に言ってる。それも東っかわのアクセントで。小さい頃は「ほんでな」「せやからな」だったような気がする。せやねん、そうやねん、せやけど、せやろ?結局、このへんの、「や行」と「な行」に柔かくひっかかる感じのみが細々と残っていくのかもしれない。

「でんねん」「まんねん」ほど死に瀕してはいないが、「おおきに」もそろそろやばい。市場のおっちゃんにはてらいなく言えるがコンビニの店員にはどうしても「ありがとう」になってしまう。

ともあれ関西弁は嫌いではない。その保全のために積極的にベタな言葉を使うほど熱心に愛しているわけではないが。

◆◆◆

冒頭の「かったりー」を関西弁に置き換えてみようとした瞬間もう言葉を見つけられなかった。


nadja. |mailblog