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2004年12月30日(木) 感謝を込めて。

む、む、無念……!
前回のテキストを完結させて二〇〇四年の日記を締めくくろうと思っていたのですが、「後編」が間に合いませんでした。
テキストを来年に持ち越すだなんて、鈍くさいにもほどがある。 ああ、隙間時間のつぎはぎでは書くことができない自分の不器用さが恨めしい。
“間違い”の内容を推理したコメントをくださった方々、引っぱってしまってごめんなさい。

さてさて、二〇〇四年も残すところ二日を切りました。今年の世相を表す漢字は「災」と発表されましたが、みなさまにとってはどんな年でしたか?
私の一年を一字で表すと、「空」。といっても「sky」ではなく、「empty」のほうです。
「二〇〇四年」という年を大きな鍋に入れて火にかける。水分が飛んだ頃にのぞいてみたら、鍋底にはなにも残っていなかった……という印象の一年でした。
来年はもっと別のことが書けるよう、がんばらなくてはなあ。

でも、日記関連の事柄についてだけ言うと、今年ほど幸せや喜びを実感できた年はありませんでした。
たくさんの方に読んでいただきました。この先も続いていくであろう出会いがいくつかありました。そして、私自身がこの趣味を心から楽しむことができました。
ここに足を運んでくださったみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。

これが今年最後の更新です。年越しは台湾、その後両方の実家をはしごしますので、日記はしばらくお休みです。
みなさん、よい年をお迎えください。
そして、どうぞ来年も小町と「われ思ふ ゆえに・・・」をよろしくお願いします。

【あとがき】
次回の更新は新年明けて三日になるかな。みなさま、どうぞよいお年を。


2004年12月29日(水) 私が怖がりになった理由(前編)

夫は休日に私を家に残して外出するとき、鍵をかけずに行ってしまうことが多い。
玄関まで見送れば私が内側からかけるが、そうでないときはずいぶん時間が経ってから気づくことがある。そのたび私は、
「最近の強盗は留守の家を選んで入るんと違う。人がおったら殺してしまえ、と思ってるんやで」
と言うのであるが、ほとんど利き目がない。
また、「外が暗くなったらカーテンを閉めて」ともつねづね言っているのであるが、これも叶えられたためしがない。
夫は出張が多いため、ウィークデーの私はほとんどひとり暮らしだ。しかも、わが家は一階である。家の間取りやどこになにが置いてあるといったことを他人に知られるのは非常に用心が悪い。
怖いから寝るときはドアに傘を立てかけておく、という話をしたこともあるのに、何度頼んでも鍵をかけずに出かけたりカーテンを閉め忘れたりするというのはどういう心の働きによるものなのか。考えると、腹が立つより悲しくなる。

それはさておき、私をこんな口うるさい妻にしたのは、ひとり暮らしをしていたときに経験したいくつかの出来事である。
以前、大学一回生のときに水回りが一切ない、家賃二千円の六畳一間のアパートに住んでいたという話をしたことがあるのだが、覚えておいでだろうか。
合格発表が遅かったため、部屋探しをはじめたときには家賃がべらぼうに高いマンションしか残っていなかった。そこへ従兄から「うちの会社の独身寮、空いてるよ」という情報が。じゃあ一年だけお世話になります、とお願いしたあと部屋を見に行ってびっくり仰天、そこは男子寮だった------という話だ。
十八歳のピチピチの女子大生が独身男性専用のアパートでひとり暮らしをしていて、なにも起こらないわけがない。欲望のるつぼとも言えるその場所で、私はオトナへの階段を上ったのである。
……というような展開になっていたら(日記としては)大変おもしろかったのであるが、実際には早朝に家を出る彼らと昼まで寝ている私が顔を合わせる機会はほとんどなかった。両親は夜に電話がつながらないとそれはもう気をもんだらしいが、娘は公衆トイレ並みのちゃちな鍵しかついていないオンボロアパートで、いたって平和に安全に暮らしていた。
私が不気味な思いをしたというのは、そこを出て二回生の春から三年間住んだマンションでのことなのだ。

入居申し込み開始日に夜中の三時から不動産屋の前に並び、私が手に入れた“夢の城”は大学から徒歩五分、築数年のきれいなワンルームマンションだった。
今度はもちろん水回りは完備であるが、一番うれしかったのはやはりこれ。
「トイレがあるー!!」
年頃の女の子としては部屋に台所や風呂、洗面所がないことも切なかったが、「トイレが共同」にはかなわない。しかも、「男子トイレ」だったのだから(男子寮に女子トイレがあるわけがない)。
「これからは好きなときに行けるのね……」
住人と鉢合わせしてはバツの悪い思いをしていた私は、“マイ・トイレ”に有頂天になった。
大家さんは同じ階の突き当たりの部屋にひとりで住んでいると聞いていたので、さっそくあいさつの品を持って訪ねる。
チャイムを鳴らすと少しだけドアが開き、スウェットを着た三十代後半と思しき男性と目が合った。
「三○六号室に越してきた○○です。今日からお世話になります」
が、あちらは私をじーっと見つめたままなにも言わない。間が持たず、渡すものを渡してさっさと退散しようと思ったそのとき、私は口から心臓が飛び出すくらい驚いた。なんと、チェーンのあいだからにゅーっと手が伸びてきたのである。
私はその十センチほどの隙間から石鹸の詰め合わせを渡し、部屋に飛んで帰った。

その年の冬、ドンドンドンと誰かに乱暴にドアを叩かれる音がし、夜中に目が覚めた。
人がバタバタと廊下を走り回っている。飛び起きてドアを開けると、避難訓練のときにしか聞いたことのないジリリリリという音と「火事ですよーっ、逃げてくださーい!」という男性の叫び声が聞こえた。
コートを引っ掛けて一階に下り、消防士さんが出たり入ったりするのをどきどきしながら見ていたら、住人のひとりが火元は大家さんの部屋で、以前にもボヤ騒ぎがあったと教えてくれた。
「誰かが自分のお金を奪いにくるっていう強迫観念を持ってるらしくて、前回は部屋でお札に火をつけたって話ですよ」
それを聞いて心に浮かんだのが、マンションにやたらと防犯カメラが設置されていることだった。玄関やコインランドリー、各階の廊下に二機ずつ。夏の夜、彼と屋上に上がって花火を眺めながらいちゃいちゃしていたら、小さな赤い光に気がついた。なんだろうと近づいてみるとカメラだったため、こんなところにまで!と驚いたっけ。
「うわあ、やっぱりヤバイ人やったんや」

その半年後。春休みで実家に帰省していた私は一週間ぶりにマンションに戻った。が、部屋に入った瞬間、首をかしげた。
いつもとなにかが違う気がしたのだ。もちろん、家具が移動していたとか壁の絵がなくなっていたというわけではない。
「あれえ、なんだろう……」
部屋をぐるりと見回す。やがて“間違い”に気づいた私は「うっそおー!」と声を上げた。 (後編につづく)

【あとがき】
後編を今日中にアップして今年の日記を締めくくりたい〜!と思っているのですが、かなりきわどいところです。明日から旅行、帰国後両方の実家をはしごする予定なので、その準備もしなくては。もし続きを来年に持ち越したら、「小町さん、ギブアップしちゃったんだなー」と笑って許してね。


2004年12月27日(月) リスクと用心

隣家の新聞受けがいっぱいになっている。ここ数日子どもたちの声が聞こえないから、四連休でも取って一家でどこかに出かけているのかもしれない。
しかしなあ、これでは「わが家は留守にしています」と宣伝しているようなものだ。年末年始の休暇のときはちゃんと新聞を止めてね、と思わずつぶやく。
どうやら自分は人より用心深いらしい、ということに気づいたのはそれほど昔のことではない。以前、「寝るときはドアに傘を立てかけておく。外から開けられたら、倒れて音がするでしょ」と言ったら友人にずいぶん驚かれたのだけれど、人がたいして気に留めないような事柄にも危なっかしさを感じることがままあるのだ。
たとえば、仕事帰りに携帯電話で話をしながら歩いている女性をよく見かけるが、これなど私にとっては無防備の極みである。
実家に住んでいた頃の話。夕食を終えリビングでテレビを見ていたら、チャイムが鳴った。時間からして妹だろうと思ったが、ピンポンピンポンとやけにしつこく鳴らされたこと、めずらしく犬が表で吠えていることを不審に思った父が出て行くと、門扉の前で妹がへたり込んでいた。
家の前まで来たところで後ろから誰かに口をふさがれ「騒いだら殺す」と言われた、無我夢中で門にしがみつきチャイムに手を伸ばした、と泣きながら言った。ウォークマンで音楽を聴きながら歩いていたため、人の気配にまったく気づかなかったのだ。
以来、私は夜道では耳を背中につけ、背後の靴音を聞きながら歩くようにしている。
ファッション誌を見ていて、怖いもの知らずだなあと思うこともときどきある。「お嬢様のおしゃれ拝見」なるページで、いかにも高価そうな洋服に身を包んだ若い女性が、
「大学の入学祝いにパパに買ってもらったベンツCL600が私の愛車。ドライビングシューズはもちろんエルメス」
「カルティエのジュエリーラインがお気に入り。だけど一点モノにも憧れるから、カスタムオーダーすることもしばしばです」
なんて無邪気に語っているのであるが、誌面には「芦屋市在住のオカネモチコさん。リッチ女子大学三回生」と明記されている。「愛犬シナモン(ミニチュアダックス)と近所の○○公園を散歩するのが日課です」なんて載せて大丈夫なんだろうか、と縁起でもないことを考えずにいられない私だ。

とはいえ、彼女たちはリスクを承知の上で出ているので、「勇気あるなあ」で済ませることができる。私がうーむと考えてしまうのは、誰が目にするとも知れない場所で小さな子どもの顔が公開されているのを見たときだ。
以前、育児日記系のブログに「昨日ここに子どもがお風呂に入っている写真を載せたら、『どんな人間が見ているかわからないから、気をつけたほうがいい』と読者の方から忠告された」という内容のことが書かれていたのであるが、それにこんなコメントがついていた。
「実際に経験があります。親バカのつもりで同様の写真を載せたところ急激にアクセスが増え、おかしいと思って調べたら、2ちゃんねるのロリコンスレにリンクを張られていました」
新聞やタウン誌にはわが子の写真を投稿するコーナーもあるが、こういう話を聞くと自分や家族の情報を加工なしで公衆にさらすことの怖さをつくづく思う。
日記サイトでの公開ならば、なおのこと。家族構成や生活リズムは一週間も読めば掴めるし、過去ログをその気で漁ればどのあたりに住んでいるかわかる場合も少なくないであろう。その上、サイトに置かれた画像は誰でも簡単にコピーすることができるのである。
「そんなこと言ってちゃなにもできないよ」とおっしゃる向きもあろう。
たしかに、なにかの媒体に子どもの写真を掲載したことでトラブルに巻き込まれる可能性は現状ではそう高くはなさそうだ。
しかし、話が前回のテキストのつづきのようになってしまうけれど、そのパーセンテージは通学路で子どもが危険な目に遭う確率と変わらないのでは、と思う。もし登下校時に名札を外させたり防犯ブザーを持たせたりする親がサイトに子どもの顔をアップしているとしたら、矛盾しているなあという感があるのは否めない。
数ヶ月前、最近の幼稚園や小学校のサイトは生徒の顔にぼかしを入れたり後ろ姿のものを使ったりして個人を特定できないようにしているものが多い、という内容の新聞記事を読んだことを思い出す。
それには「『異様だ』という声も挙がっている」とあったが、私は生徒側にサイトに掲載されることによるメリットが存在しないのであれば「無難」を選択するのが賢明だろう、と思ったクチだ。

ここまでに書いたようなことは過剰な心配なのかもしれない、とも思う。実際、その大半は杞憂に終わるのだ。
私がそういうことに人一倍慎重なのは性格というより、長くひとり暮らしをしているあいだに何度か気持ちの悪い思いをしたことがあるのが多分に影響しているのだと思う。
それについては次回。

※参照過去ログ  2004年12月24日付 「もう、無料ではない(後編)」

【あとがき】
私は十年間ひとり暮らしをしましたが、その中でも忘れがたい家があります。大学時代に三年間住んだワンルームマンションですが、不気味な思い出がいろいろできました。正月が近づくとよみがえる記憶があるので、次回書きたいと思います。


2004年12月24日(金) もう、無料ではない(後編)

では、日本はどうか。
いまも「水と安全はただ」と思っている人は、いったいどのくらいいるだろう。奈良の女児誘拐殺人事件以降、新聞の投書欄で子どもの安全についての文章を見かけない日はない。
「子どもが小学校から不審者情報のプリントを持ち帰るようになった。ひとりで外出させないように、とも通達があった」
「名札をつけたまま登下校させるのは危険ではないか」
「子ども好きなので近くで遊んでいた子どもに話しかけたら、母親らしき人が飛んできて、『うちの子がなにかしましたか!?』と詰め寄られて慌てた」
こんな話が毎日のように掲載されている。
同僚は小学五年生の息子に、「家にひとりのときはチャイムにも電話にも出なくていい」「車に乗っている人に道を訊かれたら、ガードレールをはさんだまま教えてあげて」と言い聞かせているという。
池田付属小学校児童殺傷事件の後、忘れ物を届けに来た保護者でもIDカードなしでは校内に立ち入ることができなくなった。子どもたちには学校から防犯ブザーが支給され、親たちには数週間に一度、放課後に自転車で近隣をパトロールする当番が回ってくるのだそうだ。
「最近は家でゲームでもしといてって思う。友達のとこに遊びに行ったらそこまで迎えに行かなあかんねんもん」
「へえー、息子でも迎えに行くん」
「いまは男の子でも性犯罪のターゲットになるやろ。なんかあってからじゃ遅いから」
職場の休憩室の壁にもう一年半も貼られたままになっている「吉川友梨ちゃんを探してください」のポスターを見ながら、彼女は言った。

「人を見たら疑えと教えねばならないとは、何と悲しい世になったのでしょう」
「誰も信じてはいけないのでしょうか。これから子どもにどう教えていけばいいものか、悩む毎日です」
投書の多くはこういった憂いの言葉で締めくくられている。
新聞やテレビでさんざん報道されているにもかかわらず、オレオレ詐欺に引っかかる大人がいくらでもいるのだ。「お母さんが事故に遭った。いますぐ病院に行こう」と言われたら、そりゃあ子どもはびっくりして車に乗ってしまうだろう。だから人を信用する前に警戒することを教えねばならないわけだが、切ない話である。
私たちの親は「知らない人について行っちゃいけない」と子どもに言い聞かせたが、いまの親は「知ってる人でもだめ」と言わねばならないのだから。
私が子どもの頃は、昼間は鍵をかけない家が多かった。しかし気がついたら、帰宅と同時にチェーンまでかけるのが常識という世の中になっていた。こんなに戸締まりに神経質になったのはいつごろからなのだろう。
何十年か後、
「おばあちゃんが小学生の頃は、みんなひとりで歩いて学校に通いよったんよ」
「えー、そんなことして平気やったん?」
なんて会話を孫としたくはないけれど、どうなっているであろうか。

【あとがき】
私が子どもの頃は、体操服の短パン姿で学校に通ったり放課後遊びに行ったりしていました。いまはまず見ませんね。そんな格好で女の子がうろちょろしていたら、おかしな人に目をつけられていたずらされかねない。当時は校門に警備員が立っているなんてことはなかったし、というより門自体開けっ放しでした。名札をつけたまま登下校するのは無用心だというようなことも、私が大人になってから耳にするようになった意見です。そう思うと、私の頃はいまよりはずっとのどかで平和だったんだなあと思います。


2004年12月22日(水) もう、無料ではない(前編)

十二月二十日付の新聞で、夫の仕事の関係で春からアメリカに住んでいるという三十代の女性が書いたこんな文章を読んだ。

小学二年生の娘は日本では登下校はもちろん、習い事や放課後に遊びに行くときもひとりで行動していました。しかし、当地の子どもたちは親の車かスクールバスで学校に通い、大人は子どもの安全を守るために常に彼らに目を配っています。ここミシガン州では十三歳未満の子どもに留守番をさせることも法律で禁じられているのです。
先日一時帰国した際、子どもたちがひとりで出歩いている光景を見て、とても無防備だと感じました。自治体がスクールバスを運行するなどして、彼らをなるべくひとりにさせないようにすることはできないものでしょうか。卑劣な犯罪から子どもを守るには、「目を離さないこと」がなによりも大事だと思います。


子どもの保護義務に関して、欧米の親と日本の親とではずいぶん意識が違っている、という話は聞いたことがある。
イギリスでは、たとえ学校から三十秒のところに住んでいても、子どもは八歳になるまでひとりで帰ることは許されない。その年齢に達しても徒歩で帰るためには届け出が必要で、それがないと家族が迎えに来るまで学校で待っていなくてはならない。
また、法律は十四歳未満の子どもだけで家に置いておくことも禁じている。社会福祉局に知れたら児童虐待で子どもを取り上げられるし、留守番中の子どもの身に何かあったら親は逮捕されてしまう------という内容だ。
日本人の感覚ではにわかには信じがたい話である。これでは親は子どもの送り迎えに毎日相当の時間を割かねばならないし、留守番をさせることもできないとなると共働きなど無理ではないか。
そう思い、ロンドン在住の友人に真偽の程を確かめたところ、規定は自治体によって多少違うみたいだけど、と前置きしてから、
「僕も周囲の同僚も、子どもがひとりで通学するのは十二歳になってからという認識。それまではスクールバスの係員に渡すところまで親が付き添わなくちゃいけない。十二歳未満の保護者なしの外出がご法度なのはたしかだよ」
と話してくれた。
日本では子どもがひとりで留守番やおつかいができると、大人は「えらかったね」と褒める。私たちはそれを成長の証として喜ぶ。しかし、アメリカやイギリスで同じことをしたらネグレクトとみなされ、警察に通報されてしまうのである。
母親が買い物に行っているあいだに子どもがベランダから落ちたとか火事を起こしたという話はちょくちょくあるが、私たちは「そらそんな小さい子をひとりにしたらあかんわ」くらいのことは言っても、児童虐待とはみなさない。わが子を亡くした母親が逮捕されることももちろんない。この違いを生んでいるのは何なのだろう。

心に浮かぶのは、数年前バンクーバーからシアトルにレンタカーで入ったときのこと。入国審査の順番待ちをしていた私はなにげなく事務所の壁に目をやり、心臓が凍りついた。「Missing Children」という題字と子どもの写真が刷られた張り紙が一面に貼られていたからである。
愛くるしい笑顔に添えられた、「この子は何月何日に行方不明になりました」という一文。写真ごとに氏名、性別、生年月日、身長、体重、髪と目の色、最後に目撃された場所などの情報が記載されており、その生々しさに鳥肌が立った。
失踪してから数年が経過している子どももいる。どこかで生きているのか、それとももう死んでいるのか……。
私は言葉を失い、壁の前で立ち尽くした。
そして、とてもいぶかしく思った。ここには大勢の人がいるのに、どうして誰ひとり貼り紙に関心を示さないのか。
「こんなにたくさんの子どもがいなくなってるんですって!」
列に並びながら楽しげにおしゃべりしている人たちにそう言って回りたい衝動に駆られたが、ふと思った。
アメリカの牛乳にはパックの側面に行方不明の子どもの写真が印刷されている、というのは有名な話だ。毎朝冷蔵庫から牛乳を取り出すたび、あどけない笑顔の子どもに「Have you seen me?」(私を見かけなかった?)と問い掛けられるのである。私ならパンがのどを通らないのではないかと思うのだが、あちらの人にとってはおそらくこういう掲示広告は見慣れたものなのだ。“Missing Children”はすでに人をぎょっとさせられるほど奇怪な事態ではなくなっているのではないか、と。
あちらには、「鍵っ子」にあたる言葉も『はじめてのおつかい』というテレビ番組も存在しないであろう。 (後編につづく)

【あとがき】
行方不明といっても誘拐だけではないとは思う。家出や、離婚の多い国のことだから親権者でない親が連れて行ったということもあるでしょう。それでも、日本とは比べものにならないくらい児童ポルノなんていうものが横行している国であることやなんかを考えてしまいます。愛くるしい笑顔の写真に「Missing Children」の文字はあまりに似つかわしくなく、背筋を寒くさせるものがありました。


2004年12月20日(月) web日記サークル

今月は忘年会の予定が四つある。付き合いでのものはひとつもなく、すべて友人や親しい同僚との約束であるが、中でも楽しみにしていたのが先週末の忘年会だった。
心斎橋駅で、「BabyBlue35」のまぁこさんと「flip-flop」のさちさんと待ち合わせ。ふたりとの出会いは昨年秋にさかのぼる。「ボウリングをして遊びましょう!」という企画を立て参加者を募ったところ、どんなメンバーが何人集まるとも知れぬその“闇鍋オフ”に申し込んでくれたのである。
さちさんとは四度目の逢瀬になるが、まぁこさんとは一年二ヶ月ぶりの再会だ。待ち合わせ時間ぴったりに彼女が現れたとき、懐かしさのあまり「きゃああ」とはしたない声をあげてしまった。

こじゃれた居酒屋に移動、まずは共通の友人、つまりボウリングオフのメンバーの近況確認と相成る。
「こないだ○○さんとごはん食べてん」
「わ、元気してた?」
「うん、ふたりに会いたがってた。よろしく伝えてって。そうそう、△△さんも変わりないよ」
主催者である私が言うのもなんだが、このオフ会は成功だったと思う。
その日一日が楽しかっただけでなく、あのとき初対面だったメンバーがいまでも交流をつづけていると聞くし、私も何人かとはその後もちょくちょく会っている。また、ロム専門だったがあの場でみなに勧められてサイトを立ち上げ、いまや日記書きがすっかり生活の一部になってしまった、という女性もいる。
それもこれも私の人徳のなせるわざ……なわけはもちろんなく、参加メンバーの人柄がよかったという偶然の賜物である。私はいまでも、あんな出会いはもう二度とないんじゃないかと思っているのだ。
注文の品がきて、さあ食べようとなったとき、「お箸、このままいっちゃうよー」とさちさんが元気よく断りを入れるので、ふきだしてしまった。
なぜって、私は以前、
「大皿に盛られた料理を何人かで食べるとき、私は取り分け用の箸がなくても気にならないほうだ。潔癖症の友人が同席しているときはやむを得ないが、箸を引っくり返して使うのはてっぺんが汚れて見た目がよくないので好きではない」
と書いたことがあるのだ。
“日記の人”と会っていると、こういうことはよくある。別の友人は私と歩いたりカウンター席に座ったりするとき、「こっちがいいんでしょ」と言って左側を譲ってくれる。彼女もやはり、「私は利き顎が右だから、右側に顔を向けながら話すのが落ち着く」と書いたのを覚えてくれているのである。
面と向かってそんな話をしたことはないのに、と思ったら、可笑しいやらすまないやら。しかし、私もきっと同じようにほかの誰かに無意識のうちに気を回しているのだろう。

日記リンク集っていうのは結局、“web日記サークル”なんだよね、という話になった。日記の読み書きを趣味とする人間の集まりとはいっても、位置づけや楽しみ方は異なる。友達づくりが目的の人がいれば、作品を公表する場と考えている人もいる。無理をしない範囲でのんびりという人がいれば、目指すところを持って貪欲に取り組む人もいる。人気者がいればトラブルメーカーもいて、会員間での恋愛があればケンカもある。
そして、その巨大なコミュニティーの中で「言葉を交わしたことがある」人の数は少なくないかもしれないが、心を許したり信頼したりできるまでに至る縁はほんのいくつかしかない。
私は「なぜ日記をつづけているのか」を考えることはまずないが、なぜはじめたか、つまり日記というものにめぐりあった理由については確信がある。そこに出会わなくてはならない人たちがいたからだ。
「日記の世界も、れっきとしたリアルの一部なのだ」
このごろ、つくづくそう思う。

店員さんの「ラストオーダーになります」の声にはっとあたりを見渡して、驚いた。
両隣の個室にもカウンターにも客はいず、フロアはいつのまにか貸し切り状態。入店して五時間後の二十二時過ぎまで、私たちの誰ひとりとして腕時計を見なかったのである。
「『日記日記って、この人らええ年して交換日記でもしてんのかいな』って周囲のお客に思われたんとちがう?」
「ええー、むちゃむちゃマニアックな人やん」
「たいして変わらんと思う……」
うん、たしかに。
会ったことがあるとないとの差はもちろん大きいが、一度きりかそうでないかでもまたちがう。何年ぶりであろうが顔を見た瞬間にセーブデータがよみがえり、前回のつづきからゲームをはじめることができるのだ。
昨年たくさんの種を蒔いたから、今年はいくつもの再会があった。来年も地味にサークル活動を楽しみたいなあ。そんなことを思いながら、最終電車で帰途に着いた。
(音頭をとってくれたまぁこさん、お店の手配をしてくれたさちさん。おかげで楽しい半日を過ごすことができました。本当にありがとう!)

【あとがき】
どういう流れだったか、ナンパメールが来るとか来ないとかいう話になり(これはどのオフ会でもたいてい出てくるテーマのひとつだ)、「うち?まったくない。断じてない」と答えたら、一瞬の躊躇もなく「うん、そうやろね」と頷かれてしまった。「会ったらフツーのオネエチャンなんやけどね」とな。やはり、サイトの中の私はかなりコワモテに見えるらしい。たしかに「怖そう」「気が強そう」としばしば言われるけれど、それは世を忍ぶ仮の姿。一対一で話したら、私はとってもフレンドリーなのよ。
ある女性日記書きさんには「小町さんは日記とメールの印象に二十倍ギャップがある」と言われたし、あるオフの席でみなが口を揃えて近寄りがたい雰囲気の人だと思っていたというので、「そんなことないわよ、ねえっ?」と隣りに座っていた私よりうんと若い女性に同意を求めたら、彼女はちゃんと答えてくれたもん。
「え、あっ、は、はい、小町さんはメールでは、す、す、すごくフレンドリー……」
しどろもどろの彼女にみなから同情のまなざしが注がれました。


2004年12月17日(金) 待っててね。

今月初めに髪を切りに行った美容院からハガキが届いていた。
担当してくれた美容師さんの直筆でメッセージ欄がびっしり埋められている。もちろんその大部分は「髪の調子はいかがですか」「ブローはうまくできていますか」といった、客を選ばない内容だったのであるが、文末に「その後、前髪はどうですか。次回お目にかかれるのを楽しみにしています」という言葉を見つけた。
あるスタイルをお願いしたところ、これをするならフロントには分け目がないほうがいい、さりげなく流しましょうと提案された。
しかし、長いあいだセンターやや右寄りで分けてきた私の前髪にはすっかりくせがついている。彼はそれを見て、「じゃあ、もし次回の来店時にこの分け目が消えていたら、がんばってブローをしたんだなということでトリートメントをサービスさせていただきます」と言ってくれたのである。
それから二週間たったいまでも、ひと風吹けば私のフロントには分け目が鮮やかによみがえる。すでにあきらめモードなのだが、「ぜんぜんだめじゃないですか」と叱られそうで、その美容院の前を通るときはつい小走りになってしまう私である。

……あらら、いきなり話が脱線してしまった。書こうとしていたのは、私がこの手のハガキに弱いということなのだ。
使い回しの文面が大半を占めていても、手書き、なおかつ自分用のメッセージが二言三言添えられていると、心証はまったくちがう。
二週間ほど前にもスポーツクラブのスタッフから「最近お越しになっていませんが、お元気ですか」というハガキをもらったのであるが、一読してポイということはやはりできない。
こういうものに返事を書く客はいないだろうし、私も書いたことはない。しかしながら、自分に投げられたとわかっているボールを返さないでいるのはなにかこうすっきりしない。誰かから本を借りたままという状態にあるときと同じ程度に、その出来事は心に引っ掛かりつづける。
自分に宛てて書かれた手紙を読みっぱなし、もらいっぱなしにするというのが、私はあまり得意ではないようだ。

先日、ある日記書きさんと話していたときのこと。「したいこと、しなくちゃいけないことに対して時間が足りない」ということで意見が一致した。もちろん日記書き関連の話である。
彼女は掲示板の書き込みになかなかレスをつけることができないという。仕事を持っている彼女が「日記を書くので精一杯」になるのはいたしかたないことなのであるが、それを心苦しく思う気持ちはとてもよくわかる。
私も同じである。いただいたメールの九十九・九パーセントに返信するのは「そうしたいから」以外の何物でもないが、それがかなり遅れてしまうことがこのところよくあるのだ。
私のweb日記活動には四つの事項がある。「自分の日記を書く」「誰かの日記を読む」「もらったメールに返信する」「誰かに感想メールを送る」である。
優先順位をつけると、
「日記を書く」
「メールに返信する」
「日記を読む」
「感想メールを送る」
となり、パソコンの前にいられる限られた時間を配分している。
……と言いたいところであるが、実際は翌日アップする日記を書いただけで時間切れになることが少なくない。つまり、持ち時間のすべてを日記書きで使い果たしてしまうということだ。
が、そういう日がつづくと、メールを送った人にとっては「返事がまだなのに更新は行われている状態」になるわけで、すまないなあといつも思う。「こんなに長い文章を書く暇があったら、返事くらい書けるだろうに」と思われているのではないか、とも考える。しかし、これが私の不器用なところなのだが、最優先事項をある程度片づけないことには次にかかることができないのである。
ほかの書き手に対し、もらったメールには返信すべき、と思うことはない。仕事や家庭を持つ人がサイトをつづけることの大変さは十分知っている。無理に両立しようとせず、日記書きに注力して明日もいいものを読ませてくれたほうが結果的にはずっと親切である。
しかしそれでも、自分は時間をやりくりして返事を書きたいなあと思う。私はそこからどれだけ力をもらっているか知れない。
それに以前、こんなことがあった。「私はなにか失礼なことを言ったのでしょうか」ではじまるメールが届いた。なんのことだろうと読み進めたら、一週間ほど前に送ったメールの返事が来ない、小町さんは必ず返事をくれる人なので気になって……という内容であった。
フォームから送ってくれたというそのメールはなぜか私の元には届いていなかったのだが、このとき、返事がない状態というのは人をこんなにも不安にさせるのかと思ったのだ。
私からの返信を心待ちにする人がいるとは思わないけれど、誰かになんらかの働きかけをしたらリターンを求めるのは自然な心の動きである。壁に向かってボールを投げたような気分には、できればさせたくない。

長々と書いたが、今日は結局なにが言いたかったのかというと。
「お返事、激しく遅れております。週末にゆっくり書かせてくださいね」
ということであります。

【あとがき】
そんなわけで、日記の新規開拓なるものはもう何年もしていません。仕事や家庭を持ちながら、日記を更新し、あちこち読み、コメントを送り、返事を書いている人もいるのでしょうけど、私にはとても無理だー。


2004年12月15日(水) 脳内デート

学生時代の友人が実家の用事で帰阪していたので、ひさしぶりに会った。大学卒業後まもなく結婚、地方に移り住んだ彼女は梅田に出てきたのは七、八年ぶりだという。
「えらい派手なもんができたんやねえ」
と窓の外を指差す。その先には東京タワーのように真っ赤な骨組みでできた大観覧車。阪急グランドビル最上階のレストランからHEP FIVEの屋上にそびえるそれは、かなりの迫力で見えた。
照明がいろいろなパターンで点いたり消えたりするので、見ていて飽きない。しかし、ゴンドラ内はうまい具合にというべきか当然というべきか、暗いままキープされるようになっている。
「やっぱみんなキスとかしてるんかな」
と彼女。
「そりゃあそうでしょ。カップルは夜景を見るためというより、ふたりきりになりたくてあれに乗るんやから」
「でもさ、観覧車中のカップルが同じことしてるって考えたら、なんか気持ち悪くない?この瞬間に前も後ろも……と思ったら、私やったらする気なくしそう」
天の邪鬼な彼女らしい発想だ。でも、私は他のカップルと同じであろうがなかろうが、したいもんはしたい。するもんはするのだ。
彼女は「いかにもあんたらしい」と言わんばかりに大きく頷いた。
「で、小町ちゃんはあれ、乗ったことあるん?」
「まだないねん」
「ってことはもうないってことか」
そう、そうなのだ。そのあたりは週末に夫と歩くことがあるが、あれに乗ろうよ!と彼が私の袖を引っ張る図を想像するのはかなりむずかしい。それは友達以上恋人未満、あるいは生誕一年未満の発展途上カップルのための空間であって、年季の入ったカップルが興味をそそられるものではない。つまり、私にその機会が訪れることはこの先もないということだ。
そう考えると、やはり無念である。自慢じゃないが、私は過去に男の人と観覧車に乗ったことがない。そこではどんな展開が待っているのだろうか。

男性に続いて乗り込んだ私は彼の目を見つめて言う(関西弁ではムードに欠けるため、ここは標準語でいこう)。
「私、どこに座ったらいい?」
もしきょとんとして向かいの席を指差す男性がいたら、私は彼に猛省を促すだろう。なにがかなしくて観覧車で向かい合わせに座らねばならないのか。一周するあいだ、延々と説教するにちがいない。
このシチュエーションでは、どう考えても正解は「さっと奥に詰め、自分の隣りに場所を作る」である。「にっこり笑って、ぽんぽんと自分の両膝を叩く」余裕があれば、なおよろしい。
そして私が腰掛けると、彼がまじめな顔で言う。
「あっ、いまゴンドラがすごく傾いたような……」
「えー?ヒッドーイ!」
ここで私はこぶしを振り上げて怒るフリ。
「あははは、冗談だよ。ほら、今日は晴れてるから明石大橋まで見えるかもね」
「そんな遠くまで見えるかなあ」
「じゃあ賭けようか」
「いいよ。でもなにを?」
「じゃあね、もし俺が勝ったら……」


な、なんて楽しそうなの。若いうちにこういう思い出を作っておきたかった……とうなだれたら、彼女があきれ顔で言った。
「夢を潰すこと言うようやけど、この時期に乗ったらたぶんすっごい寒いと思う。隙間風とか入ってきて」
「ううん、大丈夫。冷暖房完備やから。ちなみにBGMも流れるねんで」
「そうなん、すごいな。じゃあ料金けっこう高いんかもね」
「いや、できた当初はひとり千円やったけど、いまは値下げして五百円になってる」
「えらい詳しいね」
こういうのを往生際が悪いというのだろうか。

駅で、私の前を行く女の子が何度も振り返っては誰かに手を振る。そこに彼がいるのだということは、その名残惜しそうな様子を見れば確認しなくてもわかる。
「付き合いはじめたばかりなんだろうな。初々しいな」
そして彼女がひときわ大きく手を振り、タンタンと階段を上ってホームに消えた後、私はもういいかな?と振り返った。男の子がどんな表情をしているのか興味があったのだ。
驚いた。彼は改札の向こうでしゃがみ込んでいた。おそらく、彼女を見失う瞬間を一秒でも遠くにやろうとして。
私は胸がきゅっとなった。人生はこの先も長い。でも、私の背中をこんなふうに見送ってくれる人はもう現れないだろう。
「あの人と観覧車に乗りたい」
誰かのことをそんなふうに思える時間は限られている。そういう相手がいる人は、いまをうんと大事にね。

【あとがき】
そもそも男性と遊園地に行った経験がないですね。東京ディズニーランドには行ったことがあるけど、あそこは観覧車はなかったし。お付き合いした人の中に、行列するのを苦にしない男性はいなかったもんなあ。いや、私自身むかしから遊園地デートには興味がなかったような気がします。そういえば、デートで映画を見に行ったことも一度しかありません。
え、もしかして小町さん、デートの経験自体が少ないんじゃないのって?失礼しちゃう、学生時代なんてデートしかしてなかったわよ!……ってそんなの自慢になりません。


2004年12月13日(月) 「ベジタリアン」として生きる。(後編)

私が彼女にしたふたつめの質問は、「家族もベジタリアンなのか?」ということだった。
彼女が菜食生活に切り替えたのは結婚後のことである。夫にはサラリーマンの付き合いがあろうし、小学生の娘には給食がある。どちらも彼女のように肉も魚も卵も排除した生活を送ることは不可能なのではないかと思ったのだ。
答えは、「外では好きなものを食べてるよ。でも、家ではベジタリアン料理しか出さないけどね」というものだった。
「だんなさんは毎日肉のない食事で文句言わん?自分たちのは普通のを作ってくれ、とか」
「でも私、肉とか触れんし」
「ふうん、生臭いから?」
反射的に返してから、ハッ。ああ、私ってばやっぱりぜんぜんわかっていない
彼女のような厳格なベジタリアンが肉を切ったり魚をおろしたり、煮たり焼いたり、なんてことができるはずがないではないか。“卵OK発言”につづき、またしてもとんちんかんなことを……。
自己嫌悪のあまり、私は頭で釘を打ちたくなった。
「家族に菜食を強要する気はないんよ。でも、娘がもう少し大きくなって自分の考えでベジタリアンになってくれたらうれしい」
これを聞いて、彼女と話しているあいだに何度となく説法を聞いているような錯覚にとらわれた理由がわかった。菜食に傾倒する姿には神仏を信仰する人たちに通じるものがある。
「今度うちにおいでよ、食べさせてあげるから。でさ、小町ちゃんも一週間に一日でいいから菜食してみん?」
うん、やっぱりとてもよく似ている。

ところで、話を聞きながら不思議に思っていたことがある。
私がベジタリアンに出会ったのは彼女が初めてだ。なのに、彼女のまわりにはどうしてそんなに“菜食仲間”が多いのだろう?
「私、アムウェイやってるんよ。そこで知り合う人たちにベジタリアンって多いねん」
アムウェイの製品は開発段階で動物実験をしていない。そのため、動物の犠牲の上に作られた化粧品や洗剤を使う気になれない人たちが自然に集まってくるのだ、ということであった。
ケージの中から首だけを出したガチョウの口に漏斗をくわえさせ、毎日毎日大量の餌を送り込む。数週間の“拷問”の末、普通の十倍にも肥大した肝臓を取り出す------私が「フォアグラ」の生産に対して感じている残酷さとおぞましさを、そういった人たちはあらゆる工業畜産に感じているのだ。私が歩くこともできぬほどに腹部が垂れ下がったガチョウに感じる痛みと哀しみを、彼らは肉やモノになるべくして人間に命を与えられ、そして奪われる動物すべてに感じるのだ。
彼らは毛皮やダウンジャケットを着ないだろう。革のバッグや靴を持たないだろう。羽毛布団では眠らないだろう。菜食主義というのは「食」にとどまらない、「衣」や「住」をも貫くものだったのである。
ここでまた、私の前に新たなうろこの山ができた。
「菜食してると、自然に勉強家になるで」
と彼女は笑う。口にできるもの、できないもの、身につけられるもの、つけられないものを知っておかなくてはならないが、ベジタリアン・フレンドリーでない日本には既存の情報はほとんどないからだ。
この国でそれを実践し続けるのはさぞかし苦労が多いにちがいない。偏見の目で見られることもあるのではないか。
そう問いかけようとして、言葉を呑み込んだ。
ゼラチンでできているからとカプセルの薬も拒むほどの覚悟を持って、ベジタリアンをしている彼女である。変わり者だと思われることくらい、どうということもないのかもしれない。

夕食のハンバーグを作りながら、ふと思う。
一枚肉ならまだしもミンチにかけられた肉、それを素手でこねている私を見たら、彼女は卒倒するかもしれないなあ……。
それは例外なく、動物の命と引き換えに私に与えられたもの。余さずおいしくいただく、それが肉や魚を食す人間の務めであり、私たちに可能な唯一の供養であろう。
私はフライパンに並んだハンバーグをいつもの何倍も慎重に引っくり返した。

【あとがき】
菜食主義といっても、「肉は食べないけど、魚は食べる人」「肉も魚も食べないけど、乳製品や卵は食べる人」「そのすべてを食べない人」などいろいろいるそうですが、同僚の女性は牛乳は飲むけど、卵やチーズは食べないので、完全菜食者(卵も乳製品もとらない、植物性食品だけのベジタリアン)に近いです。
「野菜ばかりで栄養的に大丈夫なのか?」については、ベジタリアンは大豆などの豆類からタンパク質をとるのでまったく問題ないとのこと。そうは言ってもねえ、と言いたくなるけど、オリンピックの陸上競技で四大会連続金メダルを獲得したカール・ルイスが完全菜食者だそうで……納得しました。


2004年12月10日(金) 「ベジタリアン」として生きる。(中編)

菜食生活について聞いているうちに、私の中にいくつかの疑問が湧いてきた。
しかし、無知はしばしば人を無神経にする。私にとっては素朴で無邪気な質問でも、相手が気分を害さないともかぎらない。しばし迷う。
が、思いきって尋ねてみることにした。それらを確認せずして、これ以上彼女の菜食主義を理解することはできない。それに、いつも言ってくれているではないか。「そういう遠慮のないとこ、好きやわあ」と。その言葉に甘えてみよう。
「でもそうは言っても、肉けのものが食べたくなることもたまにはあるんやない?」
彼女に「意地の悪いことを言う」と思われてもしかたがないようなことを考えたのは、ベジタリアン用の中華料理店の前を通ったときのことを思い出したからだ。
ショーウィンドウには酢豚に回鍋肉、青椒肉絲に棒棒鶏といったメニューの皿見本がずらり。「これのどこが菜食?」と首を傾げたが、よく見るとすべての料理名の最後に「風」の一文字がついていた。
そう、肉や魚に見えるものはすべて、大豆たんぱくや小麦グルテンといった植物性の素材で作られていたのである。
「へえ、この鶏肉が湯葉!え、イカはこんにゃく?」
サンプルではあるが、本当によくできている。私はそのアイデアと技術に舌を巻いた。が、その一方で、釈然としないものを感じた。
「肉を口にしたくなくて菜食をしている人のための店に、どうしてわざわざ本物の肉や魚に似せて作った料理が存在するのだろう。野菜で作ったオリジナルメニューでよいではないか」
そして思った。野菜不足の食事が続くと、無性にサラダが食べたくなることがある。それと同じで、主義主張で肉を断っても体が自然と欲することがあるのに違いない、と。でなければ、“もどき料理”など生まれるはずがない。
しかし、彼女はきっぱりと言った。そういう料理は遊びのようなもので、本物の肉や魚だと思いながら食べるわけではない。肉が恋しくなることはまったくないし、もし本物を口にしたら具合が悪くなると思う、と。
「ふうん、やっぱ長いこと食べてへんと体が肉を受け付けなくなるんや」
「そうじゃなくて、良心の呵責で」
これを聞いた瞬間、腑に落ちなかったことのいくつかが消滅した。ものすごく素直に納得した。ああ、だから彼女はこれほどまでに徹底的に口にするものの中から動物性食品を排除しようとしているのだ、と。
十年近く、彼女は旅行に行っていないという。菜食生活をはじめたら、外で食事ができなくなったからだ。
飢餓救済や環境保全、動物愛護といった理由でベジタリアンをしている人たちは、肉や魚が目に見える形で入っていなくても、原材料にまでさかのぼって動物性成分の混入がないかを確かめる。そのため、素人にはなんの問題もないように思われる食品にも彼らが口にできないものがたくさんある。
たとえば、フライドポテトやゼリー。揚げ油にはラード(豚の脂)が混じっているし、ゼラチンは牛の骨や皮が原料である。牛骨からとったブイヨン、卵や動物性のエキスが含まれる調味料、つまりマヨネーズやトンカツソースももちろんアウト。つゆに煮干しやかつお節が使われていないことが証明されないかぎり、彼女はざるそばさえ食べられない。
そんな生活を“我慢”で続けられるわけがないのである。 (後編につづく)

【あとがき】
こだわる人は、家で飼っている猫や犬にも動物性のものを与えたがらないそうです。そのため、ベジタリアン用のドッグフード、キャットフードも売っているとか。それを聞いて考え込んでしまいました。人間は雑食性の動物だけど、猫は肉食獣だし、犬も肉食性の強い雑食獣。もちろんベジタリアンペットフードはそのあたりの栄養も考えられているのだろうけれど、本来肉を食べて生きる彼らに植物性のものしか与えないという飼い方には疑問を感じます。


2004年12月08日(水) 「ベジタリアン」として生きる。(前編)

「急がないなら、帰りにお茶しませんか」
仕事中、同僚から届いたメールを読んで小躍りする。なぜなら、差出人が以前から憎からず思っていた男性だったからである。
……というのは冗談で、もっと親しくなりたいなあと思いながらも、ある事情により私からは食事やお茶に誘うことができずにいた人だったからだ。
少し前の日記で、食品添加物や化学調味料を嫌って市販の弁当やパンは食べない、外食はしない、会社で配られる土産の菓子にも手を出さない女性の話をしたのを覚えておられるだろうか(こちら)。
私は彼女が好きで、食事が無理でもお茶ならどうだろう?と考えたことが何度もあった。しかし、みながマグカップにコーヒーを注ぐ中、ポットに入れて持参した“マイ・ティー”を飲む人であること、仕事帰りにお茶ではこちらはよくても彼女のおなかは空くだろうことを思うと、声を掛けるのをためらわずにはいられなかった。
その彼女からのお誘いである。
「ごめんな、お茶しかできんくて。この辺で私が入れる店、ないんよ」
彼女がベジタリアンであることはちらっと聞いたことがあった。しかし、そのとき私は理由や詳細を尋ねなかった。宗教がからんでいたら反応に困るなあと思ったからだ。
だから私は今日初めて、自分が「菜食主義」というものについてまるで認識違いをしていたことを知った。ミルクティーを飲みながらの三時間のあいだに、私の目からうろこが何十枚も落ちた。

私はこれまで、そういった人たちが肉や魚を口にしないのは美容や健康のため、あるいは動物を殺すことへの罪悪感からであろうと想像していた。が、彼女が言うには「それもあるけど、欧米のベジタリアンは飢餓救済や環境保全を考えて菜食生活を実践している人が多い」らしい。
彼女もその口である。ベジタリアンになったきっかけは豚の屠場で断末魔の叫びを聞いたことであるが、肉断ちを決心してからいろいろ勉強したという。
「世界では二万五千人もの人が毎日飢えのために死んでいるけど、食肉にするための家畜に与えている穀物が発展途上国の人たちの口に入るようになったら、その数字は格段に減る。先進国の人口に占めるベジタリアンの割合が現在のアメリカにおけるそれと同じになったら、餓死者はゼロになるんよ」
彼女がそれを「日本国際飢餓対策機構」という、私が見たことも聞いたこともない機関に問い合わせて確かめたというので、仰天してしまった。
「スリムでいたい」「動物がかわいそう」といった個人感情のレベルの話ではなかったのだ。
私が勘違いをしていたのはそれだけではない。
菜食主義を「肉と魚、すなわち命を奪って食料にしたものを避けること」と解釈していた。だから、食品添加物の類もできるかぎり排除したいと考えている彼女の場合は別にして、ふつうのベジタリアンは野菜カレーや山菜そばといったメニューであれば外食することも可能なのだろうと思っていた。
しかし、菜食生活というのはそんな生半可なものではなかったのである。

彼女は一切の肉類を口にしない理由のひとつに、「どんな動物にも生きる権利があるはずだから」を挙げる。うん、殺生に対する嫌悪は理解できる。
しかし、チーズもだめだというのはなぜなのか。牛乳が「牛を殺していないからOK」であるなら、チーズだって同じではないのか。
彼女は「レンネット」というものを知っているか、と私に尋ねた。初めて聞いたと答えると、こう続けた。
チーズの製造過程で牛乳を固めるために加える酵素なのだが、それは生後一ヶ月の牛の第四胃袋から抽出されるものである。胃袋を取り出された仔牛は死ぬ、だからNGなのだ、と。
ここまで厳密に口にするもの、しないものの線引きをしているのか。ハンバーガーからハンバーグを取り除けば食べられるのでは、くらいに思っていた私は本当に驚いた。
しかし、「じゃあ卵は大丈夫やね。だって鶏、殺してないもん」という言葉が口をついて出たとき、私は自分が菜食主義というものについてまだまだぴんときていないことを知った。
首を振る彼女になんで?と問いかけようとして、ハッ。
卵こそ、“命”そのものではないか。 (中編につづく)

【あとがき】
「ベジタリアン」に出会ったのは初めてです。口にするものの中から徹底的に動物性のものを排除する、その恐るべき執念(情熱というべきか)については次回。