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2004年12月24日(金) もう、無料ではない(後編)

では、日本はどうか。
いまも「水と安全はただ」と思っている人は、いったいどのくらいいるだろう。奈良の女児誘拐殺人事件以降、新聞の投書欄で子どもの安全についての文章を見かけない日はない。
「子どもが小学校から不審者情報のプリントを持ち帰るようになった。ひとりで外出させないように、とも通達があった」
「名札をつけたまま登下校させるのは危険ではないか」
「子ども好きなので近くで遊んでいた子どもに話しかけたら、母親らしき人が飛んできて、『うちの子がなにかしましたか!?』と詰め寄られて慌てた」
こんな話が毎日のように掲載されている。
同僚は小学五年生の息子に、「家にひとりのときはチャイムにも電話にも出なくていい」「車に乗っている人に道を訊かれたら、ガードレールをはさんだまま教えてあげて」と言い聞かせているという。
池田付属小学校児童殺傷事件の後、忘れ物を届けに来た保護者でもIDカードなしでは校内に立ち入ることができなくなった。子どもたちには学校から防犯ブザーが支給され、親たちには数週間に一度、放課後に自転車で近隣をパトロールする当番が回ってくるのだそうだ。
「最近は家でゲームでもしといてって思う。友達のとこに遊びに行ったらそこまで迎えに行かなあかんねんもん」
「へえー、息子でも迎えに行くん」
「いまは男の子でも性犯罪のターゲットになるやろ。なんかあってからじゃ遅いから」
職場の休憩室の壁にもう一年半も貼られたままになっている「吉川友梨ちゃんを探してください」のポスターを見ながら、彼女は言った。

「人を見たら疑えと教えねばならないとは、何と悲しい世になったのでしょう」
「誰も信じてはいけないのでしょうか。これから子どもにどう教えていけばいいものか、悩む毎日です」
投書の多くはこういった憂いの言葉で締めくくられている。
新聞やテレビでさんざん報道されているにもかかわらず、オレオレ詐欺に引っかかる大人がいくらでもいるのだ。「お母さんが事故に遭った。いますぐ病院に行こう」と言われたら、そりゃあ子どもはびっくりして車に乗ってしまうだろう。だから人を信用する前に警戒することを教えねばならないわけだが、切ない話である。
私たちの親は「知らない人について行っちゃいけない」と子どもに言い聞かせたが、いまの親は「知ってる人でもだめ」と言わねばならないのだから。
私が子どもの頃は、昼間は鍵をかけない家が多かった。しかし気がついたら、帰宅と同時にチェーンまでかけるのが常識という世の中になっていた。こんなに戸締まりに神経質になったのはいつごろからなのだろう。
何十年か後、
「おばあちゃんが小学生の頃は、みんなひとりで歩いて学校に通いよったんよ」
「えー、そんなことして平気やったん?」
なんて会話を孫としたくはないけれど、どうなっているであろうか。

【あとがき】
私が子どもの頃は、体操服の短パン姿で学校に通ったり放課後遊びに行ったりしていました。いまはまず見ませんね。そんな格好で女の子がうろちょろしていたら、おかしな人に目をつけられていたずらされかねない。当時は校門に警備員が立っているなんてことはなかったし、というより門自体開けっ放しでした。名札をつけたまま登下校するのは無用心だというようなことも、私が大人になってから耳にするようになった意見です。そう思うと、私の頃はいまよりはずっとのどかで平和だったんだなあと思います。