私の雑記帳
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2007年09月27日(木) 腰の痛み

毎朝、腰(尾骨周辺)の痛みがひどくて、その痛みで目が覚める。
本当に痛い。体調が悪くて横になりたくても、
横になると今度は腰が痛くて休まらない。
少し前の日記に書いたが、様々な検査の結果、
専門医の診断は打つ手なし。
ブロック注射も効果無し。
あとはリスクも伴い完治の保証の無い手術しかない。

こんなに痛いのに!と布団の上で、のた打ち回る。
歩く事はできる。でも寝られない。休まらない。
これが現実。

昨日から胃の具合が悪いと思ったらついに風邪をひいて臥せっている。
夏バテの余波だろう。
涼しくなってきたし、体力をしっかりつけなければと思う。


2007年09月23日(日) 生き難い

どうしようもなく憂鬱、気が滅入る。



2007年09月20日(木) 不安神経症

姪の精神状態はあまりよくないらしい。
そのことでいろいろと妹と話したが、姪の症状と
私に当てはまる近い症状がいくつかあるのだ。

病的に多弁であることもそうだし、
能力的に決して人より劣っていないにもかかわらず
自己評価が驚くほど低いということなど。
それは7歳の子供だろうが40過ぎたおばさんだろうが
ある種の精神的な病の特徴的な症状なのだ。
気のせいでもなくて、大げさでもなく。
私も姪も、ちょっと活発に見えたりするから(多弁も)
本人の抱える心の病気や苦しみは他者になかなか
理解されにくいのだと言う。

妹は自分の娘のことでいろいろと調べたり勉強したので
姉の私についても、ようやく私自身が苦しいと昔から
感じていることについて、理解できるようなことを言っていた。

他人と喋りたくないのに、知り合いといつまでも
しゃべって自分から終われない。
童話「赤い靴」の主人公みたいだ。
わかっているのにどうしようもなく、憂鬱なのである。

利口ではないが、馬鹿というほどひどい馬鹿でもないと
思うのに、人よりもはっきりと劣る(出来ない、こなせない)ことが
あったりする。能力の差といってしまえばそれまでだが
なにかが欠落しているような気がして、私自身は
ずっと目に見えないコンプレックスを感じていた。
とくに大人になってからはそれが恐怖ですらあった。
私がどこに勤めても続かない原因はそこに
あったと思う。


心の病というと胡散臭い感じがするが、
自分の抱える悩みやら苦しみが、一種の病気の症例として
特徴的であったことが、なにやら少し救われる思いがした。
かといって、すでに私の人生がどうなるわけでもないが。



2007年09月19日(水) 金の無心

ちょっと忙しいときだったということもあるが、
先々週、彼から本当に久しぶりに電話があったと思ったら
要はお金を貸してほしい、ということだった。
先月、母親が亡くなり葬式などなんだかんだとやりおえて
ようやくこっちに帰ってきたが、いまサイフには3000円しか
ないという。それで生活も仕事も出来ないといいたいようだった。
最後に会ってから1年が過ぎ、最近では電話すらかかって
こなくなったのに(それは忙しいからだとわかってはいるが)
やっと電話をよこしたら、またお金なのかと思う。
 いや私もわかってはいるのだ。私を頼るくらいだから、
本当に困っているだろうことは。
でも、それなら大学生の息子にでも頼ればいいと思った。
たとえ、休学させてでも、自分の生活は自分たちで
何とかしてほしい。私が貸したお金はまだあと100万も
残っている。
私のことを恋人だとも思っていないくせに、ムシがよすぎる。

無論、可哀想だと思う。私と知り合ってからの彼は、離婚に
転職に、父の死、そして母親も亡くなった。
でもそれは私のせいじゃない。私だって私なりに自分の生活に
苦しんでいる。なかなか勤まる職場がない。体調はいつも悪い。
福祉の世話になりながら、先の生活に怯えている不安は
彼なんかより私のほうが苦しんでいる。
彼に私がどこからかお金を借りて、都合をつけてやるのは
簡単だが、もうそれは散々に繰り返し、空しい思いをするのが
常だった。

いままで必ず少しは何とかしてやってきたが、今回は断った。
「何とかしてあげたいけれど、私も借金だらけだし、ない袖は
振れないのよ・・」と言った。
「そうか、わかった」と言ってかれは電話を切った。
そこをなんとか頼む、と言ったりしないのが彼なのである。
彼に未練はあるものの、恩を売っても買ってくれない人に
無理なことはしてはならない。
貸しても貸さなくても、忙しくてお金がない彼は
無理してまで私とは会ってくれない。

その電話があった日、私は何度か彼の携帯にメールを
打ちかけて止めた。「いつもの口座(彼の長男名義の
銀行口座)に少し送る」という内容を幾度となく
書きかけて、その度に空しいことは止めなければ、と
自分に言い聞かせた。もしそれで、本当に縁さえもなくなって
しまってももう仕方ないと。

二日後の朝、彼に電話した。
何とかなっているわけではないが、大丈夫だという
ことだった。おそらくどうにか誰かに借りたか
サラ金にでも頼ったのかもしれない。
しかしもう私が詮索することではなかった。



2007年09月14日(金) 「エロイカより愛を込めて」が好き

レッド・ツェッペリンが1日だけ再結成するらしい。
「天国への階段」ぐらいしか知らないし、特別な関心もないのだけれど、
私の愛読する漫画「エロイカより愛をこめて」の主人公エロイカのモデルは
たしかロバート・プラントで、ドケチ虫のジェームス君はジミーペイジだったはず。(ボーナム君のモデルは故人のジョン・ボーナム)
「エロイカ〜」は映像化したら面白そうなのにといつも思う。

娘が、市立図書館で本を借りてきたと思ったら、
なんのことはない「ガラスの仮面」だった。
私はほぼ連載の最初から花とゆめで読んできた世代。
30過ぎまで欠かさず花とゆめを買っていたので
大半を連載で読んできた。よくラストがどうなったのか?と
聞かれるが、作者が年単位の長い休載中なので、
まだ完結していないと思う。ここ最近はわからないが。
(数年に1度、短期集中連載したりもあったが、
それが単行本になるときには大幅に改稿されたりしている)
図書館には、欠品しているものがあるので借りたくても
全部は読めない。まだ、7巻ぐらいではマヤが「嵐が丘」の
舞台あたりで本当にまだ序の口。「マヤはこれから・・・」と
先を言おうとして怒られた。私はずっと先までストーリーを
知っているくせに久しぶりに初期の頃を読んだせいで、
また読みたくなってしまった。
「ガラスの仮面」の連載は私がマンガ本を買うようになってからの
人生と平行している。エロイカみたいに揃えてみたいけど、
量が多いし悩む。

私と妹の愛読書は「週刊少女コミック」と「花とゆめ」で
あったが、うちの子供たちは知り合いから長年もらっている
「週刊ジャンプ」である。テレビ東京でやっているアニメ
「家庭教師ヒットマン リボーン」とかいうやつ?を
次女がどうしても見たくて妹のところで毎週録画してもらって
送ってもらっている。
その余波で、妹の家でも小さな姪たちが「リボーン」ファンに
なってしまったと苦笑いしていた。
私はジャンプのマンガのような一般的に男の子向けのものは
受け付けないタチなので、面白さはよくわからない。
それよりも一番受け付けないのがジブリもので、
人でなしと言われてもあれはとても苦手。
ああ「エロイカ〜」の新シリーズが早く読みたいな。


2007年09月13日(木) 雷を落とす

昨日、長女が足首を捻挫して歩けないので迎えに来てほしいと電話があった。運動会の練習での怪我だが、本番はあさってである。
保健の先生が「明日病院に行ったほうがいいよ」と言ったそうなので今朝、病院に連れて行く予定であったが、昨夜いつまでも長電話をしていることに私がブチ切れた。
すぐに休ませたいのに、昨日の帰りに夏休みの課題の読書感想文を市に提出するので、本番用に比喩などをもっと書き足して今朝提出しろと言われていたのである。
学校代表に選ばれたのは喜ばしいとは思うが、清書しろと持ってきて次の日の朝に提出しろというのも急な話である。実は去年も選ばれはしたが、何の賞にも選ばれず佳作であった。昨年は、私も添削したくなったがやろうとしてやめた。体裁を整えるために他者の手が入るのは卑怯な気がしたからだ。うまく書けなくてもそれが本人の実力なんだし。
で、今年はもう娘の感想文を読みもしなかった。見れば、口を挟みたくのがいやだったし。
で、夕飯の時には早く休みたいけど、感想文があると面倒そうに言っていたくせに、そのあとかかってきた友人と2時間近くも喋っている。途中、やんわりと注意したが、そのあと30分も電話は続いた。声のトーンから、なにやら深刻な話という雰囲気でもない。朝、病院に行くなら清書した原稿は、提出期限が朝なので、近所の誰かに頼まなくちゃいけない。そのことも誰に頼むのかもまだハッキリ決めていないのに、いつまでも喋っている場合か。はらわたが煮えくり返りそうだったが、電話中は、先方への配慮から黙っていた。電話を切った後、「ふざけんな!そんなに元気なら病院に行く必要もないし、勝手にしろ!!」と怒鳴った。
 今朝になり、娘はまだ軽くびっこをひいているが、私は病院には連れて行かなかった。体育の見学届けを書いてくれというので黙って書いた。そうは言っても少しは同情するので学校までは送ってやった。でも帰りは意地でも自力で帰ってくるだろう。

それにしても、腹が立つ。具合が悪ければ何もかもが免除されると思ったら大間違いだ。
作文、たいした時間もやっていなかったので、たぶん適当にやったのだと思う。せっかく選ばれたチャンスなのにもったいない。なんてイライラしたが、それも娘の人生。
もう娘の怪我には振り回されたくないので、私のために早い回復を願う。


2007年09月10日(月) 蓄積

今日の昼ごろに、すぐ近所の知人(私より3つ上なだけ)が
パート先で突然倒れ、救急車で運ばれたものの、脳に出血があり
緊急手術になったそうだと共通の友人からの電話で知り、動揺。
彼女は睡眠時間が約4時間で、もともと丈夫ではないのに
体に無理をしているように見えたが、まさか倒れるとは・・。
(体を大事にしようと、いつも声をかけていたのに・・。)
自分の限界を超えて無理をするというのは、結局のところ
自分の体に返ってくるのだと、思い知らされたような
気がした。
自律神経が悪くて調子が悪い私の場合も、体のためには
早く寝ることが一番、量の問題もあるが、やはり早寝が一番のようで、
それも、悪くするのに何年もかかったのだから、早寝の習慣も
年単位で続けなくては、良くなることは難しい。
とにかく、長い戦いだと思って地道に努力するしかないのだと思う。


2007年09月07日(金) 元気が一番

次女が、二泊三日の自然体験教室(校外学習)から
無事に帰ってきた。
行き先は富士山で、朝霧の研修センターに滞在。
今回の台風の影響で予定は大幅に変更になったが。

学校からは逐一、状況報告のメールがくる。
なんだかんだ言っても、全員無事の言葉に安堵。
学校からのメール配信システムのおかげで
ずいぶん便利な世の中になったものだ。

正直、次女がいなくて寂しかった。
お天気のこともあったのでちょっと心配もした。
生き物と暮らすというのは、それだけ大きな心配を一生にわたって
背負いながら生きるわけで、親というのはまったく割に合わないし
とにかくしんどい。
しかしいつの間にか精神的に依存する存在になってしまっている。
まったく情けない私。

とにかく、生きていてくれるだけで何よりの親孝行なんだと
しみじみ思う。
以前テレビで五嶋節さんが、「子供に望むことは?」の問いに
「元気で長生きしてほしい」と答えていたが、本当にそれに尽きる。




2007年09月03日(月) 少し残念

中学で行われる合唱コンクールのクラス伴奏、長女は
オーディションで落とされ、同じピアノ教室に通う、
レベル的には格下の男の子に負けた。(勝ち負けという
言い方は、いやらしいが)
たまたま、ピアノの先生と今日久しぶりにお茶をしたが
今回のうちのクラスの曲は「島唄」で、伴奏は難しくない。
選ばれたY君はその曲のCDを買って猛練習した甲斐があり
リズムは抜群にうまくなっていたそうだ。
先生の話だと、伴奏譜がもっと難しければ、Y君は
ひきこなせなかっただろうとのこと。多少技術で
勝っていても、曲が楽だったおかげで同じ土俵での
勝負になり、そうすると、今回の曲はY君の方が
「出来ていた」のだろうと思う。
長女はたぶん自分が弾きたかっただろうが、ならば
もっと練習すべきだった。今年のクラスでは、間違いなく
自分が伴奏だとタカをくくっていたのだと思う。
しかしながら、長女にはピアノのセンスがない。
才能がないのだと思う。しかもピアノは親に強制されて
イヤイヤやっていると、まだ思っている。
単純に音楽が好きになってもらいたいという親の心子知らず、
で、娘は今後何かしらの気づきがない限り、上達は期待
出来ない。そう思うと、ちょっと哀れである。
長女は私にそっくりで、感情が激しく揺れ動きやすい。
心のコンディションが一定でないのが、弱点である。
のんきな次女なんかより、猛烈に頑張ったりするのだが
落ち込んだときのふてくされ方が、どうしようもなく、
こちらの腹も立つ。

先生ははっきりとは言わないが、ピアノのセンスは実は
次女のほうがあるらしい。次女にないものは、闘争心である。
そして、音楽そのものに興味がない。
性格は持って生まれたものであるから、親がどうにもしようがない
とも思うが、根気よく興味を持つようになるまで待つしかないのかな。
細々とでも続けて、長く音楽が身近にある環境は維持したいと
思う。それにしても、次女は本当に練習しなくて困る。
放っておけば1週間の練習がゼロだったりするのだ。
怒鳴ってまでやらせたくはないが、怒鳴らないとやらないのには
困ったもの。

 長女は結局、指揮をやる。Y君とは去年も同じクラスで、
去年は長女が伴奏でY君が指揮だった。偶然だが、今年は
その組み合わせが入れ替わったことになる。
気持ちを早く入れ替えて、すっかり滞っていた通常の基本の
稽古をまた頑張ってやってもらいたいと思う。

仕事が一区切り付いたので、昨日今日と休んだが明日にはまた
次の分の仕事が届く。私にはまた怒涛のような仕事に追われる日が
待っている。肩も指もきついなあ。


pearl〈パール〉 |MAIL

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