書泉シランデの日記

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テツラフのバルトーク
2005年07月31日(日)

私がついていける作曲家はバルトークくらいまでである。昨年、新進気鋭の作曲家の本邦初演のコンサートに行ってみたが、三半規管がどうかなりそうだった。あのときはとにかく居眠りで凌いだ。

テツラフvn×アンスネスpfのヴァイオリン・ソナタ(バルトーク)のCDはとても素敵。双方過不足なく、素敵な室内楽になっている。そもそもテツラフは割りと生真面目ながっちりした演奏をする人だと思うけれど、それにアンスネスが柔らかい色合いを添えているといったらいいか、あるいは、全然違う音楽を奏でる人たちが見事なコラボレーションをしている、といったらいいのだろうか。

まあ、どう言ってみたところで、「とってもいいわよ」というのが一番的を得た表現かもしれない。とってもいいのです。

来年2月の来日でも、バルトークのソナタと無伴奏をひいてくれる。ただしアンスネスとではなく、フォークトなので、ちょっと心配。アンスネスはボストリッジの歌曲の伴奏をしてもうまいから、本当はアンスネスで聞きたいですけどね、チケットが高くなりすぎるのかもしれませんね。でも、テツラフ×フォークトで\6000は安すぎると思うんですが・・・。


ライアン帰国
2005年07月30日(土)

ときどき日記ネタになってくれたライアン、1年間の予定の交換留学を3ヶ月で切り上げて、本日帰国。成田まで送っていってやろうかと思ったが、出発便が遅いし、見送って帰宅すると深夜だということで、最寄り駅までにした。

帰国前に一日くらいゆっくり遊べればよかったけれど、うちも忙しく、息子は発表会と試験と重なり、その直後から合宿で、なかなか時間調整ができないし、ライアンはライアンで、ESSのパーティーだの、ニンテンドーだの、東京ディズニーシーだの、渋谷夜遊びだの、とこれまた忙しい。まったくもー、と結局放置したまんま。

でも会えば、相変わらず「いい子」で、
どでかいくせに幼くて、わが子ならば心配の種になりそう。
3ヶ月で切り上げたのも、
・日本語のクラスが易しすぎる(上級クラスは難しすぎる)、
・英文科の講義を聴いてもわからない(日本語なのだから当然)、
・もっとアルバイトできると思った
というようなことが敗因らしい。要するに互換できる単位はとれないし、遊びすぎるから生活費がなくなった、ということだ。

荷物の中にニンテンドーのソフトが見えるから、「いくつ買ったの」と聞くと、ニッコリ笑って「15か20くらい」という・・・いったい、おまえは何しに来たんだ?

残念ながら、日本語能力にはどう考えても大した進歩はない。多少会話が出来るかなあ、という程度。私との会話は今日も英語で、彼にわかりそうなことだけ日本語で話しかけてやるというかたち。

中国や東南アジアの私費留学生がどのくらい頑張っているかを知っている身としては、呆れてものがいえない。なにしろ、交換留学生だったので、彼は光熱費込み月4万で学校至近のワンルーム(家具・家電付き。浴室乾燥機まで)に住めたのだ(ちょっと調べてみたら、現実には家賃だけで月6万)。学部の交換留学生ってキャンパスの彩りなのね、きっと。大学側に本気で教育する気がないことを今回感じてしまった。なにしろその大学には、日本語の専任がいないのだから、考えてみれば無責任なことだ。ライアンみたいに、割り切って遊ぶ人がいても、それはそれで理解可能。

でもね、やっぱり大人としては、将来のために頑張ってほしかった。大学の授業に不満があるとしても、日本語を教えたいという人はたくさんいるのだから、そういうボランティアを利用して集中的に学ぶことも、やる気さえあれば可能だったはず。アルバイトだって、大人との人脈が出来れば、きっとどこかで英会話の個人教師くらい出来たはず。ひきこもってゲームばかりやってるからダメなのよ、と私がいえば、夫は「白人でも引っ込み思案がいるんだなあ、押しが弱いんだな」と同情的。

今頃は彼の乗った飛行機は滑走路で待機しているかな。何の屈託もなく、嬉しそうに、「明日の夕ご飯は Scotch filletなんだ」と帰国するライアンに幸いあれ、である。



「私、○○大学救急救命センターの・・・」
2005年07月28日(木)

昼寝をしていたら電話。
「もしもし、私○○大学救急救命センターの」
ここまで聞いたら、頭高速回転。
○○大学救命センター?夫か?息子か? 場所どこだっけ?

「××と申しますが、●●高校の・・・」
なんだよ、高校の同窓会かあ。

かわいそうに、高圧的な同窓会のオババの魔手にかかったお医者くんであった。きっと医大の先輩後輩関係もからんだのだろう。

私の高校は共学なのだが、男子が多く、男女クラスと男子クラスになっていて、このお医者くんは3年間女っ気なしで過ごした人だった。だから顔も名前も知らない。知らないけれど、ほのかな訛りに懐かしさと人の良さを感じた。

さすがに私はここでお医者くんの願いを拒めるほど身勝手ではない。私の遊び相手の半分は高校の友達なのだ。なに、メーリングリストを作りたいとな、そのくらいなら協力してあげよう、とOKした。

でもさあ、名乗りに「もしもし、私○○大学救急救命センターの」は迷惑だっつうの。

そういったら、お医者くん曰く「即切られたこともあるんです 、オレオレ詐欺と間違えられるんです」。
私はオレオレ詐欺とは思わなかった。 っていうことは、私はひっかかるっていうことだよね。


医者のひきどき
2005年07月27日(水)

最近、左目に虫が一匹住みつき・・・飛蚊症というやつらしい・・・大抵の場合はそう心配しなくてもいいらしいが、今の私の年齢で兄が網膜はく離をしているので、その予兆では、と心配になる。今日、ぽこっと時間が空いたので、眼科に行った。

眼科なんてオリンピック並みにしかいかないから、かかりつけというほどの関係のところはなく、ちょっと迷った。今日は暑いし、新しいところへ自転車でギコギコ行くのも大儀だったので、前に一度行ったことのある、駅から近い老夫婦の眼科医に行くことにした。

受付から診察室の様子が見えた途端、お二人の老先生の老け込みようにギョッとして、「やばっ!」という思いが心をよぎった。4年の月日は老の上に老を重ねても足りないくらい。先生の足元のおぼつかなさ、カルテ記入の遅さ、説明のキレの悪さ、万事万端心配になる。

ようやく順番が来た。もちろん丁寧に見てくださる。「ご兄弟がそれじゃあ、ご心配になるのも無理はないね」と、優しい言葉もついてくる。でも検査の間中、手もと足もと、大丈夫ですか?と声をかけたいくらい。うちの伯父伯母も夫婦で開業しているが、こんな具合なのだろうか、と長いことあっていない伯父伯母のことを思い出しながら、眼底検査を受けた。

瞳孔が開くまでの間、仕方がないから診察風景を見ている(そうそう、プライバシーへの配慮ゼロ)。老人のおしゃべりにも、子連れのおしゃべりにも、それはそれは丁寧な対応で、世に3分診療という言葉があるが、ここでは20分以下ということはない。深刻そうな症状の人は一人もいないのに、だ。先生も患者も会話を楽しんでいる。両先生ともに年寄り独特の話のくどさがあるが、受けるほうも老人が多いから、どうってことがなさそう。子連れは子連れで、話したいことがたくさんあるようで、かみ合わなくても一向に平気である。

私はイライラしていたが、だんだん、自分をここの時間の流れ方にチューニングせにゃいかんのかも、と思えるようになったその頃、再び検査に呼ばれた。そのあと「生理的な範囲内ですよ、虫が5匹、10匹と増えるようなことがあれば、その時で十分」といわれた。でも、ここで「ありがとうございます」とあっさり引き上げてはなんだかいけないような気がして、どうでもいいような質問を2,3して終了。

これで一安心である、といいたいが、う〜ん、もっと若い人にもう一度見てもらおう。スローな医療のよさも感じたけれど、でもね、やっぱりね。


老犬近況
2005年07月25日(月)

老犬がいる限りは、親の不幸でもない限り、預けて家族で遠出というのはありえない。小さい子どもがいるのと同様、必ず夜8時には誰かが帰宅するという暮らしである。

その老犬、ここ数日食欲がなく、ともすれば普段の半分。今日はなんとか75%。「馬を水辺に連れていくことはできても・・・」のことわざと同じく、なかなか無理に食べさせることは出来ない。人は「体力が落ちるから」と頑張って食べもするが、動物はそんなわけにはいかない。夫と二人で、口から入らなくなっても点滴で数日もたせるなんてことはやめようね、と話す。直る病気ではないのだから。

老いた犬はどこの家でも寝てばかりではあるけれど、それでも元気で寝てばかりの老犬と、具合が悪くて横になっている老犬とは雲泥の差である。うちのに関していえば、皆が帰ってくる夜にあわせて何とか昼間は体力温存という感じである。庭に用足しに出ても、家に入るなりドテッ横たわるので、気の毒になる。すぐに息が上がってしまうのだ。さっきは玄関の段で手を貸してやらないと登れなかった。

失神はもはや日常茶飯事で、さしたる興奮や運動がなくても、くらっと倒れる。その前に足がもつれ、なんとなくはわかるので、抱き上げてやったり、寝かせてやったりするが、腕の中で失禁されるのはいやはや、である。

もしかするとX-dayはこの夏のうちかなあ、と思ったり、まだまだしぶとく、秋になってからかな、と思ったりするが、戌年を迎えることは難しそうだ。


『シティ・オブ・ボーンズ』
2005年07月24日(日)

熱心なファンというわけでもないが、推理小説は時々読む。30年近く前、「推理小説って面倒!」と断言したら、今は亡き某先生から「そんなこといっちゃだめだよ」とエラリー・クィーンを教えられた。(クリスティも教えられて一通り読んだが、こちらは好きになれなかった。)

ここ10年ほど(もっとか?)は、女流を読むことが多くて、サラ・パレッキーにはかなり入れ込んだ。コーンウェルは最初はよかったけれど、もうどうでもいい・・・推理小説ってシリーズものになってくると、登場人物が増えてきてつまらなくなるような気がする。メアリ・ウォーカーはパレッキーの次に好きだが、新しいのが出ていないので残念。

そんな程度で、推理小説ファンとはとてもいえない。この『シティ・オブ・ボーンズ』については、女流でもないし、とりたてて買う理由なんかないのだが、なんとなく買ってしまった。面白かった。トリックが、というより、主人公を含め登場人物が魅力的に書けているように感じた。「ハードボイルド」のうたい文句がついていたけれど、そうなのかなあ?恋が実らないのをハードボイルドというのなら、そうかもしれないが、結構ウェットな話である。

それにしても、最近のものって、売春や麻薬どころではなく、小児性愛だの児童虐待だのと出てきて、ネタ的にはどうも楽しくない。犯人探しで引っ張られて読み進むのは面白いのだが、そんなことをネタにして面白がっていていいのか、と思うと、少なからず後ろめたい。世の中が陰惨になることで、新たな犯罪の方法を小説に提供できるとすれば、日本社会も一役買えることは間違いない。そしてまたそれをヒントに犯罪が再生産されるのだろうか。そんな風に考えていくと、読書というものもきわどいところにあるのだね。だからといって、検閲や規制は困るのだけど。


アフター発表会
2005年07月23日(土)

というわけで、昨日は疲れ果て、今日は珍しく8時まですやすや眠れた。昨日のビデオと写真を整理しているうちに、ヴァイオリンの仲良しから電話がかかり、写真をわたしがてら、お茶を飲むことに。

あの子はどうだった、この子はどうだった、と仲良しと評定するのがアフター発表会の楽しみである。割合長く通っている子どもが多い教室なので、子どもの成長と技術の進歩、個性の発露が話題にのぼった。

小さいうちはどの子も似たようなものだが、素人なりに上手な子だと小学生、どんな子でも高校生まで続くと、かなり音に個性が出てくる。全曲を見事にひきこなす子もいるが、特定のフレーズだけ、かなり心に響く音で聴かせてくれる子もいて、どちらかというと、私などは小器用な素人よりは、フレーズ限定で気持ちのこもった演奏をしてくれる子が好き。音楽が好きで、勉強も好きな子は高校生ともなれば、一音一音、考えた音を出してくれる。その丁寧さも演奏の魅力である。勝気な子の音は前に出てくるし、内省的な子はひきながら、自分の世界を彷徨っている。こういうところが素人の発表会の面白さだと思う。

演奏の批評と同時に、衣装の批評も忘れることは出来ない。衝撃的に露出過度の衣装のお嬢さんがいて、二人でこれにはまいったね、と。私的には、貧弱な体の人が露出過度になると、寒々しいばかりで貧相だから勘弁してもらいたい。手入れしないナマアシもどうも・・・。いまや清楚なお嬢さんなんて博物館の標本でしか見られないのだと百も承知でいながら、心のどこかでそれを求めている昭和30年代生まれであった。


ヴァイオリン発表会
2005年07月22日(金)

ヴァイオリンの発表会だった。先生の好み?でここ数年平日の夕方やるが、当然客席の入りは悪い。もともと発表会など身内しか来ないけれども、この時間設定は問題が多い。思い切って夜にしてしまえばいいと思うが、先生が夜遅くなるのが嫌ならば仕方がない。古株は心の中でどう思おうと、逆らわずに従う。今日は年休である。

(それなのに、午前中転送されたメールで、いろいろと問題が起きて、あっちに電話、こっちに電話と大騒動。ついに最初で最後の練習時間を失って、ぶっつけ本番となった。)

この手の発表会で楽しいのは、小学生低学年までだ。親もジジババも熱く、本人は自分のすることがわかっているようでいて、わかっていない。晴れの空気で浮かれている。舞台の袖に来て、次が自分だと気付いてから、不安に襲われてじたばたしている。ステマネといえば聞こえはよいが、単なる非常要員を仰せつかっていたので、ガキどもをなだめ、勇気付けて送り出すという、頼りになるオバサンを演じて遊べた。

この教室のOBである息子にもお誘いがかかり、彼は期末試験が終わってすぐに会場へ駆けつけ、1曲ソロをひかせてもらった。サン=サーンス『序奏とロンド・カプリチオーソ』である。欲をいえばきりはないが、想像していたよりは上等で、彼らしい「ロン・カプ」だった。実は家で練習していても、なぜかあまり音が漏れず、全部聞いたのは今日が初めてだった。子供の演奏というのは、いつになっても、どきどきするものである。

私はその他大勢で、『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』をひいた、というか、まあ音を出した。落ちないでついていったからよしとしよう。

慣れないことをして疲れた。おわり。


アゲハ組学級閉鎖
2005年07月21日(木)

先ごろ、心配していたアゲハ組、全滅しました。1週間ほど前には8匹を数えたのに、数日たったら5匹になり、昨晩みたらゼロ。うち1匹はずいぶん大きかったので、これだけでも蛹になれるかな、と思っていたのに、きっと子育て中のヒヨドリにやられたのでしょう・・・・もう何年も前、巣から落ちたヒヨドリの子を保護したことがあります。ミールワームを与えましたが、アゲハ組の幼虫なら十分ミールになれます。

そのとき、獣医さんにいわれたのは、猫に気をつけながら、日中、巣箱を椅子にでも乗せて、天井をとっぱらって庭で飼いなさい、ということ。

いわれたとおりにしたら、なんと親が毎日餌付けに来るのです。巣箱にセミの足?が落ちていたりしました。しかも、飛行訓練もするのです。ひなが勝手に飛ぶのではなく、巣箱のへりに親が止まって、そこからバタバタと地面に降りる(落ちる)お手本からレッスンが始まりました。

ある日、気付くと、巣箱から数メートル離れた地面で、ヒナがよたよたしていたことも。そして、数日後、めでたくヒナの姿が見えなくなりました、といいたいのですが、祝儀か不祝儀かはちょっと微妙です。まだそんなに飛べなかったので、猫だったのかもしれません。巣立ちは目撃できなかったし、その頃、猫の姿をしばしば目撃していたのです。(思えば、その猫も去年の冬死にました。)

それにしても、あれだけいたアゲハ組が、食糧危機以前に学級閉鎖を余儀なくされるとは思いませんでした。卵のまま黒ずんで死んでしまうものもいました。木のほうは、アゲハ組のおかげで観葉植物よろしく、若葉にぎざぎざと切れ目がはいっていますが、おそらくその切り口からでる液を目当てに、あっというまにアブラムシがつき、その分泌物を目当てに蟻がぞろぞろ、という現状。自然には無駄がないというか、なんというか・・・。


『ニューカマーと教育』
2005年07月19日(火)

ニューカマーとは、主に1970年代後半以降、日本に定住するようになった外国人のことを指す。インドシナ難民、中国帰国者、そして、入管法の改正によって大量に日本にやってきたいわゆる日系人などがニューカマーの大きな部分を占めている。(それに対してオールドカマーとは、それ以前から日本に定住している華僑や在日韓国・朝鮮人とその子孫をいう。)

別に昨日、日系ブラジルのL子さんに会ったからこの『ニューカマーと教育』を読んだわけではなく、L子さんに会おうが会うまいが、読む予定の本であった。首都圏と愛知県から3校を選び、フィールドワークをした教育学研究者たちの著した本である。ニューカマーの連れてきた子供たちは、<日本>という異文化にほうりこまれ、彼らなりに様々な方法でサバイバルを図るらしいが、その様子を報告し分析している。

報告と分析が冷静で(当然といえば当然だが)、結論を急がず、感情に走らない点にもっとも好感が持てる。同じニューカマーでも来日の背景や出身国での社会情勢、家族の歴史によって子供たちの適応情況はさまざまである。その多様さの中から、なんとか共通するものを掬いだし、最後の実践への提言につないでいる。

グローバル化が進む昨今、日本の学校は日本人だけのために存在してはならない、という言葉は、それなりにショッキングな響きを持つ。それは逆に、世界中どこへ行っても、その国の子供だけを相手にした教育であってはならないということになる。どこであれ同化を前提にした教育は、アイデンティティをなくした子供たちを生み出すばかりだ。さらに、子供たちの差異を認識せよ、「どの子も同じ」と安易にいってはならない、と説く。

本書の大半を占める事例報告と分析が緻密なものであるだけに、最後の提言もなかなかの説得力をもつ。仕事がらみで読んでおこうと思った本だが、心にしっかり響くものがあった。現場の先生たちでさえ、当事者でない限り、いまだにJSL(Japanese as Second Language)の子供たちを認識できていないのに、4年前にこうしてこの本を出版できたとはなかなかのものではないか。シランデを読んでくださる人の中で、JSLという言葉をご存知の方も決して多くはないだろうと思う。でも、JSLの問題は当事者や学校関係者だけでなく、子供を持つ親、地域の人たちが、それぞれの立場で、少しだけでも知ることで、かなり改善されるだろうに、と思う。そして、そういう状態=多様性を多様性として受け入れ可能な学校にすることは、実際、日本人の子供たちのためでもあるだろうに。

「みんな違って、みんないい」というフレーズ、ここ数年大流行だが、「違って」から「いい」までの論理や葛藤が何もないまま、この言葉だけでごまかす人たちが少なくない。多くの教育現場では、「みんないい」の「いい」は事実上「どうでもいい」の「いい」なのではないか。

(2001年 明石書店)





L子さんfrom Brazail
2005年07月18日(月)

L子さんは日系ブラジル人である。同じく日系ブラジル人のRさんから紹介された。Rさんは今ロンドン在住で、L子さんはサンパウロにいるのだけれど、たまたま月末まで日本にいるということで、急遽お会いしましょうになったのである。私にも若干の目論見があっての面会である・・・確かに世界は狭くなった。e-mailのおかげである。電話でやりとりするほどでもないことでも、メールなら、というところがある。

L子さんと、ブラジルの日系社会のことや、日本でのブラジル人集住地区の問題などあれこれおしゃべりする。込み入った話が日本語でできるのは大変ありがたい。L子さんぐらい日本語が達者だと、かえって戸惑う人もいるらしい。「わ〜日本語上手ね〜」というが、その先、この人はガイジンなのか日本人なのか、と。別に話が面白ければ、国籍は無関係だと思うけれど、どうなんだろう。

2時間半ほどおしゃべりをして、一緒に本屋へ行き、この本はどうだ、こうだと巷の評判を伝えて別れた。いい人に会えてよかったな、である。クソ暑い中出掛けた甲斐があった。

私は基本的に人見知りなのだが、最近、人と会わないといけないことが多く、だんだん麻痺してきた。けれども、顔が覚えられない、名前を忘れるという致命的欠陥があるので、本当は毎回一緒にプリクラでも撮っておきたいくらいだ。



「○○先生、××教育賞受賞」
2005年07月16日(土)

電車の窓から、線路脇のある公立小学校の窓に「○○先生、××教育賞受賞」と張り出してあるのが見えた。私立学校だとよく「バスケット部インターハイ出場」とか、「○○くん、××世界大会出場」とかそんな宣伝を張るような調子である。

一瞬目を疑った。公立小学校、しかも、受賞は先生個人、張り出しは明らかに電車の乗客目当て・・・

小学校の職員室って各教師の技量の差をもっとも嫌うところではないか。少なくとも私の保護者としての経験からは、怠惰な教師が熱心な同僚の足を引っ張る場所のように思える。お互いがそれぞれの活動から得た情報を提供し、刺激しあってよりよい教育に励むプロ集団の場所だとは到底考えられない。大体、どうしようもない教師ほど「忙しいからできない」「子供の数が多いから」と平然と口にしていた。「5時で仕事が終わるわけではありません」ともいう。まともな会社だったら、口にすることさえはばかられる。残業当然の環境で働く保護者の前でいけしゃあしゃあとよく言ってくれるよ、と何度思ったことか。

それに校長は必ず「どの先生も同じように立派です」という。ご本人だってそう思っているはずはないのだ。腐った林檎ともぎたて林檎とを並べて「同じ」だといって押し付けるに等しい。そんなことで保護者の信頼が得られるはずはない。

話が横に行きました。なにしろ積年の恨みがあるもので。

さて、元に戻して、その張り出しである。職員室に競争原理が持ち込まれるのは、一応よいことだといっておきたい。だが、賞を受けることができるのは、賞の対象になるような活動をした人だけで、賞の対象にならない業績は見過ごされる。子供たち一人ひとりを当たり前に育むことは「当たり前」で終わりかねない。そのあたりがとてもデリケートな仕事なのではなかろうか。問題は管理者がそのあたりまでちゃんと目配りをしているか、である。

この張り出し学校は、以前は確か不登校者数ゼロの連続記録も張り出していた。不登校を放置するのは論外としても、来させればいいというものでもない。運送会社などで見かける「交通事故ゼロ」とは違うのだ。ゼロの連続記録なんて怖いことをされては、不登校児をもった先生はたまったものじゃないと思っていたのであるが、それと同じ体質で「○○先生受賞」があるのなら、絶対子供を行かせたくない学校だ。

このことをあれこれネットで見ているうち、息子の母校も同様の教育賞を受けていることを知った。もはや名前は忘れたが、平たく言えば、ダメな学校を建て直したからもらえるような賞だった。なにしろ卒業式の予行練習では椅子が宙を飛ぶような学校だったからねえ。


フルートを聴きました
2005年07月15日(金)

本当は息子が行くはずだったのだが、忙しいから代わりに行ってくれ、といわれて、フルートのコンサートに行った。(私が忙しくないとでも思っているのだろうか。)

クラッシック好きのため、というよりは、啓蒙的なコンサートだったから、大きな期待は寄せていなかったけれど、フルート×ピアノのデュオって、聞いていてもなんか物足りなくて、途中で帰ってきた。すみません。

ともすればピアノと音色が近づくために、フルートの表現力のなさを感じてしまった。オケ曲(できれば小編成の室内オケ)の中でフルートの奏でるフレーズはとっても魅力的なのに、最初から最後までピアノとフルートっていうのは、どうも変化に乏しくて楽器の限界かも・・・いや、待てよ、ドップラー「ハンガリー田園幻想曲」なんてのを思い出せば、今日のことは楽器自体ではなく、選曲なり演奏者なりに問題があったのだろうか。そういえば昔、オーレル・ニコレのLPを聞いていたときには、楽器としてのつまらなさや限界なんて感じなかったものね。

実はプロのフルートのコンサートには初めて行った。行ってみて、フルートって顔の目立つ楽器であることがわかった。ヴァイオリンは顔じゃなくて、手もとや弓、立ち姿全体を見ていることが多い。ピアノはどうせ横顔しか見えない。声楽は歌っている顔ではなかなかうっとりできない。それに比べ、フルートってアクションが派手なわけではないから、顔しかみるところがない。しかも伏し目がちになるから、顔立ちが上品だと損をしそう。こりゃあ、オペラ並のメイクをしたほうが舞台栄えはするね。


業界のカリスマに面談
2005年07月14日(木)

その分野(といってもごく限られた世界)では知らない人がいないほどのカリスマ的コーディネータに会って話を聞く機会があった。これは職務上の余得である。会う約束をとりつけてくれた局長に大感謝。なかなか壁が高かったのだ。

さぞや権高な人かと思いきや、穏やかだとはいわないまでも、あまりハイテンションでもなく、大変知的な人だった。一方的に話をするのではなく、こちらのアクションがあれば、それに答える形で話をしてくれる。このくらいのカリスマになると、問題意識のない連中でも話を聞きたがるから、それにうんざりしているのだろう。こんなこと尋ねていいかな、と思うようなきわどいところにこそ、弁に熱がこもり、1時間も話したあとは、結構打ち解けてしまった。いやあ、予習していってよかった。

それにしても、やっぱりダントツの評判をとる人は目線に隙がない。反応は素早いし、知っていることと知らないこと、出来ることと出来ないことの区別がはっきりしていて、出来ないなら、出来ない理由がきちんと語れるという素晴らしさ。取り繕うとか、見栄を張るということをしないでも行動できるってすごいことだ。そして大方の場合、活動というのは一人では出来ないことだから、自分より不出来な人を許して、一緒に動いてきた人なんだろうなと想像した。実はこれが一番すごいことなのかもしれない。


カマキリ my love
2005年07月13日(水)


ちびかまきりの姿です。

アゲハの木にいることが多いです。
この木に産み付けられた卵が5つばかり孵り、小さな小さな幼虫が一つ葉っぱの上にごちゃごちゃうごめいています。これからが本当の生存競争はじまり、はじまり。・・・せめて1匹でもアゲハ蝶になれればいいんだけれどね、それがなかなか。

帰り道、近所の医院の壁にみごとに体格のいいヤモリを発見。これは写真にとらねば、と携帯を出す一瞬の隙に姿を消した。残念!

来週に予定されているヴァイオリン発表会がらみの雑用を若いママに押し付けた。8月は忙しいので、実際やれやれである。たぶん押し付けられたママにとっては、想像以上の大仕事だと思う・・・人が悪くてゴメン。でも、やって出来ないことはないって(ウソ)。




『センセイの鞄』
2005年07月12日(火)

久しぶりに本の話。
あんまり馬鹿げてそうでもなく、サイズも手頃というだけの理由で買った『センセイの鞄』(川上弘美)。まずまず面白かった。通勤の友にはいいくらい。小奇麗によくまとまっているし。

大体恋愛小説はどーでもいー方なので、前半かなりつまらない思いだった。が、途中で主人公の同級生が登場したあたりから、たまたまその人が私の高校時代の隣の席の男子と同姓同名だったために、興味が持てて最後まで行った。(もっとも私の同級生と小説上の男性はまるでタイプが違う。地方の高校でいつもオーケストラのスコアを読んでいた彼は今頃どうしているのだろう?どこかのホールですれ違っているのかしら?)

だが、やはり同じ同級生に名前こそ違え、小説の男性と似たような男もいるので、奇妙な気持ちになった。こちらはワインの「くるくる」をして気取ってみるが、それが受けないとおどけて振舞うという小器用なタイプ(わが同級生は大手都市銀行を早期退職し、元相互銀行に再就職)。

実はセンセイに似たような先生(大学)もいて、浮世離れの枯れ具合がそっくり。いやあ、この作品は実はかなりありがちな世界を描いているのではなかろうか。

とにかくほほえましい大人の恋愛小説です。乾いているのがいいね。

ややひっかかったのは、センセイの言葉遣いに、冒頭とそれ以降に差があること。第1章はいかにも先生らしく上から下にしゃべっている。ところが知らないうちに枯れたオッサン化して、キミとはいわなくなって、ずっとツキコさんになる。でも、どうもそのきっかけになるような場面がないようで・・・。もちろん枯れた口調が独特でムード満点なのですが、じゃ、最初のは何なんだ、って気になってしかたない。


テロ用心
2005年07月11日(月)

昨日、整体でよくほぐしてもらった左半身は快調なのに、右半身がイマイチだるい。見上げれば曇り空で、湿度も温度も高い・・・こういう天気は頭が痛くなる・・・気持ちが負けているのですね。精神論者は嫌いの筆頭だが、今から気候に負けていてどうする、と、己を鼓舞して、ドンドコドン
・・・から元気もいいとこ。

新宿駅でお巡りさんが台の上に乗っかって警備していた。テロ用心ってことだろう。2,3日前には開店前の地下街で、警備員さんが、シャッターの溝やら柱の穴やら、細部にわたって点検しているのを目撃。ゴミ箱も少なくなったみたい。怖いなあ、と思うものの、体調不良につき、感受性鈍化で、「・・あ、・そうなんだ・・・」ぐらいにしか感じない。

やろうと思えば、簡単にできちゃうんだろうな、と思う。日本で困るのは、外国人だと目についちゃうことぐらいか。でも、インドネシアあたりの華人イスラム(華人にイスラムがいるかどうかしらないけど)だったら、絶対わからないだろう。・・・しかし、テロ=イスラム、とここで仮定してしまった自分の頭にもぎょっとする。宣伝に染まってきた証拠だ。

アメリカが率先してやっていることの実態、それに日本も片棒かついでいることなどを思うと、ムスリムの戦法に一概に「テロ」とラベルを貼ることはいかがなものか?もちろん、犠牲になった一般市民は気の毒である。空爆などの犠牲になったイラク市民と同様に気の毒だ。

そんなこと、いっていても明日はわが身かも。こうトロトロした体力だときっと逃げ遅れるね。


整体は中年の友
2005年07月10日(日)

ようやく整体へ行く時間も出来、予約も出来たので、1時になるのを心待ちにして整体小屋へGO、である。中年は皆こっそりこういう馴染みの店を作るもののようだ。怪しげな店に行く、ということでは、私もその一人かも。

怪しげなことは何度いっても毎度のことだが、気持ちよくなることも毎度。免許だの資格だのといわないでも、実質があるからいいんだ。江戸時代の医者もこんなものだったかもしれない。実質がないと患者は来ないのだ。

整体師、というか、ヒーラーというか、彼女をなんと呼んだらいいのだろう?中央線の西荻あたりを歩いていそうなネエチャン、と呼ぶのが一番的を得ていると思う。「先生」面をしないし、おしゃべりも暖かくて、面白い。大体、亀のサタケがしどけない格好で隅っこに寝ている。亀が寝るときには、きちんと手足をしまうものだと思ったが、サタケはてんで出鱈目。わが老犬のようである。

本日は輸気とマッサージで、1時間ほど癒してくれて3000円。5000円分くらいの気持ちよさだったので、思わず「え、それでいいの?」と聞いてしまった。

整体小屋の隣は台湾人のおばちゃんがやる中国茶の店。ここのお茶もおいしいので、阿里山金萱茶を一袋買う。なぜか棚に並べてあるタイ製の虫除けと虫刺され薬も買った。タイの虫に効くなら日本の虫にはもっと強力に効くと信じる。虫に刺されるのが楽しみだ。


NPO見学
2005年07月09日(土)

子どもに関わる老舗ボランティア(NPO法人)の活動を見に行った。見学、である。自分が加わる気はあまりないのだが、有名なところはどうなんだろうな、とそんな気分で出かけた。

さすが、ボランティアのおばちゃんたちに無駄がない。おしゃべりではなく、仕事に来ている、というムードが漂う。有償ボランティアにしたのは、ボランティア側の意識を高めるためだ、という説明がよくわかる。あまり利益をあげるところまでは到達していないことも見て感じられる。

ボランティアはともすれば、支援される側よりも、支援する側の生きがい創出活動になりがちだ。以前、片足つっこんでいた団体があるのだけれど、そこはまったく退職おじさんの第2、第3の「職場」になろうとしていた。ある日、おじさんの一人が「私の専門は労務管理だ」と言い出して、平日午前中のミーティングの出席率だのナンだのと言い出したから、24時間ボランティアのオヤジとはとても一緒に出来ないと思って逃げ出した。

退職おじさんは一生懸命になると会社と同じである。女の人は家事があったり、稽古事があったりするおかげで、ボランティア活動を自分の他の活動と相対的に位置づけて男よりは上手に出来ているようだ。

今日見たNPOでも、退職オヤジ問題があるそうな。活動への過激な打ち込み度のほかに、中学生を「あいつはなっとらん」と部下の若い者のように見る、というのだ。「おとうさんたちは、思春期の子どもたちがどうやって育つか、あまりわかっていないから」とおっしゃったのが印象的だった。

中高年中心になってしまい、若い人が定着しない、ということも伺った。組織としては、若い世代が欲しいのだそうだが、「若い人は働く場が他にもあるからでしょうね」とのこと。本当は働きながら、ボランティアも出来る、という環境が欲しいところだ。人は縦にも横にも斜めにもつながっていくことで、個人としても上手に生きられるのではないかしらん、とそんなことを思いながら、あー、疲れた、であった。


スターウォーズ エピソード2
2005年07月08日(金)

明日からエピソード3だというのに、今頃、エピソード2なんていっているのは、ご冗談でしょう、である。

夫と息子につきあって(といっても45分くらい)エピソード2のテレビ放送を見た。

アナキン君が悪に落ちるまでの経過の一部らしいが、要は歌舞伎みたいなもんなんだろうな、と思って見た。ヨーダの殺陣がひどく格好よかった。あれだけ動き回れるのなら、何も杖なんかいらんがな。かっこつけやがって。

クリストファー・リーってドラキュラ役者のクリストファー・リーだよねえ、と何度も確かめた。肉がゆるんで、二度とドラキュラは出来そうにもない。

SFものって技術の分野ではひどく進歩しているくせに、社会体制はローマ帝国あたりに逆行しているのが相場だ。社会体制を空想するのは難しいんだねえ、と思わないではいられない。現在では実現しえない技術を存在しているものと納得させるには、現実離れした設定が要求されるのだろうが、その設定ができるほど、人の頭は賢くないらしい。

衣装についてはいつも素朴な疑問にかられる。トーガというか、マントというか、そういう衣装は戦いのとき具合がいいのだろうか?今日も、一度ジェダイの騎士のマントに火がついて、騎士はあわてて脱いでいた。かと思えば、アミダラさんはストレッチ素材のパツンパツンで、へそ出しである。これはやっぱり戦場では危なすぎると思うのだが、そういうことを言っては家人に叱られる。

それにしても、いかにも娯楽大作スターウォーズですな。戦場デザイナーとか、異形の生き物デザイナーとかいろいろ分業化されているんだろうな。たいしたもんだ。これはほんとにそう思ってます。でも、『エピソード3 シスの復讐』を見に映画館まで足を運ぶかというと、かなり怪しい。めんどくさい。

ジョン・ウィリアムズの音楽、頭のところしか聞いたことがないのだが、一度全曲きちんと聴いて見たい。メータの盤がいいんだそうだ。忘れなければ今度買おう。


アゲハもカマキリも
2005年07月07日(木)

ネーブルの木(家庭内通称アゲハの木)にアゲハママが産卵するのを目撃。
あんた、下痢してんじゃないの、というくらい産みまくり。
これっぽっちの木で育てられるはず、ないやんかぁ。

この木は樹高50センチそこそこ。毎夏アゲハが食い放題なので、なかなか大きくならないのだ。当然、地面から近いからアリが登る。先週孵化していた幼虫はまだほんの小さいうちに消滅。アリにやられたんだと思う。裏にある夏みかんの木のほうがまだ安全だし、食糧危機とは無縁である。

だけど、なぜかアゲハはこの木に産みたいようで・・・。

よく見たら、小さなカマキリがいた。
ちびカマキリは本当にかわいい生き物だ。ちびのくせに一人前にカマキリの道具を持っている。

もはや認知症の父はカマキリを嫌悪していた
前世の因縁でもあるのでは、と思うほど、ムキになって殺していた。

私はカマキリが好きだ。虫のくせに表情が豊かで、健気である。身体は反り返るし、えらそうに斧をふりまわし、どうかすると羽まで広げる。

だが、セミがジージーいってもがいているのを怖がるようなわが老犬でさえ、カマキリの果敢な挑戦には無敵モードである。迷わず前足でバチコンなのだ。羽を広げたままひしゃげるカマキリに哀れさを感じないでいられようか。

「蟷螂の斧」はもっとポジティブな意味で使いたい。
ダメとわかっていても挑戦すること、とかなんとか。


JRさん、楽しい旅をありがとう
2005年07月06日(水)

今日はいつもと同じお値段で、
いつもより4倍も長く電車に乗せてもらえました。
一緒に乗る人もいつもの倍かそれ以上。
ぎっしり密着、人間サウナ。
JRさんのこういう大サービス、
参りましたね〜 へろへろ。

汗が流れても拭くことも出来ません。
誰もが無表情にじっと耐えていました。
一言でも何か言うと、全員の不満が爆発する?
こういうときに<大阪のおばはん>ってなキャラがいたら、
どうなるんでっしゃろ?

袖振り合うも他生の縁、っていうなら、
この密着状態、はるか昔に始まり、未来永劫続きそうな大結縁。
ああ、私は何の因果でこの強烈腋臭の桜蔭娘と・・・。

さすがに疲れました。
最後は意地になって乗っていました。

午前中の会議を一つパスできた、と思いきや
なんと事務の手違いで
午後に変更となっておりました・・・運の悪さはどこまでも。


ただの愚痴
2005年07月05日(火)

最近、しょーもない仕事に追われていて、自分でも驚くくらい本を読む時間がない。本の代わりに資料を読んでいるなんて、なんてつまらない!

出来の悪い人に企画を任せると二度手間になるから仕方がないとは思うものの、出来が悪いと思われている人は早く帰れていいなあ、会議が少なくていいなあ、ただ怠けて俗事から逃げていることが「文学」だと思っているような、めでたい誤解もうらやましい。それを信じていられる程度の知性もうらやましい。で、私より高給ってのはもっとうらやましい。

愚痴が多いのは疲れている証拠。暑かったり寒かったりするからね。

早く来い来い夏休み、といっても、老犬がいるから、どこへも行けない。最近老犬は筋力が低下したせいか、前足の格好が悪くなった。油断すると肩関節(というのだろうか)が開き気味になって、美形がだいなし。この夏は老犬と最後の夏だ。谷川俊太郎のネロは夏に死んだのだっけ?





英語版『魔笛』CD
2005年07月04日(月)

キーンリサイドが好きで、彼がパパゲーノを歌う『魔笛』のCDを買ったら、よく見ないものだから、なんと英語版。まるで別の曲みたい・・・原語上演が普通となった今でもイギリスは英語上演をする、と聞いたことはあるし、ムーア財団とやらが英語版録音の後押しをしているという記事を読んだこともあるので、ああ、これがそうなんだ、と納得。

でも聞いていると、まるで別の曲みたい。軽やかといえば、軽やかだけれど、私の頭は「こんなん、『魔笛』とちがう」といい続ける。言語の響きも音楽のうちだなあとしみじみ感じる。

そりゃあ、キーンリサイドは素敵だし、ザラストロを歌うトムリンソンも重厚でなかなかカッコいい歌いっぷり。それだけのために買ったとしても、いいのだが、でもなんでわざわざ英訳して歌うわけ?

このあいだシラグーザのコンサートで聞いたフロトウの「夢のように」、これも原曲ドイツ語で、イタリア語に訳すと気が抜けすぎる(と私には聞こえる)。閉音節のドイツ語ならではの子音の響きが、イタリア語では母音に置き換わってしまう。私がマルタだとしたら、ドイツ語で歌ってもらいたい、はい、ヴンダーリヒ指名です。

伝達という観点からは、聴衆にわかる言語の選択もありだと思うが、音楽を犠牲にしても伝達かなあ。もちろん聴衆にわかる言語にすれば啓蒙的で、結果的には裾野を広げることになる。・・・日本でもオペラに関心のない人だって「あ〜る晴れた〜日」とか「風の中の羽のように〜」とかは知っているものね・・・そうなるとなんともいえないけれど、でもまあ、やっぱ原語上演を堅持してもらいたいものです。たぶんそれが作曲家の音楽的な意図を忠実に再現することではないかしら。


選挙
2005年07月03日(日)

選挙でした。
暑かったり、寒かったりに身体がついていけず、お疲れごろごろだったことや、候補者にまったく魅力がないことで、さぼっちまおうか、と考えていましたが、いかないですます理由も、これはというのを思いつかなかったので、しゃーなしに投票所まで行きました。といっても、徒歩3分。

都議だけでなく、いろいろあったせいか、投票所は予想外の混雑。

いざ投票用紙をもらっても、さて、誰にする?でした。
×をつける形の投票があればいいのにねえ。
○の得票数から×の分をひいて確定する、ってのは、どういうところで問題が生じるのでしょうか。
それがダメなら、初日投票→開票→二日目投票→開票、初日分と二日目分で確定、なんてのはダメでしょうか。初日投票者と二日目投票者はランダムに決めて、二日目に当たったら、初日の具合を見て、誰にいれるかを決めるのです。

少なくとも、この人にはやらせたくない、という気持ちの有権者にとっては、投票の魅力を感じる制度ではないでしょうか。当然、投票率アップにつながるはず。今の制度だと、どこか空しい気持ちに駆られます。本気で支持したいほど積極的な政策を掲げている人なんていませんもの。


ランチ@老●餃子
2005年07月02日(土)

話には聞いていて、なんとなく行きそびれていた「老●餃子」でランチをした。息子が行きたがったのである。で、私は彼がヴァイオリンの発表会ではくマトモなズボンを買いたかった。午後から用があるという息子を餌で釣って、夫ともども少し早めに出て、「老●餃子」でのランチとなった。

お味は「なあんだ、この程度か」に尽きます。
ショウロンポー風の厚い皮で肉汁を逃さない餃子は確かにおいしいです。おいしいですが、「この程度」でした。餃子以外のお料理は、どちらかというと平均値に達していないかも。我家はリピーターにはならないでしょう。

ケチをつけながら食べていたら、餃子の反撃を受けて、シルクのブラウスに肉汁のしみができた(泣)。まだ新しいんだよ〜。








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