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2006年07月31日(月)   肉々しい女たち

角切りにしたトマトに焼きなす、タコの切り身、をレモンと塩と胡椒だけのドレッシングで和える、といったようなさっぱりした料理で急場をしのぎつつ。日付の表示が8月1日、になっていることに妙な焦りを覚えた。

クラスメイトに追い抜かされて
同僚に追い抜かされて
仲間に追い抜かされて

追い抜かされて、っていったってそれは相対的な話で決して同じレールの上を走っちゃいないよという言い訳にさえ追い抜かされて

プールサイドでぼんやりと、妙に焦燥感を煽る小説を読んでいる自分は今どんじりを走っている、いや走ってさえいない、まどろんでいる。

切られすぎた髪はまだ伸びないのに、両脇で時間が轟音を立てて過ぎ去っていく。その振動に足元をすくわれてぽちゃり。と水に浮かびため息をつく。

肉々しい女たち。

図太くなったもので最近ジムでお風呂に入って帰る。気さくに話しかけてきた若い女の子の目が私の両腕のあたりで行き場を失う、同じ時間には二度と行くことができないだろうな、と思う。

目の前で跳ね上げられる水しぶきの量と、続いて現われる見事な腰と、お尻と太ももと。健康と、健全な思考と、安全な恋愛と。甘ったるいカクテルと、アイスクリーム、食後のデザート。

肉々しい女たちの行進。

圧倒され、押しのけられ、そして追い抜かされる。


2006年07月30日(日)   その果ての、旅。

曾祖母の祥月命日で。祖母+その連れ合い+母+私の4人で(ああもうこの組み合わせいやだ)車に乗って墓参り。の最中に。母と祖母がくだらないことで大喧嘩して。

奇妙な同居生活に突如終止符が打たれた。

漬物石を払いのけた、感は確かにあるが。その窪みが確かな不在を物語っている。あんなくだらないことで。それはお墓の雑草がまだ残ってるとか残ってないとかそんなことからはじまったのだけど。怒鳴りあいのケンカをする82歳と65歳にも愛想が尽きたし。一気にボケたばあちゃんが元通りひとりで暮らせるのかどうか。今夜は都合6回ほど電話が鳴ってまた目薬と次の通院の話。

はてこれで良いのか。

分からないから。

梅雨が明けたらジーンズを洗おうと思っていた。

旅、に出たい。


2006年07月29日(土)   認めるにやぶさかでない

鬱陶しい日々が続いているのだから書く内容が鬱陶しくて当たり前だろうが、ボケ、と一瞬だけ戦闘的な身振りをとっておいてまぁそれでもよく考えてみればたいした罵倒の言葉ではないうえに内容を認めるにやぶさかでないので貴方も、もしくは貴女もヒマなのですね、時間を持て余しているのですね、寂しいのですね、と語りかけておく。

そうです、私は寂しいのです。

だいたい寂しくない人間はこんなふうに毎日飽きもせず真夜中にパソコンの画面を相手に文字を綴ったりはしないし他人の日常に関して意見を差し挟んだりはしないのです。

今日は何をしましたか? 誰と話しましたか? 愛しい、と感じましたか? 自分のものでない肌のぬくもりを感じましたか? 貴方が、貴女がそこに存在し続けることについて許しを得ましたか? 幾許かの金銭を得ましたか? 笑いましたか? 泣きましたか? 

私は朝からそうめんを茹でました。掃除をし、洗濯をしてからベランダのピレアを間引きして形を整えました。母が出勤するまでの時間を利用してジムに行き、45分間殴る蹴るを繰り返して500メートルほど泳ぎました。猫を撫でました。何度目かのセリーヌに挑戦しました。お風呂を洗い、祖母の身体を洗い、髪を洗いました。そして今パソコンの画面を相手に缶ビールを飲みながら反芻しています。

ゆっくりと、じんわりと。

ひたすらに鬱陶しい一日を。

夏、ですね。


2006年07月28日(金)   急速に下降線を

「結婚したら旦那と子ども、しなかったらしなかったで親の世話」。何気なしに誰かに向かって吐いた科白だが妙に核心をついている。私にも何かいいわけがあればよかったのに、仕事とか、兄弟姉妹とか。

老人の時間というのは退屈で繰り返しの連続で萎縮していて固執していてそして屈折しているがその老人の時間と比してみても自分の時間というのはそれにまして退屈で繰り返しの連続で萎縮していて固執していて屈折している、

ということに否応なしに気づかされるからこんなに気詰まりなのだ。

そろそろfuck youという言葉が似合わなくなりはじめていることにも気づいている。

悠長にかまえているうちに首根っこを押さえられている、動けなくなるのはいつだろう。いつ、もうダメだという判定を自分自身に下すのだろう、具体的に、たとえば、生理が止まる、とでもいったようなサインが訪れるのだろうか。

口元の縦皺だとか締めても締めてもたるんでくる腹筋だとか日々遠くなる一方の母の耳だとか保険料の支払いに目減りしていく預金通帳だとかに追いかけられて今急速に下降線を辿っていることを受け入れる。


2006年07月27日(木)   fuck you, i love you

最大限の否定と、最大限の愛と。

相反する感情に引き裂かれる。

私の偽善は長持ちしない。

新しいメガネは来月になってから、と100回繰り返し答える。

インクの切れたペンで書いているフリを続ける。

タータンチェックの布の上に置かれたカメレオン。

生誕の災厄、のようなもの。

互いに舐めあう傷口から溢れ出す甘い蜜。

一切の脂肪を許容しない。

虫けら。

臆病者。

郵便局、インターネットカフェ、スポーツジム、野球中継。

その逃走は自主的行動ではないのだから、ずっと、殺され続ける。

角を曲がれば悪意が。

fuck you

fuck you

fuck you

にi love youが続かない。


2006年07月26日(水)   たとえすべての傷痕が消えても

真夜中の缶ビールくらいでは、身体の奥でぶすぶすと消化不良の音をたてている不快感をごまかすことができなくなってきた。

愛したり、許したりなんか、たとえ私の身体からすべての傷痕が消えてもできないと思う。

1ミリたりとも。

こんなクスリは効かない。

何を書いてもくだらない。


2006年07月25日(火)   フェイクフェイク

幸薄い音楽を聞きながら幸薄い自分を演出して悲嘆に暮れる、のは気持ち悪いからそろそろやめよう。

だいたい幸薄くない。

借金もない。殴る男もいない。生活に困ってない。

むしろ恵まれている。

床が抜けそうなくらい堆く積まれた本、壁を埋め尽くす音楽。くだらない男の一言のせいでクローゼットは必ず何かしらの商標のついたクソ高い服で満たされているし、ギターだってシンセサイザーだってMTRだってマルチエフェクターだっておまけに何故かマイクスタンドだってあるし、猫は2匹もいるんだし。

こんな部屋にいてまだ欠乏を嘆くとはオノレはどれだけ強欲なのかね?

・・・とはいえ今宵はMARIA McKEEの「Has He Got a Friend for Me」を久しぶりに歌った。土曜の夜ではないけれど。

フェイク、フェイク。


2006年07月24日(月)   覚悟を

両目の裏側で血流が滞留し龍が。小さな、真っ赤な龍が。

とのた打ち回っていたら大粒の雨が落ちてきた。敏感な龍だ。

◆◆◆

朝起きると祖母がいない。母に訊ねるとラジオの電池を交換してもらいに近所のバッタ屋へ行ったと言う。この老人は、家にラジオの電池を換えてくれる人もいないのか、という店員の目にさらされる祖母を思い胸が痛む、いや、違う、その店員が仮想する「薄情な家族」に組み込まれる自分に不快感を覚える、いや、それもあるがラジオの電池一つ交換できない母に苛立ちを感じる。

とにかく歩いて5分のバッタ屋から祖母はなかなか帰ってこない。

結局、1時間ほどが経過して、私が探しに出かけることになった。携帯電話を片手に「帰った?」「連絡あった?」と何度も家に電話をしながら周辺をまわり、「どこにもおらへん!」という声に焦りが交じりはじめたとき、バッタ屋とは全く正反対の方向から憔悴した表情で坂を下りてくる祖母が視界に入ってきた。

いよいよ覚悟を決めなければならない。

◆◆◆

戦闘的な読書を開始しようと思う。


2006年07月23日(日)   宴の片隅で

テレビの向こうの球宴の前で、82歳と72歳と65歳が宴を繰り広げている。そこからはじき出された私と猫はさきほどから空腹を我慢している。

たかだか2週間禁酒できない祖母に愛想を尽かしそうになりながら、ようよう居場所がない。

そんなものははじめからない。

屈託なく笑う人々の前で、額に汗して働く人々の中で、手を握り合い見つめ合う人々の横で、懸命に生きている人々の只中で、いつだって居場所はなく、自信なさげに口の周りの神経を蠕動させながら視線を泳がせ不安の色を押し隠す。

少し冷房を入れただけで寒い寒いというくせに、今日のこの部屋は随分と冷え切っているじゃあないか。

貴方の隣に、身体を横たえていいですか。


2006年07月22日(土)   許すこと!

「大人の塗り絵」を買ってみた。あの、これ(チラシ片手に)は、どこにありますか、と訊ねた店員がたまたま大学時代の知り合い(5弦ベースの使い手という触れ込みが痛かったキミだ!)だったのでメガネをかけずに外出するとロクなことがないなと思ったが俳画をたしなんでいた祖母には良い気分転換になりそうだからまぁよしとしよう。

まるで私ひとりが全世界の不幸を背負い込んだかのように振舞うのはやめよう。

こんなこと、何でもないじゃないか。

おしめを取り替えてもらっていたとき、ぴゅーっと祖母の顔面目がけておしっこをしたのは、この私だ。

祖母のラジオから、「親孝行なんていう言葉は、皆が皆普通にそうするなら当たり前のことなのだからとりたてて言うほどのこともない」といった趣旨の言葉が流れてきた。

許すこと許すこと許すこと許すこと許すこと、無関心な父を、酒に飲まれる母を、それでも母を待ち続ける祖母を、許すこと許すこと許すことーっっ!!!!!


2006年07月21日(金)   優しくない女

「次はいつ病院行くんやったかな」という問いの答えが「月曜日、って先生ゆうてはったやろ」から「月曜日やで」「月曜日やって」「月曜日ってゆうたやん」「月曜日」になっていくことを責める資格は誰にもないのだ、そうだ、ない。

昔那智の滝に行ったとき、お土産物センターでかめのおじゃみを二つ買ったことを思い出したので早速手渡してみた。ひとぉつ、ふたぁつ、と鈴のついたかめを放り投げる祖母の背中は本当に小さい。

夜になると「お母さんはよ帰ってけえへんかな」ばかり言う。昨日も、一昨日も、一昨昨日も、その前も、母が早く帰ってきた試しなんかないのに、これじゃあまるで私といるのが苦痛だとでも言わんばかりじゃないかと憤る私を責める資格は誰にもないのだ、あるもんか。

母はまだ帰らない。

祖母はトランジスタラジオを抱きしめて、どこかの誰かの遠い声を枕に眠っている。

私は優しくない。急に変わろうなんて、無理な話だ。


2006年07月20日(木)   ID

貴女は、貴女だけは私の味方だと思っていたのに

という言い草の身勝手さに気づかないほど私は鈍感ではないけれどそれでもその一言が口蓋から洩れていくのを食い止めるのには非常な努力が必要でした。

LOWのSUNFLOWERを口ずさみました。

少しだけ涙がこぼれました。

この音楽を知っていて良かったと思いました。


2006年07月19日(水)   a lack of humor can be fatal

祖母の今日の手術に付き添うのは本当なら母のはずであった(理由なら先月19日の日記をクリックしていただければ分かる人には分かるだろう)わけだが親子というのはどうにも遠慮がないらしく、直前になって大喧嘩をして結局私が行くことになった。

時間になって迎えにやってきたのは決して私の祖父ではない祖母の10歳年下のボーイフレンドである。ふたりっきりに、してくれたらな、と思わないこともないがもはや依存しているのだから仕方あるまい。余計な愛想笑いを強いられて、なんていうグチは此処だけの話にしておこう。

やはり書くことは衛生学に関わる問題なのだ。

病院では片目に綿帽子をはりつけられた老人たちが10分おきにエレベーターから吐き出されてくる。付き添いのある老人、ない老人、皆が皆、おぼつかない足取りで、疲れ果てた表情で戻ってくる。名前を呼ばれ、数滴の目薬で瞳孔を開かれて、消毒済みの服を着せられ、眼を切り裂かれ、レンズを嵌め込まれ―すべてはベルトコンベア式に運ぶ。10分おきにエレベーターから吐き出されてくる老人たちが皆が皆それぞれの物語を背負っているのだということに医師や看護士は気づいているだろうか。

まあ、いい。それで祖母の視界は晴れるのだ。

母には店があり父には会社があり。安静を強いられた夜の時間は重苦しい沈黙に支配される。私は的確な言葉を探し当てることができず、祖母は薬を数えることしかできない。今夜明石家さんまが白洲次郎の痕跡を追うというので祖母の縺れた記憶の糸を辿ろうとしてみたが当時を懸命に生きた人にとってその名前は記憶の片隅にも残らぬものであったらしい。

痛み出す下腹部。

大喧嘩をしたはずなのに祖母は母の帰りを待ちわびている。

午前一時半、母は祖母が憎んだ私の祖父にそっくりの、酒に飲まれたどろりとした目で帰宅した。

かつて私が狂うほど愛した男を見限ったのは「どうにもならなくなったら絶対誰かが助けてくれると信じてる」と一点の疑念も差し挟むこともなく言ってのけた瞬間だった。どうにもならなくなったとき、自分以外に頼れる誰かなんてどこにいるだろう。バカじゃないのこの男。

三代にわたって頼り方を知らない。

そうしてさしあたり、「どうにもならなくなったら死ねばいい」と私は今でもかたくなに思っている。引き出しの中の致死量のベゲタミン。

だが本当に必要なのはどうにもならなくなったときにとにかく笑ってみせるユーモアのセンスだ。

笑い方なんて分からないからとりあえず缶ビールのプルタブを引く。


2006年07月18日(火)   家の後姿

午後7時の薄闇の中で電気もつけずにぼんやりとベランダを眺めている祖母の後姿。ときおり聞こえる小さなため息。私もそれを後ろから、声をかけるでもなくじっと眺めていた。会話をなくした家の悲しい後姿。

言葉を見つける努力を、早くも放棄してしまいそうだ。


2006年07月17日(月)   不幸だ、と思い込む

「私は不幸だ」という思い込みは無敵だ。たとえそれがでっち上げに基づく虚偽の思い込みでも構わない。とにかく本人が、「私は不幸なのだ」と思い込んでいること。

そうすればたとえ我が子を殺めたとしても良心の呵責とやらからは自由でいられるのだから、私などが夕方からかれこれ7時間ほどビール或いはチュウハイ或いはブランデーを飲み続け、自分の預金の範囲内で特に必要ではないものを買い漁るくらい、けっ、なんだよ、文句あっか。

今夜、焼きナスと、くずきりのサラダ、あっさり肉豆腐に黒豆ときびの炊き込みご飯(このあたり全部『きょうの料理』の受け売りなのだけれど)、を作ってみたけれど祖母は10歳年下のボーイフレンドが自分の家に見舞いに来るとかでいそいそと帰ってしまった。

ふふふ。実の孫とはいえ、勝てないんだね。

そんなに、粗末に、していたんだね。赤の他人、に、今更頼らせるくらいさ。

「キミの手料理は美味しかったよ、キミとのセックスの相性は抜群だったよ。」

そんな言葉を思いだす。

あはは。

ほかに何もできそうなことがないので、酒を飲むことにする。


2006年07月16日(日)   それに尽きる。

少しでも、ほんの少しでも気分を変えようと似合いもしないピンク色のマニキュアを塗って。必要のないものを大量に買って。

なんて滑稽なんだろうと、真夜中に一人笑う。

同意を求めるわけでなく同情を乞うためでなくて、人が何かを書くことがあるだろうか。

畢竟、愛されたいのだ。それに尽きる。


2006年07月15日(土)   今更何を

5分に一度前言を翻すことで祖母は自分の存在価値を確認しているのだ、ということにようやく気づいた。それ以外に何もないのだ。大切にされている、と思えることが、何も。

朝から晩まで薬を数え続けるのも、これだけの薬に守られてようやく生きているということを訴えかけるためのジェスチャー。それは少し分かる。薬の数や種類で自分の病状の深刻さを誇示したがる群れの中にいたことがあるから。

それぞれがそれぞれの画面を見つめて、この家の中心は全く空虚だ。

祖母は目を伏せて今日私が買ってきたトランジスタラジオを聴く。穏やかな機械だ。粗悪なスピーカーから洩れてくる音はどことなくあたたかいようでどことなく寂しい。

そして起き上がり、薬を数え、「帰ろうかな」と呟く。繰り返し。何度も。

少しだけ分かったから、一緒に薬を確認し、「帰りなや」、とできる限り穏やかな声で言う。繰り返し。何度も。だが私はあまり長くこの偽善じみた態度を自分自身が耐えていられると思えない。いつ右の唇の端っこがつりあがるのか怯えている。

大切にしているのだ、とどれだけ自分自身に言い聞かせようとしても、今更何を、と欺瞞を暴きたてようとするもう一人の自分がいる。

家中が寝静まった深夜、缶ビールのプルタブを引く音とパソコンの羽音だけが響く。


2006年07月14日(金)   非常にくだらないが

酸素が薄い。三世代の我が真っ向からぶつかり合って火花を散らしているのだからそれも当然か。

私などは、世に言う「嫁姑戦争」などに巻き込まれたらひとたまりもないのだろう。執拗に繰り返される「暑い」「寒い」、冷房をめぐる母と祖母の仁義なき親子喧嘩の傍にいて、さきほどから心臓が痛く発話もままならないのだから。

私にも私の我がある。何故キミたちはこの腫れ上がった右目の瞼を見て「大丈夫か」の一言が言えないのか???

くだらない、非常にくだらないが、これが私に突きつけられた現実なのだ。

この部屋はますます要塞に似てきた。缶ビールを武器に篭城する。


2006年07月13日(木)   何ができただろう?

そう、血圧の話と、薬の話と、それから野球の話だけで構成されている一日。「この薬は、朝と、晩と、2回、この目薬は、朝と、昼と、晩と、寝る前と、4回」、今日一日で何度説明しただろう。そのたびに袋から出し、また直し、また出しては眺め、また直し。1回分の薬を小さなビニールに小分けする指は少し震えている。

今この瞬間も、夥しい数の脳細胞が祖母の頭蓋の中で死んでいく。

縮んでいく時間。

1分前の思考を塗り替えて塗り替えて塗り替えて塗り替えてみたら1分前と同じことを考えていた、というような。

帰る、と言って、泊まる、と言って、寝る前の目薬をさしたら帰る、と言って、母が戻ったら帰る、と言って、今帰る、と言って、泊まる、と言って、歯を磨いて、結局帰る、というような。

じりじり、と煙草が灰皿の中で灰になっていく。

たしかにこの家に祖母の居場所はもうない。冷房は効きすぎているし唯一の気晴らしであるはずのテレビは父親に占領されている。術後の弱った目では本も読めまい。ここには横文字の気取った音楽しかなく、読み聞かせるには衒学的すぎる本しかない。

暗い夜道を、祖母の手を引いて歩いた。今頃まだ、薬を数えているかもしれない。

ビールの空き缶が並ぶ。

私の右目は腫れ上がってランチュウのようになった。


2006年07月12日(水)   未完。

小動物のような呼吸を左手に受けながら歩く。手術が終わってみれば笑い出したくなるくらい晴れやかな顔で「痛くも痒くもなかったわ」。だから白内障の手術なんていうのはそういうもんだと口が酸っぱくなるくらい言っただろうが。まったくそういうのを「ゲンキン」というのだ。

ともあれ安心したとたんに今度は私の右目の端っこに超特大のめばちこができた。

病院では皆が受付に設置してある血圧計に腕を通し、そして7つ上がっただの11下がっただのと血圧の話に終始する。薬の説明は何度も何度も念入りに聞く。

(ここまで書いたところで今日はばあちゃんうちに泊めるから今日一日だけはシラフで帰ってこい、帰ってきたら黙って寝ろと言い聞かせておいた母が今な!そこでな!後ろから自転車に当たられてん!ポリボックス引っ張っていってな!ケンカしたってん!とエクスクラメーションマークを5つ引き連れて帰ってきたので脳味噌の血管1、2本ブチギレた、あーもー何書こうとしてたのか忘れた。)


2006年07月11日(火)   ばあばを拾う

一昨年あたりから、目が見えにくくなった、と言っていた。昨年の暮れに大きな眼科へ検査にいって、白内障の手術をすすめられて日取りまで決めてもらったのに、いざとなったら怖くなったみたいで「福岡の親戚が急に入院して」とかなんとか大芝居を打って取りやめた(このあたりのちゃっかり具合は隔世遺伝で私に受け継がれている)。でも先月になってまた、同じ眼科に行きだして、今度こそ腹をくくったのだな、と母も私も思っていた。

のに。

今日になってまた、「福岡の親戚が亡くなって」という巧妙な言い訳(それもきっちり時系列が整っている!)を思いついたらしく、眼科に電話をするというので母も私も慌てた。手術の前の日に限って入院したり亡くなったりする都合のいい親戚などいるわけがない。だいたいばあばのいう福岡の親戚は5年ほど前に亡くなっているのだ。それにこのペースで行けばまた今年の年末くらいに手術の予約を取り付けて、今度は誰か新しい親戚が具合を悪くするに違いないではないか。

事実、ばあばの右目は、白く濁っている。両目で見るとちゃんと見える、と言い張るけれど、2時間ほどで帰れる手術なのだから、母としても私としても今、受けておいてもらいたいのだ。

私が中学生のとき、ばあばは家を出ていってしまった。あのときから、私はばあばに捨てられたのだ、とずっとずっと思ってきた。けれども今日、やせ衰えて自転車にも最近乗れなくなったばあばをしみじみ眺めていると、私もまた、ばあばを捨てたのだなと、思えてきて仕方なかった。

一緒に旅行へ行っただろうか。買い物に行っただろうか。ばあばが一人で暮らしているマンションへ何回遊びに行っただろう。料理を作ってあげたことは、本を読み聞かせてあげたことは、肩をもんであげたことは、あっただろうか。

折りよく今日は裏の神社のお祭りで、本当に、一体何年ぶりだろう、随分小さくなったばあばとふたりで、お参りに行った。ちょっと前まで、矍鑠として、背筋の伸びた美しい人であったのに、とぼとぼと、足をひきずるようにして歩く。ほんまに久しぶりやなぁと何度も何度も繰り返すばあばは喫茶店で美味しそうにアイスコーヒーを飲みながら、やっと、「明日行くわ」と言ってくれた。

多分それほど遠くない日に、私はばあばの骨を拾うことになる。でもその前に、できるうちに、ばあばを拾いに行こう。細くなった腕を取り、手を引いて、市場でもいいし、近所の公園でもいい、一緒に歩こう。昔の話をたくさん聞いて、それはたしか5分前に聞いたんじゃなかったかなと思いながらうんうん、と頷こう。

そんなことを、思った。


2006年07月10日(月)   だらりだらりと

ぽかーんと口をあけた退屈がじわりじわりと牙をむきはじめる。真綿で身体をしめつけられるような、とはこれまた月並みな表現だがベッドに身体が沈み込んでいきそのまんま動けなくなる様を表現するにはぴったりだ。外はそろそろ暑い。いつまでこの気だるさを弄んでいられるだろう。

真剣になれるのは、いつだろうと問うべきか。

私の毎日は鬱陶しいほどに守られていて。もちろん家を出るという選択は可能なわけだが、どこに住みたいのかと問われればこの界隈しかなく、スープの冷めない距離にワンルームを借りるというのも馬鹿げた話、贅沢な話。結局じわりじわりと沈み込みながら完全に動かなくなるときを待つ・・・?

手が少し、年をとった。

ふと窓の外を見ると、雲の隙間から顔を出した満月と目が合った。

こんなふうに、今日は一日だらりだらりと、自分との対話を繰り返していました。


2006年07月09日(日)   宴のあと

圧倒的な脱力感と一抹のやるせなさ/やり直すことができるなら/誰か、早く、うまい言葉を見つけて

ラームのミドルにはじまって/ゴールは全部で147

監督賞はクリンスマンでしょ?あの前髪と長い足、水ぶちまけちゃったのも良かったなぁ/ヌーノ・ゴメス出てくんの遅すぎ/C・ロナウドの反りくり返った走り方が嫌いだ/だからシャツ脱いでイエローもらうなってーの/ゴリラ、ゴリラ、バ、ナ、ナ、ウキーッ!!/あれだけ騒いだウクライナのティモシュク(ティモシュチュク?)が誰に似てるのか気づいて愕然/クローゼ→黒宇瀬、なんてどうよ?/抱きあわなーい、そこー!!ジダンとフィーゴ、シェバ、ピッポ/デコにそっくりの俳優さんがいたような気がするんだけどな/半袖のベッカム・・・?/やっぱりネドベドはうまかったよ、圧倒的に/アデバヨールは怖かったよね/あとマニシェ/シュヴァインシュタイガー、って名前からして強そう/ヨーロッパの復権、のほかに?/ガットゥーゾ歌いすぎー!!/マテラッツィタトゥのセンス悪すぎ・・・/なんでリベリー下げるかなあ??

あんな幕切れを誰が想像しただろう?/それでも/忘れられないはずのシーンも我々はあっけないほど簡単に忘れてしまうから

それでも、やり直しは、できないのだ、たとえ、英雄と呼ばれた人であっても。

圧倒的な脱力感と一抹のやるせなさ、そして寝不足と二日酔いを抱きしめて、日常へ戻る。


2006年07月08日(土)   何もない日

■プールにて。対面からクロールで突進してくる人をよけようとして右のくるぶしを壁にしたたか打ちつける。私は身体が柔らかいので深さ1.2Mのプールサイドにざばーっと足首を振り上げて様子を見ていたらいくつかの視線が突き刺さってきた。真っ赤なペティキュアは自意識のあらわれ。

■得体のしれないものを、かきわけて、かきわけて、進む。

■準決勝決勝用に成城石井でベルギーのビールを数本購入。アップルボックという銘柄のビールが涙出るくらい美味しかった(フライングで飲んでしまった)。ニュートンよりまろやか。ますますベルギーに行きたくなる。

■混濁した意識。溶ける視界。皮膚の表面を滑っていくきらきらとしたポップミュージック。小さく、小さく、丸まって。

■何もない日は何もないのだ。


2006年07月07日(金)   七夕だからか。

おそらくハングル文字で表記されるのであろう、角の立った慌しい言葉をぼんやりと聞きながら。店内には有線から流れてくるエルヴィス・プレスリーの甘ったるくて厚ぼったい声が満ちている。本の中でアメリカの日常が熟れていく。私の内側で血液が死んでいく。雨はいつ降り出すのだろう。

街を行くすべての男たちと寝たいと思うことがある。虚しさを実感するために。あるいは退屈を紛らわせるために。それと同様に街を行くすべての女たちが濡れるところを見たいと思うこともある。着飾った衣裳の奥の欲望を見届けるために。

数年前、そう思うのは寂しいからだと思っていた。だが今はそれだけは違うとはっきり分かる。怖いから、憎いから、悲しいから、いとおしいから、エトセトラ、エトセトラ、そういった感情は、ありうるかもしれない。

「愛している」の意味について。「愛」は一緒に絵を見に行くことやメールを交わすこと、身体を交えることによってはぐくまれるかもしれないけれど、もしそれらが最終目的になるというのなら貴女は寂しいだけだ。

「付き合う」の意味について。考えてみたけどよく分からない。ただ私はもう応接間での付き合いはしたくない。immediateにcommitしたいと思う。欲張りだろうか。

そういえば今夜は七夕であった。雨はついに降らなかった。


2006年07月06日(木)   可能性の長大なリスト

昨日書いたようなことは極端な例として、だが日常生活においてもさまざまなレベルでのすれ違い読み違いは常に生じている。あなたが「愛してる」と呟くとき、それはごめんなさいであったり行かないでであったり今夜も早く帰ってきてねであったり洋服がほしいのであったりあるいはまたさようならであったりするはずだ。

などということを考え始めるともう言葉というものが怖ろしくてならなくなってくる。裏の、裏の、そのまた裏の、裏の裏を読もうとして長大な可能性のリストを作成しては一つ一つ消していくという神経症的な所作を繰り返してはうなりをあげるパソコンの前で頭を抱えてため息をつく。こんなことなら電源を入れるべきではなかったと思ってもいつも遅い。

後悔してもいつも遅い

と太字にしてみることでこれを読まれた方の脳裏に長大なリストが作成されることを願う。けけ。


2006年07月05日(水)   理解不能。

アギラ、ウジ、ウミナ、イクナイ、オイオ、ポジレンギテヂ、クシュテーノジレ、ナンテレジ、ソレジテウンフジレバフェジ、ノレスポシテレスデネマハツレングデレワシク、

という一文が「私は人生のすべてにおいて絶望したので今から飛び降ります、みなさんさようなら」を意味している可能性は10パーセント、「今日のポルトガル対フランスの試合がとても楽しみです、私はフランスを応援します」である可能性は31パーセント、「ある日森の中くまさんに出会ったのでくまさんをAK−47で撃ち抜きました」「ディオールとエスティローダーとRMKとポールアンドジョー、ビオテルムにプリスクリプティヴ、どれがいい?」「シンディ・ローパーって最近何してんの?私けっこう好きなんだけどな」「オレンジレンジいいよね〜キムタク最高だよね〜ナカタの引退残念だよね〜そうそう、CAとお呼び見た?」「あなたが欲しい今すぐほしい今すぐ抱いて突き上げて腰が砕けるくらい」「それは別の見方をすれば文学が現実から永遠にそれていくことの証左でありエクリチュールは常に不透明で確定的な意味をもたない」「誤解、間違い、拡大解釈、ポリオ、報告、カチューシャ、ミカン、シンドラーのリスト、青い空、白い雲、絨毯の上のロールシャッハテスト、電話の向こうの自動音声」・・・以下、可能性のリストは永遠に続く。

それと同じことで、断続的にミサイルをうちこみ続ける、という身振りがいったい何を意味しているのか、アメリカの独立記念日を祝う花火のつもりか、昨日の無期懲役の判決に異議を唱えているのか、うちの特大ネスカフェエクセラがもうすぐ空になるよ、と告げているのか、いやいや、もしかすると真剣に食糧援助を求めているのか、日本のどこかの都市を爆撃しようと目論んでいるのか、ハワイ沿岸に着弾させてアメリカとの開戦を望んでいるのか、それとも明日は図書館に行く日だからちゃんと12時に起きるように、との警告か、

そんなことは、誰にも、分からない。

切断された交通、理解不能。


2006年07月04日(火)   おかしいんじゃないの?

■想像力が欠如しているとしか思えない。狂気と倒錯は赦されて悪魔が真っ赤な舌を出して勝鬨をあげる。

■いともたやすく人の命が奪われるこんな時代だから、人を殺した者の命などはもっとたやすく奪われてしかるべきなのだと理解―誤解?していた。

■ミサイルを打ち込まれても穏やかに笑っている国。遠い異国の地で異国の男がサッカーに興ずる様を眺めやる。鮮やかな芝生の上に表示されたニュース速報の白い文字はあまりにも場違いで。

■何かおかしいんじゃないの?

■おかしいに決まってるじゃない、と返す唇に消し去りがたい冷笑。

■こじ開けられた目から、耳から、「情報」を流し込まれて、それでも私はアナウンサーのように「では次の、」とうまく言えない。


2006年07月03日(月)   いびつなヒト

いびつなのだ、と感じる。たとえば午後4時のプールには定年後の老人しかいない。同世代の男性は当然働いているだろうし、女性もまた働いているか、育児に余念がないか、そろそろ夕食の支度に取り掛かっているか。そんな時間にビート板につかまって足をバタバタさせている自分はいびつに違いない、と感じるのだ。

職業安定所と結婚相談所以外にどこか行くべきところがないものだろうかと水に浮かびながら考える。生まれて育って働いて産んで育ててそして死ぬ。生の多様化なんていったってはじめとおわりは決まっていて、その中間だってパンにするかご飯にするかそれともパスタにするかコーンフレークにするか餓死するか、そのくらいの幅しかない。

だから午後4時にプールに浮かんでいることもカレーライスにしょうゆをかけてみたくらいのいびつさでしかないのだが、たとえば母親が客からの電話に「ムスメ?元気に会社行ってるよ」と答えているのを聞いたりすると、やっぱりいびつなのだと感じざるを得ない。

明日はいったい何処へ行こうか。


2006年07月02日(日)   誰もいない日曜の午後には

ズタズタに切り裂かれた生活リズムを少しでも元に戻すべく、サングラスとSHUREのイヤホンで念入りに外部を遮断してから散歩に出た。午後4時の太陽は耐え難いというほどではなく、冷房で冷え切った身体にはむしろ心地良くてつい遠出をしてしまった。

かつてママゴトのような同棲ごっこを営んだ街並みを抜け、静まり返った高級住宅地を抜けていたときiPODからLOWの「Born by the Wires」が鳴り響いてあらゆるものに別れを告げたくなりながら、それでも入り組んだ路地を抜け、大通り沿いをJOAN JETTの下品なシャウトとともにずんずんと進んだ。

四辻にあらわれたカフェは入り口にこんもりと観葉植物が置かれていて涼しげだった。珍しくアイスティーを注文し、バッグからエリアス・カネッティの『眩暈』を取り出して、読み進む。

焼け落ちたアレクサンドリアの図書館・・・シンクレティズムの聖地・・・全く異なった歴史の可能性が4万冊とも50万冊とも90万冊ともいわれる本とともに消失した・・・燃える記憶、反転する世界、「圧倒的な非対称」の萌芽・・・とりとめもなく浮かんでは消えていく言葉の切れ端を書きつけながら30ページほど読み進んだ頃、また眼球が腫れ上がったのでふと視線をあげると、連れのいない一人客は店内に私だけだった。

日曜の午後、人は誰かと視線を交わし会話を交わす。

そしてキミには明日行くところがあり、キミには今日帰るキミの家があり、キミには今宵抱きしめる人がいるのだ。



それでも日々は続く。走らねばならない。あつあげねーさん、ありがとう。


2006年07月01日(土)   猫の国から帰ってきました

■所詮猫になどなれないということに1ヶ月丸々かかって気づいてみればもうワールドカップも大詰めで、一次リーグの時間かぶってた第三戦をのぞいて全試合見るアホっぷりを遺憾なく発揮しているのだがよくいわれるようにピッチが子宮であってゴールの瞬間が受精の瞬間であるとするなら今回のワールドカップは少子化の影響をモロに受けてかいかんせんゴールが少ない。

■だからどうということはないのだがロカビリー首相はみっともなさすぎた。これまでいかに社会格差が拡大しようが(私などは当然下流社会の真っ只中をアテもなく漂っているに過ぎないわけだが)医療費負担が3割になろうが社会保険の支払基礎日数が引き下げられようが北朝鮮におちょくられようが断乎小泉支持を表明してきたわけだけれども、そんな表明は羊の遠吠えにも匹敵しないと言われればその通りなのだけれども、まぁ今日ばっかりはテレビの向こうで若干バランスの崩れたポーズを決めるジョージのポチを哀しく痛々しい気持ちで眺めやった。あれが日本の限界である。

■そのポチという名のアフガン犬と同い年であるうちの母は高校生の頃、箒をマイクに見立ててハートブレイク・ホテルなどを歌っていたそうだ。三つ子の魂百まで。

■首相というのは一国の「代表」であるのだから、その「代表」があのように尻尾を腰から振りまくってはいけないと思うのである。オペラが好きでもロカビリーが好きでもメタルが好きでも構わないが、それはあくまで一個人の趣味に留めておいていただきたかった。

■「日本代表」の威厳も威信も木っ端微塵になりました、で一番上になんとなく繋がったような気がするのでこのへんで。


nadja. |mailblog