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2021年04月27日(火) 看護師あるある

それは突然やってきた。
風呂上がりに髪を乾かしていたら、腰に鋭い痛みが走り、動けなくなったのだ。這ってなんとか部屋まで行き、布団に横たわった。
急にいったいどうしたんだろう。いや、そういえばこのところ重だるいような違和感があった気もする。
「ついに来たか……?」
思わずつぶやく。
前屈みの姿勢で行う業務が多い看護師にとって、腰痛は職業病だ。同僚がケアや処置をしたあと、腰をさすったり叩いたりするのを見て「明日は我が身」と戦々恐々としていたが、私の腰もとうとう音を上げたんだろうか。
翌朝には仕事に行けるくらいまで痛みは和らいだものの、二週間経っても鈍痛が消えないため、近所の整形外科を受診した。
さて、そのクリニックで検査室に案内してくれた看護師に訊かれた。
「蓮見さんは看護師さんですか?」
問診票に職業を記入する欄はなかった。なのにどうしてだろうと思ったら、彼女はおかしそうに言った。
「問診票が“看護記録”みたいでしたよ」
症状やその経過をいつも書いているカルテのように記入していたらしい。

この話を職場の休憩室でしたところ、「受診先で職業は知られたくないよね」という声が上がった。
「親の入院中、いいように使われたもん。『○時頃にガーゼ交換をするので、創部を開けて待っててください』とか『点滴が遅れてたらコールくださいね』って、なんでやねん」
「面会に行ってるときは食事の介助はもちろんするけど、おむつ交換を頼まれたときはさすがに腹が立ったわ」
「私は逆。自分が入院したとき、同業者ってばれた途端、誰も部屋に来なくなったよ。なんかあったらコールしてくるだろうと思ったのか、警戒されたのか」
入院してきた患者が看護師とわかるとちょっぴり身構えてしまう、というのはたしかにある。一挙手一投足を観察されそうなんだもの。点滴のルートを取るときなんかに手元をじいっと見られていると、かなりやりにくい。
だから、私も患者の立場になったときは必要がないかぎり職業は明かさない。

そして、そこから「看護師あるある」の話題で盛り上がった。

A看護師とB看護師が一緒に夜勤に入ると、必ずなにかが起きる

うちの病棟には「嵐を呼ぶペア」というのが何組かあって、彼女たちは驚くような確率で急変や死亡退院に当たっている。単なる偶然なのだけれど、とても不思議だ。

「今日は病棟落ちついてますね」と誰かが口にすると、そこから怒涛の一日になる

数日前、「今日は平和ですねー」と無邪気に言った一年生が、「それNGワード!」と先輩に叱られて(?)いた。病棟が穏やかな日はめずらしいため、うれしくてつい言いたくなるが、ガマンガマン。
うっかり口走った途端、急変があったり緊急入院、緊急オペが入ったりして忙しくなるのはどうしてなんだろう。

プライベートでも二十四時間制で時刻を表す

先輩に次の点滴更新の時間を問われ、「二時です」と答えた一年生が、「十四時、でしょ」と言い直されていた。午前と午後を間違えないよう、医療の現場では時刻を二十四時間制で表記する。
そうしたら、雑談の中で「十五時のおやつ」と言った一年生がいて大笑い。それは「三時のおやつ」でいいでしょ!

とまあ、いろいろな「あるある」が挙がったが、最多票が集まったのがこれ。

つり革を持っている人の腕の血管を探してしまう

いい血管を見ると、針を刺したくなる

むかし、驚いたことがある。ある男性と食事の後、立ち寄ったバーで飲んでいたときのこと。彼が「あのね、前から思ってたんだけど、蓮見さんの腕って……」といつになく真剣な顔をして言う。
ここでたいていの女性は、「きれいだね」とか「しなやかだね」といった言葉がつづくものと思うのではないか。もちろん私もそう。聞く前からもう照れながら、私は次の言葉を待った。
すると、彼は感に堪えぬように言った。
「点滴、しやすそうだなあ……!」
目が点になっている私に、彼は「ねえ、ちょっとこうしてみて」とつづけた。言われたとおりに腕の関節あたりを押さえると、青い血管がくっきり浮き上がってきた。それを見て、「これなら誰でも一発で針入れられるよ、うん」と満足げに頷いた彼は医師である。
血管が太い上に肌が白くてよく透けて見えるから、どんなに下手な人にも失敗されないだろうとお墨付きをもらったが、私は「このシチュエーションで、もうちょっとほかに言うことはないわけ!?」とずっこけた。
しかしその後、看護師になったら、彼がああ言わずにいられなかった気持ちがわかった。自分の腕や手の甲を見ると、「ほんと、いい血管してるよなあ……」とうっとりしてしまうのだ。



先日歯の定期検診に行ったら、担当してくれた歯科衛生士が「テレビやポスターで芸能人を見ると、顔よりも口元に目が行ってしまうんですよ」と話していた。
彼らの歯は白く輝いているが、多くは美しく見せるために自前の歯を削って人工の被せものをしているそうだ。また、歯茎を見れば「この女優さん、ヘビースモーカーだな」なんてこともわかるらしい。
そんなつもりはないのに、見破らずにいられない。これも立派な職業病だろう。
さて、あなたのお仕事にはどんな「あるある」がありますか?

【あとがき】
というわけで、今年も私は一年生の採血練習台に志願しています。
どんな職業にも「あるある」があるでしょう。その道の人ならではなので、おもしろいですよね。


2021年04月10日(土) うちの子になってね(後編)

前編中編のつづきです。

ちょこんは二日二晩、三段ケージの中で鳴きつづけた。それも、一段目に置かれたトイレの砂の上に座り込んで。
猫は緊張や不安が強いとき、狭くて暗いところに隠れようとする。四角い小さなトイレは、ちょこんにとって与えられた環境の中ではもっとも安全を感じられる空間だったのだろう。
外では鳴いたことのないちょこんが、二日間飲まず食わずで外に出してと訴えた。それはそれは哀しい声で。
「ノミは駆除した。一回だけどワクチンも打った。最低限のことはしてあげられたから、もう放してやったほうがいいのか」
決して安易な気持ちで保護を決めたわけではない。でも、心が折れそうになった。
が、三日目の朝。目が覚めたとき、鳴き声がしていないことに気がついた。ケージを覆っている布をそっとめくると、ちょこんは三段目に敷いた布の上で丸くなっていた。トイレから出られたんだね……!
ふと見ると、エサ入れが空になっている。もしやとトイレを確認したら、おしっこシートが濡れていた。これでもう大丈夫。
その日からケージの扉を開放し、一部屋を自由に動けるようにした。すると、ちょこんは眠るとき以外はケージの外で過ごすようになった。タンスにのぼったり、押し入れに入ったり、窓際に座って外を眺めたり。人の動きには敏感で近寄らせてはくれないが、少しずつ「家の中」に慣れてきているのがわかった。もう背中をかゆがる様子はない。
野良猫は元気そうに見えても感染症のウイルスを持っている可能性があるため、十日間は先住猫と接触させないよう動物病院の先生から言われていた。その隔離期間が明け、対面したちょこんとくり坊(オス・当時九か月)はガラス越しに顔見知りだったためか、シャー!もフー!もなくすぐに仲良くなった。
ちょこんはくり坊について家中を探索し、何か所かお気に入りの場所を見つけると、日中はそこで気ままに過ごした。「おやつだよ」「ごはんだよ」と声をかけると、どこにいても戻ってくる。夜はリビングのソファの上で、くり坊とぴったりくっついて眠った。

あれから八か月。背中の毛はきれいに生え揃い、以前のようにツヤツヤだ。よく食べ、くり坊とよく遊び、元気に過ごしている。
人馴れのほうはというと、あまり進んでいない。ちょこんがうとうとしているときになでさせてくれることがあるが、抱っこはできない。だから、ワクチン接種などで動物病院に連れて行かなくてはならないときはもう大変である。
という話をすると、不思議そうに人は言う。
「それって家の中で野良猫を飼ってるようなもんじゃない。ろくに触らせてもくれない猫、かわいいの?」
「家庭内野良猫」と言われれば、なるほど、近いものがあるかもしれない。しかし、答えは「かわいい。めちゃくちゃかわいい」だ。
家族は私以上に触らせてもらえないが、それでも「ちょこんちゃん、ちょこんちゃん」と声をかけ、その様子を目を細めて見つめる。
癒されたくて、ちょこんをうちの子にしたのではない。「いつごろ初ゴロ聞けるかなあ」「いつか膝に乗ってきてくれるかなあ」と夢見ることはあるけれど、ちょこんが毎日元気で穏やかに過ごしてくれていたら、それで大満足だ。
ちょこんがじっと外を眺めているとき、「『あのころは楽しかったなあ……』とか思っているんだろうか」がちらと胸をよぎる。空腹や暑さ寒さはつらいが自由な外での暮らしと、退屈だけれどごはんと温かい寝床のあるいまの暮らし。もし玄関のドアを開けてやったら、ちょこんはどちらを選ぶだろう。
実は、それほど不安には思っていない。
保護して半年経ったころ、ちょこんが外に出てしまったことがある。ふと庭に目をやると茶色い猫がひなたぼっこをしており、「あら、ちょこんにそっくり」と思ったら、見慣れた“じゃがいもしっぽ”ではないか。うっかり脱走防止柵がついていない側の窓を開けてしまっていた。
声をかけたり近づいたりしたら、きっと逃げてしまう。だから、リビングの掃き出し窓を全開にしてそっとしておくことにした。ちょこんは帰ってくる、きっと帰ってくる……。
しかし、しばらくして二階の窓から庭を見ると、姿がない。
「『この暮らしもわるくない』と思ってくれてるんじゃないか、なんて勝手な幻想だったんだ」
ちょこんが望んだこととはいえ、またひとりぼっちで外で生きていくのかと思ったら、不憫で涙が出た。
が、リビングに戻ってびっくり。ちょこんがカリカリと音を立ててエサを食べていた。そして、食べ終えるとソファに飛び乗り、丸くなった。
なんの迷いもなくそうしたのを見て、胸が熱くなった。そっと窓を閉める。一時間と四十二分のお散歩はこれでおしまい。
「お外は楽しかった?おかえり、ちょこん」

人生がそうであるように、猫生にも「たられば」はない。
あなたの家はここ。あなたが幸せでいられるようにと------それはニンゲンの思う「幸せ」ではあるけれど------いつも考えている。だから、これからも一緒にいてね。
大好きだよ、ちょこん。





【あとがき】
ちょこんはくり坊が大好きで、一緒にいるととてもリラックスして幸せそうな顔をしています。外では少しの物音にもびくっとしていつでも逃げられる態勢をとっていましたが、いまはソファで堂々とヘソ天で眠っていることも。
そうそう、“じゃがいもしっぽ”についてですが、獣医さんに「もともとこういう形です」と言われました。なにかにはさまれてちぎれたのでも、傷から菌が入って壊死したのでもなくてよかった。初めて見たとき不格好だと思ったしっぽは、いまではちょこんのトレードマーク。


2021年04月05日(月) うちの子になってね(中編)

※ 前編はこちら

むしむしと気温の高い朝だった。リビングの掃き出し窓の雨戸を開けると、ちょこんはいつものように庭にいた。
「おはよう。今日も暑くなりそうだね」
と声をかけ……ん?数メートル離れたところにいるちょこんの背中に白いものが見える。なんだろう。
やがて定位置の沓脱石の上にやってきたちょこんを見て、びっくり。腰からしっぽにかけ、ごっそり毛が抜け落ちていたのだ。まるでバリカンで刈ったように幅五センチ、長さ十五センチほどの帯状に剥げており、白く見えたのは露わになった地肌だった。
昨日はこんなことはなかった。一晩のうちにいったいなにが。
「まさか、虐待……?」
それなら体に傷があるかもしれない。手足の動きも確認しなくては。
驚いて逃げてしまわないよう、玄関のドアをそっと開けた私は小さな悲鳴を上げた。ポーチに猫の毛が散乱していたのだ。
ちょこんのそれが人間によるものでないとわかりほっとしたが、ここでなにが起きたのか。猫同士のケンカ?いや、それなら争う声が聞こえるはず。
とにかく様子を確かめようとちょこんに近づくと、沓脱石からぴょんと飛び降りた。運動機能に異常はなさそうだ。目立った傷や出血は見当たらないことも確認できた。
私は背中の写真を撮り、かかりつけの動物病院に駆け込んだ。

「ノミによるアレルギー性の皮膚炎でしょう」
激しいかゆみのために過度のグルーミングをしてしまうことが脱毛の原因だという。体についたノミを駆除し、皮膚の炎症を鎮め、掻痒感を抑える薬を内服すれば治るそうだ。
が、問題は二メートル以内には近寄らせてくれない猫にどうやってそれを行うかだ。ノミの駆除薬は首の後ろの毛をかき分けてスポイトで垂らさなくてはならない。鎮痒消炎のためのステロイド剤は苦いためエサに混ぜても食べてくれないだろうが、口をこじ開けて飲ませることができない。
搔きむしった傷から菌が入って感染を起こすこともあると言われたが、どうしてあげることもできない。うなだれながら病院を後にした。
翌朝、庭のあちこちにまた大量の毛が舞っていた。ちょこんが一心不乱に背中の毛を咥えては引っこ抜いている。剥げは昨日よりあきらかに広がっていた。
「このままじゃ因幡の白うさぎになっちゃうよ……」
外で暮らしているのに毛がツヤツヤで、すごいなあ、たくましいなあと私はいつも感動していた。その背中がぼろ雑巾のようになっている。
“通い猫”ちょこんを七か月間見守ってきたが、うちの子にと考えたことはなかった。ずっと野良で生きてきた猫にとって「自由」に勝る幸せはないのだろうと思っていたから。
しかし、砂の上で転がり背中をこすりつける姿を見て、放っておくことはできなかった。
「あなたの意思を確認せずに勝手に決めてごめんね」
ちょこんを保護して治療を受けさせよう。心が決まった。

インターネットで購入した捕獲器に細工を施す。もし足やしっぽが挟まれても大ケガをしないよう、踏み板を踏んだら閉まる扉を布でくるんだ。中で暴れても体を傷つけないよう、網の内側にダンボールを貼った。
ちょこんは避妊・去勢手術済みのさくら猫である。以前捕まったときのことを覚えていたのか、沓脱石の上に設置した捕獲器の中のごちそうになかなかつられなかった。



しかし空腹に耐えかねたのか、ガラス越しに息を詰めて見つめていた私がちょっと離れたあいだにそろりそろりと入っていたらしい。戻ってみると、上手に踏み板をまたいでちゅ〜るを舐めていた。食べ終わると慎重に捕獲器から出てくる。えさを入れ替えても、踏み板は決して踏まない。
「賢いなあ、これは踏んじゃだめってわかってるんだなあ」
感心半分、あきらめ半分で見ていたそのとき。私がうっかり立てた物音にびくっとしたちょこんの足が踏み板に当たった。
ガシャン!と大きな音がした。ちょこんは出口を求めてパニックになり、それを見て私も動揺した。
「『このニンゲンは怖いことはしない、ここは安全な場所』って思ってくれてたよね。なのにごめんね、ごめんね」
信頼を裏切ったと思うと、胸が痛んだ。
興奮しているちょこんをキャリーバッグに移すことはとてもできず、捕獲器のまま動物病院へ運んだ。

「赤いブツブツが見えるでしょう、やっぱりノミによる皮膚炎ですね」
スタッフによって手際よく洗濯ネットに入れられたちょこんは、おとなしく診察を受けてくれた。首に薬を垂らしてもらい、これでノミの駆除は完了。つづいてウイルス検査とワクチン接種。健康チェックの結果は問題なし。
「一歳くらいのメスですね」
と言われ、驚いた。右耳をV字カットされているから、ずっとオスだと思っていた。
「以前はオスは右、メスは左をカットしていたんですが、いまは区別していないんですよ」
そうだったのか。じゃあわが家に迎える四匹目の猫にして、はじめての女の子だ!
後編につづく)

【あとがき】
どうして洗濯ネット?と思った方がいるかもしれませんね。興奮している猫を洗濯ネットに入れると落ちつくことが多いため(猫は狭いところを好む傾向があり、やわらかい布で体を固定されると安心するらしい)、動物病院ではそれに入れた状態で網目から注射をしたり、必要な部分だけチャックから出して診察したりするんですね。私も初めて見たときは驚きました。ちょこんもとたんにおとなしくなりました。