書泉シランデの日記

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人にモノを頼むこと
2006年03月31日(金)

愚息が何とかいうソフトをうまく使えず、ここ2,3日苦労している。投稿するためにそれを使わないとダメなんだとのこと。

ゼミの結果を学会へ投稿するよう勧められたのは、たとえ採択されないにしても、励みになるし大変結構なことなのだが、<人にモノが聞けない>性格は困ったものだ。

ちょちょっと人に聞くとわかることが世の中には沢山ある。

もちろん自分でちょっと調べればわかることまで人に聞くのは、大人としてみっともないし迷惑だ。だが、頑張ってもうまくいかないこと ― たとえ本質的には知っているかいないかだけの簡単なことであっても ― を人に聞くのは、ベテランならいざ知らず、駆け出しひよっこなら全然悪いことではない。

それなのに、愚息はそういうことに極度のためらいを見せるのである。

「迷惑なら向こうが『知らない』『忙しい』っていうから」と背中を押してやって、ようやく従兄に電話をすることができた。もちろん快く二つ返事であった。当たり前である。幼いときからツキアイがあるのだから。

彼のこういう性質は<小学生のときの経験不足>に由来するといわれたことがある。人にモノを頼むことへの心理的抵抗は、頼んだり頼まれたりする経験を積むことで解消できる、とその人はいう。確かにそうかもしれない。そして気軽にそういう経験を積む場が小学校なのだ、という。大人しくて、ずっと座って本を読んでいるような子だったし、友だちに嫌われてもせず、トラブルとも無縁だったから、親は安心していたのだけれど、それゆえ生活上の<経験不足>といわれれば、そうかもしれない、と思うのだ。

まあ、これからボチボチ経験積んでちょうだいな、と祈るような気分である。子どもはなかなか親の意図通りには育たない。

目上の人に助けてもらったら、その場で丁寧に御礼をいい、自分が上級生になったときに、下の人に出し惜しみせず教えてあげれば済むことだ。そんなことを話しているうちに、2年前になくなった大先生が、ご馳走してくださるときにいつも「ぼくらも先輩にこうしてもらったから後輩に返せばいいよ」とおっしゃっていたことなど思い出した。


遅々のお雛様
2006年03月29日(水)

ずっと行きたいと思っていたお雛様の展示を二つハシゴしました。
最初は根津美術館の「虎屋のお雛様」、ついで三井記念美術館の「三井家のお雛様」。両方ともご立派でした。ただしハシゴするような性格のものではありません。したところで、どっちも白酒出してくれたりはしませんしね。

ハシゴがいけない理由は、続けてみると比べすぎてしまうからです。

虎屋のものは新しいのですが、日本の工芸技術が頂点に達したという明治のものですから、ミニチュアの手仕事がそれはそれは見事で、うっとりしました。もちろん彦根の井伊家でも、名古屋の徳川家でも、およそ大名方のお雛様なら、どこでもかわいいお道具をお揃えではあるのですけれど、虎屋さんのはお内裏様が飲み友達を連れ帰っても大丈夫なほど数が揃っていたのです。元女の子の私はくらくらしました。

それにくわえて、お人形の表情が大層よろしいのです。官女や随身にいたるまで、いきいきとしていて、犬張子(実はこれが一番好きな雛飾り)もラブリーでした。

すっかり心がとろけた後に、三井さんでしたから、三井さんのお雛様の本来の魅力をうまく感じられませんでした。こちらも贅をつくした素晴らしいものであることはいうまでもないのですよ。

最後にお雛様とは関係なく、出光美術館で「風俗画に見る日本の暮らし」展を見て終わり。洛中洛外図屏風を加工したとおぼしい、大和絵の扇面が面白かったです。今回、ギャラリースコープを入手したので持参しましたが、これからは必需品になスグレモノ。


『こんばんは』 夜間中学の映画
2006年03月27日(月)

珍しく映画を見ました。

夜間中学に学ぶ人たちのドキュメンタリー。
人に勧められ「そういう映画はなんか気が進まないなあ」と友だちに話したら、「私も見たよ、泣けるわよ、見るべきだって」と背中を押され、こち亀の両津さんで名高い亀有まで行きました。

映画のことはここを見てください。
http://konbanwa.web.infoseek.co.jp/

夜間中学なんてまだあったの?といわれそうですが、あるんですね。そして実に様々な人たちが学んでいます。その「様々さ」が半端じゃない。しかもダラダラ学んでいるのではなく、真摯に学んでいる様子に心打たれます。

学ぶってこんなに価値あることだったっけ?と自分に問い直してしまいます。

またそこで学ぶ人の顔が素晴らしい。

私はお年寄りを「かわいい」ということには賛成できませんが、心の中のピュアなものがあふれ出ているのです。

世の中にはすごいことがあるのだなあ、と感動しましたし、世間をわかっているつもりでいる自分を少し愧じました。

今日は「目の見えない人にも映画を」という、思わず、はぁ?といいたくなるような催しで、画面の説明が音声で入る上映でした。耳の聞こえない人のための字幕もつきました。そういう人たちを劇場までガイドするボランティアの中高生が沢山出ていました。障碍のある人たちと一緒に映画を見ることなど初めてでしたが、とても自然なことでした。

皆さんのお住まいの近くで上映されることがあったら、是非、見てみてくださいね。

そうそう、倍賞千恵子さんがボランティアで舞台に来てくれたんです。白髪まじりの髪なのに、とってもチャーミングで、さすが女優と思いました。彼女は映画のナレーターで、お連れ合いの小六さんが音楽担当だったようです。

なお『夜間中学の青春』(大月書店)という写真の多い本もありますが、やはり学ぶ人の肉声が聞こえてくるという点で映画に大きく水をあけられています。もっとも、見城先生という、映画にもご出演の同じ先生が書いていらっしゃるんですけどね。


2台3台ピアノによるコンチェルト
2006年03月26日(日)

午後、渋谷の真ん中で研究会があった。センター街は何十年ぶりに通った。東急文化村のほうに行くことはあるが、センター街なんて行く用事もない。歩きながら、ここは30歳以上歩行禁止の通りなんじゃないかと思わないではいられなかった。落ち着かないったらありゃしない。

その後、結構大慌てで、赤坂見附に移動して、2台、3台のピアノによるコンチェルトを聞きにいった。芸大系のピアニストたちが先生の古稀記念に催したコンサートである。○○先生古稀記念論文集なんてのを見ることはよくあるが、芸大だとそれがコンサートになるのね。大慌てで行ったけれど、遅刻で、一曲目はアウト。

出し物はバッハとモーツァルト。モーツァルトはそもそもピアノだが(でもピアノフォルテ?)、バッハはチェンバロの代行である。2台3台のピアノと来れば、さぞや大賑いの華やかさかと思いきや、それは意外にそうでもなかった。英雄ポロネーズでもひくほうがピアノはうんと賑やか。

となると、聞きながら、あ〜チェンバロで聞いてみたかったな〜なんて贅沢な思いが頭をもたげる。正直、あんまり面白くなかった。

それに小編成のオケとピアノってうまくマッチしないように感じた。どかんと大きな鉄の塊。ピアノはソロで聞くのが一番安心かも。そうでなければ、大編成のオケとでお願い。

そういえば、今回オケのコンマスが動いたのなんのって。演奏しながら、頭を振りまくるし、腰は椅子から浮き上がっちゃうのだから、ちょっとすごい。ステージを見てると目が疲れてしまった。しょうがないから、天井見たり、プログラム見たりと、目のやり場に困るコンサートでもあった。


『リトル・バイ・リトル』 島本理生
2006年03月25日(土)

電車に乗って知らない場所(今日は北千住)に行くとき、活字がないと落ち着かない。これは駅で買った。選択理由は薄さと「野間文芸新人賞受賞作品」の帯である。最近の新人賞は単に販売促進だったりして信じられないから、カバーの見返しを見たら、他にもいろいろもらったり、もらいそこねたりしているので、これならいいかも、と決めたのである。

好きなタイプのストーリーかといわれると、時代小説よりはついていける、という程度だが、気持ちよく読めた。自意識過剰のうるささがなく、日常の描写を重ねながら、主人公が確かなものを掴み取り、周囲の人たちに相応のさりげない愛を覚えながら居場所を見つけていくさま、というか、成長というか、そんなような姿が浮き彫りにされる。ごたごた説明を繰り返さず(最初のほうには説明的なうるささがないわけではない)、さらりと仕上がっていて悪くない。

私は一字一句無駄になっていない精巧な短編小説を読み解くのが好きなので、こういうのは物足りない、と言いたい気持ちもあるのだけれど、なぜかそうも言えないから、やっぱりよく出来た短編なんだろう。上手なんだね。



教えてあげたい!
2006年03月24日(金)

電車で隣に座った若い人がいきなり針を出した。刺繍でも始めるんかいな、と思いきや、針に通したのは白の木綿糸、太口。雑巾でも縫うのかしらん、何するんかしら、とオバサンの目は釘付けになる。

取り出しましたるは、長靴の形をしたみどりのフェルト。

何で白の木綿糸なの???

オネエサン、玉結びも特大の大玉結びである。それだけでお上手でないことは一目瞭然。

針を突き刺し、しばし考え、一針動かす。緑の生地に白糸はくっきり。一針動かすと、次の一針をどこに刺したらいいのか、分からない様子。

虚空をさまよう針先をみたら、何がしたいのかピンと来た。フェルトの端をアップリケ風に始末したいのだ。あれ何ステッチっていったっけ?ブランケット・ステッチだ。

ほら、こうやってやるのよ、と教えてあげたかった。でも、それはいくらなんでも・・・。

それにしても大体、なんで刺繍糸じゃなくて、木綿糸なんだ?

オネエサン、プリントを取り出した。幼稚園の準備のようだ。緑の長靴は名札の土台らしい。その上に縫い付けるとおぼしき小さな白い綿ブロードの端切れ。後からそれをつけるにしても太口糸はまずかろうよ。端の始末もしなくっちゃ、アイロンで内側に折るだけでいいからさ。

プリントをしまって、また、針を持つ。見ると、前に立っていたオバサンも手先を注視していた。意地悪で見ているんじゃなくて、心配なんだよね。

針先で糸をひっかけないと、ただの巻縫いになっちゃうよ〜。

これじゃない、と気付いたらしく、今度は元の縫い目、というか、糸の出ている穴に針を押し戻そうとする。あ〜、そんなことしたって、毛糸じゃないから無理だってぇ。糸切って抜きなさいよ、と言いたくなる。

あと10分乗っていたら、私、きっと黙っていられなくなったと思う。でも幸か不幸か、終点に着きまして、このドラマ一巻の終わり。


ヒヨドリ・ムクドリ
2006年03月23日(木)

ネタがないと鳥ネタです。犬が生きているときは犬ネタでしたが。

最近、ムクドリがうちの餌台を学習したようで、やってきます。普段は表の芝のほうで虫か何かをついばんでいることが多い鳥です。体格的にはヒヨドリと同等か、やや太めです。大きな群れを作って、ジャアジャアとなきながら街路樹や電線に止まる、鳥だから当然上から糞を落とす、というだけのことで、嫌われる鳥でもあります。

(何もそのくらいのことで目くじら立てんでも、と思います。壮観だなあ、と見て欲しいです。車の屋根は上から落ちてくるものを防ぐためにあるのだから、屋根に糞をされたら、屋根がついていてよかったなあ、と思うのが正しいのでは?)

さて、ムクドリがフェンスに止まって様子を窺っていると、ヒヨドリに見つかります。ヒヨドリは暇なときはじっと餌台の番をしているのでしょうか。訓練して防犯活動をさせたらよいような鳥です。ムクドリは様子を窺わないでさっさと食べればよいのですが、律儀に様子を窺うために発見されるのです。でもヒヨドリ巡査が上からピーッツと鋭く鳴いて威嚇したくらいではムクドリは動じません。

するとヒヨドリはムクドリから30センチかそこら離れたところに止まり、例のドラミングです。翼を緩めて小刻みに震わせます。ムクドリは知らんふりです。でも餌台に移りもしません。ヒヨドリは場所を反対側に移動して、同じことを繰り返します。再び効果なしと知るや、また元の場所でドラミング・・・そして、いたたまれなくなったムクドリは逃げました。何の反撃のすべもなく、ただ固まっていただけだったようです。

しかし、鳥は一日の大半を捕食活動に従事するといわれるように、一日家にいると何度も窓の外にムクドリとヒヨドリを見かけます。おそらく同じことを繰り返しているのでしょう。見ているこちらの気が滅入ってしまいます。一度は逃げるムクドリをヒヨドリが追撃していました。かわいそうにねえ。

近所の畑ではムクドリとセグロセキレイが半径1mくらいの距離で、地面をつついていました。一応共存しているのでしょう。ヒヨドリもなんとかお目こぼしをしたらよいのですが、まるでミニパトお巡りさんのよう・・・。

ムクドリがお友だちをおおぜい誘ってくれば、ヒヨドリの手に負えるところではないと思うのですが、なぜか、一羽で訪れます。まあ、私もムクドリの大群がフェンスに止まっていたりしたら、ヒッチコックの「鳥」さながらに怯えますが。

ここ数日はシジュウカラの声がよく聞こえます。シジュウカラはネクタイがよく似合って、胸を張ってアンテナなんかに止まっているので、どこか微笑ましくて好きです。


『運命の力』@新国立劇場
2006年03月18日(土)

アルヴァーロ役のロバート・ディーン・スミスが聞きたかったから行った。作品自体は好きではない。いろんなこと、てんこ盛りに入れすぎ。欲張るから、説明的な言葉が多くなっているし。

世間ではシャファジンスカヤ(レオノーラ)の評判が高い。ソプラノ・ドラマティーコである。でも私、この人の声嫌い。あざとい。声量があることは大いに認めるけれど、私の頭は彼女の声で演算不能になった。もうちょっとうぶな声の人に歌ってもらいたいが、男の人が聞くとそうは思わないかもしれない。

お目当てのスミスはいうまでもないが、バリトンのロバートソンも張りがあって声量十分。要するに声のでかいヤツが3人揃い踏みだった。この状況じゃ坂本朱さん(プレツィオジッラ)は分が悪かったね。

メリトーネ役の晴雅彦さん、芸達者で○。声も好き。

スミスにはとても満足。あれ以上デブになるとちょっと困るが、滑らかな無理のない発声で安定していて、安心して聞ける。 宍戸錠並みのほっぺたは歌で鍛えられたのだろうか。年をとったときの顔を想像するとちょっと怖いが。

この作品は結局、最後にアルヴァーロだけが残されるという悲劇なのに、なんだかしまらない。筋自体は『リゴレット』に伍してもいいのに、半端に神様が出てくるからダメなのかな。ヴェルディは『リゴレット』が一番好き。あれは泣ける。


ヒヨドリ・スズメ・メジロ
2006年03月17日(金)

最近、朝、雨戸を開けると、ひよどりがうるさく鳴く。「おばさん、メシ!メシ!」と合宿所の賄いさながらである。ひよどりは本当にうるさい。黙って食べればよいのに、大体、食べる前に餌台の手前でひとくさり、ピィーッ、ピィーッと何度も繰り返して鳴いてから餌台に移り、ようやく食べ始める。

先月からなんだか習慣になって、果物やらパンくずやら、雑穀やら与えている。本来、果物をヒヨドリ組にあて、地面に撒くパンくずの類はスズメ組にあてたつもりなのだが、ヒヨドリ組は卑しいので、両方食べてしまう。ヒヨドリという字は卑しい鳥と書く。困ったもんだ。「卑」が単に音符であることを願いたい。

ヒヨドリ組の食卓にたまにメジロ夫妻が訪れる。見つかると大変である。ピーッの一声でメジロ夫妻は遁走する。ところが、スズメ組はその程度では動じない。すると、ヒヨドリはフェンスに止まって、羽を緩めて、こきざみに震わせて威嚇する。あたかもゴリラが胸をたたくドラミングのようである。それでも餌をついばんでいると、急降下攻撃をしかける。さすがにスズメ組もこれには退散、というわけで、最後はヒヨドリ組の天下となる。

ただし、このヒヨドリ組、「組」と書いたように複数の個体が餌台に通ってくるけれど、決して二羽が同時に餌台に乗ることなどない。それに比べれば、スズメ組やメジロ夫妻は仲良きことは美しき哉である。意地悪ヒヨドリというべきだろうが、その食いっぷりのよさに心奪われ、賄い婦はついつい明日は何にしてやろうか、と考えてしまうのである。


モンテベルディの顔
2006年03月16日(木)

モンテベルディという作曲家、バッハより百年ちょい前に生まれた人で、オペラ史には必ず出る人ではあるのだけれど、肖像画の顔はとても暗くて険しい。仲良くなりたくないタイプである。あの顔で曲を聞く意欲を失う。そしてずっと聞かないまま過ごしてきた。

でも、『西洋音楽史』を読んでから、これは一度は聞かねばならん、と思い、四声のミサ曲を聞いてみたら、なんとまあ美しいことよ、と驚いた。真面目に美しい。お遊び加減がなく、ただただ清らか。神様だけがいて、人間は本当に神の意のままなのねって・・・(バッハは神の前の人間の音楽だと思ってます)。

あんな顔したモンテベルディのどこから、こんな歌が生まれてくるのかしらと思うと同時に、肖像の罪を思わないではいられない。

話がぶっ飛ぶが、物理学者朝永振一郎とその父親の哲学者(だったっけ)三十郎がある人名辞典の同じページに出ていた。三十郎氏のほうはかなり若いときの写真で、対する息子はかなり晩年の写真だった。とても奇妙な気がしたことを覚えている。

当たり前のことだけれど、人は何十年も生きるのに、写真はほんの一瞬である。現代人なら生涯たくさんの写真を残すが、昔の人は特別な機会に撮るだけだから、数が少ない。もっと昔の肖像画の時代ならさらに少ない。

それなのに、特定の一枚がさもその人そのものであるかのように使われる。夏目漱石、森鴎外、正岡子規、石川啄木、みんな国語の教科書で顔を知り、ずっとその顔だけで覚えてしまう。バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト・・・このあたりは音楽室。このほか、シェークスピアだとか、ベーコンだとかもおなじみの顔だろう。

まあ、顔もしらないで、作品を知ってもつまらない、ということになるのかもしれないが、顔で先入観を持って作品に触れない、ということも、モンテベルディの例がそうであったように私の場合はよくあることだ。

たまたまの顔が後世ずうっとその人だとして、大衆に記憶されるわけだが、それもちょっとなんだかなあ、と思ってしまう。CGで年齢をあげたり、さげたり、表情を変えたり、髪型や衣装を今風にしてみてくれたりすれば、ずいぶんとイメージが変わるだろう。それに案外、いろんな新しい物の見方につながったりしないだろうか???


両替は自販機で?!
2006年03月14日(火)

とある研究所内の図書室を利用した。貸し出しはしないが利用者制限はない。都心から1時間以上かかるし駅から不便なので、閲覧者はほとんどいない。出納の早いこと申し分なし。

コピーも10円だという。類似の某施設では確か30円だか35円だか取る。なんて良心的なんでしょう、と感動していたのだが、いざコピーをしようとしたら、なんと「両替はしていません」というつれないお返事。万札ではなく千円札を百円にくずせないのである。私は300ページ以上コピーする予定だった。

街中にある施設なら、しょうがないから近くのコンビニでくずしてきましょう、ということになる。ところがこの研究所、町外れの、有事には滑走路にもなろうかという巨大な道路に面していて、あたりには何もない。似たような施設があるだけの荒涼とした場所だ。

「え〜、どうしたらいいんでしょう」と無力なオバサンを装った。
「下に自販機があるんで、ジュースでも買ってくださったら」
「へっ?1000円でジュース買うんですか?」
「はい。それしかないです。」
「ジュースそんなにいらないんですが・・・」
「さあ、そういわれましてもねえ」

結局缶コーヒーやらジュースやら3本買った。3000円を2700円に買えたわけだ。(この価格は良心的といえますが。)漁父の利は缶ジュース業者の手に渡った。

幸いこうしてコピーをすることが出来たのだから、出来ないよりははるかによいが、これで利用者の便を図っているつもりなんだろうか?どうせ閲覧者の数は少ないのだから、両替をしたところで、たいした手間にはなるまいと思うのだが・・・独法化したのにこんなことではいかんよねえ。


料理の知的所有権
2006年03月13日(月)

私くらいの主婦歴になると、<ありあわせ定食>が得意メニューとなり、世間で何が流行ろうと、それを家庭でも作ろうなんていう努力をしなくなる。外で食べられるものは外で食べればよろしい。

でもたまには、生協のチラシの片隅にのっている手間のかからなそうなレシピをくりぬいて情報カードに貼り付けてみたりする。私程度の腕にはこの程度のレシピが苦なく作れて最適なのだ。

さっきそれをしていて、わいてきた疑問 ― 料理そのものの知的所有権ってあるのだろうか?つまりレシピの著作権である。料理本になったときは当然著者なり編者なりに所有権が発生することは想像できるし、雑誌や新聞、チラシなどなら、その媒体の発行元だろう。

しかし、まったく新しい料理―カリフォルニア・ロールだとか、巻寿司のドラえもんだとか、はたまたエスニック食材とのコラボレーションなんていうものを、「私のオリジナルだ!」と主張したら、その知的所有権は楽譜並みに保証されるのかしらん?




志功デザインの御池煎餅
2006年03月12日(日)

私の好物は御池煎餅です。
今回、新幹線に乗り換える際にも当然駅ビルで御池煎餅を買いました。
はじめて気付いたのですが、御池煎餅の缶のラベルデザインは棟方志功のようです。

棟方志功は中村屋サロンに出入りしたとかで、中村屋のお菓子のデザインもしていたはずですが、どんなお菓子でしたっけね。羊羹だったんじゃないかと思いますが、ネットで見る羊羹にはそんな絵はついていません。ひところどこでも見かけた気がするのに、いざ何かと思うと思い出せない情けなさ。

横浜の「勝烈庵」という猛烈な名前のトンカツ屋の看板も志功の作らしいです。おかみさんか誰かの顔。正直、志功が書くような似たような顔で、モデルを意識しているのか、どうか。

それでも志功なら自分がひいきにしている食べ物の包みや看板のデザインを頼まれると、いさんで引き受けたのではないかしら?愛するものには尽くしたいのが人情でしょう。しかし、商業デザインをファイン・アートの芸術家が手がける例って今もあるのでしょうか?平山郁夫デザインのシルクロード風味のお菓子なんてありますかね?

ついでにですが、お菓子を詠んだ句がそのお菓子の栞に紹介されていることがありますけど、あれは依頼なのか、たまたまなのか、ちょっと知りたいものです。


奈良
2006年03月11日(土)

奈良へ行って帰ってきました。
前回行ったのは、法隆寺の焼けた金堂と壁画の特別公開があったとき・・・はて、いつだったかしらん?10年くらい前かな?焼けた内陣が収蔵庫の中にそのまま保存してあって、「虚無」を見せつけられたようで背筋が寒くなる思いがしたものでした。

今回は老いた両親、修学旅行以来の夫、修学旅行で行ったか行かないか、大仏を見たような気もするし、見なかったような気も、という心もとない息子の総勢5人で行きました。本当は一人がいいんだけれどね。

なにしろ老人饗応がメインですから、お水取りに焦点を定め、まずは手近な興福寺を見てから国立博物館で事前学習(というと堅いけれど、これを見てから本物を見るとありがたみ倍増)を済ませ、春日奥山の料亭で修二会会席なる料理をいただき、二月堂にいざ出陣。

あいにくの雨模様ながら、人出はたっぷり、時々鹿まで混じっていて、ご愛嬌。火の粉の飛ぶような真下からはほど遠いものの、なかなか面白かったです。10本のたいまつ、本当は行に入る僧侶を送り届けた時点で御用済みなのに、見物客にとっては「お楽しみはこれからだ」で、走って振り回してくれて、これもお坊さんの所作だとは思えません。いなせな鳶の兄さんがやってるような気持ちになって、「××屋!」とでも声をかけたくなります。

両親も満足してくれて(父は半呆けなのでもう忘れているかもしれないけど)、それなりに冥土の土産ツアー成功だったかな?

翌日(つまり土曜日)は「ならまち」をぶらぶらしてから、浄瑠璃寺、岩船寺、般若寺を観光タクシーで運転手さんのガイド付きで回って、やっぱり奈良はいいなあ、と思って帰京しました。

万葉集にも古代史にも常識以上の興味はありませんが、奈良のお寺を見ると昔のハイテク、先端技術を見る思いです。宗教が自衛隊であり、農林水産省であり、厚生労働省であり、文部科学省であり、要するに生活のすべてをつかさどった世界において、寺院や仏像がどれほど大きな意味を持ったか、大仏鋳造はもちろん、山の中にそびえる塔にもどれほどの思いが込められたかを想像するに、胸キュンを覚えないでいられましょうか。


外国人労働者のこと
2006年03月09日(木)

国連に国際移住機関だかってのがあるんだそうで、そこと外務省が主催する外国人労働者に関するシンポジウムに行った。

外国人労働者の問題ってすごいダイナミックなことなんだな、と己の無知を実感。社会構造全体に係わる大問題なんです。外務省、法務省だけの問題じゃなくて、厚生労働省、文科省、経済産業省、地方自治体、経済界、その他いろいろ巻き込んで大変なこってす。日本政府も内実、途方にくれている様がしみじみ感じられました。

ドイツの新移民法なるものを、ドイツ連邦議会の偉い人が説明してくれて、同時通訳初体験。うまいことできとるもんやね。法律そのものは、いかにもドイツらしい選別が働き、その上で市民として疎外されることがないよう手厚いサポートが施される。といっても、そこにいたるまで、30年余。移民問題を場当たり的に処理したツケは高かったというのが本音のようでした。

建前的には日本には単純労働が目的で日本にいる外国人はゼロのはずなんだって。え?ほんと?

でも、実はそういう人が沢山いるから、問題になってしまうのです。ビザの発給目的と現実との間にギャップがあるようです。

そういう人たちは信じられないような劣悪な条件で、社会保険すらなしで働くことが多いです。仲介業者、斡旋業者が悪いのね、と思いがちですが、なんと、調査によると、その両者ともに労働者からの満足度が高いんだそうです。なぜかというと、「国の業者に比べたらマシさ」ということ。 とほほ。

ホント、どこから手をつけるんでしょうねえ・・・どうするんでしょうねえ・・・私としては、一部の犯罪者に「不法就労外国人労働者」とレッテルを貼って、差別意識を育てないようにするのが、一市民としては大切なのではないか、と思うだけです。お役人さん、頑張って〜。



Algo, come back
2006年03月08日(水)

数年前に書店のカウンターあたりによく積んであったAlgo(アルゴ)というゲームを探して、水道橋の奥野カルタ店を覗いた。「カルタ店」というけれど、あるものはカルタばかりではない。ボードゲーム、カードゲームを主体に反射神経ではなくて、頭を使う古典的なゲームが各種そろえてあるとても楽しいお店。東急ハンズのように混んでいないし、客筋は元子どもの大人たちばかり。

しかもお店の人が親切にルールの説明をしてくださる。口ぶりでご自分が楽しまれたかどうかがよくわかる。

で、ここになければ、ないぞ、と思いながら行ったら、やっぱりなかった。いわく、カードゲームというものは中小メーカーが中心で、よくよくのことがない限り、初回出荷分で終わりになるものなんだそうだ。

勉強熱心なおうちに入学祝いにあげたかったんですけどね、というと、numeroというのを勧めてくれた。むむむ・・・残り一つきり。見てくれがちょっと渋い。子どもはこれをもらっても喜ばんぞ、きっと。でも、四則計算と論理性の組み合わせで、かなり魅力的ではある。(一年生には難しいけれど、親子で遊ぶとき、親が面白くないようなゲームに子どもはついてこない。)

買うならどうしても自宅分も欲しいし、再入荷の期待はできないというし、仕方がないから説明用に出してあった分もお願いして分けてもらい、2つ買った。でもこれじゃあちょっと派手なものを添えないとお祝いの体をなさない。

Algo いいゲームだったのに残念。帰ってから、Algoの販売元を見たら、学研だった。でも、学研のサイトに行っても影も形もない。お下がりのAlgoをあげるわけにもいかないし、ちょっとnumero を家族で頑張ってみて、小学生には無理そうだったら、中学生の甥にあげよう。


供養
2006年03月05日(日)

夫が親戚のお葬式に行き、お土産?に鶴屋吉信の柚餅をもらってきた。故人の好物だったそうな。

ありがたくいただいた。故人の話で食べ始めたが、そのうち故人のことは忘れて食べ終えた。

これって結構供養かも、と思う。少なくとも、へぇ〜、そうだったんだ、と思って話をするから。でもそう親しくもない相手にまで、故人の好物を分けてもらってもちょっと迷惑かな。(そういえば、故人のカラー写真集を配った人を知っている・・・あれには参った。せめてお菓子の類の消えモノにしてもらいたかった。)

で、私なら何にするか?

テオブロマの板チョコかな、といったら、「チョコは生クリームとか動物系のものを使うんじゃないの?」と茶々が入り、ならば御池煎餅、というと、「東京で簡単に手に入るものにしてくれ」といわれた。じゃあ、麩焼き煎餅、メーカー不問ということにする。葬式に麩焼き煎餅はふさわしいな、と全員一致。



『西洋音楽史』 岡田暁生
2006年03月04日(土)

どこかの書評でもかなり褒めてあったし、知人が絶賛していた―「私のようなものにでもクラッシックの流れが分かりますがな」―岡田暁生『西洋音楽史』(中公新書)を読んだ。音楽史の本というと、時代順に人と作品の解説を列挙したものが殆どだが、確かにこれは違った。

試験をされたら理解度の浅さがすぐばれそうだけれど、少なくともコレを読むと「分かりますがな」感覚が生まれる。時代を背景に全体像が把握させてくれる手ごろないい本。ただし、こういう通史的なものは、どんなジャンルでもそうだが、ある程度、出てくる作品を知っていないと何も面白くない。

「クラッシックの黄昏」という副題も納得がいく。私たちが考える「クラッシック」って実はかなり限定的に19世紀西洋音楽のことだったんだ。それがわかってどうなの、といわれたら、一つ考える足場を与えてもらった、と答えよう。

よく売れているらしく、もう5刷に入っているようだ。静かな口コミだろうか。これまで西洋音楽史の本を読んで、何か自分の求めているものと違うと感じた人がそれだけ多かったことの証しかもしれない。私に教えてくれたのは極めて老獪なジイ様だが、彼とて誰かにいわなければ済まなかったんだもの。



カヴァコスのラヴェル
2006年03月03日(金)

電車の中で音楽を聞くのは耳に悪いそうだが、いらいらして電車に乗ることはもっと体に悪いと思うので、耳に犠牲になってもらうことにしている。今日はカヴァコスの演奏するラヴェルのソナタ(遺作)に朝から酔いながら出かけた。

カヴァコスがバッハをひいても、うまい人がひいているね、という程度の印象しかないし、別にこの人にブラームスをひいてもらおうとは思わないのだが、エネスコやイザイをひかせるとなんともいえないうまさを感じる。音が重厚で、野太いといってもいいほどだ。しかも断じて荒削りではなく、非常に安定感のある滑らかさで流れていく。音楽をことばに代えて表現することは至難の業だけれど、新しい地平が目の前に拡がって行くような感じでラヴェルのソナタも聴くことが出来た。混んだ車内はほかに集中することがないから、一つ一つの音を楽しむことが出来ていい。

3年か4年前にコンサートで聞いて以来、カヴァコスには入れ込んでいるが、そのときはバッハだったが、それよりもアンコールの超絶技巧に舌を巻いた。以来、ソロリサイタルがないのが残念。N響とやったメンコンは聞き損ねた。どう料理したのか聞いてみたかった。コルンゴルトは聞いたけれど、N響とじゃないほうがよかったんじゃないの、という印象が残った。

一月前、お前はテツラフを追っかけていたじゃないか、といわれそうだが、それはそれ、これはこれ、である。テツラフの魅力とカヴァコスの魅力は全く別のものなので、比較の対象にはならない。うっとりする相手が多いほうが生きていくのは楽しい。今年はこれからハーンもあるし、ムターもある。うっとりの相手がいくら多くても、現実にはそれに倍するクズな人たちとつきあっていかなければならないのだから何も心配することはない。


甘食
2006年03月02日(木)

なんという風の吹きまわしか、何年ぶりかにお菓子を焼いた。オーブンそのものは毎週のように料理に使うのだけれど、お菓子は子どもが小学校を卒業してから焼いたかどうか、記憶にない。大体、私が焼くよりは買ったほうがはるかに経済的で、はるかにおいしいのである。

ところが、人から「甘食」のレシピをもらい、ほお、甘食ね、と妙な風が吹いたのである。別に甘食が好きなわけでもない。B級パンで好きなものはメロンパンである。甘食はぱさぱさ甘いだけなので、もらえば食べるが、買いはしない。(メロンパンもぱさぱさ甘いだけだが、あれを「メロン」という貧しさに胸がきゅんとする。)

ともかく、久しぶりに秤を出し、粉ふるいを出し、電動あわ立て器を出し(横着なのだ)、作業開始。甘食は「パン」ではないらしく、発酵だのガス抜きだのという、いらちの私には辛い作業がない。ちゃかちゃか仕事を片付けるだけ。

生地をねかす間に、使ったボールや何かを洗う。そういえば、犬がいたときは、ぺろぺろっと舐めさせたりした。(きたない?きたないかもしれないけど、実害を受けた人はいないはず。)死んで半年、いろんなことを思い出してきたが、お菓子つくりの一こまはすっかり失念していた。ケチらないで、もっとふんだんに舐めさせてやればよかった。

しぼり袋で生地を天板にしぼりだす。ここまできて、突然「焼いてどうする?」と疑問がわいてきたが、まあ、2週間持つというし、おいておけば朝のパン代わりに息子でも食べるだろう、と続行。

オーブンにいれて5分もしたら、幸い、どれもそれなりに色っぽい形状にふくらんだ。案外簡単なものだ。10分ほどで色づいて焼き上がり。

「罪のない食い物だなあ」といって息子食べる。夫は2個食べた。こういう素朴な菓子には弱い昭和20年代生まれである。


『麦ふみクーツェ』 いしいしんじ
2006年03月01日(水)

夫が買って読んで、なんだかわかんない本だった、といった本。
最近の若い作家はよくわからないし、つまらないことが多いから、私も手にとらないままでいた。で、今日の通勤の友になった。なにしろ文庫だからサイズと重さのアドバンテジは大きい。

全然期待しなかったが、とてもよく出来た寓話で、行き帰りたっぷり楽しめた。寓話でここまで長くかける腕前に感心した。温かみのある文体で綴られ、そこかしこで、生活や人生のいろんな局面を考えさせてくれる。「音楽家をめざす少年の身にふりかかる人生のでたらめな悲喜劇。悲しみの中で鳴り響く、圧倒的祝福の音楽」という裏表紙の紹介文はなんのこっちゃ、といいたくなるが、純粋なものの美しさや力を感じることのできる作品だ。

これを「なんだかわかんない」と評する夫はたぶん小説というものをステレオタイプ化していて、頭の中に『麦ふみクーツェ』を配架する場所がないのであろう。お気の毒さま。

難解なことを難解に表現する、一時の大江健三郎みたいな人は別に珍しくはない。この奥にあるのはかなり難解なことなんじゃないかな〜、と感じさせつつも、表現はあくまでやさしく、まるで児童文学のように描くという人はそうたくさんはいないだろう。私は今日まで<いしいしんじ>という人を知らなかったし、解説によれば、割合寡作の人のようだ。やさしく見えても、きっとそれはそぎ落とした結果なんだろうな。

いしいひさいちなら知っていたけど。



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