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2004年03月29日(月) 顔出し

書店で平積みされている本の山の中に、山田詠美さんのエッセイを見つけた。
彼女の作品は一度も読んだことがない。何ページか読んでみようと表紙を開き、私は目が点になった。
「うわ、すごいな」
表紙の裏の著者プロフィールの写真のことだ。私がこれまでにその欄で目にしたことがある作家のそれはどれも気取りのない自然体の、言い換えれば地味な写真ばかりであった。やや緊張した面持ちで正面を見据えていることもあれば、誰かと話しているところを撮ったのか視線がこちらを向いていないこともあったが、「さては特別映りよく撮れたのを使ったな」と思ったことは一度もない。
しかしながら、山田さんのそれは様子が違った。肩が大きく開いた服に頬杖をついたポーズ、その手には指輪に時計にブレスレットが何本か。こちらが恥ずかしくなるくらいキメキメなのだ。
こういうちっともさりげなくない写真を照れもなく採用できる女性というのは、いったいどういうタイプの人なんだろう。にわかに興味が湧き、試し読みもせず本をレジに運んでしまった。

たいていの日記サイトにもプロフィールのページがある。
自分がそうだからという理由で、私は長いこと「書き手はモニターの向こう側の人に顔を知られたくないもの」と思い込んでいたのであるが、実際は、とくに女性はそんなこともないみたいだ。
サイトの中で私がお顔を拝見したことがある男性の日記書きさんは四人しかいないが、女性なら十数人いる。街ですれ違ったら気づけるのではないかと思うくらい顔がはっきりわかる写真だけで、だ。
訪問するのが女性の日記に偏っているということはないので、男性よりも女性に容貌を披露したがる傾向があると私は見ている。顔は写っていなくても、たとえば組んだ足であったり後ろ姿であったりを壁紙にしているのも決まって女性である(男性がそういうことをしているのは見たことがない)。
さて先日、日記リンク集から偶然飛んだ先は女性のサイトだったのだけれど、日記のページにご本人の写真が何枚も貼られてあったので、私はとても驚いた。それはプリクラのような「目をこらしてもよくわからんなー」な代物ではない。ぼかしを入れたり目の部分を隠したりもしていない、実に鮮明な写真である。
照れのようなものがまるで見当たらないので、タレントのような仕事をしている方のPRを兼ねたページなのだろうかと考えたほどである。「私を見て!」をこれほどストレートに表す人もめずらしい。
あまりにも潔いそれらの写真を見て、大きなお世話と知りつつ余計な心配をしてしまう私だ。私のようにたまたま飛んできた人間にも姿かたちを公開して、厄介なことは起こらないのだろうか。
女性が今度どこそこに出張だの旅行だのに行くと書くと、読み手の男性から「食事でもどうですか」と誘われるという話をときどき耳にする。顔を明かしていなくてもこうなのだ。美人の彼女のところにはなおさらその手のナンパメールが届くのではないかしら。あらぬことを期待して訪問する男性ももちろんいるであろう。そういうのは嫌ではないのだろうか。
太陽が西から昇っても顔出しなど考えないであろう私は、そんなことを考えずにいられない。

私にも素敵だなと思う日記書きさんがいるけれど、プロフィールに写真を載せてくれればいいのにとはまったく思わない。
顔が明らかになった瞬間、彼らは「この日本のどこかで生活する一人の人間」になる。その存在はにわかに現実のものとなる。でも、この敬意やほのかな恋心は自分の中にそっと置いて、愛でるためのものだから。手の届かないところにいてくれていい。

【あとがき】
私が顔出ししない理由?それはもう、知人にサイトバレしたら困るからです。それとまあ、読み手の方の中にあるイメージを破壊するのも気がひけますのでね……(破壊するほどのものが皆さんの中にあるかどうかは置いといて)。


2004年03月26日(金) 気になる男性からは言われたくないこと

林真理子さんのエッセイにこんな話があった。
あるとき雑誌に載ることになったのだが、そのページに知人が彼女についてコメントするスペースがある。友人から林さんへのオマージュというやつだ。彼女はそれをふだんからいいなと思っている、友人一ハンサムでインテリな男性に依頼した。
彼の目に自分がどんなふうに映っているかがわかる、と彼女はとても楽しみにしていた。はたして出来あがってきた文章はユーモアとエスプリがきいたすてきなものであった。
しかし実を言うと、一箇所だけ気になるところがあった。

「料理を食べるのも早い」
というくだりに私はちょっと傷ついた。少なくとも気になる男性から言われたくなかった。そうか、よく一緒に食事をしたが、私って本当に色気のない食べ方をしていたのねと深く反省した。


「わかるなあ、それ」
私は思わずつぶやいた。食べるという行為は驚くほど人を無防備にする。食べ姿には知らず知らずのうちにその人の品性が表れているものなのだ。
会社の昼休憩にさっと食べて席を立つ、ということなら話は別だが、それ以外のシーンでの女性の「食べるのが早い」はやはり色気のなさと結びついているような気がする。いかに都合よく解釈しようと試みても、褒め言葉として受け取るのはむずかしそうだ。私がこれを言われたら、赤面し、やはりちょっぴり落ち込むだろう。

女性やノーマークの男性から言われてもなんともないが、憎からず思っている男性からだと複雑な気分になる言葉というのは、私にもある。そのひとつが、「小町さんってお酒強そう」というものだ。
サークルや職場の飲み会に出ると、やたらビールを注ぎに来られたものだ。彼らがよからぬことを考えて私を酔わせようとした……なんてわけはもちろんなく、私がイケる口だと信じて疑わなかったらしい。「ごめんやけど、私、お酒弱いんよ」と手でコップに蓋をしても、「ハイハイ」と無邪気に払いのけられるのが常であった。
ある男性と初めてふたりで飲みに行ったとき、私は化粧直しにトイレに向かう途中で気分が悪くなってしまった。あ、やばいとその場にしゃがみ、持ち直すまでしばらくうずくまっていた。その後席に戻った私を見て、彼は「顔が真っ白だよ!」と声をあげた。少し具合が悪くなっちゃって……と答えると、「もしかしてさっきしゃがんでたの、それで?」と彼。
「そうだったの!てっきり靴の紐を直してるんだと思ってた」
あなたは靴紐を結ぶのにいったい何分かかるのよと言いたくなったが、彼もまた私がチューハイ一杯半で酔いが回る女だとは夢にも思っていなかったそうだ。
「飲めそう」がなぜうれしくないか。お酒に強そうな女性といって私が思い浮かべるのが、江角マキコさんや和田アキ子さんといった、私の目に「色気に欠ける」と映る女性たちだからである。男性に「姉御肌」「豪快」「男性的」というイメージを持たれるのは私の望むところではない。
そんな話を友人にしたところ、「言われたらショックな言葉、私にもあるわ」と彼女。
森高千里似の彼女は美人揃いの私の友人の中でもピカ一のルックスだ。そんな彼女が歓迎しない言葉とは、「○○さんって遊んでるんでしょ」というもの。
男性は「こんなにきれいなんだから男がいないわけがない。いつまでも結婚しないのは独身生活を謳歌したいからなんだろう」と考えるらしいのだが、彼女は「冗談じゃない、遊ぶどころか彼氏もおらんのに」と声を荒げる。
恋人はいないと言っても信じてもらえないなんてうらやましい気もするが、当の本人にはきわめて深刻な問題であるようだ。
彼女はこの春、彼氏いない歴十三年目に突入する。

【あとがき】
彼女は本当に美人なんですね。スタイルも抜群だし、性格もいい。それなのに、大学時代にひとり付き合ったことがあるだけで、以降はさっぱりなんだそうで。なにが敗因なのか私にはわかりません。やはり何事もホドホドがいいということでしょうか。きっとキレイ過ぎると男性は気後れしてしまうのでしょう(自分に自信のある男性は少ないしね)。


2004年03月24日(水) 区別と差別

ネットニュースの記事一覧の中に「『坊っちゃん湯』を男女平等に」という見出しを見つけ、どきりとしたのは私だけではないのではないか。
「性差別だから名称を変更しろとか、『嬢ちゃん湯』も作れとか、まさかそんな話じゃないでしょうねえ」
あわてて読みに行くとなんのことはない、道後温泉本館は現在浴室数、広さとも男湯のほうが優遇されているが、男性客より女性客のほうが多い現状を踏まえて女湯のスペースを広げることになった、という内容であった。
なあんだ、営業上そうしたほうが都合がよいから改築することになった、というだけの話なのね。「男女平等に」なんて書くから、てっきりまた性差別だなんだといった議論が持ち上がったのかと思っちゃったワ。
小町さんの発想が飛躍しすぎなのよと言うなかれ。以前、「なんにでもかんにでも男女平等を唱えりゃいいってもんじゃない」と書いたときにこんなメールをいただいたことがある。
「うちの近所に『婦人センター』っていうのがあったんですが、何年か前に『女性センター』に名前が変わりました。そして去年からは『男女平等センター』になりました」
私が理解に苦しむような部分にこだわる人というのは、世の中にはたしかに存在するのである。

男女平等といえば、春場所の千秋楽に優勝力士に土俵上で知事賞を手渡したいという太田房江知事の要望を大相撲協会が「女人禁制」を理由に今年も退けたことについて、夜のニュース番組で特集していた。
その中で、「知事が土俵に上がることについてどう思うか」を梅田や難波で一般の人に質問している模様が流れた。
「伝統、伝統って、いまはそんな時代じゃないでしょう」
「職場にもどんどん女性が進出してきてますからね」
「女性が土俵に上がってなにが悪いんですか」
これには本当に驚いた。発言のあまりの幼稚さに、だ。
もちろんどんな意見を持つのも個人の自由である。しかし、恋愛について語るのではないのだ。「自分はこの分野に関しては門外漢である」という認識は持っておく必要があるのではないだろうか。
「無知の知」の自覚がまるでないまま発せられた言葉は、「思いつき」と変わらない、無責任で軽薄なものになりがちだ。上記の発言は「歌舞伎の女形は女がしたほうがいい。そのほうがきれいだから」と言うのと同じくらいとんちんかんな発想だ、と私は思う。
相撲が神事を起源とするスポーツであり、ゆえに角界は他に類を見ないほど伝統を重んじるきわめて特殊な世界なのだということを理解していれば、「たかが杯を手渡すだけなのになにが問題なんだ。そんなことで伝統は壊れない」なんて軽々しく口にできるはずがない。「知事が土俵に上がるのは反対」と答えたのが一般の人たちは35%だったのに対し、大阪府立体育館の観戦客の回答では64%に達したというのもむべなるかな。
昔のしきたりや様式が継承されて「伝統」となるのだから、現代の価値観に合うはずがないのはある意味当たり前のことなのだ。だからといって現代風にアレンジしなければならないなんてわけはない。
時代の流れで姿を変えていく伝統も中にはある。しかし、その判断を下すのはその世界に生きる人たちであって、私たちではない。

先日テレビの討論番組で、現在公立小学校の七割で男女混合名簿が採用されているという話を聞いた。
「男女を一緒くたにしてしまうことで先生方が不便に感じることがないのであれば、いいんじゃない」というのが私の感想だが、それは単に「そういうやり方もあるわね」という話であって、性差別うんぬんの観点からではない。
男子がいつも先に呼ばれていると、子どもたちの中に「男は女より偉いんだ」という認識が植えつけられてしまうのだと説明されても、そういうものなのかどうか、冗談でも皮肉でもなく私にはわからない。
名簿はともかくとしても、先生が生徒を呼ぶのに「君」「ちゃん」を使ってはならず、「さん」付けにしなくてはならないだとか、徒競走で男子と女子を一緒に走らせるだとかいった愚にはコメントする気も起こらない。
区別と差別の違いがわからない、あるいはそれ自体が存在しない人がいることには驚きあきれるばかりだ。

【あとがき】
なにも知らないのだから口を出すべきじゃない、なんて話ではないのです。門外漢は門外漢なりに考え、発言する権利はある(でないと、ごく限られたことにしか発言できなくなってしまう)。だけど、その際はやっぱり「無知の知」をあたまに置いた上で、が前提だと思うのです。それをわきまえた上での「女人禁制には反対」ならよいのですが、「そんな時代じゃない」とか「そんなことで伝統は壊れない」とかいうのはその世界に生きる人たちにものすごく失礼な言葉だと私は思いました。


2004年03月22日(月) 仕事と男性

出かける準備をしていたら、電話が鳴った。長くなると困るな、と一瞬迷ったのち子機を掴むと、出張中の夫であった。
まあ、こんな時間にかけてくるなんてめずらしい、傘持って行かなきゃ!なんてつまらぬことを言いかけたら、受話器の向こうから弾んだ声が聞こえてきた。
「四月一日付けで○○になることになったよ」
○○にはある役職名が入る。彼は最年少でそのポストに就くことを目標にしていたのだが、叶ったらしい。
「ほんまかあ、よかったなあ」
胸に熱いものが込み上げる。同年代の男性で夫ほど仕事に対して前向き、かつ貪欲な人を私は見たことがない。少し前に義弟が遊びに来たのだけれど、仕事はどう?と尋ねたら、「面白いよ。人生の半分を費やすのに面白がってやらなきゃ損じゃん」とあっけらかんと返ってきて、やっぱり兄弟だなあと思ったものだ。
夫は愚痴や弱音を吐かない人だ。万が一のときのサインは見逃してはならないと思っているが、生き生きとして見えるうちはそう心配することはないのだろう。

その昔、いいなと思う人ができると、私は彼の過去の恋の話を聞きたがったものだ。その人がどういう人間であるかを掴むには恋愛観をチェックするのがもっとも手っ取り早いと考えていたからだが、いつ頃からか仕事に対するひたむきさや誠実さにも注目するようになった。それへの取り組み方と人生に対する姿勢には相通ずるものがあるような気がするのだ。
そんなわけで、私は男性から仕事の話を聞くのが好きだ。先日、友人とメッセンジャーで話しているときにもそんな機会があった。
このところちょっぴり元気をなくしている彼は、「私のやってきたことっていったいなんだったんだろう」としょんぼりつぶやいた。二年半もの付き合いになるにもかかわらず、仕事の話をまともに聞くのはこれが初めて。私はかける言葉を探す一方で、「こういう顔、初めて見るなあ」なんて少しばかり新鮮さを感じていた。
「女は男で変わり、男は仕事で変わる」と言われるように、男性の人生における仕事の比重はきわめて高い。会社人生が充実しているか、そこでの未来に希望が持てるか。それは男性にとって恋人がいるかいないか、結婚しているかいないかといったことよりもずっと、自信もしくはコンプレックスになるものではないだろうか。
ふとした拍子に昔好きだった男性を思い出すことがあるけれど、心に浮かぶのはきまって仕事をしていたりそれについて語ったりしているときの彼らの姿だ。「商談がまとまった」「社長賞をもらった」「部下ができた」に私は一緒になって喜び、「企画が流れた」「予算が高すぎる」「上司とそりが合わない」に胸を痛めた。仕事という要素を切り離して彼らとの日々を思い出すことはとてもむずかしい。
「海外研修に行けることになった、同期の中で一番早く!」
その誇らしげな顔を、九年たったいまでも私ははっきり覚えている。

会社の定時は二十一時。エレベーターに乗るといつも途中階から、残業を終えて帰宅する他社の男性がどっと乗り込んでくる。
「ちょっと寄って行きましょか」
「いや、今日はまっすぐ帰るわ。子どもと風呂入るんよ」
そんな会話を聞きながら、私はその人を思い出す。
いまもあの生活がつづいているのだろうか。体は大丈夫なのか。月に一度、いや半年に一度、ううん、年に一度でいい、こんな時間に帰してあげられたら……。
地上に下りるその箱の中で、私は胸が苦しくなる。

【あとがき】
仕事を「テキトー」にやれてしまう人は人生についてもどこかそういうところがあるんではないかと思います。個人的には、それを「お金のため」と割り切って考えている男性も魅力的には映りません。


2004年03月21日(日) 「それは自信ですか?」と訊かれて。

先日、ある方からこんなメールが届いた。
「私はいつも不思議に、そして羨ましく思うのですが、小町さんの文章ってわりと断定的ですよね。そうできる理由はなんなんでしょう。自信ですか?テーマによっては相当数の批判の意見も来るのではないでしょうか」
なるほど、と思いながら読む。過去にも他の方から同じ意味のことを言われたことがあるから、もしかしたらいまこの文章を読みながら「そう、そう」と頷いた方もいらっしゃるかもしれない。
「自信ですか?」と訊かれて、「はい、自信です」とはなかなか答えにくいものであるが、日記を書くときのルールというか、心がけていることのひとつに「自信を持って書く」があるので、そういうことだと言えるかもしれない。
それは自分の考えが正しいとか普遍的なものだと思っているという意味ではない。私の目にそう映っている、と書くのに遠慮したり萎縮したりする必要もないだろうということ。私が私の身に起こったことや頭の中にあるものをアウトプットするのだから。
もともと、たとえば最近よく耳にする「〜してもらってもいいですか」のような持って回った言い方や曖昧な表現が好きでないこともあって、書き言葉でも言い切ることが多い。なにかに対して意見を述べるようなときはとくに、語尾に「〜と思う」はつけない。予防線を張りめぐらせながらなにを言っても説得力はないし、それが他者へのおもねりに見えたら読み手を興ざめさせてしまうだろう。
自信なげなもの言いと柔らかい口調はまったく別物だ。誰かの日記を読んでいて、主張系の内容なのに妙に遠慮がちだったり逃げ腰だったりすると、もったいないなあと思う。潔く書かれてあったら、もっと読み手を引きつけられるのに。「意見が違っていたら明日からもう来ない」という人ばかりではないのだから、と。
先日、日記の中でちょっとしたアンケートをしたところ、回答に名前を添えてくださった方がけっこういらした。中には親しい友人も何人かいて、必ずしも私と意見が一致していたわけではなかったけれど、だからどうということはありえない。異なる個体が異なる価値観を持っているのは当然のことである。
回答してくださったある方が「さまざまな意見があったことに逆に安心しました。この話題で同じ考えの人ばかりだったら怖いですもんね」とおっしゃったが、私も本当にそう思う。
自分と正反対の論であっても、堂々と展開されていると「敵ながらアッパレ!」となるものだ。思うところを述べるときは気後れなどせず、毅然としていたほうがぜったいに素敵だ。

そんなふうに思うのは、私の中に「いい人だと思われたい」「共感してもらいたい」「期待に応えよう」といった気持ちがかなり希薄だからかもしれない。
そりゃあ、「ヤな奴だぜ」と言われるよりは「小町さん好き」と言われたほうがうれしいし、「同感です」に安心することもある。しかし、「こんなこと書いたらどう思われるだろう」とか「敵つくっちゃうかな」なんてことは考えない。誰からも好かれようと思うから疲れるのだ。ふらりと立ち寄ったブティックに自分好みの服がなかったら客は踵を返すが、それを恐れて無難な品揃えをしても、これという魅力のない店にしかならない。私が店主なら万人受けを狙うのではなく、数は少なくてもいいから足繁く通ってくれるロイヤルカスタマーを掴むための店づくりをするだろう。
サイトにおける読み手と書き手の関係も同じことである。
言い切り型の文章、自己主張の強い文章は「きつい」「押し付けがましい」と感じる人も少なくないし、好きと嫌いがはっきり分かれる。穏やかで淡々とした文章に比べ、読み手の入れ替わりのサイクルが短いのではないかとも思う。
が、それは甘んじて受け入れるしかない。私はそういう文章しか書けないのだから。
努めるべきは、そのときそのときモニターの前にいてくれる人に恥ずかしくないものを提供することだけ。「嫌われまい」「飽きさせまい」の方向に心を砕くことではなく。
“自己満足”できることを目指す。そこのところを確保できれば、どんなメールが届いてもめげることはないだろう。

【あとがき】
ちなみに批判のメール、ご心配いただくほどは届きません。反対意見ならドサッと音が聞こえそうなくらいいただくことはあるけれど。考えを述べるタイプのテキストサイトはどこもそんなもんじゃないかな。


2004年03月20日(土) 少年の顔(「フォーカス」アンケート回答一覧)


「フォーカス」少年の顔写真掲載
についてのアンケート回答

実施日:二〇〇四年三月十二日
(アンケートは「少年の顔(前編)」のテキストの末尾にあります)




(No.51) 30代 女性 許される(掲載は妥当)

どちらかというと、写真を掲載した新潮社よりも、「フォーカス」の販売を即刻中止したキオスク等の販売店の対応に疑問を感じます。



(No.52) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

許されないではなくて、掲載は不適切という意味で、ここにチェックを入れました。私も、少年の顔を元少年の顔を「見たい」と思います。憎しみではなく、喜びとして殺人を行った少年の顔を「見ておきたい」と思うのは、人として普通の感情だと思います。
でも「フォーカス」は、やってはいけないことを「正義」とすりかえて行ってしまっていると思います。この件での「正義」は、やってはいけないことを守ることだと思っています。報道の世界で、独自の判断で特例を作ってしまったら、許してしまったら、それは歯止めのない世界だと思います。それをやるような出版社は自分を律する力を持っていないので、どこまでも特例を広げていってしまうことでしょう。



(No.53) 20代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

様々な事件の記事やルポを読み進めると、いつも思うのですが、真実も事実も、実のところ殆どよくわからない……と感じることが多いです。だけど顔というのは揺るぎない事実のひとつだと思うのです。別にそれを見たからって事件の真相なんかわかりゃしないのだけど、それを見なくてもやっぱりわかりゃしないわけで、なんとなーく真相に近づけたような気に陥れるから、見たくなるような気がしています。つまるところ、自分が安心する為なのだと思っていました。で、今回「顔が語る」という部分を読んで、何だかとても納得してしまう表現でした。



(No.54) 20代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

事件が起きた当時、彼は中学3年だった。犯罪も低年齢化・悪質化の傾向があるなか、年齢というスケールだけで、加害者が少年法に保護されるのはおかしい。中学3年とはいえ、人の命をあやめ、大切な家族を奪い、世間を震撼させたのは覆せない事実。年齢の問題ではない。だから、少年法に警鐘を鳴らす意味でも、フォーカスの顔写真掲載はやむをえなかった、と私は思う。



(No.55) 10代 男性 (好ましくはないが)やむを得ない

10代の子どもといえど、結構しっかり自分を持っています。しかも何がよくて何が悪いかもわかっています。自分のしたことに責任を持ってもらうのは成人に限らず。加害者ばかり保護される今の日本の状況はおかしい。被害者の顔が公表されるなら加害者も公表されるべき。



(No.56) 20代 男性 許される(掲載は妥当)

日本という国は、加害者の人権を大切にしすぎる傾向があると思う。被害者の立場にたってみればそのことはとても大きな壁になっていると思う。そういった意味で、この事件の写真掲載は妥当な判断だったと思うし、これからも積極的に掲載して行って欲しい。



(No.57) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

被害者の顔写真は掲載されるのに、という疑問はありますが、当時フォーカスを見て、(たまたま見てしまって)生理的に不愉快でした。新聞やニュースで報道されるならまた別だったかも知れません。最近の九州の男の子を殺した犯人の顔写真もメールで回っていたみたいで、形を変えてそういうことは行われているんだと思います。私個人としては、犯人の顔を見たいとも思いません。正直、見たからどうなる訳でもないし、と思います。



(No.58) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

難しい問題ですよね。私はこの事件は未成年だとか少年法だとかで保護されるべき事件ではないと思う。人間の記憶なんて曖昧でおっしゃられているように写真があるなしでは記憶に残り方は違うと思うし忘れない為にも写真の掲載はそういう意味でもあるべきだ、と思うし、この事件に関わらず被害者の顔は出て加害者の顔が出ないことにも疑問を感じる。



(No.59) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

週刊誌という点が問題。週刊誌には加害者の顔も被害者の顔も載せてはいけない。エロ記事と一緒に掲載するもんじゃないでしょ。



(No.60) 30代 男性 許されない(掲載は不適切)

未成年の犯罪に対して加害者の人権を保護するという問題は非常に微妙なバランスの上に成り立っているのではないかと思います。現在では被害者の人権の保護という風潮が大きくなり始めていますがそれも正しいのだと思います。ただいまの段階ではまだ未成年の将来を保護する事は必要な事なのではないかなぁー。犯罪の低年齢化、マスメディアの現状など様々な要因から近い将来きっと未成年の犯罪にはもっと厳しい処置がとられることでしょう。ただ現段階では。ホント感覚的なもので申し訳ないんですがこの様な結論となりました。



(No.61) 30代 女性 許される(掲載は妥当)

顔を見たい…というのは、純粋な人間の好奇心であるのと同時に、小町さんと同じく「顔があってこそ」人としてそこに「存在している」という現実感を伴うと思うのです。顔が分からないと「ふーん」で終わってしまう事って多いと思う。それから…被害者の顔は報道されるのに、加害者の顔は隠されているというのは、どうにも不公平感を感じるのもあります。



(No.62) 20代 男性 許されない(掲載は不適切)

加害少年と同じレベル。目立ちたいだけの浅ましい行為。ただ、現在もこのようなサイトがあることを考えると、意味があったのかもしれませんね。



(No.63) 40代 女性 許される(掲載は妥当)

凶悪で猟奇的な事件を起こした人間の性癖が 周りの環境でよくなって言ったとしても、それは出所してからの環境でまた変化していくだろうという推察もまた捨てきれない。なぜなら通常ならばストップできるはずの理性が働かない以上なんらかの脳障害があると考えられるからだ。野生の動物が危険な捕食動物を認識するのと同じ理由で、知っていて危険を回避するのとしないのとでは大きく方向は違ってくる。何より自分の子供を守りたいため。



(No.64) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

なんでも載せればいいというものではない気がします。一見正義感ぶって、結局は発行部数を伸ばしたり、話題にさせるためにしか思えないのですが……



(No.65) 30代 男性 許されない(掲載は不適切)

フォーカスの問題ばかりではないですが、警察に逮捕された時点での顔写真掲載は避けるべきだと思います。なぜなら、警察に逮捕された時点では容疑者だからです。容疑者は取調べを受け、送検され、裁判を受け、判決が出て確定されて初めて刑に服するのです。僕は判決が確定の時点での顔写真掲載はいいと思いますが、容疑者の時点での顔写真掲載は時期尚早だと思うのです。今ではほとんどのマスコミで警察へ逮捕された時点で容疑者の顔写真を公表していますが、これは如何なものかと常々思っています。もし、警察の逮捕が誤っていたら、冤罪だったらどうでしょう?誰がその落とし前をつけるのでしょうか?顔写真の掲載は判決が確定してからでも決して遅くはないと思っております。○○より。



(No.66) 40代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

ある種の見せしめとして、悪いことはできないぞ、と世間に思わせる為にも、必要かもしれないです。



(No.67) 20代 女性 許されない(掲載は不適切)

未成年の容疑者の顔写真、名前の公表が法律で禁止されている以上、法律の是非はともかくとして、それを破るべきではないから。法律を破ることそのものが肯定される場合があるという前例をつくることは、長い眼で見て秩序を揺るがすことになると思う。



(No.68) 20代 女性 許されない(掲載は不適切)

この間も一度送信したので、一票引いておいて下さい。私は更正の余地が必要派ですが、ふと思いました。最近は整形も当たり前になってきているので、顔を公表しても無駄ではないのでしょうか。その顔の人だけ気をつければいい、と安心して油断してしまうでしょう。それに似た顔の人は勘違いされていい迷惑でしょう。



(No.69) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

死刑・無期でない以上、犯罪者にもその後の人生があるから。また、法は、正義感からだとしても独断で破るべきでない。法治国家の意味がなくなる。



(No.70) 30代 女性 許される(掲載は妥当)

出して当然だと思います。答えるのが遅くてごめんなさい。



(No.71) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

少年は、事件当時に少年でなく成人だったら、当然のように被告という形で顔写真はもちろん本名等も公開されていたはず。人を殺害してしまう事が許される事か許されない事なのか、14歳であったら、たとえ未成年であっても当然分別がつくはず。また、被害者の顔写真は年齢に関係なく公開されるわけであるから、今回のようなケースでの加害者の写真の公開は妥当だと思う。私は1児の母でもあるけれど、もし自分の子供が被害者になった場合、加害者の写真が出ないのであれば、自分の子供の写真も出したくない。加害者が守られるのであれば、自分の子供も世間の騒がしさから守りたいと思う。



(No.72) 30代 男性 許される(掲載は妥当)

神戸の事件は、少年犯罪とは思えない衝撃的な事件であったと記憶しています。少年犯罪で度々話題になる顔写真公開ですが、犯人がその罪の重さを痛感するためや、少年犯罪抑止の面からも有効な手段の1つではないでしょうか?また、私自身一般人として客観的な立場で考えてみると、今回犯人が刑務所から出所するにあたって、もし自分の隣に越してきたらと思うとゾっとします。
特に子供を持った親御さんであれば、その気持ちはなおさらでしょう。自分の子供に危険がおよぶ可能性があれば、少しでも危険から子供を遠ざけるのは当然の行動です。この犯人に住む場所や働ける場所を与え、社会的復帰を果たすことも重要でしょうが、まず被害者やその家族への保障(精神的なもの等)を最優先し、次に犯人が暮らすであろう地域の人の安全な生活の確保をし、自己防衛や危機管理の面からも、出所する犯人の顔写真は公開して欲しいと思うのが私の意見です。犯人の件は一番最後に考えるのが物事の順序だと思います。犯人が暮らす地域の人への承諾など誰も取っていないでしょうからね。そこに住む人達を騙して犯人を生活させるのですから、ある意味卑怯なやりかたですよね。「罪を憎んで人を憎まず」といいますが、起してしまった犯罪を取り消すことは出来ません。そして、被害者の家族の傷が癒えることは一生無いのです。犯人が本当に更正したいのであれば、自分の姿を世間にさらし、自分で苦労して這い上がってくるのが当然でしょう。それが出来ないのであれば、とても更正したとは思えません。最悪の場合「酒鬼薔薇」が復活するのではないでしょうか。



(No.73) 40代 女性 許されない(掲載は不適切)

法律で保護されている(のか実は知らないのだけど)ものを個人の考えで公表することは許されないと考えます。また、更生の妨げになると思います。余談ですが、もし彼がアパートで一人暮らしをするなら、隣の部屋に住んでもいいです。



(No.74) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

単純だけど、顔が載る恐怖を与えれば少しでも犯罪が減るかもしれないから。



(No.75) 30代 女性 許される(掲載は妥当)

たとえば、宮崎勤の顔は誰もが新聞で見て知りました。同様に、この少年の顔も知られるべきです。未成年という理由で顔写真の公開を免除されるには、あまりにも罪が重いと思います。



(No.76) 30代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

少年法自体に矛盾と疑問を抱いてるので、殺人という凶悪犯罪を起こした人間は、年齢に関係なく情報の公開は構わないしするべきだと思います。被害者の人の情報は遺族の了承なしに流失しているのに、加害者が守られるのはおかしいと思います。ただ写真週刊誌についてはどうしても好奇心が優先されてるようで、「好ましくはないが」にさせていただきました。情報公開については許されるし妥当だと思っています。



(No.77) 10代 男性 許される(掲載は妥当)

罪の重さを知ってもらう。



(No.78) 10代 男性 許される(掲載は妥当)

犯罪者だから。


2004年03月19日(金) 少年の顔(「フォーカス」アンケート回答一覧◆


「フォーカス」少年の顔写真掲載
についてのアンケート回答

実施日:二〇〇四年三月十二日
(アンケートは「少年の顔(前編)」のテキストの末尾にあります)




(No.26) 20代 男性 許される(掲載は妥当)

少年の人権とか言われていますが、この事件について言えば、人を殺すことが目的だった確信犯です。そんな犯人の人権を守ることに、なんの意味があるのか?と思います。そもそも被害者は、犯人に生きる権利を奪われているのに、犯人の人権が守られるというのは、「殺した方がお得」なんて感じてしまいます。人を殺したことに対する社会的制裁は、成人、未成年問わず受けるべきだと思います。



(No.27) 40代 男性 許される(掲載は妥当)

あの当時少年だったとしても あれだけのことをすれば当然なのでは?こんなに早く出てくるのはおかしいと思った。東京で就職するとのことだが、第2の事件多々1年くらいの保護観察で防げるのか?おおいにぎもんである。



(No.28) 30代 男性 許される(掲載は妥当)

小町さん。こんにちは。○○です。殺人事件といっても様々なパターンがあると思うんですが、神戸の事件の場合、彼が少年である事が一番のネックとなり極刑がのぞめないのだから、写真掲載は仕方がないと思います。掲載された媒体がフォーカスという事で余計に賛否を呼んだと思うのですが、彼がこれから社会復帰して、現実社会で生きて行くに際しては、その姿を公にして、自分の犯してしまった罪をきっちり背負って行かなければ、亡くなった子供達やご遺族も心のやり場がなくなってしまうんじゃないかなって思います。被害者である子供達が受けたものと同じ痛みや恐怖を与える事が出来ないのだから、妥当ではないかと思います。



(No.29) 20代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

(ちょっとうろ覚えなんですが……)他の雑誌では、目だけ隠した写真が度々出ていたような記憶があります。私は当時高校生だったんですが、そちらのほうが記憶に残ってます。'目隠ししてまで載せる'ということも好奇心から出てるんじゃないかとも思いましたが、そういう写真を度々見ることで、「フォーカス」の写真掲載は誰かがやるかもしれないと思っていたので、仕方ないのかな、と思います。目は口ほどにものを言い、とは言いますが、やっぱり目って人間の核なんですよね。うろおぼえの記憶であんまり理由にならないかもしれないですが…。



(No.30) 40代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

未だかつてこれほど社会に衝撃を与えた少年犯罪はありませんでした。親の立場として、ワイドショー的な興味ではなく、真剣に少年のことを知りたいと思いました。結局私はフォーカスを見れなかったのですが。



(No.31) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

加害者A少年、などという「記号」のみをもってして事件を語られても、全く現実味がなかった。顔写真が掲載されたことで、本当に存在する少年が、この事件を起こしたのだと実感することができた。回収されたことも、本当にその少年が起こした事件だったのだと、よりリアルに感じ取る材料になった。被害者のプライバシーは全く守られないのに、加害者のプライバシーは完全に保護されているこの社会に憤りすら感じる。



(No.32) 30代 男性 許される(掲載は妥当)

人間2人の将来を根こそぎ奪っておいて、「責任能力」だの「人権」だのぬるいコトをゆーとったらアカンと思ってます。「社会的制裁」が晒し挙げだとは思いませんが、「万死に値する刑罰」のひとつであっていいと思ってます。from
○○...あ、無記名やったんやった。



(No.33) 20代 男性 許されない(掲載は不適切)

私は掲載に反対の立場を取ります。小町さんの「文字だけでは記憶に残らない」という主張ならば、被害者の顔だけでいいのではないでしょうか。拉致問題にせよ、心臓移植にせよ、いわば何かを「受ける側」だから顔の公開が許されます。しかし元少年は、受ける側ではないことは自明です。少年法の心は「更生」にあります。刑法は犯罪者を罰する規定を定めた法律ですが、少年法は罰するのではなく、軌道修正して、再び社会復帰するための法律です。少年の顔を知ってしまったら、やっと仮退院して、社会復帰しようというときなのに、周りの人間が拒否反応を起こすのではないでしょうか。元少年は大きな間違いをしたのは事実ですし、彼に社会復帰の意思の有無は分かりません。しかし少なくとも、やれ元犯罪者だとか凶悪犯だとか言われて、これからの暮らしに支障をきたすことになり兼ねません。私達のできることは、いつか私達の隣に住むであろう彼を、他の人と分け隔てなく近所付き合いすることだと思います。長文失礼。



(No.34) 30代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

被害者の方のお顔が掲載されて 加害者の方のお顔が出ないのは
ちょっと頂けないと思った為。



(No.35) 40代 男性 許されない(掲載は不適切)

彼が少年である以上、いくら残忍な犯罪を犯したからと言って、成人と同様な論理を求めるのは無理があると思いますし、今後の彼の更正を図る意味でも顔写真の公表は不適切だと思います。またそれを公的機関が発表するのならともかく、商業雑誌が売り上げを伸ばすために掲載するのは許されるものではないと考えます。二重の意味で不適切だったと思います。



(No.36) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

顔写真を見たからといって、何もうまれないと思う。フォーカスは正義感もあったのかもしれないが、部数をあげるため、という考えもあったのだと思う。「顔」よりこの事件の背景などを考えることが大事だと思う。



(No.37) 30代 女性 許される(掲載は妥当)

小町さんの意見には全面的に賛成です。確かに顔写真の有無で事件が身近に感じられるか否か左右される事は多々あると思います。また、これは極論かもしれませんが、私は犯罪を犯した人は(もちろん基本的人権は尊重されねばなりませんが)顔写真を公開される事も致し方ないと思うのです。それも罰のうちに入ると思うのです。なので、どちらの意味においてもフォーカスの顔写真掲載に関しては妥当と考えます。この無記名アンケート、自分も参加している!という実感が持ててとても嬉しいです。いつも愛読していますのでこれからも頑張ってください。HN○○



(No.38) 30代 女性 いずれとも言えない

その人の顔を知ることにより、事件がより心の深いところに入ってくるという説には一理あると頷きました。しかし、その一方で、顔がわかることによって、被害者加害者の、赤の他人が知らなくてもよいことまで知りたくなる効果があるようにも思います。現実に起こっている(と聞く)被害者加害者関係者の追及、そして極めて低次元の嫌がらせを思うと「顔が知りたい」という気持ちが小さくなっていくのも事実。今のところ、どちらとも決められません。



(No.39) 40代 女性 許される(掲載は妥当)

殺された淳くんは、うちの息子と同じ、障害を持ったお子さんでした。だから、よけいに、感情移入してしまい、辛過ぎる、許せない事件でした。当時は、「こんなに残虐な加害者の何を守ると言うの!」と、少年法事体に怒りが込み上げました!今もなお、同じ思いでいます。成人した今、「顔」を公表して、その罪の重さを背負って行って欲しいです。彼が、「自分が何をしたか!」を心に刻む為にも!だって、彼は、生きているのだから!生きていけるのだから!(アンケートから外れたコメントでごめんなさい)



(No.40) 10代 男性 許されない(掲載は不適切)

常識人(ここで言う常識人は法律で罰せられる年齢に達した人のことです)や極悪人などは掲載するのもありだとおもうのですが、やはり一度は踏み外した道を少年には真っ白くやり直してもらいたいと思います(もちろん事件のことを忘れてもらっては困りますけど)



(No.41) 20代 女性 いずれとも言えない

年齢に関係なく、凶悪な事件を起こした人は、その十字架を背負わなければいけないと思います。ただ、現在の法律では、20歳以下の顔写真の掲載をすることは禁じられており、少年のみを掲載するのは、更正後の少年の人生に配慮がないのかなと思います。ある一定の基準をもって、顔写真の公表をするという法整備後であればいいと思いますが。それよりも、亡くなった被害者の顔を掲載することの方が問題が大きいと思っています。例えば、レイプされて殺されたような事件で、被害者が亡くなっていると、写真が掲載されます。だけど、加害者が未成年の場合は、公表されません。こちらの方が問題があると思います。変な文章でごめんなさい。



(No.42) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

当時、犯人がまだ中学生だったことを考えると、やはり許されないと思います。あのタンク山をよく知る私でも。



(No.43) 30代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

未成年だからというだけで、守られている凶悪犯がいるという事実。大人の事件でもめったにはないだろう残忍極まりないこの事件を未成年というだけで許容していいはずがないと思う。大人ならありえないであろう仮退院。どこの誰かもわからないまま、その他大勢の大人に紛れてしまう。せめて過去の顔を記憶にとどめておくのは、私たちの自衛手段の一つのように思う。隣人になる可能性だってあるのだから。



(No.44) 10代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

人の命を奪った以上はそれなりの代償(生ぬるい言葉ですが)を払わねばならないと思うから。遺族の心を考えると顔写真の公開だけではとどまらないものがあるだろうと思う。加えて。現代において顔を変えることは引越しをするよりもたやすいことだということもある。



(No.45) 30代 女性 いずれとも言えない

自らの意に反して社会的に自らの顔を公開されてしまうことは、凶悪事件の加害者が刑法による刑罰以外に受け入れなければならない刑罰なのかもしれないと思うことがある。そういう意味では、神戸の事件は公開されても妥当といえる程の重大事件であったと思う。だが、加害者が少年であったことで、私はそれを妥当と言うことにためらいを感じている。大人と同じ基準で公開してもいいものかどうか、私の中では結論は出ていない。



(No.46) 20代 男性 許されない(掲載は不適切)

許されないというより、先入観をもって見れば人の顔などどうとでも見えると思うのです。見たいと思う心情は理解できますが、そのこと自体にあまり意味があるのかどうか……。まるで別人の顔が掲載されたとしても、人はもっともらしいことを感じ、もっともらしいことを言うのではないかと。ところでいつも楽しみに読んでいます。がんばってください。



(No.47) 20代 女性 いずれとも言えない

私も、この事件を起こした人がどんな顔か見れるものなら見たいと言う気持ちが有り、見たいくせにけしからんと言うことはできないのでどちらとも言えません。親戚などのことを考えると掲載したら迷惑がかかることも有るかもしれません。もし、当時入手できたなら見ていたでしょう。今、もし見れるなら見るでしょうし、ちょっと探してみようかとも思っています。ネットを。仮退院したという今は、もし身近にいたらと思うと無害かもしれませんが恐いので、注意するために知りたいです。



(No.48) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

少年だから、という理由からです。まだやり直しがきくなら追い詰めたくない。確かにそのひとを語るのは「顔」だと思いますが、10代でその顔が出来ているか、というのは疑問であります。



(No.49) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

凶悪な事件の犯人の写真が公表されるのは当然の事だと思う。もちろん未成年でも。



(No.50) 30代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

○○です(無記名なのに名乗る女)。これは、完全な卑しい好奇心なのかも知れないけれど、私は少年の顔を見たいと今でも思っています。近所の人のコメント、親の発言、手紙……そんなものよりもまず、「どんな顔でそんなことしたのよ。」と思ってしまったのです。
最近、小学生がいたずら目的で誘拐・殺害されるケースが増えてきましたよね。そのニュースでも、とにかく「どんな顔でどんな雰囲気な人がこういうことしちゃったわけ?」と思ってしまいます。で、下世話な想像をめぐらすこともあるわけですが、それより何より、ごく普通の雰囲気の人がそんな恐ろしいことをしてるという事実に、改めて恐怖したりします。彼の両親の立場ならば、彼のことを考えてあげられる人ならば、罪を犯した少年の将来を考えて写真の掲載は不適当と考えるかも知れません。でも、彼の人権を尊重するならば、何も知らないうちに人権を奪われるどころか無残にその一生を終えることになった犠牲者はどうなるのでしょうかね。
彼はそのくらいのことをしたのだと、私は思ってしまうのですが、それは冷たい人間なのかしら……。





2004年03月18日(木) 少年の顔(「フォーカス」アンケート回答一覧 


「フォーカス」少年の顔写真掲載
についてのアンケート回答

実施日:二〇〇四年三月十二日
(アンケートは「少年の顔(前編)」のテキストの末尾にあります)




(No.1) 20代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

はじめまして。いつも才人経由で楽しませていただいてます。わたしがこの事件に対して思ったのは「加害者は保護されて被害者は保護されないのか?」ということです。被害者の名(顔)を出すなら加害者の名(顔)は出すべきだと考えます。逆は全然構わないと思いますが。それでは、この辺で。これからもがんばって下さいね。



(No.2) 30代 女性 許される(掲載は妥当)

あのような非道なことができる人間はどんな人物なのか知りたいと思うので。彼が育った環境とか。なぜ?の一言につきるから。やっぱり顔をみるとその人となりがある程度はわかるような気がします。現行の法ではすぐに出てくるからやっぱり親の立場からすると近所などに住まれたら怖いし、顔がわかれば用心できると。性的嗜好はそう簡単に治らないと思う。性的な犯罪を犯す人は再犯する確率が高いと聞くし。とりとめもない駄文お許し下さい。



(No.3) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

未成年の犯罪者が法律で保護されている現時点で敢えて掲載する意味はない(行方不明人捜索などの場合を除き被害者の顔も必要ない)。但し、現在非公開になっている審判については遺族にのみ公開すべきだと思っています。



(No.4) 30代 女性 許される(掲載は妥当)

今回も顔写真を手に入れたいくらいです。出来ればすんでいる場所も。
なぜなら、自分と自分の家族を被害にあわせたくないから、近づきたくないのです。アメリカでは、こういった人たちが釈放された場合は近隣に注意をよびかけるそうですが、日本でもそうして欲しいです。



(No.5) 30代 女性 許されない(掲載は不適切)

もし仮に私が少年Aの母親だとした場合、とても辛いことに違いない もし仮に私が被害者の遺族だった場合、加害者の肖像が一人歩きして果たしてどんな気持ちになるのだろう……想像がつかない
好奇心からでなくとも やっぱりしてはいけないことのような気がします



(No.6) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

私が少年の顔を見たいと思った最大の理由は「いつか必ず、この子が社会復帰してくるだろうから」ということ。自分の生活圏の中にこの子が来るかもしれないという恐怖心ですよね。実際、たった7年で出てきたし。彼が生活圏内にいると解れば、私は子供を連れて逃げます。はっきり言って怖いです。更生したと言われても信用出来ません。二度と誰からも信用してもらえないだけのことを、彼はやらかしたのだから。だから彼の顔を見たいです。会えばすぐ解るように。



(No.7) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

私はどんな立場の人であろうと凶悪犯罪を犯した人間であれば素性を公表されてもやむなしと思っていますが、顔写真掲載が妥当であることに理由をつけるとするなら、やはり彼がやったことの重大さにあるのではないでしょうか。犯罪にはいろいろあるけれど、彼のやったことは、少年犯罪というにはあまりにも重い。将来のある少年だから隠匿されるべき、という性質の犯罪ではなかったはずです。



(No.8) 40代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

被害者のおこさんたちの顔はあんなにさらされたじゃありませんか。人非人には「人知れず」とか「更生して、新しい生活」なんて要求する権利はないと思います。たとえ、それが少年でも。



(No.9) 20代 女性 いずれとも言えない

どこぞのニュース番組でもコメントされていたが、少年が大人になって”退院”したときに社会がそれを受け入れられるか否か、が重要かもしれませんね。過去に重大な犯罪をおかしたんだという人(現在はスッカリ更生)とその事実を果たして受け入れられるか。その懐の広さ・自信・余裕さえあれば、顔が出ようが出まいが大きな問題でなくなるのではないでしょうか。
(もちろん本人が罪の大きさを知り、償いの気持ちを持っている事が大前提です)



(No.10) 40代 女性 いずれとも言えない

少年自身について言えば、顔を公開されてもやむを得ない犯罪をしたと思うが、顔を公開する事によって少年の両親・親戚・学校・地域が限定され、少年の人生は当然ながら回りの人たちの人生をも変える可能性があるから。たぶん、あの事件が起こって少年の住んでいた地域では当然親が誰か学校がどこかはわかった事でしょうが、日本国中に公開すべき事ではないと思う。ただ、私的に言えば、犯罪を犯した当時の少年の顔は、見てみたかった。。。そこに狂気はあるのか?どうしてそんな犯罪を犯したのか、顔が教えてくれるところも多いのでは?そして、やはり仮出所した少年(今では青年)の顔も、見たい。狂気は消えたか?社会に出ても大丈夫か?顔を見ただけではわからない事も多いだろうけど。。。



(No.11) 30代 男性 許される(掲載は妥当)

見たいと思うのは人の性分なので、しょうがないと思います。ただ、それをどんなふうに表現するかが、品性とか言われる部分なのではないでしょうか。人の心を揺さぶる事件の記事のような場合は、なるべく私情が混じっていないほうが好ましく思います。



(No.12) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

大人が犯した犯罪だったら間違いなく顔写真が掲載されるはず。で、特に問題にもならない。前から議論されていることだけど、「少年だから」っていうのは、今の時代もう通用しないのではないか?現に最近の凶悪犯罪で記憶に残っているものの多くが少年によるものだから。例の少年の犯行時の年齢は14歳だったと思うが、やっていい事と悪いことの分別はもう充分につく年齢だと思う。その点では大人と何の違いも無い。例のフォーカスの写真も見たけれど、特に少年だからどうこうという感想は持たなかった。私の感想は「あぁ、これがあの事件の犯人か」っていうものだった。逆に「妥当でない」としたら、どんな理由だろう?「少年には将来が……」ということなのだろうか?それを言うなら、少年以外の犯罪者(未成年ではなく、写真付きで報道された犯罪者)にも将来はあるはずなのだが……。



(No.13) 40代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

顔写真を掲載するのは写真週刊誌ではなく、新聞が事実として報道するべきだと思う。あれだけの事件を起こしてしまったのだから、姿を現すべき。子供だと言うのなら、親が(市中を引き廻す必要はない!)。事件は小町さんの仰る通り、「社会で共有し、教訓とする」必要があり、そのためには顔も必要だと思う。個人的にはもしこの青年が隣に引っ越してきた時の為に、顔を知りたい。偏見を持って接するつもりはないけれど、やはり特異な過去を持つ人物として付き合い方に注意する必要はあると思う。もし自分に娘がいたら、この青年には近づいて欲しくない。



(No.14) 10代 男性 許されない(掲載は不適切)

顔写真の公開は少年のその後の生活を著しく侵害するからです。事件を起こした少年と知って雇ってくれる会社があるでしょうか?少年と知って仲良くしてくれる友人がいるでしょうか?少年と知って愛してくれる人がいるでしょうか?



(No.15) 30代 男性 いずれとも言えない

掲載された媒体が「フォーカス」でなければ、「(好ましくはないが)やむを得ない」を選択したと思います。



(No.16) 年齢不明 女性 許されない(掲載は不適切)

犯罪を犯した人には更正する機会が与えられなくてはいけません。刑が未確定のうちは社会に復帰することも充分考えられるし、復帰した際には充分罪は償ったものと判断するので、顔が知れ渡っているのは一方的に不利です。また、この場合未成年であり犯罪の重さ軽さに拘わりなく慎重な対応が望まれました。写真週刊誌側は明らかに正義ではありません。それに追随する行為は、個々の理由がどうであれ、好奇心と判断されてしまう場合もありえる。見たくても見ないことが望ましい。このようなことがまかり通ると、誤認逮捕や免罪である場合も間違った情報が流出する機会が増えます。事件が凶悪だったのでそこに着眼しがちですが……。しかし一般市民として、凶悪犯罪者が身近に暮らすのは不安であると言う気持ちがあって当たり前だし、それを好奇心のようなものと同じにされるのは心外であると言う気持ちも理解できます。やはり、この表現は記者の独断と偏見に相違ありません。私たちが注意しなくてはならないのは、このようなマスコミ側の一方的情報や勝手な思い込みを、鵜呑みにしてしまう軽薄さです。同じ目線で、同じ感覚で事件を見つめ直す必要も感じます。



(No.17) 20代 女性 許される(掲載は妥当)

被害者や被害者の親が公表せざるを得ないのに、その事件を起こした張本人が公表されないなんて、たとえ少年であろうとおかしい。



(No.18) 年齢不明 女性 許される(掲載は妥当)

犯罪者に肖像権は無いと思うから。



(No.19) 40代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

14歳と言えば、ことの善悪を充分判断出来る年齢。それなのに未成年だからと言って、守りすぎるのは、納得がいかなかった。小町さんの自然な感情という、ご意見に賛成。



(No.20) 30代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

街で声をかけられても、ついていってはいけない人の顔だと自分の子供に教えたい。本来ならば新聞やTVのニュースで報道すべきだと思った。



(No.21) 40代 男性 いずれとも言えない

少年犯罪に関しては過保護な部分が多いと思うので、加害者少年の顔写真を何らかの方法で公開することに関しては、その基準や方法や手続きに関する議論を別にすれば、基本的には賛成。ただし、フォーカスが顔写真を掲載した理由は、芸能ゴシップを報道する理由と有意な差が見出せないため、いずれとも言えない。



(No.22) 20代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない

そういうことをしてしまった人はそれなりの責任があり、市民も危険人物を知る権利があると思う。



(No.23) 40代 女性 許される(掲載は妥当)

理由とは言えないかもしれませんので、ここに書くのは場違いだと思うのですが、よろしければ、聞いていただけますか?
連日の報道に、少年の最近の心境とかその両親の手紙とかが出ておりますが、その中で気になった一言。「頑張って罪を償っていきます。」「これから、どんな辛いことがあっても、頑張って生きていきます。」頑張って、頑張って……。思わず、「頑張らんと、罪を償おうという気になれないのか!」と叫びたくなりました。そもそも「頑張る」という言葉は、本人に何の責任も無いにもかかわらず、不当な立場に追いやられた人たちが、それでも、未来に向かって生きていこうという場合に使う言葉だと私は解釈しております。ですから今回の場合、「頑張って生きていく」という言葉を、被害者側が使いこそすれ、加害者側の者が、使うべき言葉では無いような気がしてなりません。私に言わせれば、本当に「頑張って辛い人生」を選択するのであれば、今からでも、顔を公表することくらい、やってみればどうですか?と思います。



(No.24) 60代 男性 許される(掲載は妥当)

貴女の論旨の通り。更に付言すれば、極悪犯は年齢を問わず市中引き回しの上、獄門打ち首が人間が持つ自然な応報刑の思想である。



(No.25) 20代 男性 許される(掲載は妥当)

少年法の限界がきている状態を法曹界は理解してほしい。やはりそのためには、マスメディアの力が必要と思います





2004年03月17日(水) 少年の顔(「フォーカス」アンケート結果発表)

少年の顔(前編)」の中で行った「フォーカス」の少年の顔写真掲載についてのアンケートに、百十四名の方がご協力くださいました。ありがとうございました。
それでは結果発表です。
一番左の棒が全体、中央が女性、右が男性の回答結果。
全体で見ると、顔写真掲載を「許される、妥当」と答えたのは34%、「(好ましくはないが)やむを得ない」は26%。合計すると、回答者の約六割が「容認派」(棒の中のブルー系部分)ということになります。

面白いなと思ったのは、女性の内訳のトップが「(好ましくはないが)やむを得ない(35%)」で消極的な肯定であるのに対し、男性の意見は「許される、妥当(46%)」か「許されない、不適切(40%)」のどちらかにはっきり分かれていること。
また、「許されない、不適切」と考えている割合は女性よりも男性のほうがぐっと高いこともわかりました。

「容認」の理由は大きく分けて、この三種類(スペースの都合上、一部引用とさせていただきます)。

今回も顔写真を手に入れたいくらいです。出来ればすんでいる場所も。なぜなら、自分と自分の家族を被害にあわせたくないから、近づきたくないのです。

【30代 女性 許される(掲載は妥当)】

加害者ばかり保護される今の日本の状況はおかしい。被害者の顔が公表されるなら加害者も公表されるべき。

【10代 男性 (好ましくはないが)やむを得ない】

彼のやったことは、少年犯罪というにはあまりにも重い。将来のある少年だから隠匿されるべき、という性質の犯罪ではなかったはずです。

【20代 女性 許される(掲載は妥当)】

一方、「非容認」の理由でもっとも多かったのはこれ。

少年の顔を知ってしまったら、やっと仮退院して、社会復帰しようというときなのに、周りの人間が拒否反応を起こすのではないでしょうか。やれ元犯罪者だとか凶悪犯だとか言われて、これからの暮らしに支障をきたすことになり兼ねません。

【20代 男性 許されない(掲載は不適切)】

賛否は違えど、いずれも正直な人間らしい感情であり発想であると思いました。
六年五ヶ月という期間で変わることができるものか?という疑問はすべての人の中にあるだろうと思いますが、「彼はきっと更生する」と信じてやることができるか否かが意見の分かれ目になっているのでしょう。
どれが正解というものでもないですが、「人としてやり直すチャンスが与えられなければならない」というコメントには度量の大きさを感じました。相手がどんな人間でも、「許す」という心をなくしきってしまってはいけないのだろうなあ、むずかしいことだけれど。

テキストに書いた「顔が語る」について言及したものも多かったのですが、意見は見事に真っ二つに分かれていました。

加害者A少年、などという「記号」のみをもってして事件を語られても、全く現実味がなかった。顔写真が掲載されたことで、本当に存在する少年が、この事件を起こしたのだと実感することができた。

【20代 女性 許される(掲載は妥当)】

先入観をもって見れば人の顔などどうとでも見えると思うのです。見たいと思う心情は理解できますが、そのこと自体にあまり意味があるのかどうか……。まるで別人の顔が掲載されたとしても、人はもっともらしいことを感じ、もっともらしいことを言うのではないかと。

【20代 男性 許されない(掲載は不適切)】

そして、「許される、妥当」と答えた人の心の中にもあるのではないかな、と思ったのがこの意見。

自らの意に反して社会的に自らの顔を公開されてしまうことは、凶悪事件の加害者が刑法による刑罰以外に受け入れなければならない刑罰なのかもしれないと思うことがある。そういう意味では、神戸の事件は公開されても妥当といえる程の重大事件であったと思う。だが、加害者が少年であったことで、私はそれを妥当と言うことにためらいを感じている。

【30代 女性 いずれとも言えない】

「十四歳」という部分にとらわれてしまい、情けのようなものをばっさり斬り捨てることができない、というところは私の中にもあります。

媒体が「フォーカス」だったことについての意見も多数いただきました。

本来ならば新聞やTVのニュースで報道すべきだと思った。

【30代 女性 (好ましくはないが)やむを得ない】

掲載された媒体が「フォーカス」でなければ、「(好ましくはないが)やむを得ない」を選択したと思います。

【30代 男性 いずれとも言えない】

掲載したのがいわゆるイエロージャーナリズムであったため、なおさらその是非をめぐる議論が大きくなったのでしょう。「部数を伸ばすために利用したんだ」と。うん、心情的にはよくわかる。
しかしながら、前回も書きましたが、もしこれが百パーセント正義感に基づいて新聞紙上で行われたことであったとしても、

未成年の容疑者の顔写真、名前の公表が法律で禁止されている以上、法律の是非はともかくとして、それを破るべきではないから。法律を破ることそのものが肯定される場合があるという前例をつくることは、長い眼で見て秩序を揺るがすことになると思う。

【20代 女性 許されない(掲載は不適切)】

という理由で、非の大きさに違いはないと考えます。メディアが裁くなどということが許されるはずはなく。

それでは最後に、あたまを抱えてしまった問題を。

フォーカスの問題ばかりではないですが、警察に逮捕された時点での顔写真掲載は避けるべきだと思います。なぜなら、警察に逮捕された時点では容疑者だからです。容疑者は取調べを受け、送検され、裁判を受け、判決が出て確定されて初めて刑に服するのです。僕は判決が確定の時点での顔写真掲載はいいと思いますが、容疑者の時点での顔写真掲載は時期尚早だと思うのです。

【30代 男性 許されない(掲載は不適切)】

冤罪の可能性、ですね。松本サリン事件での一件が記憶に新しいので、報道被害というものについて考えさせられました。
しかし、その前に誤認逮捕自体があってはならないことで。裁判で有罪判決が下されたときにはすでに世の中の大半の人は事件があったことすら忘れ去っている、という現実を考えても、そこまで待つべきだとは言えないものが私の中にあります。

「いまさらその話題?」なんて乗ってもらえないんじゃないか、とちょっぴり心配していたのですが、たくさんの方にご参加いただくことができました。
日記を書いていてよかったなあと思うのはこういうときです。私の場合、ひとつのテーマについてこれほど多くの人から考えを聞かせてもらえる場所はここをおいてほかにありませんから。
今回もいい勉強になりました。本当にありがとうございました。

※ 百十四の回答のうち、七十八がコメントあり。これは大事に取っておかなくてはと思ったので、全コメントを別ページに掲載させていただきました。
回答が届いた順に上から並べてあります。さまざまな意見がありますので、よかったらご覧ください(「フォーカス」アンケート回答一覧)。

【あとがき】
アンケートをするときはいつも「こんな結果が出るんじゃないか」と予測をするのですが、今回はむずかしかったです。当時、書店でその号の販売が中止されたり、ワイドショーで非難轟々だったことを思えば、「人権侵害、行き過ぎ報道だ」とする声のほうが多そうな気がする。だけど、身近にはそういう反応に疑問や不満を抱く人たちもけっこういたよなあ。というわけで、蓋を開けてみないことにはわからんなと思いながらの実施となりました。はたして結果はとても興味深いものでした。アンケートをやるたび、本当にいい勉強させてもらってます。いつもありがとう。


2004年03月15日(月) 少年の顔(後編)

前回のテキストからお読みいただけるとうれしいです。

顔写真を掲載した一週間後、「フォーカス」の編集長は「彼のやったことは少年法の枠を踏み越えている。少年の顔を含め、真相をきちんと伝える必要があると考えた」と釈明している。
しかし、いかなる理由をつけようともその行為の是非を問えば、間違いなく「非」だ。被疑者が未成年の場合、少年法第六十一条で「その者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事や写真を新聞その他の出版物に掲載してはならない」と規定されているからである。
掲載されたのが「フォーカス」でなく、新聞であったとしても同じことだ。一出版社、一新聞社にそれが法の枠を踏み越えているかいないかを判断する権限はない。
少年を許さない気持ちと、だから顔写真を公表してもかまわない、とは別の問題である。
しかしながら、行為の是非とそれについての感情、すなわち賛否が一致するとは必ずしも言えないのもまた事実なのである。
正直言って、今回の事件ほど「それは(被疑者の)人権侵害だから」という言葉が耳に虚しく響いたことはない。
それは、「生きる」という人間のもっとも根本的な権利をあのように奪ってもなお、この少年には守られてしかるべきものが残るのだなあという思い。口にするほうも内心は白けているのではないか。
被疑者が二十歳以上であれば住所、氏名、年齢、職業などの情報が公開されるが、未成年の場合は「犯罪者という烙印を押すことにより更生に問題が生ずる」という理由でそれらは非公開となる。プライバシーを保護することが再犯防止につながると考えられているのである。
しかし、私は疑問に思う。法の前に個人は完全に平等であるとされている。社会に戻ったときのために配慮すべき事柄があるとするならば、それは少年だけでなく、成人にも保障されるべきものではないのか。成人には更生の可能性や将来はないというのだろうか。
プライバシーの保護については被疑者が成人であるか未成年であるかに関わらず、一定の基準を設ける必要がある。少年法があくまで被疑者の少年は匿名報道にすべしとするならば、被害者の少年についての情報も伏せられねばならない。
でなければ、「死んだ者には将来がないから晒してもかまわないということか」と受け取られてもしかたがないだろう。

この法律を制定した五十数年前と現代とでは、「未成年」といっても内面の成熟度はずいぶん違っているだろう。「罰する」ではなく、「反省を促し、健全育成を期す」を目的とした少年法ではもはや対処できない、つまり更生を期待できないケースも出てきているのではないか。だとしたら、それは被疑者の少年にとっても不幸なことである。
この事件をきっかけに刑事罰の対象年齢が十六歳から十四歳に引き下げられたことについて、私は妥当だと思っている。それが重大な犯罪であればあるほど、してもよいことかそうでないことかの判断ができる年齢は下がるはずだ。高校生にならないと人を殺すことの善悪がわからない、などということがあるはずがない。
凶悪犯罪の場合は成人と同じように処罰されねばならない。氏名や「顔」の報道についても、本人がしたことの大きさそのままに罪を背負うために必要なことではないだろうか。
被害者の心情を汲んで被疑者を罰することはできないし、決して「重罰を科してこと足れり」とするわけではない。しかし、罪の重さに相応した処分というのは被疑者が更生するために必要なだけでなく、「復讐に走らせない」という意味で被害者の家族を救う役割も担っているのではないだろうか。
山口母子殺人事件の判決を思い出し、私はつくづくそう思う。

「この子、『近畿地方以外』に住むんやってな」
ユミコさんが新聞を畳みながら言う。
「ほら、この子の母親と弟がいま○○に住んでるって言われてるやん?うち、けっこう近いやろ。出てきたらやっぱり一緒に住むんやろかってすごい気になってたんよ。ほっとしたわ」
世間には彼の更生を信じ、温かく見守ってやろうと言ってくれる人ばかりではない。彼は社会に戻ってきてあらためて……いや、初めて、自分のしたことがどんなことだったか身をもって知ることになるだろう。被害者の家族だけでなく自分の家族をも地獄に突き落としたことにも向かい合わねばならない。その中で生きていくことは、おそらく医療少年院での六年五ヶ月とは比べようもないほど過酷なものになる。
しかし、彼は甘んじて受け入れるしかない。彼が奪ったのはお金や物といった、あとから弁済できるものではなかった。その苦しみこそ、償いの方法を持たぬ自分に科せられた刑罰なのだ、と。

※ 参照過去ログ 2004年3月12日付 「少年の顔(前編)

【あとがき】
最近テキストを前・後編に分けることが多いですが、いつも最後まで書いてから「こりゃ長すぎる」ってことで半分に切るんですね。で、今回もそうだったんですけれど、前編の終わりにアンケートをはさんだので、少しばかり気を遣いました。過去に何本かアンケートをして思ったことなんですが、私がどういう結論を持っているかが読めてしまうと、逆の意見が出にくい傾向があるようなので。顔写真掲載に対する賛否については、前編はどちらにも読めないように書いたつもりなんですが、どうだったかしら。アンケートは非常にたくさんの方にお答えいただくことができました。次回、結果発表と紹介をさせていただきます。本当にありがとうございました。


2004年03月12日(金) 少年の顔(前編)

昨日のこと、始業まで時間があったのでお茶でも飲むかと休憩室に行くと、同僚のユミコさんが新聞を読んでいた。
「まじめな顔してなに読んでんの」とのぞきこんだら、これこれ、と彼女が指差したのは「神戸児童殺傷事件、加害少年が仮退院」という見出し。その記事は私も自宅で読んでいた。いまだ社会的関心が高い事件であることや国民の不安を払拭するという観点から、少年事件では今回初めて仮退院の事実や理由などの情報を公表することになった、という内容である。
「あれから七年か。この子の顔もずいぶん変わったやろうな」
彼女のその言葉を聞いて、思い出したことがある。当時、私にはいくら考えてもわからないことがあったのだ。
逮捕直後に発売された「フォーカス」に少年の顔写真が掲載されたことをめぐって、大変な議論が巻き起こったことを覚えておいでの方は多いと思う。
「少年の人権を侵害する過熱報道である」として一部の書店やコンビニは販売中止措置を取り、図書館は閲読規制をし、いくつかの企業は件の週刊誌への広告掲載を止めた。ワイドショーではコメンテーターが「卑しい好奇心」「悪趣味の極み」と断じ、法務省は発行元である新潮社に対し、異例の回収勧告を出した。
この騒動の中で、私はひとつの素朴な疑問を抱いた。そのことは、一出版社が「この事件は法の枠を越えている」と独自で判断し写真掲載に踏み切った、その行為の是非とは分けて考えたい。
私がどうしてもわからなかったのは、「少年の顔を見たい」と思う心はそんなに厭わしく、非難されねばならぬような感情なのか、ということである。
なによりも「その人」を語るのは、人間の顔だ。そこには他者になにかを伝えたり、訴えかけるための強大な力が存在する。
職場の廊下の壁に、かわいらしい女の子の写真がついた張り紙がもう九ヶ月間も貼られている。「小学校四年生の吉川友梨ちゃんが行方不明になっている」と新聞の文字だけで読んだときとは、私の中の「早く見つかってほしい」と願う気持ち、ご両親の心中を察しての胸の痛みの大きさは格段に違う。
あるいは、「アメリカでの心臓移植実現に力を貸してください」といった街頭募金。ポスターに患者の方の写真が入っているのといないのとでは、足を止める人の数にずいぶんと差が出るのではないだろうか。
拉致被害者の五人が羽田空港で初めてその姿を見せたとき、「残っている人たちをなんとしても救い出さねば」の思いがより一層強まったという人は少なくないはずだ。
新聞やテレビのニュースに事件や事故の被害者、加害者の顔写真が出るのは、いったいなぜか。決して見る者の好奇心を満たすためではない。「いついつこんな事件がありました」「どこそこでこんな事故が起こりました」という文字や音声による情報だけでは、それらは人の記憶に留まらない。第三者がその事柄について理解しようという気持ちを持つには、親身になるには、関係した人たちの「顔」が必要だからだ。
怒りや悲しみを共有することなくして、「こんなことは二度と繰り返してはならない」とか「一日も早い解決を」といった思いが生まれることはありえない。その不幸を当事者のあいだだけで密やかに片づけてしまうのではなく、社会で共有し、教訓とする。
そのために写真が公開されるのだ、その人たちの顔を知っておかねば生活に支障が出るというわけでないにもかかわらず。私はそう考えている。
これは芸能人のプライベートをのぞき見するといった類の好奇心とは性質が違う。いや、今回も仮退院した「元少年」の顔写真がネットで流れたというから、そういう人間もいるにはいる。新潮社の写真掲載についても、私はそれが百パーセント正義感に基づいてのものであるとは思っていない。
しかしそれはそれとして、あれほど凶悪な事件を起こした少年がどんな顔をしているのか知りたいと思うのは、きわめて自然、かつ当然のことではないか。持ったからといって低俗な人間だと己を恥じねばならぬような感情ではない、と私は思う。
情報を求める側の心持ちによって、卑しい好奇心にもなれば正常な欲求にもなる。それがあの、「少年の顔」ではなかったろうか。

欲求があるから求める権利が発生するとは限らない。需要があれば供給が許されるというものでは必ずしもない。
それについて思うところは次回述べたい。



簡単な無記名アンケートにお答えいただけませんか(いまさらこの話題?とか言わないで)。
あなたのメールアドレスはこちらにはわかりませんので、お気軽に。アドレスをお持ちでない方も送信できます。
なお、コメントは後日紹介させていただく可能性があることをご了承ください。


あなたは

  
  男性   女性


「フォーカス」の顔写真掲載について

   許される(掲載は妥当) 

   (好ましくはないが)やむを得ない

   許されない(掲載は不適切)

   いずれとも言えない



できれば理由を


   

  
ありがとうございました。結果は後日。




【あとがき】
約一年ぶりのアンケートです。去年は「土俵の女人禁制」「女性専用車両」などでたくさんの方にご協力いただきました(ありがとう)。ほかの人は顔写真掲載についてどう思っているんだろう?と当時すごく興味があったんです。よかったら意見、聞かせてください。


2004年03月03日(水) 感想メールでよく言われる不本意なこと

ある男性日記書きさんから面白い話を聞いた。
その方(Aさんとする)には、読み手からしばしば言われることの中で不本意に思っていることがふたつばかりあるという。
ひとつは、「はじめまして」のメールに返信すると「返事が来るとは思っていませんでした」と言われること。「返事もしない人間だと思われているなんて、ちょっと心外」というニュアンスでおっしゃる。
しかしながら、私はAさんから返事が届いて「うそー、信じられない」と驚喜する読み手がいることをちっとも不思議に思わない。彼の日記は有名で、とても人気がある。読み手は「きっとたくさんメールをもらっているんだろう」と想像しているため、まさか返事が届くとは思わないのだろう。
また、彼らがAさんに「雲の上の人」的なものを感じている可能性もある。「これはすごい」と思った日記の書き手には憧れや敬意を抱くものだが、それが仰ぎ見るような位置関係をつくりだしているのではないだろうか。私にも、もう何年も「読んでます」さえ伝えることのできない日記書きさんがひとりいる。
そしてもうひとつの「不本意」は、「Aさんはモテモテだから、私なんかが誘っても見向きもしてくれないと思う」と言われること。「私なんかに見向きもしないでしょ」は事実に反するそうで、この部分を誤解されていることが本意でないらしい。
しかし、これまた女性がそんなふうに卑屈になってしまうのがわかるような気がする私。Aさんのテキストには「この人はモテるだろうな」と思わせるものがあるし、その言動や生活からはかなり目が肥えていて女性の容姿にもこだわりを持っていそうな雰囲気が窺える。そのため、恋心を抱いていてもよほど自分に自信のある女性でなければ尻込みしてしまうのではないだろうか。
そう分析したところ、「ここ何年か、何人かの女性に同じことを言われてます」とのこと。うーん、すごい。これが自慢に聞こえないのは、本人にそのつもりがないことに加え、こちらに「やっぱりね、わかるわ」と頷かせるものがあるからだろう。私はそのことに舌を巻いてしまった。

ところでさきほど、読み手が「まさか返事なんて来るわけがない」と思っているから届いたときに驚くのだという話をしたが、では逆に「コメントを送れば返事は必ず届くもの」と思っている人はどのくらいいるのだろう。
誰かになんらかの働きかけをすればリターンを望むのは自然な感情だから、返事がなかったときに軽くがっかりするのは無理のないことである。立て替えてそのままになってしまったコーヒー代のように、しばらくは心の隅に引っかかっていることだろう。
しかしながら、届いたメールすべてに返信する日記書きさんはそれほど多くないと思われる。「多忙につき返事が遅れております。いましばらくお待ちください」なんてメッセージをサイト上で見かけることもあるので、いないわけではないだろうが、私の周囲では「全部に返信はしないよ」という人がほとんど。「基本、返信しない」という人もいるくらいだ。
わりと気軽にコメントを送っていた頃、返事が届く確率は五十パーセント強といったところだった。案外返ってこないもんだな、と思った記憶がある。
いくつかの理由から、私はいただいたメールには必ず返信することにしているが、読み手として誰かにコメントを送ったとき、「返ってくるのが当たり前」とは思っていない。思うべきではないと思っている。「返事を期待してしまう」はもちろんありだが、それが届かなかったときに殊更落胆したりムッとしたりされるとしたら、日記書きには厳しい話だ。
仕事や家庭を持つ書き手であれば、時間をかき集めて日記を更新するのが精一杯。返信まで手が回らないのが現実ではないかと思う。きっと彼らは返事ができないことをすまなく思いながら、その分更新頻度やテキストの質を落とさないことに心を砕いている。
そう思うと、「返事なんて来るわけない」と思われているというのは、多くの書き手にとっては気楽で都合のよいことなのかもしれない。

ところで、私にもひとつあった。感想メールの中でよく見かける、不本意なフレーズが。
「(日記に書かれてあったのは)自分のことかと思い、どきっとしました」
これは本当によく言われる。「あれは私(の日記)のことですか」と怒り口調のメールが届き、なんのことだろうと見に行って、ビンゴということもたまにある。
しかし、それは誤解というものだ。私はこの日記を「自分に念を押すため」に書いている。このスペースを使って誰かになにかを伝えようとすることはない。それに、現象ではなく個人について書くときは、ちゃんとリンクを張る。
だから、もしこれまでに、あるいはこれから「それは私のことか?」と不安になることがあっても思い過ごしである。
……なんて書いたら、また「今日の日記、あれは私のことですか」って言われちゃうのかしら。

【あとがき】
「あの人はモテそうだな」と思っている男性日記書きさんは何人かいますが、本人から「実際にモテている」と話を聞いたのは初めて。でもそんな男性を相手に、「私なんかが誘ってもどうせだめでしょ?」と一見卑屈っぽいことを言いながら相手の出方をみる女性もスゴイと思います。


2004年03月01日(月) 突っ走る女たち

内館牧子さんのエッセイに、ある日の新聞の投書を読んでの話があった。
投稿者は三十五歳の主婦、銀行マンである夫の過労を心配する内容である。

行員一万人の都市銀行に勤めている夫は一日平均十四時間働き、サービス残業は月百時間以上。忙しくて昼食抜きになることも多く、毎日睡眠不足と戦っている。子どもが入院したときに半日休んだら、「そんなことで休むのか」と上司に言われたそうだ。
社内で健康キャンペーンをするなら、万歩計の数値を報告させるより昼食をきちんと取れるようにしてほしい。睡眠時間を削る持ち帰り残業を廃止してほしい。


これを読んで内館さんが思ったのは、「妻が実名でこんな投稿をして大丈夫なのだろうか」ということだったという。
この夫は「出世も会社人生もどうでもいい」というタイプには見えない。これだけ過酷な労働環境にありながら転職も考えず働きまくっているということは、それらをあきらめたくない、もしくはまだあきらめていない人なのだと思う。この投稿は当然、社内の人間の目に触れるだろう。それによって夫がここまで培ってきたものが根こそぎ崩れ去るようなことにはならないだろうか、と。
まったく同意見である。私がまず気になったのは、夫は妻がこのような投稿をしたことを知っていたのだろうかということだ。
おそらく知らなかったのではないか。上司の言葉まで引き合いに出したこの文章は、愚痴というより非難のニュアンスが強い。もし夫が事前に目にしていたら、慌てて破り捨てたのではないかと思うのだ。
妻は会社に対して憤りを感じており、夫が過労死するのではと切羽詰まっていたのだろう。けれど、新聞の片隅で何を訴えたところで夫の処遇が改善されることはない。それなのに、皮肉なことにその小さな投書は夫のサラリーマンとしての将来を破壊する力は持っているのである。
彼女は自分の文章が上司の目に留まったとき、夫が被ることになるかもしれない不利益についてまでは考えなかったのではないだろうか。

内館さんは先述の投稿者の女性を「突っ走り妻」と表現したが、新聞の投書欄ではこういう危なっかしいというか、「それはひとりよがりなのでは」とこちらがハラハラしてしまうような女性に時々出会う。
先日、六十三歳の主婦が書いたこんな文章が目に留まった。

どうしているだろうとずっと気にかけていた、高校時代に仲の良かった男性の住所を知ることができたので、思いきって年賀状を出してみた。すると、私のことを覚えているといううれしい返事が届いた。
音信不通だったこの五十年のあいだの出来事を彼に伝えたくて、まずは「十八歳までの私」を便箋四枚にしたためた。次の手紙では社会人になってゆく私を伝えよう。
何回目の手紙でいまの年齢に到達できるかしら。きっと楽しんで読んでくれるに違いない。


これを読み、多くの人は「微笑ましい話だな」と目を細めるのだと思う。これが掲載されていたのも「ほのぼのとしたちょっといい話」用の投書欄だった。
しかしながら、私は「これってどうなのかねえ……」と考えてしまった。
というのは、相手の男性にとって投稿者の女性から手紙が送られてくることは“歓迎”なのかどうかという部分を量りかねたから。年賀状が届いたときはきっとうれしかったに違いない。そんな女の子もいたなあと懐かしく思い出し、喜んで返事を出したことだろう。しかし、封がされた手紙となると話は違ってくるのではないか。通常、それには年賀状にはない重みや意味合いが込められているものだ。この男性にもおそらく妻子があるだろう。自宅に女性から手紙が届くようになったら、不都合はないのだろうか。
それにもうひとつ、十代の一時期仲が良かったというだけで恋人だったわけでもない、言わば“通りすがり”の女性の歴史を知りたいなんて思うだろうかという疑問もある。
インターネットをはじめたばかりの頃、私はうれしがって「この指とまれ!」という同窓会支援サイトに登録した。卒業した学校の名簿に名前を載せておくと、同級生や先生とネット上で再会できることがあるのだ。そうしたらしばらくして、中学時代に同じ部活だった男の子から「おひさしぶりです」とメールが届いた。しかし、ひと通り近況報告が済み、内容がたわいもない日常の話にシフトすると、私は次第にやりとりが負担になってきた。彼の現在にはそれほど興味がなかったからである。読むのも返事を書くのも手軽なメールでさえこうなのだから、もし手紙だったら億劫を通り越して迷惑にさえ感じたのではないかと思う。
投書の中の男性が投稿者の女性の話に楽しく相槌を打つことのできる人であればよいなとは思うが、ノスタルジーだけに由来するハイテンションはそう長く持つものではないような気がする。「同じ気持ちでいてくれているはず」という能天気な思い込みは相手を困惑させるだけでなく、結果的に自分をひどくみじめにする。男と女のあいだのことにおいては、とくに。
私がこんなふうに穿った目で見てしまうのは、ひとりよがりの思いというのがいかに哀れで滑稽か、身をもって知っているからだ。

【あとがき】
薄情なようですが、私は付き合っていた人たちの近況でもそう知りたいとは思いません。幸せに暮らしていてほしいとは思いますが、それも漠然としたものであって「祈る」ような真剣なものではないし。私にとって過去の恋人はすでに「通りすがりの人」となっています。まあ、一部男性を除いての話ですけれど。