書泉シランデの日記

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オタク息子のことなど
2005年02月28日(月)

あほなオタク息子は、昨年大学入学時に自治会費を払わなかった。
先輩が払わなくてもいいといった、の一点張りで、払ってあげるから、という親を拒んだのである。

ところが今日「学校へ行く、自治会費を払いに」というので、わけを聞くと、なんとオタクサークルの役職につくために、自治会費未払いはまずいとのこと。なんつうアホかと呆れてものがいえない。運悪くすると2万なんぼ、運よければ1,500円なんだそうだが、そうまでしてオタクサークルに尽くしたいのかねえ・・・開いた口がふさがらない。代表だけは人のいい友人に押し付けたようだが、副代表だとよ。

それよりはるかに人聞きのいいオケ・サークルのほうは、適当に軽くつきあおうと思っているようで、某アマオケのオーディションに通れば、あっさり辞めるという有様。まあ、本当に下手なオケだから上手なアマオケに入れてもらったほうが刺激があってよいだろうけど。

今日、庭の梅が咲いた。梅は蕾をいっぱいつけているのが実にいじらしい。夏になると、徒長枝に葉っぱがモサモサとつき、さらに虫までついて、葉っぱが丸まり、木があること自体、いやになるけれど。これでが来ると俗っぽくて満点だ。でも鶯の声はまだ聞かない。

最近、庭に来る野鳥は定番ヒヨドリに加えて、シジュウカラ、ジョウビタキ、メジロ。鈍重なキジバトも姿を見せる。学生のとき、先生の家での新年会の席上、庭に来たメジロを見て「あ、メジロが来た」といったら、先生は「何をいうか、あれは鶯だ」とのたもうた。無知なくせに無知だと思っていない人はサイテー。


ネット書店
2005年02月27日(日)

そこそこ大きい書店まで10分、紀伊国屋まで40分、丸善までは55分のところに住みながらも、このごろネット書店を利用することが多い。地方の人にはどれだけ便利なことだろうかと想像する。

調べ物をしながら、必要な本が出てきて、買ったほうがよさそう、と思うとき、今でも手に入る本か(古本屋へ行かなくてもいいか)どうかをまずネットで調べ、アマゾンで古本が多少でも安いかチェックをいれて、生協などで買うより安ければ、迷わずアマゾンの古書を買うことが多い。生協で注文して届くのを待って、重いものを持って帰ることを考えると、2〜300円高くても、家に届けてもらうほうがはるかにいい。使うのはアマゾンとbk-1が多い。

もちろん、たまに書店店頭に行くと、思いがけない本と出会うこともある。立ち読みをして検分することもできる。だが、そのときに他の荷物があったり、これからまだ立ち寄らないといけない場所があったりすると、買うのは億劫である。と、そこでまたネット書店となる。実際これでは大書店でさえ決して安穏としてはいられない。

どんな本か内容に悩むものでも、ちょっと検索の手間をかけると、誰かが書評を書いていたり、何かかんか記事があって、買うかどうかを決めることが出来る。便利な時代になったものだ、ととりあえず言っておく

駅前の家族営業の書店はどんどん店じまいに追い込まれているという。読書人口が減少し、図書館利用者が増え、人よりは多少たくさん本代を使う者がネット書店に頼ると、いったい誰が駅前書店の客になるのだろう?自分だけの利便性を追いかけていて、実は何か大変なことをしでかしているのではないだろうか、と時々不安になる。駅前書店の消滅が与える社会的・文化的損失を誰か教えてくれはしないだろうか?


国会図書館からタワーレコードへ
2005年02月26日(土)

土曜日だというのに、国会図書館なんかへ行ってしまい、雨どころか嵐になりそう。・・・国会って昔に比べるとなんて利用者に優しくなったんだろう、と感心する。

出納の人とかOPACのコーナーの監視人とか、学生でもなさそうだが若い人のバイトのようだ。国会図書館の非常勤職員という名目は、ヨーカードーでパートしています、というよりは聞こえがいいけれど、実質そんなにいい仕事とは思えない。退屈そう。出納は手が荒れるだろうし。

現代はどこかで低賃金の単純労働者をふやしている。見てくれのよい分、実態に気づきにくそう。あるいは本質を見るよりは、表層にとどめて自分をごまかすほうが気持ちがいいかも。現代的なスキルを身につけるか、つけないか、人生大違いになる。当然つけなきゃだめだよ。それが自分を守ることになる、とオバサンは思う。

それにしても、こういう場所では昔を振り返りつつ、自分がそろそろ賞味期限切れに近づいていることを感じざるを得ない。色気の多い若いときに頑張った人はえらいです。

帰りにタワーレコードに寄る。家を出るときから、帰りはここだ、と楽しみにしていた。カヴァちんの新譜の情報を知ったので、探しにいったのだ。「それは来月です」と冷たくあしらわれた。ふんっ!

せっかくきたので、ボストリッジ×内田光子の水車小屋を買う。昨春の公演のときは情緒過多でノーサンキューだったけれど、CDになったら、それほどでもなく、テナーの高音がとても美しい。柔らかくバターのように伸びる音、とても粉ひきの徒弟とは思えない。前にハイポリオンで録音した盤のほうがいかにもリートらしくはあるけれど、あれはあれで振られても仕方ないほど虚弱な徒弟だった。あのときは大親方フィッシャー=ディースカウが詩の朗読を一緒に入れていたから、顔色を見ながら遠慮しいしい歌っていたのかもしれない。

CDのジャケットなんかどうでもいいというものの、細くて長い二人が眼を閉じている写真なんか止めてほしい。破格によくいえば夢殿観音だが、普通にいえば見苦しい。



『かずきめ』
2005年02月25日(金)

『かずきめ』  李良枝

今更『かずきめ』なんて読むなよ、といわれそう。李良枝は大昔に『由熙』を読んだきり、読んだことのなかった作家。といっても、しっかりした話だな、という印象だけで、内容は忘れた。この頃なんでも忘れる。

この『かずきめ』には表題作の「かずきめ」「ナビ・タリョン」が入っている。共に秀作だと思う。自己喪失感のような感覚、この世のどこにも属していないような、空中を浮遊しているような感じがとてもよく表現されている。ただ、「かずきめ」では形の上だけの主人公景子がちょっと物足りない。だから、どちらが、といわれれば、断然「ナビ・タリョン」がいい。脇役の存在感がある(「かずきめ」と対照的か)。それに主人公が自分を取り戻す過程の描写が見事。実在の世界と感覚の世界とのバランスが小説ならではです。

李良枝の早世は残念なことだ。在日の身体感覚(といっても想像するだけだが)をこれほど見事に言語化できる人はそうはいないだろう。それって絶対小説の仕事なんだよね。

★★★



李良枝が生きていたら、今の韓流ブームをどう見るのだろう?集中豪雨的にいろんな俳優が来日するけれど、まさに消費されるだけの韓国文化(という名前で呼んでいいかどうか)。それじゃいけない、と思う人が海峡の向こう側にもこちら側にもいるはずなんだけれどねえ。



カヴァコス×N響でコルンゴルト
2005年02月24日(木)

夕方、一回帰宅してお犬さまのお世話申し上げてから、改めてサントリーホールまで足を運ぶ。なんたって、今日はカヴァちん(レオニダス・カヴァコス)がN響とコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲をやるのである。実はバレンボイムよりもこちらのほうを楽しみにしておりました。

1曲目はウェーベルンのパッサカリア。私風情がこういっては申し訳ないが、頼りなげな演奏で、pのところなど、演奏しているほうもこわごわなんじゃないの?といいたくなるほど。出だしのピチカートもおっかなびっくり。そのくせ指揮者のノセダ氏は長い手足(足もだ)を縦横に動かしながら、まるで蜘蛛が踊るように指揮をする。こっちのほうに現代の不気味さを感じましたね。激しいところは渋谷の交差点を彷彿とさせる曲でした。

2曲目がお待ちかね、カヴァちん。カヴァちんは巧いです。ヴェンちゃんのようなフィドラー的器用さは感じないけれど、勉強して、練習して、自分の音楽をやっています、という確かさがあります。男性的なしっかりした音色―一つ一つの音にボディがあるっていうかな―で、かつ流麗。3年前にバッハの無伴奏を聴いて以来のファンです。(このときN響とはメン・コンをやって好評だった。)

さて、カヴァちんのコルンゴルト、はね弓のぞくぞくするような巧さを初め、豊かなヴィブラートといい、まったく満足です。ですが、オケがちょいと散漫であったような・・・残念でした。この間のSKBあたりとやってほしいなあ。

コルンゴルトの協奏曲は20世紀のものといっても、ずいぶん親しみやすいテーマでメロディックなところも多く、聞かせどころもあるし、もっと人気が出てもいい曲です。

アンコールはパガニーニ24のカプリース9番。聞けば、誰でも、ああ、あれかと思うようなお馴染みの曲。前日のアンコールはイザイだったという噂だぜ。そっちが聞きたかったぞ。

カヴァちん、ちょっとやせて、ほんの少しだけ額が広くなって、前より垢抜けたことも書いておこう。衣装の趣味もヴェンちゃんより○。

と、ここまで聞いて、N響だけのチャイコフスキー2番は捨てて帰宅。お犬様大事で、綱吉から表彰状がもらえそうな我家。赤坂は雨、うちに着いたら雪。明日は国立の入試だと思うけど、お気の毒様。


E tu, Prince?
2005年02月23日(水)

皇太子のインタビューを聞くともなく聞いていたら、娘に対する彼の行為について彼自身が 「〜してあげる」 と語っていた。最近「〜あげる」の用法を気にしている私としては、「〜あげる」の終焉を見たような気分。今どきどこの家庭よりも親子間で敬語を用いるような、上下関係に揺らぎのないご家庭の若旦那がこんな具合では、話者と、話者の行為の対象となる相手との関係性を弁ずる機能が「〜あげる」から失われていくのももはや致し方ないことである。

「やる」より優しい印象を与える語、一種の美化語として「あげる」が使われるようになったわけだが、まもなくあっという間になんともない普通の語になるのだろう。品詞は違うが、 「奥さん」の道を辿るのだねえ・・・。

ま、彼は、同じインタビューの中で「決まった方向には決まっていない」というようなことも言っていたから、アドリブ的言語感覚はひどく上等ではないのかも。(「特定の方向には決まっていない」というほうが良くない?)

なお内親王と遊ぶ皇太子の笑顔って、3歳児よりも表情豊かで、情緒全開。まるで子どもに表情を教えているみたい。あれに比肩するのは、現島津貴子さんが婚約会見か何かでひどく朗らかに笑っているフィルムくらいだろう。もしかして、結構大笑いをする性質の家系なのかしら?

ところで、女帝云々を取り上げている有識者の集まりに、学生時代に習ったことのある先生が加わっておられる。合宿で訪れた雨の飛鳥を優雅に歩かれた後姿がいまだに忘れられない・・・私ども不出来な1年生は彼に 「宮さま」という仇名を進呈していた。皇室典範を論議するには知識のみならず、ビジュアル的にもふさわしい方である。





『聖なる夜』
2005年02月22日(火)

『聖なる夜』  ターハル・ベン=ジェルーン

主人公は娘でありながら、息子として育てられた女性。たくらみの張本人である父親に死の床で真実を明かされる。母や姉たちを捨て、過去を捨て、自分を取り戻す旅に出る。

細かく書くとネタバレになるが、要は性と不可分の自己を確認し再生するのがテーマ。銭湯の番台の大デブ女に拾われ、彼女の家で盲目の弟の世話をしながら同居、娼婦を装っての彼との性交渉、過去に引き戻そうとする叔父の射殺、刑務所でのFGMなどと、こう書き連ねるとエキセントリックでさえあるが、決してそんな筆致ではない。体の物語というよりは意識の物語といえるかもしれない。砂がさらさらと流れるように、よどみなく語られる。

主人公は特異な過去をもつ個人であると同時にイスラム女性の人間としての権利回復の象徴だとも読める。こちらの勝手な思い込みかもしれないが、読み進めるにつれ、イスラム女性の顔や体を隠すベールをはいでいくような気さえした。

小説の面白さが十分に味わえる作品。ゴンクール賞の名にふさわしい。ただし、イスラム女性をどう描くかには別の立場からの意見も当然予想できる。最後の聖者が男というのも、あれれ?ではある。それでいいような気もするし、それしかないのかなあ、という疑念も生じる。

★★★
紀伊国屋書店


さて、上の作品はモロッコ人の手になる小説だった。イスラムの小説で翻訳されているものは決して多くない。そんなことでいいのかしらん?国際交流だ、多文化共生だといっていても、欧米文化以外を知る機会にはあまり恵まれていないのが現実である。もっと正確にいえば、欧米文化でさえ、20世紀中盤どまりかもしれない。(それをもっとも感じるのは美術・・・印象派から先は商売にならないのかしら?)

世界各地の同時代文学者を私たちはどれだけ知っているのだろう?

あと何年待ったって、イスラム文学がロシア文学と肩を並べるような時代にはなるまい。東南アジアの作家が中国の「魯迅」ほどにも人に知られるようにはならないだろう。いや、魯迅を忘れる速度のほうが速いかもしれない。

それに引き換え、明治大正の人はどれほど貪欲に世界からの知的刺激を求めたか、である。英独仏露の各文学作品を書棚に区分けしない図書館はないだろうが、その基盤を確立させたのは、間違いなく明治大正の人たちなのだ。えらいもんだ、と思うほかはないぞ。


弓、欲しい!
2005年02月21日(月)

ヴァイオリンのレッスンに行った。
各駅停車よろしく、小節ごとに止められる。
見込みのないときは止めてもくれないから、落ち込むことはないのだけれど、こちらとしても全然ひけないとは思っていないので、そこで<各駅>だと終いにはうんざりしてくる。どーせ、私にはひけませんよーだ、という気分になる。

ヴァイオリンの難しいところは、耳が進歩しないとうまくはならない、耳が進歩すれば、ある程度いい音でひけても、もっといい音がわかるから、永遠に自分の音に満足は出来ないという点にあるかもしれない。実際、始めたてのころのほうが誰しも自分の音にうっとりするのではないかしら。

腕の悪さは棚に上げ、もうちっと いい弓が欲しいなあ、と思ったりする昨今。先生も同意してくれたのが本日の慰めであろうか・・・ただし、数年前に払った金額からいえば楽器相応の弓なのだ・・・楽器が値段不相応にそこそこの音がするので、弓に不満が出てくる。反応が悪い、なんて私がいったらブーイングの嵐だろうけれど←プロにいわせると、名器の音色を引き出すには相当上等の弓じゃないとダメだそうです。それを知らない素人は楽器ばかりに目がいくのだそうで・・・。

とはいえ、今、弓に払うお金は出せそうもない。練習してうまくなるしかないってことか。やれやれ。


カミキリムシ
2005年02月20日(日)

○セーロ君、来てくれた。
「あ〜、やっぱりカミキリムシですね」とスプレーシュッシュ。
「この程度のことで呼んじゃってごめんね〜」といいつつ、お代を払おうとしたら、
「暮れの手入れのときでいいです」
「あなた、暮れまでずいぶんまだあるわよ」
「いいです、覚えてますから」
若い人は覚えていられるのだろうか?

そのあと調べてみたら、カミキリムシってずいぶんパワフルな奴らしい。
「見かけたらすぐ踏み潰すように」なんて書いてあるものも。
出来れば共存したいのだけれどね。

ゲルマニウム入りのブレスレット(シリコンゴム製)をもらった。装着すると指先の温度が2度上昇するとか・・・で、それにどういうありがたみがあるのだろう?健康マニアじゃない私はその道に対してはイワシの頭ほども信心がない。これが何に効くのやら想像もつかない。大体、このゴムにゲルマニウムが入っている保証がどこにあるのだろう?そう思いつつも、下さった方のお気持ちにこたえるべく、しばらくつけてみることにした。

健康グッズって好きな人は熱心だし、マメである。この差は20年後くらいに如実に現れるのだろうか?どーせ私の人生、後悔まみれだから、老後もそれがふさわしかったりして。はい、それに甘んじますとも。



バレンボイム+ベルリンシュターツカペレ
2005年02月19日(土)

出し物は
ベートーヴェン 
  ピアノ協奏曲第4番 
シューマン   
  交響曲第4番


アンコールはシューベルトの4つ即興曲マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージォ

私的に、ではなく、世間様の今年のコンサートベスト10にあげられる演奏だったと思う。(今年はまだ長いけれど。)Pコンは当然期待通りというところだが、そのあとのシューマンが素晴らしかった。オケの一体感と持続する緊張感最高。指揮者がいることを思わず忘れてしまうような名演。低弦が実に魅力的に下支えをしている。

実は3年前にこのオケを聴いたとき、無駄に体格のいいビオラの兄ちゃんがいるなあ、と思っていた。とても楽しそうに演奏する人で、演奏しながら隣の人に笑いかけたりしていた。今回、兄ちゃんは成長して?無駄に大きいオジサンになっていた。持っている楽器がバイオリンか、と思えるくらい大きいのだ。楽しそうな演奏は相変わらずで、席が前のほうだったおかげで、はっきりと「彼の音」を聞くことができた。

今回、そのでかいオジサンの隣に、この人、ドイツ人?と疑ってしまうような小さい兄ちゃんがいて、チェロを弾いていた。そのチェロが実に甘いいい音色なんですわ♪ちょっとだけソロもあったんだけれど、うっとりしましたね。

私はどうもドイツの音のオーケストラが好きなようです。旧東ドイツ系のオケ、いつまでそう呼べるのかはわからないけれど、きっちり積み上げていくような弦の音魅力的です。(こういう人たちがセヴィシックを演奏してくれたら、どんなだろうか?セヴィシック=ヴァイオリンのハノンみたいな教本)

バレンボイムの弾き振りを見る/聴くのは今日初めてだった。器用なこと!でも、見ているとどうも落ち着かない。ピアノをひく腕の動きの柔らかさと指揮をする腕のキレのよさが違いすぎるから。


庭の近況
2005年02月18日(金)

薬の投与が増えたせいか、最近の老犬は無駄に元気がいい。おまけに春の近づく匂いがするらしく、庭のあちこちをかぎまわる。春になると庭にはモグラ塚が出来るので、地下ではモグラくんたちが活動開始しているのかもしれない。

夏みかんは収穫して完食したが、金柑は大半放置しているので、毎朝、ヒヨドリが食べに来ている。ヒヨドリは必ず夫婦で食べに来る。じつはいくらかは収穫して蜂蜜漬けにしてみたのだが、面白かったのは、金柑が漬かるまでの1週間ほどだけで(不気味にガスが出た)、そのあと実が変色し、蜜の中でしなびる姿が気色悪くて、まず金柑を廃棄。残った蜜はまだビンの中だが、何に使えというのか?わざわざあれをお湯割りにする気にもなれず、廃棄目前である。来年からは全部ヒヨドリどのに進呈しよう。(暇だった頃はマーマレードにした。これはかなりいけるが、種を出して、汁をしぼる手間が半端じゃない。定年になってから再開しよう。)

イタヤモミジ(カエデ?)の根元にがついたらしく、かなり大々的な穴がある。棒でつつくと、相当深くまで入る。気のせいか、カミキリムシの触覚が見えたような感じがした。

基本的には多少の虫食いなどどうでもいいのだが、木の生死にかかわるのはそれはそれで放っておけない。木というものも案外きゃしゃなのだ・・・寒さで枯れたりもするし(俗称バナナツリー)、根っこに細菌がついてオシャカになったりもする(沈丁花)。月桂樹の木は根に虫がついた挙句、台風の朝見ると倒れていた。エニシダもあんまり倒れるので引導をわたしたっけ。まあ、これ以上犠牲が出てもかわいそうだから、今回は植木屋さんのマ○セーロ君に連絡をした。

気の利いた人なら園芸店へ行って何か買ってきて虫ぐらいすぐに退治するのだろう。しかし電気屋さんの例に見るように最近の我家は依存体質が強いのだ。そんなところだけすっかり老成している。




『問題な日本語』
2005年02月17日(木)

『問題な日本語』 北原保雄 編

駅で電車を待つ間に買った。ベストセラーといわれるものは原則的に立ち読みで済ますのだが、これはネタにできるかな、と下心もあって、800円也を支払う。

著者は国語学者だし、大修館はなんていっても大漢和辞典の伝統を看板にした語学系のところだから、そんなキワモノではあるまいと思ったが、その通りである。この手の日本語本にしては上々

ただしタイトルはキワモノだ・・・「問題」ってまだナ形容詞=形容動詞とは認められないでしょうに。本来<名詞ノ名詞>が文法的に正しいのだけれど、さりとて<問題日本語>というと、少し意味が変わってくる。この本のタイトルでは<問題のある日本語>を<問題日本語>としているわけだ。最近ときどき見かけるこの用法、修飾される名詞の性質に関わる名詞をナ形容詞化して用いている印象を受けるのだけれど、どうだろうか?)

「知らなそうだ」か「知らなそうだ」か、「情けなそうだ」か「情けなそうだ」か、「こちら〜になります」(@ファミレスで聞くね)「(ご注文のほう)これでよろしかったでしょうか」(同前)なんていう表現の数々が、文法的に分析・解説される。大野晋の『日本語練習帳』などでは歴史的用例からの説明が多かったような記憶があるが、こちらは現代の用例が主体で、言葉の意味や用法を知るのに国語辞典を使うという、ごく当たり前の手続きを教えてくれるのでなかなかよろしいと思う。正しい日本語だ、なんだとやかましい人は案外辞書を丁寧にひかないで自分の語感だけで物を言っていることが多い。大修館が『明鏡国語辞典』(「明解」は三省堂)を売ろうとしている下心も感じられるが、辞書を引くことはともかくも大事なことです。(わからない字だけじゃなくて、用例を見るんですよ!)

『明鏡国語辞典』も面白そうなので、今度買ってみようっと←まんまとのせられている

さて、さきほど『サンケイリビング』を読んでいたら、古い家電製品を使い続けるのと、新しいエコ家電に買い換えるのとどちらがよりエコロジカルか、という記事の中に「(古いのがまだ)故障していないのであれば、使ってあげるほうがいい」と出ていた。冷蔵庫や洗濯機を擬人化して、しかも「あげる」のだから、私たち、まったくモノに支配されていやしないか?先日の「つけてあげてください」にも参ったけれど、今日も今日とて考えさせられた。なお、「つけてあげてください」は自分から自分への恩恵の移動ととらえたが、化粧品を擬人化しているという捉え方も可能か?なんだかままごとみたいな世界が展開しているねえ・・・新おんな言葉という範疇化も出来るだろうか?そのためには男相手の表現に「あげる」がどう出てくるかを調べないといけないけれど。

大修館書店
★★★



コピー雑感
2005年02月16日(水)

冷たい雨というか雪というか・・・暑いは暑いで嫌だが、寒いと着膨れして動きにくいから、これもまた嫌だ。もこもこになって大学の図書館へ行く。

昔に比べるとずいぶんサービスがよくなっているというものの、史料編纂所のオッサンは昔と大差なく横柄である。歴史の専門家じゃない閲覧者が来るのがうざいんだろうな。心の中で「クソジジーめ」と唱えながら、手続きをする。

参考室にコピー機がおいてあるはいいけれど、遅いのなんのって。コンビニ並の遅さ。おまけにカードは使えないコイン式。両替はしない、と書いてあったが、「外で小銭を作ってくる間、カウンターで本を預かってください」といったら、そのときのカウンター嬢はこっそり両替してくれた。オッサンだったら絶対してくれなかったに違いない。この人の親切に免じて文句はいうまい。

そのあと、総合図書館の開架であれこれ探索。学生のときにどうしてもっと利用しなかったのだろう・・・利用できるほど勉強しなかったというのが大正解。

必要なものをコピーした。こちらは史料編纂所と比べて上等の機械が複数あるので大変結構。昔は図書館の職員がいちいちやってくれて、面倒かつ高価であった。今は1枚10円だ。某研究機関では35円だっけ?あれはほとんど信じがたい値段。正規の職員の手なんかわずらわせたくないのだけれど、そうでもしていないと仕事がなくてリストラされかねないのだろうか。いまどき、国会でもトリチューでも業者がやってくれて10円だったと思うが。

隣でやっていた学生、なんと2冊の本を同時に開いてA3の紙に一度にコピーしていた。なるほどそうすれば、コピー代は半額ですむ。学生の考えそうなことだ。一見賢そうだけれど、ちゃんと勉強するときにそれでは絶対不自由。家へ帰って半分に切るのかしら、と余計なことを心配する。でも、さすがに声をかけるようなお節介はしない。

大学に入った頃は、コピーといっても、つるつるの用紙で、上からエンピツで字を書いたりすることは出来ず、指先でごしごしこすると消える代物だった。それで40円!高価だったけれど、ノートの手写しというのはしたことがない。堕落した世代の走りだったのだ。



バレンボイム・リサイタル
2005年02月15日(火)

ようやく一仕事山を越えたので、バレンボイムのリサイタルに行く。
バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第2巻という地味な曲目、客の入りは9割届くか届かないか、というところ。地味な年配の客が多い。(コンサートって時々場違いとしか思えない叶姉妹風のオネエサンがいることがあるが、今日はまさにその手の人はいなかった。)

休憩時間はあるとはいえ、正味2時間半ほどのオペラ並みの長丁場。しかもオペラとは違って、延々と似たような(?)曲を引き続ける・・・全然疲れなかった、時を忘れて聞きほれた、といえば嘘になります。技術に無知な上、調性感を持たない私ですからね。

でも、平均律の魅力は垣間見えたような気がするし、グールドよりもリヒターよりも暖かい音のする現代的な演奏だったので、損した、とは思っていません。聴いてよかったのは確か。リズミカルなところだと右足が結構元気よくリズムをとるのであります。(当然音もでる。)メリハリもよく効いて、これには異論もありそうね、というところ。

席がなかなか面白いところで、ステージ右横の2F、バレンボイムの真後ろ。つまり、お背中見ながら聴いたのである。思いのほか悪くなかった。目玉焼きを彷彿とさせるような禿頭をしかと拝見。

噂ではバレンボイム氏は椎間板ヘルニアだとかで、お辞儀が会釈程度だと聞いていたが、お辞儀はそうでもなかった。が、カーテンコールの足取りはふらついていた・・・お疲れ様でした。私も疲れました。




『平安人物志』
2005年02月14日(月)

『平安人物志』 山中裕

ネットのバーゲンブックフェアとやらで半値だったから買った。5200円→2600円  料理の本や園芸の本、占いの本など怪しげなお手軽本の中に混じって残っていたのだ・・・かわいそうに!

How-to本の中で朽ちさせるのは、道義上問題がある、と感じなくてもいいことを感じて買った。平安時代に取り立てて関心があるわけじゃないんし、読むあてもなかった。もっと正確にいえば、能力的に読める見込みも薄かった。

正直、結構難儀した。なにしろ、基礎教養がなくて、「蜻蛉日記」の不実なつれあい藤原兼家が藤原道長のオヤジさんだとは知らなかった。紙とエンピツ片手に系図を書きながら読まないといけない。たぶん、真面目に勉強した人には当たり前すぎることにいちいち啓発されている。『平安人物志』の主眼は家のためにシノギを削る人々のありさまである。

章だてされているのは、河原院源融(この人、なんとなく好きなんだわ)、兼家、道長、敦康親王(定子の子、天皇になりそこねた)、敦明親王(この人も天皇になりそこねた)。歴史の教科書でちゃらっと読むのにくらべ、当然のことながら、はるかに立体的である。史料と女流日記や随筆などを併せ読む面白さを垣間見せてくれる。(著者はここで語る以外にもた〜くさん、そういう面白さを満喫しているのであろうと思うとうらやましい。)

血筋に頼るシステムは長寿と出産が命綱だなあと改めて感じた。(江戸時代でもそうだ。今、冷泉家、冷泉家というが、冷泉家が勝ち抜けた理由の一つは江戸時代の当主が健康に恵まれたことだ(と思う)。)律令体制に生きる貴族として、家の主が連続して長生き出来たところに、運と才能に恵まれた道長みたいな人が登場すると鉄壁のご家族体制が成立しうるということか。逆に、一族のキーパーソンが長生きしてくれないと生涯不自由をかこったり、娘が男子を産んでくれないとせっかくの画策も水の泡〜〜 (今だってそれで苦労している人、いるよねえ・・・)

こう書いてしまうと、何もそんなことなら、この本を読まずともわかろうに、といわれそうである。まったくその通りであるが、史料の説得力、情に走らぬ抑制された筆致が魅力である。初出を見ると専門的学術論文として書かれたものもあるが、それよりも少し読者層の広い雑誌などで発表されてきたもののようだ。一番新しいものでも30年前、古いものは40年以上前の発表・・・昔の人はレベルが高かったのだねえ、と感嘆するばかり。今の人である私には、漢文史料がまったく白文のまんま、というのは面倒でやんした。

最近は素人にも読める本格的著述が出来る人が減っているような気がする。安直なのはいくらもあるけど。中身は噛み砕いていても(山中氏はあまり噛み砕いてくれていないが)、その底に流れる記述の姿勢は妥協しないという、労多くして報いの少ない仕事は嫌われるのだろうか、売れないから企画がないのだろうか、それとも研究者の質?

★★★ 
東京大学出版会





オージーボーイはイージーボーイ
2005年02月13日(日)

この春から日本に留学する予定のライアンからメール。
中央大学から書類がなかなか届かないといらいらしている模様。
留学なんて大体、そんなもんだて、と私は訳知り顔でいうのである。
今はどうだかしらないけれど、20年ほど前は「ビザはまだですか?」が当たり前の文句だったように思う。

ライアンいわく、「漢字が大変だ、でも日本に行けばどうにかなるだろう。毎日日本語で過ごすのだから!」

そういうヤツなのである。
漢字マニアにならないと漢字は覚えられません。
日本に来るだけではどうにもなりません。
漢字を仕込めない人は日本語力が高くなりません。
高度な日本語力じゃないと、みやげ物屋の客引きで終わるよ!

彼は高校生のとき、数学のクラスで上級から中級に落ちた。
「上級でAは無理だけれど、中級なら楽勝。これでオヤジに怒られないで済む」と明るく書いてきた。
我家一同驚いた。
普通ならがっかりするのに、下に落とされてこういえるオーストラリアの教育はすごい、と。

大学に入って、日本語を選択(中高でもやっていた)。
ところがプレースメントテストの出来が悪く、初心者クラスに入れられた。
「平仮名は大丈夫だから、これで半年楽が出来る」であった。
オーストラリアの教育が、ではなく、ライアンの楽天性がすごいのである。

夫はライアンのイージー・ゴーイング振りをとても気に入っている。私はむしろ将来を危ぶんでしまうのだが、中大で生まれ変われるだろうか?真面目な韓国人や中国人と一緒に東アジア的切磋琢磨を体験してもらいたいものだけど、白人好きのおネエちゃんといちゃついて終わるのではないか、とライアン母に代わって案じてしまう。(ライアン母は「お前は日本なんかにいったら落第するよ」といって留学に反対したそうな・・・むべなるかな。)

英文を見てもらったり、夫の勤め先の英語版のHPについて意見を求めるとまっとうなことをいうから、バカではないと思うのだが・・・。来日予定は来月下旬と思われます。都会好きのライアン、中大が八王子の山の中だって知っているかなあ・・・秋葉原までは遠いんだぞ。


モーツァルト ピアノコンチェルト20番
2005年02月12日(土)

きのう読んだ随想集の中の
「(調査の帰りの車では)いつもモーツァルトのピアノ・コンチェルト20番だった。アシュケナージのタッチに耳が馴れていて、体の隅々まで泌みわたって癒してくれるのを感じた。・・・左折の信号待ちあたりで二楽章に入る。これを聴くために仕事に出ているような気さえした。・・・」
という一節が印象に残っていた。

アシュケナージのモーツァルトPコンってもしかしてあれ?と棚を探してみたら、まさしく20番が出てきた。おそらく同じ録音だと思う。当然、改めて聴いてみたのだが、私にはとても意外だった。

20番は珍しく短調の曲。2楽章は相当美しいけれども、全体としては、私にとっては到底「癒し」の曲とは感じられない。どこかに翳りがあって、テンションが高くて、ほっと癒されるようなメロディーが長続きしない。若きアシュケナージのベートーヴェンとまがうような力演も、モーツァルトらしさを殺しているような気さえする。それが「これを聴くために仕事に出ている」とまで書かれるなんて・・・。

著者の心のひだひだの奥をちょこっと覗いたような気もするが、まさしくそんな気がしただけなのかもしれない。

さまざまな聞き手のさまざまな思いを宿しながら、それぞれの20番があるのだろうね。20番に限らず、モーツァルトに限らずなのだけど。


これは店に出さない
2005年02月11日(金)

以前より存じ上げている先生が退任を機にまとめられた随想集がしみじみと感動的だったので、思わずハガキをしたためてしまった。そこでおのれのボキャ貧を痛切に感じたが、先方はそんなこと先刻お見通しであろうから、気にせず投函。相当な地位にも関わらず、決して派手な振る舞いの方ではないし、bossyな方でもない。それは前からわかっていたが、これを読んで、心の隅々まできちんときれいな方であることを感じた。こういう方にご縁があったことは本当に幸せ。

2、3年前、続けて2度ほどコンサートで偶然ご一緒したことがあった。最初は樫本大進のリサイタル、次がN響×アナスタシアのチャイコンだった。バイオリンお好きなのかしら。

人生なんてもう半分とっくに過ぎてしまったが、尊敬できる年長者にめぐり合うと残りの人生も捨てたもんじゃないなあと思う。世の中、クズも多いけれど、素敵な人もたくさんいるのだもの。自分はどうするか、どう生きるか、みたいなことは、道を悟った人ならいざしらず、私ごとき凡俗の徒は前を歩く人から学ぶしかない。

若いときって、なかなか虚飾と本質の見分けがつかないんだよね。蹴飛ばして忘れちまえばいいようなことで真底傷ついてみたり、かと思えば自分を無謬だと信じて暴挙にも出たり・・・。いやはやしょうがないもんです。私だけってこともないよね?

最初に言及した随想集、シランデの店先には出さないでおきます。貴重書は出し惜しみする恣意的なところ、名うての古書肆を真似てみました。気になる人はお問い合わせくださいね。


耳に残るは高弟の声
2005年02月10日(木)

声楽の先生の高弟さんたちのコンサート。
対極にいる私なんぞは底辺の弟子、よって舞台に立つことはおろか、楽屋の手伝いもなく、ただ聴きにいくだけ。

本当は行く気しないな〜、めんどいな〜、と思っていたところ、図書館で旧知のPさんにばったり。Pさんと遊ぶ誘惑にかられるが、「行くと何か思いがけない発見がありますよ〜」と励まされ、気を取り直して、花束買ってホールに向かう。

みなさん、音大声楽科卒だから素人ではないにせよ、日ごろ聞きなれた大歌手の歌いぶりとは違うから、ときどき「あれ、ここってこんなんだったっけ?」と思うところもないではない。間違えてはいなくても、名人ならさらっと歌いぬけるところに、まるで団地の中の道のようにボッコリと段差を感じてしまうのだ。言い換えれば、こういうコンサートではかえって曲を深く知ることができるのかもしれない。でも情感に酔うのはちょっと難しい・・・それにはまあ、それ相応のチケット代がいりますわね。

このコンサートも無料ではないが、出演料どころかカツカツだろうと思う。こうやって誰か関係者に聞いてもらって、次のチャンスにつないでいかないといけないから大変。好きでなければ出来ない、というか、パラサイトを許して余りある親がいないと出来ないことだ。一番幸せなのが、歌手が本人の夢だけでなく、親の見果てぬ夢でもある場合だったりして・・・。仕事としては収支上投資に見合わないこと間違いなし。

よしんば見合うような大歌手になったとしても、旅がらす覚悟じゃないと勤まらない・・・歌手じゃなくてよかった♪



サッカー
2005年02月09日(水)

サッカー勝ってよかったね。
日ごろ、そんなんどーでもいい、と思う私が、今日は日本が勝てばいいな、と自覚していた。これは宣伝にのせられているのだろうか?フクザツな気分である。

しかしいくら応援するといっても、あの絶叫型テレビ中継、どうにかならないのかしらん。選手がちょっと動くたびに絶叫。終いにはのども枯れ果ててというアナウンサー。もっと声を大事にしなさいよ。

会場で見るとテレビとは違うんだそうだが、あれだけの大群衆、帰りの電車を考えると、絶対見に行く気がしない。

そういえば今日も帰りの電車で人身事故に遭遇した。「またかよ〜」のため息が車両を満たす。各駅停車じゃなかったので、目的地の一つ手前の駅で20分余り缶詰状態。最後に「ここから各駅に止まります」と変更されて、ようやく車両のドアを開けてくれた。冷たい空気の気持ちがよかったこと!わざわざホームに下りて、「こうやって汗を冷やすと風邪のもとだわね、ここからタクシーに乗ろうかな」と思っていたら、なんとか動き出し、30分遅れて到着。まったく飛び込みは勘弁してほしい。へろへろですわ。死ぬときは関係ない人に迷惑をかけない。



得手不得手、しょうがないでしょう
2005年02月08日(火)

久しぶりのバイオリンで、いつもどおり先生にご面倒をかける。先生のレゾンデートルは私にお任せください。モーツァルトの様式感ってのは厄介ですな。私は客席で十分でござんす。私の後に来たのが、伸び盛りの4年生くん。一緒にデュオをやらされました。「おにいちゃんじゃなくてごめんね〜、おばちゃんだからお手柔らかにね」と低姿勢で臨む。少年、素直に「うん、わかった!」そんなに明るくいうなって!ますます自信なくすじゃないか。惻隠の情も覚えなさいよ。(注:少年はこのデュオをうちの息子とひくのが好きなのです。)

ひいている途中に彼のママ=ピアニストさんが来て、ますます緊張。人には得手不得手があらあな。ともかく、この教室は生徒どうしが大変仲がよろしくて、不思議なくらいです。私は音楽的貢献ができないので、発表会の案内状作成とか子どもの記念文集の編集とか、そんなことでお茶を濁して長いこと在籍し、たぶんそれがために、先生も破門できないのでしょう。

不得手といえば、午前中はエクセルにデータを打ち込んで、整理するのにおおわらわした。これも大の不得手である。こと、数字となると、必ず間違えて、間違いを修正するうちにさらにミスを複雑化させてしまう・・・ツライです。数字の羅列をみると、それが二桁だろうが一桁だろうが、頭がフリーズします。でも、正しく入力さえしておけば、最終的にきれいに整理することには、夫の手伝いが期待できるので、今日は一生懸命頑張ったのでした。

シューベルトの交響曲第3番♪でちょっと癒されたかな。これがひどく田舎くさい曲(第一楽章)なんですね。ムーティーの盤は前から持っていて、なんということなく聞き流していたのだけれど、今日、クライバーで聞くと、ものすごくオーボエが印象的=お百姓さんのお祭りみたい。どっちが、というと、この土臭い躍動感溢れるクライバー×ウィーンフィルが面白いんでしょうね。ムーティー×ウィーンフィルは上品、上品。でも、曲全体はどうもぱっとしなくて、そのあとの未完成が始まって、あ、終わったんだ〜って気がつくような感じ。(CDは両方とも、その次に「未完成」です。)




つけてあげてください
2005年02月07日(月)

化粧品売り場で買い物をしたら、以前に買った美容液がまだあるか、と聞かれた。あると答えると
「お買い求めいただいてから1年近くたってますから、残っているのでしたら、どんどんつけてあげてくださいね

自分で自分の顔に「つけてあげる」?

言葉は変化するものだから、私は基本的に「正しい日本語」という考え方はキライです。でも、「つけてあげる」?

なんでそうなるのかね?
「つけてください」または「おつけになってください」でいいじゃないか。

そのわけを例によって電車の中で考えてみた。
ふつうは「〜あげる」というのは、モノのみならず有形無形の恩恵が相手方に移動するときの表現だ。はっきり目上、目下の関係でつかうのはあまり適切ではない。(目上なら「さしあげる」、目下なら「やる」。最近、「やる」を下品な言葉だと考える向きがあるが、それは誤解。私は老犬に「餌をやる」が、夫は「餌をあげる」という。)

話が横にいったが、自分から自分へ恩恵が移動するという感覚がひっかかるのである。たとえば、「足をもんであげたり、髪をといてあげたりした」という表現だけ聞いて情景を想像すると、おそらく二人の人物が出てくるであろう。たった一人でもんだり、梳いたりしている姿を思い浮かべることは、おそらくない。自分自身の体の一部には使わない表現なのだ。自分の背中は「かく」もので、「かいてあげる」ものではない。

じゃあ、どうして売り子(差別語?)はそういうのか?
想像するに、販売員の講習会で、美容部員の親玉が「お客さまの目元につけてあげてください」なんぞというのではなかろうか?それをそのまんまノートして、あるいは暗誦して使うから、変てこになるのではないか。「つけてさしあげてください」は美容部員にはちょっと難しいのかな。それともそういえば、そういったで今度は販売員は「つけてさしあげて」というのかしら。

日ごろ使い慣れない言葉を使うから馬脚を現わすことになる。でも、馬の足でも人の足だと思う人がふえれば、それで立派に人の足として通用する。言葉ってそういうものだから。でも、そうなると、私なんぞは逆に馬の足だか豚の足だか、う〜ん暮らしにくくなるぜ。

過日、某宗教団体の人はインタフォンに出た私に「私の話を伺ってください」とのたもうた。「そんな言葉使いをする人の話を伺う気にはとてもなれない」と答えた。そのうち「伺ってください」「はい、伺います」になるのかなあ?

どうでもいいついでに「承ります」が「受け賜ります」と書かれているのをみると、私相当いらついてしまうんだわ。未熟者です、はい。


仁左衛門さま@歌舞伎座
2005年02月06日(日)

今日は歌舞伎座夜の部でたっぷり仁左衛門さま♪を見た。

「じいさんばあさん」原作は森鴎外なんだそうだ。
前半、まるで安っぽい時代劇を見ているような台詞まわしで、ちっとも歌舞伎らしくない(今思うに、義太夫や長唄といった音曲がはいらなかったせいかも。派手なシーンはないし、歌舞伎を無理して現代劇に仕立てたみたい)。

こんなもの見ることにしてしまったな〜、と思いながら、伊織が仲間を斬って37年間の遠国預りの後、ようやくもとの家に帰ってきた後半に入る。そうしたら、なかなかいいおじいさんで、歌舞伎的な仕草の面白さもあり、相手役の菊五郎のおばあさんもよろしくて、ついつい、不覚にもぐんでしまった。辺りにもハンカチを取り出す人が何人かいた。

「新版歌祭文 野崎村」は人間国宝揃い踏み、言い換えれば、老人会演劇部。雀右衛門、芝翫、富十郎、田之助で、一番若い人が72歳!芝翫なんていいと思ったことなかったけれど、今日のお光は好きでした。じいちゃん長生きしてね。1月の国立劇場で雀右衛門を見た人が「花道で腰掛けてた・・・もうダメだから、見ておくべきだ」といってくれたけれど、今日は大丈夫そうだった。お染だから、まあ前半だけちょっと頑張れば、あとはほとんど座っているだけだからかな。

「二人椀久」は仁左衛門と孝太郎の踊り。踊りの得意な人に「仁左衛門さんは踊りだけはいただけないわね」なんて聞いていたし、大体、私は踊りのよしあしなんてわからないから、踊りのときは睡魔に身をまかせている。でも、今日の「二人椀久」はパントマイムみたいなところがあるから、案外面白かった。二人並べれば、パパ仁左衛門がうまいことは一目瞭然。孝太郎はかわいい・・・ただし遊女松山って顔ではない・・・もっと素朴な娘役が似合いそう。かつての玉孝コンビでよくやった踊りらしいけれど、そりゃあ今日だって玉三郎さんが出たら、どれほどよかったことか。

さて、挨拶したくなるほどの近距離で、菊五郎夫人=藤純子(今は富司だっけ?)を見た。菊五郎が出るときは必ずといっていいほど、来ているみたい。今日は菊之助も出ていたしね。きれいはきれいです。でも、素人があのお肌になったら、ああいうお化粧はしないだろうな、と思った。

勘九郎の襲名ポスター、初めて見た。勘ちゃん、かっこいい。年のせいか、先代の面影がはっきり顔立ちに出るようになって、そこで襲名って私程度にもなんともいえない感慨。



勉強になりました
2005年02月05日(土)

『本居宣長 言葉と雅び』読了
宣長の国語研究を彼の思想中に位置づけた論考。数日前にも書いたけれど、最終的に、精緻な国語研究をしたからこそ、宣長は古代語こそ日本語のあるべき姿(=音韻変化や文法変化のない規則性の整った言語)という認識にいたり、そこから敷衍して日本古代を理想的な世だと捉える思想に到達した、という分析がとても面白かった。国語研究の緻密さと単純な国粋性から免れない思想傾向がいかに両立するか、がたんねんに考察されているのである。

無味乾燥と思われがちな文法研究だけれど、それを積み重ねていくうちに、意外なほど人間的な溌剌とした精神が涵養されるものであるなあ、と改めて感心。あるいは、むしろそうした精神がなくては研究はできない、というべきか。宣長の思想が国語研究に比べて荒っぽい印象を与えるのは、中国語研究をする環境が整わなかったからかもしれない・・・今ならなんとでもなるのに、当時宣長が獲得できた中国語(漢文)の知識では、あまりにもお粗末な中国語認識にしか到達できなかったに違いない。当然、日本文化が中国文化を凌ぐことになる。

とにかくいい読書ができました。

ヲタ息子が北村夏とかいうマンガ家の『私に似た人』というのを、「これ面白いから読んでみな」と置いていった。私この頃、マンガ苦手なんだけどなあ・・・外国暮らしで1年半遠ざかったら、見事マンガ読書力が低下して以降回復しなかった。ちょっと前に『黄昏流星群』をどっかの待合室で読みましたが、キライです。あれを『中年流れ星』と覚えていて息子に訂正され、やっと最近、正しい題名が一人で言えるようになった。『夕凪の街』は息子に読まされ、ま、いいんじゃない、不足に思うところはあるけど、というような読後感。若い頃と同じような感動はありえない。




公文書館とお隣のグラタン
2005年02月04日(金)

久しぶりに国立公文書館へ行った。
塙保己一の和学講談所の本が収められている。今日見た2点もしっかり和学講談所の蔵書印入り。残りの1点は昌平坂学問所の印。

国会図書館なんぞと違って空いているのが何より。本当に資料を見る人しか来ない。今日の閲覧者平均年齢は50歳以上だと思う。昔はカウンターの人がよく週刊誌やマンガを読んでいた。独法化したせいかどうかはわからないけれど、今日は普通に働いていた。暇そうではあるが。それに昔より愛想がいい・・・以前を知るものとしては薄気味悪い。

前は昼食に困るところだった。パレスビルの地下へ行くしかなかったが、今は隣にいいところがある。クィーンアリスの系列とかいう「アクア」というカフェレストランが近代美術館に入っているのだ。今日は朝からよく勉強したので、当然お昼はごほうびでなくてはならない。それなのに、何を血迷ったか、普段なら絶対頼まないグラタンを頼んだ・・・小籠包とグラタンは舌をやけどさせて以降の料理をだいなしにする・・・ところが、ここのグラタンは一風変わっていた。舌にからみつくようなねばっこいソースではなく、大変あっさりとしたペシャメルソースでさらりと薄味に仕上げてある。しかも人間がやけどをせずに食べられる温度。中にバターライスらしきごはんがちょーっとだけ入っている。これで1000円なら大当たりの部類だと思う。

レジで「おいしいグラタンでした」と言ってしまった←まさにおばさんの行動。そうしたら山芋とお豆腐を使っていると教えてくれた・・・料理に不案内な私は全く気付けなかった。

午後も快調で今日は○。




獣医さん往診です
2005年02月03日(木)

老犬のために獣医さんの往診を乞う。
特に何かあったわけではないが、とにかく興奮すると倒れるので、獣医さんのところまで連れて行く自信がない、というのが第一の理由。そして、坂道を下っていることは間違いがないのだから、何かあってからあわてて診断してもらうよりは、多少のご宣託が頂戴できるであろう、というのが第二の理由。

獣医さん到来の気配にはまず吠える。
獣医さんご入室でテーブルの下に隠れるけれども、そもそも獣医になるくらいの人は犬寄せホルモンが分泌しているから、獣医さんがちょっと声をかけると出てくる。尻尾を振って愛想満点。

「元気そうじゃない?」
「ま、そうなんですけれどね、興奮するとすぐ失神するんで・・・」といい終わらないうちに、ばたっ!
当方慣れたもので、そばのバスタオルを即、股間にあてがう。

獣医さん聴診器。ひっくり返ってぐるぐるしている目玉を、またひっくり返さんばかりにしてチェック。

そうこうしているうちに意識覚醒。

「利尿剤、毎日飲ませましょう。効きが悪ければ、もっと強い薬にしましょう。」

・・・御宣託はこれにて終了。利尿剤で肺にたまった水を排泄させようという手である。対症療法はこれしかないらしい。

意識を取り戻した老犬は、再度テーブルの下でぶるぶる震えている。
「具合悪そうだから、早く引き上げますね」
獣医さんお帰りである。

具合悪そうで帰る医者ってのも、なんだかなあ・・・。わかりますけれどね、獣医さんがいるから、犬も落ち着かないってことでしょ。だけどさあ、具合悪いからってここでまっすぐ帰るのかねえ?

相変わらず芸のない獣医さんでありました。この飾り気のなさ、というか、営業の出来なさが気に入っているのです。気楽に口をきいてもらうまで2年近くかかりましたもんね。




『本居宣長 言葉と雅び』
2005年02月02日(水)

言語についての宣長の論考を手がかりとして、宣長の思想を論じている『本居宣長 言葉と雅び』を読書中。残り3分の1くらい。中身の妥当性を云々するほど、私には宣長のことはわかりません。わかりませんが、歌論書も思想的著作として読み解くと面白いものだなあ、と感じないではいられない。著者の菅野覚明氏の力量によるところも大きそう。素人に読ませるから、と内容を薄めたりせず、それでいて素人にもわかる、という書き方が出来るのが本物の学者である。しかも原文の引用に現代語訳が付されているあたり、とても親切。

思うに、高校の古典教育は情緒的な部分に偏りすぎていないか?今は偏るどころか、ろくに習得されていないのが現実だけれど、本当に『源氏物語』を原文で読むことをめざさなくてはいけないのだろうか?女流日記だの隠遁者の随想なんか今の高校生に読ませたって仕方がないのではないか、と思う。説話だってアホラシ、と読み捨てて終わりでしょうに。そんなものを読ませるよりは、近世のものでいいから、少し思想的な主張のあるもののほうが、話が理屈だけになる分、共感しやすいのではないかなあ、と思ったりする。あるいは、ぐっとレベルを下げて武士や町人の処世訓みたいなものでも、いいたいことがわかりやすくてよいかも。物語でも、近松の心中物なんかはテンポがいいし、展開を追いやすいよね。

だいたい室町以降のものは文法的に現代語に近いから、ちんぷんかんぷんということはないはずだ。平安語で書かれた全然わからないものを現代語訳させて(覚えさせて)古典を読ませたことにしても、何にもならない。古典はつまらないという印象を与えるだけ、しないほうがいいのではないか。たぶん多くの生徒は、古文は大学入試のために必要だという以外には意義を見出せないのではなかろうか。

ごく一部の関心の高い生徒には従来どおりの古文を選択させてもいいが、一般の生徒には、平安ものは読ませないで、近世の随筆や思想書の抜粋を読ませ、明治初期の文語文の論文(北村透谷など)を読ませて、「古文」ということにするといいんじゃないかという気がするが、高校の先生はどう思うのだろう。少なくとも従来型の古文は大人にならないと真価がわかりにくいと思うのだが・・・下手に教えて日本語の言語的な遺産を反故同様にする のは絶対によろしくないよね。そういう私は高校生のとき古文はどうも好きになれなかった人です。


2月1日といえば
2005年02月01日(火)

東京の中学入試の日だ。昨日雪が降るようなことをいっていたから、無関係な私も一緒に心配したが、晴天でよかったこと。

中学入試は親の入試だといわれる。確かに8割がたはそうだと思う。でも実際はそこまでの必要はなく、親は塾の吹く笛に合わせて踊らされているのだ。鴨がねぎしょったようなダンスである。踊りましたよ、私も。踊る阿呆に見る阿呆というが、踊る阿呆ばっかりの世界。合格の充実感は大学よりもあった。2月1日の緊張や発表のうれしさは死ぬまで忘れないだろうと思っていたが、もう相当部分が霧の中である。

入試のお弁当にはカツでもいれたのかしらね。






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