暴かれた真光日本語版
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2003年12月31日(水) 040 publicationsinMahikari

最終更新日:2001.10.01 HOME


教団出版物における矛盾点等

インターネット上の掲示板に寄せられた情報のなかから、教団出版物(○○真光)に関する記述をまとめました。注目すべきは小冊子「真光問答」の改訂です。天変地異に関する記述が大きく書き換えられています。旧真光問答では、20世紀末に天変地異が来ると予言していました。しかし、それは来ませんでした。教団はそれに対する何の説明もすることなく、何食わぬ顔で大幅に書き換えを行ったのです。その他,医学や薬に関する記述なども書き換えています。もはや誠意ある宗教団体とは言えないことがおわかりいただけると思います。

目次

・○○真光の教団誌に見られるインターネットへの見解

・新旧「真光問答」における,天変地異に関する記述の食い違い
・天変地異に関する教え
・天変地異が来なかったことに対する言い訳

・新旧「真光問答」における、薬に関する記述の食い違い
・真光問答における「脳死」の見解、および逮捕された政治家とのつながり
・『み役者の手引き 部外秘 ○○真光』に見られる「お導きマニュアル」
・祈言集の改訂
・セント・デニス・ザンテ勲章
・関英男博士と真光
・淞南学園の真実
・手かざし治療の真実(by 崇教Dr.A)
・光記念館の真実
・「最後の天の岩戸開き―岡田光玉師の大予告」八坂東明著 リヨン社97.6.30初版
・旧石器に関する間違ったみ教え

・その他、色々な間違い集



2003年12月30日(火) 041 publicationsinMahikari

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○○真光の教団誌に見られるインターネットへの見解

○○真光誌2001年七月号編集後記より抜粋

「(インターネットの掲示板について)しかし個人の中傷や、特定の団体に対する攻撃らしきものもあるという。掲示板上で反論することはひとつの手段かもしれないが、陽光子はその手段が内容的に相応しいかどうか霊的に判断する必要がある。」
○○真光誌2001年八月号編集後記より抜粋

「情報通信技術の飛躍的な発展を背景に、インターネットの爆発的な普及があり、個人活動や生活様式等に抜本的な影響を与えつつあることは確かである。
 その中には良い方向に導くものもあれば、悪い方向に導くものもある。正しいことはすべて御神書にまとめられており、陽光子はお示しの通り、人類幸福化の為の高度情報化社会へと誘導する神の子に昇華して行かねばならない。
 情報に流されることなく、正しく選別し、お互いが慈しみ合い、励まし合い、助け合って行く精神を醸成して行く行き方こそ最も大切だと思う。」

<注> 教団誌の編集後記において、インターネット上の情報を指して、「流されることなく、正しく選別し」とか、「悪い方向に導くものがある」とか、「霊的に判断するように」などと、信者に訴えている。教団に対する批判情報、暴露情報に対して、遠まわしに牽制している様子がうかがえる。幹部によっては口頭で、「インターネット上の情報はほとんど(9割)が嘘」などと教えているという。



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新旧「真光問答」における,天変地異に関する記述の食い違い

 崇教が発行した新書サイズのミニ本に、「真光問答」がある。真光青年隊活動用のテキストを統監部の許可を得て再編集し、一般信徒向けに作られたものだ。一般人から真光に対して出された質問に答える形式をとっており、一般信徒はこの内容を理解して、布教に役立てようという魂胆だ。この本は昭和58年に初版が発行され、平成3年の増刷後、しばらく絶版状態だったが、平成11年に全面改定された。この本の旧版と新版、それに同時期に発行された他の小冊子を比較してみよう。

<真光問答> (○○真光:昭和58年9月初版、平成3年5月9刷)

質問38:日本沈没や世界の天変地異が噂されていますが、それはほんとうにあるのでしょうか?

 ほんとうにあると思います。私たちが聖凰師から伺った教えによりますと、日本も世界もすでに十数年前から大天変地異の危険期にはいっております。これを「火の洗礼期」と呼ぶのです。

 大地震、火山爆発、大洪水、陸地の海中陥没など、この数千年来なかったような大規模のものが起こるといわれています。天災地変は日本からだんだんに始まり、世界に及ぶのです。そして最近では大天変地異は最初の予定より十年ほど早くなったとのご神示ですから、一九八十年代に起きると思われます。人類がかって経験しなかったような、恐るべき時代は目前に迫っているのです。この大天変地異については、お釈迦様も予言しており、イエス様も予言しています。ノストラダムスという有名な予言者も、四百年前に予言しています。そして、最近では、アメリカの聖人といわれたエドガー・ケーシー、また、ジーン・ディクソン夫人などが、かなりくわしい様相を予言しています。

質問39:世界的天変地異で、今世紀末までに人間は全滅するという予言があるけど、これはホントウなのでしょうか。

 それは予言が間違った受けとられかたをしているのです。有名な「ノストラダムス」の予言は、言葉の解釈のしかたで、いろいろの受けとりかたがあるようです。

 お釈迦さんやイエスの予言にしても、こんどの天変地異で、人類が絶滅するとは言っていません。聖凰師はこんどの大天変地異は、人類の想像を絶するようなもので、生き残れる人類はせいぜい二割にみたないとおっしゃっています。また天変地異だけでなく、人類最終戦、いわゆる聖書の「ハルマゲドンの戦」が行われることは、アメリカの現代の大予言者、ジーン・ディクソン夫人の予言にもくわしく出ています。いずれにしても、天変地異も、人類最終戦も人類が神を忘れ、神の法則からはずれて生活することからおこるものです。

 私たちは一日も早く、神の実在にめざめ、神の法則にそった生活へともどる以外、救われる方法はないことを知らねばなりません。

<救え、然からば救われん> (○○真光:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷) (組み手への、布教の手引き書である。)

(P11) み教えによれば、地上火の洗礼期(すでにさしかかっている)の大峠に生き残れる人類は「せいぜいよくても二割ていどであろう」とのことです。いま世界人口は急激に増大しており、昭和五十年現在で三十九億を突破しました。学者の説ではまだまだ大巾にふえるだろうといいます。もし仮に、火の洗礼の大峠の訪れる今世紀末に、五十億に達しているとしたら、その二割というのは十億の人類ということになります。

(P86) また、食糧問題にとり組んでいる農林省の西丸震哉氏は、PCBや各種の食品添加物、つまり「毒」の入った食物をとり続ける限り、二十一世紀まで生きられる日本人の大人は、現在の1%しかいないと発表しています。そして、いま生まれたばかりの赤ん坊は、 (S50年現在) 二十八才までしか生きられないだろうといっています。

(P97) 二十年、三十年はアッという間にやってきます。そして、あの恐るべき火の洗礼の大峠は確実に私たちの頭上に足もとに襲ってくるのです。その時になって、自分の過去の怠情や至らなさをいかにせめてももはや手おくれです。

<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂版)

質問38:世界的天変地異によって、人類は滅亡するという話は本当なのでしょうか?

 イエス様やお釈迦様も「終末」「末法・末世」という表現で、人心の乱れや文明社会の崩壊、天変地異の到来を予告しています。

 御神示によって岡田光玉師が初めて明らかにされた神様の御経論においても、「火の洗礼期」の到来が示されています。しかし、これは天変地異によって”宇宙や天地が終焉する”とか”人類が滅亡する”ということではないのです。

 どういうことかと言いますと、人類がこのまま”物だ””金だ””自分さえ良ければよい”といった物質一辺倒の考え方で行けば、現代文明に「行き詰まり」が訪れるのです。
 地球温暖化や異常気象、地球環境の汚染、環境ホルモン・食品添加物・農薬などの化学薬品による人体毒化、エイズをはじめとする難病・業病・奇病の多種多発化、等々挙げれば切りがないほどの危機を人類に招いてしまったのです。


 われわれの目的とする方向は、人類が滅亡するかもしれないという危機感を煽るものではなく、一人でも多くの方々と共に次世紀の安泰文明を建設する神性化人間へと昇華していく、人類の未来を創造する限りなき希望の歩みなのです。(部分抜粋)


<解説>

 旧版<真光問答>では、「人類が滅亡するかもしれないという危機感」を煽っている。火の洗礼期に入り、1980年代から天変地異が始まり、人類の2割未満しか生き残れないなど、よくもまあ嘘を並べたてたものである。 「救え、然からば救われん」では、今世紀末には人類の2割程度しか生き残れないなどと平成10年2月になっても言い続けたわけである。

 ところが平成11年1月になって崇教は態度を豹変させ、「火の洗礼期」とは天変地異ではなく、人類がしでかした環境問題であると言いだしたわけである。二十世紀末に天変地異はおきなかったため、言い逃れを始めたわけだ。<真光問答>の旧版と新版とでは全く内容が違うのに驚かされる。

 現在の「真光問答」は旧版に比べずいぶんと内容は改善されているが、過去には統監部は隊員にでたらめな内容を教えていたわけだ。このようないいかげんな隊員教育を受けてきた者が後に幹部となり、セクハラや借金をしたり、「天災が来る。」といったデマを流しているのである。

(付記)  世界真光文明教団の関口栄師は、「世紀末神のシナリオ」(現代書林1991) において“全人類に「火の洗礼」が迫る! 奇跡の〈手かざし〉がわれわれを破局から救う。昭和37年より火の洗礼期に入った。”などと豪語し、ノストラダムスの予言により20世紀末に人類が滅びる事を強調していた。旧版<真光問答>質問39は、文明教団に対しての○○真光の反論であろう。


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2003年12月29日(月) 042 publicationsinMahikari

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天変地異に関する教え

昭和四十二年四月度月始祭ご教示要旨(岡田光玉氏)

S42年み教え集P74-77
<ヨハネの黙示録>


 釈尊は末法の終わりにくると、風水火の三災が起きると予告しておられますが、聖者のヨハネの黙示録のほうは、もっとハッキりと細かに出ています。その黙示録の第八章には、火の洗礼期の地上の変動現象は次のようになると述べています。

 「数多(あまた)の雷(いかづち)と声と稲妻(いなづま)とまた地震起これり」もうすでに霊界ではそういう現象が起きているから、起これりと過去の形になっているのです。それがやがてそっくりそのまま、地上にも現象化していくぞということを示されているわけです。

 「ここに七つのラッパを持てる七人のみ使い、これを吹く備えをなせり。第一のみ使いラッパを吹きしに」四十人(ヨトヤ)の神様のうちの第一の方がラッパで合図をするわけです。

 「血の混りたる雹(ひょう)と火とありて、地に降り下り、地の三分の一焼け失せ、樹の三分の一焼け失せ、もろもろの青草焼け失せたり。第二のみ使いラッパを吹きしに、火にて燃ゆる大いなる山の如きもの海に投げ入れられ、海の三分の一血に変じ、海の中の造られたる生命あるものの三分の一死に、船の三分の一滅びたり」、これを釈尊のほうでいうと「人間が魚や亀に食われる時代がくるゾ」というのと合致していると思います。

 「第三のみ使いラッパを吹きしに、燈火のごとく燃ゆる大いなる星、天より落ちきたり」、この間のアメリカと日本の天文学者の発表によれば、イカルスの星が地球に近づいているそうで、この次の十九年目に地球に接近するときは、日本の学者もどうなるか保証ができないと言っています。

 あれが大西洋に垂直に落ちるとすれば、六千メートルの波が起きます。これはまさに富士山の高きのほとんど倍になり、ヨーロッパ大陸は水中に没してしまいます。もしこれが関東平野に落ちるとすれば、関東は蒸発してしまうということです。

 もし、これが斜にかすって落ちると、その線に沿った大都市は全部こっぱみじんに吹き飛んでしまう。ここにも「燃ゆる大いなる星、天より落ちきたり、川の三分の一と水の源泉との上に落ちたり。この星の名は、苦よもぎという」とあります。

 イカルスではなくて「苦よもぎ」になっています。「水の三分の一は苦よもぎとなり、水の苦くなりしに因りて、多くの人死にたり。第四のみ使いラッパを吹きしに、日の三分の一と月の三分の一と星の三分の一と撃たれて、その三分の一は暗くなり、昼も三分の一は光なく、夜もまた同じ。また、見しに、一羽の鷲の中空を飛び、大いなる声していうをきけり。

 日く、『地に住める者どもは禍害(わざわい)なるかな、禍害なるかな、禍害なるかな。なおほかに三人のみ使いの吹かんとするラッパの声あるに因りてなり』」と

(崇教)真光誌 平成5年2月号 43頁

<トピックス> 巨大隕石が地球を直撃する!?


 『現在は神様のご警告の時代であります。チェルノブイリ原発事故でさえ、近み来る大峠の前兆現象にすぎません。

 このまま人類界の想念の大転換を果たすことができないといたしますならば、神ご予告のとおり天からほんとうの星が、巨大隕石が、地球に落ちてくることさえありうるのであります』<教え主様御教示(S63.2)より抜粋>

 『今年は惑星直列の年と世間で騒がれておりますが、実に恐るべきことは、惑星直列ではなく、人間の魂の曇りの深さと想念の低下にあります』<教え主様御教示(S57.1)より抜粋>

(平成四年九月二十六日ニュースより)

 フランスの科学月刊誌「科学と未来」十月号は、最近発見された小惑星の起動計算から、今から8年後の西暦2000年9月26日に、直径1000メートルもある巨大隕石が地球に最接近すると報じた。

 現在の段階では、地球を直撃するかどうか判断できないが、万一、地球に衝突した場合、地球の生態系は悲劇的な災害に見舞われることになる。かつて隆盛を極めた恐竜が絶滅したのも、このような巨大隕石の衝突によるものと思われる。

 地球直撃の恐れを明らかにしたのは、パリ第六大学で小惑星の衝突問題を研究しているルバスールルグール教授。

 教授によると、この小惑星は1989年1月にフランスの天文学者らが発見、古代フランス神話の神の名をとって「トータチス」と名付けられた。

 トータチスは太陽の周りを3.98年の長円軌道で公転しており、このまま進めば西暦2000年9月26日ごろに、地球と月の間を通過する計算になり、地球重力の影響などで起動がわずかでもずれれば、地球に激突する恐れがあると指摘している。

  直径1-5キロの小惑星が地球に衝突する確率は30万年に一度という計算もあるが、仮に衝突すると地球上は未曾有の巨大災害に見舞われることになる。正しく人類存亡の危機である――。

 神様は、人類の改魂の度合いを、バロメーターである「陽光子」の想念を通して計られておいでである。一人の陽光子が、勇気を持って正法を行じ、自捨新生を果たしてゆくことは、人類全般に亘って非常に大きな霊的影響を及ぼしてゆくことになる。二十一世紀まであと八年――。人類は果たして物主の想念を捨て切って、無事来世紀を迎えることが出来るのか? 人類に果せられた大きな神試しである。陽光子の責任は限りなく重い――。

(解説) この昭和六十三年二月立春大祭のご教示は、「陽光子の三大徳目・ス直」と「栄光の光神殿」にも掲載されている。



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2003年12月28日(日) 043 publicationsinMahikari

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天変地異が来なかったことに対する言い訳



 20世紀末に結局、大天変地異は来なかった。その理由として、八S東明氏は自著で以下のように説明している。

 [A]「最後の天の岩戸開き―岡D光T師の大予告」には、昭和49年6月13日の光T師の神示についてこのような記述がある。

(P117)……この重大神示を受け、光T師は主神に対し人類界の罪穢による御経綸の遅れをお詫びし、自らの『いのち』に替えて巨大エネルギーを逸らさんことを真祈りしたのである。
 この重大神示の十日後、岡D光T師は昇天され、超巨大地震は一時逸らされることとなった。すなわち、地震エネルギーは拡散され、先に延ばされたのである。
 師は身をもって地の大ユスリ(大地震)を逸らしたことになる……。
(P128)……主神神殿建立によって天変地異は一時延ばされはした……

 つまり次の二つの理由で、世紀末に大天変地異が来る予定だったのが、一時的に延びたとS教M光では言いたいわけだ。
 (1) 光T師が身を挺した
 (2) 世界総本山が建立された。

 これが果たして本当なのか、昭和58年に初版が発行された3冊の書籍の内容を考察してみよう。

[1]「大聖主」(S教M光昭和58年6月初版)
<太陽の慈父> 岡DK珠
(P25-26)
 昭和四十九年六月十三日に救I主様は、神様から重大御神示を賜わられました。
 これは「六月十三日午前二時、久方ぶり重大神示」の表紙から始まり、
一、 神の御経綸成就が遅れていること。従って天変地異が近づいていること。
一、 世界総本山を高山の地に御建立すること。
一、 父のみ霊である「ヨのおみ霊」をK珠に授けること。
一、 神様は外(ほか)のみ仕組みで、天変地異のエネルギーを一時逸らされること。
 以上を明示されていたのでございます。
(P28)
 実に救I主様は、我が身を神にお捧げして、神様に天変地異を一刻でも後に延ばしていただき、その間に鎮護の神の天降られる“主座建立”を成し、もって神一厘のみ救い、神風の吹くみ世へ御誘導願いたいと神様へ真祈りを捧げられたのでございます。
 救I主様はまさしく我が身を神にお捧げして、人類の危機を少しでも外に逸らそうとなされたのでございます。
  御立教から神幽りあそばされますまで、神に導かれ、神の命ずるままに御神業を遂行された救I主様の真姿こそ、神ひとすじの偉大なるご生涯でございました。

[2]「M光問答」 (S教M光:昭和58年9月初版、平成3年5月9刷)
質問38:日本沈没や世界の天変地異が噂されていますが、それはほんとうにあるのでしょうか?
 ほんとうにあると思います。私たちが聖ho師から伺った教えによりますと、日本も世界もすでに十数年前から大天変地異の危険期にはいっております。これを「火の洗礼期」と呼ぶのです。
 大地震、火山爆発、大洪水、陸地の海中陥没など、この数千年来なかったような大規模のものが起こるといわれています。
 天災地変は日本からだんだんに始まり、世界に及ぶのです。そして最近では大天変地異は最初の予定より十年ほど早くなったとのご神示ですから、一九八十年代に起きると思われます。
人類がかって経験しなかったような、恐るべき時代は目前に迫っているのです。この大天変地異については、お釈迦様も予言しており、イエス様も予言しています。ノストラダムスという有名な予言者も、四百年前に予言しています。そして、最近では、アメリカの聖人といわれたエドガー・ケーシー、また、ジーン・ディクソン夫人などが、かなりくわしい様相を予言しています。

質問39:世界的天変地異で、今世紀末までに人間は全滅するという予言があるけど、これはホントウなのでしょうか。
 それは予言が間違った受けとられかたをしているのです。有名な「ノストラダムス」の予言は、言葉の解釈のしかたで、いろいろの受けとりかたがあるようです。
 お釈迦さんやイエスの予言にしても、こんどの天変地異で、人類が絶滅するとは言っていません。
 聖ho師はこんどの大天変地異は、人類の想像を絶するようなもので、生き残れる人類はせいぜい二割にみたないとおっしゃっています。また天変地異だけでなく、人類最終戦、いわゆる聖書の「ハルマゲドンの戦」が行われることは、アメリカの現代の大予言者、ジーン・ディクソン夫人の予言にもくわしく出ています。いずれにしても、天変地異も、人類最終戦も人類が神を忘れ、神の法則からはずれて生活することからおこるものです。
 私たちは一日も早く、神の実在にめざめ、神の法則にそった生活へともどる以外、救われる方法はないことを知らねばなりません。
註、参考書として
ご聖言 聖書ヨハネ黙示録十六章十六節
フェニックス・ノア「神の計画」(日新報道)
五島勉「大予言」(祥伝社)

[3]「救え、然からば救われん」 (S教M光:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷)
 組み手への、布教の手引き書である。
(P11) み教えによれば、地上火の洗礼期(すでにさしかかっている)の大峠に生き残れる
人類は「せいぜいよくても二割ていどであろう」とのことです。
 いま世界人口は急激に増大しており、昭和五十年現在で三十九億を突破しました。学者の説ではまだまだ大巾にふえるだろうといいます。
 もし仮に、火の洗礼の大峠の訪れる今世紀末に、五十億に達しているとしたら、その二割というのは十億の人類ということになります。
(P86) また、食糧問題にとり組んでいる農林省の西丸震哉氏は、PCBや各種の食品添加物、つまり「毒」の入った食物をとり続ける限り、二十一世紀まで生きられる日本人の大人は、
現在の1%しかいないと発表しています。そして、いま生まれたばかりの赤ん坊は(S50年現在) 二十八才までしか生きられないだろうといっています。
(P97) 二十年、三十年はアッという間にやってきます。そして、あの恐るべき火の洗礼の大峠は確実に私たちの頭上に足もとに襲ってくるのです。その時になって、自分の過去の怠情や至らなさをいかにせめてももはや手おくれです。

 昭和58年6月に発行された「大聖主」では、『我が身を神にお捧げして、神様に天変地異を一刻でも後に延ばしていただき、その間に鎮護の神の天降られる“主座建立”を成し……』といった表現が確かにある。ところが、同じ年に発行された[2]、[3]では、そのよう記載は全くなく、むしろ『最近では大天変地異は最初の予定より十年ほど早くなったとのご神示ですから、一九八十年代に起きる』などと、全く正反対のことが書かれている。
 布教を目的とした出版物には「大天変地異がおきるぞ」と脅しをかけておいて勧誘し、主座建立のための奉納金を出させ、何年かした後で、「大天変地異がおきなかった理由はここに書いてある」と逃げるつもりらしい。
 実に悪質な大衆騙しのテクニックである。世界総本山ができたことにより大天変地異が起きるのが一時延びた、という見解を教団は出しているが、主座完成を翌年に控えた年に刊行された[2][3]には、全くそのことは書かれておらず、『大天変地異が来るぞ』と脅しまくっている。実際にはこの建物では、村上正邦や藤波孝生といった悪徳議員がたびたび来賓祝辞を述べており、実にけがらわしい建物である。

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2003年12月27日(土) 044 publicationsinMahikari

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新旧「真光問答」における、薬に関する記述の食い違い

<真光問答> (○○真光:昭和58年9月初版、平成3年9刷)



質問27:なぜクスリを使うことはいけないのでしょうか?

 いまの人たちは、病気はクスリが治してくれるものと思いこんでいます。とんでもないクスリ迷信です。クスリには、病気を治す力はありません。それは症状を一時的に抑えるだけなのです。

 人間には、自然の治癒力というものが与えられており(本来は神より与えられたもの)、その力が病気といわれる症状から回復させてくれるのです。

 クスリは、その自然治癒力が発揮されるよう、ほんの一時だけ手をかすにすぎません。むしろ、クスリは副作用のほうが影響が大きく、たくさん用いると必ず体内にたまってしまい、症状を慢性化するか業病化させてしまうことにしか役立たないのです。

 したがって、病院や医者にかかって治る病気というのは、もともと時期がくれば自然に治る性質のものといえます。慢性的な病気は、病院やクスリでは治らないのがほとんど、むしろ一時抑えをくり返すあいだに、業病化させるだけの話です。けっきょくいまの医学の乱用しているクスリは、症状を一時的に強引に抑えつけ、いかにも治ったように見せかけているだけで、「見せかけ医学」といって差し支えありません。「クスリは毒である。」ということは、先覚的な医者たちが最近さかんに本にも書いていることで、クスリの乱用に対しての警告が、医学内部でも発せられるようになっています。


質問28:手かざしで病気がよくなるのなら、医者や病院は不要ではないですか?

 手かざしで病気がどんどんよくなっていることは事実です。医者や病院に見放された病人が、どれだけたくさん手かざしで救われているか、数え切れないほどです。

 もしそれをお疑いなら、ぜひ手かざしの道場へこられて、多くの体験者の言葉に耳を傾けて下さい。また実際の状況を、時間をかけて観察していただきたいと思います。事実が、あなたの疑問を晴らしてくれることを確信しております。

 病気と言われる症状の80%以上は「霊障」、つまりとり憑いた霊たちの仕わざによることは、何万という手かざしの実例で、すでに明らかなことなのです。霊が脱けていくと、とたんに症状が解消してしまうのですから、実にハッキリしたものです。

 したがって、現代医学のように、病気の根本原因を探ろうとせず、ただ症状に合わせてやたらとクスリを飲ませて治そうとする対症療法は明らかに間違っています。そのために、ほとんどの病気は治るどころか、慢性化したり業病化しているのです。そういう間違った方向に進む医者や病院はないほうがマシだということはいえるでしょう。

 しかし、医学が方向を変えて、人間の体や病気を唯物的にとらえることを止め、より高度な四次元あるいはもっと高次元な科学観をとり入れ、病気の根本原因を探り、原因療法に目を向けるなら、医者や病院が不要ということは決してありません。


<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂版)

質問17:薬は飲まない方がいいのでしょうか?

 今の人たちは、病気は薬を飲めば治ると思いこんでいますが、それは薬への過信です。薬には、病気を治す力はありません。症状を一時的に抑えるだけなのです。人間には、天与の自然治癒力があり、本当はその力が病気といわれる症状を抑えているのです。

 今、医学界でも「薬毒」という言葉が出てくるようになりましたが、文字通り本来「薬は毒」であって、「毒を以て毒を制する」というのが薬の本質です。たくさん飲むようになると、薬の中の毒性が体内に溜まってしまい、症状を慢性化するか業病化させてしまいます。

 薬はどんどん新しいものが出まわっておりますが、強い薬が開発されれば、それに負けない強い菌が発生してくるというように病気も多種多様化して来ています。つまり難病・奇病・業病化して来ているのです。

 最近、農薬とか食品添加物などの危険性も叫ばれていますが、何と言っても肉体の中に直接注入したり飲んだりする「毒」が一番恐ろしいと言えます。また薬を乱用すると、細胞の中の染色体遺伝子深くまで入り込み、自分だけでなく、次に続く世代にまで影響することも忘れてはなりません。

 真光の手かざしを受けると、神の光により体内の毒素が溶けて排泄されるため、症状が良くなるのです。一方、多くの薬は逆に毒素を固める働きをします。要するに、手かざしと薬を飲むのとは逆の働きになるので、薬を飲みながら手かざしをしても、その効果があらわれにくいということが多くあります。そういう理由で、「(手かざしを受けている時は)薬を飲まない方がいい」と私たちは言うのです。

 しかし、病気の症状によっては医薬剤が必要な人もあるので、○○真光は「薬を飲んではいけない」と言っておりません。ただ前述のように、基本的に薬というのは、体の味方になるものではないということを知っておいていただきたいのです。

質問18:手かざしで病気がよくなるのなら、医者や病院は不要ではないですか?

 現代医学は、たしかに中世・近代から比べれば大幅に進歩し、その結果数多くの人命が救われ、社会に対して多大なる貢献がなされています。しかし、医学がめざましい進歩をとげた一方で、次々と新しい病気(エイズ、O-157など)が発生し、医者も病院も増えています。もし、医者や薬で病気が本当に治るのなら、病院に行く人は減り、その結果病院はどんどん減少して行くはずです。ところが、病人は減るどころか増え続けているのが現状なのです。

 一方、手かざしで病気といわれる症状がどんどんよくなっていることは事実です。医者や病院に見放された病人が、どれだけたくさん手かざしで救われているか、数え切れない程です。それはなぜでしょうか?

 実は、病気と言われる症状の八〇%以上は「霊障」、つまり人の肉体に憑いた霊が原因なのです。そして、その霊障が解消すると、とたんにその症状がなくなってしまいます。これは手かざしの実例で、すでに明らかにされています。

 しかし、私たちは決して医学を否定していません。事実、お医者さんや看護婦さんで、真光の研修を受け、手をかざしている方がいらっしゃるのです。私たちは「絶対に薬は飲まない」とか「絶対に医者にかからない」という主義ではありません。医学は必要なのです。

 ただ私たちの目指す医学は、もっと高次元の医学なのです。それは、人間の体や病気を唯物的にとらえる現代医学に加えて、目に見えない心の世界、そしてさらに霊の世界にも目を向ける医学です。”唯霊の医学””唯心の医学”"唯物の医学”の三つを兼ねそろえた、より高度な「霊主の医学」こそ本当の医学と考えています。

 現代医学が対症療法なのに対し、真光の業は、病の本当の真因を取り除く原因療法です。医学の行き詰まりが叫ばれている現在、このように一歩踏み込んだ医学が求められているのではないでしょうか?


<解説>

 旧版では、クスリや現代医学に対して挑戦的な態度に終始している。新版では、”「絶対に薬は飲まない」とか「絶対に医者にかからない」という主義ではありません。”と少し譲歩している。新版質問18の最後の方には、医学と協力していこうという姿勢がうかがえる。

 この変化の背景には、平成2年頃に陽光診療所が高山市にでき、平成5年の後半に初期研修のテキストと内容が全面改定され、医学に関する内容がかなり変えられたのを反映している。もとはといえば、病気が悪化したりした信者の家族が、裁判を起こしたりしたケースが何例かあったかららしい


<救え、然からば救われん> (崇教:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷) 82-85頁

 たとえば、現代医学はメザマシイ進歩をとげたと信じられており、どんな病気でも原因が分かり治療法が分かっているかのように人々は錯覚しています。ところが、現代医学ではカゼの原因すら分かっていないし、「感冒はなぜあるか、」「熱とは何か、なぜでるか」といった最も基本的なことが分かっていません。

 止むを得ず、対症療法として、ある種の薬品を用いて熱を下げるとか、痛みをマヒさせて治ったと思わせているだけです。しかも、熱を下げることや痛みを止めることが、果たして人間の真の健康によいか無病化のために役立つかという点について、世界中の医学でも結論がでていません。

 薬毒の蓄積の恐るべき結果について、全く頬かぶりされたままなのが現状なのですが、いずれ薬毒というものが、今大騒ぎされている公害以上に恐るべき影響のあったことに、世人が気付くのも遠くないことでしょう。

 東京教育大学の杉靖三郎教授は「熱それ自身は病気ではない。熱が出たら下げればよいというのは非常に間違っている。」と反対しています。アメリカは、半数ぐらいの医者がその考えかたですし、日本はじめ世界各国で同じ考えの医者は大勢いるのです。

 このように、あらゆる病気に付随して出る「熱」のようなカンタンな症状すら、まだ解明されていないのが現代医学なるものの実状なのです。

 その他の面倒な症状に至っては、原因も正体も治療法も分からぬものがどれほどたくさんあるでか、医学の現状を少し突っこんで調べたら、むしろ寒心にたえぬし身振いするくらいでしょう。

 多くの人の信頼にもかかわらず、現代医学の治病率はおどろくほど低いといわれていますし、それ以上にクスリによる対症療法のため、病の種類はふえる一方、ますます奇病多発をうながしているのです。

 現在の治病の状態からいうと、医者やクスリが癒すというよりは、放っておいても自然に治るものが治ったに過ぎないといったほうが正確ではないでしょうか。ちょっと難しい病気は病院に通いクスリを飲んでいるうちに慢性化し、あちらこちらの病院をわたり歩くあいだに業病化し、ついにはとり返しのつかないところまでいってしまうのです。

 こうして病人と病気の種類は毎年激増する一方、各地に病院が次々と建てられ、全国の所得番付の上位何名かは各県とも医者が占めるという、実に不可解な現象を呈することになります。もしも現代医学で病気が治っているならば、国立医大も病院もほんとうは閑古鳥が鳴くくらいにさびれ、どんどんつぶれるくらいでなければならないはずです。

 人間の生命をあずかる科学であるはずの医学が、このような実情にあることを知って、なおかつ科学万能を信じられるものでしょうか。そして、死ぬか生きるかの瀬戸際になったとき、果たして自分の命をあずける気になるものか、誰しも考えずにいられないはずです。

<解説>

  現在教団は、公式には「医学と十字に組む」と言って、医学を必ずしも否定しないが、以前はこのように殆ど完全否定をしていた。このために病院に行くのが遅れる信者が後を立たなかった。この文面をそのまま受け取れば,だれも病院に行きたがらないことは想像に難くない。現在でもその傾向は残っている。その上、子供に予防注射を打たせないなどということも、しばしばあるらしい。
 
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2003年12月26日(金) 045 publicationsinMahikari

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真光問答における「脳死」の見解、および逮捕された政治家とのつながり

<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂新版)


質問49:臓器移植・脳死についてどう考えますか?

 人は息がなくなり、脈がなくなり、心臓が停止した時、初めて「死」と認識されるものです。しかし、心臓がとまり死を迎えた人でも、原則として約二十四時間は埋葬することは好ましくありません。それは、昔から希にありますが、亡くなったはずの人が生き返る例があるからです。

 人間の身体は肉体細胞だけでできているのではなく、肉体細胞(肉体)の奥には幽細胞(幽体)がり、さらにその奥には霊細胞(霊体)がります。心霊科学的に言えば、「人の死」は、肉体細胞から幽体・霊体が抜け出た状態を言うのであって、幽体・霊体は生きているのです。そして希に、肉体を離れた幽体・霊体が戻る場合があり、それを死者の甦りと言っております。

 もし、脳死が人の死と認められ、脳機能停止と同時に、無制限に臓器移植が行われるようになると、脳死の後、万が一再び生き返っていたかもしれない人は、いったいどうなるんでしょう?帰るところがなく、本当の死に追い込まれてしまうのではないでしょうか?

 現在のところ、まだ脳死の認定は臓器提供者に限られているので混乱を避けることができますが、もし、まだ生ある人(心臓が動いている人)を簡単に脳死と断定することが全ての国民に適用されるとしたら、臓器を失い死に至った霊魂の無念さはいかに大きいか計り知れないことでしょう。この世の不幸の原因となる霊障はますます激しいものとなり、人類はもっと苦しまなければならなくなります。

 臓器移植は、本人が承諾し家族が同意した場合、それを止めることはできませんしその人達の意思を尊重しなければいけません。

 しかし霊は、原則として死に至ったその時の状態を持ってあの世に行くのですから、臓器移植をすればどういうことになるか、考えればおわかりになると思います。

 人は、尊い生命をもった神の子です。決して単なる物質の塊ではありません。親が子を愛するように、私たち人間の究極の親であらせられる神様は、どんなに私たちのことを想って下さっているでしょう。またどんなご苦労をされて、人間をこの世にお創りになられたのでしょう。 私たちは、生命の尊さを今一度考え直さないといけないのではないのでしょうか?

<解説>

 「霊は、原則として死に至ったその時の状態を持ってあの世に行く」というのは大本教と真光に共通した考えだ。それゆえ、大本教は「心臓停止後の臓器移植は容認するが、脳死段階では認めない。」という考えで、公式HPで見解を公表している。一方、崇教真光は「提供者の同意があれば、脳死臓器移植を容認する。」という現実的な考えだ。

 死んだ時の状態を問題にするなら、人工妊娠中絶こそ議題にあげるべきだ。「日本人は胎児をモノと考えて、安易に中絶をしてしまう。その一方で外国へ脳死臓器移植を受けに来るのは理解できない。」という諸外国からの批判を真剣に受け止めるべきだ。臓器移植法に反対するなら、安易に中絶を認めている法律の方にも反対しないといけない。

 大本は、妊娠中絶を我が国が安易に法律で認めている点について、正面切って批判していない。なお真光は、水子は先祖の一人として供養すべきだ、と主張しており、水子だけを特別扱いはしない。

 なお、大本教のHPで「大本教義にみる」(出口教学委員長)を拝読してみた。文中に、「想念」の言葉はしばし出てくるが、「想念転換」の単語は一切出てこない。「想念転換」は岡田光玉師が新しく提唱したとみられる。

 「真光」誌平成9年12月号では、村上正邦議員が臓器移植法案の審議について堂々と述べている。それにしてもあきれてくる。悪徳議員とつながって脳死・臓器移植を批判するなど、想念的には一番最低である。「○○真光」誌平成14年2月号で、教団広報部は脳死・臓器移植の批判をしている。確かに、日本の現在の移植医療には問題点が多いが、悪徳議員の署名集めをしたことを全く反省せず、医学を批判するなどもってのほかである。
 

「真光」平成9年12月号 26-28頁
 お祝辞 み教えを心として 参議院 自由民主党幹事長 村上正邦


 教え主様、本日は御立教三十八周年真におめでとうございます。
 主の大御神様、救い主様の御守護、御加護、教え主様の御指導に心から感謝申し上げ、お祝い申し上げます。

 教え主様、先の国会では、夫婦別姓問題や臓器移植法のことで大変ご心配をお掛け致しました。御教示の通り、社会秩序の基本は家族でございます。教え主様は、「選択的夫婦別姓制度はわが国の家族のあり方を根本的に崩壊させ、やがては社会の崩壊、国家の解体にまで行き着くことになる」と反対されました。私どもは、御指示を体して各方面で夫婦別姓制度に反対する論陣をはり、自民党の党内議論で法務省が準備してきた法案は、国会に提出する前の段階で断念させることが出来ました。

 もう一つの臓器移植法でございますが、衆議院が可決し、参議院に送られてきた原案は「全ての脳死は、人の死」と定義付けるものでございました。教え主様始め心ある宗教界の多くの指導者の方々が、この法律に反対を表明されました。私ども参議院は、宗教界を始め各界各層の御提言を受けて慎重に論議を進め、臓器提供者に限って脳死を人の死と認めるという大幅な修正を行ったのでございます。これによって、人の死は心臓死と脳死の二つの死が存在することになりましたが、生命倫理の観点からも問題があり、また国民的合意も出来ていない脳死は人の死という考え方を、この法律で国民に強制するという大きな間違いだけはかろうじて避けることが出来ました。百パーセントご満足いただける内容ではございませんが、一方で、本人が承諾し家族も同意した場合には、臓器移植の道を拓いてあげなければならないという、現実的対応を求められる政治の場としては、ぎりぎりの選択でございました。

 七月度の月始祭の御教示で、教え主様は次のようにお示しになられました。「真に浅薄な法律的判断により、将来、”生命の尊厳”を歪めることのないよう切に為政者に対して望みたいと思います。」

 私は、このお言葉、「生命の尊厳とは何か」「人間は物質にあらず、肉体にあらず、脳髄細胞にあらず、神経細胞にあらず、人間は霊なり、生命なり、人間は神よりいでたる光なり」このことをしっかり踏まえて行くことこそ、生命の尊厳・生命の尊重の基本であるとサトらせて頂いたのであります。(以下省略)

<解説>

 平成9年8月に○○真光は各拠点において、村上正邦参議院議員を比例候補に推薦するための署名集め
をし、自民党本部に提出した。そして、村上議員は同年11月の○○真光秋季大祭に来賓として出席し、スピーチをおこなった。また藤波孝生衆議院議員の祝辞も平成9年12月号に掲載されている。

 やはり平成12年12月に崇教真光は各拠点において、小山孝雄参議院議員を比例候補に推薦するための署名集めをし、自民党本部に提出した。

 平成13年初めに両議員が逮捕されたが、○○真光は信徒に対しこの問題で全く謝罪しなかった。全く、この教団の幹部は何を考えているのか分からない。悪徳国会議員と十字に組んだことを、信徒にたいし「ス直」に「心の下座」でもって「お詫び」せよ!。陽光子の三大徳目が聞いてあきれる。(私も両議員に署名した)

 なお、○○真光発行の月刊誌名は、平成9年12月までは「真光」だったが、平成10年1月より「○○真光」に変更された。S界真光文明教団発行の「月刊真光」との混同を避けるためである。


「真光」(○○) 平成5年12月号
ご祝辞:「神組み手の愛と真の実践に感動」参議院議員 村上正邦


 今日の我が国は、正に神鍛えの場におかれていると思います。そしてまた私共が身を置く政治も、神の大いなる試練を頂いている時であると思います。

 この時にあたり、政治に携わる私共は心を空しくして神の声を聞かなければなりません。そして政治に必ずみ光が射すことを信じて下さり、御指導御教導賜っております教え主様はじめ、神組み手の皆様のお力を頂いて、この大いなる試練を乗り越えて我が国の発展の為に全力を尽くしてまいる決意を新たに致しております。

 尚、私事でございますが昨年の十二月、教え主様はじめ皆様の御指導御支援のお蔭をもちまして、労働大臣に就任させて頂き、この八月迄その職責を全うさせて頂きました。

 その間、この地上に生を受けた一人一人が、その天分を生かし一人の失業者もなく病む者もなく、乏しき者もなく、住む人悉く喜びに満ち充ちた地上天国を実現できるよう、政治の究極の目的を達成する為に、国務大臣の立場にあって微力を尽くさせて頂きました。

 教え主様にはこの四月、総理主催の観桜会においで頂いた折、労働大臣として国家国民の為に全力を尽くすよう御激励を頂きました。更に富田局長をはじめ、東京都内の幹部の皆様がわざわざ大臣室まで足をお運び頂き、激励して下さいました。どんなに勇気付けられたことでしょう。真に有難うございました。

 大臣在任中に、是非一度この高山に参りまして、世界総本山にお参りさせて頂きたいと存じておりましたが、ご承知の通りの事情で、それも叶わないままとなりましたが、ここに在任中に御守護賜りました、主の大御神様、救い主様に、そして教え主様に、厚く感謝御礼を申し上げます。

 今、全国各地の神組み手の皆様は、教え主様の御指導により、光の人となって人を救い、世を浄める為に身を挺しておられます。つい先日、私が身体に不調を来しました時に、東京都内の道場長をはじめ神組み手の皆様が議員宿舎に私を訪ねて下さり、お浄めをして下さいました。

 またお誘いを受け、私自身道場にお伺いしお浄めを賜りました。また、この大祭より帰りましても、五日には政界の再編に大きな影響力を持つ先輩の衆議院議員御夫妻共々にお浄めを頂く予定になっております。(部分抜粋)

<解説>

 自民党の参院比例代表選立候補予定者は、支持者名簿を党に提出しなければならない.崇教は、H9年8月に村上正邦を、H12年12月に小山孝雄を推薦し、署名を集めるよう拠点月並祭で信徒に指示している。H13年初め、両議員が逮捕されたのは記憶に新しい。○○真光はその事を信徒に一言も謝罪していない。

 崇教の信徒は機関誌の内容を熟読して理解する事が求められている.崇教の信徒に今度会ったら、村上正邦のことを問いただしてみよう。

 秋田県の○○真光幹部は、信徒に月刊誌を買わせて配布する活動を展開している.これが人救いになると信じているようだ。他の地域でも追随するうごきがある。村上正邦や小山孝雄を支援した事を反省しないのは、悪想念そのものであり、村上正邦の挨拶がのった書籍など配布するべきではない。

 また、H13年9月号では夫婦別姓を、H14年2月号では脳死臓器移植を批判しているが、こういった愚かなこともやめるべきだ。

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2003年12月25日(木) 046 publicationsinMahikari

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『み役者の手引き 部外秘 ○○真光』に見られる「お導きマニュアル」

教団内の役職者向け出版物に、未信者勧誘マニュアルがある。

<以下抜粋>


P.192−

第3章 お導きにあたって

〔1〕 お導きは何のために必要か

(1) 種人探しは組み手の使命
   「2」 御み霊をいただいただけでは種人の候補者であって、真の種人ではありません。
   「3」 種人を探して、はじめて組み手としての資格ができます。

(2) 種人とはなにか
   「1」 火の洗礼に生き残り、21聖紀(霊主)文明を造り上げていく選び子を指します。
   「2」 正法へ想念転換でき、浄まった者は種人となり、聖霊が降下されます。


(3) お導きとは何か
   「1」 種人候補者を、神様にお捧げすることです。
   「2」 あなたの友人を、知人を、職場の人を、未知の人を神組み手に、種人候補者にし
      てあげること、即、幸せにしてあげることです。

(4) お導きは清浄行
   「2」 お導きさせていただくことにより、想念転換ができます。一日も早い想念転換を神様
      はお望みです。
   「3」 正法は、聞いただけではわかりません。
      正法に想念転換するということは、み教えを聞くというだけでは出来ないのです。
      なぜなら、魂霊の世界の転換は霊の世界の事だからです。従って、み教えを実際に
      行動に移す、つまり実践行、お導きという霊行をして、はじめて出来ることなのです。


P.195−

〔4〕 お導きを簡単に考えてはいけない。

(1) お導きは、右から左へとサッサッとできるものではありません。
(2) 相手には、霊が憑依していることを忘れてはなりません。憑霊はみ光をきらいますから、
   頭から断られたり、否定されたりすることも、当然ありうるのです。
(3) お導きには、いつも憑依霊をおサトしするような、いたわりの気持ちをもってすることです。
   気長にほぐすことが大事です。


--P.198--

(3) お導きのケイコ
  お導きは断られた時から始まります。

  標準語法┐
        │   の用意と稽古(真光問答など参考)
  応酬語法┘

  組み手同士、互いに実感を出すように心がけて集団訓練をします。
  テープにとっておいて研究するのもよいでしょう。
  語法は反復練習しておいて、いつでも口をついて出てくるようにします。

--P.199--

(4) お導き結果の記録
  経過や結果を書いてみると、いろいろなことに気づき反省させられます。
  次への貴重な資料となります。

(5) 数多く訪問する
  たくさんお導きするには、出来るだけ多くの人にあたってみることです。訪問回数を
 増やすことが大事です。
  お導きは、訪問回数に比例してきます。


〔7〕 くせの強い人のお導きの仕方

  相手が相当霊に障られていることを頭において応対すること。

(1) 頑固な人
  抵抗の本当の理由を早くつかんで、それをうまく利用する方法を考えることです。

(2) 皮肉屋
  皮肉を言う人は、優越感を味わいたい反面、心底に劣等感があるため皮肉を言
 いたいのです。
  こちらがカッとしたり、反駁してはならず、言いたいだけ言わせておく。調子をあわ
 せると手ごたえがなくなり、皮肉を言わなくなってきます。

(3) 優柔不断な人
  信頼を得ることが第一です。
  何か証拠になるものを持ち出すのも良いでしょう。参考図書など。

(4) お天気屋
  天気の悪いときは早く引き上げ、天気の良い時に出直します。(ムリ押しすると、
 次回訪問ができないことがあります。)

(5) 黙りがち
  「1」 話べたのとき
   こちらがしゃべりすぎない。箇条書き的な質問、イエス、ノー式に答えていただく。
  「2」 話す材料が考えつかぬ人
   時間がかかるが、こちらから興味のありそうな世間話などを話していく。

-- p.200 --

〔8〕 お導き標語

(1) 常に口に唱えよう
 「1」 ためらうな、その人に手をかざせ。
 「2」 温かく相手を包め、押しつけ厳禁。
 「3」 冷たくされたらニッコリしよう。曇りが一つまた消える。
 「4」 チャンスを逃すな、悔いを残すな。
 「5」 霊層昇華で叶う、真光布教力向上。

<解説>

お導きに関するマニュアルであるが、よく読むと次のような意味が読み取れる。


P.192 〔1〕(4)「2」「3」→ お導きという霊行をしないと想念転換できない。
P.192 〔1〕(2)「1」「2」→ 想念転換しないと、種人になれない。つまり、火の洗礼に生き残れない。つまり、死ぬ(あるいは魂を消されて輪廻転生もできない)。

つまり、「お導きをしないと火の洗礼で死ぬ。」、という意味合いが読み取れる。また、


P.192 (1)「3」 →種人を探さない人は、組み手の資格がない。つまり、組み手ではない。

と言っている。以上のようにして、表現はやわらかくて回りくどいが、単刀直入に言えば、「お導きをしない人は、死にますよ。」と脅迫されていることに近い。このようにして、組み手は「お導き」に駆り立てられるのである。

また、


P.195〔4〕(2)(3)、P.199〔7〕→ 相手がお導きを嫌がるのは、その人に憑いている憑依霊が嫌がっているからである。

として、お導きがうまくいかないのは憑依霊のせいだということにしている。これでは相手の意思など無視しているに等しい。


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(注 丸付き数字を「」付きに変更)



2003年12月24日(水) 047 publicationsinMahikari

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祈言集の改訂

○○真光は昭和50年代後半に、祈言集の改訂を行った。「このたび神歌が追加されたので、古い祈言集を新しいのと交換します。」と称して旧版祈言集の回収を行った。追加された神歌は、「神向き狂歌(その二)」と「主座御建立を祝いて」であった。ところが、改訂箇所は神歌のみではなかった。以下に変更点を示す。

教示:   (旧版)正法神向の法は、真光文明教団のみの為のものに悲ざるなり。崇教なる哉。
      (新版)正法神向の法は、真光教団のみの為のものに悲ざるなり。崇教なる哉。
神向き讃詞:(旧版)神大経綸の大き仕組みぞ神意なれ
      (新版)神大経綸の大き仕組みぞ神意なる
神歌:   (旧版)師弟歌交祈りに触れて
      (新版)師弟交歌祈りに触れて

 特に注目すべきは教示で、「文明」の文字を意図的に削除していることだ。これは初代の教えを曲げていることになるのではないか。言霊が大きく違ってきそうである。文明教団では、現在でも旧版のまま使用しているらしい。

<注>

どの教団書物に書かれているのかは不明ですが、光玉氏は、「自分の言葉を変えてはならない...」、という意味の教えを残しているそうです。上のような書き換えはこれに反するのではないでしょうか?○○真光の教団上層部は、裁判に負けて教団が分裂し、教団名を変えたという歴史を隠すためなら光玉氏の言葉を変えても平気のようです。。つまり、光玉氏のことを初代教祖と崇めていないのではないでしょうか?


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2003年12月23日(火) 048 publicationsinMahikari

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セント・デニス・ザンテ勲章


岡田光玉氏が受賞したという、セント・デニス・ザンテ勲章に関する教団の説明は以下のとおりです。


「大聖主 岡田光玉師」P203-204
監修 救い主様伝記編纂委員会 
昭和五十八年六月ニ十三日初版発行(株)L・H陽光出版


セント・デニス・ザンテ勲章 国際アメリカン学術協会は、一九0一年にワシントンに設立された。本部はニューヨークにある。協会の事業は、人類社会に貢献した世界各国の功績ある人に、アカデミー賞またはナイト勲章をおくる。もとは、西暦三十四年に、ギリシャのザンデ島で、功績者にナイト(騎士)の称号を贈ったことから始まったもので、アメリカ合衆国がそれを継承した。これまでに、ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディなどアメリカの大統領、ギリシャのピーター殿下、ヨルダン王、スペルマン枢機卿、ノーベル賞のシュバイツァー博士など、世界第一級の功績者に贈られた権威ある称号ならびに勲章である。アカデミー賞の受賞者は日本にもあるが、ナイト賞がわが国の宗教界で贈られたのは、岡田光玉師がはじめてである。

勲章は、中央に聖デニスの肖像があり、それを「ザンテ聖デニス騎士団」というギリシャ文字が囲んでいる。この円形を中心にして、銀の白十字がひろがり、その先端についている銀の球は、騎士道精神の八つの徳目である勇気、節制、正義、信仰、愛、希望、慈善、慈しみを表している。裏面には、「信仰・勇気」の文字が浮き彫りになっている。

み役者の手引き 部外秘 ○○真光

P.9 昭和47年2月17日、日本及び世界各国への大きな功績、そして次期文明への示唆をたたえて、国際アメリカン学術協会から、世界的な文化栄誉「ナイトコマンダー称号」と、「セントデニスザンテ勲章」(西紀34年イエス存命中に制定され今日に至る)が贈られ、その叙勲式典が行われました。
かつて、この叙勲の対象となられたのは、ルーズベルト、ケネディなどアメリカ歴代大統領、また各国元首やローマ法王、枢機卿、カンタベリー大僧正といった世界的な功労者ばかりであります。
この光栄ある叙勲は、救い主様の偉大なる業績が日本のみならず、広く世界に認識されたものといえます。

○○真光中級研修テキスト(英語版)

On 17 February 1972, in recognition of his service to the world, and for his suggestions for the coming civilization, Sukuinushisama was awarded the decoration of Knight Commander of the Sovereigh Greek Order of St. Dennis of Zante by the International American Institute. This is an internationally recognized cultural honor. On the same occasion he was also made a fellow of the International American Institute.
 
(注: 「大聖主」にも英文訳が出版されている。)

ところが、スティーブ・アラートン氏の「○○真光文化に関する小研究」の中で明らかにされたように、この勲章は「セルフスタイルドオーダー」(自称勲章)と呼ばれるものであり、欲しい人はお金を出して買うことが出来、逆に有名人には勝手に送りつけられてしまうという、全く価値のないものです。この勲章は,イタリア政府(外務省)が作った価値の無い勲章のリストに載っています。


http://www.chivalricorders.org/orders/self-styled/slfstlod.htm
The Sovereign Order of the Knights of Saint Dennis of Zante: Originally founded by the notorious "Count" Pericles Voultsos, this is now apparently run by "H.S.H. Count Thomas JohnTaglianetti". This Order claims among its members former President George Bush, yet another example of how these groups send their award to a prominent individual and then claim him for a member. It is closely associated with a Mr Lowell Barker, who calls himself Bishop Mikhail of the Ukranian Orthodox Church.

セント・デニス・ザンテ勲章(ザンテ・聖デニス・ギリシャ勲章): この勲章は、かの悪名高い「伯爵」であるPericles Voultsosによって作られ、現在は,Thomas John Taglianetti (HSH)伯爵によって運営されている。この勲章は元アメリカ大統領ジョージ・ブッシュ氏もその受賞者の1人だとされている。このことは、この勲章を授ける団体は勲章を有名な人物に送りつけ、その人物を団体の会員であるということにしてしまう、一つの例である。この勲章は、ウクライナの正統派教会の司教であると自称しているLowell Barker氏と深い関係がある。

http://www.heraldica.org/topics/orders/itbgord.htm
The Italian Ministry of Foreign Affairs issued in 1953 a long but not exhaustive list of such illegitimate orders. This list is apparently updated from time to time. Here it is, copied from an editorial in Hidalguia (no. 177, 1983).
  
  Saint-Denis de Zanthe (ordre souverain grec de)

イタリア外務省は、1953年に、そのような非合法な勲章について、長いけれども完全ではないリストを発行した。このリストは何度も更新されている。ここにあるものは、”Hidalguia”(1983年177号)において編集されたものである。
→リストの中に、セントデニスザンテ勲章がある。

近年、この同じ勲章を受章した人たちが日本にいます。以下がその人たちです。いかにも怪しい健康器具や健康法を開発した人たちが、この勲章を得ています。このことからも、教団が行っている勲章に関する説明は、全くの嘘であろうと思われます。


2000年11月 

株式会社コンセラン代表取締役 川口裕清が米国公益法人、世界学術研究アカデミー財団より、「予防医学博士号」 「ザンテ聖デニス、ギリシャ勲章」を受章。コンプレッションセラピー「コンセラン」(空気圧式ヘルストレーナー)を活用した健康機器の30年にわたる普及活動が認められる。
http://www.comtheran.co.jp/annai/annai.htm
http://www.comtheran.co.jp/yobou.html
1999年 2月

WOS−21代表取締役 射手矢 政美
 WOS−21による大気汚染防止および長年の水質悪化防止活動が認められ、聖ザンテ・デニス・ギリシャ勲章協会から「コマンドール章」を受賞する。
http://www2.ocn.ne.jp/~wos21/wos21co.htm (リンク切れ)

1997年 

土屋義弘氏 「コマンドール勲章&ナイトの爵位」を受章(ザンテ聖デニス・ギリシャ勲章)

土屋氏略歴
1939年 広島市生まれ
1962年 日本大学卒業
倉敷紡績(株)における15年間の商品開発部勤務を含めて30年余にわたるせんい業界での活動の中で、せんい工学と生きたマーケティングを学ぶ
1986年 京都に(株)ユーを設立、代表取締役就任
長年の開発・販売活動の中から、様々なせんいを使った理学的健康法を開発、特に下着の分野で数々の成果をあげてきている
1997年 「コマンドール勲章&ナイトの爵位」を受章(ザンテ聖デニス・ギリシャ勲章)
(財)健康科学研究協会を設立、副理事長就任
ライナス・ポーリング科学医学研究所(米国)と共同研究&交流を開始
世界学術研究審査協会米国本部から名誉博士号を受賞
(社)国際発明協会:Masters of Invention
http://khon.tripod.co.jp/chosha/t045.html

1997年

永井竜造(ながい たつぞう)氏、ザンテ聖デニス・ギリシャ勲章の叙位叙勲と名誉哲学博士号の授与、さらに同年イギリス・ケンブリッジより20世紀功労褒賞を授与される。

http://khon.tripod.co.jp/chosha/n001.html

略歴
1940年満州に生まれ、諸国に在住する中で国際的なセンスと大陸的なスケールの発想を身に付ける。鉱脈探査の先駆者である。
経済学の分野ではアメリカで「経済学による世界平和への五段階構想」を論文発表し、日本でも(社)全国日本学士会正会員として学術新報アカデミア第174号に論文「構造改革と職務分担給制度」を発表。また「五進の経営学」「五種類の思考方法と三十五項目の検証手順」「支援型販売システム」「特許共願申請システム」「異業種共有市場システム」「共同通販システム」「新規事業育成システム」「永井式ポータブル宝石研磨機」などを研究開発した。
環境学の分野では、環境改善のための新素材の開発に取り組み、トルマリン鉱石をはじめとする環境改善素材の研究及び普及のために活躍している。経済学博士・環境学博士の資格をもち、1997年にはザンテ聖デニス・ギリシャ勲章の叙位叙勲と名誉哲学博士号の授与、さらに同年イギリス・ケンブリッジより20世紀功労褒賞を授与された。

*著書:『宝石夢追い人』『超絶の経営論』『ブラジルの宝石ルーツ探訪』(以上、柏書店松原刊)、『トルマリンが環境革命を起こす』『トルマリン環境健康法』『地球人宣言』『新・トルマリンが環境革命を起こす』(以上、ダイヤモンド社刊)、『野獣派の経営哲学』(実業之日本社刊)、『輝くトルマリン健康法』(全国日本学士会刊)

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(注 騎士道精神の八つの徳目のうち「慈しみ」は「慎み」が正しいです。文献調査時のミスと思われる。)




2003年12月22日(月) 049 publicationsinMahikari

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関英男博士と真光

<救え、然からば救われん> (崇教真光:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷) 92-93頁


 関英男博士は、電気工学の分野で世界的に著名なかたですか、「情報科学と五次元世界」という本を著しました。先生は、その中で<幽子情報系>という仮説をたてていますが、これは三次元の物理的情報とはちがった、五次元世界つまり私たちがいうところの神霊界の情報論なのです。最も科学的な研究を進めてこられた博士が、いまや目に見えぬ神の世界にふれる情報理論を科学的に打ちだしてきていることは、今後の科学の方向を象徴する事実といわなければなりません。そして、科学の将来は、救い主様がかねてから主張していらっしゃるように、電子、霊波の世界の探求へと到達していくのです。

<心は宇宙の鏡> (関英男著:平成12年9月:成星出版) 85-86頁

佐々木の将人: 中野学校出身者には超能力者や新興宗教の教祖が多いようです。岡田光玉さんもそうですね。

関英男: 岡田光玉さんなら、ここへ2度たずねてこられましたよ。真光教の教団を作られる前に来られたんです。夕食をいっしょにしました。

佐々木: あの人は、もともとスパイです。スパイと言うと変ですけど、特務機関に属していたときに霊的になったようです。

関: 岡田さん自身は、教団にするつもりはなかったようです。あの方は、胸を患って、いよいよ明日命がなくなるというときに全財産を浅草の浅草寺に持っていかれたのです。そこで、八大竜王が岡田さんについちゃうんです。そして、帰りがけに犬がね、死にそうになってよろよろしているのを、手を当ててやったらみるみるうちに生き返って元気になったもんですから、その家の人が喜んでね。夕飯をご馳走になったりして家に帰られたそうですよ。 それから、人間の病気も治してしまうようになった。太陽と話もできたそうです。そして、今度は、どうも世紀末に大きな変化が来るというので、手かざしでみんなを救わなくちゃと、とうとう宗教にしてしまわれましてね。立教されてから再びお会いしたときには、宗教にしましたことを神様からさんざん叱られたと言っていました。宗教なんかにすると、成就がひじょうに遅くなるのですよ。

<解説> 平成10年に崇教が増刷した書籍には、関英男博士の説が引用されている。ところがその2年後に関氏が新しい本を出版したのに、その内容を全く信者に知らせなかった。あまり知られたくない立教時のの内輪話がのっていたからである。つまり、関氏の著作の中から、自分らにとって都合のいい点だけを利用したのである

<解説2> 関英男博士というのは、電気通信分野ではそれなりの有名な学者なのですが、下で引用しているようなメチャクチャな主張もしているという、わけのわからない人です。大学教授だから、学会の権威だから、という理由だけでその人を信用してはいけないよい例だと思います。岡田光玉氏や真光教団は、霊などに関する教えをサポートするものとして、関英男博士の説をとりあげ、彼の権威を利用しようとしています。しかし、科学的知識が少しでもある人なら関博士の言うことがおかしいことぐらいわかりそうなものです。
 上の文章にあるように、岡田光玉氏は関英男博士と親交があり、立教当時の話を博士に打ち明けていたようです。これは初級研修で習う話と一致する点(瀕死の犬が元気になった話など)もありますが、本当の話に基づいているのか、あるいは話のうまい岡田光玉氏の作り話だったのか、今となっては謎です。
 また、岡田光玉氏は旧陸軍の中野学校の出身であるということが述べられていますが、中野学校とは宗教におけるマインドコントロールに応用できる心理戦なども教えるところであったようで、岡田光玉氏はここで自らマインドコントロールの手法を身に付けたとも考えられます。(参照: 「カルトか宗教かの見分け方」...軍事問題としての視点から。

トンデモ本の世界
http://araiweb.elcom.nitech.ac.jp/~ichimura/book/book3-1.html
より抜粋

[権威者が書いたトンデモ本]

 次に関英男という人をとりげたいと思います。「トンデモ本の世界」にはこの人の書いた「高次元科学」という本が紹介されています。

「この人の提唱するのが『念波天文学』なるもの。通常の光や電波は秒速三十万キロでしか情報を伝えることができない。しかし、念波、つまりテレパシーは四次元の波なので、光より百億倍も速く伝わる(根拠不明)。だからテレパシーで宇宙を観測すれば、光や電波より正確に宇宙のことがわかる・・・というのだ」

というわけで、テレパシーで「大宇宙の権威者より、直接教えを受け」た結果、「中性子の形がゆがむとガンになる」、「陽子の形がゆがむとエイズになる」ということがわかったのだそうです。
 
さらに、「太陽の表面温度は摂氏二六度」であり、その証拠に太陽の表面に住んでいる優良人類からたくさんのメッセージが届いている、と関氏は主張しているとのこと。これだけ読むと、この関氏は空想力豊かな楽しいおじさんのようでありますが、ややこしいことに、実はこの人は電気通信分野の権威なのです。東工大教授、電通大教授、ハワイ大学客員教授を歴任し、学会の功績章を受賞し、紫綬褒章なども得ています。電気通信の権威がテレパシー通信を言い出しているわけで、ちょっと頭が痛くなります。

 窪田氏はアマチュアの科学者であり、既存の学界の外にいて学界の権威を攻撃すると同時にそれに憧れていました。その憧れの強さが、彼にトンデモ本を書かせたのでした。それに対して、この関氏は学界の権威の中枢にいた人です。年をとってボケた、と言ってしまえばそれまでですが、もしかしたら、名誉も地位も手に入れたことが、ある種の全能感を生んでしまったのかもしれません。
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2003年12月21日(日) 050 publicationsinMahikari

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淞南学園の真実

 島根県松江市の淞南学園高校は、99年6月に○○真光推奨校となり、翌年に崇教信者専用の男子寮ができた。そもそも1968年に岡田光玉師が同校を訪問し、岡崎功理事長と親しく懇談したのがきっかけである。かなり以前から崇教の道場に生徒募集のポスターが貼られており、八坂東明氏の甥にあたるサッカーの岡野選手も、同校を卒業し、日本大学に進学している。
http://www.zakzak.co.jp/spo/s_Nov97/s_news1115.html
http://members.jcom.home.ne.jp/oshiyan/yajinbunki.html

 岡野選手が入学した1988年当時は「松江日本大学」高校といい、日大の準附属校(男子校)だったそうだが、後に「淞南学園」高校に改名されたそうだ。
http://homepage1.nifty.com/hssk/jub/com/fuzoku.htm
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6710/bunka/simane.htm
http://www.yk.rim.or.jp/~sage/flugels/highschool/shimane.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~rojiura/menue/data_base/ver_5/c_area/01_a/sm.htm

 ところが、2001年に「立正大学淞南」高校と改名し、理事長の出身の立正大学(日蓮宗)の準附属校となった。これにより立正大学への特別推薦入学制度がスタートした。同校公式HPでは以下のように報じている。


 「新世紀を迎えた2001年の本年は本校創立40周年の記念すべき年にあたりますが、この大きな節目の年に理事長の母校である立正大学とご縁を戴き準付属校となりましたことは、更なる発展への契機になるものと期待し喜びにたえません。」
 ○○真光と日蓮宗との二股をかける状態が始まった。なお同校公式HPでは、学校の沿革を公表しておらず、「○○真光推奨校」とは一言も記載していない。。
http://www.shonangakuen-h.ed.jp/

(1) 「○○真光」誌の情報操作

 同誌2002年6月号35頁には、真光青年会館竣工式において、「淞南学園の岡崎校長よりお祝辞を頂き」とある。岡崎功氏の子息岡崎朝臣氏は、「学校法人淞南学園副理事長」であり、「立正大学淞南高等学校長」であるはず。また同誌73-85頁には、松江準道場の活動状況が紹介されている。教師を「淞南学園教諭」として紹介するように、文中には旧校名(学校法人名)の「淞南学園」の言葉は頻繁に使われているが、正式校名の「立正大学淞南」は一切使われていない。

 立正大学(日蓮宗)の準附属校となったことを、信者に言いたくないための情報操作である。これは同誌の記事全体の信憑性を低下せしめるものであり、同誌の記事よりインターネットの方が正確であることを立証している。

 夏休みに入ると、○○真光の主な道場で同校の入学説明会が開かれる。ある道場の行事予定表をみると、「○月○日淞南学園学校説明会」とあり、あくまで正式校名をふせる態度に終始している。

(2) 「御聖言集」について

 岡田光玉師はあきらかに日蓮聖人を見下している。

<御聖言集> 「序」 7頁より
 さらに、日蓮聖人の場合は、仏説秘密の重大因縁として、直弟子たちに伝えた極秘文書「三澤澄廚涼罎如◆屬海譴麓畭困茲蠹舛┐蕕譴身詭の大事だが、いずれ天の時が到って聖人出現され、ある説法を説かれる。その時は、釈尊以後のあらゆる大論師、大人師の説法は、いかに巧みに説いたように見えるとも、一切は太陽の出たのちの灯明のように霊験なきものと化し、新正法のみ世界のすみずみを照らすに到るであろう」という意味のことを書いている。

 要するに、日蓮聖人は将来もっと優秀な聖人が出現すると言っており、それが自分であると岡田光玉師は言いたいわけだ。この箇所を、立正大学に進学する生徒に対してどう教えているのか。学校側の説明を聞きたいものである。

(3) 立正大学の準附属校となった本当の理由は?

 これはあくまで私の想像だが、聞いてほしい。○○真光は次期後継者がほぼ決定しているが、代変わりの時に教団が分裂する可能性を全く否定できない。教団が分裂したら、生徒募集に悪影響を及ぼす可能性がある。○○真光に生徒募集を依存するのは危険であると岡崎理事長は考えているのかもしれない。そのため立正大学の準附属校となったのであろう。
 現在、立正大学淞南高校には90名以上の○○真光信者の生徒がいるそうだ。私がいくらこのBBSで真実を暴露しても、同校の生徒募集に悪影響を与えないだろう。ほとんどが教団幹部の子供で、親達はこのことをすでに知っているだろうから。

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2003年12月20日(土) 051 publicationsinMahikari

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手かざし治療の真実 by 崇教Dr.A

 崇教が平成13年7月に発行した小冊子「手かざし」が信者の間に好評だ。東北大学医学部名誉教授(医化学)の吉澤善作氏が自己の体験談をまとめたものだ。この本の医学的門題点を指摘していきたい。

1) 自己の体験レポートについて

 吉澤氏がいろんな病気の患者に対して手かざしした体験談をまとめているが、比較対照検査は全く行われていない。初期研修のテキストに引用されている「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)には、「大学教授が書いた『使って治ったから効いたように思われる』などという報告は信頼できない。二重盲検法でないとだめだ。」とはっきり書かれている。タバコや酒の手かざしについても二重盲検法が必要である。

2) 「医学と宗教を十字に組む」について(P52)

 「ところで、宗教は医学を否定し、医学は宗教を否定するような風潮がありますが、病める人々が宗教によって救われた例や、医学を否定した宗教の信者達が不幸な結果を招いた例も多いことは周知の事実です。疾病に苦しむ宗教の信者達も、進歩した現代医学を十分に認識し、活用して、正確な診断の下的確に対応し、早く恢復して本来の道を歩むことが大切ではないでしょうか。そして、宗教と医学を十字に組んで人救いをさせていただくことが求められているのではないでしょうか。」

 全く同感である。

3) 他の医師の報告の紹介

 平木・石井・和田医師よりの症例報告があるが、いずれも医師の主観による症例報告で、学問的価値は乏しい。小川医師のサーモグラフィーを用いた報告も、一見すると科学的手法を用いているように見えるが、単なる1例報告であり、客観性に欠けている。「他の多数の被験者についても確認されています。」とあるが、それなら統計学的データを示してほしい。大阪大学医学部整形外科教授の越智孝雄氏が、第3回陽光文明国際会議(1999年8月高山市)で慢性関節リウマチ患者についての多数症例での比較対照検査をおこなっているが、その研究内容は全く紹介されていない。

4) 「ムコ多糖代謝パターンの若返り現象」(59頁)

 これに関する吉澤氏自身の報告は最も悪質な素人だましである。わずか一人の人間のムコ多糖データを提示して、"真光の業による若返り現象"がおきたなどと一方的に断定している。また研究の行われた年度も明記されていない。「同じ様な傾向は男女を問わずに認められました。」などと、自慢そうに言っているが、それなら多数の症例に対して、統計学的解析を実施して示していただきたい。72-75頁をよく読むとわかることだが、すでに1981年以前に公表されていたわけだ。およそ生化学研究者として「気でも狂ったか」と言いたくなる。
 
4) 好中球に対する"真光の業"の効果データ(60頁)

 この研究自体は、学問の方法論に基づいている。ただ、ここに紹介されている研究は、研究発表年がごまかされている。これも72-75頁を読めばわかるように、すでに1981年に発行された「真光」誌に掲載されている。20年も前に行われた古典的な実験内容を、研究発表年を明記せずに、ぼかしてのせるなど、科学者の風上にも置けない行為である。「何だあいつ気違いになったか」といわれて当然だ。越智孝弘氏は他人の研究を引用するとき、ちゃんと発表年を明記している。

 約40年前、医学の学会で高橋晄正氏は「グロンサン・アリナミンの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と主張したが、他の大学教授らはすぐに意見を取り上げようとしなかった。私も、「手かざしの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と吉澤氏に主張したい。

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 「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)よりの引用が、崇教真光の初期研修テキストに記載されているが、テキスト未収載の箇所をここに引用する、

(P29) 治療にあたって、プラシーボー効果を上手に利用することは、立派な医師の資格の一つですが、この「人間らしさ」の故に生じる効果は、薬のテストにあたっては、邪魔な存在であり、テストの段階では、一応は、とりはらうべき枝葉です。これらの事柄を認識し、よりよい薬の発展を願うという前向きの立場をとるならば、それなりの実験のデザインの約束にしたがう必要があります。

 人間における臨床実験では、特定の基準の薬ないしプラシーボーと、目的の「薬の卵」とを、素性のはっきりした患者に、特別な依怙ひいきなしに割りつけ、実験条件に特別な偏りがまぎれ込まないように工夫し、さらに、医師も患者も、どちらの薬を使っているかわからない状態、つまり医師も患者も薬の種類については盲目の、二重盲検法と呼ばれる手法によって、それぞれの薬の価値を吟味してくらべなければ、客観性のある結果は得にくいのです。

 このような比較実験によって、薬の評価に客観性がでてきます。一口にいえば、二重盲検法にしたがって、基準薬ないしプラシーボーと目的の薬とを、特定の患者群に無作為に割りつけて、同時にテストをするという基本にしたがうことが、薬の正しい評価には不可欠です。

 従来の日本の例では、雑多な患者に、適当に目的の薬だけを使い、たっぷりと主観的な、独断的な判断を加え、その薬を使って病気がなおった、したがって、その薬は効いたという絶対尺度の評価方法が多かったのです。一つには、このような種類の、科学の本質をつくような方法についての医学教育が行われず、薬の評価にあたっては、メーカーからの謝礼が馬鹿にならない財源になり、よろしくお願いしますという依頼に対してナニワブシ的な報告を書くという習慣があったために、科学的な薬の評価が育ちにくかったのでしょう。

 また、実際にテストにたずさわる若い医師にしてみれば、偉い先生が将来の職場に関しても生殺与奪の権を握っており、先生が「赤く見える」というものを、あえて「白です」といいはって、破門の憂きめをみるよりは、「桃色に見える」ぐらいでつじつまをあわせていた方が無難であるという風潮があったこともいなめません。

 きちんとした、人間における薬の評価は、一九四〇年代にイギリスではじめられ、アメリカにも伝えられ、ようやく日本にも、必要性が認められるようになってきたのです。しかし、この方面の仕事を主体にする専門家の養成とか研究室の設立などは、まだまだ時間を要することでしょう。国民の健康をまもる医療関係者にとっても、医療の恩恵をうけるはずの国民にとっても、無関心ではいられない問題です。

 厳格な薬の評価を行おうとするほど、当面の倫理上の問題が大きな制約になることは確かですが、これを理由に、いい加減な評価を行ない、国民にいい加減な恩恵を与えていることの方がより倫理的なのでしょうか。

(解説) このように二重盲検法の必要性は同書に明記されているのである。

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 1910年に鈴木梅太郎博士(東京帝国大学農学部農芸化学科教授)がオリザニン(ビタミンB1)を発見したが、その時のエピソードが、「アリナミン」(高橋晄正著、三一書房1971年)に書かれてあるので、以下に引用する。

(41-42頁)
 (ビタミンB1について)これが脚気の本態物質であり、治療の上で有効性をもつというビタミン説は、簡単に医学の世界に受け入られたわけではなかった。

 鈴木氏は三共株式会社に頼んでオリザニンを製剤化してもらったが、医学界ではほとんど顧みる人がなかったという。そこで鈴木氏は東京市の養育院で一年のあいだ二〇人の小児で栄養剤としてオリザニンを与えた者と与えない者との発育状態の比較をおこなって、与えたほうの発育が良好であるという成績を得ているが、医師でなかったために、脚気についての効果を試験することはできなかった。鈴木氏のような農芸化学者がかえってこのような早い時点において二群の比較をする対照試験の設計をしていることは注目すべきであろう。それは原理的に考えれば誰でも考えていたらざるを得ない生物科学の当然の帰結であったからであろう。

(解説) すでに明治時代に鈴木梅太郎博士により比較対照試験が行われていた。学部が違えど同じ生化学系研究者の吉澤善作博士は、21世紀になっても比較対照試験の必要性を主張していないのはおかしな事だ。
 シーちゃん氏のように、医師でない一般人に二重盲検法の必要性を指摘していただいたことは、崇教真光所属の医師として心からなる敬意を表する。多数症例に対して、二重盲検法による比較対照試験を行い、その結果を光記念館に展示すべきだろう。
http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010914_ba.html
http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010919_ba.html

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 現在、崇教の手かざしの病気治療研究で、唯一多数症例の比較研究を行ったのは、大阪大学医学部整形外科教授、越智隆弘氏である。
http://www.osaka-u.ac.jp/annai/cgi-bin/syousai.cgi?S=7011&K=1738

1999年8月 陽光文明国際会議抄録
B-1:慢性関節リウマチ患者に認められた疾患経過、治療経過、宗教的想念について
     越智隆弘

 慢性関節リウマチ(RA)は関節破壊が進む慢性炎症性疾患である。原因は不明で、世界中どの地域でも患者数は人口の0.3〜1.0%で、日本では50万人と考えられている。

 RAの長期経過を調べたところ(Ochi et al. Arthritis Rheum, 1988)、10年以上経っても手足末梢関節の破壊に終わり日常生活上の支障が少ない軽症病型(小関節破壊型:LES)、膝や股関節などの大関節にも破壊が及び機能障害が大きいが、骨はしっかりして人工関節などで自立が可能になる多関節破壊型(MES)、全身の関節が高度に破壊され、内臓の合併症も重度で自立困難なムチランス型(MUD)の三病型に罹病早期から分かれて診断可能である。種々の薬を用いても、関節の病巣を手術で取り除いても(Ochi et al: J Rheumatol, 1991)、完治できないばかりか重症病型を軽症に変えることもできない。

 難しい病気で、専門医が患者を何とか良くしようと種々の投薬をして、逆に多くの副作用が起きている。塩川博士の発表によると、消炎鎮痛剤を服用している1008人のリウマチ患者を胃カメラで調べたところ624人もの多数に胃潰瘍を認めたという(リウマチ、1989)。また塩川博士の発表によると、大阪のリウマチ専門医にかかっていた患者(330人)の死亡年齢は、他地域と同様に約62才であった(臨床リウマチ、1989)。更に同博士は和歌山の山間部で専門医にかかることがない寝たきり患者(35人)の死亡年齢は当時の一般平均に近い75才と発表した(臨床リウマチ、1991)。これらは最新治療薬の副作用による寿命短縮を示唆するものであった。漢方治療ではどんな状態かを調べるために1990年から、ある漢方専門医にかかるリウマチ患者の5年以上の経過を調べた。軽症リウマチ(LES)では漢方のみで副作用無く経過したが、重症リウマチ(MESとMUD)では副腎皮質ホルモン剤や強い抗リウマチ剤併用を余儀なくされ、やはり多くの副作用を合併していた。

 副作用の問題と共に私たち臨床医がリウマチ治療上で問題視しているのは、リウマチ患者の気持ちを明るく晴れさせてあげられないかということである。1991年のことであるが、四肢不自由にもかからわず明るい表情のあるリウマチ患者に出会った。驚いたことに、彼女は薬を服用してなく、真光の宗教的な「光」を毎日受けているとのことであった。その後、そのような「光」を毎日受けている患者40人を診ることができた。そのうちで薬を用いずにリウマチの長い経過を過ごし得ていた、おそらく宗教的想念が高いと思われる14名のリウマチ患者の5年以上の経過を観察できた。それらの患者は「光」を毎日受けていても薬なしでは、初めの3ヶ月弱にはリウマチの強い痛みに困っていた。しかしその後、痛みを訴えなくなり、明るい気分に変わっていった。リウマチに伴う臨床検査値や関節破壊の進行は各患者の病型の特徴通りで、抗リウマチ剤や漢方で治療を受けている患者さんと同様の変動を示した。重傷病型では関節破壊進行により人工関節手術を必要とした人もある。評価で最も特徴的だったのはFace Scale index (表情評価)が良かったことで、他のグループのリウマチ患者に比べて、気持ちの明るさによる生活の質(QOL)の向上が目立った。

 現代医学によって完治できない慢性疾患は多い。副作用の問題だけでなく、薬によって解決できない精神的憂鬱の問題が生じてくる。信仰心は心の問題を含めての治療過程に大きな役割を果たし得ると考えられた。

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寸教(崇教)H2.9初版 P224-226
[73]慈善事業とは
 病人を救うために、病院を建てる。そのために寄付を集める----薬毒患者を多くつくるだけであり、慈善どころか罪業を積んでいく偽善事業であろう。
 「慈善事業」とは、人類を無病化脱貧させて、真に平和で安泰な文明を、この世に顕現させていくために為すことである。
 天国文明を拡めるために、現在一般常識とされている事でも、その間違いをハッキリ正していく事業、これも「慈善」である。
 そういう事業のために、どんどんお金を出すこと、これも慈善事業なのだ。
 今は、偽善事業が氾濫しすぎて、ますます世の中が悪化している。そのためにも、偽善事業に精を出している方に、早く本当の慈善に目覚めていただき、貧にあえぎ、病に苦しみ、やすらぎのない人々を真からのお救いに入れてあげてほしいものである。
 仮にそうした意味で、ここに一億円を寄付された方がいるとする。それが元となって、どれだけ救いの輪が拡がることだろうか。
 たいへんな救いになりはしないだろうか。これを「慈善事業」というのである。

○○真光初期研修テキストJ版46頁
第十七 霊主(十字)の医学
∨…蠹狙病や結核、エイズ、マラリア、ハンセン氏病等の伝染病、また精神病などはお医者さんに診せて入院させます。その上で、求められればお浄めさせて頂くのです。

(解説) 平成元年に陽光診療所が高山氏に開設され、平成5年後半に崇教の初期研修が改定された。特に医学に関する記載が大幅に書きかえられ、「医学と十字に組む」ことが強調されるようになった。上記の個所もその時付け加えられたが、「寸教」の光玉師の教えと、かけ離れた印象を受ける。

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2003年12月19日(金) 052 publicationsinMahikari

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光記念館の真実

 崇教真光では、岡田光玉師の功績を展示する「救い主様顕彰記念館」を高山市に建設するため、と称して毎月目標金額を決め、奉納するように信者に強く働きかけてきた。

 ところが99年4月にできたのは「光記念館」であって、その中に「救い主様顕彰記念室」ができたのであった。そもそも主座建立時には、前もって建設場所が公表され、信者はこぞって現地へ行って霊界お浄めに努めたのである。

 しかるに、光記念館は、場所も内容も全く事前に公表されなかった。「できてびっくり」という信者がほとんどだったのである。博物館を建設するといった計画は事前に全く説明なく、ひたすら募金するよう信者に働きかけた。これは、全くインフォームド・コンセントに欠ける内容である。

 私自身、宗教団体が美術館や博物館を開設することに何ら意義を唱える者ではない。ただ、計画を事前に情報公開した上で、寄付を募るべきである。

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 この博物館に展示されている「セント・デニス・ザンテ勲章」について考察を行う。

崇教編集の「大聖主」では、「ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディなどアメリカの大統領、ギリシャのピーター殿下、ヨルダン王、スペルマン枢機卿、ノーベル賞のシュバイツァー博士など」が受賞したと書かれている。

 博物館である以上、展示物に関して学問的な裏付けを行う義務がある。上記の受章者に関しての情報公開を要求したい。アメリカの歴代大統領の行動記録は調査可能と思える。
 1) 授章年月日
 2) 授章式の写真
 3) 勲章を着用した肖像写真
 4) 授章時のインタビュー

 これらについて、光記念館が情報開示を行わないなら、石器のねつ造と同じであると断定できる。

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 真光批判のHPは最初欧米で90年代後半に始まった。それにより、信者が10分の1に減少した拠点があったそうだ。そのため崇教はインターネットに対して鎖国体制をしき、道場が独自にHPをつくったりするのを禁止した。

 その鎖国状態も、足元から崩れ始めている。光記念館のHPはすでにスタートしており、今年前半には仮運用だったが、夏頃には本格稼動している。崇教の道場や高山市内の旅館・ホテルに貼られているポスターにはすでにHPアドレスは掲載されている。
http://www.hikarukinenkan.or.jp/

 ところが、月刊の「崇教真光」誌には毎号、光記念館のお知らせがのっているが、HPアドレスは一切掲載されていない。

1)特別企画展「縄文の耀き」のポスター(5月21日-9月2日)
 HPアドレスが小さく書かれており、iモード・EZweb対応とある。気をつけて見ないとわからない。

2) 平成14年予定表(1月−12月)
 HPアドレスが最下段に小さく載っている。これも気をつけて見ないとわからない。

3)光記念館だより(崇教道場掲示用)
 平成14年8月版には第1・第2顕彰記念室の展示を一部入れ替えたとある。勲章はどうなったのかな?。これにはHPアドレスは一切掲載されていない。

 せっかくの光記念館のHPだが、機関誌にわざとのせないために、崇教信者はこの存在に気付いていない者が多い。崇教真光誌2002年8月号編集後記では、「人類の幸福化の為の高度情報化社会へと誘導しなくてはならない」といっているが、これではとてもそうしているとはいえない。

 なお、光記念館ではボランティア・職員を募集しているが、勲章の説明を自信をもってできるなら、応募してみるとよいだろう。


聖鳳(岡田光玉)師述 み教え集 (昭和42年) 1987年3版(崇教)

昭和四十二年五月度月始祭ご教示要旨

(P85) 皆さんは、文明期は今だと思っていますが、けっしてそうではないのです。超古代にはすばらしい文明時代があったのです。ガラス一つ取り上げてみましても、皆さんにこの前お話しましたように、二十五万年前のものがある。最近出ました数千年前の日本のガラスは、まるで宝石のように美しいもので、とても現代の技術ではできないほどの立派な物が発掘されている。そういう文明時代があったのです。

 アトランティス文明やその文明の元となったミュー大陸、そのもう一つ前のレムリア大陸というのが、いまは大西洋、太平洋からインド洋に陥没して海になってしまっています。

 こうして沈んでしまった国の人種は、日本人であったことがいずれ実証される。最近はアメリカでも、日本人であると言い出しております。特にミュー大陸といいまして、いまのアメリカの西海岸のあたりから日本の南端、オーストラリアの東、インドネシア、カロリン群島のあたりは、ずっと大陸だったのですが、陥没の際、少し残ったのがこれらの国や島で、日本もちぎれて残っているわけです

(P87) その大陸に住んでいたのは、まぎれもない日本人であったということが、ハッキリ数冊の本になって出ているのです。その本では、それをミュー大陸としている。本当はムー、神の国という意味です。このもうひとつ前の時代にレムリアという大陸があった。そのレムリアが沈没して、それから太平洋上に今度は、ミュー大陸が出現した。それがまた陥没して今の大陸になったわけです。

 かつて、太平洋は非常に浅かったのですが、だんだん沈下して今の深い太平洋になってしまった。この時代の文献は、アメリカには残り少なくなっていますが、それをまとめたのがムー大陸説です。つまり、そこには大和民族が住んでいて、高度の文明を開いていたということが、いろいろの面から実証されているのです。

 ミュー大陸、あるいはレムリア大陸は、アジアから中央アジア、それから南ヨーロッパあたりのいろんな文献に出てきますが、その中でもやはり、超人的な文明をもっていた人種であったことがほうぼうに記されている。

 超人・神人的な人類が残っており、非常に高度の文明を持っていて、空を飛翔する飛行機とか宇宙船、それから電信電話でも現在のようなものではなく、もっと高度の通信機があったとか、地下にすばらしい大都市を造っていたとか、その跡が今でもほうぼうにあるので、地下王国としての研究が進められています。そういうすばらしい文明、その多少の名残りが今日の日本とかボリビアの文明とかマヤ、インカ帝国の文明として残され、後世その片鱗が発掘されているというのが世界の地質、考古学者の定説になりつつある。そこで日本の古文献と、そういう超古代の世界とを突き合わせていきますと、実にピッタリと合致してくるのです。このことは、いずれ時期が来ましたら、文献にして出す予定です。今はあまりに多忙で、とても書く暇がありません。

 現代のアメリカについて、神代の超古代史では北米をヒウケエビロス、南米をヒナタエビロスと言っていた。何万年も前の文献には出てくる。

 また実際、今のアメリカの人でも自分たちは元エビロス人であったことを知っています。ですから、古文献に出ているエビロスは正確なものだったというわけです。ただ大部分の人は、エビロス人が超古代に日本から分かれて行った人種だということを知りません。また、大西洋上にあったアトランティス文明も、どんどん欧米の学者が研究して、いろんな資料を発表しています。学会では今日、否定できないところにきている。

 一方、植物の化石学の面からも総合的に研究がされており、そのほうからも太平洋、インド洋にわたって大陸があったということが実証されている。

 最近では地質学のほうからと、人類学と植物学のほうからの説が一致してきております。この関係が世界的にもう否定できないというのが、学会の常識になってきていることを知っていれば、大だたいがつかめるでしょう。それらの文明の先達になる人としては、常識にしなくてはならないのです。

 ただ残念なことに、今日では日教組、つまり共産党系が教育界を握っていて、極力こういう関係を歴史から抹殺しております。その上、国家神道が三千年前の日本を出してはいけないと押えている。この思想が、日本の正しい歴史を知る上に、非常な災いをしているのです。これが共産党にとっては、大変都合のいい教育地盤になっているわけです。

 (崇教)「真光」誌 昭和60年7月号

 六月度月始祭救い主様み教え(部分抜粋)

 結局、原因は恐るべき「集団霊障」である、アトランティス大陸文明とムー大陸文明は、嘗て、原水爆を使ってさえやったほどのものすごい大戦争をしたのですが、さらには、金星や他の遊星にいた霊と現界に肉体を持った人間界との闘争もあったのです。


(解説) これらの古代史に関して、裏付ける資料は光記念館においては全く展示されていない。同館公式HPにも全く触れられていない。まったく、何のための博物館であろう。
 なおここでは、博物館の開設者たる公益法人としての適格性を検証するために、教団発行の書籍を原文のまま引用している。つまり、公益目的として引用しているわけである。
 「著作権」とは、(1)著作料を受け取る権利、(2)著作物を不当な目的に使用されない権利であると私は考える。宗教法人は公益法人であり、公共性があるため宗教施設は固定資産税が非課税となっている。教団の著作物を公益目的に利用するなら、著作料を受け取る権利を行使するのは制限すべきと考える。


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2003年12月18日(木) 053 publicatiosinMahikari

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「最後の天の岩戸開き―岡田光玉師の大予告」八坂東明著 リヨン社97.6.30初版
P4-5
 今から三十八年も前に、霊の実在と神の経綸(計画)を説いた一人の聖者が日本に存在した。
 聖者は現代文明の危機を一貫して叫び、自然環境も現代社会も大曲がり角に来ていると警鐘を乱打し続け、人類救済の原理を説いた。
 しかし、不幸なことに、多くの日本人はその存在すら知らなかった。
 昭和四十九年(一九七四)六月二十三日、一条の光となって昇天された聖者の逝去を報じた全国紙の扱いを見れば、一目瞭然である。それは写真の掲載もないわずか数行の記事であった。
 聖者の名は岡田光玉師(1901-1974)。
 崇教真光の初代教え主である。
 私が敬拝する大恩師・光玉師は、二十世紀後半から二十一世紀前半にかけて、人類が未曾有(みぞう)の大変革を体験することになると明言した。


【解説】この本を読んで、私は「どんな記事が当時の新聞に載ったのだろう。」と思った。そこである公立図書館において、昭和49年6月の全国紙5紙を、胸をときめきかせながら調べてみた。
 朝日・毎日・読売・日経の縮刷版、および産経のマイクロフイルム版…いずれも東京本社発行の都内最終版である。
 最初に朝日と毎日の縮刷版を閲覧したが、一向にみつからない。読売と日経をみても載っていない。藤波孝生代議士の母親の死亡記事(6月25日)は複数の新聞に載っていたが…。
 とうとう最後に、産経のマイクロフイルム版を書庫から出してもらい、時間をかけて閲覧した。だが私は落胆した。結局、5紙のいずれにも光玉氏死亡の記事は載っていないのである。当時の教団本部は大田区田園調布で、光玉氏の死亡した元み魂座は世田谷区羽根木にあった。
 都内最終版に載っていないということは、他地区の“全国紙”には当然載っていないはずである。念のため、東京新聞も閲覧したが、結果は同じことであった。縮刷版は地方の公立図書館でも閲覧できるので、ぜひ自らの目で確認することをお勧めする。
 これは全くの捏造記事で、岡田光玉氏を冒とくするものである。八坂東名(本名:岡田泰六氏)は全く信用できない人物である。県登録博物館を開設する団体の責任者とはとうてい思えない。
 この書き込みを読んだあなたは、ぜひ崇教の幹部に「どんな記事が当時の新聞に載ったのでしょう。」と聞いてみよう。誰もが「見たことがない」と答えるだろう。
 最近、崇教は初期研修テキストにやたら新聞記事のスクラップを載せているのに、あまりに矛盾した内容である。岡田晃弥教え主代理よ、文句があるなら新聞記事を光記念館に展示せよ!(2003.11)

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2003年12月17日(水) 054 publicationsinMahikari

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旧石器に関する間違ったみ教え

[1]岡D光T師述み教え集(昭和41年)
[五月度月始祭ご教示要旨]
 考古学会もずい分以前とは変わってきて、この縄文土器のさらに前期に石器時代があって、それを新石器時代と名付けた。これはざっと六十万年前を新石器時代と名付けていますが、そういう太古時代のさらにもう一つ前に旧石器時代というのがあったことがわかってきた。・・・・
 世界の太陽信仰はずっと後期に属し、一万年以下の歴史しかもっていない。日本の太陽信仰は少なくとも六十万年前の旧石器時代にはじまっている。飛騨で旧石器時代のいろんなものを見せてもらってきましたが、あちらでは今でも到る所で、山に登って太陽を拝む習慣があります。
[七周年大祭ご教示要旨]
 しかし、最近の日本と外国の考古学者や人類学者や、民間の心あるかたがたによって、少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました。世界の学者も日本が最古の国であるといい出しています。

[2] 岡D光T師述み教え集(昭和42年)
[立春大祭ご教示要旨] (P32)
 相沢氏の発掘されました標本によると、三十万年前の石器、二十万年前、十万年前の石器はざらにあります。

[3] 「M光」誌平成8年12月号 秋季大祭教示(岡D恵S氏)
P13-14
 神霊界にお帰りになられました大神様のご威徳を人びとはお慕い申し上げました。
 しかし、お姿を直接拝することは出来ません。そこで神の子は、大神様(おほかみさま)をお慕い申し上げ、対象物としての太陽を拝むようになりました。これが今も世界に残ります「太陽信仰」の淵源でございます。
 救い主様は、昭和四十年に日玉の国をご探訪なされました。そして「太陽信仰は、少なくとも六十万年以前の巨石器時代に劫(さかのぽ)る」ことをご垂示くださいました。
 そして、ご承知の通り、平成六年には、宮城県上高森遺跡に於いて、北京原人よりも十万年古い六十万年前の地層から「日本原人」の存在を示す前期旧石器が出土したのであります。これは、六十万年前の太陽信仰を裏付ける発見でもありました。
 わが国の旧石器時代を開きましたのは、相沢忠洋先生でありました。旧石器時代は、今日一気に六十万年前まで遡ることとなったのでございます。
 救い主様は、「日本列島から、少くとも百万年前の遺跡が発見されるであろう」とご予告になられておられます。

[4] 「天意の大転換―岡D光T師の大予告2」八S東明著 リヨン社99.6.15初版
(P249)
 光T師は、四十年前に歴史上の常識が打破されると予告した。
 『日本の歴史はすくなくとも百万年以上前に溯るのである。やがていたるところから数十万年以上前の石器が発掘され、日本歴史は書き換えるほかない時代が来る。』
 四十年前、この預言は一笑に付された。狂気の説として退けられた。しかし今日、日本列島の各地から最古の遺跡が続々と発掘されている。
(P252)
 平成九年には、宮城県上高森遺跡において推定六十万年以上前の石器が発見され、考古学会をアッと驚かせた。十数個の石器は思わせぶりに円形にきれいに並べられていた。
 この石器を見た岡D恵S師は、
『当時、すでに日本原人に神を祀り拝む習慣があったのではないか。』
 と指摘した。
 六十万年前といえば、あの中国の北京原人よりも十万年も古いことになる。
 北京原人より十万年前に、わが国に日本原人が住み、しかも美的な認識を示していたという事実に驚嘆するほかはない。
 そして平成十年十一月には、推定七十万年前の石器が上高森遺跡から発見された。
 師の預言したとおり、百万年前が見えてきたのである。

【解説】県登録博物館を開設する宗教法人の代表者としての発言である。揃いも揃って……といいたくなる。炭素年代測定法を用いた考古学的検証が必要なことは、國學院大學で神道考古学を専攻した岡D晃弥氏ならわかっているはずである。
 なお、相沢氏の発見した石器で、最も古いのは4-5万年前といわれている。
http://www.gsj.jp/Hokkaido/BBoard/gs2001/rec10.htm
 日本最古の金取遺跡が現在調査中であるが、推定8-9万年前といわれている。
http://www.st.rim.or.jp/~adachima/sinpou2003.7.7.1.html
 光T師の預言は見事にはずれたね。文献[4]の『預言』に関する記述を読んでごらん。

[4] P93-98
<旧・新約聖書の終末預言>
 終末期の到来による火の洗礼を説いたのは岡D光T師だが、「新約・旧約聖書」にも火の裁きについて記述されている。
 これは、魁のメシア・岡D光T師の具体的な終末預言を補完するものであった。
 はじめに知っておかなくてはならないのは、聖書における預言とは単なる予言ではないということである。
 「預言」とは、その字の如く「予め事の起こることを通告する」ということであり、予言者が神の言葉を預かり、民に伝えるものである。
 つまり、預言されたことは未来において必ず起きることを意味している。それはライプニッツの予定調和説のごとくに必ず実現してしまうのだ。
 そこで聖書は予め起こるものを「預言」と書き、それ以外のものを「予言」と記して別している。
 予言は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われるように、必ず実現するとは限らない。
 本書では光T師の予告を「預言」と表し、前者の聖書の預言と同じ意味に使用していることをご理解いただきたい。


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2003年12月16日(火) 055 publicationsinMahikari

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その他、色々な間違い集

 一年前に、崇教真光の教え主の後継者(教え主代理)の発表があったが、機関誌での発表内容は笑えるような間違いだらけであった。実例をお目にかけよう。
 お代理様は『あまりにも大きな御神名』といっているが、これは『御神命』の誤りである。巻頭カラー写真を見ればわかることである。記事の掲載された月刊「崇教真光」誌平成14年11月号と、翻訳文がのっている英語版機関誌“SUKYO MAHIKARI International Journal Vol.1 No.5 (Dec 2002)”を対訳比較してみよう。

〔1〕P18 十月度月始祭教示(岡田恵珠師)
 今後は、御神命を賜るみ役者と共に“神のみ意(こころ)を地上に顕現”していただかなくてはなりません。
(pp12) I would like yokoshi kamikumite to work together with the one who has been entrusted with the mission of realizing the will of God on earth.
【解説】ここでは、「御神命」を“mission”と訳している。

〔2〕P30-31 教え主様お代理御礼言上(岡田晃祀師)
 あまりにも大きな御神名ゆえに、私は何度か躊躇し、御辞退申し上げましたが、教え主様より「神様の御意ですから、真ス直にお承けするように」との厳しくも愛に満ちた御言霊を賜り、茲に私は畏(かし)こき御神命を拝し、お代理のみ役を拝受させていただきました。
(pp21) This mission is so daunting that I hesitated to accept and even declined this role several times. However, Oshienushisama gave me strict but loving guidance, saying, "It is the will of God. You need to accept the role in accordance with God's will." Thus, today I have accepted the august and sacred command to serve as acting oshienushi.
【解説】ここでは、「あまりにも大きな御神名ゆえに」を、“This mission is so daunting that”と訳している。つまり、元原稿では「御神命」となっていて、そのコピーが広報部と国際部に渡された。広報部で印刷時に誤字のミスをしでかしたが、国際部では元原稿どおり正確に翻訳したとみられる。後半では、「御神命」を“sacred command”と訳している。
 同じ「ゴシンメイ」でも、漢字が違えば言霊が異なる。例えば、「マヒカリ」の「マ」の言霊は、「真」と「魔」の二通りの意味があるそうだ。

〔3〕P41 岡田晃祀 略歴
一九四七(昭和22)年十月 東京都渋谷区に生まれる
一九六四(昭和39)年七月 神組み手となる
(pp26) A brief outline of the life of Koshi Okada
1947 October: Born in Shibuya, Tokyo, Japan, as Tairoku Teshima.
1964 July:  Became a kamikumite

【解説】英文誌では“Tairoku Teshima”と出生時の本名が書かれているのに気づく。元原稿では「手島泰六」という本名が書かれていたのを、おそらく印刷直前になって削除決定したのだろう。広報部では邦文誌での本名削除を行ったが、国際部へは伝達不十分のため、元原稿どおりSingaporeで印刷されたと見られる。海外組み手のみに真理が伝わるとは不思議だね。英文誌の方には秋季大祭の写真がのっているから、訂正する余裕は十分あったはずだが。初代の頃の「真光」誌をみると、「手島泰六」氏が書いた文章が数多くみられる。今さら隠すこともないだろう。
 ちなみに、H14年10月度月始祭では“岡田晃祀(こうし)”と名乗っていたが、翌月の秋季大祭では“岡田晃弥(こうや)”に改名した。『あまりにも大きな御神名』をどうして簡単に変えるのか、理解できない。

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〔1〕「崇教真光」誌 平成14年12月号
(i)秋季大祭教示(岡田晃弥師) P21
 私が「神理正法」のみ教えを初めて知りましたのは弱冠十七歳の時でありました。
 その時、救い主様は燃えるような目を輝かされ、わずか数名の私たち若人に
 「来るべき二十一世紀前半には火の洗礼の大峠が来ます。その時既に私はいないが、今の若い人たちは必ず大峠に直面するのであるから今からそのつもりで正法を身につけ、来るべき天の時を乗り越えて行かねばならない」と御教示下さいました。
(ii)秋季大祭感謝御礼言上(11月3日) P51
 そのような中、長女も二十一聖紀に役立ち得る霊文明人を目指して、淞南学園高等学校で勉学に励んでおります。
    ◇   ◇   ◇
【解説】岡田晃弥師が神組み手となったのは、満16歳で、数え年18だ。こういう間違いをしていては、“初代がこう言った”ということも、信じにくくなってくる。また、H12年4月に、淞南学園高等学校は、“立正大学淞南高等学校”と改称し、立正大学(日蓮宗)の準附属高校となった。

〔2〕「天意の大転換―岡田光玉師の大予告2」八坂東明著 リヨン社99.6.15初版P42
 抗生物質が効かないスーパー病原菌の出現や院内感染が多発していることも脅威である。結核はペニシリンの発見で一時的には減ったものの、今や世界で年間300万人の死者を出している。
【解説】ペニシリンは一般細菌に有効だが、結核菌には効かない。結核に有効なのはストレプトマイシンやカナマイシンだよ。こんな初歩的なことを知らないくせに、初期研修において医学を批判するのはやめたほうがいいよ。

〔3〕「霊主文明の暁」八坂東明著 リヨン社2001.2初版P119
 光玉師は神幽(かみさ)る(昇天)十日前に、
『もう遅い。間に合わんぞ!』
と叫んで、人類への最後の警鐘を鳴らした。
しかし、その畏るべき真実を理解したのは崇教真光の神組み手でしかなかった。
【解説】「大聖主」によると、光玉師は逝去10日前に『遅い、遅い、ヤマト人遅い、もう間に合わん』との神示を受け、死亡7日前の北関東方面合同周年祭の最後の教示において『遅いぞ、間に合わんぞ』と叫んだはずである。

〔4〕 崇教真光は、平成12年度以後に発行された祈言集の「神癒」(P54)において、『三位一体』が正しいのに『三味一体』と誤植するという大失態を演じた。
 平成15年夏になってやっと間違いに気づいて道場に掲示し、正誤表を配る措置をとっている。言霊に影響を与える誤植であり、想念の低さを露呈している。まさに、世紀末の2000年におかした過ちを、21世紀を迎えて2年以上経過して、始めて正したわけである。


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