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それは私が見た最後の光かもしれなかった。追いすがり、膝をついて乞うた最後の愛かもしれなかった。 貴方はいない 貴方などはじめからどこにもいない 蒼ざめたる馬の背に跨り 死の影を抱く 私自身が再び 死に似た者となるために 希望もなく 怖れもなく 愛もなく 虚無へと 虚空へと 夜を駆り闇を駆って 貴方はいない 貴方などはじめからどこにもいない 貴方などいてもいなくてもかまわない すべては虚偽であり、すべては空の空である。 「・・・視よ、蒼ざめた馬あり、これに乗る者の名を死といい、黄泉これにしたがう・・・」(『ヨハネ黙示録』6章8節)
もう辞めてとっくにそこにいない人間に「誰々がどうしてこうした」というメールが一日に4人から届く怪。一番事情を知っているのはそこに不在の人間であるという怪。 そしていまだメールが届かない怪。「カラオケいこーよー(顔文字)」などというくだらないメールはじゃんじゃん送ってくる女が結婚しましたの連絡をよこさない怪。後ろ暗いところでもあるの怪? あ、なんかちょっと笑えた。真夜中にパソコン画面を眺めて自分で打ち出したしょーもないことでにやにやしてる女の怪。 寂しいの怪? (しつこい)
そうだ私は女なのだから。
持続しない。 立脚点が簡単に揺らぐ。 到達点が定められない、そもそも何を望んでいるのか、何故こうしているのか、誰のためにそうしようとするのか、いつまで続けるつもりなのか、どこへ向かおうとしているのか、まったく不透明。完全に崩壊する5W。 ねぇ、もう、いっそのこと、誘拐して監禁して拘束してくれないかな。 疲れたよ。 疲れた。 ・・・許せカイメン。
しかしそのような「高尚なおしゃべり」は何も齎さない。ハンス・カストルプの7年間は無為に過ぎる。 形而上学には倦み果てた。 私は生きたいのだ。 精神と肉体が止揚するところ。理念と現実が交錯するところ。情念が血を流すところ。言葉が意味に満たされるところ。あなたと私が縺れあうところ、で。
私が想像するあなたは私自身でありあなたが想像する私はあなた自身である。 私は私に対してすら虚構だ。 言語、という絶望、独房、あるいは慰め。
高校1年生のとき、教師に髪を無理矢理切られたことがある。「校則」に違反して、「大阪一の進学校」にあるまじき、真っ茶色の髪をしていた私が悪いのだけれど、あのときの憤りと悲しさ、そして髪が触れなくなった肩の寂しさはトラウマになっていて、その後の性格形成に深く深く影を落としている。 卒業式の翌日に髪を金髪にし、その髪で大学の門をくぐった。その後一度だけ、髪を青く染め、顎のラインまで切り落としたのは、喉を切って血を吐いた直後だった。 カラーリングとストレートパーマで傷みきった髪を、それでも伸ばし続けるのは私がまだ「何か」を諦めていないからなのだろう。5センチほどの毛束が床に落ちるのを見て、「ちょっと!」と悲鳴にも似た大きな声をあげた。 審美的な観点から、切ったほうが良い、というのは、分かっているのだが。 それでも背中が、少し寂しい。
明るい方へ、歩みだす。 目を逸らさず、背を伸ばし、毅然とした態度で。 向日葵という花が、好きになった。 you bought some sweet, sweet, sweet
sweet sunflowers and gave them to the night. (Sunflower/LOW 『Things We Lost in the Fire』)
随分あっさりしてるんだね、などと言わないように。ここにたどり着くまでの13年という月日は決して短くはなかった。 今日はジムへ行って45分のボクササイズのクラスに参加し、そのあと30分間クロスカントリーの真似事ができるマシンにのって汗を搾りだした。 私は生きてしまっている。俺のために生きろ、と言った人をなくしても。ならばこれからは自分のために生きるべきだ。 デジタルカメラを買った。現実を切り取る装置。私の目に映る現実とは異なる現実を、たくさんつかまえにいこうと思う。 世界は視線の数だけ存在する。多様性をたたえるか、それとも相互理解の不可能性を嘆くか、それは気分次第だ。
読まれることを意識しなくなったら、こんなところに文章を書く意味も資格もない。 少し眠って、猫と遊んだら、やはり書く必要のないことだった、と思った。 アルコールを含んだ夜の思考は怖ろしい。 部屋のレイアウトを変えた。椅子に座ってパソコンを叩くことにした。少し視界が高くなった。きちんとモノを書くスペースも作った。 新しい歌を覚えることにした。Over the Rhineの「Drunkard's Prayer」と、「Little Did I Know」、Nina Nastasiaの「A Dog's Life」、「Smiley」、「Roadkill」、「All Your Life」。肩の力を抜いて、緩やかになめらかに、中音域を使って歌うものばかり。もう高い声はいらない。 自分の自己治癒力を信じている。
冷蔵庫の中身を全部床にぶちまけ、テレビを叩き割って、エアコンのリモコンをベランダから放り投げて、電話線を引っこ抜き、戸棚から皿という皿をなぎ払い、ここであ、そうだ、こんなに散らかった床を猫が歩いたら大変だと思い至って2匹ともケージに入れ、とりあえず5日分の下着とカットソー数枚と化粧品類と預金通帳をバッグに放り込んで後も振り返らずに家を出た。 夢の中で。 今日も一日タオルケットをかぶっていた。時折電気をつけて『魔の山』を読み、パソコンに向かってソリティアを目が痛くなるまでやった。 飽きた。
何もしないほうがずっとマシだ。 馬鹿馬鹿しい。
まるで傷ついた小動物が暗がりで自分の傷を庇うように、 と書けばなんだか感傷的に響くから辞めておくとして、 とにかく生活を築いていかなければならないのだが、さしあたって出来ることといえば投げ出してあったトーマス・マンを読み進むことくらいだった。本は優しい。拒まない。手を伸ばせば必ずそこにある。 裏を返せば白い紙に印字された文字の間にしか自分の居場所がない。 すべては己の怠惰ゆえ。
13年が崩壊する。 私は振り返らない。 だが貴方の幸福を祈ることもしない。 たとえ生まれ変わっても、私は貴方を忘れるだろう。
「靖国で待つ」という言葉の重みを思う。国家が殺したも同然の戦没者を国家が悼むことを何故批判されなければならないのか。大日本帝国は過ちを犯し、そして敗戦した。そのことを、この8月15日という日に噛みしめることが何故軍国主義の復活に繋がるのか。 分からない。 ◆◆◆ 盂蘭盆会。 うちでは今日送り火を焚いた。 8月15日とは、終戦記念日であり、亡くなった人々に手を合わせる日である。 合掌。
ふと、プールへ行く途中、空を見上げたら、雲ひとつない透明な青い空が、聳え立つコンクリートの塔に刺し貫かれていた。 そのビルからは身体を売る女たちが男の腕にぶら下がって歩み出てくる。巧妙に仕組まれた都会の欲望がそそり立つ。一つ裏の通りへ回ればそこはもうけばけばしく安っぽい欲望の交換所。 「人間に垂直の方向は許されていない」(ヴェイユ)。 それでも人は天を目指す。 私が仰いだ空は本物だったのだろうか。
最初の音が鳴った瞬間、群れは暴徒と化す。ただし統制の取れた、安全で、平和な(ごく一部をのぞいて。誰かの肩に思い切り下あごをぶつけて口の中を切ったりするんだからまったく)。 音楽は国境を越えるとか、ラブ&ピースとか、no summer sonic, no summerとか、音楽を通して皆ひとつになるとか、そんなことまでは思わないけど、悪いことではないと思う。
知る権利はあるだろう。 だが知らせる義務はない。 知らせない勇気も存在する。 語らない自由も。 真実を伝えているつもりで情に溺れている。正論を振りかざしているつもりで視野狭窄に陥っている。他人の言葉に敏感で自分の言葉に鈍感で、繋がりながら罵りあい、否定しながら結託し、他人の残虐性を暴き立てているつもりで自分の残虐性を飼いならしている。 そっと、心に留めることにする。 猫を、何度も、抱きしめた。
Good Night.
そろそろテンションをあげておかなければならないはずだがナメクジのようにうにょりうにょりと地を這っている。そこへもってきて明日から盆休みの父が 「どっか行こうか」 などと言い出すものだから天と地がさかさまになって見事に地面に叩きつけられ、恐慌状態に陥っている。 生まれてこの方父親とふたりで何処かへ出かけたことなど一度もない。一体どうすればいいのか。どんな顔をしてどんな服を着てどんな話をすればいいのか。そういえば私には父親がいたのだっけな、と時折思いだす程度の人だというのに何故このややこしいときにややこしいことを思いついたりするのか。 とにかくそんないるかいないか分からないような父親にさえ同情されているのは事実なのだろう。 地面にめりこみそうだ。
それでも逃げ込む場所は文字の隙間にしかない。まったくもって視覚や聴覚に恵まれてはおらず美しいものを前にして美しいと素直に感じる心などは今頃大阪湾の底に沈んでいる。 美しいを愛しいに置き換えても同じこと。 いやな感じに心臓が痛んでプールには行かなかった。 よくない方向へ突進していくときのあの投げやりな感じ。内側の腐敗に突き動かされる形で物事が進行していく。皮膚の下3ミリあたりが熱く火照っている。 ・・・寝てから考えよう。
■私が、半袖で出かけるほど、暑い。それはイコール、狂気の沙汰なみに暑い、ということである。だが剥き出しの腕を撫でていく風は生温く、裸で歩いているような気分になった。 ■嘔吐、むかつき。みすず書房から出ている合田正人さんの「サルトル『むかつき』ニートという冒険」が非常に面白い。合田さんといえばレヴィナスのイメージしかなかったので意外だ。奥付を見ると「明治大学教授」とある。合田さんに弟子入りする、といって鼻息荒く都立大大学院に進学した彼はどうなったんだろう? ■去っていった男たちのことを考えるときのあさましさだけは救いようがない。 ■誰かが、どこかで、こんなふうに私を、思い出すことがあるのだろうか。 ■たとえば、キミがコルドン・ブルーを飲むときに。Hirisの匂いを嗅ぐときに。シモーヌ・ヴェイユの著作の前を通り過ぎるときに。パエリアを食べるときに。白いワンピースを脱がせるときに。
脱ぎ捨てるにはもはやあまりに重い殻。 今宵もビールを飲んでいます。
という書き出しのなんという残酷さ。13までは良い。それはまだ物語の範疇にある。だが裏切りの数字を越えてみると、もうそれは途端にありえない数字と化す。思わず、声のトーンがあがるほどの。じゅうよん!! そのうちのいくつかの夏が空白のまま閉じて行き、 違う。貴方がいたのは最初の夏だけだ。それから続くのはまぼろしを追いまぼろしを抱いたいくつかの夏と、喪失に怯えたいくつかの夏、喪失を噛みしめたいくつかの夏。 そしてこの夏、貴方は、すがすがしいほどに不在だ。 私は何処にでも行けるし誰にでも会える、どんな夢を見るのも自由。新しい指を探すことさえできる、より繊細で、より美しい旋律を奏でるギタリストの指を。 もう、14年も。 経ったのですね。
すべて理由がない。 ポーティスヘッドを久しぶりに聞く。
空想のAK−47で機銃掃射。 標的も定まらない。 良い音楽も見つけられない。 こんな日もある、一月のうち十日くらいは。
「夜のみだらな鳥」も「エレンディラ」も貸し出し中、「大洪水」は見当たらず、の私だって相当ため息をついたり舌打ちをしたりしたかったんだよーだ。 大仰な身振り、には当人が意識的か無意識的かに関わらず、常に他者に向けた過剰な期待を認めることができる。 私も10年ほど前はそんな利用者だった気がする。メモ書きでびっしり埋まったノートを誇らしげに、まるで見せびらかすかのように机の上に広げ、せわしなく検索をかけ、書き込み、ため息をつき、舌打ちをし、首をかしげ、またこなれた手つきで検索をし、ハンターのような鋭い視線で画面を睨み、目当ての著作を見出しては意気揚々とカウンターに駆け込む、といったような。 ベストセラーものやハウツーもの、話題の書、といった「通俗的な」セレクトとは一線を画しているのだ、専門的な、学術的な、難解で困難な著作を私は読むことができるのだ、とでもいわんばかりの、選別的な身振り。 そういうのにつられて声をかけてきた物知り顔の男性がいなくもなかったが。 非常にくだらなかったと思う。 10年ほど経った今、手に取る著作が装飾品でない、と断乎として言い切ることはまだできない。だがそのいやらしさについて自覚的である以上、検索画面に向かってかすかに眉をひそめてみせる、くらいのことしか、できなくなった。
◆◆◆ そういうことらしい。どうも関西弁というのは文字化しにくくて困る。そもそも自分の言葉も純粋な関西弁なのかどうか分からない。「それでさー」「だからさー」って本当に言ってる。それも東っかわのアクセントで。小さい頃は「ほんでな」「せやからな」だったような気がする。せやねん、そうやねん、せやけど、せやろ?結局、このへんの、「や行」と「な行」に柔かくひっかかる感じのみが細々と残っていくのかもしれない。 「でんねん」「まんねん」ほど死に瀕してはいないが、「おおきに」もそろそろやばい。市場のおっちゃんにはてらいなく言えるがコンビニの店員にはどうしても「ありがとう」になってしまう。 ともあれ関西弁は嫌いではない。その保全のために積極的にベタな言葉を使うほど熱心に愛しているわけではないが。 ◆◆◆ 冒頭の「かったりー」を関西弁に置き換えてみようとした瞬間もう言葉を見つけられなかった。 |