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ゆっくりと、眠って。 毛づくろいをして。 いつか、愛せるように。
もう次は、誰の助けも求めない。そろそろケリをつけるときだ。
明日の朝目覚めたら猫になっていた、それでも、いい。猫に追われるネズミになっていてもいい。 何だって、今よりは、いい。
とまるで電池が切れたかのように2時間ほどうたた寝をして思ったし、なんだか上の文章が日本語として成り立っていない、ということに気づいてはいるけどどこがおかしいのか推敲する気力がないのでまあいいかと登録ボタンを押してみてからやっぱり足りてない、と思った、のでこうして付け足したけど、とにかく、 寝よう。 と思った日に限って母親が温泉に行っていたりする。 眠い。
その頃にはきっと、猫の傷もふさがっていて、私は眠りを確保していて、そうして何にも予定のない穏やかな日々が、ゆっくりと歩み寄ってくるだろう。もう待てないと思うからか、気持ちがざわざわと揺れ動いて、落ち着かない。
猫の病院通いは一日おきになったので、今朝は何も考えずに玄米フレークを食べ化粧をして地下鉄に乗り会社へ行った。今日のノルマであるらしい、約600件の住所登録は午前中だけで終わってしまったのでまた昼までで帰る。 一通り猫を撫で回してから、国民年金の切り替えのために区役所に行く。久しぶりに自転車に乗ったら膝が痛かった。穏やかだけれど紫外線たっぷりの日差しに誘われて少し遠出をしてみようと思ったのはやはり浮上できた証拠かもしれない。美味しい珈琲を出してくれる喫茶店に行き、フレンチモカを飲みながら『ヒーザーン』の続きを読む。珈琲を飲んだのも、随分久しぶりのこと。 帰り道、空から大粒の雨が落ちてきた。5分ほど降ったかと思うと、ウソのように止んだ。あと15分、喫茶店にいたら、濡れずに済んだのに。タイミングをはずすのは、昔からの得意技。 今日はお風呂でもゆっくりできた。浴槽にお湯をためて、オリゴメールを入れ、DIRTY THREEの「OCEAN SONGS」を聞きながら、スポットクリアで毛穴のお手入れもした。猫は2匹とも、機嫌よさそうに眠っている。 少しずつ、少しずつ、澱みの中を、かきわけて、沈まないように、もがいて、あえいで、そしてまたいつかは無様に溺れて、それでも、また、少しずつ、少しずつ、しゃがみこんだら、そこで、おしまい。
そう自分に言い聞かせてみても、行ってみればまたしても何もすることがなかった。保守契約先のリストアップなんかもう先週のうちにとっくに終わってるし、アンケートの回答別に抽出したリストもこないだ金曜日に仕上げた。先方は私の仕事量を3日分くらい読み違えている。 眼球がぱんぱんに張りつめて、雨の気配が耳鳴りと眩暈を誘発するので、昼前に帰ってきた。 母に病院に連れて行ってもらったはずの猫がエリザベスカラーをつけていなかった。ああ、もう、いらないと言われたのか、と思っていたら、憔悴しきった表情の母が帰ってきて、タクシーの中に家の鍵を忘れたので手配に行っていた、と言う。カラーをつけようとしたら逃げ回って出てこないからそのままにしておいたのだ、と言う。あまりに言うことを聞いてくれないので癇癪を起こして泣いたのだ、と言う。 あの猫はおまえの言うことしか聞かない、とビールをあおりながら母が嘆く。昼間の母は最近急速に老いた。平日の昼間から酒を飲むような人ではなかったのに。 だるく、重く、息苦しく。ウォマックの『ヒーザーン』を読んでいたら知らない間に眠っていた。 身体の中心から濁った血が流れ出てきていた。そこにあるはずのカタルシスはみつからない。ああ、もう、この鈍い月は、いったいいつ流れ出すのだろう。
病院から帰ったら、見かねた母が、猫を隔離するために大きめのケージを買ってきてくれていた。 朝食兼昼食に何を食べたのか、また今日も思い出せない。何かは食べているのだろう、と微かに思うが自信がない。 今日は夕方まで眠った。起きてから、ソローキンの『愛』を読んだ。 父が帰ってきて、「そこの医者は下手なんじゃないか、一体何日かかるんだ」と余計なことを言った。何日かかろうが連れて行ってやろうという気のかけらもないくせに。心の中で父の存在を抹消した。 なんて昏い五月なのだろう。
病院の帰り貧血になった。朝食と昼食が一緒になった今日一度目の食事のメニューを思いだすことができない。とにかく何かを食べてから寝た。 2時間ほどで起きて、巨匠の『静かな生活』を読んだ。 もう一匹の猫がちょっかいを出してくるのでそれを叱りつけるのに明け暮れる。少し具合がよくなったからなのか、昨日あたりからしつこくてならない。お尻の匂いを嗅ぎにいき、舐めてやろうとするのできつく叱るのだけれど目を離すとすぐに背中にかぶりついている。いたちごっこ。疲れる。 疲れた。 色々な意味でひどいスランプに陥っているようなので、しばらく何も考えないことにする。 そしてやっぱり今日は憎らしいほどに青い空。あの人が話すときはいつだって、こんな空。
私にはもう、あの人に合わせる顔が何処にもない。物騒なペルソナを剥いでしまえば、そこに残るのは頼りなげで、不安げで、自信なさげで、いつまで経っても成熟しない自分の顔。 多分私は明日行かないだろう。 こうして自ら崩壊していく。
そんな、くだらない場所にしか、居場所がない自分はもっと、くだらない。 あまりにも、くだらなくて、具体的なことを、書く気がしない。 くだらないことに、色を添えるユーモアのセンスなんか、持ち合わせていない。 くだらない。
何を何とかすべきなのか、そこから分からない。積み上げられた本、散乱した薬、二度と読み返すことはないだろうにだからといって捨てることもできない走り書きのメモ、くたびれたジャケット、決して最後まで使いきった試しのないマニキュア、口紅、配達記録で届けられた重要なはずの書類、ありとあらゆるものが埃をかぶりながら、「何とかされる」のを待っているけれど見渡す限りどうでもいいものばかり。 猫の呼吸と体温以外にどうでもよくないものが、なにも、なかった。
会社でもまたクロネコヤマトとの格闘だった。 母に病院に連れて行ってもらった猫は、私が帰ってくるなりうにゃおんとすり寄ってきて、そしてそのまんま、5キロ近くある巨体を私の赤剥けになった膝にあずけて寝入ってしまった。 多分来月あたり、猫になると思う。
のだけれどやっぱりかさっ、とかがさっ、とか、物音がするたびに気がかりでドアを開けて確認し、にゃおぅ、と微かな声が聞こえるたびにバスタオルを巻いて様子を見に出ていたので落ち着かないこと極まりなかった。もちろん文庫本を読む余裕は、なかった。 落ち着かない。 落ち着かないと。 エリザベスカラーがまるでパラボラアンテナであるかのように、猫は乱れたリズムを敏感に察知する。 家中がそわそわしているのは私のせいかもしれない。
それから1年と少ししてやってきた野良猫は、生まれつき病気にかかっていたらしく、1年と半年しか生きることができなかった。高校3年の夏休み。私は学園祭の舞台を控えていて、毎日ほとんど家にいなかった。そして9月に入って2週間が過ぎ、最後の舞台を終えて帰ってくると、彼女は水を少しだけ飲んで、そうして動かなくなった。 2匹に私は、何にもしてやれなかったから。 もう絶対、生き物は飼わない、とそのとき野良猫の遺骸に誓ったのに。 それからまた1年と少しして、市場の角のペットショップの、「3000円分のエサを買ってくださった方にお譲りします」と書かれたチラシの横のケージにいたトラ猫と目があった。とにかく元気で、いたずら好きで、落ち着きがなくて、トラ猫が蹴り倒したポットのお湯を左腕にもろにかぶってしまい、大やけどをしたこともある。 それから2年後、同じペットショップのケージの中に、ウシ猫がいた。この子はねえ、とびきりおとなしいですよ、とショップのおっちゃんは言った。その言葉どおり、鳴きもせず、暴れもせず、呼んでも出てこず、父の前でも母の前でもおどおどと逃げ回るだけ。いるのかいないのか分からないくらいおとなしすぎるウシ猫は、私にだけ、なついてくれた。 何もしてやれなかった2匹の分も、せめてこの子たちには、と思う。そんなのは私のエゴで、自己満足で、勝手な罪滅ぼしでしかないけど、誓いを破った以上は今度こそ、できる限りのことを、してやりたい、と思う。 ごめん。
*** 私は何度か死のうと考えたことがある。そのうちの何度かは実際に死のうとして失敗し、そのうちの何度かは思いとどまった。この子が心を許しているのは世界中で私だけなのだ、と考えて。 *** ひどく臆病で、誰とも目を合わせない。来客などがあろうものなら、一目散に押入れに逃げ込んで出てこない。この子が、大きな図体に似合わない仔猫のような声で鳴き、喉を鳴らすところを知っているのは、私だけ。 *** だから私は眠らない。
何にも知らなかった。これまで2匹の猫を看取って、この子たちで4匹目だというのに、そんな器官があることすら知らなかった。 命に別状はない、と医者は言ってくれたけれど、傷口をさらして熱っぽい身体をぐったりと横たえてる猫を見ていると、どうしてこんなにひどくなるまで気づいてやれなかったのか、そればかりが悔やまれて、辛い。 毎日毎日、可愛い可愛いと撫で回しているくせに。肉球をもんでみたり、耳を裏返してみたり、尻尾の先っちょで鼻をくすぐってみたり、いやがっているのを追いかけて、つかまえて、無理矢理膝にのせてみたり、そんな余計なことばかりしているくせに。 肝心なことは何にもしてやっていなかった。 「可哀想に」という言葉が今夜ほど重いのははじめてだ。
だけど猫は。 どこかがものすごく痛いみたいで、身体を撫でると低く唸る。ずっと小さく震えている。少し熱っぽい。朝から何も食べない。水も飲まない。トイレにも行かない。私に分かるのはそれだけで、どこがどう痛むのか、どんなふうに具合が悪いのか、当たり前のことだけど猫は何も教えてくれない。 昨日まで、2匹でどたばたと走り回っていたはずなのに。 いつだって、崩れるときはおそろしいほどに一瞬で。 こればっかりはどうしても、耐えられそうにない。
右にも左にも上にも下にも昨日にも明日にも、とにかくすべてのアスペクトに必ず「ほんとうではないこと」が含まれている。 人は「ほんとうのこと」だけで生きてはいけないけど、どちらを向いても「ほんとうではないこと」が立ちはだかっていて、腕を伸ばせなかったり足を組むしかなかったりするから、生きにくい。 「ほんとうのわたし」がどのようなものであるのか、もう私にも分からない。
胃がいつも痛い人というのは、いつも背中を丸めていて、いつもしかめっ面をしている。そうしていつも機嫌が悪く、いつも生気に欠けている。そんな風でありたくないのに、今夜も胃が焦げている。 気の利いた言葉なんか見つけられそうにないから、寝ます。
どこにいってもパソコンの羽音が途切れることはなく、もはやそれは雑音まじりの呼吸音となって我々の意識の底にはりついている。 ファンが吐き出す熱気は肌をねっとりと舐めていく。 薄汚れた黄色い雨があと六時間もすれば落ちてくるのだろう。 ・・・不快だ、とにかく。
確実に、時間は流れたのだ。 当たり前の事実を突きつけられて、心臓がずきりと痛んだ。 探しに行こう、暗い部屋で血に濡れて泣いている自分を。きっとまだ、このへんにいる。連れ出して、泣き腫らした目を無理矢理こじあけて、この現実を見せてやろう。世界が動いていること、変わっていること、誰も、何も、待ってはくれないことを教えてやろう。 もう、二度と、夢を見なくて済むように。
もう二度とあんなに崩れるわけがない、という自信は既に揺らいでいる。 私は簡単に揺らぐ。冷ややかに見送るその裏でいつだって頼りなく揺らいでいる。我慢できないことなんてないし、たかだか一日8時間やそこら、やり過ごせないほどやわではないけど、明日うまく笑えるのだろうか。 「たかだか」ねぇ・・・。 どうしていつもこう、「耐える」方向で物事を考えてしまうのだろう。まったく、悪い、癖だ。
だから大学院を出たからといって、「何か」になりたかったわけでは決してなかった。それなのに中途半端だと罵られて、「何か」でなければ認めない、とはねつけられて。あの頃私が望んでいたのはただ、「貴方のために生きること」であったのに。 「何か」というあの一言さえなければ、今頃は、とふと思う。 「何か」になるためにはとにかく家を出てとにかく一人で静かに過ごせる莫大な時間が必要だった。だからとにかく働いて金銭を得なければならなかった。そうして働きはじめた私に貴方は、「従順さが足りない」と言い放った。 ただ本を読むのが好きで、音楽を聴くのが好きで、こうやってちょこちょこと、思ったこと、感じたことを書き留めるのが好きで。料理をするのが好きで、こんな雨の降る夜にはお風呂に長く浸かるのが好きで。 何故それではいけなかったのだろう。 何故私は「何か」にならなければならなかったのだろう。 あれから何年かが経ったけれど、まだ何も分からないまま、また明後日から働きに出る。
この身体は、あまりにも遊ぶことを知らなすぎる。 この疲れは、多分、正しい疲れだ。
とにかく泥のように、眠る。
だから汀で空を見上げる。うちよせる水に誘われて、歩みを進める私を誰かの腕がひきとめた。 誰かが 何かが ひきとめるから いつだってひきとめるから もうこんなにもうんざりなのに、涙もこぼれないほどにうんざりなのに、 信じるふりをまたはじめてしまう。
古傷をもてあそぶことでしか、人並の感情を持っていることを確認できない。何よりも失ったものは感情であったことに気づいても泣くことすらできなくなっていた。 毎夜毎夜、電話を待ち続けた部屋の前を、機嫌を損ねて帰っていく背中に追いすがった路地を自転車で駆け抜けた。 なんて愚かしい時間だったのだろうか、と笑った。 もう決して贖われることのない傷跡に、ローズヒップオイルを塗った。
逆にいえばパパイヤジュースの一杯で世界は色を変える。 そんなものだ。 何もかも、その程度のものだ。 |