おうち鑑賞

2010年05月28日(金) 『L.A.コンフィデンシャル』 『アフリカの女王』再見 『オペラハット』


『L.A. コンフィデンシャル』L.A. Confidential再見する。



『アフリカの女王』The African Queen 1951年 ジョン・ヒューストン監督


半年くらい前(だっけ?)に見た時に

乗り切れんものがあったので今回はリベンジ的に再見するも、

やっぱり乗り切れんかった。

アカデミー賞を受賞した作品とのことで、評価も概ね良さげなので

作品的に素晴しい点があるのだろうが(構成が良いとか?)

なにせ気持がついていかないのだ。

状況が状況だけに、フェロモンむんむんだったら

リアリティがなくなってしまうのかもしれないけど

それにしてもセクシャルの対極にあるような設定の二人の

抱擁やキスは、失礼な言い方だけど見たくないものを見せられた気分。

ハンフリー・ボガートとキャサリンヘップバーンの

オンボロ蒸気船の上で芽生えたロマンスに正直固まってしまう。

ロマンス? アドベンチャー的要素? エンターテイメント?

全然共鳴せず。好みの問題か。

とはいえ、再度、良い点を理解するべく再見するつもり。







『オペラハット』Mr. Deeds Goes to Town 1936年 フランク・キャプラ監督


『或る夜の出来事』を監督したフランク・キャプラ監督の

他の作品もずっと見たいと思っていた。

『或る夜の出来事』に出会う前に『毒薬と老嬢』を見た。

今考えると、フランク・キャプラ監督作品の中で、一番特殊度の高い

作品を最初に見たのだ。タイトルからしてぐっとくる。

その後『波も涙も暖かい』を見た。

こっちはイマイチだと思った。



原題は『Mr. Deeds Goes to Town』

邦題と全然違うのだ。

何故ゆえ『オペラハット』?と思わなくもないが

シャレたタイトルだから、まあいいか。

人物の関係の設定が好きじゃないパターンだったので

ちょっと乗り切れないと思いつつ冒頭〜中盤くらいまで見ていたが

フランク・キャプラ監督がこのままで終わるわけはないのだ。

ハリウッドの橋田寿賀子的。ハリウッドの水戸黄門的。

終盤に向かってたたみ掛ける期待を裏切らないどんでん返し。

面白さに見流したので、理解するために再見する。









2010年05月26日(水) 『L.A. コンフィデンシャル』 『刑事ジョン・ブック/目撃者』 再見


『L.A. コンフィデンシャル』L.A. Confidential 再見する。


「種まき」と「刈り入れ」が全くと言っていいほど

フォーカスされることなく表現されている。

見る度に隠し扉が見つかって、その道の行き先がつながって

俯瞰の地図が出来上がっていく、まるでそんな感じだ。

だからドキドキする気持が増していく。

この面白さは、作品の全体像を理解した上で受け止められるものだ。

余程原作を読み込んでいるとか、登場人物の見分けがつく前提がないと、

初見で理解をして、面白いと思うまでには辿りつくはずがない。

悪事を実行した人間を、実行したという事実を描くことなく

仕込んである。そしてさり気なくその人物がそこにいるのだ。

初見では「さりげなく」としか思えなかったことが

理解と解釈によって、バックストーリーが見えてくるのだ。

エドが眼鏡を忘れるシーンなんか、ちゃんと前シーンに仕込んであったのを

何度目かに見て気がついた。その細かさ(?)にわくわくする。

思わず「細かい!」と声に出してしまった。

フォーカスした描写や表現じゃないだけに、深い面白がり方が出来る。



ミーハーなところはあるけど、キャーキャーなるのは

作品の中で演じられている人物の魅力に対してのことが多い。

んが、今回はちと様子が違う。

黒澤明監督の『七人の侍』の愛すべきキャラクター、三船敏郎が演じた

菊千代とオーバーラップしているようにも思う。

虚勢を張った背後にある、臆病、屈折、誠実、熱、

そしてファニーな天然気質を感じさせるキャラクターに琴線が共鳴するらしい。

エドを演じるガイ・ピアーズにしびれている。

その演技の一挙手一投足に見入ってしまう。

西洋の俳優にこんな感情を抱くのは初めてかも。

黒船時代の人間か。







『刑事ジョン・ブック/目撃者』Witness を再見する。


あまりにも気持が『L.A. Confidential』に傾き続けているので

切り替えるつもりで再見してみるも、どこか心ここに在らず的に見る。

とはいえ、良い作品には違いないので集中することを心がけて見る。

特典映像の制作秘話を一部見る。面白い。

時間を置いて再見する。









2010年05月24日(月) 『L.A. コンフィデンシャル』 再見


『L.Aコンフィデンシャル』L.A. Confidential 

今日も再見する。

もう7〜8回は見ているはず。

見れば見るほどにドキドキする気持が増していく。

表現が小説的なところがあて、そこがまた魅力に

なっている稀有な作品だと思う。

物語の背景が複雑かつ深いので、見る度に魅力に気づかされる。

映像によって感受するのはもちろんだけど、

直接台詞では表現されていない登場人物のバックストーリーを

自分の頭ん中で解釈して、物語を咀嚼して構築し直している。

会えば会うほど好きになってしまう。

恋してしまう理由はそれだと思う。

初見であんなに複雑に思えた構成も、そう感じていたのが不思議なほど

シンプルに見られるようになっている。



ガイ・ピアースの魅力。

黒澤明監督に演出された三船敏郎の魅力に骨抜きになってしまった時の、

同じような感覚に陥っている。

琴線を揺さぶる所作の型の美しさ、多面性を感じさせる複雑な

心情、キャラクターの表現、ホントしびれてしまう。

ハリウッドの映画界のこととかよく知らないんだけど

ハリウッドよりフランスの土壌が合ってる感じがするなあ。

(商業映画では生かされないという意味で)

三船敏郎の魅力は黒澤明監督との化学反応でのみもたらされた。

ガイ・ピアースはどうなんだろう。


『L.Aコンフィデンシャル』は佳作には違いない。

しかし何かが突き抜けていないようにも思う。

だけど人は完璧なものにのみ恋するわけではない、と思わせる。









2010年05月22日(土) 『L.A.コンフィデンシャルl』


『L.A.コンフィデンシャル』L.A. Confidential 1997年 カーティス・ハンソン監督


一番最初に見た時は、多数の登場人物に加えて

それぞれの呼び名が、時と場所、人間関係によって

3パターンくらい変化するので

丁寧に組み込まれたシーンを味わう暇もなく名前を追うだけで必死。

メモとりながら見ること数回。

登場人物名も理解できるようになる。

最初はすごく複雑に思えた構成も

(もうホント最初は糸がこんがらがっているようにしか見えなかった)

まだ何となくだけどブロックごとの塊で解釈できるようになる。



理解し辛い一因は、日本語字幕の翻訳がマズイことにもあると思う。

原本の英語脚本のおもしろさを、ニュアンスそのままに変換するのが

ひょっとしたら大変な作品なのかもしれないが、英語がよくわからない人間が見ても

作品の意図を理解していない(言葉の選択がマズイ)ように感じてしまう。

例えば、(検死シーンのエドとバドのやりとりの中の) why? とか 

(エドが殺人事件のアナウンスを受けたシーンの)It's mine  の部分。

翻訳字幕で省かれてしまうと、伝わるべきそのシーンの人間関係性や

ちょっとした単語だけど、キャラクターが伝わらなくなってしまう。

そういうズレの積み重ねが物語の解釈にも影響してしまうのだと思う。

そして、ラストシーンでスミスがエドに言う

let me do the taiking という箇所は字幕では「自白」と翻訳されていたけど

スミスのキャラクターを考えると不自然としか思えなくて

吹き替え版を見比べるてみる。

「説明」と翻訳されていたのでこちらの方が合点がいく。

そして、英語字幕をつけて見て気がついたこと。

免職処分になったステンズランドが、バドとのやりとりの中で

署を後にする時に It's confidential と言っている。

このポジションの人物が、作品のタイトルにもなっているキーワードを

このタイミングで語っていることにぐっとくる。

日本語字幕で見たり、英語字幕で見たりいそがしい。

挙句の果てには、普段やらないネタばらし的サイトを覗いてみたり。

ああもう、この作品に限っては、英語ネイティブの人についてもらって

逐一解説してもらいながら見たい気分。

外部の注釈によってさらに、おもしろい見方が出来る

自分的には今までなかったパターンだ。

見るほどに心揺さぶられ度が増していく。

そして長々とある感情を抑えつつ書いてきたが

ガイ・ピアースにしびれまくっているのだ。









2010年05月11日(火) 『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』 『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』


『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』 1989年

『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』 2008年  

スティーヴン・スピルバーグ監督



2010年05月10日(月) 『ダークナイト』 『バッドマン ビギンズ』


『ダークナイト』 2008年 クリストファー・ノーラン監督

『バッドマン ビギンズ』 2005年 クリストファー・ノーラン監督



2010年05月07日(金) 『ハリーとトント』


『ハリーとトント』 1974年 ポール・マザースキー監督



2010年05月06日(木) 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』 『ディセンバー・ボーイズ』


『ハリー・ポッターと謎のプリンス』2009年 デヴィッド・イェーツ監督


『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』と同じ監督による製作だけあって?

中途半端な近未来SFちっくなニュアンスは同様だった。

もう子供ではない青年期を向かえたハリーたちを

違った角度で描くことは必然なのかもしれないけど

イマイチ方向性がしっくりこない感じ。

オープニングでハリーが食堂の女子をナンパ?するシーンの意味は何なのだ?

ハリーのほんのりしたセクシャルは魅力的だけど

前後の場面と遊離している印象だ。

相変わらず、他の作品と区別がついていないところがあるので

興味と客観的な視点で再見をする。

そして(他の作品との違いを)理解する。









『ディセンバー・ボーイズ』 2007年


レンタルショップでたまたま手にとって

ハリー役のダニエル・ラドクリフが出演しているのを知った。

むふふな気分でレンタルする。


製作者の表現したいことは解る(ような気はする)が

登場人物たちの描き分けが全くなされていないので

登場人物たちが物語の中で感極まっていても

単なる自己陶酔を見せられているような気分にしかならない。

観客が感情移入や自己投影するには

あまりにもキャラクターの掘り下げがないのだ。

結果的な感情の発露だけを見せられているみたいだ。

表現したいことがたくさんあったのだろうとは思う。

あれもこれもと盛り込み過ぎて

結局何の話なのか、よくわからなくなっている。

それにディセンバー・ボーイズはみんな10歳くらい?なのに

青年のダニエル・ラドクリフ君がその一員なのは不自然な設定としか思えなかった。



ま、そういう作品云々とは切り離して

ダニエル・ラドクリフの登場場面は魅力的だった。

変な言い方かもしれないけど、セクシャルが似合う俳優さんだなと思う。

日本の俳優で言うなら藤原竜也みたいな感じ?

洞窟でのラブシーンなんて、もっと際どく生々しくなっても

おかしくないと思うのだが、清廉とセクシャルが背中合わせになってる感じ。

ダニエル・ラドクリフは、どんな位置づけをされた俳優さんなんだろう?

ハリー・ポッター役以外にもっと見てみたいもんだ。









2010年05月02日(日) 『ジャコ萬と鉄』 


『ジャコ萬と鉄』 1964年 深作欣二監督


1949年に谷口千吉監督によって製作された作品のリメイク版なのだそうだ。

脚本は黒澤明監督/谷口千吉監督。

黒澤明監督の脚本なれば見逃すわけにはいかないでしょって感じで見る。



偶然、深作欣二監督作品を続けて見ることになった。

初期(若手時期)の作品だからだろう。

深作欣二監督のその後の作品に対する、肌に合わないニュアンスよりも

新進気鋭の息吹きのようなものは感じた。

んが、どうしても黒澤明監督あるいは谷口千吉監督が

描くだろう作品を想像して比較してしまう。

脚本から三船敏郎、志村喬らが演じる映像が見えてくる。

そして彼らが演じるとどんなに魅力的だろうと思う。

そして黒澤明監督あるいは谷口千吉監督なら女性を

あのようなニュアンスには仕上げないだろうとも思う。

つまりこの作品を通して、黒澤明監督あるいは谷口千吉監督が作る

理想型を頭の中に描きながら見た感じだ。

黒澤明監督作品が、いかに骨太でありつつ繊細な情感を描いていたかを思う。

この作品の脚本は本にも掲載されていないようなのだが?

黒澤明監督より谷口千吉監督の執筆の比重が大きかったということだろうか?

検索してみると谷口千吉監督『ジャコ萬と鉄』はDVDにもなっていないらしい。

そしてレビューをちらほら見てみると、そう高評価でもないみたい。

にしてもオリジナル作品を見てみたいものだ。






2010年05月01日(土) 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 再見する


『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 2005年

『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 2004年 日本語吹き替え版を2分の1くらい


再見する。


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Barbara [MAIL] [バイオトープの庭]

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