1人と1匹の日常
2005年01月31日(月)  ママの発熱。
先週から、急な発熱で寝込んでしまったママ…。
39度を越す高熱で、夜間でも診てもらえる、救急外来を受診した。

熱の原因は、腎盂腎炎。わたしは、見た目は車椅子で、ただ手足が悪いだけに見えるかもしれないけど、病気の関係で、おしっこが出にくいという障害も持っている。
そのため、膀胱炎や腎盂腎炎などの、尿路感染症を起こしやすかったりする。

翌日から、家に訪問看護師さんが来ていただいて、毎日抗生剤の点滴をしてもらった。
内服薬もしっかり飲んで、昨日から微熱まで下がり、回復傾向かな?

ママが寝ている間、りんくうのお仕事は、ジッと騒がずおとなしく…になってしまった。
お転婆さんで、活発なりんくうにとっては、ストレスな毎日だったと思う。

トイレへと車椅子で動くママに、耳をふわふわ揺らして駆け寄って来ても、熱でふーふーしんどくて、「あっちへ行って。」と笑顔ではなく、余裕のない言葉を返してしまう。

部屋へ戻ると、ベットの上に、ドッシリとりんくうは寝転がっていて、「下に降りて!」と、またキツく言ってしまう。
完全に、おこりんぼうなママになってしまった…。

これでは、あまりに退屈過ぎて、りんくうもママみたいに病気になっちゃうよ!と、父といつもより長い散歩に出かけた。
「ただいまー」へとへとに疲れた様子で、一目散にママのベットへ。
疲れてスヤスヤ…ママの横でおやすみ。
ごめんね、さみしくさせてしまって…甘えん坊さんのりんくうを、手に入るだけのありったけの力で、抱き締めた。

「いい子いい子、ママはどんな時もりんくうが大好きだよ。」
「グット、グット♪」
りんくう、病気のママに付き合ってくれて、どうもありがとう。
2005年01月30日(日)  最近、考えること。続き
今月の初め頃、知り合いのおじいさん家に居たワンちゃんが、ヘルパーさんの訪問がきっかけで、預けられることになり、離れ離れになった、という話をしました。
今日はその続編。

ヘルパーさんが犬嫌いで…というのもあったのだけど、おじいさんの介護プラスワンちゃんのお世話は大変という、内事情もあったということを知った。

在宅生活は、ヘルパーさんや訪問看護師さんのケアを受けても、基本的に家族が中心。
我が家でも私のできないことで、りんくうにもお願いできないこと、食事の用意や着替え、トイレなどは、主に母に手伝ってもらっている。
付きっきりではなくても、24時間休みなしの介護は、大変ではないと言っては、嘘になるだろう。

日頃、落としたリモコンを拾ってもらったり、部屋のドアを開け閉めしてもらったり、りんくうにお世話になってる分、りんくうのトイレやごはんの世話を、自分でしたい。

だけど、障害の関係で工夫してもできないことはあるし、体調を崩して寝込んでしまえば、全面的に家族に頼ってしまうことになる。

「りんくうがいるから、お母さんは安心して買い物に行けるのよ。」と母は言うが、わたしの介護にプラス、かえって家族の負担を増してしまったのでは…?と思い悩む…。

この先、ヘルパーさんやボランティアさんという形で、りんくうの散歩やごはん、トイレの世話に、お手伝いしていただける方向を考えてもみる、この頃です。
2005年01月21日(金)  明日はきっと君に輝く
中学生の頃から、折原みとさんの大ファンなわたし♪
最新刊、「明日はきっと君に輝く」(講談社X文庫)を読み終え、心がほかほかと温かくなったよ。

主人公の雅ちゃんはかわいいし、彼氏の一青くんはかっこいい♪
介助犬ミルキーちゃんは、どこかりんくうに似ている、ような・・・。

前作の「世界はきっと君に微笑む」も、一緒に読んでね。

コミックの「歩いていこう。 車いすの女の子の結婚・出産物語」(講談社コミックスデザート)も、オススメです☆
2005年01月18日(火)  パパとお散歩♪
先週の金曜から、またプレドニン増量の治療に入った、ママ・・・。
体がえらい(だるくてしんどい)日々が続いてる。

そんなママにお昼間付き合って、あくびばかりの退屈・・・りんくうさんは、只今、パパとお散歩中〜♪
その隙に、日記を更新しているママって・・・。
さぁ帰ってくる前に、寝よう、寝よう・・・。
(だってぇ、ママ遊んでーって走って帰ってくるだろさぁ。。。)

おき楽ママと、寝ぼすけりんくうの・・・1日でした。チャンチャン。
2005年01月14日(金)  幸せな時間
リズムをやさしく♪「りんくう〜♪」と呼ぶと。
こっち向いて、しっぽをゆらゆら♪
もう一度「りんくう〜〜〜♪」と呼ぶと。
そのまんま、ゴロンしてお腹をポッコリ出しちゃって。汗

あのー。
そこに寝られると、通れないんですけど。。。
まぁ、いいっか。笑
2005年01月12日(水)  ストレス。。。
ストレスの解消法は、どのようにしたら、いいのだろう?
人間、生きてたら、人それぞれ様々なことを抱えてる。
だけど、溜め過ぎたらいけない。
時々、深呼吸の吐く時のように、吐き出さないとね。

わたしは、心がしんどいなぁ。。。と思ったら。
りんくうとボール投げをする。
それから、かくれんぼ遊び。
りんくうがお水を飲みに行ってる間に、車イスでどこか隠れる場所を探して。

「うーん?ママどこ、どこ?」
狭い我が家は、すぐみつかっちゃうんだけどね。笑

車イス生活となって、今年で5年目。
ようやく、頑張れない自分を、余裕の目で見れるようになった。
ママの付き合ってる病気は、頑張ったからとよいとは限らない。
どちらかというと、自分でできることはして、無理はしないで、現状維持することが、大切なこと。
頑張ったって、再発したら、同じ。
同じどころか、障害は進行して、これまで泣かされた。

のんびり・のんびり・・・と思っても、
人の目を気にしてしまえば、「ただの努力もしない人」に映ってしまう。
まぁ、人は人。わたしはわたし。でいいのだろうけど・・・。

今年の目標は、できないことは、お願いします。
と、素直になること。
できないことは、できません。とはっきりと伝えること。
それには、不必要なプライドは捨てて、人を信じて甘えてみる。
これからのよりよい生き方は、わたしの努力次第だって、・・・ことだろう。
2005年01月11日(火)  ママ、どうして?
お店で、幼稚園の年長さんくらいの、小さなお子さんが、「ママ、どうして、犬がお店にいるの?」と、話している声が聞こえた。
「あの犬は、お店に入っていいのよ。お姉さんのお手伝いをする、介助犬というワンちゃんなのよ。」

「お手伝いなら、人に手伝ってもらえばいいのに。」

女の子は、「んー?」と、首を傾げ、不思議そうな顔をして、通り過ぎていった。

その時は、ただ車椅子の横を歩いているだけに見えただろうりんくうだけど。
外でいる介助犬は、いつでもお仕事中だ。
神経をユーザーに集中している。
りんくうといえば、いつも神経を集中しているわけではなく、「今日はお天気がいいなぁ。」「あそこに綺麗なお花が♪」と、しっぽをふりふり♪楽しんでる感じ。

まだりんくうと暮らし始めたばかりの頃、高校生の女の子に、「触ってもいいですか?」と声を掛けられ、「、お仕事中なので、ごめんなさい。」と断ると、「今は何も仕事してないじゃん。」と、去った後ろから聞こえたことがあった。

最近では、「お仕事しているワンちゃんだから、触ってはだめよ。」と、小さなお子さんの手を取り、そっと見守って下さる、お母さん方と出会うことが多く、そのお気持ちに心が温かくなる。

わたしにとって、りんくうは、大切なパートナーだ。
だけど、女の子が言うように、「側にいる人が、手伝える」そんな社会になればいいなぁと、外は寒いけれど、心がホカホカになった。
2005年01月10日(月)  最近、考えること。
知り合いの、おじいさまを介護されておられるお家が、飼っていたワンちゃんを、手放したという話を聞いた。

ヘルパーさんや訪問看護師さんの出入りがあり、犬嫌いな方もいるので、親戚に譲ることにしたのだそうだ。

それまで、おじいちゃんやご家族と、いつも一緒に、家族同然に愛し、仲良く暮らして来られた。
別れる決意は、どんなに心苦しかっただろう。辛かっただろう
そして、今どんなにさみしい思いをされているだろう…。

在宅で暮らす、高齢者や障害者をサポートする、ヘルパーさんや訪問看護師さんの中で、犬嫌いな方や動物アレルギーをお持ちの方もおられると思う。

各事業所で配慮できればいいが、働く側の人数が足りないなどの都合上、なかなかそうはいかないケースも多いようだ。

犬嫌いなヘルパーさんが、犬がいるお家に訪問することは、確かにヘルパーさんのストレスとなる。
「私達は弱者です。」とおっしゃる。
日頃、いろんなお宅を訪問されておられる、ヘルパーさんから言葉をお聞きした。

我が家の場合は、訪問看護師さんが来られている間は、りんくうはハウスの中で待ってもらうことにしている。

いろんな処置をしている間、清潔な器材を、もしもりんくうが触ってしまわないよう。
もしかしたら、犬嫌いな看護師さんがおられたら、・・・怖いものは怖いだろう。

りんくうは?といえば、…看護師さんがいる間は、「お仕事お休み」と、安心して、ハウスで寝息を立てて寝ているのです…笑。

おじいさんにとって、ワンちゃんと、離れ離れにならなくてよい方法は、本当になかったのだろうか?
2005年01月09日(日)  悩める毎日
年明けから、悩む毎日だった。
人から見たら、「な〜んだ、そんなこと。」に、うじうじ悩んでしまうママ…。

人間生きてたら、大きな悩みも、小さな悩みもあるものだ。
でもわたしには、胸の真ん中が、ヒリヒリ痛む…大切な悩みなの。

なかなか眠れず、起きてたら…。
「ママ?眠れないの?」
りんくうも付き合ってくれた。

いつの間にか、スースー。寝息が…。

りんくうの寝顔を眺めていると、世界は大きくて、人生は長くて、わたしのハートは、いつの間にか、温かくなった。

悩みはいつだって悩めるし、悩んでばかりの毎日は、つまらない!

失敗や傷つくことを怖がらず、さぁ〜歩き出してごらん♪
2005年01月08日(土)  質問
街で、時々質問されること。

Q.介助犬の世話は、誰が見ていますか?

A.自分でできることは、自分でしています。
家族や人にお願いする時は、指示は自分でします。

たとえば、ごはんの時、器にドックフードを用意するまでは手伝ってもらいますが、「OK(食べていいよ)。」の指示は、わたしが出します。

また、毛のブラッシングは、届く部分は、手の力が少なくても使えるブラッシング道具で、方法を考え、自分でできることはします。

また家族にお願いする時も、こちらから「ブラッシングしてもらえる?」とお願いしています。
勝手に、わたしがいない時に、家族がごはんやブラッシングをしてしまうということはないように、お願いしています。

毎日の暮らしの中で、りんくうとのコミュニケーションを、深めたいと思っています。
2005年01月07日(金)  一人では…
人間、誰もが、一人では生きられない。
障害を持つわたしは、いろんな人の、サポートを受け、毎日を生きている。

人と人。
人間関係。
時には、すれ違ってしまう時がある。

言葉と言葉が、空回り。
言葉と言葉が、絡み合ったら。
言葉と言葉が、解けなくて。

人間だから、分かって欲しい時がある。
分かってもらえない時がある。
分かり合えない時がある。

人から、介護というサポートを受けるということは、自分という度量を試される。

できないから、あきらめる。訳ではない。
できないから、我慢する。訳ではない。
できないから、してもらう。訳でもない。

いかに、自分の言葉を、伝えられるか?届けられるか?

わたしが今までの人生で培ってきた思いを、言葉に変えて伝えること。

今のわたしは疲れているけれど…。
それでもりんくうが、エイエイオーと応援してくれる!

ガンバレ、わたし!
2005年01月06日(木)  あの頃の話をしよう(8)
車イス生活になり、初めて電車に乗った日のことを、忘れない。
人の視線が気になった。
「かわいそうに。」という言葉も聞こえた。
階段に立ち止まり、困った時に、何人も見知らぬふりをして通り過ぎていった。

・・・もう二度と、電車には乗りたくないと、誓った。


季節は春となり、合同訓練が始まった。
電車で片道3時間の道。
自宅から、最寄の駅までは、バスと徒歩で20分。
ノンステップバスではなく、車イスでは乗れないバスには、歩いて駅まで行くことにした。
歩くといっても、当時は電動車イスではなく、手動車イスでは30分以上はかかるその道のりを、母にひたすら押してもらう。
自分でこいでもみるが、坂道の多いその道は、駅に着く頃には、へとへとになっていた。

駅は、上りのコンコースへは階段のみ。
駅員さん2人では、駅の仕事もあり、介助ができないということで。
駅を利用する数日前までに、利用したい旨を連絡をして、近くの駅から、援助の駅員さんを呼び、対応されているということだった。
通院とは違い、月1回の利用ではない。
毎回、その対応をしてもらうのも、限界があると感じ・・・。

まずは、階段を利用せずに、そのまま下りのコンコースに出て、下りの電車に乗り、一駅目で下りて、その駅に設置されているスロープを利用することにした。
とはいっても、上りのスロープまで辿り着くには、一旦駅を出て、ぐるりと外の道を回って、線路を渡る。
その線路に、車イスの前輪がよくはさまり、電車が来る警報が鳴る中、焦っては、危険なことも何度か経験した。
15分ほど歩いて、ようやくスロープを上り、上りの電車に乗れるのだった。

そのスロープも、一般のお客さんは利用できないように、鍵がかけられていて、インターフォンで駅員さんと連絡が取れるようになっているが、駅員さんの人員が少なく、電車と電車が着く合間まで待たないといけないといった形で、いつも電車を何本も見逃した。

普通電車から快速電車に乗り換える。
駅員さんの連絡はスムーズで、何両目のどこのドアか?連絡をしてもらえば、辿り着いた駅では、連絡を受けた駅員さんが、乗り換えの電車に移動するのを介助して下さった。

しかし、まだまだ、エレベーターの設置されていない駅は多い。
後に、新幹線を利用した時、裏道をぐるりと回り、荷物と同じエスカレーターに乗り、ようやくコンコースへといったことも経験した。
車イスユーザーの、電車の利用も増え、介助をする駅員さんの人員が足りなく、30分以上も待たされることもあった。
連絡されてたはずの、駅に辿り着くと、駅員さんが待っていなかったということもあった。
開いたドアの外は、大きな段差・・・。
一瞬、どうしよう・・・と頭をよぎったが、周りにいた背広姿の方々が、大阪弁で「ねぇちゃん、降りるんかぁ?」と、4,5人集まって下さり、気づいたらホームだった。といううれしい出来事もあった。
あの時は、余裕がなく、お礼も言えなかった。
今更ですが・・・、「本当にありがとうございました!!!」

たくさんの方々に支えられた。
何年か前は、二度と乗るもんか!と泣いた電車の旅。
そこには、わたしのまだまだ知らなかった経験や、素敵な出会いが待ってくれていた。
2005年01月04日(火)  あの頃の話をしよう(7)
介助犬りんくうのユーザーに決まったというお知らせをもらってから、これから始まる合同訓練に向けての準備に入った。
喜んでばかりでは、いられない。

合同訓練をするセンターまでは、自宅から片道3時間近くはかかる。
それまで、電車で長い時間移動したことのなかったわたしは、体力面でも心配だった。
そのことに関しては、トレーナーさんが近くの車イスでも利用できる、泊まる施設を探して下さって、そこを利用することにした。
2泊3日で集中して、合同訓練は行われることになった。

合同訓練が始まるまで、外での生活に、少しでも、自分でできることを増やしたいと、リハビリに集中した。
当時お世話になっていた担当のリハビリスタッフに、介助犬と生活することになったことを伝えた。
しかし、帰ったきた反応は、賛成する答えではなく、「どうして?介助犬と生活するの?」と疑問に持たれた質問だった。

その時は、まだ立つことはでき、かろうじてつかまっては、自分の足で数歩歩いて移動できる状態だった。
家の中では、這って生活していた。
着替えも時間はかかっても、自分でできた。
部屋のドアも、冷蔵庫も、握力がなくても、紐を付けたり工夫をすれば、開けることは可能だ。

それに、その時のわたしは、自分でしようと努力する意欲はなく、家族に頼ろうとする気持ちがあった。
同居している家族が、手伝おうと声を掛けてくれれば、甘えてしまう部分があった。
できないことをできるようになりたい。という気持ちよりも、できる人が手伝ってよ。という思いがあったのも、確かだ。

リハビリのスタッフの方は、そんなわたしの気持ちを見抜かれていたのかもしれない。
「介助犬は、もっと動けない、障害の重い人が持つのだよ。」
「あなたは、介助犬に頼ろう、甘えようとしている。」

その日、看護師さんから、障害者のための職業訓練所に進んだらどうだろうという意見をもらった。
いつまでも、両親に頼り、負担を掛けるわけにはいかない。
もっと現実的な方向に進んでみたら、と・・・。

あの時のわたしには、夢があった。
車イスでも、周りの友達と同じように、ふつうに社会に出たいと。
それには、まずは、介助犬との暮らしを、必要としていた。
何日も考えてみた。その他、病院や地域で関わっていた人、同じように障害を持つ友達に、相談もした。

そして、自分で出した答が、りんくうとの共の生活のスタートだった。
2005年01月03日(月)  あの頃の話をしよう(6)
ある朝のことだ。
ふと新聞を開いたページに、「介助犬りんくう号使用者募集」のお知らせが目に止まった。
思い出した。本で知った介助犬のことを。テレビで観た、介助犬という存在を。

とりあえず電話だけでも掛けてみよう。
そんな気軽な気持ちで、連絡先の電話番号を押した。
介助犬についての簡単な説明を聞いた。
介助犬と生活するには、ユーザーとの相性などをみる、マッチングテストがあるということで、介助犬を育成しているセンターに、行くことになった。

りんくうの先輩の、デモストレーションとして講演などで活躍する介助犬が、目の前で動くのをみつめていた。
初めて、目の前で目にした、介助犬。
トレーナーの指示に確実に動く。
床に落ちたキーを拾ったり。
エレベーターのボタンを押したり。

しっぽをふりふり楽しそうに働く後ろ姿に、微笑ましかった。
机の下に待機していた別の勉強中の介助犬に、スカートから出た足を、ぺロリと舐められた。
覗くと、またしっぽを振ってニッコリ笑ってくれた。

その日、りんくうとのマッチングテストを行った。
トレーナーさんと一緒に、車イスの横を歩くりんくう。
時々、おてんばな素振りを見せては、トレーナーさんに叱られている。
あっという間に終わった、テストだったけれど。
手ごたえはよくわからなかった。

まだあの頃は、力強く、介助犬と絶対に一緒に生活をするんだ!という気持ちは、薄かったのかもしれない・・・。
まだまだ日本で頭数の少ない介助犬を、自分が持てるなんて想像できなかったし、ダメで元々だと思うような所があった。

「今日は、実際に介助犬に会えて、よかった。」
と思い、それだけで、もう満足だった。

帰りに、車に乗ろうとしていると、偶然に、担当トレーナーさんと一緒に帰る、りんくうと出会った。
「では、気をつけてお帰り下さい。」
そう言って、挨拶してから、車に乗り込んだ。

「またね。」
目が合ったりんくうの瞳に、「また会おうね。」
そんな会話をしてみたような・・・ふと、そんな気がした。

それから、連絡はなかった。
やっぱりユーザーはわたしに決まらなかったんだと思った。
そう思うと、不思議と、介助犬と暮らしたい気持ちが、日増しに増して来るのだった。
あの日、実際に、介助犬と会ってから、本や新聞記事などで、介助犬について、自分なりに調べてみた。
知れば知るほど、介助犬と生活したい気持ちは、確実なものになってきていた。

りんくうとの出会いに、あきらめかけていたそんな時、「介助犬りんくう号のユーザーに決まりました。」との、連絡が入った。
2005年01月02日(日)  あの頃の話をしよう(5)
両手の握力が少なくなり、物が握りにくくなった。
ペンを持つと、ポロリと落ちる。
本を持って移動しようとすると、バサリと床に落ちる。
まだその頃は、立つことができ、椅子や車イスに座った姿勢から、床に落ちた物を、自分で拾うことはできた。

けれど、座った状態で、腰をかがめることは、元々あった腰痛をますます痛めた・・・。
歩ける時なら、数秒でパッと拾えた動作なのに、街で小銭を落とせば、もうアウトだ。
平たくて小さな小銭を、指先に力の入らない手で、掴むことさえできない。

しばらくすると、左手の握力は戻ってきたけれど、右利きの右手の握力は戻らなかった。

その頃のわたしは、頭の中は、「できないこと」で溢れていた。
あれもできない。これもできない。
せっかく、自分専用の車イスで、外に出かけられるようになったのに。
わたしは、外に出ることから、避けるようになった。
2005年01月01日(土)  明けましておめでとうございます♪
明けましておめでとうございます!
今年の年明けの朝空は、曇りでしたが、雲がとっても綺麗かったです。

今年も1人と1匹、マイペースに歩いていきたいです。

新年早々・・・落ち込んでしまったママ。
これじゃあいかんね。悩みを、「今度こそは」と、前向きにかえないと。

転んでも起きます。
そんな1年にしたいですね。

こんな弱虫ママですが、どんな時も動じない大物?りんくうに励まされてます、、、。
今年もよろしくお願いします☆
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