せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年03月28日(月) 思いの外良かった復活祭小旅行とお出掛け後考えた事彼是

この復活祭の週末に、小旅行に出掛けた。

先日にも一寸書いたけれども、これは当初見たところ非常に格安なツアーで、ワタシの想像としてはどこかのユースホステルだとかモーテル(というのは連れ込み宿ではなくて、本来車で旅する人々の為の格安ホテル)にまあ最大一部屋に二三人ずつくらいで泊まって、特異な生活スタイルを続けているある人々の様子を見たり、彼らに関する博物館やら市場などを訪れる観光をして、イースター(復活祭)の日曜には土地の人々の家へお邪魔して、特別に装飾を施した卵を始めとした昼食をご馳走になる、というようなものだと思っていた。

ところが約一週間前に届いた詳細によると、ワタシたちは「ホームステイ」というのをする事になっていて、それぞれひとりかそれ以上の外国人参加者を受け入れる体制になっているそうで、土曜の夜に一寸したゲームなどをする親睦のパーティーが予定されている以外は、それぞれの家族と相談して何をするか決めるようにとの事だった。

それでワタシは、これはえらい事になってしまった、いい歳をして「草の根国際交流」をする羽目になるとは、と蒼くなっていたのだけれど、これが実際行ってみたら意外と良かった、という話をしようと思う。


金曜の朝、街の中心部にある鉄道駅の傍に集合して、ワタシたちは大きなバスに乗り込んだ。参加者は、総勢にして大体二十五人くらいの外国人である。

勿論、ワタシのようにこの国に来て既に十年を超えるようなのは他に誰も居なくて、大抵は来て間もない、綿毛をぴろぴろさせたひよこのような、初々しい若者たちであった。または、既に学位を取り終えてからこの国にやって来た研究者だったりした。

いずれにせよ、この国で我が物顔に暮らしているようなのは他にいなかったので、ワタシは一寸控えめに挨拶をしながら、数人のアジア系女学生らと隣り合わせて、あれやこれやと話をしながらバスに乗った。

バスが見慣れない農場や、だだっ広くて何も無い草原のような辺りを走り抜ける。この国は、一部の大都市を除いて、大半はこんな風な田舎なのである。一箇所しか知らないでこの国を語るというのは、ワタシの住む街にいる外国人にはよく見られる事だけれども、それは大変な間違いである。

昼過ぎに、バスは目的地である町の集会所に到着した。そこでは土地の人々が手にカメラを携えて、今か今かと我らの到着を待ちかねていた。

それはまるで、サーカスか動物園に捕われた獣か、という、何とも異様な光景であった。他の旅行者、主に欧州の人々も同様に感じていたようで、ワタシは彼らと顔を見合わせ、肩をすくめ、これから我らに降りかかる身の上を案じた。

ワタシは今回の旅で、子沢山な家にホームステイする羽目になったら嫌だなと思っていた。というのも、そういう訳で諸々の事情により三十代未婚女性という身分を(不本意ながら)通しているワタシとしては、この宗教教義に忠実な町で保守的な暮らしをする女性たちから、結婚もせず家庭も持たず、自分の好きな事だけやっているとは、なんと自分勝手な女だろうという風に思われるに違いないと思ったのである。

ワタシ個人としては、そんなのはナンセンスと思うけれど、でも旅人というのは余所の人々のテリトリーにお邪魔して様子を見せて頂くという立場なのだから、出来るだけいざこざを起さないように注意して、彼らの懐の広さに感謝してむしろ小さくなっているべきだと思ったのである。

ところが、実際ワタシがあてがわれたのは、子供の居ない老夫婦の家であった。しかも彼らは、これまで外国人留学生に寝床を提供したり暫く居候させてやったりというような事を何年もやっていて、驚く事に何人か来たうちのある二ホンジン留学生の実家を訪ねて日本を旅行した事があると言うのである。この国では相当珍しい、兵役以外で外国に出掛けた事のある老世代である。

お陰でワタシが用意していった風呂敷や手拭を使った純日本文化講座は、全く必要無かった。手間が省けて、好都合である。

ただ、ひょっとして口に合わないかも知れないからと、控えめにちょっぴりだけ持参した煎餅各種は、この夫婦に掛かっては一時間と持たなかった。それから棚にある幾つかのお茶コレクションを見るに付け、同様の理由で持参するのを止した日本茶を持って来れば良かったと後悔した。

しかし同じく土産として持参した折り紙は、この家に居候する独逸からの交換留学生には、適度なチャレンジとなったようで、これは良かった。彼女は図体がでかいのでてっきり大学生かと思ったのだが、よくよく聞いてみると現地の宗教高校に通っているとの事であった。

仮父(ホストファーザーとかいう)に言わせると、彼女は成績優秀者リストに名を連ねているとの事で、折り紙と共に付いてきた日本語の折方説明書をふんふんと眺めながら、折線解説の知識など無しに、勘で幾つもを完成させて、ワタシを驚かせた。

こんなに若いうちからこれだけこてこての宗教にどっぷりと浸かっているので、行く末の心配をしないでも無いが、しかし根の真っ直ぐな、穏やかで良い子に育っているようなので、ここの老夫婦同様、ワタシは良い人々に恵まれて良かったと胸をなでおろした。


ところでワタシはひとりで此処の家に世話になったのではなくて、もうひとりニホンジンの女学生と二人して滞在した。

てっきり同じ国の出身者同士ではマッチングしないものと思っていたので、これには少々疑問が残った。

この女学生がまた、最初はこれはまた一体どういう奇妙な化粧だろうと吃驚したのだが、というのもニホンジンによくある真っ白な粉っぽい顔に、黒いアイライナーが目尻の上のあたりに太く二重に描いてあって、本来のアイライナーとしての目的を果たしていないというか、京風化粧というのか、兎に角ワタシからすると大変奇妙な化粧法だったのだけれど、そしてバスを待っている間に挨拶した時には何だかそっけない感じでいけ好かない二ホンジンだと思ったのだけれど、話を色々としていくうちに意外と良い子だという事が分かって、安心した。

奇遇な事に、彼女とワタシの日本の実家が隣町という事が判明し、どちらも一人娘であり、更にどちらも同じ分野にいるという事も分かった。ただ彼女の方はもう直ひとつ学位を取り終えて、日本に帰国する予定であるとの事であった。

それは有名な学校なのだけれど、一年こっきりのプログラムだそうで、試験も論文も無いというから、ワタシの経験したのと比べると随分簡単だなと思った。

彼女は数ヶ国語を話せる、と会う人毎に自慢していたのだが、そのうち日本語と現地語以外のは大して上手くなくて、普通に日常会話をするのもままならない程度というので、それでも「話せる」と言ってしまうのはどうなのだろうとも思った。それ以外にも何かと自慢したがるところがあって、また余り人の話を聞かないところもあって、どうやら随分自意識過剰な生意気な子という印象であった。

しかし、まあ彼女はワタシより一回り近く年下でもある事だし、そんな若い小娘と競争しても仕方が無いので、ここはにっこり微笑んでそれはよかったねと言って済ませる事にした。

そういった、何というのか、年齢と精神年齢というのか大人であるという自覚というのか、またはそういう社会的要求に応じるかどうかというのか、そういった事に関して、仮母(ホストマザーとかいう)と話題になった。彼女は非常に心の若い女性で、例の独逸人女学生に言わせると、年齢に伴った言動をしない、慣習にとらわれない人である。小柄でぽちゃっとしていて、とても可愛らしいのだが、新しい事に挑戦する気概もある。

仮父の方も、中々言葉が出て来なかったりするが、色々と話してくれようとするし、そういう所謂余り教育を受けていないとか保守的な田舎の地で暮らしているとかいう様な要素を除いて、個人としては大変意欲的な好人物である。

彼らの暮らし振りは決して派手ではないし、人が羨むような仕事についているとか教養が高いとかいう事も無いが、しかし安定した精神を持っている人々に見え、それは信仰とは別の、彼ら個人の人徳とか魅力であるように思われた。

こうして見ると、ワタシは来る前に恐れていたのと比べて、なんと幸運だったのだろうと思わざるを得ない。こうした人々の元で週末を送り、あれやこれやと話に花を咲かせ、尤も土曜日は一日例の彼らより更に宗教的に保守的な人々の住む辺りを覗いたり観光などをしたけれども、その間も沢山話をしたし、ワタシは今回の「ホームステイ」を大いに楽しんだ。

去り際に独逸人女学生が、今回の滞在で何が一番良かったかと聞いたのだけれど、ワタシはどれがどう良かったというよりも、色々な話をする事が出来て、つまり良くあるわざとらしい「草の根国際交流」などでは無くて、ひとりの個人としてお互いに知り合えた事や、そうした様々な話題に関する議論やお喋りなどからワタシが更に考えた事などが大きな財産になった、という事が良かった、という旨を伝えた。

そういえば行く前のバスの中でも、ワタシは知り合ったばかりのアジア人女学生らに、ワタシはもう年だから「草の根国際交流」をしに来たのでは無くて、その有名な宗教的コミュニティーを覗かせてもらいに、観光をしに来たのだ、と言った。

その時はまだ観光以外にこれ程の経験になろうとは思いもしなかったのだが、出会ったばかりの他人の家ですっかり寛いであれやこれやとお喋りしている自分と、それを全く普通に受け止めてくれている人々との間の心地良い空気を感じながら、毎夜今日もまた良い日だったと満足しながら床に付いたのである。


ただ一点気になったのは、そういう調子であれやこれやとお喋りをしているうち、後で失敗したと思った事である。

到着間も無くの頃、彼らがワタシが日頃何をしているのかという事に付いて質問したので、最近手掛けている環境政策関係の調べものについて、「簡単に」説明した。

そのつもりだったのだが、ワタシは日頃同僚相手に議論するのに慣れてしまっているので、全くの専門外の人に対して分かりやすく説明するというのの加減が分からず、更に一緒に来た例の二ホンジン小娘が知ったかぶりをして口を挟むので、余計に混乱を招いてしまった。それで更に噛み砕いて説明したのだが、それをやっているうち、この国が抱えている大いなる政治的矛盾問題を露見せざるを得ない状況になってしまったのである。

これは、こういった保守的な土地では余りやりたくないのだが、ひとまず砕けたお喋りという路線を貫いて、出来るだけ批判などは避け、あくまで消費者の立場からという観点に基づいて説明した。

しかし翌日、ワタシたちは町へ出て、宗教関連の博物館にてある映画を観る。それは滞在先の人々の宗派とそれより更に保守的な人々の宗派との違いに付いての解説なのだけれど、双方共それぞれの文化や価値観保持の為に対外的接触を出来るだけ避けている、という話があって、そこへ来てワタシは、しまった、要らぬ事を言ってしまったか、と後悔した。

彼らがこの国の政治や社会問題などについて無知だったり極度に保守的なのは、宗教的教義・倫理感に基づいたものなので、ワタシが住む街では当たり前の左がかった傾向も、此処ではとんでもない罪悪と考えられてしまったのではないか、という訳である。

実際、後で「ゲームナイト」だとか帰りのバスの中などで他の参加者とそういう話になり、尤もアジア人は殆どそんな事は気にせず、楽しげに「草の根国際交流」に励んでいたのだけれど、欧州人は一様に不信感というか疑問を抱いていて、この国の文化や政治がどれだけ宗教によって成り立っているかという点に付いて、議論は尽きなかった。

そういう話が出来る人々というのは、概して同業者かそれに近い分野の人々であった。また(東)アジア人がどれ程宗教というものに付いて無関心か、またはそんな事より自己利益の追求に貪欲というか能天気というか表面的というか、そんな事も知った。

(注 韓国人の参加者もいたにはいたのだが、偶々キリスト教徒では無かったようで、他のアジア人と大差は無く、自分たちが住む大都市とこの田舎町との様子の違いにだけ関心が集中していたようである。)



ところでこれは復活祭という、キリスト教世界では一大イベントである週末だったので、ワタシも人々と連れ立って(心持ち)奇麗なべべを着て教会へ出掛ける羽目になった。

ちなみに「復活」したのはジーザス・クライストさんという、ある不遇の男性で、だから「神」というものよりむしろこの男性についての法話が多い季節である。

彼は三日後に戻ってくるぜと言い残した後死んで、本当に戻って来た!という事になっているので、それにちなんだ歌だとか聖書の一説だとかで盛り沢山で、ワタシは生涯で二度程読まされたあの分厚い小説(だと思っているもの)をまた手にして、そういえばそんな事が書いてあったかなと朧な記憶を辿ってみたりした。

一緒に滞在した二ホンジン女学生以外にも数人の二ホンジンが居たので、彼らが他宗教の人々に対して自らの宗教観をどう説明するかと脇で聞いていたのだが、やはり多くは「ニホンジンには宗教は無い」とか「自分は宗教的行為はやらないし、宗教は信じていない」とかいう風に言い放っていた。

これは実際耳にすると、大変恐ろしい宣言でもある。

世界中どの土地に行っても、何らかの宗教とか信仰とかいうものが存在する。そして人々は彼らの信じるものを基にした共通観念というものを持っていて、それによってコミュニティの中の秩序というものが保たれているのが普通である。つまり、共通の観念やモラルによって、その共同体内ではお互いの平和が保障される訳である。

なのに、自分には宗教など無い!と言い切ってしまうような者がそこへやって来るという事は、つまりこの人物にはモラルの基本となるべき観念が無いと言っている様なものなので、無法者、危険人物と見做されても可笑しくない訳である。

そこの辺りを、大概のニホンジンは知らないでそう言っているので、通常他の人々は吃驚して、それでは何を持ってして貴方の存在は成り立っているのか、と更に疑問を投げかける。

当然こんな質問に答えられるような哲学的思想的教育を受けたニホンジンはそういないから、大抵の人々は期待したような答えが返って来ないので欲求不満や不信感、また色々と不可解な気分に苛まれる事になる。

其処へ行くと、ワタシが滞在した家の老夫婦は偶々日本旅行の経験があるので、ニホンジンの多くはクリスチャンではない(彼らと同じ価値観は持っていない)のは勿論、独自の文化を形成し継承し続けるに足る哲学的思想的背景は存在しているという事を理解していたので、その分ワタシも説明の手間が省けて好都合だった訳だけれど、他のホストファミリーという人々やその他教会などで出会ってそういう二ホンジンらと話をする機会があった人々の受けた影響を鑑みると、一寸不安である。

(ちなみにワタシは、自分は仏教、神道、それに儒教思想(厳密には宗教ではなく、仏教思想の一部)という三つの思想の混合文化の中で育ったので、特に宗教活動はしていないけれどもそれらの影響を受けて育った事は間違いないと思っているし、また人生には自分のコントロールの範囲を超えるような力を持つ「何か」が存在するという事を知っている、というように答える事にしている。)



彼らに与えた影響といえば、例えばツアーに出る二三日前に、先方のコーディネーターという人物からメールが届いて、そこではワタシたち参加者に対して、「自分の事で何かそれぞれの国にとって特異な点」について書いて送ってくれというのがあった。

かの地に住む人々の多くは高等教育を受けていないので、恐らくその所為で彼女の言い回しは随分不可解で、ワタシは質問の意味を解すのに暫く掛かった。しかし恐らく自己紹介をしてくれろという意味だろうと解する事にして、少し書いて送っておいた。

それはそれぞれのホストファミリーに転送され、また土曜の夜の「ゲームナイト」の際の余興にも採用されたのだが、その中でワタシは、まあ包み隠さず、自分が長らくこの国で暮らしていて、学生時代の旅行やら後に住むようになってからの車での旅行やらで彼方此方出掛けた事があるだとか、幾つかの高等教育機関であれやこれやを勉強したとか、現在住む街では本業の合間にヴォランティア活動をしたりヨガレッスンに行ったりするだとか、そういったあれこれを掻い摘んで書いておいた。

この国の人々の多くは、自分の生まれ育った町から殆ど出ないで一生を終えたりする。勿論学校や仕事などで都会に行った人はそこから他所へ移動する機会も多いし、皆が皆定着型という訳ではない。しかし今回訪れた町の人々はほぼ間違いなく、此処で生まれ育ち、近隣の町へ親兄弟や親戚などを訪ねたりする以外、その一帯から出る事は殆ど無い。

だから、外国人であるワタシがこの国の彼方此方の都市を訪れたとか言うと、大変吃驚する人も多いのである。相当ワイルドな人物と思われたりするのである。

それから、彼らのようなクリスチャンでは無く、そういう宗教教義によってでは無いのにヴォランティア活動を進んでするとか言うと、それも吃驚の対象になる訳である。

また、ワタシのホストファミリーはそういう中では随分モダンな人々とは言え、恐らく彼らは「ヨガ」というものが一体何なのか、多分全く知らないだろうと思う。


そういえばひとつ、仮母の友人の娘さんで、以前とても奇麗な長い金髪の持ち主だったのに、ある日それをばっさりとちょん切って、ガンや白血病の治療で髪の毛が無くなってしまった子供たちの為に寄付した、という話を聞いた。

実は数年前、ワタシも全く同じ事をやったので、その時の顛末を一寸話したのだけれど、そうしたら仮母は非常に感心して、そうかそうかと聞いてくれた。

それから、「中国教会」というのがあるという話になったので、そういえば先日食事の提供のヴォランティアの為に出掛けた先が偶々教会で、そこでは幾つかの移民住民の為にそれぞれ同時通訳が付いていて、その中に中国語を話す人がいたとかいう話をしたら、そうかそうか、するとお前はそういう事をするのが好きなのか、と聞かれ、まあそうですね、ワタシなどで出来る事があって助けが必要な人があれば、何でもやろうとは思いますと言ったら、ふむふむそうか、と興味深げに聞いていた。

そういう話から、もし彼らが、キリスト教徒でなくとも他人の事を助けようという発想はあり得る、という事を知ってくれたら良いと思う。または、必ずしもミッショナリーを送り込まずとも、それぞれの国やコミュニティでそれぞれの価値観があって、他人に対して手助けをするという発想があるという事を知ってくれたらと思う。


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