おうち鑑賞

2010年11月17日(水) 『メトロポリス』(独) 『ボディ・バンク』


『メトロポリス』Metropolis 1927年 独 フリッツ・ラング監督


NHK-BSで放送予定だったので、先に作品についてチラ見検索する。

作品のプロフィールを読み、すごく楽しみにしていたのに

国会中継か何かで中止になってしまい、余計に見たい気持ちがつのる。

レンタル店で擦り切れ一歩手前的なVHSテープを見つけて

ま〜あっただけ良かったか、と思うことにしてレンタル。

後から検索するに自分が見たのは、1984年にジョルジオ・モロダーという作曲家が、

元のサイレント作品に音楽をつけて編集したバージョンのものらしい。

音楽のことはよくわからないが、安物の『フラッシュダンス』的な

音楽が作品と分離しているようでもあり、逆に(例えそんな安物?でも)

音楽があるから、サイレント映像に引き込まれるところもあるようにも思え、

音楽の存在は創造的というより「必要悪」という感じ。



びっくりしたのはこの作品が1927年製作だということだ。

近未来都市の風景、地下工場で働く労働者達のマスの迫力。(半端じゃない)

芸術的なロボットの魅力。

日本は、大正時代が終わり昭和になったばかりの頃ではないか。

そんな時代に、こんなSF映像が存在していたなんて驚きだ。

普通バージョン(音楽なし?バージョン)も見てみたい。








『ボディ・バンク』Extreme Measures 1996年 マイケル・アプテッド監督


ヒュー・グラントが出演しているので見てみることにした。

細かい事を抜きにして言えば、普通に面白く成立している作品だと思う。

だけど、ヒュー・グラントである必然性を感じなかった。

この登場人物だったら(若かりし日の)ハリソン・フォードが適役に思える。

社会派を背負った人物は、ヒュー・グラントを生かしきれないように思う。

ヒュー・グラントは色恋沙汰の方が似合う。(餅は餅屋)



物語の在り方として引っかかったのは、ヒュー・グラントを善、

ジーン・ハックマン演じるホームレスを人体実験に使う

地下組織的研究所の所長を悪とする構図だ。

研究所の所長が行っていることは確かに悪には違いないんだけど、

病気を治したいという志が歪んだ形になってしまっているわけで

その辺のところを、単純な「悪」とせずに、

もっと深く人物描写出来ていたら、深みのある作品になっただろうと思う。

これだと、作品の中の単なる悪者要因の役割にしか見えず

所長を演じるジーン・ハックマンが、ちょっと気の毒な感じ。

この作品を見て、ハリソン・フォードの存在価値を再認識した

という印象。









2010年11月16日(火) 『ぼくの大切なともだち』 『恋のからさわぎ』


『ぼくの大切なともだち』Mon Meilleur Ami 2006年 仏
            My Best Friend
            パトリス・ルコント監督


中年男が、仕事仲間への売り言葉に買い言葉で賭けをすることになり

親友作りに奔走する。興味を引く面白い設定だ。

人との距離の取り方が不器用で、自分本位な中年男の行動は

自分の姿と重ね合わせ、いたたまれない気持ちになってしまう。

胸に刺さる。そういう意味で、感情移入できたり自己投影できる

作品なので佳作の部類だとは思う。

引っかかったのはラスト。

(DVDを見てから1ヶ月以上経ってから覚書を書いているので

ディティールが曖昧だ〜。本日12月23日)

美術商の中年男とタクシードライバーの男が

一年後に再会するというインターバルをとるラストの設定が腑に落ちなかった。

感傷的過ぎるエンディングもどうかと思うが、

美術商の中年男とタクシードライバーの男が、物語の時間軸の流れのまま

ともだち関係を築いた、というニュアンスが伝わるラストの方が

感情がスムーズに流れる?のではないだろうか?

パトリス・ルコント監督は『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』

『列車に乗った男』の監督だったのね。

『列車に乗った男』はイマイチ乗り切れなかった記憶が。

『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』は時間を置いて再見してもいいかも。








『恋のからさわぎ』10 Things I Hate About You 1999年 ジル・ジャンガー監督


タイトルにヒース・レジャーの〜とあったので、見てみることした。

魅力的な俳優さんだと思うけど、個人的な好みの問題として、

ど真ん中に刺さってくる感じではないのだよな。理解目的で見てみようと思った。



作品的には、気楽に楽しめる学園ラブコメエンターテイメントだったと思う。

それ以上でも以下でもないような。

ヒース・レジャーは高校生というにはイヤに大人びて見えたがカッコ良かった。

ヒース・レジャーより印象に残ったのは

男前な女子高生を演じたジュリア・スタイルズとジョゼフ・ゴードン=レヴィット。

後に『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』で

見ることになるジュリア・スタイルズ。

後に、アマゾンのDVDジャケットで一目惚れして見た

『(500日)のサマー』の男子がジョゼフ・ゴードン=レヴィットだったのだ。

物語の構成、理解云々というより、この作品は俳優さんを見る、

(後に見る作品の俳優さんの足跡をたどった)

という意味合いだったように(後から)思う。









2010年11月15日(月) 『9か月』 『ジョーズ』


『9か月』Nine Months 1995年 クリス・コロンバス監督


ヒュー・グラントとジュリアン・ムーアが出演しているので見ることに。

この頃のヒュー・グラントの美形ぶりと

演技の上手なジュリアン・ムーアの組み合わせに

わくわくしていたのだが(一抹の嫌な予感はありつつも)

ほとんど共感や感情移入の出来ない作品だった。

初めてお父さん、お母さんになる方達へ、という

産科で配布するビデオだと言われたら納得はするかも。

ある状況下にある人達のみ(妊婦さんとか、

マタニティーブルーで葛藤中の若夫婦とか)感情移入出来るのでは?




作品的にはまず、ヒュー・グラントとジュリアン・ムーアのカップルの

サポート的キャラクターの子だくさん?夫婦の存在感が不快だった。

存在が強すぎてバランスが悪い。魅力的に見えないのだ。

あとロビン・ウィリアムスが超クセのある医者を演じている

作品の中での存在意味が全然わからない。作品から分離している。

あと終盤、産気づいたジュリアン・ムーアを病院につれていくため

大慌てで運転するヒュー・グラントの車が、アクシデント的に

次々ケガ人と遭遇するシーン。ケガ人達を一緒に病院に運ぶハメになってしまうという、

一応コメディタッチを目指したシーンなのだろうが

この作品の構成からすると、全く関係ない、いらないシーンだと思う。

コメディにもなりきれていない。

覚書を書きながら(タイプしながら)どんどん思い出してきた。

(12月18日)

男の責任?から逃げていたヒュー・グラントが、

お医者さんにパートナー(ジュリアン・ムーア)の

妊娠ビデオ(だったか、妊娠にまつわる話だったか)で一転

言葉なくたたずむシーン。

すごく感情が伝わってきてぐっとなった。

この作品で一番印象的だったのはそこだった。



クリス・コロンバス監督ってハリー・ポッターシリーズの監督だったのだ。

後から検索して知った。

作品間にギャップがあってちょっとびっくりだ。









『ジョーズ』Jaws 1975年 スティーブン・スピルバーグ監督


NHK-BSで見る。冒頭10分くらい切れて見る。

テーマ音楽と共に常に見聞きする作品なれど(たぶん)初めて見た。

イメージしてた以上の面白さだった。

とくに印象に強く残っているのは、終盤

鮫退治のため船に乗り込んだ3人の男達の行動と関係性。

面白いなあと思ったし、上手いなあとうなってしまった。

知恵や道具を装備した海洋学者や荒くれ漁師をさしおいて

終始もたもた足手まとい的?な行動しか取れなかった畑違いの

デスクワーカーの警察署長が結局、事の解決に導くという逆転のキャラクター描写。

オチはそこにあったのね。

そして荒くれ漁師が、3人の男達で雑談を交わす中

日本の原爆投下に関係する話をする場面。

その部分が特別クローズアップされていたわけではないけど

日本人として不快に感じて、ちょっと引っかかっていた。

結局、荒くれ漁師は鮫に襲われ死んでしまった。

語弊のある言い方かもしれないけど、

物語上の微妙なバランスの取り方がうまいなあと思う。

どちらの立場も結果、立てている。

DVDをレンタルするか(お手ごろ価格なら購入するかで)再見する。









2010年11月14日(日) 『ニューヨーク、アイラブユー』 『マイレージ・マイライフ』


『ニューヨーク、アイラブユー』New York, I Love You 2008年


11人の監督による作品。

時間が経過してから、この覚書を書くにあたってわかったことは、

街角で女をナンパする作家の物語が一番鮮明に記憶にあったということ。

(12月16日)

女が一枚も二枚も上手であろう娼婦と知らずに、性的虚勢を張る

ちょっと情けない作家の男を演じたイーサン・ホークの印象が強く残っている。

他の物語も、それなりに佳作だったり、イマイチだったりで全体的にまあまあな印象。

よくわからない、理解できない物語もあったので再見してもいいかなと思う。

(オペラ歌手?とホテルマン?の話。)

あと、オムニバスではないということだ。

確かに、それぞれの物語の登場人物が宇宙の采配でつながっている?

という構成なのかもしれないが、あんまり意味をなしてないような気がする。

1作品が10分前後だから、かえってそういう装飾がうるさい。

チマチマしちゃってると思う。

「ニューヨークが共通項」でいいではないか?

潔く1話完結という形を取ればよかったのではないか?と思う。







『マイレージ、マイライフ』Up in the Air 2009年 ジェイソン・ライトマン監督


かなり好きな作品だ。

見ながらDVDを買おうと思った、ということをこの覚書を書きながら

思い出したので、リストメモを確認すること。

たぶん初ジョージ・クルーニーだと思う。

ジョージ・クルーニー単体(?)でどうのではなく

俳優さんたちは、適材適所、この作品に生かされている。

ジョージ・クルーニー演じる解雇通告員?の新卒の部下の女子を

演じたアナ・ケンドリックという女優さんの

堅さと青さと微細なセックスアピール具合がすごくいいなあと思った。

絶妙な配役だと思う。

この作品も、イヤな記憶の薄れ方じゃないのだ。

ずどんと琴線にふれた感情の塊は胸にある。

再見して、ディティールを反芻する。









2010年11月13日(土) 『コラテラル』 『父ありき』


『コラテラル』Collateral 2004年 マイケル・マン監督


再見する。

あ〜もうホント好きな映画だわ〜。

クールとウェットが絶妙のバランスだ。

銃撃シーン、殺戮シーン(って言うと語弊があるが)の

型の美しさにしびれまくり。

この映画の評価が出来ない人はイヤミじゃなくホントに気の毒だなあと思う。

いい加減、DVD購入しなさいよ、と自分に渇。

未見のマイケル・マン監督の解説バージョンを見たい。









『父ありき』 1942年 小津安二郎監督
             脚本 小津安二郎 / 池田忠雄 / 柳井隆雄


小津安二郎監督の未見作品の数本の中の1作品をやっと見る。

オープニングの父と子の会話からしてイチイチぐっとくる。

和製『クレイマー、クレイマー』戦前修身バージョンだ。

ディティールの記憶より、感受した記憶が勝つ。

琴線にふれた感覚を理解に変えるため再見する。









2010年11月12日(金) 『潜水服は蝶の夢を見る』 『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』


『潜水服は蝶の夢を見る』 Le Scaphandre et le Papillon
             The Diving Bell and the Butterfly
             2007年 仏=米 ジュリアン・シュナーベル監督


DVDを見たのは11月12日で覚書を書いている今日は12月11日(土)。

ディティールの記憶は曖昧になってるけど

作品全体の印象については鮮明にある。

良くも悪くもおフランス映画ですな〜という感じ。

一番強く印象に残っているのはオープニングの在り方。

突然倒れて意識を失ったELLE誌の編集長ジャン=ドミニク・ボビーが

病院のベッドで目を覚まし、唯一正常に機能している左眼の目の動きが

カメラワークとなって、ベッドの周りを取り囲む医師や看護師たちの対応

そしてジャン=ドミニク・ボビーの心の声によって現在の状況が描かれているシーンだ。

まずこのオープニングシーンが(記憶違いでなければ)

延々10分も続いた意味がよくわからなかった。

ジャン=ドミニク・ボビーの左眼の動きを視点とするカメラワークは

別に映像が魅力的でもなく、登場人物や状況説明に魅力があって

引っ張られてる感じでもなく、なぜ不毛な繰り返しをしているのか甚だ疑問だった。

長くても2〜3分で切るべきだ。それで充分シーンの存在理由は描写できると思う。

琴線を揺さぶるといった類ではなく、むしろあざとさを感じるカメラワークの

約10分は非常に長く、苦痛に感じた。

目先のテクニックが先行して、一見先鋭的に見えてしまうが

中身(登場人物のキャラクター描写や掘り下げ)がついていっていないない感じ。

物語のディティールの記憶は曖昧にはなっているのだけど

共感と感情移入がほとんど出来なかったという感覚、記憶ははっきりしている。






『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』

再見する。









2010年11月11日(木) 『スプリング・ガーデンの恋人』 『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』


『スプリング・ガーデンの恋人』Hope springs 2003年 マーク・ハーマン監督


イマイチ気乗りしなかったが

コリン・ファースが出演してるで見てみることにした。

「スプリング・ガーデン」とあるが、入り口付近のショットが

ちょろっと出てきただけ。不自然だと思う。

邦題の問題かどうかはさておき、

ガーデン全景のシーンがあると作品が締まると思う。

コリン・ファース演じる画家の男が泊まったコテージ(ガレージ?)が

行動エリアの大部分を占めているように見えて、

こういう言い方はなんだがショポイ印象だ。

コリン・ファースが演じた画家の役は、もっと若い俳優さんが適役だと思う。

コリン・ファースが演じるには中年過ぎる。

画家とアクの強い婚約者(ミニー・ドライバー)の関係性が発展する

物語進行の方が面白かったのではないか?

物語の芯がイマイチどこに存在しているのかわからなかった。

マーク・ハーマン監督は『ブラス!』を監督した人なのだそうだ。

『ブラス!』はよかったんだけどなあ。






『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』Scent of a Woman 1992年 マーティン・ブレスト監督


久々に見たくなって再見する。

単純に学舎と学生の情景が好きなので

オープニングから胸キュンだ。

学友仲間の一人は『マグノリア』の介護師役で上手いなあと思った

フィリップ・シーモア・ホフマンという俳優さんだったのだ。

言わずもがな、アル・パチーノは魅力的だ。

学生君とのそこはかとない関係性がいい感じ。

学生君のチャーリーを演じたクリス・オドネルという俳優さんは

好演しているとは思うけど、アル・パチーノと渡り合うには

あと一押し、何かを感じさせるモノがあったらと思う。

魅力的なシーンが物語を進行させ、全ての登場人物のキャラクターも丁寧に描かれていると思う。

しかし、そう思う一方で(言い過ぎかもしれないけど)

作品全体が茫洋とした印象になっているとも思うのだ。

切れ味に欠けるというか。

佳作なので、余計気になるところが目に付くのかも。









2010年11月10日(水) 『ベスト・フレンズ・ウェディング』


『ベスト・フレンズ・ウェディング』 再見する。



2010年11月09日(火) 『ベスト・フレンズ・ウェディング』


『ベスト・フレンズ・ウェディング』My Best Friend's Wedding 1997年 P・J・ホーガン監督


『アナザー・カントリー』のルパート・エヴェレットが出演していることが

わかって、ダビングしたテープを引っ張り出してきて見る。

かなり前に見た覚えはあるが、ほとんど初見感覚で見た。

(初見の時は、あまり面白いと思わなかった記憶がある。)

細かい部分に心憎い遊びの丁寧な描写がちりばめてあって小腹で笑えてしまう。

この物語の主要登場人物、ジュリア・ロバーツ、キャメロン・ディアス、

ルパート・エヴェレット、ダーモット・マルロニーらの俳優さんたちは

キャラクターを作り上げていてそれぞれが魅力的だった。

一見不自然に思える関係性も説得力がある。

この作品のキャメロン・ディアスはすごく上手いと思った。

ルパート・エヴェレットは『理想の結婚』でもそうだったけど

この作品でもサポート的キャラクターであった。

奥深い包容力が魅力的。




中盤くらいに、ゲイの友人のジョージ(ルパート・エヴェレット)が

ジュリアン(ジュリア・ロバーツ)に「ちゃんとマイケルに告白してふられてこい。

そしてニューヨーク(だっけ?)に帰ってくるんだ」と

空港でアドバイスする場面が出てきて、ジュリアンが元彼のマイケルを

お金持ちのお嬢様のキム(キャメロン・ディアス)から

奪い返すことができるかどうかが物語の核心ではないことがわかる。

ストーリーを追うことを第一義としていないこの物語のあり方がすごく好きだ。

ジュリアンとジョージがダンスをする

小粋でこっぱずかしいラストシーンも心憎い。

丁寧に描写されたキュートなエンターテイメント作品だ。









2010年11月08日(月) 『フォー・ウェディング』


『フォー・ウェディング』Four Weddings and a Funeral 1994年 英
            マイク・ニューウェル監督


ヒュー・グラントを求めて見る。

レンタルビデオで見る。DVDは置いてなかった。

気楽なラブコメ?と予想していたら、思ったよか

みっちり密度の詰まった面白い映画だった。

この映画の覚書を書いているのは11月30日で

DVDを見たのは8日で約20日前ということもあり

ディティールの記憶は超曖昧になってるが

一番に感じたことは、独身貴族?チャーチル演じるヒュー・グラントの

ルームメイトのスカーレットとチャーチルの関係に

結局ペイがなかったことへの軽いショックだった。

スカーレットの存在は物語のスパイス的存在であって

チャーチルと物語上、交差しなくても全然不自然ではないのだが

個人的、希望的観測でチャーチルとスカーレットの関係の展望を期待してしまったのだ。

中盤以降、本筋(チャーチルとキャリー、チャーチルと元カノの関係)から離れて

スカーレットとの関係の物語にシフトしたら、すごく意外性があって面白いだろうな、と。

結局、スカーレットはスパイス的な「ただの」ルームメイトであった。

ちょっと残念と思うと同時に頭ン中で遊べたからよかった。

物語の進行の記憶が漠然となってても余裕こいてる?のは

DVDを注文済みだからだ。

ビデオだと再見するモチベーションがめり込む。

見たい場面の再見操作が面倒ちい。

DVDで物語の進行など理解しながら再見する。









2010年11月07日(日) 『噂のモーガン夫妻』


『噂のモーガン夫妻』Did You Hear About the Morgans? 2009年
          マーク・ローレンス監督


『モーリス』のヒュー・グラントの美しさの衝撃の余韻は未だ醒めず。

ヒュー・グラントを求めて見る。

イマイチだろうという予感(確信)はあったが、やはりそうであった。

現在のヒュー・グラントは『モーリス』の頃のヒュー・グラントに勝っていない。

美しさとか若さとかじゃなくて俳優としての魅力がだ。

メリル・ストリープなんて、どの年代の作品を見ても(全作品は見てないけど)

強力に魅力的だものなあ。

サラ・ジェシカ・パーカーっていう女優さんに魅力は感じなかった。

『セックス・アンド・ザ・シティ』を見たら違った印象なのだろうか?

大半が脚本とか演出の責任なんだろうけど

この作品の不動産会社の社長のメリルという女性は

同性の女性が共感する存在感じゃない。

説明台詞の進行、登場人物のキャラクターの描写の浅薄さ

『刑事ジョンブック 目撃者』のラストシーンを

100倍に希釈したようなラストシーン等に気持ちがめり込みながらも

何だかんだ言いつつ見てしまうのは、ヒュー・グラントのスター性なんだろう。

この手のタイプの作品は気軽に構えて見ればいいのだろう、というフレーズ

そういえば、ヒュー・グラントの出演作品を見た時によく書いているな。

中高年ヒュー・グラントが演じるガツンとくる作品が見てみたいものだ。









2010年11月06日(土) 『アナザー・カントリー』 『最終絶叫計画』


『アナザー・カントリー』 

再見する。





『最終絶叫計画』Scary Movie 2000年 キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ監督


予告編を見て、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまったので

ビデオをレンタルする。DVDは置いてなかった。

たぶんこういう映画を面白れることが逆にクールってことなのかもしれないけど

自分に嘘はつけないわ。辟易する。

1シーンごとに下ネタがちりばめられているというよりは、徹頭徹尾、常に下ネタ状態。

ある意味、筋は通っている。(皮肉)

限りなく「下衆」に近い「下品」。何度も書くけど辟易する。

ホラー映画のパロディが中心ということだから

ほとんどその分野の映画を見ない自分にとって余計拒絶反応を示してしまうのかも。

ホラー映画以外にもかなり多くの作品のパロディが登場しているそうだ。

『マトリックス』のワイヤーアクションのパロディは、わかりやすい場面なので面白かった。

パロディに使われている作品がわかれば、知識欲を満たす見方も出来るかもしれないが

ただそれだけという気がする。

普遍の範疇ではなく、極めてアメリカ的なニュアンスだと推測する。

だから日本人が心底面白いと感じるかは疑問に思う。

辟易モードが勝ってしまって流し見してしまった。

それが悔しくて再レンタルしたのだが、結局見ずに返却した。

時間を置いて再見する。(しぶしぶ)

何が自分を辟易させてるのか理性的に理解する。







 



2010年11月05日(金) 『ジェーン・オースティン 秘められた恋』 『カティンの森』


『ジェーン・オースティン 秘められた恋』Becoming Jane 
             2007年 英=米 ジュリアン・ジャロルド監督



この映画の覚書を書こうとして、ほとんど印象に残っていないことに気が付いた。

この映画のDVDを見たのは11月5日で今日は24日だから、約20日経過しているとはいえ

ここまで印象が薄らいでしまっていることや、印象が薄らいでいても

再見したい気持ちがあんまり湧いてこないことが、この作品に対する

リトマス試験紙的答えになっている。

映画紹介サイトのあらすじをマジマジ読んで、やっと物語の記憶が蘇った。

『プラダを着た悪魔』の「太った賢い女の子」はいいなあ〜と思ったけど

ジェーン・オースティンを演じたアン・ハサウェイはあまり魅力的だとは思わなかった。

特典映像のインタビューで、ジェーン・オースティンの大ファンで

今回役を演じるにあたり研究しまくったみたいなことを語っていたが

思い入れと関係なく、その役を生かしたりそうじゃなかったりする

役者としての素材が関係しているのだろうと思う。

ジェーン・オースティン原作の『エマ』『プライドと偏見』『いつか晴れた日に』を 

先に見ているので同じテイストの作品群の中で埋もれてしまったのかもしれない。

琴線に触れる事項はこれといってなかったなあ。








『カティンの森』Katyn 2007年 ポーランド アンジェイ・ワンダ監督



ちょっと前にこの映画の紹介記事を読んで気にはなっていたのだが

戦争、虐殺などのキーワードから、避けられるものなら避けたい気持ちがあった。

丁度忘れかけていた頃にレンタル店で見つけた。

重い腰を上げて見たのだがそれは間違った危惧だった。

こういう表現は語弊があるかもしれないが、ある意味ちゃんと

エンターテイメントとして成立している映画であった。

戦争をテーマにした作品は、ショッキングな場面に衝撃を受けたり

恐怖心を持って見ることが少なからずあることだけど

またそれはテーマがテーマだけに当然のことなのかもしれないけど

この映画は全てを冷静に受け止めさせてくれる描写だった。

ちゃんと(なんて言うとまた変な表現になってしまうが)残虐なシーンや

状況を鑑みるとやり切れない感情に陥ってしまうシーンがあるのだけど

大向うを意識した演出じゃないからかもしれない(よく分からないんだけど)

冷静に凝視させてくれる作品だった。

アンジェイ・ワンダ監督がこの事件の当事者であることから

(アンジェイ・ワンダ監督の父親がカティンの森事件の犠牲者なのだそうだ。)

事実を伝えることに対する誠実が貫かれているのだと思う。

(ホント、よく分かってないながら思うんだけど)

時間を置いて再見する。

DVD購入するかも。









2010年11月03日(水) 『やさしい嘘と贈り物』 『それでも恋するバルセロナ』


『やさしい嘘と贈り物』Lovely, Still 2008年 ニコラス・ファクラー監督


ドラマの在り方として納得出来ない。

認知症?精神的な病?によって記憶が消失する老夫のために

妻や子供たちが愛するがゆえの「やさしい嘘」で寄り添うという話はいいと思う。

ただ事の真相を明かすラストに至るまでに

その真実に対する伏線や種の仕込みが皆無に見える。

伏線や種がないまま、真相を明かす場面があるのはルールに則っていないと思う。

滅茶苦茶に見えるものであっても、そこに真実があれば腑に落ちるものだ。

家族が病気の家族のために付き添ったいきさつ、

それ以上でも以下でもない印象になっている。

あとから検索すると、この作品を監督したのはこの作品が初監督の

かなり若い監督さんだと知った。

一概には言えないかもしれないけど、こういう人生を重ねてきた

登場人物たちの物語を、20代の監督さんが深く描写仕切れなくて

当然なのだろうと思う。

老夫婦を演じたマーティン・ランドーとエレン・バースティンという

俳優さんたちはスゴイ人たち?らしい。

先生的な立場で応援した意味もあるのだろうか。

マーティン・ランドーとエレン・バースティンの出演作品を見てみたいと思う。








『それでも恋するバルセロナ』Vicky Cristina Barcelona 2008年 米=スペイン
              ウディ・アレン監督

ウディ・アレンを役者として見ると

個人的好みの問題としてゲンナリしてしまうのだが

監督として見ると、とにかくウディ・アレンの作品に間違いはないと確信できる。

作品の出来の比較、好き嫌いはさて置き

ちょっと不自然だなあとか、まあこの位は目をつぶって見るか、

とか思ってしまう事は皆無だ。この作品もそうであった。

物語がどういう運びになっているかというより

ずいぶん前に関わった劇作家さん主宰の劇団で経験したことが

(自分は当事者ではなかったが)オーバーラップする方に頭が行く。

大なり小なり身近にあったことだ。

自分は変な言い方だけど、そういう世界を居心地良く感じていたので

この作品を刺激的とかエキセントリックとか感じずに

この世界観を居心地良く見た。

一般社会のすったもんだはまた別モノような気がする。

非常識とみなされていることが蔓延する居心地の良さ。

時間を置いて再見するかも。









2010年11月02日(火) 『私がクマにキレた理由<わけ>』 『真珠の耳飾の少女』


『私がクマにキレた理由<わけ>』The Nanny Diaries 2007年
               シャリ・スプリンガー・バーマン/ロバート・プルチーニ監督


スカーレット・ヨハンソン デーである。

スカーレット・ヨハンソン見たさと、予告編を見て

気軽に楽しめそうな映画だと思ったので見てみることにした。

あまり期待してなかったけど思っていたより面白かった。

しかしながら、セレブの家でナニー(子守)として働くという

自分探しの舞台の設定が面白くない訳じゃないけど

物語の核心は一体何なのだ?と思ってしまった。

スカーレット・ヨハンソン演じる大学卒業後の進路に惑うアニーが

ひょんなことからナニー(子守)として働くことになった雇い主セレブ夫婦の不和や

親子関係に巻き込まれたすったもんだが

アニーの成長に、何がどう関係したというのだ?

アニーが何かをつかんだ、みたいなニュアンスの

エンディングになっていたと思うが、わかったようでよくわからない。

部分、部分は面白いけど、物語の芯があやふやだと思う。

わがままセレブのミセスXの

「子供の頃、母親にペンダントをプレゼントしたら拒否された。

悔しいから今も捨てずに取ってある」(だいたいのニュアンス)と言った台詞は

ミセスXのキャラクターの背景が伝わってきていいなあと思った箇所。

突っつかなければ気軽に楽しめるタイプ。








『真珠の耳飾の少女』Girl with a Pearl Earring 2003年 英=ルクセンブルク ピーター・ウェバー監督


この映画のポイントは、フェルメールの絵画の世界をまるで

そこにあるかのように再現しているところ。

フェルメール自体詳しくないけど、スカーレット・ヨハンソン演じる

グリードが本当の「真珠の耳飾の少女」と思えてしまうくらいだった。

これ以上でも以下でもない、そういう作品だ。

登場人物たちのキャラクター(関係性や葛藤など)イマイチ伝わってこなかった。

コリン・ファースが演じるフェルメールは

芸術家というより、誠実な常識人が勝って見えた。

子供をたくさん作って、女にも手を出して?、芸術に没頭する

そういう浮世離れした芸術家気風の筋が通ってないように見えた。

魅力的な俳優なのにもったいない。



貧しい家の娘グリードがフェルメール家へ下働きに出る。

グリードはフェルメールの絵に引かれ、フェルメールはグリードに絵の具の調合を教える。

グリードはフェルメールの絵のモデルになる。

これらを軸に、フェルメールの妻の嫉妬が絡んだり、

フェルメールの絵を依頼するパトロンとの駆け引きがあったり。

これらの物語が感情移入するポイントなく進行しているから響いてこないのだと思う。。

つまり登場人物の行動が、感情とつながるものではなかったのだ。

ゆえに物語は、フェルメールの世界を忠実に再現した「付けたし」になってしまったのだと思う。









2010年11月01日(月) 『ボーン・スプレマシー』 『私の中のあなた』


『ボーン・スプレマシー』The Bourne Supremacy 2004年 米=独
            ポール・グリーングラス監督


相対的にエンターテイメントで面白い作品という評価であっても異論はない。

だけど(個人的好みの問題だと思うが)

それらの要素が自分に刺さってくる感じではなかった。

『ボーン・アイデンティティー』

『ボーン・スプレマシー』

『ボーン・アルティメイタム』 3部作らしい。

馴染みがないタイプの映画だというのもあるかもしれない。

とはいえ、受けた印象に大きな変化はないだろう予感はするが

そんなこんなで作品に入り込めずに見た感があるので気色がワルイ。

今現在(11月17日)DVDをレンタルし直してあるので再見する。

あ、そうそう、マット・デイモンの演じた人物は

全編通じてほとんど台詞がない役なのに

存在感を感じさせる演技はすごいなと思った。







『私の中のあなた』My Sister's Keeper 2009年 ニック・カサヴェテス監督


ニック・カサヴェテス監督作品を見るのは『きみに読む物語』に続いて2作目。

『きみに読む物語』より手馴れた作りになってるなあと(わかってないなりにだけど)感じた。

お母さん役を演じたキャメロン・ディアスのトーンだけ違うトーンに感じた。

ジェイソン・パトリックという俳優さんが演じたお父さんの演技が胸に刺さる。

台詞のない表情だけの演技で、娘へのあふれかえるような思いが伝わってきて涙がこぼれた。

『リトル・ミス・サンシャイン』のアビゲイル・ブレスリンは上手い俳優さんだなあと思う。

この作品に重厚感をもたらしているのはアビゲイル・ブレスリンではないか。

普通日本では考えられない「問い」(娘が母親を提訴する→その結末は?)の設定ですな。

日本の作品だったら娘が母親を訴える部分をフューチャーして

もっとエキセントリックに描いてしまいそうだ。

異質に見えたり思える事はサラリと存在している。

だからサラリと描写することがリアルなのかも。








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Barbara [MAIL] [バイオトープの庭]

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