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2003年08月30日(土) 着信拒否

学生時代の友人に会ったら、なにやら浮かない顔をしている。彼女は最近、思いを寄せていた男性に振られたばかり。テンションが低いのはそのためだろうと思っていたら、それだけではなかったらしい。
「電話、彼に着信拒否されてるみたいやねん」
ここひと月ほど、いつかけても話し中になっている。そこで自分の携帯がおかしいのかもしれないと思い、自宅の電話からかけてみたところ、すぐに相手が電話口に出たというのである。
彼女は驚いて何も言わずに切ってしまったのだが、慌てて携帯からかけ直したらまたしても話し中。「これって完璧、拒否られてるよなあ……」とうなだれる。
私はまったく知らなかったのだけれど、着信拒否を設定されると電話をかけたときにツー・ツー音が聞こえてくるのだそうだ。
彼女がしょんぼりと言う。恋人がいると告げられてからは電話も控えてきたし、自分の気持ちを押しつけるようなこともしていないつもり。なぜ着信拒否なんてされなければならないの?
思いきってメールで尋ねてみたが、彼は「そんなことはしていない」の一点張り。しかし、相変わらず彼女の携帯からはつながらない。
「つながらんのはなんでかわからんけど、もしかしたらほんまに着信拒否じゃないんかも、と思ったりもするねん」
彼は着信拒否を否定している。もし本当にそれをしていたならば、ばれたとわかったときに解除するのではないか、というのがその理由だ。できればそう思いたいという彼女の気持ちも伝わってくる。
しかし、そうだろうか。彼女には酷だが、私はそうは思わない。
というのは、私が彼の立場だったらすぐに着信拒否を解くことはないだろうと想像するから。「すぐに電話がつながるようになったら、さっきまで拒否してましたってばればれやん。もうしばらく放置しておこう」と考えるような気がする。
……と言ったら、「そこまで裏を読むか」とあきれられてしまった。うん、私は男と女のことに関しては、まだもう一回ひっくり返して読むくらいのことはする。
それにしても、彼女の話が正確で、かつ着信拒否が事実であるとするならば、話すのが気が進まないくらいのことでまったくいじましいことをするものだ。こういうことはあまり口にすべきではないのだろうけれど、つい「男のくせにめめしいやつ」とつぶやいてしまう。
ばれてもなお白を切り続け、表面上は以前と変わりなく振る舞うというところがさらに気に入らない。何食わぬ顔をして腹の中ではペロリと舌を出しているなんて、人として信じられない。
「もうかけてこないで」と言えないから着信拒否をするのだ、とおっしゃる向きもあるだろう。しかし、それならどうして「もしかして私のこと拒否ってる?」と訊かれたときにはっきり言わなかったのか。NOを伝える絶好のチャンスだったのに。
「相手を傷つけたくない」なんていうのは嘘だ。悪い感情を持たれたくない、でも手っ取り早く相手を遠ざけたい、それしかない。

電話で着信拒否をされたことはないけれど、メールなら「もしかしてそうかな」と思ったことはある。
「日記を読みましたが……」というメールに返信しようとすると、エラーメッセージが出て送れない。何日待っても同じこと。たしかにメールの文末には、「返事は不要です」と書いてあった。しかし、私は受け取ったメールには返信する主義。
不穏なメールに対しては多少なりとも神経を遣って返事を書くため、時間がかかる。それが届けられないとわかったときの脱力感といったら。
「あなたね、自分は好き放題言っといてこちらの言い分は聞かないよって、それはないんじゃないの」という思いももちろんある。しかしまあ、世の中にはいろんな人がいる。そんなことより悔しいのは、私の時間を返せ!ということだ。
「それならそうと『受信拒否するので、送ってきても無駄です』って書いとかんかい」
そうして私はモニタの前でしばらく暴れるのである。
私はナイーブな人間ではないので、サイトをやっていて不愉快に感じることといったらこのくらいしか思い浮かばない。
しかし、「それをしなくてはならないほどのことか?」と思わずにいられないレベルのことであっさり着信拒否、受信拒否に走ってしまう人、こういうやり方で物事の片をつけられると信じている人ほど不気味に感じる存在はない。

【あとがき】
もし私が好きな人に着信拒否、受信拒否なんかされたら、ショックで立ち直れないだろうなあ。そんなことをさせるようなことをしてしまった自分に対する苛立ち(たとえ身に覚えはなくても、自分を責めてしまうものですよね)と、そんなふうに思われてしまったという事実に打ちのめされるのと、面倒なことはそんな方法でシャットアウトしてしまえと考えるような人だったのかという相手に対する失望とのトリプルパンチ。幸いそんな経験はありませんが……。メールの受信拒否にしても、もしサイトではなくこれがプライベートで付き合いのある相手だったら、腹が立つというのではなくただひたすら悲しかったろうと思います。


2003年08月28日(木) ボウリングOFF開催のお知らせ

八月も残すところあと四日。夏の終わり、それはすなわち秋の到来。
というわけで、七月の終わりに「秋になったらなにか遊びの企画立てます」と書いた、あれのご案内です。
(「それ、なんだっけ?」な方は7月25日の日記を読んでね)


2003年08月26日(火) 日本が世界に誇れるもの

週末実家に帰ったら、リビングのテーブルに『地球の歩き方』が置いてあった。
「あ、そっか。来月だっけ、イタリア」
キッチンでお茶の用意をしてくれている母に声をかけると、「もうパスポートも取ってきたよ」と弾んだ声が返ってきた。かの国は一度訪れたことがある。懐かしいなあと思いながら付箋のたくさんついたガイドブックをぱらぱらめくっていると、母が言った。
「スリやひったくりが多いから財布を分けなさいとか、クレジットカードを使うときは要注意とか、両替したらその場で必ず確認しなさいとか。えらく治安の悪い国みたいに書いてあるね」
今回のイタリアが両親にとって初めての海外旅行である。先日電話で飛行機について訊かれたとき、私は十三時間はけっこうきついだの、機内食はあまりおいしくないだのとつまらないことを言い、少々がっかりさせてしまった。
そのためこれ以上夢をつぶすようなことは言いたくなかったのだけれど、しかし日本とは根本的に違うんだということは伝えておかねば、と思い直す。旅慣れた若い人でも騙されたりぼられたりすることがあるのに、うちの両親などいいカモにされてしまいそうだ。

海外に出かけるたびに「日本っていいよな、すごいよな」と感心するのは、バッグを置いて席を立ってもなくならないとか、水道の水が飲めるとか、トイレに紙がついているとか、そりゃあいろいろあるけれど、「人がきちんとしている」ということもひとつ挙げたい。
それは商品やサービスの提供者を信用、信頼できるということだ。仕事に対するまじめさ、ていねいさにおいて日本にかなう国があるだろうか。
たとえば日本のホテルでベルボーイが壁にもたれて客を待っていたり、フロントがモーニングコールを忘れたりするといったことは考えられない。しかし、海の向こうではそんなことは日常茶飯事だ。
アリタリア航空の飛行機に乗ったとき、手元のコールボタンが壊れていたため客室乗務員のところに行って水を頼んだところ、空いた客席に座っていた彼女は組んだ足をぶらぶらさせながら、顎で「あっち」と指し示した。JALやANAなら、たとえ私が「空気を運ぶよりはマシ」程度の利益の薄いツアー客であったとしてもこんなことはありえない。上海で泊まったホテルは四ツ星だったにもかかわらず、朝フロントに投函を頼んだ郵便物が夜遅く戻ってきたときにも机の隅に放置されたままだった。日本なら一泊五千円のビジネスホテルでだってこんなことは起こらない。
飛行機やホテルではとくにそうだが、デパートでもレストランでも、日本のサービス業では基本的に客をとても大切に扱う。あまりに親切でていねいな応対に日本人の私でさえ恐縮してしまうことがあるくらいだから、外国の人はその笑顔や腰の低さに戸惑いを覚えるかもしれない。
……などと言うと、「いや、最近はそんなことはない」とサービスの質の低下を嘆く声が聞こえてきそうだが、少なくとも日本を訪れる外国人がタクシーの運転手に法外な料金を請求されたり、店員に釣りをごまかされたりするかもしれないといった心配をする必要はないだろう。こういった部分での信用があるというのは、私たちが世界に誇れる美徳であると思う。
そしてもうひとつ私が「日本人ってきちんとしているよなあ」と思っているのが、身だしなみと行儀に関してだ。
前回の日記にヨーロッパの若い女性の肥満率の高さについて書いたが、豊満な彼女たちが露出度の高い格好でおなかや二の腕の肉を揺らしている様は壮観だった。日本の女の子なら、あの体型でおへそを出そうとかショートパンツを履こうなんて死んでも考えない。隠すことに躍起になるか、「ああいう服が似合うようになりたい」とダイエットにいそしむところであるが、あちらではそんなことは本人もまわりもおかまいなしだ(と私には見えた)。
いつも思うことなのだが、海外に行くと自分の中の恥の感覚が麻痺、いや消滅してしまうような気がする。
あちらの女性はブラジャーのストラップを隠す気などはじめからないし、ローライズのパンツの腰から下着が、いやお尻がのぞいていてもへっちゃら。もし日本で「ブラの肩紐見えてるよ」なんて指摘されたら、私は「いつから見えていたんだろう」と気が気でなくなるが、ここでならブラジャーをするのを忘れていたって動揺しないかもと思った。
振る舞いについてもそうだ。電車の中でものを食べようが、街中でジベタリアンしようが、抱き合ってキスしようが、おそらく誰の目にも留まらない。あまりにもありふれた光景だから。
ロンドンでみながとてもおいしそうにソフトクリームをなめているので私もつい買ってしまったのだけれど、ひとりでものを食べながら歩くなど日本ではかなり勇気のいることだ。そんなことで「私、いま外国に来ているんだワ」と実感してしまった。
たまに海外に出かけ、日本ではみっともないとされているようなことをしてみるのは楽しいものだ。
しかしながら、そういうことが許されてしまう環境の中で暮らすとなると不安を感じる。それはあたかもゴムのゆるい楽ちんスカートを履きっぱなしといった感じで。前回、もし私が欧米に住んでいたらいまより十キロはウエイトオーバーしているだろうと書いたが、恥じらいを感じる神経のほうもうんと図太くなりそうだ。
私は日本人の、身だしなみや立ち居振る舞いについての口うるささというか美意識の高さをかなり好ましく思っている。
あちらの若者が親や年配の人に「行儀が悪い」と叱られるのはどんな場面なんだろうか。

【あとがき】
「どうしてあんなに無頓着でいられるのだろう」とあちらの女性に対して不思議に思うのは体型だけではなくて。今回訪れた北欧の太陽は強烈でしたが、みな素肌を剥き出しにしたまま日なたでお茶を飲んだり、芝生に寝っ転がったり。そのため若い人でもシミやそばかすがびっしり。背中や腕、手の甲にまでそばかすができるものだとは知りませんでした。それに比べ、日本の女性の肌のきれいなことといったら。日本では年齢にかかわらず女性は街を歩くときは日傘を差すし、日焼け止めにも余念がない。日本人女性の肌の美しさもまた世界に誇れるもののひとつではないかと思うわけです。


2003年08月23日(土) 太っていたらできないこと

二週間も前に買ったのに、なかなか読み終えられない本がある。村上龍さんの『すべての男は消耗品である』というエッセイだ。
誰かの書いたものに初めて触れたとき、早い段階で「失敗したな」と思うことはままある。が、それでもいくばくかのお金を支払ったからにはもったいないという気持ちが働くので、一応は最後まで読む。しかしながら、この本にいたってはちっとも読み進まない。
私は基本的に毒舌調の文章が苦手なのだが、とりわけ受けつけないのは差別用語や侮蔑的な発言が散りばめられたもの。まだ半分しか読んでいないにもかかわらず、このエッセイの中で私は何度「ブス」という単語を目にしたことだろう。
「デブ」や「ハゲ」もそうだが、「ブス」はあまりにも語調がきつい。そこには情味も含蓄もない。「オレ」が一人称になっている文章の中にそういう単語がやたらと出てくると、なおのことそう感じる。
おそらく彼は自分について読者にある種のイメージを抱かせることを狙って、あえてこのような身も蓋もない言葉を用いているのであろう。その意味では成功していると言える。私にはせっかくの文章をわざわざ「汚なくする」趣味はないので、まず使わないけれど。
おっと、話がそれてしまった。今日は村上龍さんのエッセイとは相性がよくなかった、なんて話が書きたいのではないのだ。

村上さんはどうやら女性の顔の造作に妥協できない方らしい。「ブスは論外」と公言してはばからない。

デパートや遊園地に行くと、すげえ!と大声を出したくなるようなブスが、平気で結婚していて、子供なんか連れている。ブスとやる男もいるのだ。

酒場で、女が泣いているのを見るのは、なかなか興味をそそられるものである。泣いているのがブスなおばんだったら、これほど見苦しいものはない。


うん、確かにこういう男性も少なからずいるだろう。
しかしながら、私はどちらかというと日本の男性は不美人よりも太った女性に対して厳しいのではないかと感じている。欧米の男性に比べ、女性の体型についての許容範囲が狭いのではないかと。顔の造作がどうのこうのについては「お互いさま」ということ、「こればっかりはしかたがない」とある程度理解を示しており、比較的寛容であると言えると思う。が、太っていることには容赦ない。
それはなにも村上さんのように「デブは論外」なんてことを言う、という意味ではない。ほとんどの男性はそんなことを口にしないということくらいわかっている。
私の言う「厳しい」とは、日本の男性は太っている女性のことは最初から、まるでそれが当然のことであるかのように自動的に恋愛対象から除外してしまう傾向があるのではないかということだ。
欧米を旅行するたび、あちらの人の肥満率の高さに目を見張るが、私をもっとも驚かせるのは「太っているのが中高年層に限らないこと」である。そう、おしゃれ盛りの若い女性までかなりの確率で肥満しているのだ。
ダイエットに精を出し、棒のような足をした日本の十代、二十代の女の子たちとは大違いである。
なぜ日本の女の子がこれほどまでに水の溜まる鎖骨に憧れるのか。理由はひとつ。太っていたら恋ができないからである。
私のまわりにもかなり豊満なからだつきの女性がいる。混浴の温泉で備えつけのバスタオルを胸に巻いて入ろうとしたところ、届かなかったというエピソードを持つ友人は彼氏いない歴三十一年だ。ほかにも何人かいるが、誰ひとり男性と付き合った経験がない。
では、欧米の肥満した女の子たちはどうなのか。やはり独り身かというと、そうでもなさそうなのだ。ヨーロッパをめぐっているあいだ注意深く観察していたのだけれど、村上さんの言葉を借りるなら「すげえ!と大声を出したくなるような」でっぷりとした女性の多くにも、隣りには彼女をエスコートする男性の姿がちゃんとあった。日本だとおそらくこうはいかない。
私は考える。欧米と日本ではいったいなにが違うのか。
さきにも述べたように、あちらの国では肥えた人がちっともめずらしくない。男性にとって女性が太っているのが特別なことではないために、妙齢の女性の肥満にも寛容なのではないか。もしくは、人種がごちゃまぜになった世界で暮らしている彼らは痩せているとか太っているということを、目や肌、髪の色が違うのと同じように個体の特性として解釈しているのかもしれない。
それに対し、日本では肉体における「標準」がはっきりしている。そのため、わが国の男性は太っている女性を規格外とみなし、ハネてしまうのではないだろうか。

今回の旅のあいだにも見惚れてしまうほどスタイルのよい女性を何人も見かけたけれど、欧米の国で暮らしながらあの体型を維持するのは至難の業であると推測する。
まわりには肥満した人間があふれ、少々太ったところで誰にもなにも言われない。ブティックで洋服のサイズがなくて困ることもない。そして毎日が洋食。
そんな環境でスリムなボディをキープするのはどれほど大変なことだろう。「太るまい」とするなら、日本で暮らす私たちの何倍もの自制心が必要なはずだ。私はもし自分がアメリカやヨーロッパに住んでいたら、いまより十キロは太っている自信がある。
ミニスカートからすんなり伸びた長い足。その街の中で、彼女たちは違う星の生き物のように見えた。

【あとがき】
私が初めてアメリカを訪れたのはオーランドのディズニーワールドに行ったときだったのですが、それはもう驚きました。すでに「ふくよか」という表現が適切ではなくなっている人たちであふれかえっていたから。日本の基準でいえば、八割くらいの人が肥満に分類されたのではないだろうか。アメリカでは肥満は自己管理できない人と見なされ、出世もできないのではなかったか。なのに目の前に広がっているこの光景はいったいなんなのだ……と激しく首をひねったものです(友人の解釈では「オーランドは田舎だし、ここにいるのは観光客ばっかりだからだよ。都会ではこんなことはないはず」ということでしたが)。
そして先日旅した北欧でも、肥満している人の数は日本とは比べものにならないくらい多かった。欧米人とはからだの作りが違うのでしょうね。私たちは暴飲暴食の限りを尽くしてもアメリカ人のように球体にはなれないし(そこに達する前に病気になってしまうのでしょう)。


2003年08月21日(木) ぜいたくな旅

出発前、友人たちは異口同音に「北欧に避暑!優雅やねえ」と言ってくれ、私もそのつもりだったのであるが、フタを開けたら優雅とはかけ離れた旅になった。理由はいくつかある。
ひとつは、あまりにも物価が高かったこと。
北欧の旅はお金がかかるというのは噂には聞いていたが、これほどとは思わなかった。なにもかもが信じられないくらい高い。五百ミリリットルのペットボトルの水が四百円、ガソリン一リットルが百九十円するのである。
両替したばかりの二百クローネ札(約三千六百円)を握りしめ、郵便局に切手を買いに行ったところ。
夫  「おつりは?」
私  「ない」
夫  「ないわけないでしょう。いったい何百枚買ったの?」
私  「ううん、二十枚しか買えなかった」
最初に訪れたデンマークで、早くも「これはまずいぞ。このままいくと、帰国したらお粥生活になってしまう」と危機感を抱いた私。そこで食費を切り詰めようと考えたのであるが、お手上げだった。なんせ街角の売店のソーセージをはさんだだけのホットドッグが五百円するのだから。
北欧が私にとって食べ物自慢の国でなかったのが、せめてもの救いであった。
もうひとつ、私たちを苦労させたのは宿である。
ふだんからホテルの予約をせず、現地の空港や街のツーリストインフォメーションで探すことが多かったのだけれど、今回は観光のベストシーズンということで見事に空きなし。二都市でユースホステルに宿泊することになってしまった。
いや、ユース自体はまったくかまわない。けれど、旅行に来て夫婦別々で二晩も過ごす(男女別の六人部屋だった)ってのはどうなのかしら……とは思わなくもない。
まあ、二段ベッドの上段で天井にあたまを打ちつけたのもひさしぶりだったし(ぜったいやるとは思っていたが)、翌朝同室のアメリカ人やカナダ人の女の子たちと“Have a nice trip!”のあいさつで別れるというのも悪くなかったけれど。
私には生きているうちに、それもできるなら若いうちに訪れたい、見ておきたいと思っている国や場所がいくつかあるのだけれど、ノルウェーのフィヨルドもそのうちのひとつだった。デンマークのコペンハーゲンで自転車を乗り回した後、船でオスロ入り。そこからレンタカーでフィヨルドの旅に出かけることを私はどれだけ楽しみにしていただろう。
世界最長、最深のソグネフィヨルドを見るため、ノルウェー海に面したベルゲンの街までひた走る。その距離、実に六百キロ。運転できない、地図読めないの私は夫にとってただの重石のような存在だったにちがいない。じゃあせめて愉快な重石になろうと思ったのであるが、実際は助手席でお菓子を食べたり、大声で歌ったり、長いまばたきをしたり……となんの役にも立たなかった。
そんなわけで夫はとても大変だったと思うが、車での旅を選んだのは大正解だった。ノルウェーはイメージしていた通り、本当に森と湖(海というべきかもしれない)の国だった。オスロ-ベルゲンを往復する四日間、日本の、それも都会にしか住んだことのない私にはちょっと信じられないような風景に包まれた。
さきほど宿探しに苦労したと書いたが、実はここでの一晩はユースすら見つけられず、野宿をしている。車のシートを倒して横になったが、寒くて眠れない。フロントガラス越しに星空を眺めながら「こんなところまで来て、なんで外に寝ているのかしら」と首をかしげたけれど、朝日のまぶしさで目が覚め、眼前に広がる湖面がキラキラと輝いているのを見たとき、私はいまなんてすてきな体験をしているのだろうと思った。車から出てあたりを見渡す。「山に抱かれる」をからだで感じたのも初めてだった。
フィヨルド水を打ったような静けさの中、ソグネフィヨルドを船で進んだ。波ひとつない水面は周囲の岩肌や木々を鏡のように映し出している。遠くに氷河が見える。アザラシが水の中からちょこんと顔を出し、不思議そうにこちらを見ている。
両側にそそり立つ雪をかぶった岩山からは無数の滝が落ち、その水をコップにすくって飲んでみる。とても冷たくて、そして何の味もしない。ああ、水って本当はこういうものなんだと思った。アラスカで鮮やかな水色をした氷山を見たときと同じに、私はその神々しいとさえいえる景色に圧倒され、ただただ息をのんで見つめるのみだった。
この感動と驚きを言葉で再現することはとてもできない。けれどひとつだけ言うなら、胸に湧きあがってきたのは「ああ、自然にはかなわない」という思い。人間も本当はほかの動物と同じ、大地を“間借り”して生きている存在。なのに私たちはなにか勘違いしているなあ、と。

パンとハムを買ってきてサンドイッチを作って食べたり、車の中で眠ったり。優雅とはとても言えないものだったけれど、だけどこんなにぜいたくな旅をしたことはない気がする。
二〇〇三年八月十八日。すばらしい思い出を作って帰ってきました。

【あとがき】
北欧に食べ物は期待していませんでしたが、少々心残りだったのは「鯨肉」を食べられなかったことでしょうか。小学校のとき、給食に「鯨肉のノルウェー風」というメニューがあって、甘辛く煮たあの硬い肉がとても好きだったんですね。で、ノルウェー風と名がついているくらいだから、あちらではよく食べられているのだろう、ぜったい食べるぞ!と思ってたんですよね。でも、ベルゲンの魚市場で燻製を見かけた程度でした。あちらの人に尋ねたところ、いまはほとんど食べられていないということでした。そういえば『地球の歩き方』の食の欄にも鯨肉のメニュー置いている店の情報は一切載ってなかったな。燻製の試食はさせてもらったけれど、ちゃんと食べてみたかったので残念でした。懐かしいなあ、あの味。うーん、太地(和歌山県の鯨の町ね)にでも行くかな。


2003年08月19日(火) コペンハーゲンにて

みなさま、お盆をいかがお過ごしでしたか。ただいま帰ってまいりました、小町です。
十日ぶりの日本はめっきり涼しくなっていて……というのを期待していたのですが、大阪はまったくそんなことはなさそうですね。帰ってくるなり、扇風機を牛馬のごとく働かせています。
すばらしい旅をしてきました。いずれも甲乙つけがたいのですが、とくに胸に残っている二都市での話にお付き合いください。

八月八日。出張先から直でやってくる夫と成田空港で待ち合わせ。「くれぐれもなくさないようにね」とまるで子どもに言ってきかせるような口ぶりで念を押されながら、旅行期間中に乗る飛行機のチケットをまとめて受け取る。
最初に全部もらっちゃうと緊張するなあ。その都度一枚ずつ渡してもらいたいんだけど……なんて思いながらぱらぱらとめくっていたら、あれ?旅の計画はすべて夫が練ったのだけれど、帰りのチケットに記された日付が聞いていたのよりも一日早い。
「あ、それね。十九日に外せない仕事が入ったから一日短くしたの」
ふうん、そうだったの。さらっと流そうとして、再び「あれ?」。最終地はパリだって言ってたよね?これ、「HEATHROW」って書いてあるよ。
「やっぱりロンドンから帰ることにしたって言わなかったっけ」
聞いてません!前もってわかっていたら、あちら在住の仲良しの日記書きさんに連絡できたのに。いかにふだんから私たちのコミュニケーションが足りないか、よくわかるというものだ。

さて、オランダのアムステルダム経由でデンマーク入りした私たち。コペンハーゲンの空港から出てまず驚いたのは、その暑さ。湿度こそ低いものの気温は日本と変わらないし、日差しの強さが半端でない。
夏の暑さがなによりも苦手な私。エアコンのないわが家から這這の体で逃げ出してきたというのに。友人たちにも「夏休み?ちょっと北欧まで避暑にね。ウフフフ」なんて言いふらしてきたというのに、真っ黒に日焼けして帰ったら格好がつかないじゃないか。
しかし、嘆いていてもしかたがない。こうなったらここに滞在している二日間で一年分の日光を浴びてやる、と腹をくくることにする。
コペンハーゲンの街には路地の至るところにレンタル自転車が停められている。二十クローネを入れるとチェーンが外れて走ることができる(コインはあとで戻ってくる)という、とても便利な代物だ。早速、私は地図を片手に颯爽と街に飛び出した。
……と言いたいところなのだが。一見、なんの変哲もないこの自転車、乗りにくいことこのうえない。
まずハンドルにブレーキのレバーがついていない。どうやってスピードを落とすかというと、ペダルを逆回転させるのである。止まりたくなったら足を後ろ回しに漕ぐ……ってそんな器用な真似ができるかい!
というわけで、バランスを崩し路上に投げ出されること三度。そのたびに「あ、これ、柔道の受身ね」「回転レシーブの練習」などと言ってごまかす私に、夫は悲しげな視線を送る。
「やっぱり自転車、乗れなかったんだね……」 (過去ログ「サイトの中の私」参照)
だって、だってね、足が届かないのだよ。サドルはもちろん一番下まで下げてある、にもかかわらず。そのため信号などで一旦停止するときにはいちいち「よっこらしょ」と降りなくてはならないのだが、そんな私を見て夫はさらに屈辱的な言葉を浴びせかける。
「ひょっとして足、短いの?」
失敬な。言っておくけど、私はジーンズの裾を切ったことがないんですからね。これはこっちの百七十センチも百八十センチもある人たちが乗るためのものなんだから、日本人女性がまともに乗れるわけないでしょ。
それにしても、ハンドルがやたら遠くにあってものすごく前のめりにならなくてはならないわ(あちらの人は高身長なので胴も長い)、サドルの前の部分がなぜかせり上がっているため、どこがとは言わないけれど、あいたたた……だわ。これはもう、公共の自転車をひとりが長く占領しないようにわざと乗り心地を悪くしているとしか考えられない。
そんな自転車にまたがって、街をヨロヨロと散策する。
ラッキーだったのはあちらの夏は日が長く、夜の九時を過ぎないと太陽が落ちはじめないため、そんなおぼつかない足取りでもガイドブックに載っている見どころは二日間でおおかた回ることができたことだ。
なかでも胸に残っているのは、「人魚姫の像」。あなたはデンマーク出身の童話作家、アンデルセンの書いたこの悲しい物語を覚えているだろうか。

難破船から救い出した王子に恋をした人魚姫はその美しい声と引き換えに海の魔女から人間の足を手に入れます。しかし、王子は外国の王女と愛し合うようになってしまう。王子の愛が得られぬときは海の泡となって消えるのが定め。人魚姫が助かる方法はただひとつ、王子を殺すことだけれど、どうしてもできない。王子と王女の結婚式の日、彼の幸せを願って運命を受け入れる決意をした人魚姫は海に身を投げ、泡となったのでした。


人魚姫の像ランゲリニエ桟橋の袂にある石の上から、愛しい王子のいる陸のほうにまなざしを向ける人魚姫。その表情がせつなくて。
彼女はとても小柄で、しかもその下半身は人魚のそれではなく、しかし人間の足でもなく。そのどっちつかずの姿が哀れでならなかった。
彼女はなにを思っているのだろう。王子を愛したことを悔やんでいるのだろうか。こんなことになるならいっそ出会わなければ、と思っているのだろうか。でなければ家族や仲間と別れることも、命を失うこともなかった、と。
それとも、もし来世また王子と出会ってもやはり恋をまっとうしようとするのだろうか。私だったらどうだろう、叶わぬ願いのためにどこまでこの身を賭けることができるだろう。
像を眺めながら、そんなことを思い耽る。私の思考のベクトルは日本にいようがどこにいようが、たいして変わらないらしい。

絵ハガキをリクエストしてくださったみなさまへ。
北欧の郵便事情はかなりよさそうだと期待してはいたのですが(中国から出したときは本当に届くのかと不安でしかたがなかった。実際、投函してから二週間以上かかった方もいた)、私の帰国より先に届いた方が何人かいらして驚いています。早っ!
いっぺんに投函したわけではないので、まだの方はいましばらくお待ちくださいね。おかげで旅がよりいっそう思い出深く、忘れがたいものになりました。ありがとう。

【あとがき】
この人魚姫の像、今年で九十歳になるそうですが、これまでには首や腕を切り落とされたり、赤ペンキを塗られたり、ブラジャーとパンティーが描かれたり……と数々の災難に遭ってきたそうです。こういう銅像ってからだの一部が切られてどこかで発見される、なんてことがよくありますが、私はちょっと背筋の寒いものを感じます。生き物ではないけれど、人間や動物の形をした物の手足を切り取るというのは単なるいたずら心でできることなんでしょうかね。のこぎりやなんかでぎこぎこやっているとき、悲鳴のようなものが聞こえてきて怖くなったりはしないんだろうかと思ったりします。


2003年08月08日(金) こんな間際まで

現在時刻、午前五時半。七時には家を出なきゃならないというのに、こんな間際までいったいなにをやっているんだ、私は。
旅に出るたび、私は自分が重度のネット中毒者であることを思い知らされる。あたまの中を飛び交う、「やりおさめ」の五文字。それが強迫観念となり、出発の直前まで------それは私の場合、家を出る直前ではなく、飛行機に乗り込むぎりぎりまでという意味だ------私をパソコンにしがみつかせるのだ。
昨夏オーストラリアに出かけたとき、乗り継ぎの関係で成田空港で十二時間待ちをしなくてはならなかった。しかも、ひとりで。
行く前にこの話をすると誰もが「どうやって時間潰すの」と心配してくれたが、チッチッチッ(人差し指を左右に振りながら)。航空会社のラウンジのパソコンでメールを書いたりメッセンジャーで話したりしていたら、半日などあっという間だ。私はインターネット環境さえあれば、二十四時間待ちだって苦にしない自信がある(自慢になりません)。
ラウンジのお姉さんもさぞかし驚いたのではないだろうか。「お客様、○便の搭乗時刻でございます」と声をかけたら、喜ばれるどころか、「えー、もう?」と返ってきたのだから。いくら居心地がよいからといって(食べ物あり、シャワーあり、ベッドあり)、半日間ラウンジから一歩も出ないで過ごす客はそうはいまい。
というわけで、今日も成田で三時間待ち。もしメッセンジャーがオンラインになっていたら、「またやってら」と笑ってやってください。それでは行ってきまーす!

<追伸>
「ラブレター・フロム・北欧」をリクエストしてくださったみなさまへ。
どうもありがとう。自分の書いたものを喜んで受け取ってくれる人がいるというのは本当にうれしいことです。
昨秋友人と中国に行ったときは、毎晩ベッドに入る前に五枚ずつ、それぞれの方の顔を思い浮かべながら(お会いしたことはありませんけれど)書きました。友人には「あんたは絵ハガキ職人か!」とあきれられてしまいましたが、私はすごおく楽しかったんです。
感謝の気持ちを込めて大切に書かせていただきます。スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランド。いずれの国から届くかどうぞお楽しみに。

【あとがき】
中国を一緒に旅した友人が私が絵ハガキを書いているときに手元をのぞきこみ、「す、すごいね……」とつぶやいた(あきれた)代物です。どんなものかは届けばわかるかと。乞うご期待。


2003年08月06日(水) 日記サイトの寿命

先日実家に帰省した際、独身時代に愛用していたノートパソコンを四年ぶりに立ち上げた。
液晶の調子が良くないので修理に出そうとしたら何万もかかると言われたため、それならとデスクトップに買い替えた。以来、納戸の隅で眠らせていたのであるが、この十月からパソコンの処分にリサイクル料金(三千円!)がかかるようになると聞いて、その前に捨ててしまわねばと思ったのだ。
さっさと初期化して、階下でお茶を飲もうっと。そう思いながらパソコンに向かったのに、いざとなるとちょっぴりセンチメンタルな気分になるもので。「今日で見納め」とハードディスクに保存してあるファイルを開いていくうちに、その頃に別ハンドルで書いていた日記を見つけてしまった。
「うわー、懐かしい!」
が、しかし。ほんの二、三日分を読んだだけでぱたりと閉じてしまった。よくまあ、こんなどうでもいい話を垂れ流していたものだ。もしこれが別の人が書いたもので、どこかのリンク集で見つけてアクセスすることがあったなら、私は五秒でバックボタンを押すだろう。そのくらい幼稚でお粗末な代物だったのだ。
過去の恥は掻き捨て、とばかりに今度はブラウザを開く。「お気に入り」には当時交流があったり、日参していたサイトがずらり。思い出がよみがえり、上から順にクリックしていく。
が、はしゃいだ気分は十分後にはすっかり落ち着いていた。ブックマークしていた三十二の日記のうち、実に二十四が「ページが見つかりません」、もしくは休止中だったからである。
「リンク集でも見かけないはずだよなあ。みんな、どこ行っちゃったんだろう」
こんなことでもなければ思い出すことはなかったとはいえ、跡形もなく消滅しているのを知ってしまうとなんだか寂しい。

以前から興味があった。日記サイトの平均寿命っていったいどれくらいなんだろう。誰か調査した人はいないのだろうか。
カップルが三ヶ月、一年、三年の区切りで別れやすいというのはよく耳にする話だけれど、個人サイトにも閉鎖のタイミングは存在するのではないか。
私の感覚では(もっともweb日記界における私の生活圏はかなり狭いが)、「二年」というのがひとつの大きな境界線になっているような気がする。閉鎖してもハンドルを変え、それまでに得た人間関係や認知度といったものも捨て、まったくの別人として出直している書き手も少なくないと思われるが、そのサイトに関しては「臨終」させている。そういうパターンも含めれば、半数近くの日記は二年持っていないのではないかと感じるのだ。
サイトを存続させるというのは決して容易なことではない。なんて言うと「どうして?好きでやっていることなんでしょ」と言われてしまいそうだが、趣味以外のなにものでもないからこそむずかしいのだ。
現在、私のブックマークの中には「無期休止中」の日記がいくつかある。ある日を境に彼らのサイトに時が流れなくなった理由を知るすべは、私にはない。しかし、その状態が彼らが望んでのことであるとはどうしても思えない。あれだけていねいに文章を書き、サイトを大切にしてきた人がなんの言葉も残さず、フェイドアウトなんて形で私たちの前から消えることを望むだろうか。
毎日通い、時計が止まったままであることを確認しては「いったいなにがあったのだろう。どうしているんだろうか」と思いを馳せる。これはかなりせつないものがある。
「更新」はいくつかの条件が揃ってはじめて可能になる。モチベーションを保つこともそう、ネタを調達してくることもそうだ。しかし、もっともキープするのがむずかしいのは書くための時間と体力を確保することではないだろうか。外的要因に左右される部分が大きく、意思ではどうにもならないことだから。
そうであるかどうかはわからない。けれど、もし彼らがいま「書きたくても書けない」「それどころじゃない」状況にあるとするならば、一日も早くそこから脱出してくれることを願ってやまない。「戻ってきてほしい」とはまた別の思いで。

さて、閉鎖だの休止だのといった話を書いたあとに言うのもナンなのですが、『われ思ふ ゆえに・・・』はしばらくお休みをいただきます。
あ、いやいや。べつに「書くのに疲れた」とか「スランプで」とかではありません。八日から旅行に出かけるから、という話です。
というわけで今年もやります、絵ハガキ企画。オーストラリア、中国につづき、第三弾となる今回は北欧。どんな絵ハガキなのかしらと興味のあるあなた!ナマ小町に触れてみたいというあなた!ふるってご応募ください。
明日(七日)の夕方までにメールで必要事項をいただけましたら、北欧四ヶ国のいずれかからあなたのポストにラブレターをお届けいたします。
これが出発前の最後の更新になるかもしれないので、一応あいさつしておきます。
気をつけて行ってまいります。みなさまもよい夏をお過ごしください。

【あとがき】
出張の多い夫を持つ私はいまのところ自分のために使える時間をかなりたくさん持っているけれど、この状態がいつまでもつづくわけではない。もし夫が異動などで毎日家に帰ってくる生活になれば、いまのように一話に何時間もかかるテキストなどとうてい書けなくなる。短い時間で書けるようなものに作風をチェンジするなんて器用な真似はできないし、かといって納得のいかないものをアップする気にはなれない。そうなったら、これが潮時かもな……なんてことを考えてしまうような気がします。日記書きは趣味に過ぎないからこそ、安定した生活と精神がないとつづけることができないのです。


2003年08月03日(日) 恋は、遠い日の……

日曜洋画劇場をゆっくり見るため、夕食と入浴を早めに済ませた。バスタオルを干そうとベランダに出ると、遠くの空から「ポン……ポン……ポン……」という音が聞こえてくる。
そうか。すっかり忘れていたけれど、今夜は平成淀川花火大会だった。
梅田のそばでひとり暮らしをしていたときは、マンションのベランダから見ることができた。麦茶片手に夕涼みをしながらのんびり眺めるのもなかなか乙なものだったよなあと思い出しながら、姿なしの花火をしばし耳で味わう。
ふと気づく。そういえば、今年はまだ一度も花火を見ていない。天神祭の奉納花火もPL教祖祭の花火芸術もいつのまにか終わっていた。いや、今年どころか去年もおとどしも見ていないではないか。
なんという体たらく。花火大会は私の恋の必須アイテムだったのに……。
「人酔いする」という言葉があるが、私は人込みは苦手ではない。それどころか、人が集まる賑やかな場所にいると気分が高揚するくらい。そんな私は恋をしているとき、イベントの多い夏をかなり楽しみにしていたはず。それなのに、最後に見たのが四年も前の話だなんて。いかにときめきに縁のない生活を送っているかわかるというものだ。
ひと昔前に「恋は、遠い日の花火ではない」というサントリーのCMのコピーがあったけれど、さしずめ私の場合は「遠い日の花火だ!」と断定されている感じである。

ところで、私にとって花火大会に行っていないということはそれだけの期間浴衣を着ていないということでもある。
こう見えて、私は浴衣が大好き。独身時代、とりわけ京都で過ごした大学時代はひと夏に必ず何度かは袖を通したものだ。かの地の夏には祇園祭あり、宇治川の花火大会あり、五山の送り火あり。それを着る機会はいくらでもあったのだ。
そういう楽しみごとのためには労を惜しまない私。一回生の夏、ひとりで着られるようになりたくて実家の母親に特訓してもらったっけ(男性は脱がせたことはあっても着せたことはないと思うのでわからないだろうけれど、これをきちんと着るのはけっこうむずかしいのよ)。
浴衣の魅力はなんといっても、ふだんと違う自分を演出および堪能できるところ。何年か前にサークルの同窓会で城崎温泉に行ったら、旅館で浴衣の貸し出しサービスをしていた。帯こそ簡易のものであるが、色とりどりのきれいな浴衣だ。
好みのものを選び、下駄をカランコロンいわせながら七湯めぐりをしたのであるが、それなりに風情のあるものだったと記憶している。私たちを女だなんて一度も思ったことがないであろう同期の男の子たちが「おっ」と眉を動かしたところを見ると、女性の浴衣姿が好きでないという男性はあまりいないのではないだろうか。
京都にいた頃、住んでいたマンションの屋上から「左大文字」が正面に見えた。好きな人と眺める送り火。あれは私の恋愛史上五指に入るロマンティックなひとときだった。
そういえばこのとき、ひとつ発見したことがある。浴衣だと後ろから抱きしめてもらえないということだ。たとえばタイタニックの真似がしたいと思っても、帯が邪魔になってできないのである(いや、しませんけれど)。
槙原敬之さんの歌の中に「思い出したよ キャップのつばが君の額にコツンとあたって はじめてのKISSで笑ったこと」という歌詞があるけれど、このときの私たちも「あ……あれ?」という感じで顔を見合わせて笑ってしまったのだった。これは私が思いつくかぎり唯一の浴衣の弱点である。
……と一瞬思ったが。
これはこれでいいのか。前からぎゅうっとしなおしてもらえばいい話だもん。

日曜洋画劇場の予告がはじまった頃、もう一度ベランダに出てみたら、音はすでに鳴り止んでいた。今夜も数えきれないくらいのカップルが淀川の河川敷に腰を下ろして、天を仰いだのだろう。
「いいな、いいな」
そうつぶやきかけて。ううん、やっぱり。なんだかいまは賑わいの中で眺める夜空に咲く大輪の花より、近くの公園かどこかでふたりっきりでやる手持ち花火に惹かれる。水を張ったバケツをかたわらに置いて。
足元のねずみ花火にあわてたり、パラシュートをキャッチしに走ったり。線香花火で勝負して、勝ったほうが帰り道のコンビニでアイスクリームを買ってもらえるとか。
そういうのってささやかに見えるけれど、意外と手に入りにくい幸せという感じがする。

【あとがき】
成人式の日、女の子はみんな振袖を着るじゃないですか。あれは当然、自力では着られない。だからその日はその手のホテルには着付けをしてくれるサービスがあるんですよね。私は成人式には出席していないので、そういう経験があるわけではないのですが。ちなみに浴衣だったらどうなんだろう。十三あたりのホテル群は今夜はやっぱり「浴衣の着付けします」ってサービスをしていたのかしら。私もいまは帯の締め方をすっかり忘れてしまっていると思います。


2003年08月01日(金) 振られ下手

午前七時ちょっと過ぎ、リビングの電話が鳴った。こんな早朝に誰だろうといぶかりながら受話器を取ると、大学時代の友人である。会社のそばまで行くからお昼を一緒に食べようとのお誘いだ。
あら、めずらしい。どういう風の吹き回し?と思ったが、とりあえず正午にビルの一階でと約束だけして受話器を置いた。
パスタを口に運びながら、彼女は「やっぱりあかんかったわ」と話しはじめた。かねてより思いを寄せていた職場の同僚に恋人がいることが判明したのだそうだ。つきあいはじめて間もないらしく、彼女は気持ちを伝えることも叶わぬままこの恋は終えるしかなさそうだ、としょんぼり。
「だから、今日はひとりでいたくなくって」
彼女はぽつりつぶやいた。

こういうときに誰かにそばにいてほしいという気持ちは痛いくらいよくわかる。ひとり暮らしをしていたとき、こんな体験をしたことがある。
いまにも日付が変わらんとする時刻に仕事から帰宅すると、五分も経たぬうちにチャイムが鳴った。
こんな時間に突然友人が訪ねてくるわけもない。ドアの覗き穴からおそるおそる様子を窺うと、若い女性がひとり立っていた。気味が悪いので無視しようと思ったが、しつこくチャイムが鳴らされる。しかたなくインターフォンに出てみたら、消え入りそうな声で「あの、ちょっと、出てきてもらえませんか……」と返ってきた。
「なんの御用でしょうか」
威嚇するつもりで、わざとぶっきらぼうに言う。
「ご、ごめんなさい。でも、あの、ちょっと出てきてください、お願いします……」
全身に鳥肌が立った。だって想像してみてほしい。深夜に見知らぬ女性がまるで自分の帰宅を待ちかまえていたかのようなタイミングで家にやってきて、表に出てきてくれと繰り返すのだ。あきらかにどこかおかしい。のこのこ出て行けるわけがないではないか。
不信感をあらわにしてどちらさまですかと尋ねると、「五○三号室に住む者です」と名乗った。あら、お向かいさんじゃないとちょっぴり安堵したのも束の間、インターフォンの向こうから嗚咽が聞こえてきたからびっくり。
私の言い方、そんなにきつかったかしらとあわててドアを開けると、同じくらい年齢の髪の長い女性が泣きながら立っていた。
私の顔を見るや堰を切ったようにおいおい泣きはじめ、わけがわからぬ私に「家に来てもらえませんか。どうしてもひとりでいられなくて……。お願いします、お願いします」と絞りだすように言った。
その場で事情を聞いたところ、彼に別れると言われてしまったがぜったいに嫌だ、でも彼はきっと戻らないだろう、いまひとりでいたら自分はなにをするかわからないから誰かに一緒にいてもらいたくて、ということだった。
彼女の行動は常軌を逸している。それに彼女の言うことが本当かどうかわからない。部屋にあがったとたん男がとびかかってきて監禁などされたら……がちらりとあたまをよぎったのは事実。
しかし、もし本当につらくてつらくて、言葉を交わしたこともない私に助けを求めてきたのだとしたら。そう思うと彼女を追い返すことはできず、「じゃあ行きます」と答えていた。
彼女の部屋もまた、まともではなかった。玄関にはポスターサイズに引き伸ばされ、額に入れられた彼の写真がドーン。室内には写真立てが所狭しと並び、家具にはふたりで撮ったプリクラがびっしり貼られていた。言葉は悪いが、「ヤバいな、これは……」と思った。
淹れてくれたお茶をいただきながら(なにか薬が入っていたらと不安だったため、ほとんど口をつけなかったが)、あちらに飛んだりこちらに飛んだりする話に相槌を打ち、初対面の人間にそんなことを話すかと引いてしまうほど生々しい話にも黙って耳を傾けた。
「この子ははじめから愛されてなどいない。彼にとって金づるに過ぎない」
と思いながら。空が白みかける頃、彼女の涙がとりあえず乾いたことを見届けて、私は部屋を後にした。

「でも、気持ちは伝えたほうがいいよ」
友人にそれだけを伝える。
万にひとつのチャンスに賭けるつもりで、ではない。ここでちゃんと振られておかないと、あとがつらいから。
スマートに去ること、きれいに別れることになんの価値があるだろう。そのときはもう、相手に迷惑をかけるんじゃないかとかうっとうしい女と思われるんじゃないかとか、そんなことは考えなくていい。それは誰の人生でもない、あなたの人生だ。
「やるだけやった」と思えない終わらせ方がどれだけ大きな後悔と無念を胸に残すか。どれだけ長いあいだ痛みを引きずらねばならなくなるか。それだけに怯えなさい。
私も振られ下手のままこの年まできたから、その苦しみは身に染みて知っている。振られるときにはやはり振られきっておかねばならない。そのときは死にたくなるくらいつらいけれど、自分のために。
いま、私はつくづくそう思うのよ。

【あとがき】
で、マンションを訪ねてきた彼女がどうなったかというと。それからまもなく私は引越しをしたのだけれど、三年後くらいに街でばったり再会。あれからしばらくして別れたとのことでした。「いまはよかったと思ってる」とすこし寂しげに笑っていました。そのとき、ずっと気にかかっていたことを聞いてみました。あの夜、なぜ見ず知らずの私のところに来たのか。
「私は小町さんのこと知ってたよ。いつも優しそうな彼氏と一緒で、この人なら話聞いてくれそうと思って」
思わずうるっときました。