おうち鑑賞

2010年08月31日(火) 『エマ』 NHK-BS版


ずいぶん前にNHK-BSで録画してあった(積読?積見?)ビデオを発見!

時間が経っているのでテープの状態は良いとは言えないが超うれしい。

なぜならDVD(『エマ』はビデオで見たのだが)の字幕は

理解しづらい部分があるのに比べて、NHKの字幕は公共放送だけに

スムーズに解釈できるようになっているからだ。

ビデオの字幕は、作品に忠実な翻訳?のせいか

厚みのある言い回しにはなっているが

前後の脈略が意味不明に聞こえてしまうところがある。

NHK-BSの字幕はスムーズに解釈は出来るようになっているのだが

何だか言葉が軽い印象だ。

どちらが正解に近いかはさて置き、両者を比較して見ると

わからなかったところの謎が解ける。

真逆の翻訳になっている部分があるのは些末なことと受け流すことにする。

登場人物たちが、なぜあの時あのような表情をしたのか理解できた。

ビデオの字幕だと登場人物の言動と行動が

イマイチ一致していないように見えた場面の理解が出来た。

喉につっかえてたものが取れた気分だ。ああ、すっきり。



ビデオには『ウェールズの山』『ベートーベン』も録画してあった。

『ウェールズの山』はレンタルできれば見てみたい。

レンタルショップになければ、この積見ビデオで見る。









2010年08月30日(月) 『ユージュアル・サスペクツ』 『悪魔にくちづけ』 『苺とチョコレート』


『ユージュアル・サスペクツ』The Usual Suspects 1995年 ブライアン・シンガー監督


ダビングしてあったビデオを見る。

『ユージュアル・サスペクツ』と『トレインスポッティング』を間違えて記憶していた。

『スラムドック$ミリオネア』の日記に

〜『トレインスポッティング』同様に感情が中に入り込めず上滑りする感じで見た〜と書いたが

『ユージュアル・サスペクツ』の間違いであった。



『ユージュアル・サスペクツ』に対する感じ方は上と変わらず。

ずいぶん前に見た印象と同じく、感情が中に入り込めず上滑りする感じであった。

かなり評価が高い作品のようだがよくわからない。

サスペンス的な謎解きに視点を置いて見ても

別にびっくりするような設定ではないし

むしろ何が言いたい作品なのだろうと疑問に思ってしまう。

ただ『L.Aコンフィデンシャル』や『アメリカン・ビューティー』で

ケヴィン・スペイシーを見た上での再見なので

ケヴィン・スペイシーに注目して見る面白さはあった。

再見の一番の意義はそこだった。






『悪魔にくちづけ』The Serpent's Kiss 1997年/英=独=仏


ユーズドDVDを購入する時に、ショップののキーワード検索で

この作品のDVDが新品の低価格で検出されたので

ユアン・マクレガーが出演していることから購入してみた。

箸にも棒にも掛からない作品に出会った。めったにないことだ。

後から分かったことだが、先に見た『ユージュアルサスペクツ』の製作チームが

この作品を製作したのだそうだ。偶然にも系統だった見方をしたのだ。

何の話かわからない、という印象に尽きるのではるが

物語の進行とは全く関係ないシーンながら(だから構成的にはダメなのだが)

すごく魅力的だと思うシーンはあった。

冒頭、ユアン・マクレガーが「ベルサイユのばら」のオスカルみたいな

かつらをかぶった時は、何だか腹の底から可笑しみがこみ上げてきてしまった。

のぞいたレビューの中に、なんかずれてる。ユアンのづらと同様に。

みたいなコメントがあったが、ホントにそうだと思える。





『苺とチョコレート』 再見する。









2010年08月29日(日) 『シャロウ・グレイブ』


『シャロウ・グレイブ』Shallow Grave 1994年/英 ダニー・ボイル監督


『エマ』を見続けていたから頭がアカデミックな方向に偏っていたのかもしれない。

「変さ」に対して消化不良気味である。

実験的と言うには言い過ぎの感はあるけど、

人間関係や物事が、変(クールに置き換えてもいい)な切り口で描かれている。

王道的な見方をすれば、ルームシェアをする3人(女医、ジャーナリスト、会計士)の

人間関係がイマイチよくわからない。なぜ故この3人がルームシェアしているのか。

クール?な切り口の物語にしては、女医のジュリエットは

すごく普通のオバサン的風貌(失礼)だし

ユアン・マクレガー演じる一見与太者のアレックスの職業が

ジャーナリストだというのもある種の驚き。

3人の中では、会計士のデビットが安全パイ的?存在感だ。

その女医を二人が取り合っている?という設定らしいが

それも常道的しっくり感はない。



ただこの作品は、人間関係の必然性について

どうのこうの言っちゃうことが重要ではなくて

グルーヴ感を持って見ればいいのかな、という気もするのだ。

ラストの快感?に向かって失速していけばいいのかな、と。

時間を置いて再見したいと思う。









2010年08月28日(土) 『苺とチョコレート』


『苺とチョコレート』Fresa y chocolate 1993年/キューバ
          Strawberry and Chocolate
トマス・グティエレス・アレア/フアン・カルロス・タビオ監督



ずいぶん前にレンタルビデをダビングしてあったVHSテープを見る。

たぶん一度は見ているはずだが初見感覚で見る。

自分にとって今がこの映画と出会うタイミングだったのだと思う。

本当に良い映画だと思う。

説明していない、ひねり過ぎてもいない。

関係に、背景に想像が及ぶ、ダイレクトに感情に響いてくるシンプルな台詞。

そして直接的な表現ではなく行間に漂う示唆。

キューバ、革命、というキーワードや映像のトーンから

一見、重々しく堅苦しいイメージだけど

大学生の男子とゲイの男の友情と切ない想いを軸にして物語が語られているので

社会の矛盾や思想の自由などのテーマが自然に受け止められる。

どんどん引き込まれていく。

ゲイの男ディエゴを演じたホルヘ・ペルゴニアってキューバの俳優さん!?

もう最高!

『蜘蛛女のキス』のウィリアム・ハートと最近『エマ』で知った

ジェレミー・ノーザムの甘さと礼節がオーバーラップする。

視線の表情だけで溢れるような想いが伝わってくる。

本当に胸が痛くなった。

余談だけど、作品の中で「かわいい」「天使」と形容されている大学生のデビドは

日本人の自分にとってはずいぶん違った印象に見える。

かわいいと言うよりジミー大西さん系ではないか。

国による価値観の相違なのだろうか。

しかし大学生の男子まで甘いキャラクターだと

物語が違うニュアンスになりそうだから

この配役なんだろうなあ、と思ったりする。









2010年08月27日(金) 『エマ』 Re 『ベルベット・ゴールドマイン』 


『エマ』 再見する。

『ベルベット・ゴールドマイン』 再見する。



2010年08月26日(木) 『エマ』 Re


『エマ』 再見する。



2010年08月25日(水) 『エマ』 Re


『エマ』 再見する。



2010年08月24日(火) 『エマ』 Re


『エマ』 再見する。



2010年08月23日(月) 『エマ』 Re


『エマ』 再見する。



2010年08月22日(日) 『エマ』 Re


『エマ』 再見する。



2010年08月21日(土) 『エマ』


『エマ』Emma 1996年/英=米 ダグラス・マクグラス監督


以前、レンタルビデオをダビングしたのを見る。

『ベルベット・ゴールドマイン』のユアン・マクレガーつながりで見る。

レンタルビデオをダビングし倒していた当時は、香港映画を見ることが中心で

あと気になった作品はダビングだけ済ませて長い間積読(積見?)になっていたのだ。

今、見ることが出来て本当にうれしい。

今の自分だから、大好きだと思えるのだと思う。



高慢ちきな上から目線の人々の上流社会が舞台ではあるのだが

(紳士とされるナイトリーだってよくよく見ればそのカテゴリーなのだ)

その世界を是として描いていないのはよくわかる。

俯瞰でそれらの人々を見ている。皮肉な目線、面白がる目線。

そういう高慢ちきな人間や社会を、コミカルにロマンチックに感じさせてくれるのは

グウィネス・パルトローの演技力、魅力の成せる技が大きいと思う。

女子目線で見るエマは、媚びるところがなく痛快で魅力的だ。

エマのおせっかい攻撃にさらされるハリエットを演じたトニ・コレット

(この作品にも出演してた!『ベルベット・ゴールドマイン』とは大違い。)

いけ好かない牧師役を演じていたアラン・カミングという俳優さん、

エマをめぐる人々を演じる俳優さんたちの演技の上手さもたまらない。

そしてボディブローのように見る度にじわじわ心を鷲掴みにされる

ナイトリーを演じたジェレミー・ノーサムの存在は大きい。

エマを愛しながら、自分の気持ちは抑えてエマの成長を見守るという

静かな立ち回りの役柄だが、エマへの感情がひしひしと伝わってくる。

相手を思うゆえの自己抑圧を強いた(と言ったら語弊があるかもだけど)

紳士の佇まいがすごく魅力的だ。

この作品においては、結末を知ってから再見する面白さがあると思う。

エマやナイトリーが、なぜあの時あのような表情したのか・・・

登場人物たちの向かう気持ちをわかった上で見ると、またそれはそれで心に染みる。



高慢ちきだろうが上から目線の人々の社会だろうが

そこにピュアな心情が描かれているからこそ感情移入や共感ができるのだ。

ジェーン・オースティンの小説が読みたくなった。

『高慢と偏見』も見たくなった。

そして、その後延々『エマ』を見続けることになるのだ。









2010年08月20日(金) 『ブラス!』


『ブラス!』Brassed Off 1996年 英=米 マーク・ハーマン監督


『ベルベット・ゴールドマイン』を見た流れでユアン・マクレガーの出演作品を検索する。

『ブラス!』はずいぶん前にNHK-BSで録画したのがある。

引っ張り出してきて見る。

初見の時は、大向う受けを狙ったあざとさを感じた覚えがある。

久々に再見し、全然印象が違った。

初見の時(確か)シラっとした気分で見た自分は何だったんだろうと思う。

良い映画だと思った。

時間の流れの中で、川の水が一所にとどまらず流れていくように

自分の中の何かが変化しているからかなと思う。

細かなことを言えば、指揮者ダニーの息子(役名何だっけ)の存在の

ビートが作品全体の中で、ほんの少し利き過ぎているように思えた。

あと閉山に揺れる炭鉱町が舞台を見て『リトル・ダンサー』とオーバーラップする。

『ベルベット・ゴールドマイン』のあるシーンを見ても感じたことだけど

(『愛を読むひと』のあるシーンとオーバーラップした。)

スティーブン・ダルドリー監督は、華やかに上手くカスタマイズして

取り入れているような気がする。

英国という共通項があるにせよ、何かそんな気がする。









2010年08月19日(木) 『我が家の楽園』 『ミス・ポター』


『我が家の楽園』You Can't Take It with You 1938年 フランク・キャプラ監督


結婚を反対していた婚約者(彼)の父親(立ち退きを迫っていた社長)が

突然いい人になってハッピーエンドに持ち込んだように見えなくもない。

他の作品では、もっと結末の転換(逆転)に説得力を感じて見たので、

余計そう思ってしまったのかもしれない。

だけど、どこかおとぎ話チックに描かれた家族の関係はハートウォーミング。

物語の本質を考えると、そういう多少腑に落ちない結末でもありかなと思う。

舞台を映画化した作品だっけ?

だとしたらこうなってしまった(?)ニュアンスはわかる。








『ミス・ポター』Miss Potter 2006年 クリス・ヌーナン監督

再見する。

この作品を再見するとは思ってもみなかった。

きっかけは『ベルベット・ゴールドマイン』で見たユアン・マクレガーだ。

全裸で、下半身露出して、舌出して、中指立てて、跳んで、跳ねて

歌い狂っていたユアン・マクレガー。

ふと先に見た『ミス・ポター』を思い出す。

どこか風変わりではあるけれど、線の細い物静かな出版社の三男坊を演じていた。

それもユアン・マクレガーだったよな?と。同一人物なのだよな?と。

面白い味のある俳優さんだ。

役柄の幅を知った上で『ミス・ポター』を見ると演技の幅の広さや魅力がわかって尚面白い。

作品自体も味わいのある佳作だと思えた。

初見の時は、鼻くそをほじりながら見るぐらいの勢いだったのに

再見した時は泣いた。

この作品の視点が曖昧だという考えに変わりはないけど

作品全体を包む雰囲気はその欠点を補う・・・とまではいかないかもしれないけど

心の琴線を揺らしてくれる。

初見の時の鼻くそをほじっていた自分は何だったのか。

と思う。









2010年08月18日(水) 『ベルベット・ゴールドマイン』 『群衆』 「FEELING GOOD」


『ベルベット・ゴールドマイン』

再見する。

『リトル・ミス・サンシャイン』のトニ・コレットに

作品自体はつまらなかった『ミス・ポター』の中で

面白い魅力で他の作品も見てみたいと思ったユアン・マクレガー

(後日『ミス・ポター』を再見し、つまらないと感じたことは撤回した。

何が芯になっているのかイマイチわからない印象は同じだけど

味わいのある佳作だと思えた。

初見の時は気持ちがささくれ立っていたのかもしれない。

と思えるほど、全然受けたものが違った。)

あと『バットマン ビギンズ』のクリスチャン・ベールなど

なかなかおもしろい顔合わせではないか。

そしてなによりびっくりしたのが、ブライアン・スレイドを演じていた人が

大大大好きな映画『マッチ・ポイント』に出演していた

テニスコーチ役の人と同じだったのだ!

ジョナサン・リース・マイヤーズっていう俳優さんだったのね。

そういう俳優の組み合わせの妙とセクシュアルな刺激に捕まって見る。






『群衆』Meet John Doe 1941年 フランク・キャプラ監督

登場人物が、ラストにどつぼな状態まで追い詰められて

まるで八方塞な状況にどう落とし処をつけるんだろう?

落とし処がないように思えて、ハラハラ見てしまうのだが、

なるほど!と思わず膝打ちして納得する結末が待っている。

それがフランク・キャプラ監督作品の印象だ。

良い意味で安心できるのだ。

フランク・キャプラの作品に登場する女性は気丈(気が強い)ところも好きだ。





「いやな気分よ さようなら」 読む。









2010年08月17日(火) 『ベルベット・ゴールドマイン』 「FEELING GOOD」 「人のセックスを笑うな」


『ベルベット・ゴールドマイン』Velvet Goldmine 1998年/英=米 トット・ヘインズ監督


以前、主に香港(中国)映画のレンタルビデオを

VHSテープにダビングし倒していた時の

そのテープがたぶん300本くらいある中の

1〜2割くらいが洋画、邦画だと思う。

(棚には比較的、好き度の高いテープを並べて

あとの入りきらないぶんは、ダンボールに収納してあるので

これらも全て分類・整理したい。)

洋画ではこの作品だけ、棚のよく目に付く位置に並べてあったのだ。

かなり前に見ているはずだが初見感覚で見た。



最近『市民ケーン』を再見したせいだろうか。

新聞記者が、ある人物についての過去を訪ね歩く、という構図がオーバーラップした。

しかしこちらの作品は、刺激的な映像の羅列だったりするので

一瞬煙に巻かれる感覚になるのだが、よくよく理解に努めると

『市民ケーン』のような確固とした構成の上には成り立ってない。

稚拙と言ったら言い過ぎかもしれないけど

回想シーンで時間が戻る表現がよくわからなかったり

その回想シーンを語る人物がなぜその人ではなければならないのか

必然性がよくわからなかったり(車椅子の男)

省略されたシーンが最適な切り取りとは思えなかったり

(ただ格好良さげにぶった切ってる感じがする。)

結果、登場人物のキャラクターの掘り下げがイマイチに見える。

一番もったいないと思ったのは、オープニングとエンディングが

この作品の内容に合ってないと感じたことだ。

オープニングとエンディングが違っていれば

作品の印象が良い方向に変わっていたのではないかと思う。

ただ、しかし・・・である。

理性で理解、分析しようとする頭とは別に

この強烈に混沌としたセクシャルは心を直撃する。撃ち抜く。

俳優さんって色んな事やらなきゃいけなくて大変ね、

冷静に思ったりもする。






「いやな気分よ さようなら」読む。



「人のセックスを笑うな」読了。

ノンストップで面白く読んだことが前提である。

女性の作家さんだとわかって読んだから

どこかで既成概念のフィルターがかかってしまったのかなあ?

女性が男性目線の性を語る作品は

自分の中でしっくりこない感を感じてしまうことが多い。

宝塚とか、あそこまで行ってしまえば別物なのだが。









2010年08月16日(月) 「FEELING GOOD」


「いやな気分よ、さようなら」デビッド・D.バーンズ著

読み始める。

正確に言うと3分の1くらい読んだところで

インターバルを置いてしまったので仕切り直した格好だ。

認知=ものごとの受けとめ方。

認知療法によるプログラム(方法)に沿って、実際書くという

トレーニングによって自己認知を改善させていく。

認知療法によって気分を改善する方法を示した書であるとのこと。

かなりボリュームのある本だから物理的に読む時間はかかると思う。

だからと言って早く読了することが目的になってしまっても本末転倒になってしまう。

トレーニングを理解して咀嚼するには時間がある程度必要だ。

(あるいは時間がかかって当然だと開き直らないように。)

自分とき合うことになるので、目を逸らしてしまいたい気分にもなるが

そこを超えれば、ということなのだと思う。

今の段階であれこれ言ってしまうのは時期尚早なのだ。

アメリカで20年以上前に出版されベストセラーになった本なのだそうだ。

そのような良書がなぜ日本ではさっさと翻訳され出版されなかったのか、

この分野では日本は後進国なのだなあと思う。

いやいや、日本はまだ伸び代があるということだ。←認知療法(?)









2010年08月15日(日) 「煙突」 「海岸公園」


「夏の葬列」山川方夫著 


全9編読了。中篇「煙突」「海岸公園」読了する。

記憶が定かではないのだけど、たぶんNHKラジオで紹介されていたのを

聞いて山川方夫を知ったのだと思う。

どちらにしろ短編を数作読んだあと積読状態になっていた。



短編の印象がどこかに行ってしまう程

自分にとって「煙突」「海岸公園」はある意味衝撃だった。

とくに「海岸公園」は自分の心情や状況がそのままそこに存在していた。

正確に言えば「そのまま」ではないけど、そこに表現されているのは

自分の感情だったのだ。

僭越ながら、自分だけではないのだという安堵感を持った。

自分の気持ちや感情の居場所を見つけた感覚。

自分の気持ちや感情は受け入れてあげていいのだ、という気持ちになる。

山川方夫が表現するもの、好きというより心身に馴染むと言った方がぴったりくる感じ。

作品数はそんなに多くない?ようだ。

他の作品も読んでみたい。









2010年08月14日(土) 『プラダを着た悪魔』


『プラダを着た悪魔』 再見する。



2010年08月13日(金) 『プラダを着た悪魔』


『プラダを着た悪魔』 再見する。



2010年08月12日(木) 『プラダを着た悪魔』


『プラダを着た悪魔』The Devil Wears Prada 2006年


手元にあった大量?のレンタルDVDもなくなったので

手持ちのDVDからチョイスして再見する。

久々に見る女子映画。時折無性に見たくなる女子映画。

なんたってこの作品は完璧に女子のための映画だ。

メリル・ストリープなくしてこの作品は存在しない。

「カリスマ」を理屈ではなく体現する演技力、凄み。

メリル・ストリープ演じるミランダを見たいがために、

それが一番の理由で、リピートするのだ。

「利口な太った子」を演じたアン・ハサウェイ、

パリ命の第1アシスタントを演じたエミリー・ブラントらも魅力的な女優さんだ。

エミリー・ブラントは、この作品では助演の立場で

いじわるな役回りだと思うのだが、そういう

ツンケンした態度も人間味があってすごく引き付けられる。

滲み出るコミカルさがチャーミングな人間を作り上げている。

この役の人物を好きで演じているのだなあと感じさせてくれる。



あ、そうそう今思い出した。

『L.Aコンフィデンシャル』に出演していたサイモン・ベイカーという俳優さんが

この作品にも出演していることがわかって、はて?どこに?どの役の人だっけ?

確認する意味もあって、それがきっかけで再見したのだった。

(プレイボーイな色男役であった。)

メリル・ストリープはスゴイ。

その一語に尽きる作品だ。









2010年08月11日(水) 『ショコラ』 「赤いくつ」


『ショコラ』Chocolat 2000年 ラッセ・ハルストレム監督


村に訪れた「よそ者」である母娘によって閉鎖的な村の人たちの

心が開放されていく。

その象徴として物語のモチーフになっているのがチョコレートだ。

良い物語だなあと思う。だけど、その良さをこの作品が

表現し尽くしているかといえばそうは思わない。

もうちょっとやりようがあるのではないか。

リアリティに比重を置くのか、童話チックな方向に比重をおくのか

ちょっと曖昧だと思う。双方の都合の良い所取りをしているせいで

芯がぶれてしまっているように感じる。

細かい事を言えば、母と流れ者のジョニー・デップが恋に落ちる

説得力もイマイチかなあと思う。

もっとベストな作品に成りえたのではないかと思う。もったいないなあと思う。








アンデルセン「赤いくつ」

久しぶりに青空文庫を開いて、何とはなしに冒頭のあ行に目が留まり

アンデルセンの「赤いくつ」を読んでみることにしたのだ。

かつて読んだことはあるはずだ。

こんな怖ーい話だったとは記憶になかった。

童話の示唆?比喩?暗喩?は怖い。不気味。

しかし、それが真実を、核心を突いているのかもしれないと思う。









2010年08月10日(火) 『市民ケーン』 『愛を読むひと』


『市民ケーン』Citizen Kane 1941年 オーソン・ウェルズ監督


再見する。

最初見た時より構成はある程度ブロックごとに認識できた。

映画史上に名を残す名作とのことだが

現代に至るまで映画関係者たちがこぞってベストワンに挙げるその意味が

(佳作であることは理屈では理解できるのだが)

感覚的なところでよくわからない。

オーソン・ウェルズに対しても無茶々魅力を感じるかと言ったらそうでもないし。

歴史的熱狂評価(?)と自分が受け取る感覚との乖離が大き過ぎるがゆえ

理屈上であれ、何がそんなに評価されているのか理解したい。







『愛を読むひと』

再見する。

↑気を取り直す意味もあり。









2010年08月09日(月) 『シカゴ』 『乙女の祈り』


『シカゴ』Chicago 2002年 ロブ・マーシャル監督

あちゃーミュージカル仕立ての作品か、と冒頭から眉をひそめる思いになる。

ノーマルな作品を見たい気分だったから。

しかし、懸念はよそに事の外面白く見る。

途中気になったのは、物語のキーとなる殺人事件に対する落としどころだ。

ハリウッド映画の場合、悪は悪としての落としどころが必ずある。

この物語の場合、殺人を犯した主人公たちが裁かれる方向に進んだら

観客が望む方向に背くことになる。

殺人を容認する方向に物語が進むとも考えがたい。

ラストシーンで全て理解した。

殺人事件を犯した女達によるきらびやかなステージ。

この物語において殺人事件は極端な形の比喩に過ぎないのだ。

スターの座を掴み取るための熱情とエネルギーこそがこの物語のテーマだったのだ。

ラストのラストに泣いた。涙がこぼれた。







『乙女の祈り』Heavenly Creatures ピーター・ジャクソン監督
1994年 英=独=ニュージーランド


ケイト・ウィンスレットが出演しているのがわかって

何年も前にNHK-BSで録画したビデオを引っ張り出してきて見る。

少女の微妙な心の揺れが胸に刺さった。

少年の心情を描いた作品はわりと目にしてきたと思うのだが

大人の視点ではなく少女の心情を等身大で描いた作品は初めて見たと思う。

大好きな映画の10本に入ると思う。

ピーター・ジャクソン監督は『ロード・オブ・リング』を監督した人だったのだ。

『ロード・オブ・リング』を再見するかも。









2010年08月08日(日) 『愛の嵐』 『ホリデイ』


『愛の嵐』Il Portiere Di Notte/the Night Porter 1973年/伊
     リリアーナ・カバーニ監督


予備知識を持たずに見る。

またしてもナチスドイツに関係する物語だった。

『愛の嵐』も『愛を読むひと』もナチスドイツが人生の背景にある人を

描いた愛の物語という視点では同じだけど、受け取るものが全然違う。

『愛の嵐』はあまりにもビターな大人の味。

『愛を読むひと』はキャラメルスイート。

苦さを知ったことで甘さを知り、甘さを知ったことで苦さが身にしみる。







『ホリデイ』The Holiday 2006年 ナンシー・メイヤーズ監督

ケイト・ウィンスレットが出演していたことを思い出し

今年のお正月見る用に買ったDVDを再見した。

ま〜なんて毒にも薬にもならない作品なの。

この手の作品は気楽に見る腹をくくっていいんだと思う。

たぶん、なんだかんだ言う方が野暮なのだ。

俳優の魅力が存分に生かされるのは、監督の力が大きいのだと

つくづく思わされた。

『愛を読むひと』でケイト・ウィンスレットはアカデミー主演女優賞を受賞したそうだけど

ケイト・ウィンストレットと対等以上に渡り合った

年下の恋人を演じたデビット・クロスの演技力も

ケイト・ウィンスレットの演技に貢献しているのだと

毒にも薬にもならない『ホリデイ』を見て考えさせられた。

撮影当時デビット・クロスは17歳だったとのこと。信じられない。

ある程度キャリアのある俳優かと思っていたら

『愛を読むひと』以外見るべき作品がない。

あー!デビット・クロスの作品が見たい。









2010年08月07日(土) 『スラムドッグ$ミリオネア』 『ガタカ』


『スラムドッグ$ミリオネア』Slumdog Millionaire 2008年 ダニー・ボイル監督


よい作品の部類であることは理性で理解できるのだが

冒頭からずっと感情が中に入り込めず上滑りしていく感じだった。

自分にとってインドという未知の文化、国やスラムに暮らす子供たちの現状を

身近な問題として考えたことがなかった事や

個人的好みの問題として監督の個性に乗り切れない、その2つの理由があると思う。

物語の細部は覚えていないのだが『トレインスポッティング』を見た時も

同じような感覚に陥ったのだけは覚えている。

無機的というか、コンピューターゲームに触れているような感覚と

オーバーラップする。

インドの現状を背景に物語を描いたことは斬新で意義深いと思う。

だけど、そんなに面白いか?とも正直思う。



※後記『トレインスポッティング』と『ユージュアル・サスペクツ』を勘違いしていた。
    当然『ユージュアル・サスペクツ』はダニー・ボイル監督作品ではない。





『ガタカ』Gattaca 1997年 アンドリュー・ニコル監督


『ビフォア・サンライズ』と『ビフォア・サンセット』で

初めて見たイーサン・ホークがすごく魅力的だったので見てみた。

摩訶不思議なムードの漂う作品だった。

SF作品の免疫がないから余計そう感じてしまったのかもしれない。

前述の作品のイーサン・ホークの方が断然魅力的だ。

初めてイーサン・ホークを見たのがこの作品だったら、次は当分なかったと思う。

イーサン・ホークとユア・サーマンの関係をもっと少なく(スパイス的に)して

イーサン・ホークとジュード・ロウとの関係の描写にもう少し比重を置いた方が

面白くなったんじゃないかと思うのだが、どうだろう?

ジュード・ロウの動機がもっと深く描写されれば

イーサン・ホークとの関係もおのずと深く描かれることになって

ドラマが広がるような気がするのだが。

イーサン・ホークとジュード・ロウの二人の絡みから

相乗効果的な何かが生まれるような気がするのだが。









2010年08月06日(金) 『戦場のピアニスト』 『愛を読むひと』


『戦場のピアニスト』Le Pianiste 2002年/英=独=仏=ポーランド
          The Pianist
          ロマン・ポランスキー監督


予備知識は持たず、なるべく白紙の状態で見るのが好きなので

(自然に入ってきた情報は受け入れるけど)この作品もそうした。

タイトルからして戦争が背景の物語だと想像は出来きたけど

『愛を読むひと』と同じくナチスドイツがテーマだったので複雑な気持ちになった。

物語の柱はユダヤ人の主人公が戦火の中を逃げ延びることで

エンターテイメント的なドラマ性を感じたのは、ラスト近くにドイツの将校が

主人公をさりげなく助けたシーンだけだったと言ってもいい。

ただロマン・ポランスキー監督自身、収容所に送られ家族と

生き別れ、死に別れた経験があり、その経験を踏まえてこの作品を

製作したと知って、この作品はドラマ性云々以前に歴史の記録の意味、意義としての

重要性があるのではないかと思った。

『愛を読むひと』はラブストーリーだったのだと馬鹿みたいに改めて思う。




『愛を読むひと』 再見する。



タイトルをもとの サンダルマカオofコンポーゼ に戻そうと思う。

気分を変えたくて何となく思いついた Chees note のタイトルだけど

いまだに何かしっくりしない感じがする。

もとのタイトルは夢枕で頭に浮かんだもの。

無意識下に出現したものだから、こちらはしっくりして当り前なのかも。









2010年08月05日(木) 『愛を読むひと』


『愛を読むひと』 再見する。



2010年08月04日(水) 『リトル・ダンサー』 『普通の人々』


『リトル・ダンサー』Billy Elliot 2000年 スティーブン・ダルドリー監督

再見する。

濃い味の小さな粒のクランベリーをぎゅっとかじるような感覚。

ひとつひとつのシーンに心の琴線がゆれる。

ベクトルは内を向いてるんだけど、闇の向こうの小さな光は

果てしなく広がる空間を暗示している、そんな感じ。

エンディングのマイケルの登場の設定が、無理矢理はめ込んだように見えるところが

唯一引っかかったところだけど、諸々の条件下ではあれがベストな選択なのかもしれない。

スティーブン・ダルドリー監督の作品を見てると

人間の感情を映像で表現する描写について、ハッとさせられる。







『普通の人々』Ordinary People 1980年 ロバート・レッドフォード監督

再見する。

この作品は、自分の心情と多くが重なってしまうため、

本当は目を逸らしたい、避けたい気持ちが一方にある。

だけど直視することで前に進むことが出来るのだと思う。

何年も前、この作品について、淡々として何も起こらない映画だと

評した好意的ではない映画評論家?のレビューを読んだが

この作品が普遍であることを時が証明している。

プロットのポイントがイマイチまだ理解できてない。

作品を何度か見た後に、心に十分浸透させた後に、

構成に視点を置いて見る、理解する。









2010年08月03日(火) 『小早川家の秋』 『ブレードランナー』 山川方夫「夏の葬列」


『小早川家の秋』1961年 小津安二郎監督

先日見た『宗方姉妹』に比べたら全然こっちの作品の方が面白かった。

これで松竹以外で製作された作品で未見なのは『浮草』だけだと思う。

造り酒屋の中村雁治郎演じる大旦那の愛人の浪速千栄子の存在が

エキセントリックですごく面白い。娘とのやり取りにもドキッとする。

奇をてらっているからドキッとするんじゃなくて

そこに真実が含まれているからハッとさせられるんだと思う。

小津安二郎作品の死生観っていうのかなあ、いつも心に刺さってくる。

見慣れた小津調に面白がり方もわかっているさと見てしまいそうになるが

約100分前後の作品の中に、これだけ多くの登場人物のキャラクターが

描き分けられているのは凄いと思う。

あ、それと、冒頭とラストに作品のスパイス的役割で登場する

森繁久彌さんって面白い味のある俳優さんだなあと改めて思った。





『ブレードランナー』Blade Runner 1982年 リドリー・スコット監督

かなりの年数ぶりに見る。

オリジナルバージョンを見る。

自分の中に強烈なインパクトを与えた作品に違いないのだが

意識下、無意識下とも反芻し過ぎちゃったのかなあ。

自分の中で既に昇華されている感覚を持った。

近未来の設定だが、ブラウン管テレビがあるのを見て

製作時代に思いを馳せる、そんな面白がり方もしてしまった。

オリジナルバージョンは一応ハッピーエンドな結末だったんだ。

記憶のイメージが違っていた。

ディレクターズカットとか完全版とか色々あるみたいだから

リドリー・スコット監督のウンチク(コメンタリー)バージョンも

時間を置いて見る。リドリー・スコット監督のウンチクは好きだ。






山川方夫「夏の葬列」読む。

胸に刺さる。









2010年08月02日(月) 『愛を読むひと』


『愛を読むひと』 再見する。



2010年08月01日(日) 『愛を読むひと』 『宗方姉妹』


『愛を読むひと』 再見する。



『宗方姉妹』 1950年 小津安二郎監督

小津安二郎監督の映画は、好みのいかんに関わらず

何かしら琴線に引っかかってくるものだが

この作品は小津安二郎監督がノッて製作している感じがしなかった。

唯一山村聰の演技が琴線にふれた。

妻(田中絹代)の頬を殴り倒すシーンは、今の時代だったら完全にDVにしか見えない。

あそこまでの表現はありえないだろう。

映画の中の描写とはいえ、女は三歩下がって・・・の意識が

今より当り前にあった時代の延長線上の表現だと思った。



作品の構成も頭の隅に置きつつ見たけど、まだエピソードの羅列にしか見えていない。

小津安二郎監督作品の構成ってどうなってるんだろう。

分解して理解したい。出来ればもっと好きな作品で。








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Barbara [MAIL] [バイオトープの庭]

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